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1130 「夕鶴」の劇作家・木下順二さんが死去 [読売]

 民話劇「夕鶴」など、数々の戯曲で戦後演劇界に多大な影響を与え続けた劇作家の木下順二(きのした・じゅんじ)氏が、10月30日に亡くなっていたことが、29日分かった。92歳。

 告別式は故人の遺志で行わない。

 東京生まれ。戦後、民話に取材した「夕鶴」「彦市ばなし」などで劇作家の地歩を固めた。1949年の初演以来、女優の山本安英(やすえ)さんが「つう」を演じた「夕鶴」は、上演1000回を超えた。

 「オットーと呼ばれる日本人」や読売文学賞を受賞した「子午線の祀(まつ)り」など、歴史の中の人間を見つめた戯曲を書く一方、シェークスピア劇の翻訳や小説・評論の分野でも活躍。戦争責任の追及や平和運動にも積極的だった。

 また、乗馬を愛し、馬に関する蘊蓄(うんちく)を傾けたエッセー「ぜんぶ馬の話」では、2度目の読売文学賞を受賞している。2002年には、シェークスピアの「リチャード三世」を翻訳した。

(2006年11月30日3時1分 読売新聞)
URL:http://www.yomiuri.co.jp/entertainment/news/20061130i101.htm

1123 「兎の眼」「太陽の子」の灰谷健次郎さん死去 [読売]

 小説「兎の眼」「太陽の子」など、子供の優しさと強さを描いた作品で知られた児童文学作家の灰谷健次郎(はいたに・けんじろう)さんが23日午前4時30分、食道がんで死去した。72歳。告別式は行わない。連絡先は神戸市北区鈴蘭台北町9の12の6灰谷事務所。

 1934年、神戸市生まれ。造船所の電気溶接工などをしながら定時制高校に通い、大阪学芸大(現・大阪教育大)に入学。小学校の教師を17年務めた後、アジアや沖縄を放浪した。

 74年に発表された、工場地帯の学校を舞台にした「兎の眼」が大ベストセラーに。78年には、父の心の病を乗り越え、前向きに生きる神戸の琉球料理店の少女を描いた「太陽の子」を発表、沖縄戦への思いと自分の長兄が自殺した体験を作品に結晶させた。本紙朝刊でも、94年9月から「天の瞳」を連載した。

 教育問題に関しても積極的に発言し、新潮社の写真週刊誌「フォーカス」が神戸の連続児童殺傷事件で逮捕された少年の顔写真を掲載したことに抗議し、97年、同社から自著の版権をすべて引き揚げた。

 デビュー後に淡路島へ移住して自給自足の暮らしを始め、91年からは沖縄・渡嘉敷島に活動拠点を移すなど、独自の生活スタイルを貫いた。

(2006年11月23日19時2分 読売新聞)
URL:http://www.yomiuri.co.jp/national/culture/news/20061123i511.htm

1117 ノーベル経済学賞のフリードマン氏死去 小さな政府提唱 [朝日]

2006年11月17日11時32分
 20世紀を代表する米国の経済学者の一人で、ノーベル経済学賞受賞者のミルトン・フリードマン氏が16日、米カリフォルニア州サンフランシスコの自宅で死去した。米メディアが一斉に伝えた。94歳だった。財政出動ではなく市場原理を重視する「小さな政府」を提唱。共和党のブレーンとして80年代のレーガン政権初期の経済政策などに関与し、市場経済化を進めた英サッチャー政権や日本の行財政改革にも大きな影響を与えた。

 ニューヨークで生まれ、シカゴ大学の教授などを歴任。自由主義を説くシカゴ学派の重鎮として活躍した。76年に金融理論などでの功績が認められ、ノーベル経済学賞を受けた。著書に「選択の自由」などがある。

 第2次世界大戦後の世界各国の経済政策は、不況期に政府が公共事業などによる積極的な財政政策で景気を浮揚させるケインズ主義が主流だった。フリードマン氏は60年代後半からケインズ批判を展開し、「マネタリスト」の筆頭として通貨供給のコントロールによる経済運営を主張。政府の役割として、規制緩和や構造改革を進めることの重要性を説き、近年の欧米の経済政策における理論的支柱となった。

 フリードマン氏の死去に対し、米連邦準備制度理事会(FRB)のバーナンキ議長は16日、「現代の経済学に直接、間接的に与えた影響の大きさを語り尽くすのは難しい」との声明を発表。ポールソン米財務長官は、フリードマン氏の「政府の干渉を抑えることが経済成長を最大化させる」などの理論を挙げ、「最も偉大な経済学者の一人」と評した。
URL:http://www.asahi.com/international/update/1117/007.html

1111 反公害運動の闘士、宇井純・沖縄大名誉教授が死去 [読売]

 水俣病研究や東京大学での公開自主講座で反公害運動に大きな影響を与えた沖縄大名誉教授(元東大工学部助手)の宇井純(うい・じゅん)さんが11日、胸部大動脈りゅう出血のため死去した。

 74歳だった。

 告別式は16日午前10時、東京都品川区西五反田5の32の20桐ヶ谷斎場。喪主は妻、紀子さん。

 東京都生まれ。東大工学部卒業後、民間企業を経て、1965年に同学部助手に就任。独自に水俣病の原因究明に向け研究を行い、その結果を国際会議で発表。1970年からは、当時「象牙(ぞうげ)の塔」の象徴だった東大で、一般市民を交えて公害問題について学ぶ「公害原論」を、大学非公認の夜間自主公開講座として15年間にわたり主宰した。

 企業や行政の側に立つ学者の姿勢を批判し、公害被害者と共に闘う姿勢は、全国の反公害運動に大きな影響を与えた。しかし、東大では昇進の道を閉ざされ、「万年助手」として全国にその名を知られることになった。

 1986年、大学側の強い招きで沖縄大教授に就任。ここでも新石垣空港建設反対運動などの環境問題に取り組み、2003年に同大を退職した。

 国連環境計画グローバル500賞など数々の賞を受賞。著書に「公害原論」などがある。

 胎児性水俣病の研究で知られる熊本学園大教授で同大水俣学研究センター長の原田正純さん(72)は「公害問題について、被害者と研究者が一緒になって問題の解決に当たるという考えを提唱した人だった。(1972年に)ストックホルムで開かれた国連人間環境会議で、水俣病患者が水俣病の悲劇について語ったのも宇井さんのアイデアだった。水俣病問題を世界に広げた人。非常に残念」と悼んだ。

(2006年11月11日22時32分 読売新聞)
URL:http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20061111i212.htm

1101 中国文学者の白川静さん死去 著書に「漢字」「孔子伝」 [朝日]

2006年11月01日20時23分
 漢字研究の第一人者として知られ、文化勲章を受章した中国文学者で立命館大名誉教授の白川静(しらかわ・しずか)さんが10月30日午前3時45分、多臓器不全のため京都市内の病院で死去した。96歳だった。1日に近親者で密葬を営んだ。お別れの会を開く予定だが、日取りは未定。自宅は公表していない。連絡先は立命館大総務課(075・813・8137)。

 1910年、福井市の洋服店の次男に生まれた。小学校卒業後、大阪の法律事務所に住み込みで働きながら夜学へ通い、35年、立命館中学教諭に。在職しながら立命館大を卒業、同大学予科を経て81年まで文学部教授を務めた。96年度朝日賞。98年に文化功労者となり、04年に文化勲章を受章した。

 若いころから「詩経」に魅せられ、中国文学の研究を志した。詩経は紀元前9世紀ごろ、民衆が自らの感情を歌った最古の中国古典。正確に理解するため、最初期の漢字である甲骨文字や金属器に刻まれた金文を研究し、その成果が代表的な研究書の「説文新義」「金文通釈」に結実した。

 これらの研究をもとに漢字の字源辞典の「字統」、漢字が日本でどのように読まれてきたのかを分析した「字訓」、そして漢和辞典の「字通」が生まれた。前例のない「字書3部作」。独力で完成させたのは86歳の時だった。

 理事長を務めた文字文化研究所主催の「文字講話」を99年から始め、90歳を過ぎても約2時間の講演を立ったままこなし、漢字の成り立ちや東洋の精神を分かりやすく説いた。

 文明論的な関心も深く、日本の古代民衆の詩的世界、万葉集との比較にも力を注いだ。白川静著作集(全12巻)をはじめ、「漢字」「孔子伝」など多数の著書がある。
URL:http://www.asahi.com/obituaries/update/1101/001.html

1031 「招かれて大きな喜び」 カフカ賞受賞の村上春樹氏 [朝日]

2006年10月31日01時23分
 チェコが生んだ作家フランツ・カフカにちなむフランツ・カフカ賞に決まった作家村上春樹氏(57)への贈呈式が30日、プラハの旧市庁舎ホールで開かれた。賞品・賞金はカフカのブロンズ像と1万ドル(約118万円)。村上氏は陽子夫人と出席した。


 贈呈式に先立って同市内で地元メディア対象の記者会見に出席した村上氏は「生涯で初めての会見。チェコでは有名だとは思っていなかったので、これほど大勢の人が来て驚いています。ここに招かれているのは大きな喜びです。カフカの作品は『城』をはじめ、たくさんの影響を受けてきました」と話した。

 カフカ賞はフランツ・カフカ協会などの主催で01年に創設され、今年が6回目の選考になる新しい文学賞。1作でもチェコ語で翻訳の出ている作家が対象で世界各国から選ばれた10人の審査員が選考にあたる。村上氏は「海辺のカフカ」の翻訳が20日に発売されたばかりで、「ノルウェイの森」「国境の南、太陽の西」も訳されている。

 記者会見で「村上さんは15歳でカフカを読んだそうですが、ヨーロッパの伝統に貫かれたカフカを日本の15歳はどう感じたのでしょう」と尋ねられ、「こんなに変わった小説があるのかとショックでした。以後も繰り返し読んでいて最も好きな作家の一人。ある意味、私の作家としての出発点でした」と答えた。
URL:http://www.asahi.com/culture/update/1030/017.html

1028 ビートルズの「新作」発売へ 36年ぶり [朝日]

2006年10月28日20時11分
 ザ・ビートルズの「新作」が11月20日に世界中で発売される。70年の『レット・イット・ビー』発表後に解散してから36年。新作は、ビートルズの残したギターやドラム、ボーカルなどの音源をばらばらにし、別々の曲を組み合わせた作品で、「ゲット・バック」や「ヘイ・ジュード」といった名曲が、原曲とは大きく異なった趣に仕上がっている。

 ビートルズは62年にレコード・デビュー。メンバー4人のうち、ジョン・レノン、ジョージ・ハリソン両氏はすでに他界している。

 新作のタイトルは『LOVE』。ビートルズのほとんどの作品でプロデューサーを務め、「5人目のビートルズ」と言われるジョージ・マーティン氏(80)が、息子とともに制作した。

 69年発表の「ゲット・バック」のドラム部分を『アビイ・ロード』収録の「ジ・エンド」のドラムに差し替えたり、ともに『ラバー・ソウル』収録の「ドライヴ・マイ・カー」と「ザ・ワード」を合体したりと、約120曲の素材を大胆にミックスしている。一部には未発表音源も使われている。

 収録は26曲で、予定価格2800円。発売元の東芝EMIによれば、ジョージ・マーティンさんは「『レット・イット・ビー』以来の新作」と位置づけており、ポール・マッカートニーさんやリンゴ・スターさんも出来栄えに満足している。ポールさんは制作中に「もっと過激でもいい」と語ってもいたという。

 藤本国彦・CDジャーナル編集長の話 世界中で長く親しまれた曲の、新しい聴き方を提案している。「名曲をいじるな」というファンもいるだろうが、どの曲がどう変わったのか、熱心なファンほどおもしろく聴けるのではないか。
URL:http://www.asahi.com/culture/update/1028/017.html

1026 芥川賞作家の小島信夫さん死去 小説「抱擁家族」など [朝日]

2006年10月26日
 遠藤周作、吉行淳之介らとともに「第三の新人」と呼ばれ、「抱擁家族」などの小説で知られた作家の小島信夫(こじま・のぶお)さんが26日午前4時前、肺炎のため東京都内の病院で死去した。91歳だった。葬儀は近親者のみで行い、後日、お別れの会を開く。喪主は長女井筒かの子さん。自宅は東京都国分寺市光町1の6の11。

 岐阜県の出身で旧制一高時代から小説を書き始め、55年に「アメリカン・スクール」で芥川賞を受賞。65年に第1回谷崎潤一郎賞に決まった長編「抱擁家族」は、アメリカ青年と妻の不倫や妻の病死を風刺的に描き、戦後の家族、母性の変化を象徴する作品として評価された。

 12年以上にわたって書き続けた「別れる理由」(82年)をはじめ、作品は私小説風。実在人物と同名の人物が登場するなど虚実が見定めにくく、独特の文体は「無重力」とも形容された。

 97年の「うるわしき日々」は「抱擁家族」の30年後ともいえる老夫婦の生活を直視。06年の「残光」は介護施設に入った妻への愛と小説への思いをあわせて描き、現役ぶりが話題を呼んだ。今年6月に脳梗塞(こうそく)で倒れ、入院した。

 元明治大学教授で文化功労者、日本芸術院会員だった。ほかに小説「美濃」「菅野満子の手紙」、評論「私の作家遍歴」、評伝「原石鼎(せきてい)」など。
URL:http://book.asahi.com/news/TKY200610260115.html

0923 拓郎とかぐや姫、「つま恋」で歌う 3万5千人酔う 静岡 [朝日]

2006年09月23日21時46分
 歌手の吉田拓郎さんとフォークグループ「かぐや姫」が23日、静岡県掛川市の施設「つま恋」で野外コンサートを開き、中高年を中心に約3万5000人の観客が、青春時代を彩った歌の数々を楽しんだ。

 拓郎さんとかぐや姫は1975年、同じつま恋で夜通し約12時間のライブに5万人以上を動員。31年ぶりに、その「再現」となった。今回は午後1時から休憩を含め約8時間半で、両者は冒頭で共演し、あとは交互に登場。拓郎さんが「イメージの詩」などを、かぐや姫は「神田川」など計約70曲を演奏した。

 チケットは1万5000円で、売り出し日に完売したという。75年にも来た広島県の会社員谷本朗さん(50)は「31年前の自分を思い出し、1曲目で涙が出た。あの頃は多感な大学生で、どうやって生きるかとか、思いを怒鳴りながら、拓郎にぶつけた。今日は人生を振り返るような気分です」と話していた。
URL:http://www.asahi.com/culture/update/0923/012.html

0907 200年分の記事を検索、米グーグルがサービス開始 [朝日]

2006年09月07日12時45分
 米インターネット検索大手グーグルは6日、過去200年に及ぶ新聞や雑誌の主要記事を検索できる新サービスを始めた。米ニューヨーク・タイムズやウォールストリート・ジャーナル、タイム誌、英ガーディアンなどが検索対象で、米英メディアが報じた歴史的な記事を瞬時に取り出すことができる。

 新サービスでは、検索したい記事のキーワードを入れると、関連記事の見出しが年代順に表示され、読みたい記事が引き出せる。例えば「ジャパン、パールハーバー(真珠湾)」で検索すると、1941年12月の真珠湾攻撃を報じるタイム誌の記事などが表示される。1861年に起きた米国の「南北戦争」も、入力すれば当時のニューヨーク・タイムズの記事などが出てくる。

 一部の記事は1本5ドル(約580円)前後の料金を取る。ほかは広告を掲載することなどで無料となる。当初の検索対象は英語メディアだけだが、今後はほかの言語でも実施する計画という。これまでは過去30日分の記事しか掲載していなかった。

 検索は、グーグル・ニュースの「ニュース・アーカイブ・サーチ」(http://news.google.com/archivesearch)で。
URL:http://www.asahi.com/international/update/0907/016.html

0907 ボブ・ディラン新作がチャート1位 30年ぶり返り咲き [朝日]

2006年09月07日13時46分
 米調査会社ニールセン・サウンドスキャンが6日発表した先週のアルバム販売チャートによると、フォークロック界の大御所歌手、ボブ・ディラン(65)の新作「モダン・タイムズ」が19万2000枚で、初登場1位を獲得した。「欲望」(1976年)以来30年ぶりの首位返り咲きだ。

 新作は通算44作目。ディランは60年代、「追憶のハイウェイ61」などを発表し、公民権運動で揺れる若者の代弁者として熱烈に支持された。その後もメッセージ性が高い作品を手掛けてきたが、大ヒットには恵まれなかった。 


0813 アイヌの遺産「金成マツノート」の翻訳打ち切りへ [朝日]

2006年08月12日23時04分
 アイヌ民族の英雄叙事詩・ユーカラが大量に書き残され、貴重な遺産とされる「金成(かんなり)マツノート」の翻訳が打ち切りの危機にある。言語学者の故・金田一京助氏と5月に亡くなった萱野茂氏が約40年間に33話を訳した。さらに49話が残っているが、事業を続けてきた北海道は「一定の成果が出た」として、文化庁などに07年度で終了する意思を伝えている。

 ユーカラは、アイヌ民族の間で口頭で語り継がれてきた。英雄ポンヤウンぺが神様と闘ったり、死んだ恋人を生き返らせたりする物語。

 昭和初期、キリスト教伝道学校で英語教育を受けた登別市の金成マツさん(1875~1961)が、文字を持たないアイヌの言葉をローマ字表記で約100冊のノートに書きつづった。92の話(10話は行方不明)のうち、金田一氏が9話を訳し、萱野氏は79年から道教委の委託で翻訳作業を続けてきた。その成果は「ユーカラ集」として刊行され、大学や図書館に配布された。アイヌ語は明治政府以降の同化政策の中で失われ、最近は保存の重要性が見直されつつあるが、自由に使えるのは萱野氏ら数人に限られていた。

 文化庁は「金成マツノート」の翻訳に民俗文化財調査費から28年間、年に数百万円を支出してきた。今年度予算は1500万円のうち、半額を翻訳に助成。同予算は各地の文化財の調査にも使われる。

 これまでのペースでは、全訳するのに50年程度かかりかねない。文化庁は、「一つの事業がこれだけ続いてきたことは異例」であり、特定の地域だけ特別扱いはできないという。これをうけ、北海道は30年目を迎える07年度で終了する方針を関係団体に伝えた。

 道教委は「全訳しないといけないとは思うが、一度、区切りを付け、何らかの別の展開を考えたい」としている。

 樺太アイヌ語学研究者の村崎恭子・元横浜国立大学教授は「金成マツノートは、日本語でいえば大和朝廷の古事記にあたる物語で、大切な遺産。アイヌ民族の歴史認識が伝えられており、全訳されることで資料としての価値が高まる」と話している。
URL:http://www.asahi.com/culture/update/0812/011.html

0812 ノーベル賞作家グラス氏「ナチ武装親衛隊にいた」と告白 [朝日]

2006年08月12日10時31分
 ドイツのノーベル賞作家、ギュンター・グラス氏(78)が第2次大戦時、ナチスの武装親衛隊に所属していたと11日、独有力紙フランクフルター・アルゲマイネ(電子版)が報じた。グラス氏は鋭い社会風刺や政治評論、平和運動への深いかかわりで知られ、今後波紋を呼びそうだ。

 同紙によると、グラス氏は今年9月に出版予定の自伝の中で武装親衛隊に所属していたことを告白しているという。同紙のインタビューに対し、グラス氏は「長い沈黙をへて自伝を記すことにした。(所属した事実を)はき出さなければならなくなった。自分自身に強いた」と述べた。当時は罪悪感を感じなかったが「戦後は恥を感じ、苦しんできた」と打ち明けた。所属したのは17歳の時で、44年末か45年初めとみられる。同隊からの「召喚だった」と述べ、自発的ではなかったことを強調した。武装親衛隊は39年ごろ発足。親衛隊(SS)の中で強大な武力を保持するナチス最強の部隊と称された。ヒトラーの侵略行為を実現する役割を果たし、国防軍とともに戦争終結まで戦った。

 グラス氏は、現在はポーランド領のグダニスク(旧ダンチヒ)生まれ。3歳で成長が止まった少年の目でナチス台頭から敗戦の混乱期を描いた小説「ブリキの太鼓」や「はてしなき荒野」などで知られる。99年にノーベル文学賞受賞。平和運動にもかかわりイラク戦争に反対した。
URL:http://www.asahi.com/culture/update/0812/010.html

◎文化・出版のニュース06Ⅰ から続く

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