馬岱

ばたい
馬岱
【歴史】

中国・三国時代の武将。
字は不明。
三国志演義においては、五虎大将亡き後の蜀を支えた名将である。

蜀が誇る五虎大将の1人・馬超の従弟であり、劉備の成都攻めの最中、馬超と共に劉備陣営に加わった。
際立った強さは持たないものの、蜀において数少ない歴戦の将として、南蛮征討・北伐で魏延などと共に数々の功を上げた。

第6次北伐の際、諸葛亮への不満をあらわにして軍の統率を乱し始めた魏延に対し、諸葛亮は司馬懿ともども魏延を排除しようとしたが失敗。これに激怒した魏延をなだめるため、諸葛亮は馬岱に作戦の手違いがあったとし、彼に棒刑を加えた上で官位を剥ぎ取った。
だが諸葛亮から事情を聞かされた馬岱は、諸葛亮を恨むことをせず、それどころか魏延の「馬岱を配下に置きたい」という要望に応じて、魏延が謀反を起こさないよう監視する役を買って出た。
そして諸葛亮の死後、魏延は諸葛亮の読み通り反旗を翻したが、馬岱は諸葛亮との打ち合わせ通り、すっかり油断していた魏延を切り捨てたという。
「自分が耐えることで国のためになるのなら、喜んで耐えよう」との言葉からわかるように、真に国を思う忠義の士であった。


なお、上記はすべて三国志演義の話。
正史はよく知りません(´・ω・`)
最終更新:2008年10月13日 18:17