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自治体職員のキャリアデザインを考える日記
最終更新:
匿名ユーザー
2004年05月24日
自治体職員のキャリアデザインを考える日記(1)
今週から月曜日の日記を担当させていただくことになりました千葉県の戸崎と申します。皆様よろしくお願いします。
さて、私も後から加入したのですが、この「自治体職員有志の会」は元々はキャリアデザイン研究で有名な神戸大学の金井壽宏教授の講演会がきっかけになったそうです。(画面左側に「金井壽宏先生講演録(当会発足のきっかけ)」というリンクがあります。)アドレスにもcareerdesignとありますね。
日々実践派会員が多い有志の会では、「今この現状をどうするか」「自治体のあるべき姿は」などの話が中心なのですが、週に1回くらい私たち自治体職員個人個人の身に立ち返ってキャリアデザインについて考えてみたいと思いこの日記を書いてみました。
さて、自治体職員のキャリアについて、いくつかの段階に分けて考えるとすると、入り口である「採用」、公務員の最大?の関心事である「異動」、多くの人が何とかなると思っている出口である「退職」の3つに分けられます。
それぞれのトピックとしては次のような事柄を今のところ考えています。
○採用に関しては、
・なんで自治体職員になろうと思ったか。
・学歴は何の役に立つのか。ペーパーテストで測れるのか。
・採用時の年齢制限は何のため?
○異動に関しては、
・自治体職員は「平等」な世界?
・皆で残業ばっかりたくさんするのはなぜ?
・仕事をしてない奴の方が出世するのはなぜ?
○退職に関しては、
・公務員が潰しが利かないのはなぜ?
・天下りは何のため?
・自治体職員こそ社会起業家の人材供給源か?
これらのトピックは『自治体職員有志の会』のメーリングリストでも話題になったものなどからピックアップしたものです。
おそらくどれか一つくらいは引っかかる項目があるんじゃないかと思います。(そしてそういう人がこのHPにたどり着いたのではないかと想像します。)
ということで、今日は「採用」に関して少々。
「何で自治体職員になろうと思ったか?」
人に聞かれれば「多くの人々の役に立つ仕事をしたいから」と答える人が多いでしょう。『受験ジャーナル』にもそんなようなことが書いてあった気がします。でも実際の所、そんな高尚なことを考えて公務員を志望した人が多いのでしょうか。もしそうだとしたら相当の世間知らず(注:問題発言! 失礼しました)かも知れません。もちろん、全くの役に立ってないとは言わないまでも、「自分の仕事が人の役に立っている」という実感を得ている公務員がどれほどいるでしょうか。各種アンケートによるとそれほど多くないようです(公務員に心を病む人が多い理由の一つだと思います。)。
正直なところ、そんな表向きの理由よりも、「安定していそうだから」、「地元に他の就職先がないから」、「実家の親に帰ってこいと言われたから」、等の理由で自治体職員になる人が多いのではないのでしょうか。(→どうですか? 自治体職員の皆さん?)
一つの例としてイメージされるのは、大学に進学したものの、特にこれと言ってやりたいことがあるわけでもないし、民間企業もノルマとか大変そうだから、「筆記試験さえ通れば何とかなる」という理由で公務員を志望した、しかも、いわゆる「国1」は大変だから(または落ちたから)、という理由で地方公務員を受験した人も少なくないように思われます。
その意味では「人の役に立つ仕事」と言うのも具体的に自分が就く仕事のイメージがはっきりしているのではなく、民間企業の「競争的な世界」を忌避し、自分の自尊心を納得させるために「人の役に立つ仕事をしたい」という志望動機を後付けしているのではないかとも思います。総論では誰からも反対されませんからね。でも「人に役に立つ仕事」は公務員だけに限りませんし、そういう動機があるのならばいくらでも学生時代にできるわけです。
と、ここまで書いてみると、かなり悲しい気持ちになってきますね。しかし悲観するのは性急です。根は素直で「優秀」な人たちが集まっているんですよ。少なくとも採用の時点では。いわゆる「やればできる子」が集まったのが新人自治体職員の皆さんです。残念なのは「やればできる子」達が何もやらないまま年を重ねていってしまうことです。
ではなぜ、こんな「優秀なダメ人間」が量産されていってしまうのでしょうか。
私はこれを考えていくことが「自治体職員のキャリアデザイン」を考えていく上でとても大事だと考えています。
今日は志望動機を中心にお話しましたが、今後の連載に通じているのはこのような問題意識です。
なお、「自分のことを棚に上げて」というお叱りもたくさん受けそうですが、そのような方にはぜひ一緒に考えていただけるものと期待しながら、自らの「心に棚を作り」、この日記を書いていますので今後ともよろしくお願いします。
2004年05月31日
自治体職員のキャリアデザインを考える日記(2)
皆さん。こんにちは。千葉県の戸崎です。
先週は自治体職員の「採用→異動→退職」という流れを考えたい、という
大見得を切ったものですが、なかなか大変そうです。(第2回にしてすでに弱気か? (^^;)
難しさの一つとしては、非常に長い時間軸で考える必要があるということがあります。
例えば極端な例を考えると在職年数が5年くらいで退職する人が
ほとんどのような業界であれば、採用から退職までの流れは意識しやすいのですが、
公務員の場合は採用されてから40年近く後になって退職、というケースが多いのです。
そのため、「流れ」と言われても
「富士山に降った雨水が地層を通過し涌き水となって川を下り海に流れ込む」
くらいの悠久の時間の流れとしか理解されないわけです。
これはもう不動産よりも遥かにのんびりした時間の流れなんです。
一度採用しちゃうと「やっぱり要らない」と売っぱらうわけにもいかない。
それほど長期にわたって組織で抱え込む人材を採用するんだから
さぞかし入念に品定めをして採用するんだろうと思われる方もいるかもしれませんが、
実際のところそうでもない。
例えば、私が採用試験を受けた記憶をたどると、まず筆記試験(マークシート、論文)の
1次試験を受け、それに合格すると2次試験として面接を受ける。
その後は人事担当者の面接を受けて配属が決まる、という流れだったように記憶しています。
このうち一番重要なのは1次の筆記試験です。
ここでほとんど決まりで、2次試験は「変な人」を落とすくらいに使われ、
大抵の人は通ると言われています。
(ちなみに私は大学4年のときに某政令市の2次試験で落ちて1年プーしてました。(T_T))
では、採用後、半世紀弱手放すことができず、何億円と言う生涯賃金+α(研修など)を
注ぎ込むことになる人材を採用するのに何でこんな簡単な手続きしかとらないのでしょうか?
もっと業務に直結した試験が行われないのはなぜでしょうか?
この理由の一つには、『公平性の確保』があります。
できるだけ恣意性を排除した採用試験を行うことで、政治的な影響力を排除したいという
大昔からの知恵が生きているのです。
#
でも恣意性を排除して公平性を確保するだけならばくじ引きでもおんなじですね。
#
(→生徒会長を選ぶわけじゃあるまいしbyくじアン。)
もう一つ考えられることは、仕事の直接関係のない筆記試験の対策をきちんとできる人は
仕事もできるに違いない、という考え方が裏にあるのではないか、ということです。
つまり、業務の内容が多岐に渡り明確でない一般職の公務員を採用するのに、
業務内容についての試験を実施しようとしても無理なので、どの仕事にもあまり関係のない
(と言ったら失礼ですが)一般論的な内容の試験により採用試験を行うことを
あらかじめアナウンスしておき、その準備を効率的にできる人は、能力が高いとみなして
採用しているのではないか、ということです。
この考え方は、企業が仕事の経験のない新卒の社員を採用するのに
「シグナル」として学歴を重視する、ということに通じるものがあります。
こちらは、仕事に関係のない学歴であってもそれを取得できる学生は
潜在的な能力が高いと類推して採用する、というものです。
(この採用と学歴の関係についてより深く知りたい方は、
樋口 美雄『人事経済学』、エドワード
P.ラジアー『人事と組織の経済学』などを
ご参照ください。)
問題は、採用試験に効率的に準備できるという「シグナル」だけを重視しすぎやしないか、
ということです。
つまり、潜在的な能力の低い学生でも、公務員予備校などの力を借りることで
能力の高い学生のふりをすることが容易になるとこの「シグナル」は意味を失ってしまうのです。
これを防ぐには、例えば面接の回数を増やしたり、大学のAO入試のように自分が学生時代に
やってきたことについて何枚も書かせたりするなどの方法が考えられます。
筆記試験だけは準備できても長い時間をかけると「化けの皮」が剥がれる、という寸法です。
それはそれで、受験生の負担が増すことにはなりますが、民間企業では内定までに
何度も面接を繰り返すのは当たり前です。
公平性とのバランスをとりながら、より優れた人材を採用できるような仕組みに
変えていくことができれば、と思います。
2004年06月07日
自治体職員のキャリアデザインを考える日記(3)
皆さん。こんにちは。
千葉県の戸崎です。
今回もしつこく採用にまつわる話です。
「聞いて極楽、見て地獄」という言葉がいろはカルタにあります。
「9時~5時の仕事だから趣味に生きよう」と思っていたのに残業地獄にはまる人もいれば、
「社会の役に立つ仕事がしたい」と思っていたのに仕事の実感が持てなかったり
理不尽に悩んでしまう人もいます。
今日は、極楽と地獄の落差についての話にしたいと思います。
(「公務員はなぜ残業をしたがるか」については別の回で取り上げようと考えています。)
■「自治体職員の仕事」についてのイメージ
新卒で公務員を志望する学生にとって、自治体職員の仕事をしている姿に
接する機会、というのはどのくらいあるでしょうか。
国公立大の学生ならば学務の窓口は一番身近な働く公務員の姿かもしれませんが、
せいぜい、住民票や印鑑証明を役場の窓口に取りに行く機会くらいでしょうか。
国家公務員のキャリア組の仕事は大変らしい、ということはマスコミの報道などで
ときどき目にすることがありそうですが、自治体職員が日々どのように仕事を
しているかについては、報道などで取り上げられる機会は少ないです。
(このHPの管理人さんが別の日に書いていましたが、「○○海峡を泳いで横断」などの
「趣味に生きる社会人」の職業が自治体職員であることが多かったりします。
また、自分の小中学校時代を思い出すと、PTAやスポーツ少年団の役員をしている
男の人の職業は、(1)地元の役所、(2)自営業、(3)特定郵便局長、などだった
ような気がします。)
そんなわけで、自治体職員というと「なんとなく気楽そう」というくらいの
認識しかないまま、採用試験を受ける人の割合は結構高いように思われます。
(客観的なデータがあるといいんですが、見ないで書いています。どなたか
データソース教えていただけるとありがたいです。)
■「見て地獄」の中身は
では、採用後に「見て地獄」と思うのはどのような点でしょうか。
私は、大きく2つの種類があると思います。
1つは、予想していた以上に忙しいこと。もう1つは、仕事のやりがいを
感じられないこと、の2点です。
前者については、配置される部署によっても大きく異なりますが、
いわゆる「9時~5時」のイメージとはかけ離れていることが多いのではないでしょうか。
もちろん、事前の情報に偏りがあることも一つの理由です。役所の窓口も
大学の窓口も5時になると閉まるところが多いので、「5時に終わっていい身分だよな」と
いうイメージを形成しているのかもしれません。
(私ごとですが、大学生時代は朝9時に寝て午後3時過ぎ起床→夕方からバイト
→深夜に帰宅→友人の家に遊びに→朝方帰宅、という夜型の生活だったため、
朝10時まで「夜更かし」するか午後2時頃「早起き」しなければならない
銀行や役所などの窓口に行くのは大変でした。←「授業」はどこに入るのか?)
新人職員の仕事が忙しいもう一つの理由としては、これも前日の管理人さんの日記で
取り上げていましたが、採用者数を絞っているために「若手の雑用」を一手に
押し付けられるということがあります。
なにしろ役所は「管理職」であふれかえっています。これまで、若手3人分くらいで
やっていた種々の雑用を1人でこなさなければなりません。
(私が6年前に初めて本庁に来た時の職場は、30代の係長と20代の主事3人という
係でしたが、今では同じ仕事を全員40代以上の職員が担当しています。)
「見て地獄」の後者は、「緩慢なる地獄」とでも言えるようなものです。
公務員の仕事の多くは、自分が汗を流したことに対して、明確なフィードバックを
得ることが出来ないような種類の仕事が多いです。
例えば、交通安全の啓発事業を行ったからといって直ちに事故が減るわけではありません。
県税を課税したからといって直ちに社会が良くなる姿を目にすることもありません。
お客さんに「ありがとう」と言われるよりも「馬鹿野郎」と言われる仕事の方が
多いです。まだ、面と向かって罵倒される方が、自分の仕事に対しての
フィードバックを受けられるだけ健全かもしれませんが、役所はいわゆる
「間接業務」がやたらと多い。補助金の交付申請書や調査ものの回答を
作っているときほど、「自分の仕事は世の中のためになっているんだろうか」という
空しい気持ちに襲われやすくなります。
こうして「殺すなら一思いに殺せ!」と叫びたくなるような陵遅のような生活に
「地獄」を感じる人も少なくないのではないのでしょうか。
穴を掘って埋める無意味な労働を繰り返させられるのが一番辛い刑罰とも言われています。
先日、某大学教授と話していて「都道府県職員に心を病む人が多いのはななぜか?」と
聞かれたことがあるのですが、自分のやった仕事に対するフィードバックが少ないことが
大きな要因ではないかと私は思っています。
■イメージと現実のギャップを無くすには
さて、「自治体職員の仕事」に対する採用前に抱くイメージと採用後の現実との
ギャップの話をしてきましたが、どういった対策が考えられるでしょうか。
「身内に公務員がいる人を優先的に採用する」というラディカルな案もあるのですが
社会通念上まずそうなので、「事前に仕事の内容を知る機会を作る」という穏健な
案のほうをお話したいと思います。
(昔は「役場はコネが無ければ入れないところ」というイメージが強かったようです。
これならば、事前に過大な期待をしたりすることは少ないかもしれませんね。
もっとも、給料も民間企業に比べて相当安かったので「役場に入るのは変わり者」と
言われるという理由もあるのかもしれません。)
まず考えられるのがインターンです。既に一部の自治体ではインターンをとり入れていますが、
半年~1年間の長期にわたるような本格的なものは無いようです。
ベンチャー企業へのインターンを斡旋しているETIC.(http://www.etic.or.jp/)というNPOで
ソーシャルアントレプレナーのビジネスプランコンペSTYLEを担当している井上さんは
パブリックマネジメントを学びに留学したアメリカで、ワシントンD.C.市長室での
1年間のインターンを経験されています。
詳しくは、大住莊四郎 編著
『行政経営の基礎知識50』をご覧ください。
(井上さん、勝手に紹介しちゃいました。見てたらごめんなさい。)
「お客様扱い」のインターンではなく、現場の仕事を実感することで、自分のキャリアプランを
具体的に描くことが出来るようになり、就職してから「こんなはずじゃなかった」という
ショックを和らげることが出来るのではないかと思います。
また、受験ジャーナルでいろいろな職種の「公務員の1日」を紹介する
連載もありますが、基本的に良いイメージを与えるような人ばかり紹介されているので、
「良いことばっかり書いてるな。こんな人ばかりなら自分が働きたい。」と思うことがあります。
さらには、採用試験のパンフレットにはもっと良いことしか書いてありません。
さすがに、パンフレットに書かれていることを真に受けるほどの人は少ないかもしれませんが、
少なくとも悪い情報は読み取れません。
そこで、1900年の南極探検隊員募集広告のような「自治体職員募集広告」を考えてみるのも
面白いかもしれません。
>
求む男子。至難の旅。僅かな報酬。厳寒。暗黒の長い日々。
>
絶えざる危険。生還の保証なし。成功の暁には名誉と賞賛を得る
> ――アーネスト・シャクルトン
・・・ここでネタ&体力切れです。誰か「自治体職員募集広告」書いてください。<(_
_)>
2004年06月14日
自治体職員のキャリアデザインを考える日記(4)
先週まで採用についての話が続いていましたので、今回は採用後からの長い付き合いになる「同期」についてのお話にしたいと考えています。
私自身は公務員しかやったことの無いような人間なので、他所ではどうかは伝聞でしか聞いていませんが、公務員ほど「同期」という言葉に対して強い執着を持っている人達はいないのではないかと思います。以下では、時間の流れに沿って公務員にとっての「同期」の存在の大きさについて感じたことをつらつらと書いてみます。
まず、採用時の研修で自分の同期採用にどんな人がいるかの顔ぶれが分かり、泊りの研修や「同期会」と称して遊びにいったりする中で親交を深め、中には「ゴールイン」(終わりというよりも始まることの方が多いんですが)する人達が何組も現われ、基本的にはフレンドリーな関係がしばらく続きます。
この段階では、給与もほとんど変わらず、皆が同じように昇給し、同じような研修を受け、同じようなランダムな異動をし、同じような悩みを共有していますので、同期の飲み会で「今の40代が頼りないからいけないんだ!」とか「何であんなに仕事をしない50代のオッサン達がウヨウヨいるんだ!」と、自分たちもいつかは年を重ねノネナールを振りまく存在になるということを忘れ、学生時代の延長のように盛り上がったりすることができます。
ところがいつの頃からでしょうか、同質だと思っていた自分たちの間に、だんだんと違いを見出すことができるようになってきます。それは、はっきりと目に見えるものでは無いようで、民間企業のように倍くらいの給料の差がついたり、スピード出世していったりということはありません。もっと目に見えにくいもの、例えば、仕事の中で身につけていく能力の種類であったりするようです。
こうしておぼろげに見えていた同期の間の「違い」が明確に意識されるようになるのは肩書きに差がついたときです。しかし、これも大幅に差が出るというものではなく、次の年には自分の肩書きもちゃんと上がります。もらう給与が大幅に変わるというものではありません。昇進の時期にほんの少し差がつくだけです。
それでも、目に見える形で差がつき始めるこの時期には、「同期」は同質なものではなく「ライバル」としての存在になりはじめます。
そして、管理職になる頃になると、同期の間でもぐっと差がついてきます。それまで一群になっていた「同期」のグループが、ある時期から急に昇進スピードに差がつくようになってきます。飲み屋で、「なんであいつが先に課長になるんだ!」とかの愚痴が聞かれるのもこの頃です。この差は定年を迎える頃までに全般的にはどんどん大きくなっていくようです(もちろん、個別に見るとあちこちで追いついたり逆転したりがあります)。
このような、途中までは同期の間であまり差をつけず、ある時期から大きく差をつけていく仕組みを自治体がとっているのはなぜでしょうか。一つには、公務員の仕事が多種多様にわたり、成果が測定しにくいから、という理由があるようです。
もし、「同期」の多くが同じような業務につき、その成果が目に見えやすいものであれば、若いうちから差をつけることは比較的容易です。営業が主体の会社で営業成績によって昇進や給与に差をつけることなどがそれに当たります。
しかし、性質のまったく異なる仕事、かつ成果の見えにくい仕事をしている人達の間で比較をしようとしたら容易ではありません。そこで、若いうちは昇進や給与には差をつけず、いろいろな仕事を経験させる中で個々人を比較していくシステムがとられていると考えられます。仕事の成果では直接比較ができなくても、同期の職員AさんとBさん、BさんとCさんのどちらが「できる奴か」ということは比較しやすいからです。この比較もあくまで長期間にわたって行われ、しかも明示的にではなく暗黙のうちに、あたかもテニスのトーナメントのように毎年の比較を繰り返す中で徐々にランキングが固まっていきます。
そして、同期の間でのランキングがある程度固まった頃、比較対象は同期だけではなくなり、管理職の間での競争にステージが変わっていきます。この頃には、同期の間には大きな差がつくようになっているわけです。
この考え方は、企業の人事システムの研究の中で「遅い昇進=遅い選抜」と呼ばれる考え方ですが、企業だけでなく自治体についても同じような考え方が当てはまるように思われます。
このシステムでは、長い期間をかけて同期の間で競争させるため、競争の半ばまでは誰が勝ち残るかははっきり分からず、競争を維持しつづけることができるという特徴を持っています。30代くらいの職員が苛烈な「残業競争」を行っているのも、その時期が競争の「正念場」にあるから、と考えることもできるかもしれません。(なぜ仕事の成果ではなく残業時間での競争になるのかは不思議なところですね。)。
しかし、民間企業経験者の採用の増加など、「同期」と言っても新卒ばかりでは無くなっており、新卒で採用してから40年間競争させていくシステムには限界が出てくると考えられます。また、全員が同じ「昇進」というゴールを目指して競争を続ける、という考え方も自治体職員のキャリアパスが一様で無くなってくる中で古いモデルとみなされるのではないかと思います。
各地で行われているさまざまな取り組みも、それまでの「遅い昇進」に代わる新しいシステムの模索と考えられそうです。
2004年06月21日
自治体職員のキャリアデザインを考える日記(5)
■自治体職員はなぜ「無能」なのか
みなさんおはようございます。
千葉県の戸崎です。
先週は「同期」の話をしたんですが、そのつながりでいくと学校の同級生も広く社会人という意味では「同期」になりますね。(なかには、学校を出た後もプラプラしてる人もいますんで必ずしも「同級生=同期」という訳ではないことになりますが。私の職場にも昔は同級生だった先輩が2人ほどいらっしゃいます。)
民間企業に就職した同級生によく言われることにいくつかパターンがあり、「公務員は仕事が楽で倒産しないからいいよな。気楽だろ。」とか「毎日夕方帰れるから羨ましい。」というものから、「公務員は潰しが効かない。」というご心配までさまざまです。
そこで、今週はこの「潰しが利かない」という部分、言いかえると「自治体職員はなぜ「無能」なのか」について考えてみたいと思います。
一つ考えられるストーリーは、
・公務員は仕事が楽。9時5時でしか仕事しない。
↓
・努力してもしなくても給料は変わらないので能力を磨く努力をしない。
↓
・定年まで40年間「休まず遅れず働かず」で無為に過ごす。
↓
・定年後も天下り先でお茶飲みながら新聞読むだけで仕事しない。
という「公務員のパブリックイメージ」的な姿が想像されます。この展開で40年間過ごせば確かに相当「無能」な人間になりそうですね。(^^;
もしかすると、このストーリーにそのまま当てはまるような人も実際いるのかもしれません。でもそれだけだとすると、毎日夜中まで残業したり、一生懸命勉強する人を説明できません。見渡せば結構そういう熱心な職員はいるはずですが、その人達は「無能」なんでしょうか。
最近、「人材の市場価値」という言葉を聞く機会が多く「あなたの市場価値測ります」というホームページや広告をよく目にしますが、そのような意味合いで言うと、「潰しの効かない」自治体職員の市場価値は相当低いのだと思います。しかし、誰でも自治体職員の仕事ができるか、例えば、40歳の市役所の係長がいるとして、その仕事は本当に誰でもできるのでしょうか。市場価値だけを基準にすれば、誰でも代わりができそうなものですが、実際にはそうは行きません。仕事の内容にも拠りますが、民間企業の同い年の係長を連れてきたとしても直ぐに代わりは務まらないのではないかと予想されます。
では「無能」なはずの自治体職員が身に付けている「能力」というのはどのようなものなのでしょうか。
それは、言ってみれば「民間企業では通用しない能力」「その役所でしか通用しない能力」ということになるでしょうか。
具体的に何が能力かというものを一つ一つ挙げられるわけではないですが、例えば庁内の人間関係の把握であったり、議会対策の作法であったり、地元の有力者の力関係の理解であったり、条例や要綱・要領の類を少ない時間で読みこなすことであったりと、いろいろと考えられます。
これらは、先ほどの40歳の係長さんが役所で仕事をする限りにおいては非常に役に立つ「能力」ではあるのですが、役所以外ではほとんど役に立ちません。(行政に関わりの小さい)民間企業に転職した暁には「無能の人」となってしまうわけです。
あからさまに面と向かって「お前が民間企業に転職しても使い物にならない」と言われると腹が立ちますが、いざ自分の胸に手を当てて考えてみると、自分が転職したら「私は○○ができます。私は金を稼ぐ○○という能力を持っています。」と言えるようなものを自治体職員は持っているでしょうか? 能力のレベルとしては「新卒」とほとんど変わらず、体力も無く素直な吸収力も無く、そのくせにプライドと毎月のローンの支払いだけは高く、扶養家族を抱えている・・・。社会人・ビジネスマンとしての最低限の知識・常識も疑わしいと言われる公務員ですから、即戦力としては使いものにならない。変に癖がついていない新卒の若者を採用するほうがよっぽどまし、ということになってしまいますね。書いていて悲しくなりました。(T_T)
さて、このような「役所専用に極端なカスタマイズをされた能力」であっても、身に付けるにはそれなりの投資が必要になります。雇用主側が研修やOJTにかける費用も投資ですが、一人一人の自治体職員にとっても投資であるわけです。仕事の中で怒られながら覚えたり本を読んだりする労力も投資ですし、なによりも、一度しかない人生、一度しかない20代30代を「訓練された無能力者」になるために捧げるわけですから、この投資は本人にとっては重大です。あとで嫌になっても取り返しがつかない・・・。
もし、キャリアの途中、例えば40歳になったときに、「明日から出社に及ばず」といって退職させられるような雇用慣行であったとしたら、このような「他所では使い物にならない能力」を身に付けるための投資を自治体職員は行うでしょうか。恐ろしいですよね。沖縄民謡の「十九の春」ではないですが、「今さら 離縁と云うならば」元の新卒に戻して欲しいと思うわけです。そもそもそんな大きな賭けに乗りたいと思う人はいないかもしれません。いつでも転職できるように「どこでも役に立つ汎用的な能力」や「専門的な資格」を取得するためにエネルギーを振り向けることでしょう。
では、「役所向けにカスタマイズされた能力」を身に付けてもらうにはどうしたらよいか。そこで、「定年までの長期雇用」と「年功制賃金」が意味を持ってきます。
よほどのことが無い限り解雇しない、ということにコミットした雇用慣行は、職員の「役所でしか使えない能力」への投資を保証する機能を持ちます。また、若い頃は低賃金(組織にもたらす貢献よりも低い賃金)で我慢し、キャリアの後半に高賃金(組織にもたらす貢献よりも高い賃金)を受け取る、という「給与の後払い方式」の報酬システムは、雇用主である役所と職員が共同で「役所向けにカスタマイズされた能力」に投資を行うことを促す機能を持つと考えられます。さらに、職員が不正を行うことを回避させる意味でも後払い方式は有効と考えられます。
つまり、「役所でしか役に立たない能力」職員が身に付けることで得ることができる「果実」を、役所と職員で山分けするような仕組みになっているのです。(団塊の世代がもらっている給料が高すぎる、という批判が多くありますが、彼らが若い頃に低賃金という形で投資してきたリターンを今受け取っている、と考えることもでき、一方的に批判することはどうかと思います。でも、投資した先が破綻しそうなのにリターンだけはきっちりもらう、というのはおかしな話ですね。)
しかし、現在のような環境変化が激しい時代においては、今日行った投資が20年後に実を結ぶという保証はありません。過去において活躍してきた「役所でしか役に立たない能力」が、「役所ですら役に立たない能力」に陳腐化する(とっくに陳腐化している?)ということもありうるのです。そうなると「どこでも役に立つ能力」に投資し、役所から民間に転職しようとする人が増えてくると考えられます。実際に、国家公務員においては公費で留学してMBAを取得したキャリア官僚が民間企業に転職してしまう例が増えています。
では、自治体職員がこれからどのような能力を身に付けていくべきなのでしょうか。また、役所の雇用慣行をどのように変えていくべきなのでしょうか。
もちろん、これまで上手くいっていたやり方が、この先ずっと通用するわけではありません。現在の雇用慣行も数十年かけて環境の変化に合わせたさまざまな改善をする中で形作られてきたものです。この先も改革が必要になることは間違いありません。しかし、適当に目立つところから切った貼ったの外科手術を行っていったのでは「角を矯めて牛を殺す」結果に終わるだけではないでしょうか。
大切なことは、現在のシステムがどのようなメカニズムで機能しているかを理解すること、そして、環境の変化に対してどこを変革し、どこを保持していくかを見極めることにあると思うのです。
余談ですが、私がこのような「その職場でしか役に立たない能力」について意識するようになったのは、数年前、職業訓練を担当する課にいたときに、再就職先を探している中高年サラリーマンから聞かされた話がきっかけになっています。「30年間同じ企業で営業の仕事をやっていて、その経験を生かして再就職したいけど他の会社では全然使ってくれない。」という類の話がたくさんありました。よく言われる「あなたは何ができますか。」「課長ができます。」という話は笑い話ではありませんです。人は給料がいくらもらえるかどうかよりも、自分の能力を生かしたい、有能でありたい、ということを大事にしている、ということを感じました。
2004年06月28日
自治体職員のキャリアデザインを考える日記(6)
■残業チキンレースでGo!
千葉県の戸崎です。
今週は「なぜ自治体職員は残業したがるか」についてお話したいと思います。
○2人のレンガ職人の寓話
ある日、一人の旅人が寺院の工事現場で2人のレンガ職人に出会いました。
旅人は職人に尋ねました。「あなたはなぜ働いているのですか?」
1人は「ノルマを達成しないと解雇されてしまうから働いているのさ。でも今月は台風が多くて7割くらいしか達成できそうにないが、口実ができたのでそれ以上働く気はないね。」と吐き捨てるように言いました。
もう1人は「良くぞ聞いてくれました。私は素晴らしい大聖堂のためにレンガを積んでいるのです。ノルマはありますが、あんなものは目安でしかありません。」と誇らしげに言いました
さて、数年後、再び旅人が同じ場所を訪ねると、1人のレンガ職人に出会いました。それは、以前、ノルマのために働いていると言っていた方の職人でした。旅人はもう一人の素晴らしい職人はどこにいるのか訪ねました。
「ああ、あいつは死んじまったよ。あいつは月のノルマを3割も余計に達成することができたのさ。そして次の月はその数字をノルマにされちまう。それでもあいつは更に3割も余計にノルマを達成していった。それが繰り返されたのさ。最後は『大聖堂のために・・・』とうわ言のように呟きながらぶっ倒れてそれっきりさ・・・。」
○残業チキンレース
上の寓話は(よく紹介される寓話を元に)私が思いつきで書いたものですが、自治体の職場でもこのような「ノルマのインフレ」は起こります。それは営業成績のような数字ではなく、「事務分掌」という形で現われます。
もし、あなたがものすごい集中力とアイデアを発揮して毎日5時までに仕事を終わらせて帰っていたとします。しかし、本来賞賛されるべきこの行為があなたの首を絞めてしまうかもしれません。新年度になり、新しい事務分掌を決めることになったとき、あなたの事務分掌は前年度に比べて相当上積みされていることでしょう。その理由は「あいつは毎日定時に帰って楽をしている」ということかもしれませんし、「○○君、相当余力があるみたいだからこの仕事もお願いね」と押し付けられるからかもしれません。
「おかしい。納得いかない」と思ったあなたは注意深く他の職員の残業の仕方を観察しました。するとあることに気づきます。それは1人が帰ると頃合いを見て他の職員も帰っていくことです。
これではまるで「チキンレース」ではありませんか。誰もが早く帰りたいと思っているのに、周りの職員より先に帰ると「楽をしている」と槍玉に挙げられ、その結果は翌年の仕事の上積みという形で罰を与えられる。
何でこんなことが起きるのでしょうか。
これは、チーム内での縦割りの事務分掌と異動周期の短さに関連があると考えられます。他の職員からはその仕事の難しさや努力がわかりにくく、売上高のような目に見えやすい数字がないため、残業時間で仕事の大変さを測ろうとしているためではないでしょうか。
○がんばる奴が馬鹿を見る
これらの話は、旧ソ連の国営工場に関する研究でも同じような行動が見られます。今期にノルマを上回る生産をしてしまうと、次期のノルマが引き上げられるのでノルマをぎりぎり達成するように生産し、適切な口実があれば故意にノルマの達成に失敗し次期のノルマを引き下げようとしていたというものです。
これは「ラチェット(爪車)効果」と呼ばれており、次期のパフォーマンス基準の引き上げが予想されてしまうために、現時点で優れたパフォーマンスを発揮することが不利になる状況を表しています。
考えてみると、自治体職員は未だに社会主義国家並のパフォーマンスしかしていないのかもしれませんね。「今年がんばりすぎると来年きつくなるからちょっとセーブしとけ」という話は職員だけでなく、組織レベルでもありうる話です。
○ラットレース
これまでの話は「帰りたいけど周りの様子を伺っている」という状況についてでしたが、中には当たり前のように終電まで残業している職員もいます。20代、30代の比較的若い職員が多いようです。彼らの「残業好き」は「残業チキンレース」では説明できません。いったいなぜでしょうか。
これには以前お話した「同期の中での競争」が影響していると考えられます。どの職員が能力が高いか、ということが見えにくい状況においては、若いうちに無理をしても高い業績を上げることで、自分の能力を高いと周囲に認識させることが個々の職員にとって合理的だということです。
では、それが若い職員に多いのはなぜでしょうか。体力だけの問題ではないようです。一つには30代くらいまでの職員の能力についての評価はまだ定まっておらず、この時期こそが売り込みのチャンスだということがあります。もう一つには、定年までの残された期間が長いために、高い能力とみなされることによって受ける利益が最大になる時期だということがあります。
しかし、残業時間が長いほど「がんばっている人」とみなされることは、無駄な残業と家族への負担を強いることになります。「一人で徹夜して資料をチェックしました。(皆で手分けすればすぐ終わるのにね)」とか「細かいところまで体裁にこだわった内部向け資料」とか枚挙に暇がありません。これらのオーバースペックな仕事、無駄な努力のためにエネルギーを注ぎ込むことが「優秀な職員」への道かと思うと悲しくなりますね。(>_<)
○もう一人のレンガ職人
さて、更に数年後、旅人は同じ場所で新しいレンガ職人と出会いました。
彼も素晴らしい大聖堂のためにレンガを積むことに生きがいを感じていました。
彼の積むレンガはとても美しく、また丈夫であったため、彼は独立して仕事を請け負っていました。
彼は自分の納得のいく品質をキープするため、決して無理なペースになる仕事は受注しませんでした・・・。
そのレンガ職人は本当に幸せそうに仕事をしていました。
「仕事って何だろう・・・」
旅人はそう呟きながらその場を立ち去りました。
2004年07月05日
自治体職員のキャリアデザインを考える日記(7)
■自治体職員の仕事は複雑?
千葉県の戸崎です。
よく「公務員の仕事は民間企業のようにお金で割り切れる単純なものとは違うんだ」という話を聞くことがあります。
この「有志の会」のメーリングリストでも話題になる「成果主義」の話になると必ずこの話が出てきます。
確かに税金という形であらかじめ集めたお金で活動していますし、その使途は選挙によって選ばれた首長と議員が決定まします。民間企業よりもステークホルダーが多くなるため、その利害関係は複雑かもしれません。
しかし、自治体職員一人ひとりが提供しているサービス、行っている業務内容そのものまで複雑なのでしょうか。なんだか毎年担当者が替わってもそれなりにこなせてしまう仕事が複雑だというのも納得のいきにくいところです。
以下では自治体職員の仕事の複雑さ?について、職業能力とステークホルダーという視点から考えてみたいと思います。
○誰の顔を見て仕事をするか
よく「行政も顧客志向の時代だ」という言葉を耳にする機会があります。「住民のために働く」と言葉でいうことは簡単ですが、では「住民」とは具体的には誰を指すのでしょうか。
現実に窓口にいらっしゃる方も住民で、ほとんど窓口にいらっしゃらず税金だけ払っている方も住民です。議員と首長は選挙によって住民の意思を代表しています。しかし、これら「住民の意思」はいろいろな方向にバラバラに存在しており、中には相互に利害が対立し合うものもあります。
先日、有志の会のオフ会でニセコ町の逢坂町長さんのお話を伺う機会がありましたが、「役所が出した文書は、当事者間だけの契約関係ではなく、当事者以外の住民に対しても影響を与える」ということをお話されていました。この辺りが「自治体の仕事の複雑さ」なのではないかと思います。
○自治体職員の仕事そのものが複雑なのか?
では、すべての自治体職員の仕事そのものが、これらの複雑さを持っているのでしょうか。
おそらく、ある面ではイエスで、ある面ではノーではないかと思われます。
一つの視点としては、全ての自治体職員がこの「他のステークホルダーに対する配慮」を身に付けている部分があると思われます。例えば「杓子定規」「決断が遅い」という行動は、現に目の前にいる住民にとってはマイナス要素以外の何ものでもないですが、「特定の人を特別扱いせず一定の基準にコミットする」「決断の前に他のステークホルダーに対する影響を考える」という意味では、住民全体にとってはプラス要素と捉えることができます(ただし、何事にも程度の問題がありますが)。 何の仕事を担当していても、このような自治体職員固有の行動パターンが染みついている、と言えるのではないでしょうか。
もう一つの視点として、頻繁に異動して脈絡の無い未経験の仕事を担当している職員がそれほど複雑な仕事をしているとは思えない、マニュアルがあれば誰でもできるのではないか、という意味では自治体職員の仕事が複雑であるとは思えません。
このような仕事を続けていると、特定の分野の専門家ではないジェネラリスト型の職員を量産することになります。しかし、「小器用な素人」のまま何十年も役人生活を送っていて大丈夫なんでしょうか。
○成果主義との関係は?
「公務員の仕事は民間企業の営業のように数字で割り切れるもんじゃない。成果主義なんてできるわけ無いだろう。」という言葉を聞く機会も多くなりました。先ほどの二つの視点でこの問題を考えてみます。
「多くのステークホルダーへの配慮」という部分を前面に出すと、「何を成果と捉えるか」という所で頓挫してしまいます。成果とすべきものがたくさんある場合、どれか一つだけを評価基準とすると行動が偏ってしまいます。一方で全ての成果を評価基準にしようとするとインセンティブの効きは弱くなってしまいます。
また、「仕事そのものは単純」に着目すると、特定の成果を評価基準とすることも有効と考えられます。「複数のステークホルダーへの配慮」はより大きなレベルで対応し、小さなユニット単位では特定の成果に集中する、という方法です。
○自治体職員の仕事を切り分け直すと・・・。
このように考えると、『自治体の仕事が複雑=自治体職員の仕事も複雑』ではないということになります。
つまり、自治体全体としては多数のステークホルダーに配慮するけれども、現場レベルでは目の前の住民や特定の活動に集中した仕事の仕方ができるのではないか、ということです。そして、自治体職員もジェネラリストばかりでなく、特定の分野に関するキャリアを積み重ねてスペシャリストとして成長する道が開けるのではないかと考えられます。
例えば、エージェンシーや民営化はそういった方向性の現れでもあります。
仕事そのものに着目すれば、公務員で無ければならない、という業務は多くはありません。志木市では全ての仕事の仕分けをしています。札幌市のコールセンターは、「電話での問い合わせ対応」という仕事そのものを民間企業にアウトソーシングすることで高い顧客満足を達成しています。
また、民間企業では従来、間接部門が行ってきたサポート業務をアウトソース化することで、自社のコア業務に資源を集中しています。
このように、一まとまりになっていた仕事を切り分け直す(アンバンドリング)することで、「自治体業務の複雑さ」を言い訳にすることができなくなるのではないかと考えられます。
(日記なのに原稿が遅くなって済みませんでした。)
2004年07月12日
自治体職員のキャリアデザインを考える日記(8)
■自治体職員と「評価」(1)
皆さん
千葉県の戸崎です。
さて今回からは、今後の自治体職員の仕事のあり方を考えていく上で
避けることのできない「評価」をテーマにしたいと思います。
よく「自治体職員は年功序列だから仕事をしない。成果主義にすべきだ。」
という言葉を聞くことがあります
確かに一日中新聞を読んでたり喫煙コーナーに入り浸っている
職員を目にすると「もっとキリキリ働け!!!」と思う気持ちには
大変共感するものがあります。
しかし、「成果主義」や「能力主義」にすればこの問題が解決するのでしょうか。
かえって他の大事な部分が損なわれることはないでしょうか。
そもそも、現在の人事制度は成果や能力に対する評価をしていないのでしょうか。
・評価には手間も時間もかかる。
明らかに一年間ろくに仕事もせずにだらだらと過ごしていた、という職員の
「成果」を評価することは比較的簡単なのかもしれません。よく言われる
「2:6:2」の下の2割を評価することになります。
しかし、上位2割と真中の6割の評価は難しいのではないでしょうか。
「上位2割は評価しやすい」と言われることが多いですが、そもそも
その年度における「高業績」ということが明確になっていない中で
「上位2割」と「その他6割」を峻別するものがあるのでしょうか。
おそらく全く不可能ではないのだと思います。手間と時間をかければ
ある程度「客観的な」評価を行うことはできるかもしれません。
しかし、そうやって得ることができた評価情報にどれほどの価値があるでしょうか。
現在の仕事のやり方をそのままにして、評価だけを精緻に行うことは
本末転倒ではないかと思うのです。
・短期間の評価vs長期間の評価
では、評価を全くしなくても良いのでしょうか。そして、精緻な評価の
代わりになるものは何でしょうか。
それは「時間」ではないかと思います。
「1人の評価者によって1年間の成果と能力を精緻に測る」代わりに、
「複数の評価者による複数年の成果と能力の評価を積み重ねる」という
方法です。これによって評価者による評価のブレを修正していく
ことができるのではないかと思われます。
しかし、この方法には「時間がかかる」という弱点があり、
環境変化の小さい時代には、蓄積されてきた過去の評価情報を
有効に使うことができますが、環境変化の大きい時代、例えばまるっきり
新規の事業を行おうとしたときには過去の情報はあまり役に立ちません。
要は、短期間の評価と長期間の評価をどのバランスで用いるかは
環境に合わせる必要があるということではないかと思います。
ということで、次回は「評価が行動を歪める?」について書く予定です。
2004年07月19日
自治体職員のキャリアデザインを考える日記(9)
今週は月曜日が休みだったりしたもので日記の曜日を間違えてしまった戸崎です。
この連休は、土曜日に行政経営フォーラムの例会があり、実質的に「日月」の
2連休だったもので、すっかり曜日を間違えてしまいました。
さらに、引越の準備で家中ひっくり返したりしていたもので更新が遅くなりました。
もうしわけございません。
さて、先週は自治体職員の「評価」について考えよう、ということでしたが、
今回は、「評価が行動を歪める?」ということについてです。
もちろん、評価は必要なことですが、上手く使わないと却って逆効果になりかねません。
一つの例ですが、旧ソ連に釘を造る国営工場があり、「毎年○○トンの釘を造ること」が
ノルマになっていました。このノルマを達成しないと工場長は左遷されることになります。
そこで、このノルマを達成するために、その工場では1本が1トンある巨大な釘が製造されていたそうです。
同様な話として「1枚が何十平米もあるガラスを製造していた」等の話があります。
この話は極端な例ですが、「評価が行動を歪める」ということを最も分かりやすく
説明しているエピソードだと思います。
「1本が1トンもある巨大な釘!」
皆さんは「そんな馬鹿な話と一緒にするな」とお思いになるかもしれません。
しかし、新聞などで報道されているように、徴収率を高く見せかけるために
面倒な滞納案件を特別な内規で時効にしてしまうなど、私たち自治体職員の行動も
旧ソ連の国営工場並に歪んだものなのです。
では、なぜ上手く評価することができないのでしょうか。
私は、一つには自治体職員の活動の多次元性があるものと考えています。
民間企業であれば、社員に対して「この数字だけは目に見える結果を上げて欲しい」という
数字をある程度絞り込めると思います。
もちろん、1つに絞りこめるほど単純ではないかと思いますが
売上高だったり成約件数だったり、「これは」という数字を評価の中心にしている企業は
少なくないと思います。
(グラフを張り出している企業も多いですよね。)
一方で、自治体職員の活動は何の数字をキーにすれば良いのでしょうか。
単に一つの指標を上げれば良い、というものではないケースがほとんどです。
(だからこそ行政の仕事になっている、ということもできるのですが。)
つまり、自治体職員の活動の多くは多次元にわたり、同時に複数の目的を達成することを
要求されているのです。
達成すべき目的が複数ある場合、どれか一つの目的だけを強調して、
給与や左遷などのインセンティブと結び付けてしまうと、行動を歪めてしまいます。
最初の旧ソ連の国営向上の例で言えば、「製造量」だけに強いインセンティブを結び付けてしまったために
同時に達成すべきだった「品質」への努力を引出すことができなかったのです。
そこで、複数の目標に同じように努力を引出したいときには、それぞれに用いるインセンティブを
同じレベルに設定しなければなりません。
(これは「均等報酬原理」と呼ばれています。)
ここに、自治体職員に成果に応じた報酬を用いる際の難しい問題があります。
つまり、同時に達成すべき目的が多数ある場合には、それらの目的のうち、一番弱いインセンティブに
他の目的のための行動も合わせなければならない点です。
結果として、自治体職員に用いられるインセンティブは弱いレベルに統一、
つまり「やってもやらなくてももらえる給料は同じ」というレベルに統一されてしまうのです。
では、どうすれば上手に強いインセンティブを用いることができるのでしょうか。
一つの方法として考えられるのは、特定のミッションに特化した出来高制の契約、
もっと言えば特定のミッションについてのアウトソーシングが考えられます。
全ての業務をこうすれば上手くいく、というものではありませんが、
このような形での「アンバンドリング」によって上手く評価を用いることができるのではないかと考えます。
来週は「何で自治体職員の仕事って複数の目的があるのよ?」について書くかもしれません。
2004年07月26日
自治体職員のキャリアデザインを考える日記(10)
この週末に引越をしてADSLが開通するまで2週間かかると言われて途方にくれている戸崎です。
しかも頼みの綱のPHSはなんだか急に電源が入らなくなってしまいました。
今日の午後にNTTが開通すると何とか社会との接点を持てるようになります。
俗に言う「ネット中毒」の禁断症状なのか、メールが読めない環境にあるっていうのは
とっても不便です。
さて、先週は評価することが自治体職員の行動を歪めることについて書きました。
自治体職員には同時に達成すべき複数の目的があるので、どれか特定の目的に
関してだけ強いインセンティブを結びつけると、他の目的に振り向けるはずの努力を
特定の努力に集中してしまう弊害が出ます。これを防ぐためには、どの目的に関する
行動にも同じくらいの強さのインセンティブを結び付けなくてはなりません。
(これを「均等報酬原理」と言います。)
そして、複数ある行動の中に、成果が目に見えにくい行動、つまり強いインセンティブを
結びつけにくい行動(曖昧さ)が含まれている場合、その他の行動についても同じ強さの
インセンティブを用いなければならなくなります。
結果として、自治体職員の場合は、「どの目的のための行動にも弱いインセンティブしか
用いていない=やってもやらなくても同じ」という方式になってしまうのです。
流れ星さんからご指名をいただいてしまった「自治体職員の仕事にどうやって