careerdesign @Wiki 自治体職員のキャリアデザインを考える日記(21-30)

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2004年10月11日

自治体職員のキャリアデザインを考える日記(21)


■協働とキャリアデザイン

おはようございます。こんにちは。
 「民の時代」ということで、自治体における最近の花形部門は、昔の計画や予算担当部門から、民との協働を担当する部門に流行が変わってきています。

 具体的には、NPOとの協働、コミュニティビジネス、コミュニティの再生、起業支援、等の分野は近年になって一躍脚光を浴びてきた分野と言うことができます。
 しかし、これら「民との協働」に当たっては、自治体職員が公務員であるが故の壁に直面することになります。

 それは、どれほどの熱意を持っていても越えがたい、リスクを負って人生をかけて取り組む起業家達と、雇用と生活が保証され人事異動があれば(少なくともオフィシャルな)関わりのなくなる公務員との間の深く広い立場の断絶です。

 これは本人の熱意の問題ではありません。もちろん多くの自治体職員が大変な熱意を持って、余りあるほど感情移入しながら職務に当たっています。しかし、むしろ熱意があればあるほど、自分は安全な立場にいたまま他人の人生にリスクを背負い込ませることになってしまいます。
 そして、本人が異動してしまえば何の権限もありません。「力にはなれないけど応援しているよ。」といくら言われても何の足しにもなりません。
 挙句には、「私を異動させたことが原因だ」と言い出すくらいのことしかできません。口車に乗せられた方は、人生かけて飛び込んだところで梯子を外されて残るのは借金だけです。

 まるで、虚言を弄して未開の土地に移民を送り込む人買いの姿に似てはいないでしょうか。自分が見てきたわけでもないのに「すばらしい土地だよ。」と言ってそれまでの生活基盤を捨ててリスクの中に飛び込ませるのです。
行き先が不毛の土地であることを人買い本人が知っていて騙しているのならばまだ救いがあります。騙された方が迂闊だからです。
しかし、性質が悪いのは、現地を見てもいないのに良い話だけを信じ込み、熱意を持って説得している人買いです。情に絆されて船に乗り込んだところで着いたところは原野だけ、でも人買いは「さぞすばらしい土地でしょう。羨ましいです。」と手紙を送ってきます。

 だから、どんなに熱意を振り回されたところで、自らがリスクを負わない人の言葉は信用できません。
 単なる営利事業であれば、事業に着手するかどうかは起業家としての経営判断ですが、社会的な目的を強く帯びた事業であればあるほど、梯子を外されたときの衝撃、お役人の無責任さが際立つことになります。


 では、どうすればいいのでしょうか。

 一つの考えは、自らリスクをとってきた人間が自治体の担当者として、役に当たる方法です。定年まで勤める公務員ではなく、一定の期間、期限付きの公務員として協働の担当者になる、という方法が考えられます。実際にリスクをとり、時には失敗を重ねてきた起業家の言葉は重く説得力のあるものになります。また、公務員になる代わりに仲介者としての役割を依頼するという方法もあります。

 もう一つの方法は、自治体職員自身がリスクをとって人生をかけてみる方法です。
 自分は安全ベルトをつけたまま、人をリスクのある場所まで連れて行こうとしても、信用してはもらえません。
 それならまず自分が船に乗ったらいいのです。自分もリスクを背負って船に乗り込み現地に生活すればいいのです。そうでなければ責任を持って新しい土地を勧めることができません。

 行政が社会の貢献できることは、単なる事業の実施や法令の運用だけではないはずです。民間企業で言えばソニーやリクルートのように人材を輩出することで社会に貢献することもできるはずです。現場での長い経験を積んだ自治体職員が、若いアントレプレナー達に身をもって現場の大切さ、人の心の機微を、一緒に汗を流しながら伝えることができればこれほど心強いものはないのではないかと考えます。企業では長い経験を積んだ技能者が、その経験を買われて海外で活躍するというケースが増えていますが、同様に、行政の現場で積んできた経験を社会のために活かすことができるのです。
 そして、自分の仕事についてまだ自信が持てない若い自治体職員にとっても、経験の上に胡坐をかくのでなく、培ってきた豊かな経験を携えて新天地に飛び込んでいく先輩達の姿は大きな希望とやる気を与えてくれるものだと思います。

 もちろん社会保障関係の制度整備は必要とは思いますが、制度があるからパイオニアが現れるのではなく、パイオニアが道を切り開いたあとに制度ができるものです。深い経験と勇気を併せ持ったパイオニアの出現が望まれます。


戸崎将宏
tozakimasahiro@yahoo.co.jp


2004年10月18日

自治体職員のキャリアデザインを考える日記(22)


■「評価」と「評判」

おはようございます。こんにちは。
自治体職員有志の会のメーリングリストは、もともと「キャリアデザイン」をテーマにした集まりだけあって、人事・研修の担当者が多く参加しています。

 最近、公務員制度改革法案の動きも怪しげな感じにはなっていますが、このメーリングリストでは職員の「評価」は最大のテーマ、そして一番盛り上がるテーマの一つです。
 技術的には様々な評価方法が開発されていますし、時間と手間とお金をかければそれなりの評価方法はありうるとは思います。また、まったく評価のない人事というのは当然ありえないとは思います。
 しかし、それでもまだ「評価」という言葉には、図らずも過剰な期待を集めすぎているのではないか、という気がしてなりません。それは「人間を測定する」という言葉から、どこかに神様か水戸黄門がいて、ちゃんと全部見ていてくれる、という構図を想像してしまう私に問題があるのかもしれませんが・・・。

 例えば、給与は科学的な人事評価に基づいて公正に決められるべき、とか、幹部職員の任用は庁内庁外を問わず広い候補者の中から公正な人事評価に基づいて行うべき、などの意見に対し、もっともだとは思うもののどうも納得できません。


 世代によってはご存知でない方もたくさんいらっしゃると思いますが、「ドラゴンボール」に出てくる「スカウター」ってあったじゃないですか。片目ゴーグルみたいなやつで、相手の強さを測定できる機械です。どうも「スカウター」のように生身の人間も測定できると誤解されている人が世間には相当数いらっしゃるんじゃないかと心配してしまいます。ドラゴンボールならば実際に戦わせてみれば白黒がはっきりつきますからそれほど問題はありませんが、自治体職員の場合はどうすればいいのでしょうか。まさか幹部職員選考委員会が主催する面接に参加したら審査員がみな「スカウター」をつけていた、というわけには行かないですよね。


 では、評価はやるだけ無駄なんでしょうか。私はそうは思いません。評価は不可欠です。しかし、どんなに精緻に行ったとしても、その評価はある一時点にある一面を切り取ったものに過ぎません。そして、それを補うものは「評判」ではないかと考えます。
 「評判」は一朝一夕には形成されません。そして、特定の人だけではコントロールできないものです。もちろん、既存の組織の価値観を強く反映したバイアスもかかります。しかし、評価が長年積み重なったものこそが評判の大きな要素を占めているのではないかと思います。
 その意味では、岩手県滝沢村が行った職員の投票による課長選出などは評判のメカニズムを重視した試みではないかと考えられます。

 また、市場経済において「評判」は欠かすことのできない判断材料です。Yahooオークションでは出品者の評判は重要な判断材料になりますし、多くの市場における「ブランド」を構成する大きな要素でもあります。

 こういった視点で考えていくと、自治体職員の人材市場では、内部労働市場では極端に「評判」が重視されている一方で、外部労働市場では「評判」がまったく積み上がっていない状況ではないかと考えられます。そのため、前述の幹部職員の任用の話に戻れば、外部から職員を採用するという行為には、「評判」という判断材料の無いまま、スポット的な評価を元に自治体の重要な経営ポストを丸投げしてしまうという危険があります。これは、事後的な評価を精緻化するだけでは解決しません。

(ただし、その後の「評判」を重要視する者であれば、事後的な評価結果も数年後の「評判」に反映されますので「評判」のメカニズムは働くと考えられます。)


戸崎将宏
tozakimasahiro@yahoo.co.jp


2004年10月25日

自治体職員のキャリアデザインを考える日記(23)


■自治体職員には「リボルビングドア」はあるのか?

おはようございます。こんにちは。
まもなく、米国の大統領選挙がありますので、今回は政治任用の話にしてみます。

というのも、政策コンサルタント・ジャーナリストの横江公美さんの『第五の権力 アメリカのシンクタンク』(文春新書)http://books.rakuten.co.jp/RBOOKS/0001701655/を読ませていただく機会があり、アメリカの政策市場を支えるシンクタンクの存在に思いをはせながら、「じゃあ自治体プロ職員って何よ?」と思ってしまったからです。(一気に読んでしまいました。ぜひ読んでみてください。)

アメリカの場合は、政権交代に伴い3種類の政治任用が行われるということです。1つは、大統領が直接指名し上院の同意が必要な800近いPAS(Presidential Appointment with SeneteConfirmation)、2つ目はこれらの下に属する上院の同意は必要としない約4000のポスト(ただし全役人の10%以内)、3つ目はホワイトハウスのスタッフなど上院の同意が必要ないPA(Presidential Appointment)(以上上掲書より)。

そして、政権交代に伴い大量の政府スタッフがシンクタンクなどに転職することになります。これが「回転扉」と呼ばれる所以です。

まあ、この本の場合は連邦政府の話が中心なので、就職先は基本的に1つですが、自治体ということであれば全国に無数にあるわけですから、渡り鳥という選択肢も考えれば必ずしも回転扉にならないのかもしれませんが、「政策のプロ」というものを考えたときには、こういうスタイルはありうる方向の一つなのではないかと考えます。

では、セイゴが成長するとフッコやスズキになるように、自治体職員が日々の仕事を一生懸命精進すると『自治体プロ職員』になれるのでしょうか? それとも、民間企業で育ってきた優秀な人材を引き抜いて幹部の椅子に据えれば彼らが『自治体プロ職員』になるのでしょうか? アメリカのように政策エリートからなるシンクタンクが日本にもできるのでしょうか?

こう考え出すと、『自治体プロ職員』という言葉は、単なる小役人の意識改革や人事制度の変革ではなく、日本の社会システム全体の変革の中の一現象を表すのではないか、と思われます。そして、日本の社会システムの変革の方向が、米国とまったく同じにはならないだろうことを考え合わせると、日本オリジナルの『自治体プロ職員』が生まれてくるのではないか、と考えられます。


戸崎将宏
tozakimasahiro@yahoo.co.jp


2004年11月01日

自治体職員のキャリアデザインを考える日記(24)


■こんな上司が欲しい?

みなさんこんばんは。

 先週金曜日夜に「こんな上司が欲しい」というテーマでオフサイトミーティングを開催しました。

 こういうテーマだと「一言文句を言ってやろう」という職員が言いたい放題に集まって収拾が付かなくなるぞ、といろいろな人から脅かされましたが、15人程度でかなり前向きな話ができたと思います。

 上司に対して不満はあっても、いつか自分も同じ立場になるかもしれない、という想像力が働くのは、「自分の肩書きや立場を外す」というオフサイトミーティングだからこそではないでしょうか

 一番盛り上がったのは、「上司はどこまで部下の責任を取るのか」という話題でした。
 ある人は、「課長になる以上は、私は知りませんでした、ではすまない。自分の知らなかったことも含めて部下のやったことに対する責任を取るつもりがないんだったらそんなやつは課長になる資格はない。」という話を聞いて感激したそうです。一方で、「自分が同じ立場になったとき、正直な話し、そこまで覚悟を決められるだろうか。」という意見も出ました。

 また、自分のお手本となる上司を見つけることの大切さを上司から聞かされた、という話も盛り上がりました。はたして自分はそういう上司を見つけることができるだろうか、ということは、特に30代くらいの職員にとっては大切な話しのようでした。

 そして、女性職員にとって上司になるための訓練や経験の機会が少ないということも話題に上りました。これまで補助的な仕事しかさせてもらえなかったのに、急に部下を持たされて自分が上司としてやっていけるだろうか、という不安、そして、自分の後ろで扉が開くのを待っている優秀な後輩たちのためにも「女性だから」というプレッシャーに負けてしまうわけにはいかない、という話も出ました。

 同様に、30代の中堅職員からは、自分たちが入った時には、30台半ばの先輩は主任や係長として部下を持ち責任のある仕事をしていたのに、いざ自分がその年齢になってもいつまでも末席のままで後輩なんか持ったことがない、当時の係長がいまだに同じような仕事をしている、という意見が出ました。


 こういう話を私が書くと、「シナリオが用意してあったんじゃないか」とか「誘導する資料が配られたんじゃないか」と思われる方もいるかもしれませんが、今回も私はひたすら記録に徹していて、進行役の人(「世話人」といいます。)とも自己紹介にかける時間の配分くらいしか打ち合わせしないブッツケで開催しました。
 出た意見に理論的な注釈を後付けすることはいくらでもできますが、「こういうことをみんな考えているんだなあ」ということに心強く感じています。

戸崎将宏
tozakimasahiro@yahoo.co.jp
(webメールなので毎日見てません。ごめんなさい。)


2004年11月08日

自治体職員のキャリアデザインを考える日記(25)


■地域の島影を示すリーダー

みなさん、こんばんは

先週金曜日、11月5日に仙台オフ会に参加してきました。
北は札幌から南は長崎まで全国から40人の仲間たちが集まり大盛況でした。

私が今回特に感銘を受けたのは、浅野宮城県知事の「島影」のお話でした。
障害者施設の「解体宣言」を出すに当たり、県の担当課長と激しく議論したなかで、組織として「宣言」を出すことは難しいという課長に対して、地域が目指していく姿、つまり目指す「島影」として「解体宣言」を出すんだ、と知事は語りました。公務員である課長の立場としては、来年の予算、数年間の計画をどうするのか、という目前の問題があるのですが、知事は単なる行政組織の長ではない、地域の進むべき道を示していくリーダーとしての役目がある、というお話でした。

もちろん、遠くの島影を目指そうと思えば、目の前には荒れる高い波があり大きな岩もある。それでも、100年かかってもどんな島影を目指すのかを示さなければ進んでいくことができない、と。


私は、この話を聞いて真っ先に思い出したのは、金井壽宏先生の著書に紹介されていたピレネー遭難者が持っていたアルプスの地図の話です。これは、ピレネー山脈で遭難したハンガリー軍の一行が隊長の持っていた一枚の地図を頼りに一週間後に無事ふもとに戻ることができた。しかしその地図はピレネーの地図ではなくアルプスの地図だった、というものです。

地図が持つ大切な力は、情報の絶対的な正確さではなく、地図があることでグループメンバーがそれぞれの中に同じビジョンを共有することができること、一つの同じ方向を向くことです。仮に地図が正確でなかったとしても、皆が同じ問題に直面していることを認識することができれば、解決への道は遠くはないのではないかと思います。

そして、浅野知事が示そうとしている「島影」こそピレネー遭難者にとっての地図の役割を果たそうとしているのではないかと考えます。もちろん、知事の示している島影がまったく見当外れの方向を向いているというわけではないと思いますが、完璧な方向性でなかったとしても「こっちを目指そう」という地図を示すことが地域のリーダーにとって重要なことなのではないかということです。


私たち自治体職員は、首長に対して自治体という組織のリーダーたることを求めてしまいがちですが、首長は地域のリーダーであり、自治体職員は首長の描く「地図」を実現するために仕事をしているということを忘れずにいたいと思います。


戸崎将宏
tozakimasahiro@yahoo.co.jp


2004年11月15日

自治体職員のキャリアデザインを考える日記(26)


■「社会主義経済的」人事と「市場メカニズム的」人事システム

おはようございます。こんにちは。

今日は日本経団連出版の『社内公募FA制度事例集:自律人材を生かす11社の仕組み』を読みました。
自分のキャリアを自分でデザインするうえで、求人の仕組み(社内公募)と求職の仕組み(FAや異動希望申告)は必要不可欠だと感じました。
極端な例ではアメリカンエキスプレスのジョブポスティング制度のように「ポストが空いたら(外部も含めて)公募する」という制度に行き着くのだと思いますが、外部労働市場が整備されていない日本における折衷案のように感じました。

重要な点としては、多くの企業での公募・FA制度が「成果主義的賃金」などの人事制度改革と同時に導入されている点です。消極的な理由としては、「成果で判断される以上は自分の能力を活かせる仕事に就ける方法を確保する」という理由もあるのですが、社内における人材市場でやり取りされる以上、そのための業績や能力の情報が必要になる、という方向で考えることもできると思います。

これらは、制度上は似たものになりますが、前者が「中央(多くの場合は人事部)」で集権的に「成果」に関する情報を管理することを志向しているのに対し、後者は人材市場を機能させるための情報として「成果」に関する情報がやり取りされることになります。いわば「社会主義的」な人事システムと「市場メカニズム的」な人事システムとの違いです。

行政評価ブームのときにも同じ傾向がありましたが、「まじめな行政マン」は客観的な評価を行えば最適な人員配置ができるはず、という方向に向かいがちです。しかし、現実には様々な次元の活動を行っている職員を客観的に評価して比較することなど(コスト的な理由を含め)不可能です。むしろ、「現場に必要な人材を選ぶことができるのは現場(選んだことに対する責任を含め)」という市場メカニズムを中心に据え、それをサポートする情報として業績や能力に関する情報がやり取りされる方が自然ではないかと考えます。



余談ですが、今月の『経済セミナー』に掲載されていた帝塚山大学の熊谷礼子助教授の「成果主義賃金はうまく機能するか?」はインセンティブや情報などの経済学的観点からの人事制度分析の主要な論点をコンパクトにまとめてあって非常によかったです。ぜひ書店か図書館で手にとってみて下さい。参考文献のスペースの関係で直接の論文は紹介されていませんが、『組織の経済学』と『インセンティブ設計の経済学』を経由すれば各トピックの元になっている論文にたどり着けると思います。


戸崎将宏
tozakimasahiro@yahoo.co.jp
(あまり頻繁にチェックしてないのでお返事が遅くなったらごめんなさい。)


2004年11月22日

自治体職員のキャリアデザインを考える日記(27)


■人事は所詮ヒトゴト。

おはようございます。こんにちは。

先週の日記では、日本の人事制度が「社会主義経済」的なままで成果主義を導入しても、計画経済の担い手である「党中央」の権限を強化するだけになる、という話をしました。
F2の成果主義本のような話が出る元凶も、ラインの管理者に人事権がないのに、人事評価の仕組みだけを「グローバルスタンダード」に合わせようとしたからではないかと考えられます。

では、自治体のラインの管理者は自分が人事権を持つことを望んでいるのでしょうか。
想像してみてください。ある新規事業の立ち上げに際して、手持ちの人材で足りなければ課長や部長が求人広告を出して自分達が面接をして採用をします。懸案事項を解決した職員には自分達の責任で成功報酬を与えることができます。その代わり、組織のパフォーマンスを下げている職員に対しては、給与ダウンまたは解雇を言い渡します。職員一人ひとりの人事評価を行い、フィードバックをして給与に反映させます。
ちょっと考えただけでもラインの管理者になるのが億劫になるような話ばかりです。このくらいの仕事と責任を負ってもらえるのならば一般職員の倍の給料もらっていても納得のいくような仕事振りですね。
しかし、おそらくこれらの仕事をしたいと思っているラインの管理者は少ないのではないかと思います。

「社会主義経済」的人事制度に慣れきってしまっている自治体職員にとって、「人事」は自分達が責任を持ってかかわることではなく「当局」が振るう采配に一喜一憂するものになってしまっているのではないかと思います。

日本人の好きな時代劇に「水戸黄門」があるわけなんですが、社会の捉え方において水戸黄門は深く深く染み付いているのではないでしょうか。「水戸黄門」なんで年寄り臭い時代劇なんか俺は見ないよ、笑っちゃうね、という人も多いとは思いますが、特に「物言えば唇寒し」の自治体職員なんて水戸黄門に出てくる庶民役を現代も実践し続けているわけです。そうすると自分の責任において物事を解決するなんてことは全くできなくなってしまっていて、「困ったときには黄門様が悪代官を成敗してくれる」という期待を胸に抱いてしまったりするわけです。
有志の会なんかで紹介される他所の首長さんの活躍なんかを見ていると、「こんな人がうちの自治体の首長だったら、上の方にはびこる幹部層(この人の頭の中では悪代官の顔とかぶってます。間違いない)を一掃してくれて俺もバリバリ活躍できるのになぁ」と夢を描いたりするかもしれません。はっきり言いましょう。それは無理です。仮に横滑りで理想の首長さんがあなたの自治体にやってきても黄門さま頼りの改革は上手くいくはずがありません。バリバリ活躍する代わりにあなたが足を引っ張ることになるでしょう。

では黄門様を待つ代わりにどうすればいいのでしょうか。
それは自分が「スーパーの女」になるしかありません。
自分からやってみようとすることができなければ誰も代わりにはやってくれないのです。

戸崎将宏
tozakimasahiro@yahoo.co.jp


2004年11月29日

自治体職員のキャリアデザインを考える日記(28)


■「役所というおかしな場所で生きる術」

おはようございます。こんにちは。

今年度も3分の2が終わろうとしています。そろそろ皆さん年度末が近づくにつれ残業も増えているころではないでしょうか。

Asahi.comに「できる人から「お先に失礼」 カエリーマンの仕事術」というアエラの記事が紹介されていました。
ここで紹介されている柴田秀寿さんの、
・朝早く出社してその日の仕事の段取りを組み立てる。
・用件は会議ではなくキーマンと直接やり取りする。資料は作らない。
・昼食は極力違う人ととる。
・人脈は飲み会ではなく朝食会で(朝都合が付かない人は少ない。)。
などの話にはうなづけるところが多いです。

朝の1時間は夜の2~3時間分の頭の回転とともに、午前中の3時間でいろいろな調整・交渉ごとを進めるための作戦タイムとして有効に活用できます。大雑把に言って、午前の9時~12時の3時間と、午後の1時~5時までの4時間では能率は約2倍、つまり「午前:午後=6:4」くらいの仕事のはかどりの差があるように感じます。ついでに、夜9時くらいまでは疲れに伴い能率は落ちる一方ですが、9時10時になると切りのいいところまで片付けたくなるのと「疲れハイ」でまたいったん作業スピードが上がります。これが12時1時になると「小人さん」(「究極超人あ~る」より)が作業を手伝ってくれるようになり、精度がガクンと落ちます。長時間の残業はいいことがありません。

また、職場でのミーティングも朝、コーヒーでも飲みながらやると、都合の付かない人はほとんどいません。昼間は電話や来客で集中が途切れることが多いので職場の人の時間をもらうには朝が一番有利だと実感してます。

お昼も毎週1~2回は庁内の人とお弁当を持ち寄ってランチミーティングをしています。飲み会で情報を取ろうとすると日程調整や体力の消耗など犠牲が大きくなりますが、お弁当なら気楽に集まることができます(ちなみに今日は「新米パパママ会」でした。)。

柴田さんの著書の『会社というおかしな場所で生きる術』は自治体職員にとってもそのまま役に立ち、しかも今すぐ実行できることがたくさん書かれています。ぜひぜひ読んでみてください。


残業をしないで定時に帰るという仕事のやり方は、それまで8時9時まで残業して翌朝上司に見せる資料を作っていたのが、夕方5時までにタイムリーな資料・情報を上司に提供できるようになるので、上司にとっても実益としてはプラスになるものです(忠誠心が足りないので気に食わん、という気持ちは別として)。

そして、本人にとっても、人間らしい生活を送るための大きなチャンスになります(早く帰ってもやることも居場所もないから残業する、という寂しい人も相当いると思いますが。)。

日本中の公務員が、今の3割増のアウトプットを出すとか、明日から3割の首を切るとかは現実味がありませんが、仕事のやり方を変えてアウトプットを落とさずに残業の時間を無くす、ということはできるんじゃないかと妄想しています。1割減らすとかでは仕事のやり方は変わりません。0にするんです。そのためには、イノベーションが不可欠になります。職員の生活も変わるし、仕事も速くなります。誰も困りません。成果も目に見えます。「公務能率向上」とかのお題目に心底共感して自分を変えてやろう、と思う人はいるはずもないですが、残業が無くなって自分の生活が変わり、しかも仕事の質は向上する、という目に見えるビジョンがあれば自分を変えられるんではないかと思います。


戸崎将宏
tozakimasahiro@yahoo.co.jp
(webメールはたまにしかチェックしてないのでお返事が遅れたらすみません。)


2004年12月06日

自治体職員のキャリアデザインを考える日記(29)


■三位一体改革とインセンティブ問題

おはようございます。こんにちは。

先週は、土居丈朗氏の『三位一体改革 ここが問題だ』が届いたので、子守をしながら一気に読んでしまいました。この本は、3月に出た『地方分権改革の経済学』をベースに一般向け啓発本として出たものですが、地方税、地方交付税、国庫補助負担金の「三位一体改革」に地方債を合わせた「四位一体」改革を提言しています。

また、『三位一体改革~』のベースとして、昨年出版された『地方交付税の経済学』(赤井伸郎、佐藤主光、山下耕治)も併せてお勧めです。こちらも『地方分権改革の~』と重複するメンバーで執筆されています。

これらの内容自体は直接には日記のテーマに関係ないのですが、アプローチの方法に共通する点があります(というよりも、別のMLで勉強させていただいている皆さんなのですが・・・)。それは、「あるべき論」の議論ではなく「である論」の議論だという点です。

大学で学ぶ財政学のアプローチの多くは、「制度はどうなっているか」「どうあるべきか」というものが中心となっています。特に公務員試験を受験してきた人たちにとっては財政学は既存の制度を理解する暗記科目的な傾向があったと思います。また、自治体で財政に関する仕事をしてきた人たちにとっては、現在の制度は所与のものであり、その使い方を見よう見まねで覚えていったというところではないかと思います(これも一つの「現場感覚」でしょうか。アムロがマニュアルめくりながらガンダム動かしているようなもんですね。)。

しかし、重要なのは、その制度があることが、府省や自治体などの個々の主体のとる行動にどのような影響を与えているか、という視点が欠けていたのではないかということです。「あるべき論」による議論は、正当性や筋、言い訳を考えるための仕事には大変重宝しますが、それは単に役人の屁理屈比べのための道具として使われる機会の方が多いように感じます。そして、そのような思考回路を鍛えてきた役人たちが説く改革も、単に新たなお題目を引っ張ってきた「あるべき論比べ」になってしまっているのではないかと思います。
例えば、「NPMによる改革を進めるべきである。」「政策評価によって行政を客観的に評価すべきである。」「現場主義の原点に立ち返った行政を行うべきである。」というシュプレヒコールは、個別に見ていけばごもっともではあるのですが、なぜそれが必要なのか、という議論が共有されていなければ単に新しいお題目を担いだだけの権力闘争に過ぎません。役人はお題目を担ぎ出して祭り上げるのが大好きですから。

そして、役人のお題目好きはもちろん財政分野だけに限りません。人事の世界でも「これからの自治体職員は成果主義による評価が必要だ」というお題目が先行しがちになります。しかし、「なぜ現在の制度では公務員はほどほどにしか仕事をしないのか。」「成果主義に基づいた制度がどのように公務員の行動を変えるのか。」という議論が共有されていなければ、単に新しいお題目を担ぎ出した「改革派」の役人の口先に踊らされるだけに終わってしまいます。深い議論がベースに無ければ、どんなにラディカルな制度改革を行ったところで、必ず形骸化します。水が低いところを探し出して流れていくように、抜け道を探し出し楽な方に流れ落ちていきます。

財政問題でも人事制度の問題でも、役人が「~すべきである」ということを言い出したら要注意です。長年の役人生活で体得した「お題目持ち出し能力」だけでものを言っている可能性があります。必ず「なぜ」を問うようにしましょう。「○○先生がおっしゃっているから」「○○県(○○国)でもそうしているから」しか出てこなかったらさらに重ねて「なぜ」を問いましょう。その役人が中身を理解して言っているのか、(たとえ良心や正義感に基づいていたとしても)自分に都合のよいお題目を担ぎ出してきたのかが分かると思います。


戸崎将宏
tozakimasahiro@yahoo.co.jp

(一段メタに見れば「『である論』で考えるべき」がお題目に過ぎないという見方もありますが・・・(←予防線(^^;)


2004年12月13日

自治体職員のキャリアデザインを考える日記(30)


■アメリカの地方自治

おはようございます。こんにちは。

今週は、同期の友人から借りた小滝敏之『アメリカの地方自治』を読みました。

サニーベールやインディアナポリスなど、個別の事例を読む機会は多いのですが、アメリカの地方自治制度を体系的に整理してあり、大変読みやすかったと感じました。
アメリカの地方自治制度に関しては、3年ほど前にJaredClark氏が結婚式で来日されたときに講演された『米国自治体の行政経営と行政評価』を聞く機会があり、漠然としたイメージしか持っていませんでした。6月にニセコ町の逢坂町長のお話しを聞いたときに、民主主義の話に多く時間を割いておられていましたが、今回この本を読んで、タウンやタウンシップ、自治体成立の経緯などを知ることで、逢坂町長がお話された内容を一歩理解できたのではないかと思います。


戸崎将宏
tozakimasahiro@yahoo.co.jp