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★1976年

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ロッキード事件と三木おろし

76年2月4日、外電が、ロッキード社副社長コーチャンの米上院外交委員会多国籍企業小委員会での証言を報じた。ロッキード社の日本に対する航空機売り込みのための口利き料が、右翼大物児玉誉士夫と日本での同社の代理店丸紅に渡り、それぞれ小佐野賢治国際興業社主と日本政府関係者に支払われたというのである。
三木は、早速議会で真相究明の決意を表明し、アメリカ政府に、高官名を含む一切の資料の提供を要請した。
6月、丸紅と全日空の最高幹部が相次いで逮捕された。そして7月27日、田中前首相が5億円の収賄容疑で逮捕された。
この間、恐慌を来した自民党政治家の意を受け椎名副総裁は三木の退陣に動き、大平・福田はそれに同調した。さらに田中逮捕後は、田中・大平・福田の三派連合が「三木おろし」で一致、党両院議員の三分の二以上を集めた「挙党態勢確立協議会」が三木に退陣を迫った。
世論の援護を受けて三木は粘り、党は分裂状態のまま、12月、任期満了による衆院の総選挙に突入した。

76年選挙と福田内閣の誕生

12月5日投票の総選挙は、やはり自民党の敗北であった。自民党は260から249に議席を減らし、結党以来はじめて過半数を割った(のち、無所属候補を加えて過半数を確保)。自民党から分かれた新自由クラブが解散前6議席から17議席に。社会、公明、民社もそれぞれ議席を伸ばした(ただし衆院定数も20議席増の511になっていた)
三木は敗北の責任をとって退陣した。
すでに反三木派の間で「福田一本化」の話はまとまっていた。福田と大平は、2年後に大平に譲る、という「大福密約」を結んでいた。
12月24日、衆参とも1票差というきわどさで、福田が首班指名を受けた。大平幹事長も密約で決まっていた。
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