幼なじみの生徒会長はヒューマノイドだった 立ち読み版
幼なじみだったはずの椎名美紗はいつの間にか高嶺の花になっていた。小学校の頃までは一緒に遊んでいたはずなのだが、いつからか眺めるだけになってしまった。藤村一明は通りすがったショップの鏡に映った自分の姿を見て、またため息を吐いた。
いつの間にかお互いの進む道がずれてしまった。鏡に映る自分を見ながら一明は過去のことを思い出した。幼い頃は美沙と並ぶと雛人形のようだと言われた一明の容姿は、今はごく普通の男子高校生に見える。
だが美紗は成長するとともに、今は文句なしの美人になった。その容姿だけでなく学校の成績は苦手教科がなくてトップクラス、おまけに生徒会長も務めている。人当たりも良いためか友達も多いようだ。それに声を掛ける男子も多いと聞く。
違い過ぎるんだよな。そう心の中で呟いて一明は前を向いてまたため息を吐いた。成長すると共に一明と美沙の距離は遠くなっていった。
クラスからはみ出している訳ではないが、一明は特に何か特技などがある訳でない、大勢の中の一人にすぎない。
電車を降りてから歩いて数分で学校に辿り着く。登校中の生徒に混ざって栗城市立高校と書かれた校門をくぐり、校舎に入る。この辺りまで来ると、毎朝のルーティンになっている思考も切り替わる。一緒になった同級生に挨拶しながら、一明はいつものように下駄箱の蓋を開けた。
「あー……」
疲れた声を上げた一明を傍にいたクラスメイトが茶化す。
「お。今日も入ってるのか」
「いや、今日もー、言われても困る」
仕方なく下駄箱から白い封筒を取り上げ、一明は眉を寄せた。ひっくり返すと封筒の端に小さな花が描いてあるのが見えた。おまけに封緘にハートのシールが使ってある。よく見るパターンの封筒の宛名には藤村一明様と書かれ、その下には知らない女子の名前が書いてあった。
「あ、四組の女子じゃん」
「そうなのか」
一明は隣の二年五組だ。だが文系の四組とは合同授業もないし、どこで自分を見たのだろう。不思議に思った一明は正直に知らない女子だな、と呟いた。それを聞いたクラスメイトが呆れた顔になる。
「って、藤村、マジで女に興味ないとか?」
「人並みには興味はあるが」
そんな話をしつつ、一明は手紙を鞄にしまいこんだ。人気のないところで読む方が相手に失礼がなくて良いだろう。クラスメイトと並んで教室に向かいながら一明はそう考えた。
週明けの今日は朝礼がある。鞄を置いた一明は友達と一緒に講堂に向かった。朝礼は空調の効いた講堂で行われるが、昔はグランドで行われていたという。暑さや寒さが緩い時なら大丈夫だろうが、今日みたいな真冬の寒さに凍えながら外でじっとしているなど、拷問に等しい。何となく想像してしまったことに身震いし、一明は席に着いた。
朝礼は生徒会の仕切りで進行する。マイクに向かって喋っているのは美紗だ。小さく見える美紗の姿を目で捉えた一明は思わず顔を手で押さえた。
いかん、にやける。内心自分を叱咤して、一明は何食わぬ顔で美紗を見つめた。朝礼が始まった講堂の客席は照明が絞られて暗い。ステージ脇でマイクの前に立っている美紗を多少見つめたところで誰にも気付かれないだろう。
教師の挨拶と校長の話が終わり、連絡事項が伝えられると朝礼が終わる。教室に戻った一明は窓の外に美紗が見えないか探した。廊下を通れば見られるかも知れない。
「まーた椎名ちゃんを探してるのか?」
「別に」
周りの男子に冷やかされるのもいつものことだ。クラスメイトは全員、一明が美紗の幼なじみであることを知っている。それだけではない。同じ学年の男子には知られているという自覚が一明にはあった。いつだったか忘れたが、うっかり幼なじみだと話してしまったことがあるのだ。
だが幼なじみとは言っても今では話し掛けることもない。家はすぐ近所なのに、何故か驚くほど会わないのだ。美紗の方からも話し掛けられることはないし、思いたくはないが避けられている可能性も高い。芸術系の授業は音楽で一緒なのは嬉しいが、週に三度しかない。
体育が一緒ならな。体操服とか見られるかもなのに。
そう考えた一明はもの凄く深く落ち込んだ。他のクラスの男子がそんな美紗を見ていると思うと腹立たしい。運動神経も抜群な美紗のことだ。どんな競技もきっと易々とこなしているのだろう。そこまで考えて一明は教室の時計を見上げた。一限目までまだ時間がある。ちょうどいい、と一明は鞄から例の手紙を出してポケットに滑らせ、トイレに向かった。
無人のトイレに入り、用心のために個室に入って鍵を掛けてから手紙の封を切る。縁が波形にカットされた紙には手書きの文字が並んでいる。解読し辛い丸い文字を何とか読み、一明は腹の底からため息を吐いた。手紙にはその女子がいつも一明を見ていると書いてあった。どこでだよ、と小声で突っ込みを入れて一明は手紙を折り畳んだ。この手の手紙は本人に返すことにしている。持ち帰っても処理に困るからだ。
冷たいって言われるけどな。かつて誰かに言われたことを思い出しながら一明は手紙をポケットにねじ込んだ。
今日も周りは噂で賑わっている。美紗は話を聞いてまた憂鬱になった。噂の的は幼なじみの一明だ。聞きたくない、と思うのに周りの女子はわざわざ美紗に報告してくれるのだ。
「椎名さん、聞いてる? 藤村君がまたラブレターもらったって」
うきうきして話している女子に合わせて微笑んでいた美紗は、表情の反面、深く落ち込んでいた。皆がはしゃいでいるのは判る。クラスの女子の多くが浮き足立っているのは、一明の恋愛関係の話だからだ。
家が近く、幼い頃からよく遊んでいた一明には今では話し掛ける勇気も出ない。いつからか美紗は一明とは距離をとるようになってしまった。幼い頃のことを思い出すと、無邪気に笑う一明のそばに居られて幸せだったのだとつくづく思う。
「ええ聞いてるわ」
困ったように苦笑して美紗は不安を綺麗に隠した。こういうことも珍しくない。一明の話題が出るたびに胸が張り裂けそうになるが、近頃はこの手でスルー出来るようになった。美紗がこういう反応をすることを周囲も期待しているのだ。
推薦されて生徒会長になったものの、戸惑うことばかりだ。周囲は良かれと考えて推薦してくれたのだとは思う。が、正直、美紗は荷が重いと考えていた。成績が良いとはいってもテストの点だけだ。実技が伴う体育は授業自体を休んでいる。そのことはクラスメイトは判っているはずなのに、身体が弱くて休んでいると思われているのだ。周囲にそう思われるように仕向けている自覚もあって、美紗は自分だけがズルをしている気がしていた。
ため息を吐きたくなるが我慢する。これもいつものことだ。一明は今日もまた、ラブレターをくれた女子を振るのだろうか。それとも今度こそ交際を始めるのだろうか。美紗は周囲の話を聞くふりをしてそんなことを考えた。
同じ高校を受験してみたものの、一明との関係は変えられないままだ。かと言って近づく勇気は全くない。それでも想うことは止められない。この状況を望んでいたとは言え、苦しい選択をしてしまったのだろうかと時折考える。
美紗は一明のラブレターの話で盛り上がってるクラスメイトをよそに考え続けた。授業が終わって昼休憩になったクラスは賑やかな話し声に満たされている。美紗のクラスの女子も何人か一明に告白したのだという。その数人は一明に振られたのだが、今でも好きだと言って話し掛けてくる。無邪気な彼女達を避けようと思ったこともあるのだが、美紗は結局、それが出来ずにいた。
距離は置きたいのだが、一明の話は聞きたい。そんな矛盾した気持ちに苛まれ、美紗はこっそりと息を吐いた。その瞬間、唇が熱を持つ。自分の吐いた息が熱いことに気付いた美紗は焦った。こんな風に顔や息が熱くなるのもよくあることだ。
「椎名さん? 大丈夫?」
身体が弱いと思っているらしい、クラスメイトの女子が話し掛けてくる。美紗は困ったような顔で首を傾げ、何事もない風を装って立ち上がった。
「私は暑がりだから、少し風にあたってくるわ」
「夏は大変そうだったもんねー」
今度は別の女子が同情したような顔で話し掛けてくる。美紗は頷いて急いで教室を出た。廊下に出てほっとした美紗は、何気なく周囲を見て驚きに身を竦めた。一明とその友達らしい男子がいつの間にか近くに来ていたのだ。視線を感じた美紗は一明から目を逸らし、慌ててその場を後にした。
教室のある校舎から渡り廊下に急ぎ足で移動する。人が少なくなり、周囲に生徒の姿がなくなって漸く美紗は安堵の息を吐いた。まさかあんなところで一明と鉢合わせするとは思っていなかった。ただでさえ身体が熱いのに、余計に苦しくなる。
美紗は階段を降りて人気のない階に向かった。三年生の教室のある階は今は登校している生徒は限られているし、職員室や特別室があるために生徒もあまり寄りつかないのだ。家庭科室や化学室の向こうには生徒会室がある。美紗は真っ直ぐにそこに向かった。
誰もいない廊下を進んで制服のポケットからカードキーを取り出す。震える手で解錠し、誰もいない生徒会室に入り、ドアを閉める。美紗はドアにもたれて深々と息を吐いた。
今は冬だ。寒いために真夏みたいなことはないが、それでもきっかけがあれば身体に熱はこもる。それに生徒がいる教室は必然的に暖房がかかっているのだ。当然、暖かい分だけ身体も熱くなる。美紗は胸を押さえてふらりと歩き出した。
「相変わらずなー。藤村、無視されてんじゃん」
「言い方」
せめてスルーと言ってくれ、と付け足して一明は去って行く美紗を見送り、仕方なく購買部に向かった。周囲を囲むように歩いているのはクラスメイトだ。
今日は弁当を忘れてしまったため、購買部でパンを買いに教室を出た。廊下を歩いていたら美紗と遭遇したのだ。少し驚いたような顔をされたものの、美紗はいつもの通りに一明をスルーして去ってしまった。
「生徒会長ももう少し隙があればなあ。話し掛けやすいんだけど」
何の気なしなのだろう。そう言った男子を一明は無意識に睨むように見た。するとおおコワ、と言ってその男子が話を中断する。
「飯を食べる時に、その手の話は聞きたくない」
一明が渋い顔でコメントすると、今度は別の話題を振られる。
「それはいいけど、今朝の子、どーすんの?」
「は? あー、またラブレターか」
年頃とは言え、何でこの手の話題ばかり、と愚痴りたくなりつつ、一明は仕方なく話を合わせることにした。
「もらったが、断る」
「え!? また!? 今度の子はかなり可愛かったのに!?」
向かいにいたクラスメイトが素っ頓狂な声を上げると、後ろから別のクラスメイトが一明を小突く。はいはい、と苦い顔をして一明は手を振ってじゃれてくる男子を追い払った。
無事に購買部でパンをゲットした一明は、いつもは一緒に食事をする男子の群れから離れた。美紗に華麗にスルーを決められたためか、それとも今朝のラブレターのせいか、人と接するのが面倒になってしまったのだ。
特別教室の並ぶ側の校舎は人がいない。のだが、室内で食べられる場所はない。化学室はもちろん鍵がかかっているし、隣の家庭科室は鍵が開いていても入る勇気はない。一明は仕方なく外階段に座ってパンの袋を開けた。
「寒い」
吹いてくる冷たい風に晒され、一明は買ってきた冷たい牛乳を飲んで思わず呟いた。こんなことなら温かいのを買えば良かった、と思うが後の祭りだ。いつもは暖房の効いた室内で食べているため、感覚が麻痺していたのだ。しばらくは震えながら外で食べていた一明は、寒さに耐えかねて校舎に続くドアを見た。
もしかしたら入れる教室があるかも知れない。パンと牛乳を抱え、一明は金属製のドアのノブを触ってみた。握って軽く回すと簡単に開く。鍵はかかっていないらしい。そのことにほっとして、一明はこっそりと校舎に入った。
開いた時と同じように静かにドアを閉じる。廊下には誰もいない。よし、と頷いて一明は手近な教室に入ろうとした。ドアを開けようとして、そこが生徒会室だということに初めて気付く。
近づかないようにしていたためか、生徒会室の存在自体を忘れていた。生徒会長の美沙が放課後はここにいると思うと少し嬉しくなる。だが一明はドアの橫にある鍵を見て眉を寄せた。何故か生徒会室の鍵は開いている。もしかして中に生徒がいるのだろうか。
ひょっとして、と心の中で呟いて一明は自分の考えを否定した。まさか美沙がこんな時間にいるはずがない。今は昼休憩で、昼食の時間なのだ。だが一明はひょっとしたら、という考えを完全には拭えなかった。
ドアに寄って耳を澄ましてみる。すると中から微かに人の声が聞こえてきた。
「ん……ふぁ……」
鼻にかかったような甘ったるい声に一明はびっくりして思わずドアから離れた。