劉備

りゅうび
劉備
【歴史】

中国・三国時代の人物で、蜀の初代皇帝。字は玄徳。
三国志をあまり知らない人でも、劉備と諸葛亮(孔明)の名くらいは聞いたことがあるのではないだろうか。

三国志演義においては漢王朝復興のために立ち上がった正義の人で、聖人君子のような人柄で描かれているが、史実においてはあくまでも、天下統一の大望を抱いて立ち上がった群雄の一人である…とケッケは解釈している。
彼の殆ど唯一ともいえる武器は人徳であり、その人徳に惹かれた有能な人物たちが、彼を蜀の皇帝にまでのし上げた。曹操と違って彼一人ではほぼ何も出来ないが、関羽、張飛、そして諸葛亮などの天下にその名を轟かせる有能な人材たちを上手く使いこなすことによって、魏の曹操・呉の孫権と肩を並べるまでに至った。
君主としてはやや優柔不断さがある。特に荊州の問題は致命的。
劉備は曹操に敗れて劉表が治める荊州に身を寄せていた時期があったが、劉表の死後、諸葛亮から「曹操に対抗するため荊州を奪ってしまえ」と言われる。その際「恩を仇で返すような真似は出来ない」と諸葛亮の進言を退け、結果、何万人にも上る難民を抱えたままの曹操軍からの逃避行という事態を招いている。
結果が良かったか悪かったかは別として、領土を得るチャンスが目の前に転がっているにもかかわらずそれを蹴るというのは、君主として愚行ではなかろうか。曹操ならば間違いなく獲っていただろうと思われる。
まぁこの件に関しては、ここで荊州を獲ったら曹操が黙っていただろうか?という見方もある。

しかし彼がそのように義を重んじる人物だったからこそ、臣下の者たちも付いてきたし、民衆の信頼を勝ち得たのだと考えれば、彼もまた己の信念を曲げることなく突き進み、結果三国の一角を担う英雄になったのだと言うことが出来るだろう。
強大な曹操、伝統の孫権、そして信義の劉備という三者三様のスタンスがあったわけである。
自分ひとりでは何も出来ないが、信義に厚く人をよく使うというその姿は、漢をうち立てた偉大な祖先である高祖・劉邦そのものである。
惜しむらくは、敵が項羽のような猪武者ではなく、中国が生んだ傑物・曹操だったことだ。
項羽レベルの相手ならば、関羽も張飛もいたことだし、何より劉邦ほど優柔不断ではなかったので、楽に天下が取れただろうに…。

ここまで読んでいただければ分かると思うが、僕は劉備に対してあまり好感を持っていない。むしろその最大の敵である曹操の方が好きだ。
劉備が動けば大抵は世の中が乱れ、呂布・袁紹・劉表(というか荊州)など行く先々で破滅を呼び起こしてきた(←言い過ぎ)。大義名分を掲げて天下をかき乱した張本人、と言っても過言ではないと思う。この男さえいなければ、曹操によって天下は統一されていたかもしれない。
しかし劉備がいなければ三国志はまったく面白くないし(そもそも成立しない)、恐らく劉備好きな人が曹操に抱いているような感情を、僕も劉備に持っているのだろうと思う。巨人に対する阪神、みたいな。
色々書いてきたが、それでも劉備が三国志を代表する英雄の一人であることに変わりはない。それは誰もが認めるところであろう。
最終更新:2009年06月30日 11:18