careerdesign @Wiki 自治体職員奮闘記 ~新人時代を振り返って~


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自治体職員奮闘記 ~新人時代を振り返って~


2004年05月28日

自治体職員奮闘記 ~新人時代を振り返って~


毎週金曜日を担当することになりました長崎県国見町の藤井です。自治体職員になって、今年で9年目を迎えます。
私の原点が、新人時代のころに表れているので、ちょっとだけみなさんにご紹介したいと思い、このタイトルにしました。
とりあえず、4回で終了と、控えめ!?に設定していますので、しばらくお付き合いくださいませ。

○自治体職員1年生(上)
 採用試験の面接のときに、教育行政に携わりたいと言っていた希望が叶い、私は教育委員会学校教育係に配属されるという辞令をいただきました。
(実は、お恥ずかしながら教育行政しか知らなかったのです。それまで、何をするところか全くの無知でした。役場との接点は、唯一中学生のころ、部活で九州大会出場の際に挨拶に行った、という記憶のみでした。今考えると、補助金をもらっていたのでしょうね。)
 しかしながら、直属の上司がいないという新人にしては特殊な環境に置かれているということに気づいたのは、1週間経ったぐらいでしたか・・・。
 私に色々と教えてくださっている方が上司だと思っていたのですが、その方から、「僕は君の上司じゃないから、自分でやってね。県は新人が3ヶ月ぐらいで、県下の市町村に説明するんだから、君もそうなるように頑張ってね」というようなことを言われ、「エーッ」とビックリしたのを覚えています。でも、よく考えてみると係名が違ったので、気づいてよさそうなのですが・・・。

 教科書事務、就学援助補助金、幼稚園就園奨励費補助金、就学一般事務等、何とかこなしていきましたが、今でも忘れられないとても印象深い仕事との出会いがありました。
 ちょうどその時、庁内の新人研修で、自由テーマで論文を書くよう課題が与えられていたので、その仕事に対して書こうと決めていました。テーマは、「特殊教育と就学相談体制の現状~これからの障害児教育を考える~」。
 「はじめに」に、すべて集約されているので紹介します。
「社会人となった4月、教育委員会の学校教育係という仕事が待っていた.一口に学校教育係の仕事といっても様々なものがあるが、自分にとって一番苦しく、しかし、これほどやりがいがあり勉強になった仕事は他にないというのが、障害児の就学相談であった。この仕事に取り組んだ当初、訳もわからず保護者と会い、県の障害児巡回就学相談資料を作成し、巡回就学相談を保護者・子どもと共に受けた。そして、巡回就学相談の結果の受理。ここからが本当の意味での町独自の就学相談の始まりであった。しかしまた、ここからがとても険しい道のりであったように思う。障害児についての様々な偏見・無理解、保護者の苦悩、現教育制度の矛盾、このような問題を感じる中で、この論文に取り掛かった。就学相談体制のよりよき姿を模索し、特殊教育についてのささやかな問題提起ができればと思う。」

 さて、自分に何ができるのだろう・・・そんな自問自答の中で、無我夢中で取り組んだことを次週に!


2004年06月04日

自治体職員奮闘記~新人時代を振り返って~


 現在、金曜日を担当している長崎県国見町の藤井です。
 お恥ずかしながら、自分の新人時代のお話を紹介しています。

○自治体職員1年生 (下)
 そのころの教育委員会で私の置かれている状況は、国見町が誕生してから学校教育係が4人目ということで、仕事の相談ができる前任者はいない状況でした。
 また、教育委員会の雰囲気としては、学校現場は、専門職である先生に、役場の職員で構成されている教育委員会が指導はできない、教職であった教育長のみが指導できるというようなことが言葉の端々や会話で聞かれ、学校現場と教育委員会に距離を感じていました。
 もちろん、専門職という領域は尊重すべきだと思っていましたが、子どもの教育環境をより良いものにするためには、先生とのコミュニケーションや学校現場を知らずしては、何も始まらないと思っていたので、そんなことはあんまり気にせず、どんどん学校に出て行くようにしていました。

 さて、話は戻り前回の就学相談ですが、まず入学までの事務的な流れをざっと説明しますと(平成8年当時の状況です)、A)県の障害児巡回就学相談の実施、B)結果の受理と処理、C)学齢簿の作成、D)就学時健康診断の開催、E)就学指導員会の結果、F)教育委員会の就学決定、そして、G)保護者への入学通知書送付、という手順でした。
 
 私が、最初の壁にぶつかったのが、E)の就学指導委員会を開催することでした。その当時、長い間就学指導員会が開催されておらず、その当時の教育委員会内部や学識者からは、開催に後ろ向きな意見が多数でした。しかしながら、話を聞いてみると誤解があり、私は根気強く、就学指導委員会の必要性や開催しないことの問題点を説明しました。
 私は、就学指導委員会を開催することにより、就学時健康診断結果の傾向把握や学校での受け入れ体制整備、障害児への理解や連携、そして国見町での就学相談体制を強化できると思っていました。
 そうこうしているうちに、教育長から開催するということを告げられました。今考えると、教育長も学識者にご協力いただけるよう働きかけて下さっていたように思います。


 ☆次週は、保護者と子どもとの出会いをについて、ご紹介したいと思います。


2004年06月11日

自治体職員奮闘記~新人時代を振り返って~


 現在、金曜日を担当している長崎県国見町の藤井です。

 何とか、就学指導委員会開催にこぎつけましたが、障害児の就学については、まず障害の知識がないとどうにもなりません。
 はっきり言って、私は素人でした。大学時代に、特殊学級・養護学校の基礎知識ぐらいは学んだと記憶していますが、生きた知識には程遠いものでした。
 1年目は、訳もわからず、県の巡回就学相談に保護者と子どもさんと行き、子どもさんが、専門の先生(養護学校の先生が多いようでした)に診ていただいている状況や相談風景を見て、わからないことを後で、担当していただいた先生に思い切って質問をしていました。
どの先生も、とても熱心に教えてくださいました。資料を私に渡すために、車で30分かかるところから、わざわざ持ってきていただいたこともありました。
そういう方との出会いで、良い仕事ができたと感謝しています。
また、保護者との相談場面では、毎回涙する保護者や怒りをぶつけてくる保護者等、多くの出会いをしました。
そういったことを経験していく中で、もっと子どもたちと保護者に役に立てないかという気持ちが湧いていました。
 
○自治体職員 2年生
 ある日、回覧文書に目を通していると、「実践教育・心理検査基礎講座受講生募集」という文書に目が止まりました。というのも、就学相談にあたる際には、カウンセリング的な知識が常々必要だと思っていたので、行くことにしました。東京で3日間の日程のもので、もちろん自費で行きました。今、その当時を振り返ってみると、この自治体職員有志の会の設立趣旨にピッタリだよなって、思います。

 国見町にはその当時、特殊学級がありませんでした。一定程度重い障害に関しては、平成9年当時の法令では、特殊教育諸学校(いわゆる養護学校)の対象になっていました。それ以外については、特殊学級という選択もあります。保護者はもちろん地元での就学を希望されます。しかしながら、その当時の国見町では、特殊学級がないため、受け入れが難しい状況でした。そこで、学校との調整を行い、就学指導委員会の意見を聞き、特殊学級開設に向けて動き出しました。
 その際に問題になったのが、定数の問題です。8人という定数がその当時ありました。しかし、小学校の対象者は1人、中学校も1人という状況でした。県の担当者に相談すると、小学校には、県下で前例が1校、前の年にあるということで、何とかなるだろうという感触でした。しかしながら、中学校については、前例もなく難しい状況でした。
 その状況を教育長に相談すると、「県の教育庁に行くぞ」ということになりました。県の方も、国見町に特殊学級がないことと子どものことを第一に考慮していただいたのでしょう、県下で初めて、1人の生徒で中学校に特殊学級が誕生しました。
 これでやっと、国見町でも特殊教育を受けることができる環境が整ったと嬉しかったです。

 私には、苦い経験があります。車椅子の方が、踏切を渡ろうとされていて、見ていて大変そうでした。しかし、私は何もすることができず、大変そうだな・・・という感じで、どうしていいのかわからず、見守ることしかできなかった経験があります。その時、運送会社の車が止まり、ドライバーが車から降りてきて、その車椅子を押して、踏切を渡る助けを素早くされました。そのとき私は、何もできない自分を恥ずかしく思ったのと同時に、経験したことのない場面では、行動に結びつかないことに気づかされました。共生する必要性を感じたものです。その記憶が保護者との出会いで蘇り、原点になっていたように思います。


☆来週で最終回です。今回長くなってしまったので、最後まで読んでいただいた皆さま、ありがとうございました。


2004年06月18日

自治体職員奮闘記~新人時代を振り返って~


本日で最終回の長崎県国見町の藤井です。

前に進むことしか考えてこなかった私ですが、ときには自分を振り返るのもいいなと思い、書かせていただきました。
振り返ることは、自分にとって、有意義な時間を過ごすことができました。感謝の気持ちや変わってないなとか、いろんなことがクリアに見えてきます。
一見、すんなりとやってきたように書いていますが、まあそんなことはありませんでしたよ、もちろん。
でも、自分の支えていたものは、国見町の教育環境を少しでも良くしたい、というような使命感でした。
もしかすると、先輩職員の中には、独善的に見えたのかもしれませんが、私には、新しいことに挑戦することへのためらいみたいなものだと思っています。トップダウンのものは、陰で文句を言いながらも、大義名分(上司の命令)があるから、やるべき仕事としての位置付けにすることが容易であるのかもしれません。しかし、下からの起案は、現場を実体験していないこともあり、必要性を感じず、否定的な見方になりがちなのかもしれません。ましてや新人の意見なんて、100年早いわ!という気持ちもあったのかもしれませんね。
もちろん、私の説明も未熟だったこともあるのかもしれません。
このことは、仕事をする上での、個々の重点の置き方が垣間見えるようにも感じます。

○自治体職員3・4年生

その頃、国見町では、外国語指導助手(以下、ALT)を招致していませんでした。前の年に、何とかALTを招致できないかと思い、上司に相談していました。教育長は、その当時、中学校の英語の成績が悪かったこともあり、必要性を感じられていて、私の相談後、予算担当課長に直接相談しに行ってくださってました。その協議では、来年は招致の方向で動くという結果でした。そこで、私は、県下のALT招致状況、招致の際の経費、招致目的、招致した場合の活用計画をつくって、上司に資料を提示し、この年、ALTを招致することになりました。
私は、英語が嫌いでした。とにかく暗記科目という分類をしていました。それに、外国の方と話す機会もなく、勉強をする必要性も感じていませんでした。そんな感じでしたから、受入前の準備は、辞書とお友だちになるしかありません。周りの人は、まさか私が、英語が苦手だとは思っていなかったようです。だって、言い出しっぺですから!
またこの年は、小学校中学年の社会科の補助教材をつくることも提案しました。役場に入って、郷土の歴史を知る度に、子どもたちに伝えたいナ、そうしたら、もっと国見町のことを好きになってくれるかもナって、常々思っていました。
また、前につくってあった補助教材は、10年ほど前のもので、学校でもほとんど活用していないという状況でした。
2年かけて、補助教材をつくることにしました。他の補助教材を取り寄せて、検討しましたが、副読本的なもので進めていました。ある程度原稿も仕上がり、来年度は印刷という段取りで進めていましたが、ちょうど学習指導要領の移行時期で、年度末に突然、県下の市町村教育委員会に招集がかけられ、補助教材についての説明会がありました。そこでは、今までの副読本的なものでは新学習指導要領には対応できないので、子どもたちと一緒に学ぶことのできる学習帳的なものが望ましいとのことでした。
その県の担当者A先生は、私の中学時代の先生で、先生の担当学年でも担当教科でもなかったのですが、覚えてくださっていまして、補助教材をつくることが決まってから、ちょくちょく折を見ては、相談していました。しかし、明確に学習帳という方向性を聞いたのは、その時が初めてでしたので、その説明会の帰りは、今できているものを一から構成し直さないと、新学習指導要領に対応できないけど、先生方にわかってもらえるかな~、またきつい思いをさせてしまうことになるな~という気持ちでいっぱいでした。予想通り、副読本の方が子どもたちに良くわかるんじゃないかという意見や今まで積み上げたことを一からということに抵抗感のある方もいらっしゃいました。
し かし、会議を何回か重ねると、各々が新学習指導要領の資料を集めてくださり、理解していただきました。結局、実質作業時間は8ヶ月ほどしかありませんでしたが、1年かけて調べていたことが生き、そして、先生方のご尽力のお陰で、短い期間だったにもかかわらず、納得の出来でした。
また、新学習指導要領に沿った県下第1号の補助教材だったこともあり、できあがったものを文部省にもっていったと、後になってA先生からお聞きしました。

 その後、異動になったわけですが、私にとっては、貴重な4年間でした。この4年間で、とてもたくましく育ったように思います。

 本日で、私の拙い日記を終了します。今まで、読んでくださった皆さま、ありがとうございました。
 さて、来週は有志の会のメンバーにバトンタッチし、また一味違った内容になると思いますので、お楽しみに!