dunpoo @Wiki

自己啓発反省日記08年7月上

最終更新:

匿名ユーザー

- view
管理者のみ編集可
名前:
コメント:
↑ご自由にコメントをお書き下さい。

●7月1日(火)
1030就寝。朝400に目覚めて本を読み、二度寝すると、悪夢の連続。

車のブレーキがきかず暴走という夢をまた見る。

運転しているのはたいてい慣れないクラッチ車だ。事故らず無事に停まってホッとしたら警官に見られてたらしく、訊問。免許証不携帯(実は昨日出がけに免許証入れが見つからず、不携帯ですこし運転したのだった)。車内を捜索され、犯罪のマニュアル本とピッキングの道具が見つかる。「免許証は家に忘れた」というと、家までついてきて、家捜しされそうになり、「待て、令状が要るはずだ」と抵抗するところで目が覚めて、汗びっしょり。

午前中は黙々と仕事。午後は会議。その後同僚とあれやこれや。

テレビニュースに

諸物価値上がりに悩むという庶民の姿

が写される。でもまだ余裕のある表情に見えた。僕は、我が家の家計の全体像を把握していないし、昼食はいつも我が家の冷蔵庫にあるもので自分でつくって持ってってるし、車のガソリンだって月に一回入れるか入れないかだから、実感がない(税金や保険料の高さの方が痛いな)。でも、アフリカなどの最貧国で食料高騰に苦しむ人たちのことは気になる。

●7月2日(水)
1030就寝。600起床。
ほんとうに久しぶりに夢に父が出てくる。僕は東京から和歌山に帰ってきた当初一年ばかりプロパンガスの配管工である父の仕事を手伝っていた。そのころの話だ。退屈な仕事が早く終わらないかなあ、終わったら今日は、まだ日も高いから、

自転車で古本屋まわりをしようと夢想(夢の中で夢想するわけだ)

している。その夢想する古本屋まわりのコースは、東京である。仕事が終わって、さあ出発、というところで目が覚めた。
この東京の古本屋まわりという夢、それも和歌山の実家から出発、という夢をよく見るのだが、いつも古本屋にはたどり着かないか、一軒目の、家のちかくにあるしょぼい店(本棚一本の、現実にはあり得ない店)で幻滅して終わるのである。
これは何を現しているのか?充たされない思い?挫折感?東京への憧れ?古本への愛着?現実逃避?

●7月3日(木)
夜中目を覚まし、ヘロドトスを読もうと思うが、どこに置いてきたのか本が見あたらない。そこで本棚を物色し、これもまた長い間読もうとして手がつけられていない

頼山陽の「日本外史」

を手にとり、読み始める。武家の歴史ということで、話は平氏から始まる。岩波文庫の古い版で、読み下し文にしてあるだけで注も少ない。僕の漢文読解力では、意味をちゃんととっているかどうかおぼつかない。それでも、「日本外史」は、日本人に読みやすい平易な漢文ということで江戸時代に人気を博したそうである。自分の学力のなさを思い知らされる。

浅岡さんの講演の筆記録を書き上げる。案外早くできた。

毎日新聞の記者から昨年の選挙の際の自動車借り入れについて問い合わせ。

まったく忘れていたが、レンタカー会社じゃなくて看板会社と契約していたんだなあ。看板の取り付けや拡声器のとりつけは選挙用自動車の公費負担の範囲内と認識していると答える。でも、選管がそうじゃないと言えば問題になるだろう。不祥事のように書かれるのではないかとどきどきする。不正をしているという意識は全くないが。

●7月4日(金)
毎日記者の取材のことが気になって寝付かれず、起きだして

『ドラッカー20世紀を生きて―私の履歴書』

(日経新聞社)を一気に読了。

第1次大戦前のウィーンで、オーストリアの大臣の家に生まれた。ドイツで経済ジャーナリストとして頭角を現したが、ナチスの台頭に危機感をもち、ユダヤ人思想家を評価する本を刊行して間一髪でドイツを脱出。イギリス・アメリカで順調にキャリアを積む。時代を先取りする独創性で次々に話題作を公刊。きら星のような学者やビジネスマンとの交友。読んでいてため息が出るほど、優雅で多産で堅実な人生だ。
彼の執筆方法がおもしろい。まず手書きでアウトラインを書き、それをもとにテープに草稿を吹き込む。外注でそれを文章化させ、それをもとにタイプ原稿をつくる。これを3度繰り返して、決定稿にするという。

きのう書いた浅岡さんの講演筆記録を3分の2くらいに縮める。書くのと同じくらいの時間がかかった。文章を削るというのはほんとに難しい。
校閲を得るためにこれを浅岡さんにメール送信。

そのあとさらに機関誌の短い原稿を1本書き、取材の承諾を取り、そして夕方から、やはり掲載予定の「環境教育」についての専門家の座談会を事務所でやる。

明日から来週火曜日まで事務所に出勤できないから、なんとか今日までに機関誌の仕事、自分の担当分にきりをつけたかったが、なんとかできた。

「環境教育」の座談会

はおもしろかった。行政の人、教師、市民活動家の3人をお呼びして僕が司会をやった。初めての試みで、不安だったのだが、みなさんよくしゃべってくれて、その内容が濃い。あっという間に予定の1時間半が過ぎた。無名の人たちだけれど、ほんとうに深く教育のことを考えていて、頭が下がった。いやー、勉強になった!さあ、これを3000字足らずの記事にまとめるのは大変だぞ。

その後あすのイベントの準備でHさん宅を訪れ、なすびをいただいて、夜900に帰宅。うちのおかずもなすび。

●7月5日(土)
今年当初から準備してきた、地元テレビ局と行政といくつかのNPOで実行委員会をくんでの

環境+音楽イベントの本番。

会場は、片男波公園と和歌山城西の丸広場の2箇所。僕は和歌山城の方のスタッフとして、朝から夕方まで働く。
早朝から開会直前まで激しい雨が降っていた。その後は晴れて、ちょうどステージのときはカンカン照り。そういうこともあってお客さんの入はずいぶん寂しかったが、メインの尾崎亜美のステージは良かったあ!いいもの見られて得した。
片男波会場の様子を電話で聞くと、ほとんどお客さんがいない、と泣いてた。朝の雨のせいでアテにしていた海水浴場からの客の流れがなかったせいか。
夜は、和歌山市内のライブハウス6店の協賛イベントで、こちらはどこの店も満員の盛況だったという。

夜1030からそのライブハウスのひとつで、イベント全体の打上パーティ。てんでにステージに上がって歌を歌って盛り上がる。僭越ながら僕もオリジナル曲を弾き語りしちゃった。

日が変わってから帰宅。ああ、疲れた。やっと終わった~。

●7月6日(日)
朝800関空発ANA機で札幌へ。NPOの職員たち5人づれ。

午後から札幌コンベンションセンターで行われた

「G8サミット市民フォーラム」に出席。


昨日の酒がちょっぴり残ってるし寝不足で、居眠りしないように必死でメモをとる。
南アフリカから来た反貧困の市民活動家、ウガンダから来た女性の権利と反貧困の活動家の話に感動。特に、後者・ノエリン・カレーバさんの、「それでも世界は変えられる」という確信に満ちた雄弁には圧倒された。彼女が言うには、「貧困、AIDSなど途上国の社会問題を解決するキーは、女性の権利の保障にある」。ひじょうに説得力があった。

まる一日の聴講はつらかった。そのあとみんなで北海道料理を堪能して、札幌のホテルに泊。

●7月7日(月)
今日から洞爺湖サミットであるが、我々は札幌から洞爺湖への道と反対側に進み、環境研修に。

昨年、我々のNPOの講座に講師として呼んだ北海道の環境NPOの方に案内してもらってのツアーだ。まずは、東川町の養鶏場の見学。「飼料はすべて地元産だから、うちの卵は、フードマイレージゼロ」と自慢していた。そこの産みたての卵をわけていただいて、地元のそば屋さんに持ち込んで食事。次に

大雪山旭岳

にロープウェイで上がり、散策。高山植物の一番きれいな季節。ガイドさんの団体がここでのパトロールと自然解説を請け負っているので、それに関連する話をいろいろと伺う。

そして泊まるのは、東川町のバンガロー。食事は、昼間伺った養鶏家の奥さんの手料理。今日見てきた鶏のうちの一羽が我々のためにしめられたわけだ。
ガイドさんを交え、食事しながら環境NPOのあり方を語り合う。ガイドさんの団体と連携した事業のアイデアで盛り上がる。

●7月8日(火)
バンガローで6時に目覚め、一人で周辺を散歩。そのあと朝食までの時間、外で読書。暑くもなく寒くもなく、朝はホントに清々しい。

昨日のガイドさんについて、まずは彼の事務所を訪問。われわれの事務所とまったく環境が違って自然のなか。うらやましくはあるが半面ちょっと寂しくて不便かなと思う。

次に、無垢材を使った家具を製造販売している

「北のすまい設計社」

を見学。ずいぶんくわしい説明をしてもらう。ここは社の敷地内に、直営のイタリアンレストランがあって、そこで昼食。めちゃおしゃれでおいしかった。

最後に、山地酪農のパイオニア

斉藤牧場の見学。

牛によって荒れた産地を牧場に変える驚きの放牧。見事な景観に我々一同感嘆の声を上げる。創業者の斉藤さん自らの説明を受けることができたのもうれしかった。

サミットの関係で旭川から札幌への高速道路が通行止めということなので、電車で札幌に戻り、夕方の飛行機で関空へ。

帰宅10時。カミさんと遙には、二人の大好物の「マルセイバターサンド」を持って帰る。

●7月9日(水)
仕事たまってるからすこし早めに出勤。
今日は会議などの予定は入っていないが、明日からは会議の連続なので、その準備をする。

久々に仕事して疲れる。

3時頃には帰りたくしようがなかった。

夕食後、遙と二人で宮脇書店へ。遙は時刻表、僕は子ども向けの植物図鑑を買う。

●7月10日(木)
ゆうべ買った植物図鑑、おもしろくて、深夜までかかって一気に読んで(見て?)しまう。

先週のイベントの

実行委員会の反省会と打上パーティ

を開く。
皆が率直なかつ前向きな発言をしてくれていい会議だったと思う。

帰ってから遙と箱根旅行の計画を立てる。遙は、伊豆にも行きたいと言い出す。伊豆へ行くなら電車は不便だから、車で行こうかということになる。

●7月11日(金)
午前中、自然系環境団体のシンポジウムのことで田辺のT先生と打ち合わせ。いつもT先生の快活さにと親切さには感銘を受ける。でも、

田辺の人

は、僕の知る限りみんなこうだなあ。

午後、大阪へ行き、今年の○○コンクールについて、近畿各府県の主催団体と意見交換。

難波の古本屋

に寄る。
「木の見かた、楽しみ方」朝日選書500円。
世界の名著「パース、ジェイムズ、ヂューイ」、創元選書「野の仏」、桑原武夫編「文学理論の研究」 以上各300円
石川達三作品集「生きている兵隊」、高山岩男「文化類型学研究」、塩沢君夫「寄生地主論」、山田盛太郎「日本資本主義分析」 以上各100円。

帰りの南海電車車中で、

高山岩男

の本を拾い読み。昭和16年の本なのだが、あまりの皇道派ぶりにあきれる。もうすこしまともな学者と思っていたが、こいつは破廉恥なのかバカなのかどちらかである。

同じく車中で、

石川達三の「生きている兵隊」

の本の中に挟まっていた月報の解説(久保田正文)を読む。昭和13年、これが発表された中央公論が発禁になり、社と石川が起訴されて有罪と
なった経緯がくわしく述べられていて、とても興味深く読んだ。石川の法廷での陳述は実に堂々としていたようである。「皇軍が国内の報道ではあまりに美化されている。その実態を伝えたいと思った」というような供述をしている。戦後、左翼からこの小説は「戦争の悲惨さは描かれていてもその戦争を引き起こした日本の権力構造への批判がない」とかいうことで批判されたという。不十分だったかもしれないが、孤立無援で戦った石川の立場に寄り添った評論がなぜ左翼にはできなかったのか。

730帰宅。その後遙とまた宮脇書店へ行って、伊豆のガイドブック買う。

●7月12日(土)
橋本市に出張。
そのあと地元の環境団体のメンバーと懇親会。またいろいろな企画が盛り上がる。うーん、これ以上忙しいのはいやなんだが・・・。
和歌山駅に帰りついてから、電車の時間待ちの人とまた駅前で飲み、帰宅は1030。
このところずーと宴会続きだなあ。

肝臓をいたわろうと、ウコンを飲む。


●7月13日(日)
明け方新聞を読んでからもういちどふとんにもぐり込んだ。なかなか寝付かれないな・・・と思っていたら、実家の近くを歩いている。3ヵ月前に取り壊した実家がなんとそのままある。「これは夢だ」と確信したが、念のために中に入ってみる。3人の姉が、ふとんの上でごろごろしている。3年前に死んだ父が座っている。そして奥の座敷では、母が、それも髪の黒い若い母がなにかつくろいものをしている顔を上げて、にこやかに「お帰り」と言ってくれる。「これは夢だ。でも、もう一度生まれ育った家を見て、父にも会えてよかった」と思って家を出る。振り向いて見るともう家はないんじゃないか、と思いつつ振り向くと、やはり家はあった。「ひょっとして、家を取り壊したのが夢で、今が現実なのか」と思う。中をのぞき込む。すると、もう人はおらず家の中はがらんどうだった。「やっぱり夢だったんだ」とがっかりして自分の家に戻る。
僕が戻ったのはニューヨークの大学の寮だった。部屋の前に、留学生担当の大学職員が僕を待っていた。瞬間、「あ、僕が単位をぜんぜん取ってないので事情を聞きに来たんだな」と悟った。その女性の職員(知らない顔だ)が口を開いた。「ちかごろいかがですか?なにか変わったことがありましたか?」「ええ、実は実家を取り壊したりして忙しかったもので・・・」言いながら僕は、「ああ、来年大学院を修了するのは絶望的だな」と思った。・・・憶えているのはそこまでの夢だ。

家族や幼い頃への郷愁、やり残した事への後悔、かな?


護憲の署名、和歌山駅前で。5人で90筆。新しい人一人加わる。僕は20筆とカンパ百円獲得。献血募集キャンペーンしてた可愛い女子大学生3人が署名に応じてくれたのはうれしかった。仕事のことで連絡とらなきゃと思っていたFさんが通りがかったので、連絡をすまし、署名ももらう。

カミさんは住宅ローンの講座に出るというカミさんを車で送って、安いスタンドでガソリン入れて、ついでに

ブックオフ次郎丸店。

あまり収穫なし。
講談社学術文庫「絵で見る幕末日本」600円
そんほかは全部105円本で、
学研の全集「現代の日本文学」のうち「石川達三」「島尾敏雄・井上光晴」「武田泰淳」の3冊、
単行本で「面々授受」「消えた少年たち」
文庫本で「童話の研究」「現代経済学の巨人たち」「司馬遼太郎の「かたち」」「毛沢東秘録〈上〉」 「谷崎文学の愉しみ」。
「現代の日本文学」の収録作品はほとんど持っているが、解説と作家のアルバムのページがおもしろそうだったので買った。「毛沢東秘録」は産経新聞連載時に読んで感心したもの。

ブックオフでNさん夫妻に会う。奥さんには選挙のときずいぶんお世話になったので、その後のご無沙汰を平謝り。

夕方から倉庫の本の整理始めるが、日が暮れて(電灯がないので)、途中で終わってしまった。

遙と、今度の

箱根・伊豆旅行の計画を練る。

僕は博物館・水族館と歴史スポットに行きたい。遙は、交通機関と奇岩・洞窟に興味がある。カミさんは食べるところと泊まるところ重視だ。今度もまたたいへんハードな旅行になりそう。

●7月14日(月)
就寝前、「漢文研究法」で使役の再読文字について勉強。
例題に出ていた次の荀子の一節に考えるところあり。

義と利とは、人の両つながら有するところなり。

堯舜と雖も、民の欲利を去る能わず。

然り而して能く其の欲利をして其の好義に克たざらしむ。桀紂と雖も、亦民の好義を去る能わず。然り而して能く其の好義をして其の欲利に勝たざらしむ。故に義利に勝つ者を治世となし、利義に克つものを乱世となす。

戦後の日本社会は、経済優先で「利義に克つ」社会であったように見えるが、「平和主義」という義を守ってきた点からいえば「義利に勝つ」治世であったといえるのではないか。いま、民の心から「平和主義」が抜け落ちまったく「利義に克つ」乱世になりつつあるのではと、僕は危惧する。

終業後、御坊市へ行き、ステファン・スズキという日系デンマーク人の講演

「環境先進国デンマークという国」

を聞く。とてもおもしろかった。
手厚い教育政策と福祉政策によってひじょうに生産性の高い国になっているという。石油危機のときにエネルギー自給率は1%だったのに、今は風力とバイオマスの普及で100%を超えているという。そして食糧自給率は300%。
デンマークにもいろいろと問題もあるのだろうが、なんでこんなに日本と違うんだろう?なんで日本ではこんなふうに賢くできないんだろう?と思っちゃう。

●7月15日(火)
朝、県庁各所まわる。
会社では、明日の環境省、県との会議の準備で一日終わる。いい企画思いつきルンルン。明日の会議が楽しみだ。

夕食、しゃぶしゃぶ。冷しゃぶにしようと思ったのだが、暖かいのも食べたいと思いテーブルにコンロ置いて焚いたらめちゃ暑かった。やはり

夏の鍋

には無理があるな。
目安箱バナー