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北の国から「ぶっちゃけ話」
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匿名ユーザー
北の国から「ぶっちゃけ話」
2004年05月27日
北の国から「ぶっちゃけ話」(1)
みなさん、こんにちは!
管理人さんからのご指名で毎週木曜日の日記を担当することとなりました札幌市消防局の池上と申します。よろしくお願いいたします。
実は1年程前ですが、2日間ピンチヒッターで日記を書いたことがあります。HNでの投稿でして、特に所属も経歴も触れずにいましたので、今回は定番どおり自己紹介を兼ねて現在の仕事などを紹介しますね。
その前に2点ほど・・・
まず、私の日記連載はTVドラマのようですが全11回としたいと思います(評判悪ければ2回で終わるかも?!)。私としては、予めゴールを設定しておいたほうが書きやすいですし、次に控えている会員もウジャウジャいますんで。そう考えながらカレンダーを見てみますと、予定通り11回続けると最終回は8月5日となります。アテネオリンピックのちょうど1週間前ですね(笑)。
あと,日記のタイトルですが、MLではNPMだの人材育成だのの話で盛り上がっていますが、そう言った話は他の方に譲って、私は日頃から感じていることを普段どおりの言葉で気軽に書きたいと思います。堅苦しく「○○における△△については、□□であると思われる…」なんてのは、自分で書いても読んでも面白くないですから、「ぶっちゃけた話さ~」って感じでアッサリ系で進めたいと思います。
■消防局と言ってもファイヤーファイターではない。
現在の所属は消防局総務部総務課企画広報係というところです。実は、4月まで同じ総務課の経理係というところで消防費予算を担当していましたが、机が5m程西にスライドしまして、今の仕事を受け持つことになりました。
庁外の方からは「火消しさんですか?」と訊かれますが、一般事務で採用になった者でして、市長部局からの出向という扱いとなっています(消防局の任命権者は消防長ですから)。
正直、消防局への異動というのは全く頭になかったものですから、内示を受けた時には「へっ?」って聞き返しちゃいました(笑)。消防局へ出向している職員は事務屋さんで10名程でしたから、全く眼中にありませんでした。
■お金に関わり続ける役所人生
前の職場では区役所の窓口で庶務経理を担当していました。本庁から配分された予算をやりくりする毎日で、「あ~、本庁はいいよな~。『これでやれ!』って言って終わりだから。次の職場は配分する側になりたいな~」という思いで、異動希望調書に「局の予算担当」と書いたところ、消防局の予算を担当することになったのです(笑)。
次回以降の日記でも触れますが、納税課で役所人生が始まって以来ずっとお金に関わる仕事をしていました。一時期、「どうせならお金の道を究めるのも!」という野望を描いたこともありましたが、財政の実態を見た時にアッサリと捨てました。とてもじゃないが私には無理です。プライベートの時間がほとんどない。体力に自信が無いので、死んじゃうかもしれない。北川さんの日記にも登場していた「都市経営課の課長」の前職が財政だったのですが、彼の頭の中には私を財政にという想いがあったそうです。想いが実現しなくて私としてはラッキーでした(笑)。
■昇任待った!で今の仕事
なんだかんだと職種の希望が叶って消防局の予算を担当して3年目となった昨年、係長昇任の1次試験に合格したのですが、2次試験は見事に落ちて今年の12月に再挑戦することとなりました。そんな私を見ていた部課長が「池上さん、来年度1年間は係長になったつもりで、あなたの持っているものを全て発揮して企画の仕事をしてください。」という話があり、今の係に異動することになったのです。
周囲からは「いや~、池上さんの得意分野じゃないですか!」と喜んで頂きましたが、企画といいながらも実態としては、本庁管理部門と局内との調整役としての仕事がほとんど。昨年6月に市長が変わってから次から次へと宿題が出されるので、結構大変な思いをしています。
何せ、意思決定までの道程が長い。消防局は職業柄か指揮命令系統がはっきりしていてトップダウンで物事を進めることに長けてますが、時にこれが逆効果となって「局長はどう考えてるんだ?」「局長ヒアリングの場を持たなければ、調書を書けと言われても書けない。」という場面がよくあります。「まずは、あんたがどう考えているかを書きなさいよ!」と進言してもできないんですね。局長は「何でも言いたいことがあったら言ってあげるから思っていること書きなさい。」と言っているのですが、その想いが上手く職員に伝わらないようです。私は素直に受け止めて利用させてもらっています。元々,よく仕事をしますし皆が真面目に取組んでいるので職員能力は高いと思うのですが,折角良いものを持っていても組織がスポイルしてしまっているのが現状なんでしょう。
今週も、こんな局内調整をひとりで4つ程抱えて同時進行していますが、似たような内容だけに部長も課長も頭が混乱してまして、彼らの頭を整理するのが目下の役割です。確かに、係長となったつもりで臨む仕事として相応しいものかもしれません(笑)。
■次週の予告
来週は、「なんで池上さんは札幌市に入ったんですか?」という質問があることを勝手に想定して、生い立ちも含めてご紹介しようと思います。
2004年06月03日
北の国から「ぶっちゃけ話」(2)
みなさん,こんにちは!
さて,今回は私が札幌市に入庁した経緯に触れてみたいと思います。
■道内を転々とした幼少年期
私は道職員だった父と裁判所職員の母との間に生まれました。両親の兄弟も皆公務員だったためか,生まれてからずっと「役所」という言葉が日常にありましたし,盆や正月に帰省した際に出てくる話題は役所ネタが多く,他の世界は知らないで育ちました。
北海道はデッカイドウ!(今どきこんなことを言う人は北海道にはいない。)ですから,父親の異動に伴って家族も移動しました。ですから道の人事が人生を左右していた幼少時代でしたが(笑),その度に不可解に思っていたのは,今はどうなのか知りませんが,元の職場や同じ道職員住宅に住んでいた方から餞別を頂き,そのお礼にと各家庭にお返しをしつつ「この度○○に異動となりました。引き続きのご指導ご鞭撻を…」なる挨拶が記されたハガキを何百枚も送るという光景です。親も義務感でやっているように見えたので,「なんでそんなことしないとなんないの?」といつも感じておりました。まあ,ぶっちゃけた話,父親の仕事は嫌いでしたね(笑)。
■世話になった札幌に恩返し
小・中学校は道内を転々としていましたが,高校時代は帯広市というところで入学から卒業まで落ち着いて過ごしました。私は一番上の長男坊だったせいか,昔から「姉」という存在に憧れていたことも影響して,女性の先輩の勧誘(誘惑?)に負けて合唱団に入部しました(今の市長は先輩にあたります,参考まで。)。この部活動は今の仕事へのスタンスに多大なる影響を与えています。所謂,混声合唱でして,男女それぞれに役割があり,どれが欠けても良い演奏はできません。3年次には部長をしましたが,青臭いながらもリーダーシップって何ぞや?というものを実体験で学んだと思ってます。
大学時代から札幌に住むようになりましたが,高校時代の部活動が影響して,親の想いも知らずに勉強スッポカシで大学合唱団で活躍(?)した日々でした。それでも,「就職」の二文字が脳裏に浮かぶと,今までたいした勉強もしなければ社会に役立つ活動をする訳でも無かったですし,奇しくも時代は昭和から平成に移ったこともあり,「このままの人生でいいんだろうか?」と反省しました。TVで繰り返し流される昭和の歴史を見ながら考えた末,「どうせ社会に出て働くなら,今,我儘し放題で世話になっている札幌という街で何か後世に残すことがしたい」と一念発起して札幌市役所に臨みました(まあ,国や道も受けましたが…。)。
当時はバブリーな時代だったことプラス道庁で贈収賄事件があって盛り上がっていたこともあり,地方公務員の印象は悪かったですね。周囲からは「なんで役所なの?給料安いのに…」と言われました。「でも,いつまでもこんな景気のいい状態が続くはずがないでしょう?きっと行政手腕が問われる厳しい時代が来るだろうから,そんな時代に必要とされる人間になりたいのよ!」と話していたと思います。当時から口だけは達者でした(笑)。
結局,道と札幌市という違いはあれ,嫌いだった親と同じ職業に就くことになったのです。
■札幌オリンピックのインパクト
非常に恥ずかしい話ですが入庁までの経緯というのは,雑駁ながらこんな感じです。
父が道職員だったので地方を転々としていた幼い頃,私の頭の中では「札幌という街は同じ北海道であっても特別な存在なんだ。」と思っていました。オリンピックもありましたから街全体に活気があってエネルギーを感じましたね。まあ,北海道としては札幌の一極集中化は深刻な問題ですが,単純素朴に羨ましいと思っていました。札幌市は現在,「さっぽろ元気ビジョン」という方針を掲げてまちづくりを推進しておりますが,オリンピック前後の頃は,まさに皆が元気に動き回っていたという印象です。
札幌に住んで20年になろうとしている今となっては,市役所に勤めていることも影響しているのか,悪い面ばかりが目に付いてしまうこともあり,幼心に感じていたほどではないと思ってます。でも,純粋に「素晴らしいなぁ」と感じさせる何かキラリと光るものがあったのでしょう。札幌市写真ライブラリーで当時の写真を見ながら,それが何だったのかを思い出そうと必死です(笑)。
■次週の予告
さて,そんなこんなで入庁した札幌市役所。入った早々に感じた「なんじゃそりゃ?」という役所の常識が幾つかありました。今ではすっかり無くなった(と思う。)ことばかりですが,数回に渡り振り返ってみたいと思います。
2004年06月10日
北の国から「ぶっちゃけ話」(3)
今週から(やっと)本題に移りたいと思います。
まずは,入庁して間もない頃に疑問に感じたことを3週に渡って(短めに)紹介します。
■理髪店があるけど,いつ行くんですか?
新規採用職員研修を終え職場に配属とになった初日,まずは,庁舎内を探索しました。食堂やら売店があるのを確認しながら目に止まったのは理髪店でした。「きっと市民サービスの一環なんだろう」と思ってましたが,探索を終えて同僚に聞いたところ,前述の食堂等を含めて全てが「職員の福利厚生のため」にあると聞きました。「ふ~ん,そうなんですかぁ」と理解した振りをしつつ,「理髪っていつ行くの?」と考えると余計に疑問が深まりました。
聞いた話ですが,昔は係長昇任試験の面接の際に,「勤務中の理髪についてどう考えるか?」という質問があったそうです。「理髪も福利厚生の一環だから止むを得ない。」という回答が多かったそうです。また「男性の理髪が福利厚生なら,女性の美容院はどう考える?」という再質問もあったとか…
勤務時間中に理髪に行くと市民の目にも触れますから,広聴部門に「勤務時間中に職員が理髪に行っている。」との苦情が何度もありました。そんな声を汲み取って内部でも検討され,確か10年程前に「理髪に行く際には年休を取得して」という通知が出て,問題は一旦整理されたと記憶しています。
因みに私は休日に美容院に行っています(笑)。
2004年06月17日
北の国から「ぶっちゃけ話」(4)
■お茶入れも臨時職員の仕事なんですか?
最初の職場に配属されると,「待っていました!」とばかり臨時職員の女性が来て,「登庁時と12時,3時の3回お茶を入れますが,それぞれ何がいいか教えてください。」とのこと。「その時の気分で飲みたいものも変わりますし,お茶くらい自分で入れるのでお構いなく…。」と言ったところ,「それじゃ,私が困ります…」とこれぞ私のミッションとばかりに彼女の困惑顔。
可哀想なので「3回ともほうじ茶でいいです。」と返事をしつつ,コーヒーが飲みたくなったので(笑)給茶台(ビジネスキッチンと言うらしい。)に行くと座席表が貼ってあり,職員毎に赤=ほうじ茶,青=紅茶,黄色=コーヒーと丸印が3つ付けられていました。更にコーヒー印の上には,温:1:1:2なる文字列が。これは,「ホットコーヒーでコーヒー・砂糖・クリームの割合が1対1対2」ということでした。更に,役所にある同じ湯呑み茶碗を使っていた職員がほとんどだったので1:1:2と1:2:1のコーヒーの見分けが付かないため,トレイに載せる位置と配る順番も決まっているとか…。「そりゃ大変だ,ご苦労さんですね。」と労うことしかできませんでした。
(臨時職員ってこんなことのために任用しているのか?)と疑問に思ったので,上司に聞いてみると,「職員が本来業務に専念するために,お茶入れについては臨職さんにお願いしているんだ。」とキッパリ…。回答の良し悪しは別として,お願いしている割には「○○さん,お茶!」という命令口調でした。
職員に対する給茶の他にも始業前に職員の机を拭き掃除する慣習がありましたが,今はお茶も掃除も各自でやっております。以前,来客時の給茶について有志の会MLでも話題になってましたね。
来客時の給茶と言えば,先に登場した上司と臨時職員とのやりとりで,こんな笑い話がありました。
ある日のこと,いつもの調子で「○○さ~ん!ブラック2つに1つはクリームだけ入れてね~」と(上司にしてみれば)「コーヒーのお願い」がありました。コーヒーが運ばれると「なんだこりゃ?」と大きな声。運ばれたのはブラックコーヒー2つとクリームのみをお湯で溶かしたもの。
彼女曰く「私,たまに飲むので全然不思議に思いませんでした。」
2004年06月24日
北の国から「ぶっちゃけ話」(5)
新人の頃に疑問を感じたことをお送りしている「どーよ?」シリーズ」。
シリーズ最終回は何のネタを書こうか?と考えましたが,ショートコントのノリで思いつくままに並べてみます。
■「仕事納め」は庁舎内の一杯で締めくくる。
仕事納めの日,課毎で設けている親睦会の幹事が予め酒やオードブルなどを用意して,業後に「どーもお疲れさん!」と皆で飲み食いするちょっとした宴を設けておりましたが,区役所などでは,市民から「職場の中で酒を飲むとはなんたることか!」と苦情がありました。「残業は深夜(22時以降)になると一杯やりながら仕事しても良い。」などという話が飛び交っていた時代でした。
現在は,場所を居酒屋等に移して行ってます(当たり前か…)。
■職務乗車証(通称:全線パス)
交通局の地下鉄・バス・電車は半年間使い放題という定期券。紛失すると大変です…。一般市民の乗客には「ありがとうございます!」と挨拶しないバスや電車の運転手も,このパスを見せた職員に対しては「ごくろうさまです!」と一礼していました。
現在は,一般市民と同様のプリペイドカードを利用しています。
■甲(本庁勤務)部長・乙(出先勤務)部長
良くも悪くも本庁と出先の差別化です。呼称もさることながら給料も差がありました。
現在は,甲乙の区別は制度上ありません。
しかしながら,本庁から出先に異動した職員はパージされたのでは?と思われるのは,今も昔も変わりません。
■赤バインダーと青バインダー
「常用文書は赤バインダー,保存年限のある文書は青バインダーに綴じる。」という決まりがあり,庁内では「赤バインダーの在庫が無い!」という声をよく聞きました。別にバインダーを色分けしなくても,「背に張ってあるラベルを見れば区別がつくだろう」ということでなくなりました。
現在は青のみが使われています。
■決裁は日付印
起案等の決裁は,所属・職名・氏名の入った日付印が使われていました。毎日,登庁すると日付の差換え,印面にインクを補充するのが一日の仕事の始まり。まあ,日付けの差換えはどうにでもなるので,書類に押された印の信憑性には疑問符が付きます。
現在は私印となったので,年度替り前後の決裁は誰の印をもらうかで混乱しがちです。
■シリーズを締めくくって…
こうやって思い出してみると,「なんで??」と思った役所の常識も少しづつではありますが,時間と共に変わっているのが判ります。
「役所も変わらなきゃ!」と言いつつ,壁にブチ当たる日々が続いている方も多いと思いますが,「いくら同じ役所だと言っても,10年前の常識は通用しないでしょ。」と考えると,少しは慰めになります。
来週は,先週末に行われた第5回オフ会の私なりの感想です。
2004年07月01日
北の国から「ぶっちゃけ話」(6)
今日は、先日行われたニセコでのオフ会について,私の感想をお話します。
■天気はバッチリ、仕事は・・・
6月18日、天気は快晴。ここ数日でもホットな日でした。
午前中は真面目に仕事をしました。本当は1日休んで臨もうかと思ったのですが、総務部リエンジニアリング作戦(来年度の機構改革なんですけど)のフィクサーとして、部内オフサイト・ミーティングを企画したので、その準備をしてました。
オフ会も楽しみでしたが、このミーティングも非常に気になったのが正直な気持ち。後ろ髪を引かれる思いでした。。。(これら私の仕事の話は来週から3回シリーズでお送りします。)
■久々の電車でGO!
幹事先発隊として17時までにニセコ入りしないとならないため、4月まで仕事(旅費支給)の相棒だった時刻表を久しぶりに引っ張り出して調べたところ、意外と札幌発のニセコ直行バスの本数が少なかったので、札幌~小樽はJR、小樽~ニセコはバスという手段を使いました。実は、通勤以外でJRを利用するのは久しぶりで、列車の旅が昔から好きでしたから、ニセコの湧き水を使ったキオスク限定のお茶を携えてルンルン気分で乗り込みました。
小樽に着くと新聞に載っていた石原裕次郎ホームを覗いてみたかったので、少し寄り道。駅舎内で裕ちゃんの映画が上映されていたのには驚きましたね。
■小樽⇒海⇒青春の思い出…
小樽からバスに乗り込みニセコに向かいましたが、平日だったためか、ほとんど貸切状態で、車窓を楽しみながらリクライニングシートを倒してくつろいでました。やっぱ、海はいいですねぇ。札幌には海が無いので、いつも羨ましく思います。
小樽市外からちょっと外れたところに蘭島という海水浴場がありますが、バスがここの近くを通ると、後にも先にもこれっきりと思われる女性にモテまくった学生時代によく遊びに行ったことを思い出しまして、「いや~、あの頃に戻りたいなぁ」などと、不謹慎なことを考えていました(笑)。
■ニセコ駅着⇒会場やや遠し…
2時間程バスで揺られて到着したニセコ駅前。いやー暑かったですね。札幌より5度は気温が低いだろうと思っていたら、たいした変わりがない。また、駅から歩いて会場のホテルに行けるもんだと勝手に思い込んでました。が、実は車で10分は掛かる距離だということに気付くも目の前にタクシーは無し…。
ダブルショックでウロウロしながら周囲を見渡すとタクシー会社の看板を掲げたちょっと懐かしめの建物が。急いで向かうと、気の良いご婦人が出迎えてくれて「タクシーですか?どこまでですか?」とご挨拶。(そういや、田舎でこんな風景があったよな)と幼い頃を思い出しながら乗車。早速、運転手さんに「札幌から来たんですけど、ニセコも暑いですねぇ。てっきり涼しいもんかと思いましたぁ。」などと会話をしながら、ちょっと予定より遅れて到着しました。
■メンバー到着
会場のホテルでお世話になる方々と挨拶し終えた後,逢坂町長の講演会場を覗きにいくと,すでにセッティングは完了していたため特にすることも無く,我々より先に到着していたメンバーの方々などとロビーで歓談していると,まもなくメンバーを乗せたバスが玄関前に。ほとんどの方が初顔合わせでしたが,第一印象としては,まあ,特に変わった風でもなく,どこにでもいそうな真面目な公務員といった感じでした(笑)。
■講演会は質問しそびれる。
しばしの休憩の後,1日目のメインイベントである逢坂町長の講演が始まりました。
たぶん,参加したメンバーの中では「自治とはなんぞや?」ということを一番考えていない不良公務員だと認識していましたので,こういう私が馬鹿な質問をするほうがファシリテートし易いだろう,いや,今回の幹事だから出来るだけ他のメンバーに時間を与えたほうが…と躊躇しているうちに講演会は終了しちゃいました(笑)。
今更ですが,何を聞きたかったかと言いますと,逢坂町長にとって都道府県というのはどんな存在なんだろうか,ということ。話を聞くにつれ,昨年の道知事選出馬云々のことが思い出されるのでありました。ボイスレコーダーで講演の様子を録音したんですが,後でもう一度聞き直そうかと思いつつ,まだ聞いてません(汗)。
■2次会でのぶっちゃけ話。
講演会が終わり,私にとってはメインの懇親会(2次会?)が始まりました。いきなり乾杯の音頭を任せられたので,訳のわからぬ事を言って場を混乱させて始まったようですが,そんなことは気にも止めずに飲んで食ってワイワイと楽しくやりました。それにしても,おっさん連中はよく喋る(笑)。
■温泉入浴は合計4回。
普段,家族で温泉に旅行に行くと,貧乏性なのか欲張りなのか食う時と寝る時以外は湯船に浸かっているのですが,今回も隙を見ては風呂に入ってました。
ここのホテルの露天風呂は混浴だということで密かに楽しみにしていましたが,期待空しくTVの旅番組に出てくるようなシチュエーションには遭遇しませんでした(笑)。
■それでもしっかりセーラームーンは見逃さない。
なんだかんだと寝たのは次の日の午前3時でした(驚!)。当初,幹事部屋で朝までダラダラプランを提示され,頑なに拒否して部屋を変えてもらいましたが,結局は自分が最後まで起きていたようです。(まあ,人間の睡眠サイクルは90分だから,上手く180分寝て起きればダメージも少ないだろう。)という勝手な理論で6時に起き(実は,隣で寝ていた某氏の携帯バイブで目が覚めたのですが。),速攻でひとっ風呂浴びました。
実は,毎週土曜日の朝は欠かさずセーラームーンを見るのが我が家の生活パターンで,朝7時に食事を取り,密かに部屋に戻ってTVを見てました。こんなことをしていたのは私だけだったでしょう。
■バスでの貴重な睡眠時間は奪われる…。
ニセコから札幌までの移動時間は貴重な睡眠時間として活用するつもりでしたが,たまたま座った席が拙かったのでしょうか,元気バリバリの人に囲まれたので,ひとり寝る訳にもいかず,結局ずーっと起きてました。。。
■大通公園でさようなら。
2日目午後の部は,密かに逢坂町長講演会に負けず劣らずの企画が予定されていたのですが,私事の都合により参加できませんでした。昼食後に大通公園に集合したところで,皆さんに挨拶して帰りました。(実は,この後,車で2時間掛けて生まれ故郷に行ったのですが,シンドかったです。)
後日,MLには「大変感動した」との感想が多数寄せられていたようで,嬉しかったですね。IQを高めるだけでなくEQも高めようとした企画でしたが,「記録にも記憶に残るオフ会」となったようで,グータラ幹事だった私ですが,メンバーに喜んでもらえてハッピーな気分をシェアさせてもらいました。
2004年07月08日
北の国から「ぶっちゃけ話」(7)
今週から,新シリーズ「総務課リベロ物語」を始めます。
私の体験に基づいて書きますが,登場人物・組織は架空であり,実在するものと何ら関係がありませんので,ご了承ください。
■総務課リベロ物語 第1回「経理担当との決別」
平成16年4月、稲垣は局の予算担当として総務課4年目を迎えた。
昨年春に四半世紀ぶりとなる民間人市長を迎えてからの市役所内部は、期待と不安が入り混じった何とも言えない雰囲気に包まれている。この新市長が矢継ぎ早に打ち出す数々の方針に対応しようと、総務・企画・財政の管理部門は事業部局に対して次々と課題を与えていたため、新年度のスタートは非常に落ち着かないものとなった。そんな中、稲垣は溜息混じりで予算執行計画書と格闘していた…。
昨年度予算までは歳出予算ありきの事業費ベースで編成されていたが、今年度からは歳入予算ありきの一般財源ベースとなった。また、歳出予算は局毎の枠配分経費を固めた後に新規・レベルアップ事業を対象とした配分外枠を設定していたが、市長公約実現のための重点事業財源として配分外枠を確保した後に、枠配分額をシーリングにより調整・決定する方針となった。
今までと全く逆の考え方となったため、各部局の経理担当者は混乱した。以前までなら、財政課職員から「歳出予算を賄うための財源確保に努めてください。」と増額査定となっていた使用料・手数料等の歳入予算は、一転、「過去3年間の決算数値は減少傾向にありますが、要求どおりの財源確保はできないと思いますがどうでしょう?前年度同額で置かせてもらいますね。」と減額査定を受け、これに伴い歳出予算も枠ベースで減額となったため、皆、帳尻合わせに四苦八苦したのだった。
実は、稲垣と昨年度の財政課担当職員は、数年前から活動基準原価計算を用いて市役所内部の意思決定コストを算定する自主研究会で共に活動してきた仲間だった。お互い本音では「これじゃぁ駄目なんだよな。」と思いながらも、それぞれの組織を背負って「戦うこと」を強いられた虚しさだけが残る後味の悪い予算編成になってしまった。
稲垣はそんな過程を思い出しながら、「うーん、歳入は前年度決算ベースで査定しているけど、例え今年度決算が予算現額を上回る見込みを出したとしても、次年度予算は『確実な積算で要求せよ!』とかなんとか指摘されて、過去2、3年の平均値を採る査定をするんだろうなぁ、きっと…。これじゃ財源確保のインセンティブは働かないし、縮小均衡していくだけじゃないだろうか…?もっと他の自治体に学べばいいのに…。」と、ひとりブツブツ言っては電卓を叩いていた。
そんなある日、上司である近藤課長から「稲垣さん、香西部長のところへ行ってくれ!」と声が掛かった。稲垣と同じ係員達は「まさか!?」と皆顔を上げた。
「わかりました、すぐ伺います。」
この日は一般職の人事異動内示の日だった。一般的に異動サイクルは4年。先に行われた昇任に伴う人事異動が無かった稲垣を、「もう1年はうちの係に残るだろうねぇ。」と係内の誰もが思っていた。しかし、部長から声が掛かったことで「これは拙いことになった!」と係員が動揺したのである。そんな経理担当係員達が不安な面持ちで稲垣を見つめている一方で、隣の島の企画担当係員達が安堵の表情をしていたことに気づいた者は誰もいなかった…。
稲垣は、そんな周囲の空気を察知しながら、(どうやら事は上手く収まったようだな…。今年1年は課のリベロかぁ…。)と心の中でつぶやきながら部長席へ向かった。
(次週へ続く。)
2004年07月15日
北の国から「ぶっちゃけ話」(8)
■総務課リベロ物語 第2回 「混乱の中のスタート」
稲垣が部長席に行くと,香西部長は笑顔で迎えた。
「稲垣さん,実は企画担当係へ移ってもらうことになりました。もう予算担当としての仕事は十分やってもらいました,卒業です。今年1年は今まで培ってきたものを全て発揮して,この職場に何か残してほしいと思っています。知っていると思いますが,今年は非常に重要な年になりそうです。常に庁内の情報を収集しながら局をまとめてください。」
「わかりました。予算担当も色々な課題を抱えていますので,出来る限り彼らをフォローしながら,企画の仕事に取り組むこととします。」
話はこの年の2月に遡る。
企画担当係長の野島から,「うちの村野の昇任が決まったので,4月の人事異動で職員が補充されますが,今年は色々とタイトなスケジュールの中で面倒な調整をしながら仕事を進めていかなければならないので,近藤課長にも了解を得て稲垣さんに来てもらおうと考えています。どうでしょう?」という相談があった。
稲垣は,以前から野島と一緒に仕事をすると面白そうだという想いを抱いていたので非常に嬉しい話であった。そこで,今一度冷静になって自分の置かれている立場や環境,今後の展開を考えた上で,「話はわかりました。係長がそうおっしゃるのならお任せします。」と返事をした。
しかし,役職者の人事異動で野島が他のセクションに異動したため,この話は無くなったものと稲垣は解釈していた。その後、自分からは課内異動について触れることは無かったが,一般職の内示があるまでの2週間程の間は色々な噂が耳に入ってきたので,(ひょっとすると?)という想いもあった。
とにもかくにも,香西から異動を告げられて話は現実となった。早速,自分の席に戻り,隣のシマへ移ることを係内に報告した。てっきり経理担当係の職員は,稲垣が他部局へ異動になるものと思っていただけに,少しホっとしたようだ。何も今年1年大変な状況となるのは企画だけではない。
「企画に行っても出来る限り予算・決算の仕事はフォローするから。今までは企画と経理は独立して仕事をしてきたけど,これを機会に情報共有しながらやっていきましょう。」
稲垣はこの3年間ずっと感じてきたことを,さりげなく皆に話した。予算と事業計画が密接に繋がることなく今まではやってきた。しかし,今年はそうはいかない。
内示の話が一段落したところで,企画担当係の梶本がやってきた。
「稲垣さん,内示が出たばかりで恐縮ですが,今,全庁で新しい重点事業計画の策定をやってまして,5月中旬には局の案を提出しなければならないんですよ。私は局運営方針の策定を連休前に提出して市長との協議・確認をしなければならないので,重点事業のほうは稲垣さんにお願いしたいと思いまして…。昨年度からの経過は,このファイルに綴ってありますので,発令までの間に読んでもらえますか?」
「そうですか、わかりました。今の仕事の区切りが着いたら早速読ませてもらいます。」
と返事をして目に止まったファイルは厚さ8cm。とても1日で理解できる量じゃない。(ほんと発令までの1週間を費やせそうな感じだ…。)と少し気が重くなった。
翌日,仕事に区切りが付いたので,係長から了解をもらって重点事業のファイルを開いてみた。
重点事業計画は,後付けのようだが既に予算化されている平成16年度から市長の在任期間である平成18年度までの3年計画。「やりたいこと」を掲げた5年計画と異なり,「やれること」のみで構成するというスタンスだ。公約実現のためという色が非常に濃いものとなりそうだが,(重点事業策定となってるけど,局枠外予算要求の査定の場だな,こりゃ。今までの5年計画とは趣きが全く異なっている。財源確保については財政との調整はできてるんだろうか…?)と稲垣は,この計画策定に疑問を持った。
早速,人的ネットワークを活用して情報収集したが,どうやら稲垣の読みは外れていなかったようだ。配分外枠で予算要求できる場は,この事業計画しか想定されていない。財源確保については中期財政見通しを再考している財政との調整ができていないとのこと。
(それにしても,相変わらず管理部門の連携が取れていないようだ。今までのパターンで考えると、策定時期が迫っているだけに総務部内は経理担当・人事担当と情報共有しながら進めていかなければ,各事業部からの突き上げで計画策定が空中分解するかもしれない。)
(次週へ続く。)
2004年07月22日
北の国から「ぶっちゃけ話」(9)
■総務課リベロ物語 第3回 「いろいろな憂鬱」
稲垣が所属する企画担当係は係長以下5名。企画担当と名は付いているが,行財政改革,事務事業評価,重点事業計画,機構改革,IT施策推進,環境マネジメント,広報・情報公開など管理部門との調整業務が大半を占めており,自ら企画立案する機会はほとんどない。そんな状況を側で感じていた稲垣は,昨年度から企画担当と共に下調べをしていたPFIの調査・研究費という名目で機構の名称どおりの予算配分をしたが,総務部の機構のあり方については配属以来ずっと問題視していた。
他部局の庶務・経理担当と比べると非常に効率の悪い意思決定プロセスを経ている。異動を機に人員削減を視野に入れつつ,部内を再構築したいと思っていた。総務部再構築による意思決定プロセスの見直しにより余剰となった経営資源を現場部門にシフトし,間接業務のシェイプアップと各部のマネジメント強化を図る構図を描いていた。早速,部内の職員を集めてオフサイト・ミーティングを行った,稲垣は所用で参加できなかったが,部内職員も問題意識を常に持っていることが判り,今後の展開に弾みが付くものとなったようだ。機構改革自体は稲垣の担当ではないが,「“余計な心配”や“必要のない苦労”をするのは自分の時代で終わりにしたい。」という気持ちを企画担当の誰もが持っていたので,今年度は大きなチャンスである。
そうは言いながらも,今年度はこの効率の悪い現体制で仕事を進めていかなければならない。まずは重点事業計画の提出である。
事前に各部に依頼した結果,集まった数は24事業。既に枠内で予算化されている事業が半分ある。局としてのケジメをつけるためにも,枠内で粛々と進めていく事業は局内査定で落とさなければ何でもアリの青天井要求となり,事業策定担当者に対しても格好悪い。
経理担当係と検討した結果,既往予算で計画執行すべきものと事業の必要性を認めて枠外要求するものとを明確にした案を局長に諮り,意思形成の時間も限られているのでトップダウンで進めることとし,従来のような単なる計画策定ではなく次年度以降の予算要求までをしっかりと視野にいれたスタンスで精査した結果,14事業を選出した。
(ここまでは容易な作業だが,これからが大変だぞ・・・。)
計画策定にしても予算要求にしても,今まではボトムアップで意思決定してきたが,時間が限られているからという理由で各部の合意を得られるかどうか。いつも「総務部の意向が判らないから,うちの意思が決まらない。」「総務部がしっかりしていないから予算も人員も確保できなかった。」などと言われているだけに,稲垣のライン主導で物事を進めていくことには抵抗があったのが正直な気持ちだ。今回の計画策定にしても,相手の行動が何となく見えてはいた。
(まあ,何とかするしかないよなぁ。せめて部長には腹を括ってもらおう。)などと呑気に考えているところに,行革担当から「事務事業総点検の強化」と「出資団体評価」の通知を受けた。
「事務事業総点検」は市長公約である「人員削減や事業効率化により200億円削減」を達成するために行革担当主管で進められている。昨年度は,主に政策的経費についてPPP(パブリック・プライベート・パートナーシップ)の観点から,事業領域の見直しとこれに伴うコストダウンを図る方針で進められていた。この総点検を反映させる形で平成16年度の予算・機構・定数を総合的に編成した結果,予算削減額は80億円と公約達成が厳しい数字となっていた。また,「中期財政見通し」が悪化したことから,取組強化について市長以下関係局長等で構成される経営改革会議で検討されていた。その強化案の通知が示されたのである。
強化内容は,「平成17年度~18年度の2か年で経常的経費の20%削減案を提出せよ。」というものだった。各部局で提出された削減案をもって市長プレビューを行い,平成17年度予算編成の指針を打ち出すという予定となっている。
(これは行革担当が主管となっているけど,内容的には財政担当の仕事だよなぁ・・・。うちとしては,経理担当主導で進めることになるだろうなぁ。経常的経費かぁ,フォローしないと案がまとまらないだろうな・・・。)
経常的経費は約40億円。単純計算で単年度4億円の削減要求が示されている。しかし,事業毎で見直しを図ろうとしても,特に手当に係る部分が大きいため,全庁的な制度改正が進まなければ局単独で削減できる数値は達成が厳しい状況である。
一方,「出資団体評価」は従来から行われていたが,内部評価に留まっていたことから,今年度は新たに外部人材を登用した評価委員会を設立し,事業領域の見直しと経費削減の観点から関係局と出資団体へのヒアリングを通じて,団体の必要性と経営状況を検証し改革を進めるというシナリオである。評価自体は庶務担当が窓口となって行ってきたが,予算が絡んでくると弱い部分もある。
案の定,庶務担当の坂本が稲垣のところにやってきた。
「すみません,例の出資団体の件なんですけど,予算に関する話は私だけでは説明しきれないところもありますから,申し訳ありませんがご指導願えませんか?」
坂本も4月に配属になったばかりで状況を把握しきれていない。稲垣も企画担当に異動するに当たって,一番気掛かりだったのは財団がらみの予算のことだった。要求の手法が複雑なだけに,後継者育成を怠っていた責任も感じていた。
「わかりました。新しい経理担当とは予算要求時に指導しながら引き継ごうと思ってましたが,そういう話ならば当面私がやるしかないでしょう。何かあったら言ってください。」
重点事業計画,事務事業総点検,出資団体評価・・・。
事務分掌だけで見れば稲垣がやるべき仕事はひとつだが,全てが局運営の根幹に繋がることを考えると,統合の視点を持ちながら進めなければ意味がないものとなってしまう。
それにしても,いずれも提出期限までの期間が短い。庁内唯一の局経理体制を採る稲垣の職場は,何かにつけ,意思決定については局内各部の合議を必要とする。決して稲垣のラインのみで決断することは許されない職場風土である。各部毎にボトムアップで積上げたものを局長のコンセンサスを得ながら調整し,その結果を企画担当が整理し管理部門へ提出するという従来の事務フローでは対応が厳しい。
(いや~,本当にまとまるのかなぁ・・・。でも,やるしかないでしょう。)
なんとなく,先行きが不安となり憂鬱になる稲垣であった。
(次週へ続く。)
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※当初,3回シリーズを予定してましたが,まとめきれなかったの で,来週まで続きます(汗)。
2004年07月29日
北の国から「ぶっちゃけ話」(10)
■総務課リベロ物語 第4回 「それでもなお・・・」
(管理部門のアクションが統一性に欠ける中、どうやって各部へこの状況を説明するか・・・?)稲垣が重点事業策定に係る局内調整で一番苦慮したところだった。
提出事業案は今後3年間の枠外予算要求という位置付けでオーソライズされたが、0査定となった場合、事柄のみ盛り込まれた場合、計画外事業となった場合など様々な状況を念頭に置きながら局内のコンセンサスを得なければならない。しかも、期限は目前に迫っている。
「各部毎のヒアリングを行っている時間はありませんから、全部長を集めて即断即決で局長の判断を仰ぐしかないでしょう。各課長へは私が状況説明しますから、日程調整してください。」
総務課長の近藤は、この計画案策定に係る局内調整のために率先して動き回った。その甲斐あってか、局長、部長との調整はスムーズに行うことができ、何とか期限ギリギリに計画策定担当者へ局案を提出することができた。
事業提出から2日後、計画策定担当者である西村がヒアリングに訪れた。ヒアリングも予算要求時で考えると2日間は必要とされる内容だったが、1日で終わらせなければならない状況だった。局内事情を知らない西村の的確なやりとりに同席して様子を伺っていた稲垣は感心した。
稲垣は西村と共に昼食を取りながら、「相当勉強されたんですよね?」と訊くと、「いやー仕事ですから・・・。でも、私たちも計画策定の調整をしながら話をするのですが、やればやるほど空しくなってくるんですよね・・・。」と西村が漏らした。確かにそうだろう。彼らは計画策定のミッションを与えられながら、そこに投ずべき経営資源に関しては何ら権限が与えられていない。各事業部局の想いを少しでも実現させようと奔走しながらも、人事・財政との折り合いが難航している状況である。稲垣も局内では西村と同じ立場にあるが故に、彼の本音は十分理解できた。
ヒアリングから2日後、査定結果が示された。
稲垣の局は市長が掲げる市政方針ビジョンの重点目標に該当する事業を持たないだけに「その他行政課題」として全て括られる格好になった。既に16年度予算で組み込まれている事業が大半を占めるものだが、レベルアップを認めてもらったもの、計画外事業として別個予算要求を認めてもらったものもあり、今後3年間計画としての事柄も計画外事業としての予算要求も認めないとする0査定という結果は免れた。西村がかなり協力的に進めてくれた結果だった。その経過を全て知っていた総務部長の香西、総務課長の近藤を始め総務部内では現状の趨勢からすれば良い結果ではという評価だった。
しかし、問題は局内他部への周知だった。西村から示された査定結果に対する復活折衝の期限は半日しかなかったことから、急遽各事業担当者を招集して会議を行った。案の定、各部の担当者からは総攻撃を喰らった。
「枠外要求だという位置付けで聞いていたから了承したんだ。必要人員の内部捻出を条件に計画化するというなら話が違う!」
「人員内部捻出というのは、昨年の定数要求から人事には話をしているし、予算査定の場でも検討課題として発言している。何よりこの時代に純増を期待することのほうがおかしいんじゃないか?」
「そもそも、今回の計画策定は総務部の意向が判らないまま進んできたのが拙いんじゃないのか!稲垣さん、あんたはどう考えているんだ!」
予想どおりの展開に(また同じことの繰り返しか。この人達はどこを見て仕事しているんだろうか・・・。)稲垣は毎度繰り返される会話に辟易しながら、本気度と危機感が伝わってこない内部調整に疲弊した。
ついつい事務事業総点検・事業評価の担当にグチをこぼし、「仕事に疲れている者同士で飲みにいこうか?」と二人に加えて行革・予算の各担当者と集まることとした。
「事務事業総点検の市長プレビューどうすんの?」
「いやー、どこの局も経常的経費20%の削減なんて出来ないっていってる。無理矢理数値を積上げてもらってるんで、どうしたらいいか考えてるところなのよ。」
「重点事業計画の全事業を枠外で認めるの?」
「そんなことしたら予算が硬直化して計画外事業に対応できないですから、これから出来るだけ枠内に入れていかないとできませんね。」
「市役所改革方針の策定もいいけど、現場の声は拾ってる?」
「今度、各区の若手を集めてオフサイト・ミーティングをしようかと思っているんですよ。でも、仕事という位置付けではなくて、自主研究レベルで地味にですけど・・・。」
(みんな苦労しているんだよな・・・。)
誰もが忙しい中でも本質を見落とさないように努力はしている。しかし、個人としての想いは強くでも組織の集団心理に対抗していくには個々のネットワークを活かしていく必要があるというのが稲垣の経験から得た答えである。彼らと話をし改めてそう感じた。
7月某日、局内の調整難航した重点事業計画も市長査定が終わり全庁事業をまとめた素案が完成した。8月の市長定例記者会見の場で公表されパブリックコメントを経て、9月の定例議会を前に計画本案が示される。やっと稲垣の仕事もひと段落した。
久々の3連休。稲垣は毎年恒例の花火大会を家族で観に行ったり、仲間と一緒に一日バーベキューを楽しんだりと過ごし、良い気分転換になった。
混沌とした状況の市役所。それでもなお、稲垣は自問自答しながら総務課リベロとしての役割を全うしようと決意した。
「さ、来週から出資団体評価委員会のヒアリング準備を手伝うか~♪」
(終わり)
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私の日記も来週で(やっと?)最終回となります。
ここ数回は結構重い感じできたので、来週は思いっきりくだけたもので締めくくりたいと思います。。。
あと一回だけお付合いください。
2004年08月05日
北の国から「ぶっちゃけ話」(終)
いやー、アジアカップが面白いですねー♪
グループリーグは楽勝ペースでしたが、トーナメントに入って奇跡的勝利を重ねての決勝戦進出。最後の最後まで諦めず冷静にファイトする姿は素直に感動しています。
政治問題まで発展した中国人サポーターのバッシング、その雰囲気に飲まれたかのようなレフリーのジャッチ等、数々の障壁を乗り越えての勝利に日本代表の強さを感じます。
さて、前置きが長くなりましたが、第1回での宣言どおり今週で私の投稿は最終回です。書き始めた頃は「8月5日までなんて宣言したけど長いよなー」と思いましたし、途中何度も「やめてー!」と投げたくなりましたが、よく続けたもんだと自分を褒めようと思います。
「ぶっちゃけ話」と言いながらも、たいしてぶっちゃけてもいないので、最後は最近自主研究の仲間6人が酒席で盛り上がった話を紹介します。(MLで話をした「力の場の分析」の話は別の機会に紹介します。)
あくまで酒席の話ですので真面目に読まれると困ります。軽く「馬鹿なこと考えている奴等だ」と流してください。
■窓口のクレームはビジュアルでカバーする。
どこの自治体でも窓口対応におけるクレーム処理に頭を悩ませているかと思います。ここのところを自分が市民の立場で考えてみると、そもそも忙しい平日の日中に時間を作って役所の窓口に行くこと自体腹が立つので、玄関を入る段階で既に爆発する用意ができています。例えて言えば、コップの中の水が満杯状態で表面張力でなんとか持ちこたえている感じです。こういう心理状態ですから些細な事(一滴の水)でもドバーっと溢れてしまい、怒りや不満が顕在化する。そんな状況でしょうか。
そんな私への対応策としてはコップの水を溢れさせない、若しくは減らすことが求められますが、そのひとつの手段が美男美女による窓口対応です。
最近はATMのお世話になってますが、一昔前の銀行では、振込み等で窓口を利用する際には、カウンターの対面にある椅子に腰掛けて窓口の行員を眺めながら待っているという事がよくありました。そこで自分好みの女性を発見すると、(あの人が受付けてくれると嬉しいな~)などと思いながらドキドキしつつ順番待ちしたものです。願い叶ってお目当ての行員に呼ばれると、スキップしながら窓口に行って喜んだもので、この場合、多少のミスがあっても許容してしまいます。また、多少のミスがあったにも関わらず「来月もこの銀行へ行こう!」という気持ちになります。
もし、「多少のミスはするが容姿が好みの職員」と「容姿は普通以下だが完璧な処理を行う職員」のどちらが対応しても結果的に所期の目的が達成されるのならばどちらの職員を選択するか?という問いかけに酒席6名(女性もいる。)全員が前者の対応を求めるという意見で一致しました。
しかし、「ビジュアルがクレームを減らし来庁者の経験価値を高める。」という仮説を唱えることはタブーでしょうから、実験できないのが辛いところです(笑)。
仮に実験できたとしましょう。
その結果「美男美女によるクレーム減少効果」が実証されたとしても、現実を振り返ると我が社は美男美女揃いではないですから、「せめて笑顔を絶やさず親身になって対応しましょう。」となるはず。そして、現在行われている「サービスアップ運動」と同様の試みが展開される。
「な~んだ、結局は同じジャン!」
こんなくだらない話をしていました。
来週からは、ここを訪れる皆様好みの「篤いハートを持った若人」が登場します。私の日記とのギャップを楽しんでください(笑)。