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自己啓発反省日記(05年7月)

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◎自己啓発反省日記 2005年7月


コメント

  • 日記を拝見していますと、自分と似た境遇に涙が出てきます。
    僕自身もB長を降りることになり、専任の地区幹事になりました。
    表向きは仕事が忙しいからですが、実際は公明支援は一切出来ないと宣言したからです。。

    お父様が大変なご様子ですね。
    手術がうまくいってよかったですね。
    一日も早いご回復をご祈念申し上げます。

    僕のHPのリンク集にアップさせていただきますね。
    今後ともよろしくお願いいたします。 -- こう (2005-07-09 18:54:28)
  • こうさん、温かいコメントどうもありがとう!
    私も先日こうさんのブログ読ませていただきました。息子が鉄道の写真きっと喜ぶと思います。 -- 談風子 (2005-07-10 09:02:38)
  • お父様、亡くなられたのですね・・
    慎んでご冥福をお祈り申し上げます。
    -- こう (2005-07-29 18:47:27)
  • こうさん、ありがとうございます。 -- 談風子 (2005-07-30 10:16:19)
  • ご無沙汰しております。
    日記読ませて頂いてて、お父様の事、たった今知りました。ご愁傷さまです。
    お母さんが寂しい思いをされている事と想像しております。もちろん、息子さんである談風さんも。
    それに、しばらくはいろいろと慌しい事と思います。お体に気をつけられお過ごし下さいませ。 -- 風来坊 (2005-08-06 13:48:01)
  • 風来坊さん、ありがとうございます。
    またお会いしましょうね。 -- 談風子 (2005-08-06 14:51:40)
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05年07月28日(木)

「こないだうちお店しまってたの」と言って、たくさんの客が来てくれる。

カミさんに、「民事訴訟最終告知通達書」というはがきが来る。差出人は、「財務省管轄支局 民事訴訟管理事務局」。おお、巷で騒がれている架空請求の一種がわが家にもついに来たか、と思った。文面を読んでも、どんな手口で振り込ませるのやらようわからん。そこで、ネットでこの差し出し人名を検索したら、一発でドンぴしゃのが出てきた。
http://www.yumenara.com/kaku/data_html/1118970608119.html
うちに来たのとまったく同じ文面で、たくさん出されているらしい。多くの人の体験談が寄せられている。でも、ネットでここにたどりつくほどの人は、だまされない人たち。この手口が続いているということは、だまされて金を失った人もいるはずである。ためしに指定の番号(なんとフリーダイヤル!)へ電話してみようかなとも思ったが、「無視が一番」と上のサイトでも忠告してくれてるので、無視することにした。
人助けのために架空請求情報サイトを開いてくれている方、ありがとう、ご苦労さん!

05年07月27日(水)

ようやく日常が戻って来た感じ。疲れは一日でとれたみたい。
でも、オヤジのいた空間が、ぽっかり。なんかまだ、へん。

母は、一人になると、オヤジに語りかけているらしい。
「そやけどやっぱり夜は怖いわ」と母。
「いいやん、幽霊でも、オヤジが出てきてくれたら」と僕。
「いやよ。幽霊ら出てきていらんよ」
「なんで。オヤジの幽霊やったら悪いことすることないやん」
「いや。幽霊はええわ。・・・ええときに迎えにきてよ、っていうてるんよ」
遙が間に入って「ええときって?」
母が答える。「おばあちゃんのええとき。死んでもええとき。まだもうちょっと生きたいよって、もうちょっと待ってよ、っていうてるんよ。」

05年07月26日(火)

台風の影響で雨。5日ぶりに店を開けたが、来る客はない。

どっと疲れが来た感じ。手足がだるい。眠い。奥で昼寝する。

05年07月25日(月)

店はお休み。でも、花の水を替え、いたんだ花を整理する。近所の挨拶回りをし、仕上げの日程などを決める。会計は姉にすべてお任せなので楽だ。

夜、家族3人で回転寿司に行き、久々に熱燗を飲む。うまかった!

05年07月24日(日)

ゆうべの通夜は、盛り上がった。いや、式ではなく、その後の、夜とぎのこと。
朝までの参加者は、長男の僕、次男の弟、長女の息子、次女の息子、そして僕の息子。ビールを飲みながら、それぞれの父親とおじいちゃんの思い出を語り明かした。感動と仰天の裏話が続々出てきて、通夜の醍醐味を味わった。こんな話をオヤジもいっしょに聞けて、喜んでいるだろう。遙(6歳)は、みんなにビールをついで回り、風呂の湯加減を見、みんなの分の床を延べて、夜明け前に、一人で、自分の延べた床に寝てしまった。

焼香順位の作成と、弔電選びをするように言われていたのに、すっかり忘れていて、朝になってあわててやる。弟は二日酔いで、頭痛薬を飲んでいる。遙に、「君のビールの勧め方があんまり上手なんで、おじさん、飲み過ぎちゃったよ」とか言ってる。

告別式も、日曜というせいもあり、盛会であった。
父は創価学会の名誉本部長の称号が贈られと広布功労者に列せられた。
父の孫総勢11人がそろって祭壇の前に並び、代表のひろくんが、弔辞を述べた。孫たちにはほんとうに好かれた父であった。
葬儀の最後にぼくが挨拶。肉親の情愛に恵まれなかった父が、たくさんの子・孫に囲まれて旅立ったことは、「所願満足」の人生の証しとなったことだろう、と。

骨揚げや初七日など、すべて終えて帰宅したのが8時頃。
それから、よさこいの手伝いに行く。僕の代役を託したY君が奮迅の活躍をしてくれていた。片づけの最後まで手伝って、午前3時に帰宅。

20日の夜から満足に寝ていないが、不思議と疲労感はない。

05年07月23日(土)


通夜式。葬祭場・吹上ホールにて。
創価学会の「友人葬」で行う。http://www.lin-mc.gr.jp/funeral/trad-sty/yujinsou.html
予想したよりたくさんの人が来てくださる。
東京からは、弟の会社関係の人がたくさん見えた。
受付は自治会の方々に頼む。まさか、僕が自治会長になって初めての自治会の人の葬儀が自分の家となるとはなあ。自治会の人も多数参列して下さった。

05年07月22日(金)

未明、父が死ぬ。
僕が駆けつけたときにはもう呼吸も心臓も停止していた。
あっけない最期だった。
なにか現実感がない。

昨夜、僕が見守っていたとき、ときどき何か訴える目でぼくを見ていたことをしきりに思いだす。
「楽にしてくれ」と言っていたのか、「さようなら」と言っていたのか。

朝まで、母、兄弟姉妹、葬儀屋と打ち合わせ。喪主は僕と決まる。
午前中に、葬儀の準備はあらかたすますことができた。5人のきょうだいと親類らが集まり、家はにぎやか。
父は、かたわらで、本当に柔和な、若々しい顔に戻って、眠っている。この父を見たら誰でもが、「成仏した」と思うだろう。

簑島の姉の義父の葬儀に、母の名代兼ねて参列。寝てないので、車の運転、危険かなと思ったが、ぜんぜん眠くない。

どうしても人にまかせられない、最低限のよさこいの準備だけ、夜、やりに行く。

05年07月20日(水)

ゆうべ、父の容態が急変。腸閉塞と腎不全を起こす。そうとうやばいらしい。

この週末に迫ったよさこい祭りのことが気にかかる。若いY君に電話。ゴミ・リサイクルの責任者替わってほしいと頼む。快く引き受けてくれたので、一安心。3R全体の責任者Nさんは、「お父さんについててあげて下さい」と言ってくれる。年上のOさんに、「Nさんのサポート頼む」と電話すると、「実はわしとこのおっかさんも、危ないんで、この週末にいなかに帰る」とのこと。

追いかけるように電話がかかってきて、姉の義父が今朝亡くなったという知らせ。あちゃー!
もうむちゃくちゃや。みんなたいへんや。

3日ぶりに母と替わって病院泊まり。
父は鼻に管を入れられあえいでいる。医師より説明聞く。「そんなことはないと思うけど、今晩、という危険性もないわけではない」とおっしゃる。

05年07月19日(火)

〈平和と憲法を守りたい市民の声〉の事務局会議。
今年の8月15日終戦記念日に催すイベントについて詳細を詰める。
3人の戦争体験者に思いを語ってもらい、僕がコーディネーターとなってディスカッション。この講師お三方は、和歌山で考えうる最適の方々と思う。貴重な機会になりそうだ。
同時に、原爆写真展と、日本人による中国海南島での朝鮮人強制労働・虐待の記録展示・ビデオ上映を行う。被害と加害をそろえることができるわけだ。そして共同アピールを採択。これは僕が書くことに。「あんまり9条のことばっかり言わずに、ひろく社会全般の右傾化の危険を指摘するものに」ということで意見がまとまる。
イベントは意義あるものになりそう。問題は客を集められるかどうか。頑張らねば。

和歌山の弁護士たちが音頭取りになって、「9条ネットわかやま」というのが立ち上がることに。ぼくも呼びかけ人のひとりに推薦されているらしい。
民主系、共産系、僕たち、そしてカトリックの人たちも参加の予定。これが実質的になんらかの活動を担えるかどうか。我が方の連絡担当者は、すこし懐疑的。

05年07月18日(月)

よさこい祭り3Rの準備は、いろいろ事情の変更もあって、なかなか神経を使う。昨夜、急に、2Lのペットのごみが数千本出そうだという知らせが入り、対策を協議。
気がかりは、父の容態だ。このまま順調にいくことを祈る。

手塚るみこ著『オサムシに伝えて』(、94年)読む。手塚治虫の娘による回想録。
手塚の素顔は、その作品、その風貌とギャップのない、慈愛に満ちた快活なものだったことがわかる。
ただ、手塚の作品は明るいものばかりではない。人間の獣性、悪魔的な面をとらえた作品も多い。手塚のそんな深刻な一面はこの書からは伺うことができない。

近所に結構な庭で知られる由緒ある料亭があるのだが、そこを大阪の有名な「がんこ寿司」が買い取って、新装オープンする。

自治会長として披露宴に招かれていたのだが、店を空けることができず、欠席。懐石食べられるところが、昼飯はカップラーメンに。残念。

05年07月17日(日)

息子が小学校に入ったのを機に、僕は日曜日は店を休んで(店は母に任せて)家族で過ごすと決めていた。ところが、父の入院で、それは無理になった。僕が店を離れられなくなったから。
日曜日にはいろいろ市民活動の行事もあるので、結局家族で過ごせたのは、先月の有田への日帰り旅行の一日だけとなった。家族には悪いがしようがない。明日も祝日だが、僕は店だ。おまけに夜は、病院泊まりか会議だ。

05年07月16日(土)

朝から息子と店にいる。うだるような暑さ。冷房のない店にはいられず、中の部屋に引っ込み、息子と遊びながらいろいろ仕事もする。

息子の日記のページは、WIKIモードではないので、コメント欄がつけられない。そのかわり、色が付けられる。「いいなあ、おとうちゃんのブログはコメントがあって」と言うが、色も捨てがたいらしく、いまのところはそのままでいいと言う。今日、僕への個人メールで、息子の日記に関するコメントがつけられていたので、本人は大喜び。はりきって今日も書いた。

夕方、店を早めに閉めて、息子がこの春卒園した保育所の夏祭りに行く。「行っていいの?」と不安そうな息子。
会場に入ると、もうモードが変ってしまった。ヨーヨーつりやら輪投げやら、例年と同じいろいろの出し物がある。これを体験するには、700円の券が必要だ。息子に聞くと、やりたい、と言う。もう小学生だし、保育所の子向けの出し物で楽しめるかなあ、と疑問に思いつつ、券を買ってあげる。息子は、うれしそうに、券を持って走り出し、またたくまに、ひとりですべての出し物を回ってしまった。「楽しかった?」って聞くと、「めっちゃ楽しかった」。「なにが一番良かった?」「全部!」手には、ヨーヨーやら、光る腕輪やら、鳴子やら、駄菓子やらがいっぱい。息子と同期の卒園生たちもたくさん来ていて、みんなやはりそういうものを持って、保育園児と同じように走り回っている。小学校に上がったからって、一気にお兄ちゃんお姉ちゃんにはならない、ということだな、と納得。
園のときの担任の先生を囲んで、みんなほんとうに楽しそう。連れてきてあげてよかった。

カミさんの帰宅は夜11時だった。きょうは昼寝もしていないのに頑張って息子は起きて待っていた。

05年07月15日(金)

真夏日が帰ってきた。強烈な日射し。雨でも晴れでも、客は来ない。

夜、息子といっしょにブックオフJ店へ。
息子がめざとく、愛地球博の公式ガイドブック・キッズ版というのを見つける。開封もしていないのが定価の半値以下なので、買ってあげる。息子は、見たいところに付箋を貼りまくっている。

先月、ウィークデーで学校が休みの日があったので、その日に地球博に連れて行く約束をしていたのだが、父の入院でキャンセルになった。夏休みには連れていかないわけにはいかない。

そもそもゼニカネと地域活性化狙いの愛地球博には反対で、行きたくなかったが、息子はやはりどうしても行きたいと言っているので、しゃーないな、と渋々連れていく気になっていた。気持ちが変ったのは、わかやま環境ネットワークのメンバーで、すでに5回も地球博に足を運んでいる若い子に話を聞いてから。環境マネージメントの面でやはりかなりしっかりやっていて、見所がたくさんあるというのだ。
金があるだけにな、動機は不純でも、優れた専門家を使って、大それた実験ができるわけだ。息子連れで一回、ではそんなところ見られるかどうかわからんが、行かなあかんな、という気にはなってきた。ただ、混雑がなあ・・・。

カミさんは九州出張で、きょうは帰って来ない。

「おかあさんが外に泊まりの日は、お父さんと、悪いことをします。」と息子が学校への連絡帳に書いたら、先生がまじめに受け取って、
「遙くん、だめですよ。そんなこと、本当に」と書いて返してきた。
そしたら、遙は、「悪いことというのは、外食したり、夜中にコンビニ行ってお菓子買ったりすることです」とまた書いていた。
今晩は、その通りのことをした。

d05年07月13日(水)

わかやま環境ネットワークの第3回運営委員会。
代表理事のOさんより、NPO法人としての認証が得られた旨の報告がある。これで、和歌山県より温暖化防止センターとしての指定を受けるために手を挙げる資格が得られたわけだ。指定の結果は、8月上旬にわかるという。指定されたら、忙しくなるぞう(いまでも十分忙しいけど)。
Oさんの提案したある案件が思わぬ否決。ぼくとOさんだけで相談したとしたら、「まあ、ええんじゃないの」と軽く通していたと思う。真剣に考えて発言してくれるメンバーが何人もいたから、いろいろな問題点が浮き上がって、軽率な判断が防げた。3人寄れば文殊の知恵、を実感した会議だった。

スーパーのレジ袋を有料にする方向で環境省が検討している。いろいろ抵抗もあるようだが、遅かれ早かれそうなるだろう。
僕も、一応「環境活動家」(自認)なんだから、レジ袋なんかもらっちゃだめなのだが、ついつい買い物バッグを忘れて、もらってしまう。いつもしまったと思う。うちのカミさんはその点徹底していて、ほとんどレジ袋はもらわない。
本屋では、マイバッグに入れるから袋はいらない、というと、「ではテープを貼らせて下さい」とレジの店員が言う場合がある。カミさんは「いやです。本が汚れるし、テープがもったいないでしょう」と断固拒否する。僕なら気が弱いから、納得できなくても、テープくらいまあいいや、と引き下がってしまうのだが・・・。
アメリカにいたとき、どこの店でも、なにを買おうが、レジで、「Need a bag?」と聞かれるのにとまどったことがある。「bag」というから、なにか立派なバッグでもくれるのか、と思ったら、ただのプラのレジ袋か紙袋のこと。大きな本屋でもそうだった。万引き対策どうしてんのかな、と気になるが、見習うべきだ。

d05年07月12日(火)

病院泊まり込み。父は夜中に何度も起きあがり、トイレに行こうとする。その都度、「もうおしっこは、ここの管から出てるんよ。トイレに行っても出えへんで」と説得する。おかげでぜんぜん眠れんかった。

Mさんが某大手企業退職者の仲間たちと立ち上げた「有限会社ライフ企画」、技能者をチームにした何でも屋だ。これまでほぼ休眠中だったが、知恵を貸してほしいと言われて、僕が事務所を引き受けることに。僕の店に新規の電話を引いて、僕が注文を受けてMさんに回す。また、新規事業を立ち上げる予定だ。この間ハローページとタウンページに電話番号を登録したばかりだが、電話帳自体は9月にならないと発行されない。おそらくネットのタウンページから探したんだろう、2つ電話があった。一つは、新聞社からの広告セールス、もう一つは、コクヨの「kaunet」カタログの案内。仕事の注文はまだひとつも。

d05年07月11日(月)

わかやま環境ネットワークの「よさこい3Rプロジェクト」の会議。
これは、7月23日・24日に開催される「おどるんや!第2回紀州よさこい祭り」を環境面からサポートするプロジェクトで、当日のゴミの分別収集とリサイクル、出店の食器のデポジット式リユースシステムの運営を行うもの。祭り実行委員会の公認プロジェクトであるが、独自にやるもので、自分たちで資金を集め、ボランティアを集めて行う。
資金は広告集めでほぼめどがたったが、祭り当日自分たちの出店「WeNET Cafe」を出して足りない分を補う。欲を言えば、黒字にして今後の活動資金にしたい。
ボランティアも、十分ではないがなんとか回りそう。
僕たちのキャッチは、「回すんや!減らすんや! よさこい3Rプロジェクト」という。
当日、回す食器が足りなくなることが一番怖い。

05年07月10日(日)

今日はまた一日中雨。こんなに降るとまた土砂災害が起こりそうな雰囲気だなあ。僕の住んでいるところは町中で浸水の心配もないところだからいいけど、その危険のあるところに住んでいるひとは心配だろうな。

「超野心的・増殖式・同時進行版・われわれの現代史」の執筆を始める。
「現代史」というのは、だいたい自分が体験的に知っている時代から、ということで、1970年くらい、日本の高度成長が終わりを告げたころから現在までの政治・経済・社会・文化・思想史。
「われわれの」というのは、「日本史」でもなく「世界史」でもなく、自分の思いの届く範囲で、自分に対する切実さという観点から重要度を測って歴史的事象を取り上げる、ということ。だから、当然日本国内のことは濃く取り上げるが、米国のことも自分にとっては影響大で切実な関心事だからわりと濃くなると思う。「世界史」じゃないから、自分にあまり切実な関心のないアフリカとかラテン・アメリカのことは薄くなるだろう。地球外のことは当分無視だ。環境のことを考えると、人類以外の生物に起こったことには関心があるが、どう取り上げるべきか・・・。
「同時進行版」というのは、現在進行中の事件を日々書き加えていくから。
「増殖式」というのは、アトランダムに書き進め、項目の追加・加筆・修正を日々行って、完成態というものがないから。関心がなかったアフリカのことも将来関心が出てくるかもしれない。そのときには過去にさかのぼって記述が追加されるはずだ。
「超野心的」というのは、アマチュアの僕にとってはめっちゃ野心的な計画だから。まあ、最初はお勉強のつもりでやる。そのうち形が整ってきたら、「案外おもしろくて、わかりやすくて、ためになるぞ」って、出版の話でも出てきたらうれしいな。
今日は「対テロ戦争」をすこし執筆。
さて、これも二日坊主で終わるかどうか。執筆のために、大量の新聞の切り抜き、整理しなくちゃ。職場=実家においてあるのだが、母に、虫が付きそう、って嫌われてるのだ。

このところは毎日2冊づつコンスタントにアマゾンで本が売れていく。読みたい本を手放すのは悲しいけれど。今日はわざわざ松山からお礼の電話がかかってきた。こんなことは初めてだ。

昨日仕入れた本を出品。今回は結構いい線いってる。
これで在庫は660冊。
僕は、自分の読みたい本しか仕入れない。売れ残って、捨て値で売りに出したり、いらない在庫抱えるのはまっぴらだから。ジャンルは、政治・経済・歴史・宗教・思想・芸術・外国文学。そのほか、自分の趣味として、司法試験・英語・料理・自己啓発の実用書。よく知った分野だから、目利きはできるつもりだ。カス本をつかむことはない(めったに)。
自分が読みたい本だから、売れ残って自分の蔵書になるのもそれはそれでうれしい本ばかり。その本相応の、自分が売りたい値段でしか出さない。だから、出品者中最安値になることはあまりない。それでも、ほかに出品者がなければ売れていく。そうそうたくさん本も読めないから、大半はささっと拾い読みをして、名残を惜しんで泣く泣く発送するのだ。
ビジネス書にはあまり手を出さないが、先日、ドラッカーの処女作『経済人の終わり』を仕入れ、注文が来たので(これはいい値で売れた)、あわてて読んだところとても感心した。で、最近はドラッカーを100円で見つけると必ず買う。ただし、古本屋にも新本屋にも彼の本はあふれているので、アマゾンでは安くしか売れないのは、覚悟している。

病院に泊まり込み。
二人きりになったとき、耳の遠い父に、耳元で大きな声で話しかけた。
「わかるか、お父さん。いまどこや?」
「病院」と、父。
「あのな、きょうな、お父さんに、電話があって、シベリア抑留者の賃金を、国が支払うっていう法律が、この国会で通りそうなんやて!・・・いくらになるかわからんけど、お父さんの、シベリアで働かされたときの、賃金が出るんやて!」
「そうか」父は絞り出すような声で一言。じっと天井を見つめている。
しばらくすると、父の目元に光るものが。ティシューをあげると、眼をぬぐい始めた。父が涙を流すのをはじめて見た。
眠り始めた父を見て、どんな夢を見ているんだろう、と想像する。会った記憶のない母親(父を生んだ直後に死亡した)に甘えているのか。満州の平原を馬で駆けているのか。シベリアで凍えながら仲間と励まし合っているのか。あるいは、幼子を抱えて商売に走り回っているのか。

05年07月09日(土)

昼過ぎ、瞬間的だがドン、という突き上げるような地震があった。続くのかな、と身構えたが一回切りであった。同じような地震がひと月ほど前にもあった。不安である。

その30分後くらい、店に、息子がいつもののんびりした声で電話をかけてきた。「おとうちゃん、さっきな、たいへんなことが道であってん。」
わかりにくい彼の話を整理すると、片側4車線の国道をカミさんが息子を乗せて車を運転していると、となりの一番左側の車線を走っていたスクールバスが突然大きく横に揺れた(カミさんの推測では、地震で揺れたのではないかという)。それで、息子が、どうしたんやろと思い(カミさんたちは地震を感じなかったという)、「あのバスの後ろ走って」とカミさんに頼んだので、カミさんは車線変更してバスの後ろにつけ、信号で停まった。すると、いままで走っていた車線で停まっていた別の小型車に、後ろからトラックが走ってきて追突し、小型車はめちゃめちゃに壊れたという。車線変更しなかったら、うちの車が追突されているところだったそうな。後で電話を替わったカミさんが「まだふるえがとまらんわ。」と言う。

深夜、ブックオフK店で仕入れ。26冊。もう、ここもめぼしい本がない。文庫本を買うしかなかった。100円本以外の棚もチェックしたが、たいしたものはない。ということは、これから格落ちして100円本の棚に下りてくるやつも期待できないということ。どうしよう、これから仕入れ。

05年07月08日(金)

久しぶりに、雨の降る気配がなく、そんなに暑くもなく、わりと過ごしやすい一日だった。それで久しぶりに花屋の客も20人を超えた。なじみのお客さんがたくさん見えて、常連さんにも見捨てられたか、と思い詰めていたこの2週間ばかりのもやもやがすこし晴れた。

イギリスで行われているサミットでは、各国首脳が「一致団結してテロと闘う」と表明。いつも同じことだが、もうそろそろ、「テロと闘う」哲学と方法が問題だ、と、どこかの指導者がはっきりと言うべきではないか。

05年07月07日(木)

本日のメールマガジン「旧暦で生こう」の記事から

「今日は二十四節気のうちの小暑です。暑気がこれから盛んになります。小暑から立秋までの間が暑中で、暑中見舞いはこの期間内に送ります。
また今日は新暦では七夕ですが、旧暦の七夕は今年は8月11日になります。七夕が梅雨の最中になったのは明治以降のことなんですね。」

ほーっ、どちらも、知らなんだ。

ロンドンで同時多発テロ。タイミングといい、方法といい、狙いすましたような攻撃。まだ犠牲者は何人かわからない。記者会見するブレアさんの顔がゆがんでた。

05年07月6日(水)

父の手術は、一応無事に済んだ。看護師さんの「足を動かしてみて」という問いかけにも正しく反応。
医師から、摘除したばかりの膀胱を見せられ、説明を受ける。「やはりかなり大きなガンでした。いまのところ順調にいっています。ただし、将来再発する確率は5割くらいです。」ということだった。
ガンの箇所触らせてもらう。人の内臓を触ったのは初めてだ。焼き肉のモツと同じ。ガンは周りの肉と違って明らかに変色して固い。

母と、3人の姉たちといっしょに、病室での付き添いの日程を立てる。1人、一番下の男子だけは千葉に住んでいるが、ほかの4人の子どもたちはみんなわりと近くに住んでいる。特に長女は歩いて数分のところだし、僕は実家が職場だし、父母にとっては心丈夫だよな。父ちゃん、たくさん子供つくっておいてよかったね。病室で、父のりっぱな種芋を見ながら思った。

郵政民営化法案が衆院で、5票差で可決。参院での成立が危ぶまれるようになった。小泉首相は参院で否決されたら解散すると言っている。ほんとに、政治ってのは予測つかないおもしろさがあるな。民主党は、都議選で躍進したから、解散でもいいよ、って雰囲気になってだろうか。公明党はおもしろくないだろうな。小泉に義理立てして、反対派の自民議員を恫喝して悪者になって、そのまま解散じゃなあ。しかし、総選挙になったとして、国民に関心が広がらない郵政問題が焦点じゃ、選挙自体は盛り上がらないだろうなあ。

05年07月5日(火)

5時に起きる。曇り。

朝一で市役所の障害福祉課に行き、父の障害者手帳申請の様式をもらってくる。
旧知の障害福祉課長が声をかけてくれ、立ち話。今年の予算の、団体・施設に対する市単独補助金一律カットのこと、精神障害者施策と身体障害者施策の統合のことについて話す。

05年07月04日(月)

5時に目覚まし鳴ったが、うつらうつらして6時になっちゃった。二日坊主、であった。

昨日から続いて、今日も一日中雨。お寺で施餓鬼http://www.miyagawa.com/syuha/2101-3.htmlが行われているため、この雨でも墓の花が売れ、久々に売上1万円超えた。

店の屋根裏に野良猫が居着いてニャーニャーとうるさかったのが、人に教えてもらって、クレゾール石けん液http://www6.ocn.ne.jp/~siyaku/syoudoku/kurezol.html
を水で溶いて置いておいたら、たしかにこの2,3日は鳴き声が聞こえなくなった。

父の手術の説明を、本人、母、姉と私の4人で、医師から受ける。
膀胱のガンが、根が深く筋肉にまで達していて切除は不可能、全摘しかないこと。同時に、相当肥大している前立腺をとってしまうこと。術後は腸から尿を体外に排出するように、ストマhttp://www02.so-net.ne.jp/~morito67/diary/sutoma.htmlというものを装填すること。手術のリスクは、高齢であるため肥立ちが順調にいくかどうか、ということと、腸の大動脈瘤がかなり大きいためその破裂の危険が常にあること、のふたつ。順調にいけば手術後1ヶ月で退院できること、などが説明された。父が、「わしは今はどこも痛くない。もし手術せんかったら、どのくらい生きられるんや?」と聞くと、医師は「1年」とキッパリ。それからにっこり笑って、「頑張ってみましょうよ、きっとよくなりますよ。おしっこはいまよりずっと楽になる。」と父を励ましてくれる。父も納得して、手術承諾書にサイン。
僕と姉は、メモを取りながら聞く。医師の隣に看護婦が座ってやはりメモをとっている。医療訴訟に備えてかな?と思う。

そのあと、遅れて、わかやま環境ネットワークの事務局会議。食と農業部会の責任者のSさん、市内遊休休耕地を利用した有機米耕作にたいへん反響が大きいことを紹介、地産地消を組み合わせた展開を工夫したいと語る。いつもながらこの人の話は、(長いのがたまに傷だが)わくわくさせてくれる。僕も時間があれば手伝いたいのだが、今は無理だ。
珍しく9時には終了。早く帰ったのでカミさんに驚かれる。

東京都議選、自民微減で民主躍進。その分共産党と生活者ネットが減らした。公明はやはり全勝。
自民が微減にとどまったのは学会票のおかげ。(◎公明党)これからこういう事態が全国の自治体選挙でも現われてくるんだろうな。社民党は情けないことに1議席も取れなかった。内田裕也の元バンドマンが公認で出て、若者の票を取ろうと頑張っていたのだが・・・

05年07月03日(日)

5時起床。手帳を見て、しっかりと本日の行動計画を書き込む。

昨夜からずーっと雨。ふつうだといやになるが、いまはうれしい。気温も下がり、久しぶりに汗をかかない一日だった。
店は、ひょっとしてボウズか、と思ったが、一瞬の雨の晴れ間に墓参りの客が2人来てくれて、少ないながらも、店を開けていた甲斐があった、と胸なでおろす。

母親が家にいるのに、息子はお父ちゃんのところがいい、と朝から店に来る。パソコンまた調子悪くなるといけないので、コンピュータ・ゲームは禁止。
そのかわり、息子の要望で、ネットで集めて「愛唱詞華集」を作ってあげる。本屋で、斎藤孝の編んだ詞華集を見て、買ってほしいと言うのだが、そんなんはお父ちゃんがネットで取ってきて、もっといいやつ作ってあげる、と請け合っていたのだ。
世界に一つだけの花、涙そうそう、さくら、ふるさと、雨ニモ負ケズ、じゅげむ、鉄道唱歌等々を入れる。案ずるより易く、ほしい詞はすべてネットで集められた。鉄道唱歌は、息子のリクエストにはなかったが、僕が、息子が喜びそうだと思って取り入れた。案の定息子は喜んで、僕にその長い長い歌を延々と歌わせて聞き厭きない様子。子どもの頃から文語表現に親しませるのはよいことと思う。
夜寝るまで息子はずっとうれしそうにその「詞華集」を手にして眺めていた。

アマゾン・マーケット・プレースに自分の蔵書の文庫本ばかり30冊を出品(もうハードカバーの本はほとんど出品し終わった)。品切れの本が数冊あり、強気の値段を付けたが、どうかな、こんな値段で買う人あるかな・・・。

夕方、店を閉めてから、和歌山市駅前で、東京から来たフリーライターのY氏と会う。
月刊誌の企画で、「都議選に燃える創価学会」という記事の取材。「なぜ学会員は選挙にこんなに燃えるのか」「公明党の政策に疑問を持っている学会員はどうしているのか」「一般の学会員は公明党のイラク戦争支持をどう思っているのか」「なぜ学会はあんなに激烈な裏切り者キャンペーンをやるのか」等々質問される。うまく誘導されて、結局3時間以上、しゃべりまくる。
僕をどうして知ったのか、と聞いたら、グーグルで、「創価学会×イラク」で検索したら、個人名で僕とJ君の2人が出てきたのだという。J君とは、先々月淡路島で会って来たよ、と言うと驚いていて、僕らの人間関係を興味深そうに聞いていた。
事前に「絶対正義の獅子たち」http://6604.teacup.com/yoshihiko/bbs
という、学会内反戦派の掲示板の存在を教えてあげていたのだが、Y氏は、それの分厚いプリントアウトしたやつを持ってきていて、ずいぶん読み込んでいる様子だった。「ここの常連さんは、まじめで、言ってることがまともですね」とおっしゃる。「いやあ、でも影響力はほとんどないですよ」と僕が言う。「いや、きっと、皆さんが思っている以上に、影響力はありますよ。これからじわじわ広がっていきますよ」とY氏。

05年07月02日(土)

一念発起。朝5時に起き、勉強。このブログのために、著作権制度について解説書を読む。
引用は、自分の主張を補強する必要性の観点から正当化され、その範囲で許される。出所を明示することが条件、とか。
新聞の個々の記事を全文コピペしてHPに掲載するのは、「引用」とは言えまい。いずれ自分で要約、解説を付けていくつもりだから、いまはお見逃しを。

長いことしまっていた、A5版のシステムノートを引っ張り出してきて、使うことにする。予定表リフィールをアウトルックでつくる。これで、時間管理、お金の管理、予定の管理をしっかりするのだ!そして右半分の空白のページにどんどん覚え書きをつけていくこと。

夜には小説をすこし書く。去年の暮れ、かなりの枚数書いていたのを、パソコンが壊れてすべておじゃんにしてしまったのだ。まあ、自分でも、自信作とは言い難かったから、そんなに惜しくはないけどね。それを書き直す。

ついでに、マイドキュメントのバックアップを久しぶりに取る。アウトルックエクスプレスの受信・送信メールのバックアップってどうとればいいんだ?なんか本買ってきて勉強しなきゃ。

挫折した人間の復活した経験を紹介する朝日の日曜の「逆風満帆」というコラムはいつも愛読している。最近では、秘書給与詐欺で実刑に服した元衆院議員の山本譲司、大麻事件で干された槙原敬之。今回は、小説家・山本一力。小説で2億の借金を返そうとしている男。書き疲れれば寝、起きればまた書き続ける日々とか。彼も第一作が賞を受けてから何年間も鳴かず飛ばず。それでもひたすら書き続けた。自分を信じることと、こつこつとした日々の努力だ。

断続的に雨。客は5人もない。

ブログの更新。
ブログお客は確実に増えている。いったいどんな人が見に来てくれているのか。今日は見知らぬ人がコメントも寄せてくれた。

05年07月01日(金)

7月だよー。どうすんだよ。家に持って帰る金がねえーっ!カミさんにどう言う?

パソコン突然不調に。最近近所にできたパソコン修理屋さんに持ち込む。セーフ・モードでシステム復元してもらったら直った。3千円。うー、セーフモードという手があったんだ。Hさんに頼まれたチラシ今日中に作ってあげなくちゃいけなかったのと、アマゾンから本の注文があったので、とにかく急いで復旧しなきゃとあわてたのでかけこんだのだ。まあ、3千円ですんでよかった。おれの時給、500円にもいまは達しないけど。

夕方、どしゃぶりの雨。これで水不足はひといきつくだろう。
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