careerdesign @Wiki コンピテンシー誕生秘話


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コンピテンシー誕生秘話

2004年01月21日

コンピテンシー誕生秘話(1)突然の自治研所長の話


名筆の秋吉さんの後で、少々書きづらくはありますが、表題のお話として、高知県に課長職を目指す能力開発を設計・導入し、研修で能力証明された者を登用するという、研修から人事まで一貫した取り組みについてご報告いたします。私、高知県職員能力開発センター所長の夕部雅丈と申します。55歳です。よろしくお願いいたします。面白くなければ「ヤメロー」とメールして下さいね。これだけは最初のお約束ですよ。では、

突然の知事からの呼び出し

 今から4年前の平成12年3月、橋本知事から突然の呼び出しがかかりました。私はその時、伊野土木事務所の検査専門職として、まあ仕事としては退屈な日々を過ごしていました。職名は技査というのですが、この技査という役割は、工事が終わると現場に出かけて行って、工事の出来形とか品質とかを検査し、建設業者さんに合格通知を出すまでの作業をするわけです。設計書(正確には、図面付きの数量と金額を書いた積算書です)と工事写真、関係書類を見て、現場検査をするわけですが、事前のお膳立てや道中の手配、事後の書類まで担当者が書いてくれますので極端な話、ただハンコを押すだけの仕事と言っても過言ではありません。なにしろこの検査職員には、責任がほとんど問われないのですから・・・。
 で、土曜日の11時、なにごとかと知事公邸にむかいました。広い応接室でただ橋本知事と二人だけです。知事が単刀直入に「自治研修所の所長はどうですか?」とかなんとか言ったと思います。私は一瞬このことだったのか、研修所ならなんとかいけるかもと高をくくって「いいですよ」と簡単に答えてしまいました。そこから、これまでとはまったく違う世界に飛び込むわけですから、苦悩が始まりました。1年を3日くらいで暮らしていた技査時代の生活とは全く異質の世界になってしまいました。後悔してもはじまりません。
 後藤国利臼杵市長さんの、セメント工場立地反対運動ではないのですが、私もその日の内に本屋さんに飛び込んで、心理学と経営書を主体に数冊買い込み、1日1冊から数日で1冊のペースで研修に関連しそうな本を読み漁り始めたわけです。ただ、自治体研修に関するものは一切読みませんでした。1ヶ月くらいすると睡眠不足で血圧が上がってしまいました。これではいけないと思い直し、睡眠時間は元通りに戻して、読書量をその分減らすことにしました(その時からこの4年間で購入した本は500冊くらいでしょうか)。
 最初の約1ヶ月間でなんとか研修のなんたるかの目途はつきました。4月1日には何をどうするのかは、だいたい分かっていたつもりです。
 しかし、研修所長というのは、私がなるまでは1等級の部局長クラスの方々で、しかも事務の方がなられていました。なにしろ部局長研修もやっていて、その時は開講挨拶などするわけですから、同格の者がなっていたわけです。ところが、私は技術屋ですし、課長級の2等級です。前代未聞の所長が誕生したわけです。今でも部局長研修の時の挨拶は、なんとなく尻がこそばゆい感じがしていますね。
 おととと・・・。すみません、横道にそれてしまいました。


2004年01月22日

コンピテンシー誕生秘話(2)コンピテンシーとの巡り会い


 所長になった4月にはまだコンピテンシーには辿り着いてはいませんでした。この段階ではスタンバーグの「思考スタイル」を読んで「ふむふむ、人間には様々な考え方のスタイルがあるあるんだなあ。なるほど、そう言えばそうなんだー」と何となく納得していました。そこでは自分の頭の回転の悪さを合理化していたわけです。その後ゴールマンの「EQ(心の知能指数)」に出会いました。これも「ふむふむそうだわい」てな、まだ気楽な気分です。ところが、この時期、総務部長、副部長、人事課長の会に呼ばれました。そこで「所長は何をするのか?」と聞かれましたので「税金を使っている以上、研修と人事を連携させなければ意味がありません。私はこれをやろうと思います」と無謀にも言ってしまいました。その時の人事課長の顔は、多分ゆがんでいただろうと思います。私の経歴が経歴ですから、部長さん達は、知事からなにか言われているのだろうと思っていたようですが、4月の初めの新採研修で知事講義の後、私の部屋に知事が来ましたので「知事なにかご指示はありますか?」と尋ねたのですが、知事は「仕事を楽しんでください」の一言でした。私も無責任に「分かりました。楽しませていただきます」とだけその場は答えただけでした。しかし、これはキツイものがあります。なにしろ自分で全てを考えなければいけないのですから。
 部長との会の後、コンピテンシーに辿り着きました。これだと直感的に思いました。「これを導入して研修をやろう。これしかない。」と確信に近いヒラメキのようなものをコンピテンシーに感じました。これまで、なんとなく師として仰いでいた上司のところに足を運び、それからコンピテンシー・システムの設計が始まったわけです。ここで申し上げておかなければならないのは、私はシステムが組めません。組んでくれた者はその師と仰いでいた人です。最初はその人は「まだ、コンピテンシーは早い。」と言っていたのですが、ある人からコンピテンシーが良いことを聞いてきて、ある日突然に「夕部君、コンピテンシーで行こう。」と同意してくれたわけです。それまでに、松下電工の研修をやられている鈴木剛一郎さんが、企画、職場実践という方式について、「革新企画実践力」プレジデント社に書かれていましたので、これを拝借することにしました。鈴木さんには、高知まで来ていただいたうえに、他の著書などいただいたり、今も深いおつき合いをさせていただいています。それと、美濃加茂市の研修評価登用方式も参考にさせていただきました。このころは素直に、自治体研修に関する文献も読み始めていました。中でも、佐々木信夫、浅野良一、大坪檀、大森弥の各先生の論文が印象に残っています。美濃加茂市の伊藤誠一さんが、地方自治職員研修、2000年9月号に書かれた、お役所仕事から一歩前へ「管理職昇任評価制度と市民対面式配置で意識改革」も参考にさせていただきました。伊藤さんに電話でお断りをすると、快く「いいですよ」とご返事をいただけることができました。これで骨格の目途が大体ついてきました。後は、コンピテンシー項目を何にするのか、そしてディクショナリーの作成へと移る段階にさしかかりました。


2004年01月23日

コンピテンシー誕生秘話(3)ボランティアでディクショナリーの作成


 まず、コンピテンシー項目を何にするかを決めなければなりません。そこで、高知県庁の特徴はなにか、所属長に何が求められるのか、それを阻害している要因はなにかを洗い出していきました。この作業から、最初20ほどの項目があがりました。次に、それを12項目まで絞りこんでいきました。そして8項目にまで絞り込み、最後に岡本正あき先生から「コミュニケーションがいるね」というお話をいただき追加して9項目に決定しました。レベルは0から5までの6段階です。この作業には8人のメンバーが協力してくれました。だいたい週1回くらいのペースで、仕事を片づけた18時ごろから22時や24時までの作業で皆ボランティアです。協力していただいた仲間には感謝とともに、本当に頭が下がります。高知県庁を変えたと思う熱い思いを持った者達の集団です。見返りは、私の感謝の気持ちだけです。このチームは、花田光世教授の「ユビキタス・コミュニティ」だと思っています。これからは、「こんなチームが組織を動かしていく時代だと、私もそう思っています。
 この作業が6月ごろから10月まで続きました。最初のディクショナリーの項目が決まったときは夜中になっていましたが、メンバー中一番若い職員がディクショナリーのたたき台を次の朝提出してくれました。ほとんど寝ていないと思います。目は真っ赤でした。24時まで熱い議論をし、それから飲みに行って2時ごろまで議論の続きをしたこともありました。臼杵市の後藤市長が「うちの職員の中には、労働基準法を無視した仕事をしてくれる者がいる」と話されていましたが、まさにコンピテンシー作業チームも、賃金なし見返りなし時間なしというないないづくしの作業でした。今振り返っても、あの時のエネルギーを再び出すことが出来るかというと自信はありません。ものすごい情熱と体力を使った半年あまりでした。ここで技査としてさぼっていた2年間の借りは一挙に返した格好です。借りはやはりどこかで返さなければいけませんね。「天網恢々疎にして漏らさず」なんでしょうか。


2004年01月26日

コンピテンシー誕生秘話(4)なぜ私が所長なのか


 ここで少し寄り道します。なぜ私が自治研修所の所長なのかですが、知事に何故なのかを聞いたことがありませんので、ここで推測をしたみたいと思います。
 ひとつには知事が、自治研修所が1等級でありながら、これまで人事課の言いなりであり、これではこれからの地方自治を担う職員を育てることができない、人事課から独立させたいとの思いがありました。このことを平成12年の1月の庁議で、知事が発言している記録があります。私は知事から呼び出しがあった後で、知事の発言集を収集していてこれを知りました。
 では「なぜ私か」ですが。思い当たるのは、港湾課の計画班長の時、大きな組織の流れからは違う考え方を私はしていました。そのことが何だったのかの内容は、ここでは述べませんが、計画班長という職の私がいくら発言しても、その流れを変えることはできませんでした。最後に私はデータを示し「今やってることは違う」という小論を認め、知事や港湾局長、港湾課長、港湾振興課長にある年の1月に渡しました。その3ヶ月後の4月には、私は転勤になりましたが、その後の経緯は私が指摘したとおりの推移をしています。このことで知事は、多分私が自分の信念を曲げない男だと思われていたのだと思います。ですから、研修所に対する知事の思いをこの男なら通してくれるかも知れないと考えられたのではないかと推測しているわけです。真相は橋本知事に聞いてみなければ分かりませんが、それを敢えて私は聞こうとは思いません。


2004年01月28日

コンピテンシー誕生秘話(5)もうひとつの脱線話


 もうひとつ脱線させてください。私は勉強ぎらいでした。中学を卒業する時、就職試験を3社ほど受けたのですが、いずれも通りませんでした。親父が土木なら不況でも喰いぱぐれがないから、土木を勉強しろということになって、実業高校を受けました。なんとか定員枠があったのでしょう。ろくに勉強もしないで入学し、2年の1学期までは通いました。とうとう夏休みに大阪に家出同然で芸能界に入りたいとオーディションを受けました。それはみごと不合格でしたが、その大阪で高知から中学を卒業し、昼は段ボール工場で働き、夜間高校に通う人達に会いました。その3人は都島工業高校の夜間部に通っているのですが、土木、建築、電気でそれぞれトップの成績でした。夜間高校から帰っても夜中近くまで予習復習をしていました。こちらはギターひとつを下げて芸能界入りを夢見ている遊び人です。彼らから私はどう見えたのでしょうか。今でもその時のことを思うと恥ずかしい気持ちで一杯です。その時夜間高校に学ぶ人達に少し興味がわいて学校に潜り込んだのですが、先生に見つかりつまみ出されてしまいました。手引きしてくれた一人が先生からこっぴどく叱られていました。気の毒なことをしました。昼は働き、夜学校に行き、帰ってからも勉強している人達がいる、そんなことは私には考えもしなかったことであり、大変な衝撃でした。
 私の高校2年生の夏休みは、こんな変な体験で終わりをつげました。2学期に入り、都島工業高校に通う3人のことが頭から離れず、芸能界試験にも落ちたものですから、やおら勉強することにしました。1年生の時、職員室の飾っていた校内マラソン大会の優勝者に贈られる出版社から寄贈された盾が飾ってありました。私はそれが欲しくなり、堤防の上を毎日走り校内でみごと一番になりました。そこで、人より練習したからマラソンで一番になれた。だったら、人より勉強したら、こちらでも一番になれるかも、と考えたわけです。それから猛勉強?しました。すぐにクラスで一番の成績になりました。だけど、英語は単語を覚えなければいけません。これだけは付け焼き刃ではなんともなりません。いまだに英語は駄目ですね。物事に集中して取り組むというのは、このマラソンから私は学んだような気がしています。


2004年01月29日

コンピテンシー誕生秘話(6)最後の脱線話


 なんとか無事高校を卒業し、大阪府道路課に就職しました。300人ほどが土木初級職を受け、74名が採用されました。本当に勉強したのは2年生の2学期からでしたが、私は4番目の成績のようで、採用通知書にそう書いてありました。仕事をしていますと、大卒の人が太平洋に橋を架けるという壮大な話しをしています。その話しを聞いて、これはすごい、大学卒というのはこんな発想ができるのか、やはり大学に行かなければと思いました。そこで1年間、中学1年からの教科書とラジオで大学受験講座を勉強し、これもなんとか夜間大学に入れました。そして夜間大学卒業を機会に、当時の大阪のスモッグと水には閉口していましたので高知に帰ることにしました。高知県に入ると行政は法律に基づいて仕事をするのか。では法律を勉強しなければと思い、中央大学の通信教育を受けました。その後、高知大学の地学科に社会人修士課程が出来た時、地質関係でなにかとご教示いただいていた教授から来てみないかとお誘いをうけ、二つ返事で入学しました。次には地すべり分野で学会に共同発表などしていた愛媛大学の教授から博士後期過程があるよと声を掛けていただいたので、そちらも軽い気持ちで入りました。自治研修所の所長になった時が、博士課程の3年目でした。最後の論文を仕上げるのに、岩石の溶出実験をやる必要がありました。日曜日に採取してきた岩石を昼休みに1cm角に砕き、それをビンの中につめて純水を入れ、溶出実験開始です。ビンを所長席の後ろに並べ、数時間ごとに電気伝導度を測定します。1回5分程度で終わるのですが、3回くらいは勤務時間中にやりました。税金ドロボーです。年休を出してもよかったのですが、この結果はかならずや高知県の防災に役立つと思いましたから、敢えて年休は出さずに実験をやりました。それと、県庁マンとしての仕事の延長上に、研究を行い、県民に役立つものが出てくるということも、職員に示したかったということもあります。
 研究は、仕事を20時くらいまでやって家に帰り、21時ごろから高知大学に入り24時ごろまでX線回折装置を使って実験です。膨張性粘土鉱物が出たりしますと、薬品処理したり、遠心分離器にかけて薬品を洗い流したりと、朝の4時ごろになることもありました。好きなことですから少しも疲れませんでした。人間不思議なものです。足をくじいて、仕事で砂防の現場に行くときは痛いのですが、夜鮎を捕りにいって栗石の河原を走っても痛みません。また、次の日仕事では足が痛みます。そして、その夜鮎取りでは痛みません。勝手なものです。先日県庁でやったメンタルヘルスでも、面白く仕事をしている者は月80時間以上残業しても、ストレスを感じていないが、面白くないと思って仕事をしている者は残業が40以下でもストレスを感じているとの結果が出ていました。本当に面白く打ち込める仕事は、少しも悪いストレスを感じないまま頑張れるものなのですね。


2004年01月30日

コンピテンシー誕生秘話(7)庁内への公表


 脱線話から戻します。コンピテンシー型人事経営システムですが、県庁内での合意形成を図るために、まず、5人の副部長さん方に聞いてもらうことにしました。この時の反応は「まあいいのではないか」くらいだったと思います。次に、外部委員5人で構成する「行政改革推進委員会」に話しました。ここでは、ある委員さんから「学者の考えたことだ。直感的に、うまくいかないと思う。」と強烈な批判意見をいただき、このことが新聞数紙に掲載されました。そして、副部長で構成する調整会議に話しました。そこでは「独りよがりではいかん」「いかん!」「いかん!」の合唱のように私には聞こえました。主管課の補佐で構成する「企画会議」で「揉んでくるように」との意見でした。私は「若い職員からは、コンピテンシーを是非やって欲しいとの意見をいただいています」と答え、席を蹴るように立ちました。腹の中は苛立ちや怒りのような気持ちが煮えたぎっていたと思います。
 企画会議に諮りますと、調整会議に出ていた職員から「調整会議ではいかんということだったではないか」と一蹴されてしまいました。会の後、ある職員は「これまで2年間この会に出たが、今日が一番重かった」と言われました。それはそうでしょうね。現実は違うのですが、目の前に課長職が待ちかまえていたのに、このシステムが稼働しますと「コンピテンシー研修を受けなければ課長になれませんよ」と言われたと受け止めたからです。本当のこのシステムの意味は「通常ルートに加え、コンピテンシールートも出来ました」というものなのですが、その場面では、課長への道が一旦閉ざされたと思われても仕方なかったなかったと思います。なにせ「うわさ」が先行していて、議論が噛み合わなかったのですから。万事休すです。さて、どうしたものかここが思案のしどころです。間もなく2月議会が始まりました。


2004年02月02日

コンピテンシー誕生秘話(8)あっさりと実施へ


2月議会が始まりました。私はコンピテンシーシステムをどのようにして通すか戦略を考えていました。ところがです。議会で共産党の議員の質問に知事が「来年度はコンピテンシーを導入して人事と連携した研修を行う」とノー原稿で答え、それが新聞に載りました。あっけなく実施することがきまってしまったわけです。私の力のなさを、知事のリーダーシップでカバーしてくれたのかも知れません(ある県の元知事さんも、コンピテンシー人事制度はトップダウンでなければやれないだろうと言っているということを聞いたことがあります)。このように議会で知事がやると言ったものの、従来の庁内コンセンサスを得てというやり方とは異なります。実施の困難性は十分に予想されました。受講生を送り込んでくれる所属長の協力が必要だからです。
4月に入り、所属長を集め、4回にわたって説明会を開催しました。その中では単なる登用試験と勘違いをしている者もいますし、反対を唱えるものもいました。そして「登用に結びつくものなら全員受けさせるべきだ」とか「一人も応募者がいなかったらどうするのか」とキツイ質問が出ました。私は相当頭に血が上っていました。そこで「ニチレイの女性管理職登用の応募者が3~5%である。知事へのメール人事でも42名だった。これらのことから、資格対象者が1,500人であるから、受講者は40~50人の間と予想している。一人もこなかったら、これまでかかった費用は私の退職金から支払う。当然その時は辞める覚悟はできている。」とケツをまくって答えてしまいました。言い過ぎたと反省しても、後の祭りです。蓋を開けると、手挙げ応募してくれた者がちょうど45名でした。私の読みどおりで胸をなでおろしました。


2004年02月03日

コンピテンシー誕生秘話(9)職員の反応


 全国ではじめてとなると新聞やテレビが取材にきます。職員の意見も紹介されました。「前向きにとらえる見方の反面、戸惑いや懐疑的な視線も向けられている」と報道されました。また「理論と現実は乖離している」、「能力アップの機会ではあると思う」としながら「評価基準の9項目は表面的、仕事ができるという基準は別にあると思うと違和感を訴えている、と戸惑いや反発の声は多い。また、別の班長は「硬直的な価値基準だ、行政ロボットをつくりたいならどうぞご勝手に、という感じ、とさらに拒否反応が強い」と報道されました。さらに、県幹部の声として「意欲と能力に秀でた職員を引き上げることはできる。だが、そうではない職員の士気の低下を招かないか」とか「目の前に出世をぶら下げて、手を挙げろ、というやり方は日本社会になじまないと思う、と懸念する」なども書かれました。最後に「この人事登用制度には、神経を使った運用が求められる要素も多分に感じられる。ただし、時代の変化に対応できない組織が生き残れないこともまた間違いない」と締めくくってくれています。


2004年02月04日

コンピテンシー誕生秘話(10)テキスト選定から実施へ(恵まれた環境に感謝)


 目標としていた45名が集まり講義がはじまりました。講義テキストは前年に(株)富士ゼロックス総合教育研究所と打ち合わせ、コンピテンシー項目に合致する数種類のテキストの中からひとつを選んでいました。それを高知県に合うように直す作業も行います。テキスト選定とテキスト修正は、県庁内から比較的若手(補佐以下)9名による「コンピテンシー検討チーム」を新たに選任しあたることにしました。センター職員も数名が事務局として参加しますが、他のセンター職員は基本、一般研修作業がありますし、なにより変革の思想を短時間に理解し応用していくのが難しいと判断したからでしたが、ここでも作業に参加できなかった職員は、外されたとの思いが後々まで引きずり軋みが生じてしまいました。私のマネジメントの拙さですが、センター職員総動員は不可能ですし、またその形を遣り繰りしていたとしたら、結果は微妙に私の思いとは異なったものになっていたことは間違いないと、今でも確信しています。それは先に述べたように根本的な思考部分でのズレがあったからです。検討会はディクショナリー部門とテキスト部門に分かれますので、両方を同時に私が見ることが出来ませんし、また私の能力の限界でもあったと思います。そのことは長く尾を引く問題として、いまだに解消仕切れてないところもあります。
講義は私も受けました。テキストに目は通していたのですが、講師から直接聞くとまた違う気づきがありました。講師によっては、講義内容以外に卓越したプレゼンテーションや様々な講義のテクニックなど、新たに学ぶことのおおい実りある講義でした。その時なんと研修所の職員は恵まれているのだろう。こんな環境を仕事の場として与えられたことに対し、神にも感謝したい気分でした。日本のその道の最高の講師を選定して来ていただき、生で講義が受けられると同時に親しくお話することが出来、最新の著書などをいただくこともあり、以前は年に1、2冊でしたが、今では年間数十冊いただくようになりました。「こんな美味しい仕事があったんだーーー」と、本当に神に感謝です(この場合は橋本知事になるのでしょうか?)。


2004年02月05日

コンピテンシー誕生秘話(11)全国発信と「全国コンピテンシー研究交流会」


 講義がひととおり終わった8月、全国の方々にご批判をいただくために「全国コンピテンシー研究交流会」を開催することにしました。第1回目には、青森から鹿児島まで、全国から25名の方々に来ていただきました。
 次の年の第2回目は、倍増の43名の方々に来ていただきました。その中には「自治体有志の会」のメンバーである、小椋さん、秋吉さん、松永さんの名前が名簿に見えます。
第3回となる2003年には、ご要望の多かった東京で開催することにしました。第3回の企画としては、自治体にコンピテンシーを導入している全組織に来ていただきご発表をと考えました。99年にいち早くコンピテンシーを導入した静岡県をはじめ、宇都宮市、三重県、神奈川県、岸和田市とともに設計中の長野県のご報告をいただきました。会の企画後に豊中市や加賀市が実施あるいは設計中であることをお聞きし、参加いただけなかったことは残念で心残りとなりました。第3回では、自治体有志の会メンバーの小堀さんにご発表いただくとともに、遠藤さん、小椋さん、伊藤さん、山路さん、大島さん、秋吉さんのご参加をいただきました。そして、自治体有志の会のメンバーには活発な質疑をいただき、ありがたく感謝しています。その時の熱気は、伊藤さんにメーリングで報告していただきました。
2001年6月、公務研修協議会の部会での講演以来、全国から視察に来ていただいています。また、時事通信、週間現代、ガバナンス、地方公務員月報、自治フォーラムでご紹介いただき、ふくしま自治研修所、高松市、全九州、東北自治研修所、日本経営協会、高崎市、日本企画計画学会、慶応大学などで講演させていただきました。
 なぜこのように全国に発信したりしているのかということですが、職員の中には内向きにもっと力を入れるべきだと批判もされています。目的は井の中の蛙にならないようにすることと、庁内向けの戦略でもあるのですが、なかなかその辺の理解をしてもらえないのは残念です。私の力不足を感じています。


2004年02月06日

コンピテンシー誕生秘話(12)嬉しい話し


 受講生の実践結果ですが、簡単な「電話のベル3回鳴るまでに取ろうよ」や「電話で名のろうよ」に挑戦したのですが、周りの職員が誰も協力してくれなかったという、残念な結果もありました。ここには二つの問題があると思います。ひとつは受講生が、日頃強権といいますか、地位による指示命令だけで職務をしていることがあると思います。それに気づいていただき、これからの県庁生活をより良いものにしていただければいいのだがと祈念しているところです。もうひとつは、職員の側で、公務員の場合、上司の指示に従わなくても生きていけるという実態があるということではないでしょうか。これは企業では少し考えにくい構造ではないかと思っています。一方、終わった後「この仕組みが庁内にひろまればいいね」と、参加した職員が満足し食事会をしたとか、県民が県職員に不信感を持っていたのですが、取り組みによりかえって信頼感が増したという、大変嬉しい数々の話しも聞けました。そんな良い話しを聞くと、苦労が飛んでしまいます。失敗したところは、ともに落胆もしますが、成功したところは、やって良かったと冥利につきます。
 嬉しい話しをひとつご紹介します。ある施設でお子さんをあずかっているのですが、子供の下着がだんだん黄色くなってくるので、親御さんは県職員が手抜きをしていると誤解されてたようです。コンピテンシー実践の中で、保護者の方にアンケートをお願いしたところ、このことが判明しました。そこで受講生が説明に伺い、実はアレルギーのお子さんがおられるので、漂白剤を使わず石けんで洗濯しています。ですから下着が黄色くなりますが、ご辛抱いただけますでしょうかと説明しました。すると、それまで県職員が手抜きをしているのに違いないと思われていた保護者の方は、そこまで気をつかってやっていることを理解し、反対に信頼されたという話しです。その話しを退職した元職員から聞いた時には、本当に目に涙が一杯になりました。実践後の評価フィードバックを一人1時間かけて行っているのですが、毎年数人は、レベルが低いことに顔が青ざめてしまいます。その時はいたたまれない気持ちになりますし、その夜はフィードバックの仕方が悪かったのではないかと反省し眠れないことがあります。しかし、こんな嬉しい話しを聞くと、本当に報われた気がして元気をもらいます。辛いこともあれば、冥利につきる話しもあるものですね。


2004年02月09日

コンピテンシー誕生秘話(13) 講師からみた県職員と診断(TPIとDiSC)


 受講中の県職員のスタイルを企業人と比較して講師が評価してくれました。それは「グループワークでのリーダーがなかなか決まらない。与えられた15分の時間内で結論が出ないグループもあれば、先に出ればそれ以上深めようとしないグループもある。仲間に加わろうとしない者もいた。」というのですが、ようするにスピードと経営感覚が無いと指摘されたのだと思います。
 所属長コースにはTPI診断を行いました。集団の診断結果は「全体的に気分としては、自信があるが、こじんまりとした集団で、ナレアイ集団になりやすい。理屈や理論にこだわる態度があり、会議では船頭多くしての傾向。底力を表に出し易いスタイルを持つが、ただし、マネージャーがこれ以外であると意慾を阻害されやすい。評論家スタイルを持ち、言うだけの人が多い。慎重な傾向にあり、良いことは言うものの、批判的に物事を見やすい。精神的にはすっきりしている。エネルギーをそのまま表に出しやすい。日本人の大方の傾向にある。現実適応感が強く、自分ではかなり満足しているが、まわりが満足しているかとは別もの。今のままで満足しており、現状に適応している。けじめをつける機能が弱く、相手にかかわる力が弱い。自由気ままに自分でやってしまう、自分だけでことを進めてしまう。計画性に欠ける。着手するけどやりっぱなし。なんでもやってみるが、手をつけすぎてケジメがつかなくなりがちである。無意識下では、物の見方は冷静だが、自分の担当部分をコツコツやるだけで、皆でやる感じはでにくい。かかわりを持ちたくない、あまり回りに目を向けない。異なった意見を自分では持っており、反発は感じているが、それを表に出すことはあまりなく、どちらかと言うと斜に構えて、お手並み拝見をきめこむスタイルで、部分最適につながる。自分または自分の属するグループ以外との関わりをあまり考えないで、好きなようにやっている。これが極端であると、好きなことはやるけれども、苦手なことは手がけない結果となっていることが多い。意識下では、言いたいことが言える状態である。ただ、全員がわが道をゆく状態になっていることもある。従順で控えめである。現状を打破していく気概には欠ける傾向がある。すでに決まっているレールを走っている。安定しているが瞬発力はない。改革は弱い。現状維持安定型である。ひっぱる人がいない。決まったこと、言われたことはやる、待ちの姿勢、受身、チャレンジは無理」というものでした。講義の後、受講生には自主学習と称して1時間から2時間、コンピテンシーやシステムについて学習する時間を設けているのですが、そこで2人の受講生に私が吊し上げられる羽目に陥りました。そこでセンター職員が所長はなるべく聞くだけにしてくれと、いわば謹慎を命じられたわけですが、その2人の受講生はTPI診断でストレス耐性が大変低いことが判明しました。センターの職員が過剰反応したわけです。2人を除く他の受講生は平静だったわけですから、そのレギュラリティを見なくてはいけなかったのですが、人間はつい極端な方に目を奪われてしまい過剰反応してしまいます。行政もこれまで、数々の過剰反応をして財政支出をやたらと拡大してきた経緯があります。
 補佐・次長コースではDiSC診断を行いました。私はDタイプ、仕事中心で早く仕上げようとすると出ました。これまで、S,Cタイプの人に急ぐ仕事を頼んでも遅いので、結局自分が仕上げたりしてイライラしていたのですが、急ぐ仕事はDかiタイプの人に頼み、慎重にやらなければいけない仕事はSかCタイプの人に頼むのがいいと分かりました。それ以来イライラすることが少なくなり、DiSCのインストラクター資格も取得しました。みなさん、一度お試しあれ。


2004年02月10日

コンピテンシー誕生秘話(14)職員アンケート結果


 平成15年度に人事企画課が全職員に対し、人事関係アンケートを行いました。その中にはコンピテンシー項目も含まれていて、コンピテンシーを受講したいというのは27%という結果でした。これはセンターが独自に130名に対して前年に行った結果とほぼ同じ値です。この27%の職員が、いかにコンピテンシーシステムを正しく理解して受講しに来てくれるかが、センターの使命となっています。このアンケートに付随した自由意見では、コンピテンシーに対する誤解もたくさん含まれていました。年度初めに、全職員に対し「コンピテンシー通信」として3回の発信をしているのですが、誤解をしている職員、あるいは感情的に受け付けない職員もおります。私はこのコンピテンシーを受講してみたいと言う27%の職員を最重要顧客と位置づけ、この職員に変革のリーダーシップを身に付けていただき、高知県の改革をリードしていってもらうことが使命だと考えています。
 この人事関係アンケートに付随した自由意見は4千件近くにのぼります。ほぼ、一人がひとつの自由意見を述べている勘定になります。改めて人事に対する関心の高さが伺えました。コンピテンシーに対しても、まったくピント外れな意見や、とんでもない誤解、誹謗中傷に近いものから、応援演説的なものまであります。早く正しいコンピテンシーシステムの姿を全職員が認識してくれるような努力も必要だと、改めて感じているところです。


2004年02月11日

コンピテンシー誕生秘話(15)Eラーニング、メンター制、補助教材


 先に、高知県のディクショナリーは変革型だと申し上げました。レベル3が期待レベルです。しかし、このレベル3は大変高いレベルです。正直に申しますと、私は班長ディクショナリーでは、おそらく1.7くらいだと思います。そして補佐・次長のデッィクショナリーでは、1.5くらいにしかならないと思っています。ですから、早くコンピテンシー卒業生に私の席をバトンタッチしたいと考えています。レベルの話しに戻しますと、現実にこれまで3年間の受講生の中で、全ての項目をレベル3で並べた者はいません。ですから、人事推薦基準は今のところレベル3が半数以上あれば行っています。これには理由があるのです。周りの環境が整っていない場合、レベル3を並べるのは至難のわざなのです。環境の話しは込み入りますので置くとして、絶対値レベル3についての私の比喩ですが、通常平均12段の跳び箱が跳べる大人に、レベル3というのは22段を飛んでくれと言ってると同じだと思っています。ですから、その差の10段を飛べるようにするために、15年度はいつでもどこでも学べるEラーニングとしてチームリーディングなど17科目を導入しました。メンター制も一部やりました。このメンター制もメンチィの方から受け入れてもらえないケースもありました。警戒してメンターがいくらアプローチしても応じてこない者もいました。さらに、来年度は補助教材5種類程度の定期配布も考えています。今この開発にとりかかりつつあるところです。
 最初にお話しなければいけなかったことなのですが、コンピテンシーシステム導入と同時に、これまでの階層別研修を大幅に削りました。11階層を4階層にして、しかも1階層1週間から4週間やっていたのを原則1日にしました。その代わり、職場研修を充実しなければなりません。指導者研修を行っているのですが、にわかには機能するはずがありません。コンピテンシーシステムは、このようにまだまだ多くの課題をかかえながらのヨチヨチ歩きですが、来年度は多いに期待しているところです。必ずや成果が目に見える形になってくると確信しているからです。このことを含め、あまりにも生々しい話しですので、書くまでにはもう少し経過時間が必要です。そこはどうぞご勘弁いただき、もっと面白い話しがあるだろうと期待していただいた方には誠に申し訳ありませんが、これにて拙い筆を置かせていただきたいと思います。年度はいつでもどこでも学べるEラーニングとしてチームリーディングなど17科目を導入しました。メンター制も一部やりました。このメンター制もメンチィの方から受け入れてもらえないケースもありました。警戒してメンターがいくらアプローチしても応じてこない者もいました。さらに、来年度は補助教材5種類程度の定期配布も考えています。今この開発にとりかかりつつあるところです。
 最初にお話しなければいけなかったことなのですが、コンピテンシーシステム導入と同時に、これまでの階層別研修を大幅に削りました。11階層を4階層にして、しかも1階層1週間から4週間やっていたのを原則1日にしました。その代わり、職場研修を充実しなければなりません。指導者研修を行っているのですが、にわかには機能するはずがありません。コンピテンシーシステムは、このようにまだまだ多くの課題をかかえながらのヨチヨチ歩きですが、来年度は多いに期待しているところです。必ずや成果が目に見える形になってくると確信しているからです。このことを含め、あまりにも生々しい話しですので、書くまでにはもう少し経過時間が必要です。そこはどうぞご勘弁いただき、もっと面白い話しがあるだろうと期待していただいた方には誠に申し訳ありませんが、これにて拙い筆を置かせていただきたいと思います。年度はいつでもどこでも学べるEラーニングとしてチームリーディングなど17科目を導入しました。メンター制も一部やりました。このメンター制もメンチィの方から受け入れてもらえないケースもありました。警戒してメンターがいくらアプローチしても応じてこない者もいました。さらに、来年度は補助教材5種類程度の定期配布も考えています。今この開発にとりかかりつつあるところです。
 最初にお話しなければいけなかったことなのですが、コンピテンシーシステム導入と同時に、これまでの階層別研修を大幅に削りました。11階層を4階層にして、しかも1階層1週間から4週間やっていたのを原則1日にしました。その代わり、職場研修を充実しなければなりません。指導者研修を行っているのですが、にわかには機能するはずがありません。コンピテンシーシステムは、このようにまだまだ多くの課題をかかえながらのヨチヨチ歩きですが、来年度は多いに期待しているところです。必ずや成果が目に見える形になってくると確信しているからです。このことを含め、あまりにも生々しい話しですので、書くまでにはもう少し経過時間が必要です。そこはどうぞご勘弁いただき、もっと面白い話しがあるだろうと期待していただいた方には誠に申し訳ありませんが、これにて拙い筆を置かせていただきたいと思います。