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自治体職員のキャリアデザインを考える日記(51-60)
最終更新:
匿名ユーザー
2005年05月09日
自治体職員のキャリアデザインを考える日記(51)
■アウトソーシングと内製の境界線
日曜日の「違和感だらけの自治体異邦人日記」では、「歯車人材と二流組織」からの脱皮のためにアウトソーシングを積極的に行うことが主張されています。
>「参謀」と呼ぶべきトップのブレインこそ必要だと考えています。
>人事・財政・庶務事務などは、アウトソーシングで十分です。
ここでのポイントは、アウトソーシング「できる」部門というのは、ほぼ全ての部門に及びます。特に「参謀」部門は民間企業であれば戦略コンサルタントの領域そのものです。つまり、民間企業が真っ先にアウトソーシングしている部門です。一方の人事・経理・庶務関係もアウトソーシング産業が発達している分野です。
これらの外に、現場の業務のうち、アウトソーシングが不可能な業務がどれほどあるでしょうか。消防は特別として、窓口業務をはじめとし、検査業務や徴税、施設管理など、技術論的にはアウトソーシング「できない」業務というものはほとんどありません。志木市の「地方自立計画」では20年かけで職員数を10分の1にする計画を立てています。つまり、「アウトソーシングできる業務はアウトソーシングすべし」という方針であれば、市役所の職員の9割を解雇する、ということになります。
さて、アウトソーシングには2つの方向があり、一つは自社内では調達できない希少な能力を調達するためのアウトソーシングです。戦略コンサルタントなどは、自社で直接採用することが困難ですので、コンサルタント会社からコンサルタントの能力を買うという方法をとることになります。
もう一つの方向は、市場に比べて高額な報酬となっている自社内の社員を解雇し、外部から安価な労働力を調達する方向です。間接部門・直接部門を問わずこれは行われています。この間までその企業の正社員であった人が、いったん解雇され、人材派遣会社に所属している、ということもありえます。
では、神戸市役所の場合はどちらに当てはまるでしょうか。まず、人事・財政・庶務の部門ですが、こちらは、4分の1しかもらっていない派遣社員以下の働きしかしないそうですので、貢献に比べて受け取っている報酬が高すぎる場合とみなされているようです。過去の日記を読む限りでは、存在自体が住民サービスへのマイナス要因、と見られている可能性もあります。
次に、「参謀」に関してですが、こちらは、ブレインとしての働きが期待できる人材を内部に抱え込むことができると考えられているようです。もちろん、この場合の参謀は、キャリアの大半を市役所(外郭団体・ファミリー企業含む)で送った職員ではなく、民間企業の経営実績など、市役所内部では調達できない特殊な能力の持ち主を迎え入れる、という意味と思われます。その場合、パーマネントな公務員として採用するのは難しいですから、採用するとしても短期間の任期付き採用か、非常勤としての採用になると考えられます。
結果的には、「神戸市職員」という身分を持った人はほとんど存在しなくなることになります。少なくとも、現在、職員として在籍している人が在籍し続ける可能性はほとんどなくなります。
しかし、何かおかしいですね。アウトソーシング「可能」であることと、アウトソーシングが「最適」であることは必ずしも一致しないのではないでしょうか。そして、もし、それらを峻別するものがあるとしたらそれは何でしょうか。
戸崎将宏
tozakimasahiro@yahoo.co.jp
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2005年05月16日
自治体職員のキャリアデザインを考える日記(52)
■平成秩禄処分?
おはようございます。
典型的な歯車職員かつ間接部門の戸崎です。
今、落合
弘樹(著) 『秩禄処分―明治維新と武士のリストラ』を読んでいます。これは、大雑把に言えば、それまでの旧支配階級である士族に国債を与える代わりに給与の支給を打ち切る、といった内容のものです。
処分に至るまでのプロセスに紆余曲折があり、政府内部でも温度差が大きく、新聞紙上でも激論が交わされ、一読み物としても十分楽しめます。
さて、現在公務員制度改革が議論され(下火になってきていますが)、この「有志の会」HPでも、無用な「歯車職員」を放逐することが主張されていますが、明治の世においても、士族階級は「座食」「居候」「平民の厄介」「無為徒食」と非難され、禄を打ち切られています。現代の公務員も、市場賃金を大きく上回る既得権化した高齢職員の高給や、過剰な福利厚生制度が非難に晒されていますので、現代の「秩禄処分」を求める声が出たとしても不思議ではありません。
ただし、士族の秩禄処分と異なるのは、秩禄処分は国民皆兵によって防衛の任を解かれた兵力である士族に支給され続けていた禄が打ち切られたもので、現代に喩えるのならば、仕事が無くなって自宅で待機している公務員に給料が支払われ続けているようなものだということです。
市場化テストによって、民間に移る業務を担当していた公務員に、他の仕事を与えないまま給料を支給することになれば、「平成秩禄処分」もありえなくない話ではないかと思います。
なお、士族に支給されていた禄は削減に削減を重ね、最終的には生活できるぎりぎりの額まで引き下げられたので、既得権というよりも、社会構造の変化によって職を失った失業者に対する生活保護のような位置づけかもしれません。
戸崎将宏
tozakimasahiro@yahoo.co.jp
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2005年05月23日
自治体職員のキャリアデザインを考える日記(53)
■役所というサティアンからの脱出
20日の高知オフ会に参加してきました。
高知県の橋本知事との意見交換の中で、私から質問させていただいたのは、「2007年問題」と呼ばれる団塊の世代の大量退職に関するものでした。
退職したとは言え、60代前半は体力的にはまだまだ十分元気です。地域の活力の中心となることが期待されています。しかし、定年退職まで家庭を顧みず役人一筋で生きてきた人が、退職を機に簡単に地域に戻れるはずがありません。
そこで、退職を数年後に控えた職員を対象に「人生リスタートセミナー」を開催し、役所という「サティアン」の中で受けてきた洗脳を解く「脱洗脳」が必要ではないか、ということを提案させていただきました。
このアイデアは、『あきらめの壁をぶち破った人々』の著者である中尾英司氏が講演でおっしゃっていたものです。中尾氏は、定年退職した団塊の世代が地域の中心となることで、地域に活力を取り戻すことを説いています。
公務員OBが退職後、内情を知っている小うるさいクレーマーになるか、行政の一大サポーターになるか、という問題でもありますので、これを読んだ皆さんもぜひ「脱洗脳プログラム」を一緒に考えていただけると幸いです。
戸崎将宏
tozakimasahiro@yahoo.co.jp
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2005年05月30日
自治体職員のキャリアデザインを考える日記(54)
■「自治体プロ職員」とは、いつでもクビになる覚悟があるという意味?
「自治体職員有志の会」の日記やこの会の設立者である山路さんの日記にはたびたび「プロフェッショナル」、「自治体プロ職員」という言葉が登場します。「プロ○○」と言うと、最近は「プロ市民」のようにネガティブな使い方をする場合もありますが、ここでの「プロ職員」の使われ方は、「プロ野球選手」と同じように職業人としてのプロフェッショナリズムに重点を置いており、山路さんの日記には
『プロフェッショナル』とは、『置き換えのできない人材』
という田坂広志さんの言葉が引用されています。
では、「プロ職員」を他の言葉で説明することができるでしょうか。
梅森浩一氏の『「クビ!」論。』に、こんな言葉が出てきます。
・・・外資系企業の場合、採用される社員は、そのジャンルのプロであることが前提になっています。
したがって、評価の判断は業績がすべて。業績が振るわなければ、辞めるしか道はありません。日本の会社によくあるように、配転や人事異動でどうにかするといった甘い世界ではないのです。
この言葉を当てはめると、「自治体プロ職員」とは「業績が振るわなければ、いつでもクビになる覚悟がある自治体職員」と捉えることができます。
現実には、「自治体プロ職員」の業績が振るわなかったからと言っても、極端に悪いのでなければクビにされることはないのですが、梅森氏の著書にあるように、自らの引き際をわきまえていることがプロの条件の一つです。「他の職場に異動してチャンスをください。」と組織にしがみつくのではなく、プロとして潔く身を引き、そのジャンルの仕事でリベンジを図るのがプロの仕事だということになります。幸い、自治体プロ職員が自ら退職することは手続き的にはそれほど難しくありません。ただし、外資系企業のような「退職パッケージ」が必要になってくるかもしれません。
自称「自治体歯車職員」
戸崎将宏
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2005年06月06日
自治体職員のキャリアデザインを考える日記(55)
■公務員の仕事の成果を測定するってどうやるの? 誰か教えて?
大阪市役所の「役人天国」ぶり暴露キャンペーンを突破口に、地方公務員の人件費削減キャンペーンが展開されています。要素としては、国家財政の破綻による地方財政削減圧力や、地方公務員の政治力への圧力(政治的行為の制限とセット)などがありますが、地方公務員が給料が高いということのコンセンサスはかなり形成されているように思われます。首都圏にいると民間企業にいった同級生や自分の弟と比較してもかなり低い給料に打ちひしがれます(弟の半分くらいしかありません)が、地方では自治体職員、特に都道府県職員はその県内でのスーパーエリートだそうです(地方テレビ局の女子アナと合コンのあるM崎県庁の職員が羨ましいわけでは決してありません?)。
そこで出てくるのが、「公務員にも成果主義を導入して貰いすぎている給料を民間並みに下げるべきだ。」という声です。確かに働きに比べて給料が多すぎると思う職員がいるのも確かです(「この人が1千万円プレイヤーなの?」っていう人は確かにいます。)。しかし、それは成果主義を導入すれば問題が解決できるのでしょうか。高すぎる分だけ給料下げればいいんでないの?
まず疑問なのが、どうやって公務員一人一人の仕事の成果を測定するのか、ということです。少なくとも今現在の仕事のやり方、役割分担の仕方を前提にしていたとしたら、給料の額という1次元の軸に対応させるような測定結果に落とし込むことは不可能だと考えます。そして、仕事のやり方の方を変えていくとした場合には、多大な調整ロスが発生することが予想され、そこまでして成果主義に形を合わせて、結果的にサービスが向上するのかというとはなはだ疑問と言わざるを得ません。
お題目だけで「問題解決のためには成果主義の導入が必要だ」と言うのは簡単です。しかし、お題目を唱えるだけで問題が解決していたら経営者など必要ありません。「成果主義を導入すべきだ」と主張したいのであれば、まず「成果をどのように測定するか」という現実的な問題に対する自分なりの解決案を示した上で主張していただきたいと思います。その先にもモチベーションの問題などがありますが、まず入り口の時点から疑問なのです。
それができないのであれば、単に考え無しに流行りモノのラッパを空虚に吹き鳴らしているのと全く変わりありません。
自称「自治体歯車職員」
戸崎将宏
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2005年06月13日
自治体職員のキャリアデザインを考える日記(56)
■自治体職員のスペシャリスト化の姿は?
自治体職員のボヤキ節の一つに、3年位ごとに全く違う分野の仕事を自分の意思とは関係なく担当させられるので専門性が持てない、どこに行ってもアマチュアレベルの一からやり直し、というものがあります。
確かに事業分野ごとに見ると脈絡の無い分野の仕事を渡り歩いているように見えます。税金をやっていたかと思えば、土木事務所で道路管理や用地買収を担当し、その後福祉の仕事に就く、と聞くと、誰でもできるような仕事をしているのではないか、と思われても仕方ありません。本人にとっても、読んだことも無いような新しい法律や関係者と一から関係を作り、仕事を覚えて行くことは相当なストレスになります。よく公務員が批判される「初めて担当する分野なのでよく分かりません。」というのは、個々人の属性の問題以上に、本当に対応しきれないんだと考えられます。そのため、自治体職員を一つの分野にスペシャリスト化し、ずっと特定分野の仕事を担当させていればいい、という考え方も理のあるところだと思います。
しかし、本当にそれで問題が解決するのでしょうか。2点指摘できると思います。1点目は、仕事のやり方自体が属人化しているために、一人一人の経験やノウハウが全く伝達されないという問題です。「事務分掌表」という担当分けによって「隣は何をする人ぞ」という仕事のやり方をしているので、新しく担当になった人は、何の質的サポートも無く(量的には分担を軽くすることがありますが)、丸腰で放り込まれます。チームで行う仕事のやり方が求められます。これなしに単に同じ仕事を延々と担当させることを「スペシャリスト」と呼んでしまうと、「一子相伝」の職人みたいな職員をあちこちに蔓延らせることになります。組織の中の「職人」がいかに顧客サービスを阻害するかについては、映画「スーパーの女」をご覧いただければ分かると思います。
もう1点は、事業分野は異なっても根本となる仕事のやり方はあまり大きく変わらない、ということです。関連法令や接する人は変わっても、対人スキルや法令の読みこなし方などはどの仕事にも役立つものです。伊藤忠の丹羽会長は著書の中で、全部の仕事を経験しなくても一つの仕事を一通りできるようになっていれば応用が利くもの、ということを述べています。
単に担当業務や分野だけをとって、「スペシャリスト」「ゼネラリスト」の是非を問うことは既存の仕事のやり方、過去の価値観を前提にしたナンセンスな議論になりかねません。新しく求められる行動やスキルをベースに自治体の役割・仕事を仕分けし直した上でゼロベースから考え直す必要があると思います。
自称「自治体歯車職員」
戸崎将宏
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2005年06月20日
自治体職員のキャリアデザインを考える日記(57)
■毎日新聞連載『「成果主義」って何ですか』
つい先日まで8回にわたって連載されていました。
「悪夢と福音」というタイトルからは、成果主義という世の中の流れに翻弄されるだけの哀れなサラリーマンの姿を描いているようで、全般的に「成果主義の犠牲者」の姿を強調しているように感じます。
しかし、高橋伸夫の『〈育てる経営〉の戦略―ポスト成果主義への道』にも書かれているように、日本企業が「成果主義」の導入によって解決しようとしていることや「成果主義」の弊害として言われていることの多くは、人事制度の問題ではなく経営そのものの問題です。
この連載で言えば、「成果主義になったために働きすぎた」「成果主義になったために給与が削減された」「成果主義によって男女差別された」というような問題は、成果主義の問題ではなく、経営のまずさそのものです。
同じように、大阪市の厚遇問題ややる気の無い職員の問題を解決するために成果主義を導入すべきだ、という主張も、経営の問題を人事制度にすりかえているのではないかと思います。職員組合や職員に対するガバナンスができていない問題を人事制度で解決しようとしても、根本的な解決にはならないのではないでしょうか。「ものさし」としての人事制度改革は必要ですが、やる気のない職員を奮起させるには人事制度ではなく、経営者である首長自身が正面から向かい合うことが大切だと思います。
「成果主義」って何ですか:第1部・悪夢と福音/1 「勝ち組」の悲劇(その1)
「成果主義」って何ですか:第1部・悪夢と福音/1 「勝ち組」の悲劇(その2止)
「成果主義」って何ですか:第1部・悪夢と福音/2 総合評価の正体
「成果主義」って何ですか:第1部・悪夢と福音/3 人件費削減の隠れみの
「成果主義」って何ですか:第1部・悪夢と福音/4 評価と意欲の好循環
「成果主義」って何ですか:第1部・悪夢と福音/5 上司を採点、「360度評価」
「成果主義」って何ですか:第1部・悪夢と福音/6 採点する側の苦悩
「成果主義」って何ですか:第1部 悪夢と福音/7 逃れられぬ年功の呪縛
「成果主義」って何ですか:第1部 悪夢と福音/8止 マスゲームに加わらないと
自称「自治体歯車職員」
戸崎将宏
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2005年06月27日
自治体職員のキャリアデザインを考える日記(58)
■「勉強能力」と「村の中での対人能力」
梅田望夫さんの「My Life Between Silicon Valley andJapan」の表記タイトルの記事を読みました。この記事は、その前の記事から続いている話で、
野球が好き、将棋が好き、音楽が好き、勉強が好き、という四人の少年のうち、野球が好きな少年と将棋が好きな少年と音楽が好きな少年の大半は、その三つでプロになって飯を食っていくことがどれだけ大変なことかをだんだんと知り、野球や将棋や音楽で飯を食うということをあるとき諦めて、それは趣味として、仕事は別に持つようになる。でも勉強が好きな少年は、何だかずっと勉強みたいなことをする仕事をして一生を送れるのではないかとこれまでは思ったし、ここ数十年はそういう仕事がけっこうたくさんあった。そういう状況自体が今後厳しくなって、勉強が好きな少年も、野球好きの少年や将棋好きの少年や音楽好きの少年と同じような「人生の厳しさ」に直面するようになる。
「これからの10年飲み会」で話したこと、考えたこと
という、これまでは「勉強好きな少年」がなんとなく勉強みたいなことをしていればいい仕事が結構あった、という話が下敷きになっています。
自治体職員有志の会では、「自治体プロ職員」という言葉が議論され、また実際に自らの目指す「プロ職員像」を目指して努力されている方もおられますが、まだまだ自治体に、上に引用したような、「勉強好きの少年」、それも田舎の中学校の優等生のようなタイプの職員が多いことは事実だと思います。梅田さんのblogを再度引用すると
「勉強能力」と「村の中での対人能力」みたいなものさえあれば楽しい仕事人生を送れる、という選択肢が、ここ数十年の日本社会にはかなりあった。だから今の大組織の中には、40代、50代でそういうタイプの人たちがずいぶんたくさん堆積している。そしてけっこう力をもっているのだ、この層の人たちが、エスタブリッシュメント世界では特に。
「勉強能力」と「村の中での対人能力」
というタイプの40代50代の職員は自治体にはわんさかいるのです。
「違和感だらけの自治体異邦人日記」の中では、この世代の人たちは、
「いい年して、こんなこともできないのか。こんなことも知らないのか。」という侮蔑の対象
と酷評(#゚Д゚)されていますが(過去に相当色々(^^;あっただろうことが想像されます。)、梅田さんの文脈の中に当てはめると、「野球好きの少年」のうちでプロ野球選手になれた一握りの人(=折田魏朗氏)と、明日出勤すれば顔を合わすような凡庸な市役所職員を比較して扱き下ろしている、という構図になってしまいます。アジ演説としては大変すばらしいものだと思いますが・・・。
本来「プロフェッショナル」とは、
(1)長期的な教育訓練によってはじめて獲得できる、高度で体系化された専門知識や専門技能をもつ。
(2)専門知識を有する集団のメンバーとしての高い職業規範、責任感、倫理観をもつ。
(3)職務の自立性を有する。
(二村
敏子(編)『現代ミクロ組織論―その発展と課題』)
という特徴を有しているのが古典的な理解とされていて、医者や弁護士、会計士などの有資格者を指しているというのが一般的です。単なるサラリーマンや公務員に対して「お前らプロなんだろ!」と言うのは、激励や侮蔑の言葉としては意味がありますが、中身の無い言葉遊びに終わる恐れがあります。(「俺たち公務員も難関の採用試験を突破してきたのだから弁護士並みの有資格者としてみなされるべきだ」と言いたいのであれば話は別ですが・・・。)
とりあえず言えそうなことは、勉強が好きだという「勉強能力」だけではメシが食えない時代が来ている、ということです。しかし、だからと言って闇雲に「プロになれ!」と言うのは、「プロゴルファーを目指せ」「占い師になれ」「軽ワゴン買え!」の類の話と同様に極端に走りすぎだと考えます。もう少し当たり前の能力、例えば「対人能力」や「営業能力」を磨くというところが出発点になるのではないでしょうか。そうでないと「プロ職員」という言葉が、単なる精神論的な次元の話、リアリティの無い「べき論」の浮遊した議論に終始してしまいます。
自称「自治体歯車職員」
戸崎将宏
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2005年07月04日
自治体職員のキャリアデザインを考える日記(59)
■チョウチョの会 1周年記念フォーラムに参加してきました。
昨日(7/3)、琵琶湖のほとりで開催されたチョウチョの会のフォーラムに参加してきました。
「チョウチョの会 1周年記念フォーラム」
http://shigachoucho.hp.infoseek.co.jp/
この「チョウチョの会」は、ちょうど1年前に北川正恭早大教授の講演を聴いて感激した滋賀県職員6人が結成したネットワーク組織ですが、1年間で会員が10倍になり、このフォーラムには400人を超える聴衆が2000円のチケットを買い求めて参加されていました。
全国各地で講演をされている北川教授にとっては、1年前の講演が、まさかこれほどまでに大きなムーブメントに発展するとは予想も付かなかったのではないかと思われます(もちろん、教授の講演は「蝶々の羽ばたき」なんて呼べるような生ぬるいものではないのですが)。
フォーラムは、北川教授の基調講演と、スコラコンサルトの元吉由紀子さんのコーディネートによるパネルトークとの2部構成でした。
北川教授には、ちょうど3週間前に行政経営フォーラムでもご講演いただいたところだったのですが、今回は、県職員による自主的な活動が高まったというこの会に合わせ、いかにして三重県職員を「6000匹のチョウチョ」に仕立て上げたか、という三重県知事時代のお話を中心にされていました。
また、パネルトークは、「一切筋書きなし」の触れ込みどおり、あちこちに話が飛ぶスリリングな展開でしたが、きちんと着陸点に戻ってくる安定感は、パネリストの皆さんとコーディネータの思いが同じ方向を向いているからではないかと思いました。
最後に登場した国松知事のスーツが独特だったので印象に残りました。スーツの袖の部分をそのまま取ってしまったような独特のデザインでした。さすがにこれは市販品では手には入りそうにはありませんが、司会の方が着ていた襟無しのシャツなら入手できそうです。
自称「自治体歯車職員」
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2005年07月11日
自治体職員のキャリアデザインを考える日記(60)
■同じ職員同士の話を聴く場の大切さ
先週は、滋賀県の「チョウチョの会」の1周年フォーラムの報告をさせていただきましたが、チョウチョの会の活動で目を引いたのは、外部から講師を招くのではなく、滋賀県庁内の先輩の話を聴く場を設けることを活動の中心にしていたことです。もちろん、たんなる県庁職員の成れの果てではなく、民間企業から教育長や行政改革ディレクターに転身されてきた方や、長年市民活動に携わられてきた職員の話でしたが、おそらく外部講師の話よりも、わが身になぞらえて聴くことができたのではないかと思います。
また、フォーラムに先立って行われた公務員風土改革世話人交流会では、愛知県庁で行われている「職員交流会」のお話を聴きました。これは、月に1回集まって、特別でない普通の職員(例えば予算・経理担当者)の話を聴いてみよう、というものです。
オフサイトミーティングを開くと、自己紹介で様々な経歴をもつ人の仕事経験の話を聴くことができ、大変ためになります。それまで単なる「公務員の成れの果て」だと思っていた定年間近なオジサン職員から、実は波乱万丈な青春時代があったり、公務員になる以前は民間企業で徹底的に働いていたり、若い頃は庁内の習慣や権威に噛み付いたりと、ドラマティックな人生が語られるのは、同じ職員だからこその驚きと感動があります。
ぜひ、一度あなたの職場の「オジサン」から、これまでの仕事人生を聴いてみましょう。それまで凡庸なつまらない公務員生活、と思っていたものが、大変なドラマに溢れていることに気付くかもしれません。
自称「自治体歯車職員」
戸崎将宏
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