(メカギャル文庫)リリカル・コネクション冒頭立ち読み版
製造されたのは今から約三年前。作られた当初は手足を動かすことはもちろん、目の位置に嵌め込まれたカメラの向きを変えることも、そして声を出したり匂いを確かめたりすることも出来なかった。
それでも意識はあった。これはなんだろう。初めて見たモノに対して鏡子は疑問を覚えた。カメラの性能はそこそこあり、色や形ははっきりと見えた。だがその時の鏡子はまだ、色の違いを何と表現すべきかのデータを持っておらず、謎の物体が音を立てながら動いているようにしか見えなかった。
鏡子が作られて初めて目にしたのは、鏡子の製造者だった。後で知った話だが、その時の製造者はとても喜んでいたようで、鏡子に向かってそのことを表現していたらしい。
それから少しずつ鏡子は学習していくことになった。最初はカメラの向きを変えることを覚えた。それから製造者のことも教えられた。製造者は名を杜川といい、人間で言えば初老の男だった。何故、自分に鏡子という名を付けたのかと訊ねたところ、かつて知り合いだった女性の名前を借りたのだと杜川は言った。
杜川の家は人里離れた場所に建っていた。鏡子は他の人間を殆ど見ることもなく、杜川と二人きりでしばらくの時間を過ごした。杜川は鏡子が一つずつ物事を覚えていくたびに鏡子に笑いかけていた。何故笑うのかと鏡子が訊ねると、杜川は嬉しいからだと答えた。
嬉しいという意味が鏡子には判らなかった。試しに辞書で検索してはみたが、語意は判っても実感することが出来なかった。杜川は焦って学習する必要はないと言っていた。鏡子は言われた通り、とりあえずは嬉しいという感覚を学習することは保留にし、そういうものがあるのだということだけを覚えることにした。
やがて鏡子は身体を動かせるようになった。その頃からだろうか。杜川はたびたび咳き込むようになった。時には咳き込んだ後に寝込んでしまい、鏡子が看病することがあった。鏡子は指示された通りに杜川の着替えを手伝い、あらかじめ与えられたマニュアルに従って食事を作成した。
ある日のことだった。決められた時間に食事を運んだ鏡子は、杜川が返事をしないことに気が付いた。庭の様子が見える窓際の大きな椅子に座り、膝に柔らかな毛布を掛け、本を手にした姿で杜川は動かなくなっていた。鏡子が何度呼びかけても返事をせず、目を閉じたままだった。鏡子は疑問を感じて杜川に食事を差し出したが、杜川は受け取ろうとしなかった。いつも杜川がするように、スプーンに粥をすくって口許に近づけてみたが、反応がない。
これはどういうことだろう。鏡子は反応の絶えた杜川を観察しながらじっと考えた。そうしている間にも杜川の表面温度は下がっていく。やがて杜川の身体は周囲の家具などと同じ程度の温度になった。
壊れたのだろうか。そう思った鏡子は杜川を修理すべきかどうか考察した。だが杜川は鏡子のようなロボットではなく、生身の人間だ。残念ながら鏡子には人間の修理方法は判らなかった。
一日が経ち、二日が過ぎ、そして一週間が過ぎた。冷え切った杜川の身体は、やがて腐敗を始めた。鏡子はそんな杜川の傍らに座り、時を過ごした。鏡子はいつか自分のエネルギーが切れ、杜川と同じように動かなくなるのだろうと考えていた。エネルギーの補給が必要なのかどうか、それともこのまま機能を停止してもいいのかどうか、教えてくれる唯一の存在だった杜川からの返答はなかった。そのため、鏡子は杜川の傍でじっとしていることを選んだ。極力、動作しなければ消費されるエネルギー量も少ないからだ。
窓の外が明るくなり、暗くなる。日が沈んで昇り、また日が沈む。鏡子はその様子をじっと見つめていた。あと数日もすればエネルギーは完全に切れてしまう。そうすれば杜川と同じような状態になるのだろう。
杜川が動かなくなってからひと月ほどが過ぎた。その日の窓の外は暗く、空を分厚い雲が覆っていた。鏡子はその日も変わらず窓の外をじっと眺めていたが、物音に気が付いて振り返った。
訪ねてきたのは杜川の弁護士と名乗る男だった。どうやら杜川はインターネットで弁護士とやり取りをしていたらしく、連絡が途絶えたことを気にして訪れたのだという。そして弁護士は杜川の正式な遺言状を持っていた。それを聞いて鏡子は知った。遺言状とは死んだ人間の意志を伝える正式な書類のことだ。つまり、杜川は死んだのだ。
遺言状によると、杜川の資産はある男に全て譲られることになっていた。資産には鏡子も含まれているのだという。だが弁護士はそこで鏡子に問うた。
あなたはどうしたいですか。
鏡子にはその質問の意味が理解出来なかった。自分の意志を訊ねられている、つまり弁護士の意図は判るのだが、質問した理由が判らない。そう考えた鏡子は思ったままに答えた。
資産に意志がありますか?
鏡子の答えに弁護士は怪訝そうな顔をした。
杜川の遺言状に記された男のところに行くまでに、鏡子は人間の死について考察した。人間は死ぬと反応しなくなる。それはロボットが壊れるのと同義なのだろうか。機能を停止するという意味では同じだろうが、ロボットは壊れても腐敗はしないし、破損状況にもよるが、修理すれば動作は可能になる。
その話をすると弁護士はまた怪訝そうな顔をした。鏡子の話が理解出来なかったのか、弁護士はさりげなく話を変えた。杜川の死体は弁護士が処理したのだという。その話を聞いた鏡子は不思議なこともあるものだと感じた。弁護士には死体を処理する技能があるのだろうか。
だが詳しい話を聞いて鏡子は納得した。杜川が死んだ理由や状況を説明したり、葬儀を出すなどの仕事を弁護士がこなしたらしい。どうやら杜川は自分が死んだ後のことも全て弁護士に一任していたようだ。
杜川の家から離れ、鏡子は資産の相続人のところに案内された。弁護士は案内が済むとすぐにいなくなってしまった。鏡子はそれを見送り、改めて相続人を見た。弁護士の話では、この男は杜川の知り合いだという。
男は気さくに笑って鏡子に近付いた。鏡子は黙って男を見上げた。杜川はかつてロボットの研究者として活躍していたのだという。その話は弁護士から聞いた。杜川は前線を退き、趣味で鏡子を作ったのだろう、と弁護士は言っていた。そんな杜川とこの男は知り合いだったのだという。だが鏡子はこの男を見るのは初めてだった。
男が鏡子の前で身を屈め、視線の高さを合わせる。それにつられて鏡子は視線をゆっくりと下げた。
「君が杜川鏡子さんだね?」
男が噛んで含めるようにゆっくりとした口調で言う。鏡子は少し考えてから、はい、と返事をした。杜川の姓を用いるのが適切かどうかは判らないが、鏡子とだけ名乗るのは問題がありそうだ。どうやら人間には姓と名があるらしい。そのことは杜川に聞いたことがあるため、鏡子は男の言葉を否定しなかった。
鏡子はじっと男を観察した。この男は杜川や弁護士より若いらしい。髪の色が黒いし、皮膚の皺も少ない。着ている衣服も杜川が着ていた白衣より新しいようだ。鏡子は男の顔から衣服に目を移し、次に男の胸元を見つめた。
自分のボディの高さは百四十八センチだ。この男は今は屈んでいるが、直立すると身長は百七十五センチ程度だろうか。太っても痩せてもいない、標準的な体格で、肌の色から考えると杜川や弁護士と同人種のようだ。首を締め付けている紐のようなものはネクタイと呼ばれるもので、腰に巻き付けられているのはベルト、それから穿いている黒いものはズボンと呼ばれる服だ。ちなみに鏡子が着ているのは漆黒の服で、裾や袖口には白いフリルがあしらわれている。長い髪は今日は編んでおらず、頭には服と同色のリボンがついている。この服は、外にもしも出ることがあるなら着るように、と杜川に言われていたものだ。
「ぼくは、ある組織を統括する立場にある。君を含めた杜川先輩の遺産は、ぼくが統括する組織に寄付された」
そこで男がいったん言葉を切る。鏡子は男の顔に目を戻した。男が人差し指を立ててみせる。
「ぼくのことはこれから、司令、と呼ぶように」
「それは命令でしょうか」
鏡子は男を見つめたまま、質問を投げかけた。資産を相続した、ということは、この男が塔子を所有しているということになるのだろう。だがそれは書類上のことで、実際には管理者を変更する手続きは済んでいない。そう考えながら鏡子は男の返事を待った。
「そうそう、その通り! これは命令ね」
男がさっきより強い口調で言う。顔がほころんでいるところを見ると、喜んでいるのだろうか。だが何故、男が喜んでいるのか判らない。鏡子は男を見つめ、言葉を継いだ。
「まず、管理者変更手続きを行ってください。私は管理者の命令しか受け付けない設定になっています」
今現在は杜川が管理者のままなのだと鏡子は説明した。するとそれまで喜んでいたらしい男の表情が引き締まる。
「その方法を教えてくれる?」
どうやら男は管理者を変更する方法を知らないようだ。この様子だと取扱説明書も所持していないだろう。そう考えた鏡子は腕にぶら下げていた小さなバッグを探った。取扱説明書の入ったディスクと、管理用の道具の入った小箱を取り出す。
「私の取扱説明書はこのディスクに入っています。管理用の各種道具はこの中に」
そう言って鏡子はディスクに小箱を添えて男に差し出した。
「サンキュー」
男がディスクと小箱を受け取り、コンピュータ端末に近付く。鏡子はその様子をその場で観察した。ディスクを端末に入れ、画面に表示された文字を男が読み耽る。
「うはっ、杜川先輩ってやっぱ結構むっつりっていうか」
画面を見ていた男が小声でそう言う。鏡子は少し考えてから疑問をぶつけることにした。
「むっつりとは何ですか?」
そういえば男の名はなんというのだろうか。訊く必要はあるのだろうか。鏡子は男を見つめて考え込んだ。それまで端末画面を見ていた男が振り返る。
「うーん。なんて言えばいいかねえ。スケベな事に興味無さそうな顔しといて、実はスケベっていうか」
頭をかきながら男が答える。すけべ、と呟いてから鏡子はその語意を検索した。すけべ、というのはどうやら助平のことらしい。助平というのは色事を好む事や、好む人のことのようだ。視界に表示された検索した結果を読み取り、鏡子は眉を寄せた。
色事というのは男女の間の恋愛などのことだ。続いて検索した結果に鏡子は更に眉を寄せた。鏡子が知る限り、杜川のところに女が来たことはない。
男が再び端末画面の方を向く。それに気付いた鏡子は、この問題はひとまず保留にすることにした。
「うん。とりあえず。管理者変更の方法は判ったから、服脱いでくれる?」
しばらく画面を見ていた男がそう言いながら席を立つ。鏡子は頷いてからバッグを床に置き、服を脱ぎ始めた。まずは背中に手を回し、ファスナーを下ろす。続いて腰の部分で結わえられたリボンを解き、ワンピース型のスカートを床に落としてから、次にパニエを脱ぐ。ちなみにパニエとはスカートをふんわりと見せるため、スカートの中に穿く下着のことだ。次にショーツを取り、ガーターベルトを外す。ストッキングとガーターベルトを取り、最後にブラジャーを外して鏡子は男を見た。
「これで宜しいでしょうか?」
「ちょい、目、閉じて」
「何故ですか?」
人間に見えるよう、自分は瞬きをする仕様にはなっているはずだ。指示されなくても瞬きは自動で出来る。鏡子はそのことを説明した。鏡子に近付いた男が目の前で足を止める。
「とりあえず、こゆ時はキスするもんだから。んで、キスするときはフツー、目閉じるの」
「管理者変更手続きの一環でしょうか?」
身を屈めて顔を寄せた男を見つめ、鏡子は淡々とした口調で訊ねた。キスの語意は理解出来る。口と口を接触させるという行為を示す言葉だ。
「んっと、まだ管理者になってないから、ただのお願い。だめ?」
首を少し傾げた男が言う。鏡子は眉を寄せて少し考えた。お願い、というのは命令とは違うのだろうか。
「あなたが口を接触させたいと考えているため、私が目を閉じた方がいいという理解で宜しいですか?」
「キスとかセックスとかって、もしかしてわからない?」
「動作は理解出来ます。口を接触させる場合、フレーバーを選択することが可能ですが、どれが宜しいでしょうか?」
鏡子はそう言ってから、変更可能なフレーバーの種類を説明した。林檎、桃、苺、メロン、ぶどう。これらの果実の風味を味わうことが出来るよう、口内の液体の変更が可能なのだ。
「うはっ! やっぱ杜川先輩マニアックすぎっていうか……。とりあえず、メロンで」
何故か笑いながら男が言う。了解しました、と返事をして鏡子は胸に手をやった。淡い桃色をした乳首の先をつまんで回転させる。すると鏡子の視界にはボディの動作を操作するための画面が表れた。
「フレーバーをメロンに設定します」
鏡子は右の乳首を指で押しながらそう言った。カーソルを合わせて乳首を軽く押し込む。すると鏡子の視界にはメロンのアイコンが表れた。それと同時に鏡子の口の中にメロンの味の液体が少量、流れてくる。
「設定を完了しました。それでは、どうぞ」
鏡子は男に頷いてから目を閉じた。
「それではいったっだっきまーす」
弾んだ声で言った男が鏡子の唇を塞ぐ。鏡子はじっと目を閉じたまま、唇を押されて口を少し開いた。その隙に男が鏡子の口の中に舌を入れてくる。鏡子は抵抗せず、されるがままに舌を差しだした。男が鏡子の舌を舐りつつ、鏡子の身体を触り始める。だが鏡子はじっとその場に突っ立ったままだった。触られていることははっきりと感知出来る。触感センサーに異常はない。身体を撫で回されながら、鏡子は冷静にセンサーの動作確認をした。
「ねえねえ、鏡子ちゃん」
ひとしきり鏡子の身体を撫で回した男が顔を上げる。
「もっとこう、あっはーんとか、うっふーんとか、濡れてきちゃうーとか無いの?」
「意味が理解出来ませんが」
少し眉を寄せて鏡子は正直に答えた。すると男が唇を尖らせて顔をしかめる。この表情は知っている。どうやら男は困っているらしい。
「セックスのとき、人間の女の子だとそうなるんだけど、鏡子ちゃんは違うって理解でオッケー?」
「セックス動作は管理者にしか機能しません」
要するに男は性交渉の際の反応を求めているようだ。センサーの動作には問題はないから、管理者変更手続きを終えた後なら、性的反応動作が可能になる。そのことを鏡子は説明した。それからちらりとコンピュータ端末を見る。
「以上の内容は、取扱説明書に記載されていると推測しますが」
「ごめんごめん。流し読みしてたから」
笑い混じりに言ってから、男が言葉を継ぐ。
「ってことはさっさとぶすっと挿入しちゃえってこと? 濡れてなくて大ジョブ?」
「合成愛液を排出します。少々お待ちを」
男が言う、濡れるというのは人間の女性の膣に愛液が分泌されるという意味だろう。確かに自分には機械の膣が設えられている。そしてその内部には合成された液体が排出されていなければ、機械仕掛けの膣の方が壊れてしまう。だが性的反応動作が出来ない今は自動的に合成愛液が排出されることはない。そのため、手動で設定をしなければならないのだ。
鏡子は再び胸に手をやり、今度は左の乳首をつまんで回転させた。合成愛液の排出コマンドを実行する。すると鏡子の下腹部の合成愛液タンクの排出口が開き、機械の膣内に液体が排出される。
「仕様書の数字だけみてたらロリ体型なのかなあとか思ったけど、背が低いからこれでバランス取れてるんだねぇ。背が低い事を除けばスレンダーなモデル体型だし」
腰細いよねー、五十一センチとか極悪だよねー。鏡子を眺めていた男がそう告げる。鏡子は設定を終了して顔を上げた。
「私のウエストのサイズが悪、ですか?」
そう言いながら鏡子は自分の股間に手を差し込んだ。膣口から漏れた合成愛液を指にすくい取る。
「合成愛液の排出、終了しました」
「ほんとに悪いわけじゃなくて、この場合は凄いよねーとかそゆ意味だね」
苦笑した男が屈んで鏡子の股間を見る。膣から漏れた合成愛液は鏡子の腿を伝い落ちていた。
「あっという間にびちゃびちゃだ。これ付けてぶすっと挿入しちゃえばいいんだっけ?」
男が白衣のポケットから小箱を取り出し、中から薄い膜のような形をしたものを取り出す。鏡子はそれを見て頷いた。
「管理者登録用の専用スキンです。個体認識のため、名義登録を同時に行ってください」
男の名を知る必要があるかどうか考察したが、管理者として登録するなら必要だ。鏡子は遅れて答えに行き着き、一人で頷いた。
「本名でなきゃだめなんだよね? 内緒にしてるんだけど、セキュリティとか大ジョブ?」
少し黙ってから男が小声で言う。鏡子は考えてから頷いた。
「管理者の変更には必要ですが、管理者変更後、設定の変更を行えば名義は消去することが可能です」
「ぼかぁ、北原伸雄って言うんだ。でも、登録だけだからね! 呼び名はさっき言ったよね?」
早口で言ってから北原と名乗った男が鏡子をじっと見つめる。これで名義登録は行われた。だが呼称に用いる必要はない。鏡子は頷いてから答えた。
「はい、司令、ですね。では、管理者変更手続きをお願いします」
北原が頷いて端末の前の椅子に腰掛ける。それから北原はズボンを緩めてペニスを取り出し、その上に専用スキンを被せた。
「それじゃあ、ぼくの上に座って挿入して」
「はい、では失礼します」
鏡子は北原に近付き、まずは専用スキンの具合を確かめた。専用スキンはペニスにしっかりと被っている。コンドームと異なるのは、先端の部分は口が開いていて、ペニスの先が露出しているところだ。
それから鏡子は北原に顔を近づけた。至近距離で北原の目を覗き込みながら、乳首を手早く操作する。北原の網膜パターンをまず登録する。その後、鏡子は北原の膝を跨ぎ、そそり立ったペニスに手を添え、膣口に先端をしっかりとあてがってから腰を下ろした。
「おおっ! 締まる締まる! カズノコ天井にミミズ千匹に三段締めが一気にフュージョンな感じっ!」
機械の膣にペニスが根元まで収まったところで、北原が嬉しそうな顔をして言う。鏡子は乳首をつまんで手早く操作をした。腰を動かして所定の位置に専用スキンが接触するように移動する。
「管理者変更手続きの準備、完了しました。これよりDNA登録動作に入ります」
膣内部に設えられた人工粘膜のセンサーで専用スキンのデータを読み取った後、鏡子は北原の肩に手を乗せ、腰を揺すり始めた。
「うほっ! 鏡子ちゃん、出すよ!」
息を荒げた北原がそう言ってから鏡子の腰をつかむ。射精を促す言葉を掛ける前に鏡子の膣内には北原の精液が射出された。膣の奥の吸入口から精液が吸い上げられ、同時にDNA登録が行われる。
「管理者変更手続き、完了しました」
北原に報せた直後、鏡子は膣いっぱいに収まったペニスの感触にびくんと震えた。
それから北原にはたびたびセックス処理動作を要求された。鏡子は要求に応え、セックス処理動作を行いながら様々な説明を受けた。鏡子の外見は人間の女によく似ていて、見るだけならロボットだとは判らない。だが見た目だけではなく、人間らしい言動が大切なのだと北原は説明した。
北原の統括する組織は表向きは介護事業を行っている。だが組織の本業は政府機関から極秘の仕事を請け負い、実行することにあるらしい。
「そんでね、君にもそのうちお仕事やってもらおうと思ってるのよ」
その日も業務後に呼ばれた鏡子はそれを聞いて少し考えた。どうやら北原は自分に仕事を与えようとしているようだ。
「司令のご命令でしたら従いますが」
管理者からの命令には服従するように設定されている。鏡子は抑揚のない口調でそう答えた。北原の所有するこの事務所には多くの人が出入りしている。ここが組織の拠点になっているためだ。
「うちのクライアントってさ、警視庁とか、外務省とか、果ては内閣調査室までいろいろ有るんだけど。基本的な部分では一致してるのよね」
机のペン立てから細長い棒を取り上げ、耳に突っ込みながら北原が言う。そう、あれは耳かきという道具だ。北原が動かすたびに揺れる、白い綿を見つめて鏡子は無言で頷いた。ちなみに人間の皮膚はロボットとは異なり、自動的に貼り変わるらしい。そのため老廃物が垢と呼ばれるものになり、今の北原のように時々掃除してやらないとならないらしい。
「科学者絡みの犯罪に対処するってこと。バイオ系とかで事故とか色々あったからさあ、最先端の研究してた科学者の一部が、バッシングされて地下にもぐっちゃったんだよね」
あっ、ちなみに地下に潜るっていうのは比喩表現だから、意味、わかるよね? 北原がそう続けて耳かきの動きを止める。鏡子は白いふわふわとした綿毛が止まったのを見て眉を寄せた。
「はい。比喩表現の語意は理解可能です」
もののたとえ、というのは人間が開発した表現方法の一つだ。鏡子は耳かきの綿毛から北原に目を移し、こくんと頷いてみせた。
「じゃあ、ここで国語のテストかなあ。さっきの地下に潜るっていう比喩表現は具体的にどゆ意味?」
耳かきを耳から出して、かき出した垢をごみ箱に落としながら北原が言う。質問されているようだ。鏡子はそう認識し、答えを検索した。所有するデータの中から的確と思われるものを選択する。
「人の目に触れないところで活動するという意味ですか?」
辞書から引用したままの答えでは駄目だ、と以前に北原からは指摘を受けている。何故かとその理由を訊ねた際、北原は通常の人間は辞書の内容を丸暗記していないからだと答えた。辞書に記載された内容をそのまま引用するのは不自然なのだそうだ。
「正解。さらに、犯罪とか、大がかりなテロとか、非合法な活動にも手をだしたりね」
嬉しそうな顔をして北原が頷く。なるほど、と呟いて鏡子は頷いた。つまりは人の目に触れないところに隠れて活動する科学者の対処が、北原の統括する組織の役割のようだ。
再び北原が耳に耳かきを突っ込んで動かす。それにしても人間はどうして耳に掃除機を使わないのだろうか。老廃物を吸引出来る機械があれば、耳かきで掃除する手間は省ける気がする。北原の握る耳かきの動きを見つめて鏡子は考え込んだ。
それとも耳かきには特殊な効能があるのだろうか。だが確かに人間の目は頭部前面に位置し、仮に専用の掃除機を用いるとなると目標が見えないために厄介かも知れない。
「おっ、取れた」
耳かきを耳から離し、先端に乗った老廃物をつまんだ北原が嬉しそうに言う。どうやら大きな塊が取れたことが嬉しいようだ。なるほど、老廃物を耳かきで撤去するという行為には、何らかの精神的安らぎを感じるものがあるのかも知れない。ごみ箱に耳あかを落とす北原を見つめ、鏡子は自分の考えに納得して頷いた。
「それで。お、資料持って来てくれたのね。さんきゅ」
二人のいた部屋に入室してきた女性が北原にディスクを差し出す。この女性はよく見かける。北原の傍に立つ女性を見つめ、鏡子は考えを巡らせた。女性の年は二十五だと聞いた。膨らんだ乳房が重いのか、女性が動くたびに乳房が揺れているのが服越しにも見て取れる。ウエストは特に細くも太くもなく、標準的なサイズだろう。ヒップサイズはここに出入りする他の女性より若干細いだろうか。ミニスカートから伸びる脚はすらりと長く、その脚はいつもストッキングが覆っている。
「今回の依頼元は警察だね。まあ、先方もメンツがあるみたいでおおっぴらにしちゃいけないから内緒だよ」
そう言った北原が片目を閉じて唇に指を当てる。その仕草の意味を鏡子が考えている間に、北原は女性に向かってビデオ再生して、と言った。何故か顔を赤くした女性が胸元を隠すようにしつつ、ビデオディスクを持ってAVラックに近付く。
「機密という理解で間違いありませんか?」
北原の仕草に特に意味はないらしい、と解釈して鏡子はそう訊ねた。
「そのとおり。鏡子ちゃん、覚えるの早いから助かるよ」
そう言いながら北原が壁の方を指差す。鏡子は北原の指先が示した方を向いた。壁に掛けられた薄型のモニタには夜の街が映し出されている。
「いえ。司令の指示が的確だからかと思います」
学習速度は以前と変わっていない。だがデータの入力者は変更された。北原が使いやすいと感じるなら、それは北原のデータ入力法の効率がいいからだ。モニタに映る夜の街の景色を見つめ、鏡子は淡々とそのことを説明した。
「鏡子ちゃん。褒めても何も出ないよぉ」
「褒めるという機能は実装されていません」
だらしなく顔を緩めた北原をちらりと見てから鏡子はモニタ画面に目を戻した。北原はさっきからずっと、モニタ画面から目を離していない。
事実だってこと? だったらさらに嬉しいなぁ、などとひとしきり喜んでいた北原が、急に真顔になる。
「鏡子ちゃん、見えた?」
「はい。鳥ではないようです」
暗い夜の街の空を何かが横切った。その様子を鏡子はしっかりと確認した。ビルとビルの間を何かが飛び越えたのだ。
「撮影した人間が、カメラ扱うの素人だったから、ちょっと見難いかもだけど、ここから注目して」
北原の説明に頷いた鏡子は瞬きの機能を意図的に切り、モニタ画面を注視した。何かがビルの間を飛び、ビル壁を這い回る光景が映されているのだが、撮影した人間がカメラを揺すったのか、画面はぶれている。鏡子は目から取り込んだ映像に修正をかけた。鏡子は右のカメラでモニタ画面の映像を取り込みつつ、左の視界を操作画面に切り替えて録画映像の再生を行った。
画面のぶれが止まるとさっきより映像が見やすくなる。
「女性ですね」
「そだね。で、ここからが肝心なんだけど。この女性が生身だと仮定して、こういう動きって可能?」
モニタ画面の映像が何かがビルの間を飛んだところで静止する。北原がリモコンで操作したらしい。鏡子は画面を見つめて考えた。
「窓のサイズから考察すると、ビルとビルの間は少なくとも十メートルは離れています。運動能力を高めるトレーニングを行った特定の技能を有する人間ならば、飛ぶことが可能な距離かも知れません。ですが、あくまでも可能性の話、です」
注釈付きで鏡子は答えた。飛べるかも知れない、飛べる可能性がある。だがその程度の考えでこんな風にビルの間を人間が飛ぶだろうか。しかも一度でなく、二度三度と飛んでいるのだ。
「以上の事から、私は一般的な人間の女性には不可能と推測します」
「鏡子ちゃんにはできる?」
「現在の設定では可能です」
北原の質問に鏡子は今度は間を置かずに答えた。今現在の設定を維持するなら、画面に映された女性と同等の動きをすることは可能だ。
「オッケー。つまり、鏡子ちゃんと同等以上の性能を持ったロボットとかの可能性はあるってことだね?」
「そういうことになります」
北原に向かって頷いてから、鏡子はモニタ画面に目を戻した。
「この事件の時は、盗まれそうなものに目星付いてたからさあ。罠に嵌めたのね。それでこういう映像とか撮影できたりしたわけだけど」
そう前置きしてから、北原は説明をし始めた。映っていた女性は連続して窃盗行為を働いているのだという。神出鬼没で女性の姿を直に見た者はこれまでにないらしい。だがこの時は運良く映像が撮れたらしい。
映像が撮影された日、犯人の女性はある高層ビルの最上階で行われた展示会の会場に侵入したという。深夜にビルの窓から侵入した犯人は、備え付けの防犯カメラを無力化、警備装置をあっさりとかいくぐった。その後、展示物を盗んで逃走。だがその展示物はあらかじめ用意されたダミーだったのだという。
「発信器が仕込んであったんだけどさあ。途中で気付かれちゃって」
「犯人を捕縛するには至らなかったと。この理解で宜しいでしょうか?」
北原が言うことに頷き、鏡子はそう訊ねた。
「至らないだけならまだ良かったんだけどさあ。どうしてか、主催者が用意した本物の保管場所を知られちゃって、気付いたら盗まれてたっていうか」
まあ、そのあたり警察の担当だったからうちのせいじゃないんだけどね。そう続けて北原が足を組み合わせ、つま先に引っかけたスリッパをぶらぶらと揺らす。鏡子はその様子をじっと見つめてから、画面に目をやった。左の視界に表示させていた映像を、壁のモニタに映された映像と同じところで一時停止する。その後、鏡子は左の視界に映った画像を拡大してみた。
「なるほど。脇に抱えているこれですか」
呟くように言って鏡子は少し目を細めた。カメラに被る瞼の位置を調整し、もっとも映像がはっきりと見える場所で静止する。
「そゆこと。だけど、全く収穫が無かった訳じゃなくてさ」
「映像の解析は終了しているという理解で宜しいですか?」
この停止画像の解析を行えば、犯人である女性の形がある程度は判るだろう。鏡子は左の視界に映し出されていた映像を消した。
「まあ、見ての通りのボケボケブレブレの映像だからさ。映像からは、身長百七十センチ弱の、レオタードを着た若い女性ってだけしか判らなかったんだけどね」
遺留品が残ってて。そう続けた北原を鏡子はじっと見つめた。れおたーどとは何だろうか。検索すべきなのだろうか。だが北原の言葉の中には着る、という言葉が入っていた。だとするとれおたーど、というのは服なのだろう。
「れおたーどとは、ボディ胴体部に密着した、手足を覆わない服、という理解で構いませんか?」
机の中をごそごそと探っていた北原に向かって鏡子は言葉を投げかけた。すると北原が手を止めて鏡子を見る。
「そのとおり」
ちなみに、昔流行った女怪盗が出てくるアニメで主人公が着てた手足まで覆うのはユニタードって言うんだよねって知らないか。そう言って北原が笑う。鏡子は北原の言葉のどの部分を検索しようか、しばし考えた。だが北原の言葉には遊びの部分が多く、聞き流しても問題のない事柄については北原は重複して口にしない。これまでの経験を元に北原の用いた語句の検索は必要ないと判断し、鏡子は無言で頷くだけにとどめた。
「で、遺留品なんだけど」
そう言って北原が止まっていた映像を少し巻き戻す。犯人がビルから飛んだところで北原は再び映像を止めた。鏡子はモニタ画面を見つめた。女性が何か白いものを落としたのが判る。
「とりあえず、回収したのがこれ」
北原が机の中から取り出したのは透明なプラスチックケースだった。中には白い布が一枚入っている。鏡子はケースの中を見てから頷いた。
「ハンカチですか?」
ハンカチとはハンカチーフのことだ。ハンカチーフとは手を拭いたり、または装飾などに用いられる小型の四角い布のことだ。材質は綿、麻、絹などが用いられるという。鏡子は所有するデータの中からハンカチを検索し、一人で頷いた。
「碧星女学院って知ってる?」
そう言った北原がプラスチックケースを指し示す。北原が示したのはハンカチの刺繍だった。真っ白なハンカチには薄青の糸で模様が縫われている。
「これがさあ。校章入りのハンカチだったんだよね」
「交渉?」
鏡子は北原の説明に首を傾げ、眉を寄せた。交渉が入ったハンカチとはどういったものなのだろうか。
「そう校章。ここに刺繍で縫い取られてるのわかるでしょ? さすが名高いお嬢様ブランドの学校だけあってこんなアイテムもあるんだねえ」
頷いた北原が指差している模様を見つめ、鏡子は言われた内容を考えた。どうやら北原が口にしたのは交渉ではないらしい。こうしょう、と呟いて鏡子は語意を調べるために検索機能を用いた。ヒットした中から的確と思われる内容を抜き出し、考察する。北原が言ったのは、交渉ではなく校章らしい。校章というのは学校のことを示すマークのことだ。そう理解して、鏡子はなるほどと頷いた。
犯人が落としたハンカチには校章が縫いつけられており、そのことから犯人が所属するであろう学校が推測可能だということだ。
「つまり犯人がその学校にいる、という理解で宜しいでしょうか?」
考えた後に鏡子はそう言った。北原が頷いて言葉を継ぐ。
「実は、別口でこの碧星女学院って学校はマークしてたって経緯もあって。鏡子ちゃん、サイボーグってわかる?」
自分は機械で出来たロボットだが、サイボーグというのは人間の部品の一部を用いて作られるモノだ。鏡子は以前に杜川から聞いたことのある話を思い出し、頷いてみせた。
「はい。一部に人間の部品を用いて作られる機械です」
「んー。逆の認識してる人が多いんだけど、まいっか」
北原が苦笑をしてから付け足す。確かに今実用化されてるサイボーグは殆どの部分が機械だしねえ。その言葉を聞いた鏡子は少し眉を寄せて考え込んだ。逆の認識とはどういうことだろうか。自分の答えに不備があったのだろうか。じっと考え込む鏡子を見ていた北原が、机の中に元通りにプラスチックケースをしまう。
「過去にサイボーグの研究をしていた人物が、半年ほど前まで碧星女学院で教師をしていたんだよね」
その人物はある機関から危険人物としてマークされていたのだという。だがある日、その人物は死亡したらしい。北原にそう説明を受けた鏡子は杜川のことを思い出した。その人物は、あの時に動かなくなった杜川と同じ状態になったということだろうか。
「まあ、そゆ経緯もあって、その学校を調査してみようってことになったんだけどさ」
つまりは窃盗の犯人が潜伏していると思われる場所と、マークされていた人物がいた場所は一致しているということだ。そう理解して鏡子はなるほど、と呟いた。
「お金持ちのお嬢様が通ってる女子校ってことでガード固くてさ。潜入捜査するしかないって事で、まとまったんだけど」
説明を続けつつ、北原がペン立てから今度はペンを取り上げる。何をするのだろう、と鏡子は北原の手元を見守った。どうやら北原は特に何かを書こうという意図の元にペンを取ったのではないらしい。時々、北原はこんな風に意味もなく道具を取り上げては手の中で玩ぶ、という行動を取る。
「今居るうちの女性職員の一部に試しに制服買って着せてみたんだけどさあ。コスプレ風俗みたいになっちゃって」
笑い混じりに言った北原の机に、音を立てて湯飲みが乗る。鏡子は湯飲みから散った茶の滴を目で追ってから、湯飲みを置いた人物に目をやった。さっきビデオの再生を申しつけられた女性が、何故か目を吊り上げて北原を見ている。そう、これは確か睨む、という行為のはずだ。どうやら女性は何らかの不満、若しくは不服、または怒りという感情を覚えているようだ。
「いや、ほら、マコちゃんは美人だよ。ただ、ちょっとあの制服着るにはトウが立っているっていうか」
何故か少し早い口調で北原が女性に向かって言う。すると女性は肩を怒らせ、目を吊り上げたままで北原に強い口調で何事かを言い始めた。どうやら北原が言ったことに反論をしているようだ。言い合いをする二人を眺め、鏡子は考えを巡らせた。
こすぷれ風俗というのはなんだろうか。検索すべきだろうか。制服ということは、学校の制服という意味だろうか。該当する学校のデータを検索し、語意を検討すべきだろうか。
女性が目を吊り上げ、北原の頬を手で打つ。こすぷれ、という言葉の意味を検索しようとしていた鏡子は、大股で部屋を出て行った女性の背を見送った。
「そゆわけでさ、鏡子ちゃんの初仕事として、碧星女学院に潜入して、例のレオタード怪盗の捜査をしてほしいんだけど」
女性に打たれた頬を押さえた北原が言う。鏡子は少し眉を寄せ、北原を見つめた。
「ただいま、コスチュームプレイについて考察中なのですが」
どうやらこすぷれ、というのはコスチュームプレイの略らしい。コスチュームというのは服装という意味だろう。だがプレイとはなんだろうか。巡らせていた思考を中断し、鏡子は眉を強く寄せた。
「ああ、コスプレ興味あるの?」
そう言いながら北原が雑多に散らかった机の上を探り、本を取り出す。鏡子は差し出されたそれを受け取りながら答えた。
「いえ。登録されていない語句でしたので」
手にした本をめくってみると、そこには色鮮やかな衣装を身に着けた女性の写真が載っていた。
「とりあえず、いろんな本読んで学習したほうがいいよね」
「学習方法として読書が有効であることは理解しました。コスチュームプレイとは、この写真のような服を着ることと解釈しましたが宜しいでしょうか?」
そう言って鏡子は本のあるページを指差した。そこにはセーラー服を着て黄色い杖を握る女性の写真が掲載されていた。頭のところには飾りが付けられており、それと同じ形をした飾りが胸元にも付いている。どうやら頭飾りや胸飾りはコスチュームに含まれているようだ。
「まあ、ひとつの言葉でも意味は広くて深いからねえ。答えを導いたとか思って、決めつけちゃだめだよ」
「了解しました。参考資料の一つとして登録することにします。ところで」
本から目を上げて鏡子は北原を見つめた。鏡子の手元に目を落としていた北原がつられたように顔を上げる。
「学校に潜入し、問題の犯人を捜索するというご命令と理解しましたが、宜しいでしょうか?」
コスチュームプレイについては参考資料は入手出来た。この件については今の時点ではこれ以上考察する必要はない。そう考えた鏡子は次に北原が言ったことについて訊ねた。
「その理解でオッケー。というわけで、これに指令書入れといたから」
「はい」
鏡子は頷いて北原が差し出した光ディスクを受け取った。それでは失礼します、と会釈をしてから鏡子は本とディスクを抱えて北原の部屋を後にした。
入学式が無事に終わり、ほっとした雰囲気が舞台袖に漂う。今日は生徒会は役員が総出で入学式の手伝いを行っていたのだ。
講堂に詰めていた生徒達は順々に教室に戻っていく。その様を緞帳の影から見守っていた伶那はほっと息を吐いた。そんな伶那に役員達が口々にお疲れ様です、とねぎらいの声を掛ける。
「皆さま、お疲れさまでした」
にっこりと微笑みを浮かべて伶那は声を返した。すると役員の一人が慌てたように首を振った。
「いえ、一番お忙しかったのは二宮会長ですから」
だから片付けは自分たちに任せてお先にどうぞ、とその役員が伶那を促す。他の役員たちも頷いているところを見ると意見は同じのようだ。伶那は思わず苦笑をし、壇上に並べられたパイプ椅子を率先して片付け始めた。
「後片付けを済ませてしまいしょう」
「はっ、はい!」
生徒会長である伶那が率先して片付けをし始めたことに慌てたのか、役員たちが小走りに舞台の袖から現れる。彼らにてきぱきと指示をし、伶那は予定通りにその場の片付けを済ませて教室に向かった。
入学式の後は短いホームルームの時間が設けられている。伶那は新たにクラスメイトになった生徒たちに挨拶をしつつ、教室に入った。自分のネームが貼られた机に着くとタイミング良くチャイムが鳴る。その後、担任の教師が教室に入ってきた。
伶那はこうして碧星女学院に通う生徒の顔と、同時に二宮家の特殊な稼業の継承者の顔を持っている。一子相伝で受け継がれる技の名は呪宝浄化術。この世に存在するあらゆる宝物の中には、稀に人の悪意に毒されているモノがある。呪宝浄化術はそう言ったモノを浄めるための技だ。
先代の継承者は伶那の祖父だった。だが祖父の子供には技を受け継ぐことが出来る者はおらず、次の世代である伶那にその力が宿った。だが伶那は幼い頃から身体が弱く、ある時、技を継承するための修行を続けることが出来なくなってしまった。それだけではない。伶那はやがて起きあがることが困難なほどに身体を病んでしまったのだ。
そんな伶那に救いの手を差し伸べたのは祖父だった。祖父は伶那にある女性を紹介してくれた。そしてその女性の案によって伶那はサイボーグに改造されることとなった。
生身の脳を組み込んだ機械の身体は、普通の人間では扱えないほど生身とは感覚が異なる。だが伶那は幼い頃から修行を積んだ身だ。女性の手によって改造された伶那は、最初は違和感があったものの、次第に機械の身体の扱いに慣れていった。
常人ではとても無理だったでしょうね。女性はよくそう言っていた。サイボーグ化には幾つかの問題点があり、その中でも最大の難問は機械の身体の扱いに習熟出来るかどうかなのだという。生身だった頃の感覚のままに扱おうとすると、壊してしまう恐れがあるためだ。
伶那は根気良く技の修行をし、同時に機械の身体に慣れるために訓練をした。そんな伶那に女性はつきっきりで面倒をみてくれた。そして修行を終えた伶那は、晴れて呪宝浄化術を継承することとなった。そして伶那は祖父の跡を継ぎ、仕事をし始めた。
人の悪意に毒されたモノは、財宝の形を取っていることが多い。そして伶那はそういったモノを盗み出し、浄化をした後にあるルートを使って売りさばいているのだ。そうして出来た金は全て災害義捐金として寄付している。伶那の代わりにそれをしてくれているのは祖父だ。
女性は親身になっていつも伶那の世話をしてくれていた。祖父が連れてきたあの女性は、実は呪宝浄化術を科学的に分析し、機械で技の代わりが出来ないかと研究するために伶那の家に呼ばれたのだという。研究、実験を重ねた結果、呪宝浄化術は人間の脳のある部位が人の歪んだ思念を捉え、中和して消し去る機能を持つことが判った。だがその能力を持つ者は稀らしい。その話を伶那は女性と一緒に過ごす中で聞いた。
しかし、その女性は今はもういない。この碧星女学院は伶那の祖父が理事長を務めていて、女性は表向きは教員として去年までここで働いていた。だが去年の暮れ、伶那が仕事に出かけている最中に女性は事故に遭ってしまった。連絡を受けた伶那が駆けつけた時には、女性は既に亡くなっていた。
葬儀の席に女性の親類は一切おらず、そこで初めて伶那は女性には親類縁者がいないのだと知った。そして伶那は万一の事態が起った時に頼るように言われていた、杜川博士という人物を捜した。
だが残念ながら杜川博士も亡くなってしまっていた。探し当てた家には誰もおらず、窓から覗いた家の中は閑散としていた。伶那はそのことにショックを受けたが、とりあえずは戻ることにした。後で判ったことだが、杜川博士にも女性と同じように親類縁者はいなかった。亡くなった杜川博士を弔ったのは、契約していた弁護士のようで、葬儀もごくささやかに営まれたらしい。
探し当てたその弁護士を伶那は訪ねた。だが守秘義務があるからと杜川博士のことは殆ど教えて貰えなかった。唯一聞いたのは、杜川博士の遺産はある人に受け継がれたということだけだった。
途方に暮れた伶那は女性と暮らしていたマンションに戻った。だが女性がいなくなっても仕事は入ってくる。伶那はメンテナンスもそこそこに、入ってくる仕事を淡々とこなした。
そして先日も事前に入手した情報を元に、ある展示場に忍び込んだ。そこに展示されていた美術品を盗み出すためだ。だが実際にそこにあったのはレプリカだった。どうやら自分は嵌められたらしい。そのことに伶那は気付いたが、展示場の近くに本物の美術品が隠されていることに気が付いた。そして伶那は予定を変更し、本物の方を盗み出すことに成功した。
ちらりと窓の方を見つめて伶那はそっと息を吐いた。教壇に立つ教師は淡々とした話し方で、明日の提出物のことを説明している。回ってきたプリントを感慨のない目で見つめ、伶那は自分用の一枚を机に乗せて残りを後ろの席の生徒に回した。プリントされているのは問診票だった。
こんなもの自分には必要ないのに。また嘘を書くことになると思うと少し憂鬱だ。伶那はぼんやりとした目でプリントを見下ろした。生身の人間用のチェック項目は、全て良好の文字で埋めるしかない。
本当は良好などとはかけ離れた状態なんだけれど。そんな風に心の中で呟いて伶那は密かにため息を吐いた。女性がいなくなったあの日から、メンテナンスもろくに受けることが出来ないままだ。
伶那はため息を吐いて身じろぎした。意識して椅子に股間を押しつける。オナニー回路と呼ばれるシステムが起動し、伶那のメカ小陰唇が微振動を始める。オナニー回路は伶那の精神状態を分析し、自動的に立ち上がるシステムだ。伶那の精神状態に合わせ、システムは四段階に変化する。
オナニー回路がレベル1で起動した場合、メカ大陰唇のバイブレーターが駆動し、メカ小陰唇が開閉を始める。ショーツの内側にメカ大陰唇とメカ小陰唇が擦れることにより、伶那は軽い性感が得る。だがあくまでも軽度の快感であるため、伶那が快感に悶えたりというようなことはない。
レベル2での起動の場合、伶那はスカートのポケット越しにメカ女性器を指で刺激するなどの動作を行わなくてはならない。周囲の目を盗んでメカ女性器を刺激するという動作のため、伶那が得られる性感の度合いもレベル1よりは強い。
レベル3でオナニー回路が起動すると、伶那はメカ乳房やメカ女性器を直接刺激しなければならない。そのため、レベル3以上での起動時は人の目を避ける必要がある。
一番高いオナニー回路の起動レベルが4だ。この場合、伶那はメカ膣内に指等を出し入れし、メカ膣内部を刺激しなければならない。そしてこのレベル4での起動時の動作は睡眠の代わりに行われる動作でもある。
今オナニー回路はレベル1で起動している。ショーツの股布にメカ小陰唇が擦れる感覚に意識を集中し、伶那はそっと息を吐いた。近頃はメカ女性器が休まる暇もないほど、オナニー回路はほぼ常時起動している。
元々、人間の精神とメカ身体を適合させることには無理があるのだ。その無理を可能にする方法が、このオナニー回路の搭載だった。元来の伶那の性格では、たとえ必要だと理性で判っていても自分からオナニーをすることは出来なかった。だがオナニー動作によって感じる性的な快楽が精神的な負荷を軽減させるため、オナニー動作はどうしても必要だった。このオナニー回路は強制的にオナニーを行わせるためのものなのだ。
教師の声に我に返り、伶那は教壇の方を見た。いつの間にか話は明日の予定に移っている。明日は午前のみだが、通常通りの授業が行われる。午後は職員会議が開かれる予定だ。一通りの話を済ませた担任教師が日直に頷く。日直の号令と共に立ち上がったクラスメイトたちと同じように伶那も席を立った。挨拶が済むと担任教師は早々に教室を後にし、教室にいたクラスメイトたちは帰り支度を始める。伶那も鞄にプリントなどを入れ始めた。
今日はこれから生徒会業務だ。それが終わってからメンテナンスをしなければならない。ほぼ常時、オナニー回路が起動しているためにメカ女性器ユニットの消耗が激しいのだ。少し憂鬱な気分で伶那は鞄を片手に教室を出た。
ふとそこで不思議な光景が目に留まる。一人の少女が小さなメモ用紙のようなものを手に廊下に佇んでいるのだ。スカーフの色を見るとどうやら少女は新入生のようだ。
まるで人形のよう。少女の美しい長い黒髪に目を惹かれ、伶那はしばらく立ち止まって少女を見つめた。少女はたまに顔を上げてはメモ用紙に目を落としている。もしかして学校の中を探索しているのだろうか。真剣な顔でメモ用紙に向き合う少女の姿に伶那は顔を綻ばせた。上級生に遠慮しているのか、少女はひっそりと廊下の隅に立っている。その様子が伶那には可愛らしく微笑ましいものに思えた。
ふと少女の顔立ちを確かめようと、じっと見つめた伶那は思わず目を見張った。顔を上げて何かを追うように少女がこちらを向く。その顔立ちは亡くなったあの女性によく似ていた。年の差を除けばそっくりと言ってもいいかも知れない。
「何か?」
伶那の視線に気が付いたのか、少女はいつの間にかこちらを向いている。伶那ははっと我に返った。焦る気持ちを抑え、伶那は努めて冷静に訊ねた。
「あなた、お名前は?」
そう訊いた伶那を少女がじっと見つめる。少女が返事をしないことを訝り、伶那は眉を寄せた。だがすぐに自分が名乗っていないことに気付く。人に名前を訊ねる時は自分から名乗るのが筋だろう。
「ごめんなさい。人に名を尋ねるときは、先に名乗るべきよね。わたくしは二宮伶那よ。あなたは?」
微笑みを浮かべて会釈をした伶那を見つめ、少女がぺこりとお辞儀をする。
「杜川鏡子です」
少女の名前を聞いた伶那は驚いて目を見張った。鏡子という名前は亡くなった女性と同じだ。名乗った後に鏡子はまた、さっきまでと同じように周辺を見てはメモ用紙を見つめて何かを書いている。
「鏡子……さん?」
独り言のように呟いてから、伶那ははっと息を飲んだ。鏡子という名もだが、杜川という苗字にも覚えがある。
「何ですか?」
伶那の呟きを聞き取ったのか、鏡子が再び目を上げてそう言う。伶那は素早く周囲を見回してから鏡子に近付いた。鏡子が持っていたメモ用紙とペンを制服のポケットにしまい込む。
「あ、いえ。なんでもないの」
それではごきげんよう。笑顔で挨拶をして伶那はそそくさとその場を後にした。そんな伶那の背を鏡子はじっと見つめていたが、伶那自身はそのことに気が付かなかった。
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