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違和感だらけの自治体異邦人日記

2004年04月11日

違和感だらけの自治体異邦人日記(1)


本日から、急遽ピンチヒッターで登場します「自治体異邦人」です。民間企業(某S友銀行)の経験があり、自治体に入ってから様々な違和感を感じながら過ごしてきました。やはり「自分の感覚の方がおかしいのかな。」と必死に現実の自治体の流儀になじもうとしたこともありましたが、最近、先進的な改革自治体のトップの方々が口にする「顧客主義」「市場主義」やNPM、PPPがもてはやされるようになり、違和感が次第になくなりつつあります。自治体改革の方向性と自らの違和感の方向性が基本的に一致していることを確信しつつある今、その違和感を皆さんに問い、おかしいのかおかしくないのか決着をつけたいと思い、この場所をお借りします。数回の連載になると思いますが、どうぞ、よろしくお願い申し上げます。

●違和感1「働いても働かなくても給料は同じ」
若干でも民間企業を経験した者にとって、この違和感を最も強く感じるのです。そもそも自治体職員の給与決定原則を規定している「地方公務員法」では、以下の原則が提示されています。
(1)職務給の原則
 職員の給与は、職務と責任に応じて決定される。
 (地方公務員法第24条第1項)
「職員の給与は、その職務と責任に応ずるものでなければな らない。」
(2)均衡の原則
 職員の給与は、民間企業の賃金や他の公務員との均衡を考 慮して決定される。
(地方公務員法第24条第3項)
「職員の給与は、生計費並びに国及び他の地方公共団体の職 員並びに民間事業の従事者の給与その他の事情を考慮して 定められなければならない。」
(3)給与条例主義
 職員の給与は、条例で決定され、これに基づかずに支給す ることはできない。
 (地方公務員法第24条第6項)
「職員の給与、勤務時間その他の勤務条件は、条例で定め  る。」
(地方公務員法第25条第1項)
「職員の給与は、前条第6項の規定による給与に関する条例 に基いて支給されなければならず、又、これに基かずに  は、いかなる金銭又は有価物も職員に支給してはならな  い。」
(地方自治法第204条第3項)
「給料、手当及び旅費の額並びにその支給方法は、条例でこ れを定めなければならない。」
(地方自治法第204条の2)
「普通地方公共団体は、いかなる給与その他の給付も法律又 はこれに基く条例に基かずには、これを‥‥職員に支給す ることができない。」

少しでも自治体に身を置いた人は、これらが全然遵守されていないことを実感されていると思います。ただ、最近情報公開やオンブズマンの方々の活躍で、給与条例主義はある程度守られてくるようになりました。良い傾向です。
一方で、「職務給の原則」「均衡の原則」は、実質的にはほとんど守られていない状態が続いています。
具体的には、職務給の原則によれば、例えば同格の人でも仕事の内容で給与が異なるはず(職務給)であるはずなのに、給料表の運営により一律に定められています。さらには、昇格により給料表上は「昇給」しても級と級の間の格差が少ないため、あまり昇給しないのが現実です。むしろ、なけなしの管理職手当てと引換えに多額の「時間外勤務手当」がもらえなくなり、給与が逆転するのが現実なのです。
また、均衡の原則については、「人事委員会制度」等により民間企業の給与を調査して自治体職員の給与を決定することになっていますが、実際は、最初に「答えありき」の決定がされているのが現実であり、景気が上下しているのに給与がほとんど上下しない現実には、大変な違和感を感じます。

これらを法律の原則どおり運用するためには以下のような取り組みが必要でしょう。
★給料表の級と級の格差を現状よりもかなり大きくすること で昇格すればかなり昇給する現実を作り出す。
★ベース給与の割合を低くして、ボーナスの割合を高くし、 同格の職員(例:課長どうし)でも業績評価によってボー ナスを変動させ、実質的な給与格差を大きくする。
★年功序列を35歳以降は基本的に廃止し、昇格するか業績を 上げない限りは昇給しないシステムにする。
★人事委員会の勧告の内容を職務ごとのものにし、例えば、 事務職、技術職、労務職、運転手、作業者など民間企業で 類似の業務を行っている者の給与水準を明確にし、均衡の 原則を適用することにする。(派遣会社に単価を聞けばす ぐにわかります。)
★原則として全ての職員の給与を情報公開の対象とする。(民間企業よりも高いか安いかすぐにわかるようにする。)

などです。
これらの改革が実行されれば、私の違和感も随分減るとは思いますが、まだまだ「道遠し」の状態です。
しかし、これらの改革が実施されれば、基本的に民間企業と同様の給与体系となり、個人にとってキャリアパス制度が実現される環境整備の第一歩となるでしょう。

こう考えていくと、このコメントのタイトルが「仕事をしてもしなくても同じ」で始まりましたが、当面の取り組みとして、「仕事をしても損しない」環境整備をしていくことが優先されるかも知れませんね。


2004年04月18日

違和感だらけの自治体異邦人日記(2)


●違和感2「職員がクビにならない」

先週に引き続き、大きな違和感を持っているのは、「自治体職員はよほどのことがない限りクビにならない。」ということです。労働三権を制限されている代わりに、極めて強く職員の権利が保護されています。これは当局側の不当労働行為を抑制するには効果的ですが、職員側が「悪意」を持って利用すれば、常識的にクビになるべき人がならなくて済むのです。まずは現法制のおさらいをしてみたいと思います。

懲戒及び分限における地方公務員法の原則です。いわゆる「不利益処分の法定主義」です。
第27条 分限及び懲戒の原則
意に反して不利益を任意には受けない。不利益処分法定主義
第28条 分限処分の法定主義
 分限処分の限定主義・法定主義
第29条
 懲戒処分の限定主義・法定主義

さて、法律どおり運用されていれば労働権制限の見返りとして基本的に問題はないと思われます。しかし実際には冒頭でも述べたとおりひどすぎる職員でもなかなかクビにできないのです。以下は、いくつかの事例を紹介します。

1.長期的な休職者のケース
自らの趣味に生きるため、計画的に休職するタイプの職員がいます。医師の診断等を得て、「心身の故障のため長期の休養を要する場合」の条件(法28条第2項)を満たし、1~2年の休職を繰り返す者がいることです。この場合、法28条第1項第2号に定める「心身の故障のため職務の遂行に支障があり又はこれに堪えない場合」に該当し、降任または免職することができるに該当するかがポイントとなります。現在はよほどのことがない限り分限免職は行われていないと思われます。このことが長期の休職者を増やしています。ここでのポイントとして、事実上働く能力があるのに、勤務する意欲がないだけの休職者については働く意欲を再び持ってもらいたいとは思いますが、分限処分の「能力欠格」とみなしてもよいのではないかと思われます。休職を繰り返すことも通算で2~3年が限度ではないでしょうか。

2.自己努力しない自治体関係団体のプロパー職員のケース
どの自治体も関係団体の事業の整理・統合を考えていると思いますが、その際に当該団体のプロパー職員の処遇の問題につきあたると思います。自治体からの派遣職員の給与水準よりは低いものの、身分安定的に関係団体に携わるため、実質的に運営に長期的に関わっています。しかし事業のリストラクチャリングを考える場合、その業務能力自体が陳腐化する可能性があります。この場合、自己努力するプロパー職員は大切にしなければなりませんが、自己努力を拒否しいつまでも従来の手法に固執する職員も散見されます。その際の対処方法として派遣会社を活用した市場主義、競争主義の導入が考えられます。最初からプロパー職員をばっさり切るのはフェアではないので、あらたに必要とされる業務について、プロパー職員と派遣社員(プロパー職員よりも若干コストが低いことが条件)を競わせ、パフォーマンスの高い方をこれからの戦力として考えるというものです。自治体や関係団体の職場で最も欠けている要素は「緊張感」ではないでしょうか。競争を導入することで緊張感も人為的に生み出すことができます。

3.マイナス配置の職員のケース
どの自治体にもクビにするのは心情的に忍びないので、複数の職場でローテーション的に「面倒を見る」職員が存在します。そのような職員には悪意はないのですが、事実上「心身の故障のため職務の遂行に支障があり又はこれに堪えない場合」に該当するケースが多いと思います。今後は自治体にも余裕がなくなるので、組織は当該職員と率直な話し合いを行う必要があります。たとえばある窓口職場で、書類のコピーしかできなくて席に座らせるのに管理職が常に手をとられる職員がいたとすると、年収を、当該職員(400万円)、上司(800万円)などとした場合、組織としての損失は400万円+800万円×手をとられた時間/全勤務時間となり大きな金額になります。このことを本人に率直に伝える必要があります。このような職員に「職務内容を考えると自分の給料(400万円)は高すぎると思うがどの程度が適当な額か」と聞かれたとき、「率直に言って、組織に逆にお金を払わなければならない(マイナス)状況なので、loss-loss関係を終わらせるためにも組織に残るのであれば自分としてやりがいを感じ、組織としても価値を感じる別の仕事をやれるよう自己研鑽していく必要がある。(今の仕事を続けていくことはお互いに不幸)」と答えました。彼が自分自身の給与が職務を考えると実質よりも高いことを感じる感性を持っていることに敬意を抱きました。かなりの割合の職員は、身分(役職・年齢)で給料をもらうものだと勘違いしているのと雲泥の差です。病気やハンディを負ってもこのような意識さえ持っていれば必ず立ち直ってくれると信じていますが、意識のない人には期待はできず、組織としても黙認しているのが現状です。

以上のような事例を挙げましたが、他にも様々な事例があると聞きます。民間企業の人に聞かれて恥ずかしくない、適正な分限・懲戒制度の運営が切に望まれます。その際に有効性を発揮するのは、仕事ごとにどのような能力が必要かをはっきりとするとともに、改善が見られない職場は、派遣会社などを活用して市場で必要な人員を確保して、担い手が代わるかも知れないという「緊張感」を生み出すことが必要ではないでしょうか。そのことが職場をオープン化し非常識的な職場慣行を駆逐し、職員個人のわがままを抑制する機能も期待されます。


2004年04月25日

違和感だらけの自治体異邦人日記(3)


●違和感3「お客様がいない」

自治体職員生活で3つ目の違和感は、「お客様がいない」ということです。「お客様は神様です。」という名台詞に頼るまでもなく、プロの世界はお客様あっての「仕事」であり「報酬」であるはずなのです。
 ところが自治体職員としての日常には、お客様は存在しません。建前ベースでは、住民の皆さんを「顧客」と位置づける取り組みが始まっていますが、自治体職員の本音の意識の中では、どうしても住民を「お客様」と思えない意識が強く残っています。
 その意識が端的に表れているのが窓口や電話での「挨拶」「対応」です。自治体職員は挨拶としてどうしても「いらっしゃいませ」と言えないのです。また「ありがとうございました。」と言えないのです。私が新人のころ、そのことに強く違和感を持ち、周囲の先輩職員にその理由を聞いたことがあります。彼らの答えは「いらっしゃいませと挨拶するのは、訪問してきた人に自らが特定の利益を得られることが具体的にイメージできるときだけなんだ。たくさんいる住民が自らのところに来たからと言って、自分に何の利益ももたらさない。歓迎などする必要はないんだ。」ということでした。また「ありがとうございましたと言えるのは、何かを具体的にしてもらった時だけだ。住民との関係で言えば、サービスをしてあげているのはむしろ自分たちであり、どうして何かをする方がありがとうと言わなければならないのか。」という答えでした。職員どうしの率直な会話だからこそ、自治体職員の本音がストレートに表れたものだとその時は妙に納得してしまったのです。
 要は、住民は「招かざる客」であり、こちらから「サービスをしてやっている」存在なのです。すなわち意識の中にお客様は存在しません。意識の中にあるのは、できるだけ自分の有利な条件で勤務時間を大過なく過ごすということだけなのです。このような意識では、どんなに市民本位とかを叫んだり、時間とコストをかけた応対研修を行ったとしても極めて限定的な効果しか期待できないでしょう。
 言うまでもなく、対価をいただいてサービスを提供するお客様がいないというのは、仕事ではなく、自己目的しかない作業の一種に過ぎず、対価をいただく価値を見出すことができないのです。「いらっしゃいませ」「ありがとうございました」も言えないサービス産業の人間しかいない組織に、どんなに精緻なシステムを整備しても本格的な顧客満足を生み出すことを期待しても、絵に描いた餅になります。
 最近、少しずつ自治体窓口が良くなってきたという評判を聞けるのは素晴らしいことです。お客様意識や対応ノウハウの徹底が徐々に浸透し始めている成果だと思います。一方で、年功序列で給料の高い職員ほど、意識改革が遅れ市民に対して「してやっている」意識が残り、問題対応を行ってしまう傾向があります。給料の高い職員がパフォーマンスが低いわけですから、早期に改善しなければ「給料泥棒」と言われても仕方がありません。
 難しい試験をパスしてきた人達ばかりなのですから、もうそろそろ自らの意識に根本的な問題があることに気づいてもよいころです。強く違和感を感じます。


2004年05月02日

違和感だらけの自治体異邦人日記(4)


●違和感4「お金を遣う方が偉い」

 自治体職員生活で4つ目の違和感は、「お金を遣う方が偉い」ということです。すなわち、できるだけ多くの予算を計上し、それをできるだけ残さないように遣うのが、自治体の世界では「手柄」となります、
 自治体や国の予算は「公会計」と呼ばれ、通常は単式簿記が採用されています。収入にあたる「歳入」は、税金や国からの補助金・交付金、起債などに依拠し、通常は自治体内でも財政当局と呼ばれる部局が一元的にその確保を担当します。そのため、自治体内のほとんどの部局にとっては、予算を確保するということは歳入を確保するということを考えず、自分たちが遣える「歳出」をできるだけ多く確保するために財政当局に「要求」する行為が該当します。自治体として確保する歳入はそれほど変動しないように設定されるため、財政当局としては、各部局に割り振る予算を見積もりる際には、前年度の実績をベースに配分することが、実務的には便利なことになります。
 そのことが予算のあり方を「総バラ化」「前例化」「増分化」に陥らせる要因となります。また、せっかく財政当局から「分捕った」予算を、できるだけ残さないように「消化」することが、次年度の予算をできるだけ多く確保するためにも重要となってきます。年度末に無理して多くの予算を執行しようとするのはそのためです。
 財政当局に権限が集中している今の予算制度では、各部局単独で別の方法をとることは難しく、改革を行うためには、1つの自治体全体で対応することが必要です。三重県のような先進自治体では、できるだけ予算を配分する単位を大きくすることで、その中で各部局ができるだけ自らの裁量で執行できるように工夫をしています。それにしても各部局にとっては、できるだけ予算を残さないようにすることが至上命題であることには違いがありません。
 このようにできるだけ予算を残さないようにする文化がもたらす弊害は以下のようなものです。まずは、経営感覚やコスト意識というものが全く育たなくなるということです。民間企業の場合、予算というものは「両建て」で考えられ、予算を考える場合、収入である売り上げと売り上げるために必要な「経費」を考え、「収入-経費」である利益を極大化することが最も重要なことになります。よって多くの売り上げをもたらす事業には必要な経費が与えられるのに対し、売り上げがほとんど当てにできない事業にはほどんど経費が計上されないという「選択と集中」が自動的に働く仕組みとなっているのです。一方、公会計の場合は、「収入-経費」は財政当局が決算のときの帳尻あわせを考えるときにしか意識されません。年度途中で「補正予算」なるものが計上される場合もありますが、多くの場合、政府による補助制度に該当することが決まったり、緊急に歳出が必要な場合などのものであり、通常の予算を経営的感覚(たとえば余りそうだから歳出を減額するとか、経営努力により収入増加が見込めそうだからそのための歳出も両建てで増額するなど)に柔軟に変更するということは滅多に行われません。逆にそのようなことをすると、「年度当初の見積もりが甘かったのではないか。」とか「なぜ事前に考慮できなかったのか」とか、歳出を削減する場合は「せっかく分捕ってきた予算を削るなんてとんでもない」とか、批判の対象とされてしまうのです。
 このような目的・効果・効率を無視した違和感ある予算システムをどのように変革していくべきか。そのためには公会計の原則を変更し「複式簿記」にするとともに、各部局が提供するサービスを「商品」として位置づけ、財政当局が市民の代理人としてできるだけ安価に質の高いものを民間からの購入も含めて、選択しながら購入するシステムの導入が必要だと思います。
 各部局を1つの企業として位置づけ、予算により最初から一定の収入が割り当てられるのではなく、質の高いサービスを提供してそれを住民の代理人である財政当局が購入することを決定して、初めて「売り上げ」として収入を計上できるようにするということです。このようにすれば支出をどのように遣うかばかり考えていた従来の方法が、何とか売り上げが計上できるよう、頑張ってサービスを提供しなければならないという「収入ありき」の予算システムになり、サービスの質の向上や競争力ある安価な価格でサービスを提供しようとすることにインセンティブが働くようになります。そのようになれば、「予算をできるだけ消化しよう」という不届き者も減るのではないでしょうか。サービスを買ってくれなければ、1つの企業として各部局は自らの事業の存続や自分たちの給料も確保できないとなれば、必死に頑張るはずです。
 私たちは資本主義を原則とした経済社会に生きているので、公的部門にも「市場主義」「競争主義」を導入することは当然の取り組みです。今まで自治体から民間企業に仕事を頼んだり、物品を購入する場合に、民間企業どうしを競わせる「競争入札」などの取り組みはありましたが、それは自分たちの直営部門は残しておいて市場主義、競争主義を導入した中途半端なシステムでした。そうではなく直営部門もあわせて、住民が様々な供給主体から最も安価で質の高いサービスの提供(ベストバリュー)を選択できるようになれば、本当に必要な事業にだけ「選択と集中」で経営資源が集中されることになることが期待され、つまらない予算消化の文化など吹っ飛んでしまうことにつながります。そして各部局が収入と支出をリンクして考える経営感覚を身近に持つためにも収入と支出の両にらみできる損益計算書など「複式簿記」の導入が必要だと感じます。
 自治体がこれほど危機的な財政状況のときに、一方で年度末に予算をできるだけ多く遣おうとする「ちまちました」行為を見ると、違和感どころか嫌悪感を覚えます。
 このような文化は一刻も早く、一掃しなければならないように感じます。


2004年05月09日

違和感だらけの自治体異邦人日記(5)


●違和感5「研修って遊びですか」

自治体職員生活5つ目の違和感は、「研修がまるで遊びのように捉えられている」ということです。
各自治体では、「職員研修所」「研修係」などの自らの職員の研修について、企画・立案・実施する部門が主として、OFF-JTを行っています。また各職場では「OJT」と称して、異動者などに対する職務に関する研修が上司や先輩からなされています。OJTについてもかなり問題がありますが、今回は特に問題の多いOff-JTに焦点を当てたいと思います。ただしこれからの指摘は自らの自治体の状況を前提に述べておりますので、異なる方法でOff-JTを充実させているということであれば、是非ご意見や情報をいただければと思います。

自治体のOff-JTは通常、集合研修と企画研修に分かれます。集合研修は、新規採用研修や中堅職員研修、昇任後研修など採用や一定の年齢、昇任時などに行われるもので、受講者は同じ条件を満たすものが強制的に多数集められる研修です。この場合は、現在の職務に直接関係あるというよりも、これから務める役職にとって最低限必要な知識や心構えを身につけるものであり、当たり障りのない内容となるケースが多いようです。それ以外の目的として同期意識や同じクラスの職員の庁内ネットワークを形成することなどが追求されています。
一方、企画研修は、公募による希望者を対象とするケースが多く、職員が自らの能力を現在よりもステップアップするために専門的な知識やスキルを身につけることをサポートすることを目的とする場合が多いようです。

これらの研修にとって最大の問題点は、研修が自らの職務や
処遇さらには将来的な配置とほとんどリンクされない状態にあることです。よって研修を受けていても受けてなくても基本的には現在の職務のパフォーマンスには影響を与えていないことが多いことです。これでは職場側からは、「忙しいときに仕事の役に立ちもしない研修に行くのは遊んだり休んだりするのと同じだ。」といわれても仕方がない状況にあります。

典型的な事例が長期海外派遣研修や国内留学研修などを受けた研修生が、その後研修によって身につけた知識やノウハウ、人的ネットワークとは全く無関係の部局へ半ば意識的に配置されることが多いように感じます。そこには「派遣研修でゆっくりさせてやったのだから少しは苦労してもらわないと!」という人事当局や周囲の本音が見え隠れしています。もしこのような意識で人事が行われるのであれば、研修と人事は全くリンクしないばかりか、逆に意識的に無関係のところに配置されるという事態を招くことになり、本人のやる気を阻害するばかりか、組織にとってもむざむざ「適材適所」を放棄するようなことになってしまいます。背景として自治体は汚職防止などの観点から比較的短いタームで人事異動を繰り返し、その度ごとに自分がこれまで経験したことのない仕事を何とかこなしていくという文化がしみついており、特に事務系職員には、組織としても専門性を求めていないという事情があります。すなわち「プロ不要」の風土です。

そのような風土では、仕事に必要な知識やノウハウなどは
専ら短期間に職場で効率よく身につけるものであり、Off-JTで身につけるようなものはないので、結局のところ、人事当局も職場も、Off-JTを一種の「遊び」と捉えがちになってしまいます。

これまでのように全ての仕事が前例主義によって成立すれば、新たな知識やノウハウは必要なく、ひたすら前任者が残した引継ぎ書や書類を見れば何とか「凌げる」ということにつながります。一方、地方分権の進展や住民ニーズの多様化などにより前例主義による業務サイクルが成立しなくなってきた今、職場の誰もが知らないような新たな知識、ノウハウ、そして独自の人的ネットワーク等により新たな業務にチャレンジすることが求められる時代となっています。そんな状況のときにこれまでのOFF-JTのパフォーマンスの低さを理由にして、職員研修の体制や予算を縮小するような自治体は自ら「衰退の道」を選択したのと同じです。米百俵ではないですが、困った時ほど人材育成に集中的に投資することが必要になるのです。

その意味で競争力の強い民間企業は、特に人材育成に重点的な投資を行っています。それは企業経営に求められる戦略が大量生産・販売による「薄利多売」から新たな製品の開発や販売を一番に行い創業者利益を独り占めする「高付加価値・利益率」重視の時代に変わってきたためです。また、企業経営の中で人件費が占める割合が高く、労働生産性を上げなければ自らの競争力向上につながらないため、人材の「コストセンター」化を防ぎ、「プロフィットセンター」化を進めることが企業の運命を決めるといっても過言でないほど、死活的な問題であると捉えているためです。分社化が進み部門ごとの収益性が明確にされる企業においては、OFF-JTなどで新たな知識やノウハウを社員に習得させ生産性を向上させることが重要であり、本人が嫌がっても強引にかつ頻繁に研修に派遣するようなケースが多いようです。すなわちOFF-JTはウェルカムな存在なのです。

ひるがえって自治体の現状はどうでしょうか。OFF-JTは現在でも邪魔者扱いです。職場の管理職や同僚にとっては自らの職場の生産性を向上させることのインセンティブを感じることはまずなく、むしろ代々受け継がれてきた日常業務を滞りなくこなしていくことの方が余程大事であると捉えられているのです。このような自治体では、改革など一切望めません。

多少強引な結論ですが、自治体のトップがOFF-JTの重要性を認識し、体制や予算を拡充して、かつ人事と研修をリンクさせるような取り組みを行わないのであれば、自治体改革は絶対にできないということなのです。


2004年05月16日

違和感だらけの自治体異邦人日記(6)


●直営の窓口業務や公立施設の勤務時間は職員のため?

自治体、民間企業を問わず、職務に専念する義務がある「勤務時間」が決められています。その中でも自治体では民間企業以上に自分たちの勤務時間に従属させる形で受付時間などが決められています。当方の組織では、8時45分から17時30分がそれにあたります。基本的にこの時間内に業務を終了させることが求められます。

一方で勤務時間が決められることで、業務を終わらせるというよりも「時間を過ごす」ことが仕事になってしまい「座っていることが仕事」と公然と言う人もいます。このような人たちは仕事の目的が100パーセント生活の糧のためであり、仕事を通じての自己実現や自らの成長を図ることが全くできない人たちです。その他に趣味などがあればよいのですがそれもなければ50代になって「ぬれ落ち葉」になってしまいます。

さて自治体の顧客である住民側から見て、自治体職員の勤務時間に最も影響を受けるのは、証明書の発行や納税など窓口業務の受付時間と公立施設の利用時間だと思います。窓口業務は市民課などによって行われていますが、基本的には平日の9時~17時の自治体職員の勤務時間帯にあわせて設定されています。この設定だと、働いている人や学校に通学している人たちは、「会社や学校を休んで、わざわざ遠い役所まで証明書を取りに来い」という図式になります。先進的な自治体では、デパートなど人が集まりやすい場所にサービスコーナーを設け、夜間や休日にも対応するところも出てきましたが現段階ではまだ少数派です。顧客志向という観点では自治体業務の中で最も早く改善すべき業務であり、このことをやらずに「顧客志向」を唱えている自治体には「偽善性」を感じます。職員の勤務時間を大幅に変えることが困難であれば、基本的に窓口業務を直営で行うことをやめ、24時間営業を行っているコンビニなど数多くの拠点を持ち営業時間の長い(休日も含め)民間施設に業務委託をするべきだと思います。(無論、それ以上に直営の方がきめ細かく対応できるというのであれば別ですが・・・・・)また、インターネットやEメールなどウェブ上での受け付け・交付・処理、郵送による対応などでも良いと思います。

一方で、公立施設の職員の対応にも疑問を感じます。公立施設を使用した方であれば誰もが感じられているとは思いますが、極端に利用時間の厳守を求められます。特に17時や21時で終了する会議などで施設を借りた場合、自分たちの勤務時間の終了と重なるため、利用終了30分ぐらいから時間どおり終わることに強いプレッシャーをかけてきます。ひどい施設では利用時間内に清掃を始める始末です。17時できっちりと利用を終了させ10分もすれば施設を空っぽにして出て行こうというものです。

このように利用者に嫌悪感を与えてもプレッシャーをかけてくるのは、職員にとって利用が伸びることは自らに何らメリットがなく、むしろ1分でも無給の勤務時間が生じることを嫌がるためです。公立施設を利用料を前提に運営を行うのであれば、職員の勤務時間を2の次にして、利用者の利便性を図ることが優先されるべきです。それが無理であれば公立施設は民間に業務委託すべきです。利用時間が延びて少しでも延長時間分だけ収入が増えることを喜ぶような職員のマインドが必要とされいます。

こうして見ていくと、利用者のニーズの多様化が進む中で、一律の勤務時間を決め、それに受付時間や利用時間を従属させて直営業務を行うことは、時代にあわなくなってきます。そのことにあえて目をつぶり、「自らの職場を守る」という主張には強く違和感を感じます。


2004年05月23日

違和感だらけの自治体異邦人日記(7)


●年次休暇を完全消化できるのは公務員だけ?

自治体職員には労働基準法に規定されているとおり、年間20日間の「年次休暇」が与えられます。また夏季には連続休暇として、5日間の「夏季特別休暇」が与えられます。このこと自体は民間企業の従業員の方々とほぼ同レベルのことであると考えられます。むしろ自治体職員は「暦どおり」に出勤しなければならない分、年末年始の休みやお盆休みは短くしか取れないこととなっています。そのため故郷などに帰省する場合は、別の時期に振り替える必要があります。こうしてみると実は自治体職員には「規定どおり」のお休みが少ないのです。

ではお休みする職員が少ないかというとそうではありません。民間企業と比較して一番に違和感を感じたのは、日常的にお休みする職員が多いことです。民間企業では職場の状況によっても異なるとは思いますが、社員がお休みする場合は、病気になったり、どうしても休まなければならない事情がある場合のみ、休みをとる傾向にあります。一方、自治体職員の場合は、釣りとか、旅行とか、趣味とかを平日に行うために休みをとる人も結構います。その方が、料金的にもそして混み具合から見ても、得をすることが多いからです。

別にこのことが規定上悪いわけではなく「労働者の権利」と言ってしまえばそれまでですが、問題点が2つあります。1つは日常的に年次休暇をとれるほど、十分すぎる定員配置をしているのではないかということ。2つ目は自治体職員全体がそのような状況にはなく、超多忙な職場では、月200~300時間の超過勤務をこなすために、休日出勤や深夜勤務をこなしている職員がいるように個人差が極めて大きいということです。
1つ目の問題は、自治体職員の給与が世間相場よりも随分少なかった時に、現場業務を「人海戦術」でこなしてきた名残が残っているためです。民間企業では1980年代後半から、経営状況の厳しさから現場の人員の大幅に削減することで固定費である人件費の削減に努めてきました。例を挙げると、銀行の一般的な規模の支店の体制は、80年代前半は正社員だけで60名程度いたと思いますが、現在は正社員は10名程度しかいなくて、後は派遣社員、パート、ITの活用などで補っているのが現状ではないでしょうか。そのような職場では、到底日常的な年次休暇の取得は困難で、休む時は応援体制を組む必要があります。
一方、自治体業務中で仕事の内容が類似している市民課の窓口を例にとると、いまだに正社員である自治体職員が10数名窓口に張り付き、管理職を入れると大きな窓口では50~100人規模の体制を取っている場合が多いのだと思います。こうした体制であれば、1人ぐらい突然休んでもビクともしません。そしてそのような緊張感のない職場が逆に職員のやる気をなくし、モラルの低下や精神疾患につながっているのではないかと懸念しています。
それに対して、予算・人事・給与・組合関係など内部管理業務を担当する部局や、住民との折衝やまちづくりなどに携わっている職員は、平日では22時以降の退庁、土曜日、日曜日も出勤して業務をこなすという民間企業の社員以上に過酷な労働をしている職員も数多くいるのです。

この主な原因として、自治体職員の労働組合が、多数の職員を有する現場の勤務条件を守ることを主眼としており、超多忙な職場への定数の再配置には消極的であり、そのことをベースに当局に要求を行い、さらには当局も組合に対して腰砕けの姿勢しか持てない中で、奴隷のように働く超多忙な職場の職員を事実上見捨てているということが挙げられます。

このようなことが続けば、平日から優雅に自分の趣味に浸る職員もいる一方、精神疾患や体調を崩し、最終的には自殺までしてしまう職員を誘発することになります。現にそのような悲劇的な傾向が増えているように思います。

組合に過度に気兼ねする当局の姿勢と、平日から優雅に趣味に浸る自治体職員に大きな違和感を感じます。


2004年05月30日

違和感だらけの自治体異邦人日記(8)


●趣味で仕事をしていませんか?


バブル経済崩壊後、景気対策を名目とした国の大盤振る舞いの補助制度もあり、自治体では「豪華すぎる」施設が爆発的に建設され、その建設費や土地代のための借金(地方債や3セクを使った事実上の隠れ借金)の償還や豪華すぎるために生じる高い運営・維持コストに悩まされています。このままでは、建物や施設だけが維持管理もされずたなざらしで残って、運営する自治体は倒産してなくなるといったしゃれにならない事態も発生するかも知れません。国が地方債償還の保証をしなくなれば、たちどころに資金繰りが行き詰る自治体も多く出るでしょう。金融機関も、3セクのことで自治体の不誠実な対応に懲りていますから一時借入金もできなくなるからです。
それにしても豪華すぎる施設や建物を見るとあきれることが多すぎます。作った人の立場になって考えてみると、国の補助金をとってきて施設を建設することが庁内では「手柄」になっていましたから、誰が使うかとか整備後にどれぐらいランニングコストがかかるかなどはほとんど考えることはなかったと思います。もしくはほとんど施設の最新情報などを知らないため、コンサルの言いなりになって作ったということもあったと思います。ここまではある程度仕方のない面もありますが、問題は自分たちの趣味で作ったとしか思えない施設が多くあることです。
そうした代表的な施設が、各地に作られているごみの清掃工場をアラビアンナイトに出てくるような外装にした施設です。都市の景観も大事ですが、人があまり来ない埋立地や山奥にそのような外装をした施設を作った根拠や目的と、そのためにどの程度コストがアップしたかを明確にしなければなりません。もしそのような外装にしたことによる効用とコストアップに関する明確な因果関係が説明できないのであれば、関係者が趣味で作ったといっても言い訳ができないのです。
またほとんどコンサート等の実績やこれからの期待もしにくいところに豪華なホールを作るのも目に余ります。少し細かくなりますがどんな所が豪華かというと、「使いもしない貴賓室」「動かす必要もない可動式舞台」「ドアの取っ手が18金制」「ほとんど使わないマルチ型放送設備」「概観がお城だったり外国の遺物でその場所と何のゆかりもないもの」「ホテルのようなエントランスホール」などが挙げられます。こけら落としの時だけ豪華なコンサートを行い、後はほとんど講演会や地元の人が集まりに使ったり、子供のピアノの発表会などに使うのがほとんどであるのならば、豪華なホールではなく別の施設の方がよほど役に立ちます。むしろ施設が豪華な分だけ料金が高くなったり、逆に豪華な施設の割に料金が安すぎて民業を圧迫したりするなど弊害が大きすぎます。
うがちすぎかも過ぎませんが、作った人が東京でも行って豪華な施設で一流のコンサートを聴いて「こんな施設が自分の町にもあったらなあ!」という願望だけで、何らマーケティングもせず、「作ればよい音楽を聴くことができる」という見込みだけで建設するという典型的な「プロダクトアウト」の姿勢がかいま見えます。
同じようなことが、立派過ぎる道路、装飾がいっぱいついた橋、無用に高額のブロンズ像や植栽をする公園、その他異常に豪華なプールや温浴施設などに見られます。作った人だけ喜んで、使う人には逆に使いにくかったり、誰も使わない施設を作ってどうするのでしょうか。
このような施設を喜んで作っている自治体や自治体職員に強い違和感を感じざるを得ません。


2004年06月06日

違和感だらけの自治体異邦人日記(9)


●不必要な中間管理職が多すぎませんか?


平成6年~7年頃からですが、財政状況が極端に厳しくなる中で、いずれの自治体も職員の採用を大幅に減らしています。その頃に入った職員が現在では30歳前後になっていると思いますが、彼らは10年近く職場で「部下」はもちろん「後輩」を持つこともほとんどない状況に置かれています。そして今後も10年間ほどは、抜本的に財政状況がよくなる望みは全くありませんので、今後も少数の職員しか入ってこない状況が続きそうです。
このことにより自治体のように基本的に「終身雇用制」「年功制」「直営主義」をとる組織にどんなことが起きるかというと、職員構成が極端に高齢化するということ、年功制によりある程度入庁年次が経つと役職を賦与するため管理職ばかり多い「頭でっかち」になること、直営部門が残されるため若手職員など担い手不足による「現場職員の極端な繁忙化」が進みます。
これらを改善する組織戦略として考えられるのは、1 終身雇用制を緩和し雇用の流動化を進めるか、2 年功制を廃止し若手職員も含めて「能力・実績主義」を徹底するか、3 人員や予算など経営資源を住民サービス部門を中心に選択と集中で投入する、4 管理職を全般的に極力減らし、ほとんど全ての職員を「フラット化」「プレイヤー化」することの4つしか方法はないと思います。個人的にはわが国が本格的なキャリアパスの時代に移行するのであれば「雇用の流動化」が王道であると感じていますが、これについては様々な条件整備が必要でありすぐには実現しにくいこともあって、本日は、3と4に絞って述べさせていただきたいと思います。
自治体を含む公務員組織というものは世の中の流れに10~20年遅れて「改善」が進むと言われています。例えば庁舎の電話交換や警備、庁内郵便の発送などを「直営」で行っている企業は現在では皆無に近いと思いますが、自治体の中にはそれらを未だに直営で残しているところがあります。ようやくここ数年委託化する自治体が増えてきましたが、労務職員の処遇のこともあり直営を堅持せざるを得ない事情もあり、労務職員の職務の進行管理を行うために多数の中間管理職も張りつけられています。これらの中間管理職の人は自席に座っていて業務に問題が起きないか、神経をすり減らして進行管理を行っています。こうした職務は民間ではほとんどアウトソーシングされ、進行管理や業務上の責任は契約により委託先に分担されているのが常識です。特に、住民サービスに関係が薄い内部管理業務は、直接住民サービスを提供に関与する部門に経営資源を集中するためにも、コスト削減効果を第一目的として部門や中間管理職の縮小・削減を進めていかねばならないと思います。
次に「フラット化」「プレイヤー化」の問題です。年々業務が量が増え複雑化しているというのに、自治体の現場ではプレイヤーの数が逆に減っています。採用削減の影響により若手職員を確保できない一方、年功制により係長、課長補佐、課長、部長といった管理職が増え、「担当者よりも管理職が多い」という状況になっています。そして管理職と担当者の意識には大きな差があります。管理職になった人たちは自分たちが若手職員の時の感覚が残っており、「なんでも丁寧に手間をかけて」という人海戦術がしみ込んでいます。一方、担当職員にとっては、少ない人数で多くの業務をこなしていかねばならないため、手がかかる単純業務などは業務委託などで実質的な手数を増やしてほしいと考えています。また、それらがなかなか進まないのであれば、必要以上の管理職は減らして、「プレイヤー」をできるだけ増やしてほしいと考えています。すなわち直営の堅持を原則とするのであれば、現在のように職員を大幅に削減している時代は、「マネージャー」よりも「プレイヤー」の方に希少価値が高まっているということです。若手だろうが中堅だろうがベテランであろうが同様の業務形態にし、極めて少数の「プロ管理職」が業務の進行管理を行うという方法をとるしか、直営を維持できる方法はないと思います。
その場合、若手職員であっても日常的な業務責任は自らが背負い込むなどできるだけ「プレイイング・マネージャー」化も進める必要があります。自席に座って直接の担当業務を持たず、少しばかりの業務の進行管理と日常的な業務上の責任をとるための中間管理職は「不要」ということでしょう。
こう見ていくと、組織体系といった点でも「部長制」「課長制」「係長制」を維持することが無用な中間管理職の温存につながることになるので、基本的には業務によって編成される「チーム制」「グループ制」「プロジェクトチーム制」に移行していく必要があります。ただし先行した多くの企業や自治体で、名称だけ「管理職」が「リーダー」に変わっただけということもよくありますので、業績測定の単位と整合をとることや永続的なグループやチームの設置を阻止し、定期的に再編する仕組みが必要です。

いずれにしても、これだけ職員構成や業務手法が変わりつつある中で、いまだに中間管理職の多くが温存されている組織の姿に、違和感を感じざるを得ません。


2004年06月13日

違和感だらけの自治体異邦人日記(10)


●なぜ「休職」が多いのか?

 最近近くの自治体で以下のような事例が問題視され、マスコミを賑わせました。『精神性疾患を理由に、休みを繰り返しているH市立中学の男性教諭(39)が、延べ約六年三カ月間の休職中に少なくとも十回、無断でヨーロッパやアジアなどへ海外旅行していたことが十五日、分かった。県教委はこの教諭にてん末書を提出させるとともに処分を協議。同様の理由で休暇・休職している県内の教員約百五十人についてあらためて実態調査を行う方向で検討を始めた。 県教委によると、同教諭は一九九七年に「神経症」と診断され、病気休暇に入った。以降二―三年休んでは復職、一カ月半ほどたってまた休職するという勤務を繰り返し、昨年春から三度目の休職中。 給与は、半年間は病気休暇として全額、その後一年間は80%を支給し、以降は無給。これとは別に教職員でつくる共済組合から休業手当金として減給分が補てんされており、休職中も給与の80%以上を受け取ることができるという。 ところが今年二月、「休職中に海外旅行に行っている教諭がいる」との指摘を受け、県教委が調べたところ、この教諭が昨年十二月、ギリシャに八日間旅行していたことが判明。確認できる渡航記録によると、ほかにも九八年六月の韓国旅行をはじめ、中国やインド、ヨーロッパなどを訪れており、最長二十二日間の旅行もあった。 調査結果を受け県教委は「校長に無断で出国したのは問題」として、同教諭にてん末書提出を指示。しかし、教諭が三月に再び診断書を提出したため、来年三月までの休職期間延長を認めたという。これに対し、文部科学省初等中等教育企画課は「病気休職を繰り返し、公務員として働けない者に税金を使うのは好ましくない。地方公務員法に基づく分限免職の対象になりうる」と話している。』

これは、教員だけでなく、自治体職員全体に言える問題です。自治体では、休職者は病気欠勤を行った後、少なくとも1年間は80%の給与が確保されています。さらには自治体によって格差はあると思いますが、3年程度は共済組合からの補填金などにより収入の80%を実質的に確保する制度がとられています。
無論、本当に病気が深刻であり、かつ職場復帰してもらうことが組織全体や顧客である市民にとってメリットのある人材であれば、復帰チャンスを確保するという意味で運用されれば、「良い制度」として評価されます。
一方、若干うがった見方をすれば、仕事をしなくても1~3年も80%の収入を確保できるのであれば、悪意ある職員にとっては、「何とか休職してやろう」という悪意を持つ大変大きなインセンティブとなっています。
紹介した事例がこのことに当たるかは与えられた材料だけでは判断できません。しかしながら2~3年休職しては、1.5月だけ復職するということを繰り返しており、しかも頻繁に海外旅行をしていたとしたら、普通の市民感情では「休職制度を悪用しているのではないか」と思われても仕方のない面があるように思えます。
このような類似例が自治体では多数あります。いずれも休職を繰り返しては短期間だけ復職して「分限処分」を先延ばしするもので、本人はもちろん組合に対して過度に配慮する当局側の姿勢も問題視されるべきとの意見もあります。
最近の新たな方向性として、休職を繰り返す職員に対して一部の自治体では「分限免職」を行うようになり始めました。一般職員もこれだけ厳しい状況の中で勤務している中ではきちんとしたけじめをつけることが極めて重要なことであるように思えます。たぶん組合の方もこのような職員を「一緒にされたら心外である」と本心では思っているはずです。当局側がどれだけ本気に取り組めるかが課題となっています。
それにしても自治体は「職員に対してどこまでも優しい職場」です。自治体職員としてはそのことに素直に感謝しなければならないのですが、度を越すと一般の市民感情からずれてしまい、結局「しっぺ返し」が来ることを忘れてはいけません。

そのことに気づいていないもしくは気づいていても対応しようとしない組織や自治体職員がいるとすれば、大きな違和感を感じます。


2004年06月20日

違和感だらけの自治体異邦人日記(11)


●人件費に対する「生産性」感覚がない

今や世界一人件費が高くなった日本では、民間企業は「人件費」を最大のコストセンターとして位置づけ、その抑制に躍起になっています。そのことが中国やベトナムなど東南アジア諸国への製造拠点の移転等の動きにつながっているのは間違いありません。また国内でも、流通業などを中心に正社員を削減し、パート・アルバイトや派遣社員に置き換える動きが広がっています。

翻って自治体の現状を見ると、未だに「直営主義」「正職員主義」が健在であり、部分的に臨時的かつ定型的な業務に限定して、臨時職員、嘱託職員、派遣社員などでまかなう方法をとっています。

自治体の正職員の給与が民間企業と比較してかなり低い時代には、それでも不都合はなかったと思います。人件費というものは(人数×1人あたりのコスト)ですから正職員だけでの「人海戦術」でもそれだけを持って批判されることはありません。給与が低ければ生産性が低くても問題はないのです。
その場合、組織全体の人件費についても「所要額」ということで査定の対象にすらならないことが多かったと思います。

ところがバブル経済崩壊後、民間企業の雇用形態、給与水準が大きく変わる中で、自治体の給与体系、給与水準、雇用形態のみ「下方硬直性」により、旧態依然の状態として取り残されました。これは自治体職員1人ひとりにとってはそれほど不都合なことではないのですが、組織全体としては歳入が停滞する中で、人件費を含めた「経常経費率」が高まり、全体の収入を充てても経常経費を賄うことができない「経常経費率100%以上」の自治体も続出することとなりました。

私の試算では、企業などの利益にあたる「付加価値」が人件費にどの程度分配されるかを見る「労働分配率」は、バブル経済以前は65%程度であったものが、1998年には80%近くに上昇し、新たな設備投資や資本の蓄積に回らないことで日本全体の国際競争力を低下させてしまいました。金融危機の起こった98年以降は、本格的な雇用調整が起こりバブル以前の正常値に向けた労働分配率の低下が進みつつあります。これは労働者にとって痛みの伴うことであり、自治体職員にとっても他人事ではありません。

さて現在の自治体職員の給与水準がどの程度であるかは、役職や年齢、自治体間で異なりますので、一概には言えませんが、平均年齢である40代前半で年収が600万円程度のことが多いのではないでしょうか。全体の人件費を考える場合、社会保険の事業主負担や福利厚生費等を加味する必要があり、通常直接人件費の1.6倍程度と推定されています。よって年収600万円の自治体職員には、600万円×1.6=960万円がかかっている計算になります。これらと臨時職員、嘱託職員、派遣社員にかかる人件費とを比較すると、臨時職員が250万円程度、嘱託職員が350万円程度、派遣社員が時給1,500円だとして他の間接費が一切かからない場合300万円程度で、1人あたりのコストに圧倒的な差が生じていることがわかります。(あくまでも単純化するために一例を挙げただけですので詳細は個別に計算する必要があります)
これだけ人件費の単価が違えば、やはりそれに見合う1人あたりの生産性があるかを考えていく必要があります。ただそれを測定するために必要な1人あたりの全体人件費や1人がこなしている仕事の生産性を測定する評価尺度が必要となります。この2つが揃って自治体職員が給与に見合った仕事をしているか判断する必要があるのですが、残念ながら現状ではどちらも存在しないのです。自治体の職場を見てあえて独断と偏見で直感的に感じるのは、だいたい2割の人に仕事が極端に集中し、夜中の2時まで仕事をしていても積み残しがあるような場合、彼らは民間企業の社員よりも多くの付加価値をこなし、2000万円程度の業務をこなしているように思います。一方、残りの8割の人は派遣社員のパフォーマンスに達していないように思えますので、100~300万円の市場価値しかないように感じることがあります。これらのことを1人ひとり明確にし、部署全体の生産性を測定することで、その部署が行っている業務が「直営」でよいのかそれとも「アウトソーシング」するのかそれとも代替産業があれば「民営化」するのか判断する必要があります。単にコストで比較するのではなく生産性を見る視点が欠けているように思えるのです。ただし「公権力の行使」のような業務は法律で自治体職員のみしかできないので、ABC分析などで1業務あたりのコスト削減をすることで生産性を向上させていくしかありません。

このようにこれからの自治体の人件費を考える場合、その人の行っている業務と適正なコストが見合っている「生産性」で自治体の人件費を考えることが必要です。
そのことで、多様な給与体系、業務の委託・アウトソーシング、民営化、臨時職員・嘱託職員・派遣社員の活用などを考える必要があります。

自治体経営を考えるにあたって、そのような生産性のことを考えず、もしくは考えようとはせず、単純な年功制や一部の職員の「ボランティア」による多大な業務集中により仕事の内容によって給与を変えずに運営されている今の運営状況は、「仕事の質が高くても低くても給与が同じ(一生懸命仕事をしているかどうかはプロの世界ではあまり関係のない話です)であるのは明らかに「悪平等」であり、大きな違和感を感じざるを得ません。


2004年06月27日

違和感だらけの自治体異邦人日記(12)


●スポーツ行政が無節操すぎる

自治体において設備を整備し、プロ野球やサッカーのフランチャイズを提供しているケースが全国各地にあります。現在問題となっているオリックスと近鉄の問題についても、双方の本拠地はもともと自治体が整備し、それを球団が優先使用しているものです。
2002年のサッカーワールドカップでは、自治体間での誘致合戦が活発化した。そして韓国と共同開催になったこともあり2~4試合しか行わないものに各自治体は数百億円をかけてサッカースタディアムを建設す