(メカギャル文庫)ダブル・ディーリング 冒頭立ち読み版
積極的に帰りたくない、というほどではないが、出来れば遅く帰りたい。かといって部活をするほどの意欲はない。最近は部活で使う以外では、パソコンも勝手に使わせて貰えない。だから学校に居座ったところですることもない。
羽島数斗は学校から帰っている理由を心の中で反芻した。ふざけながら一緒に帰る友達はいるが、それほど付き合いが深い訳じゃない。帰る途中でどこかに一緒に寄ることはない程度の付き合いだ。
電車に揺られつつ、数斗はこっそりため息を吐いた。夏の暑い車内もうんざりするが、寒くなるに従って一人一人の着る物が分厚くなった分、席が狭くなるのも好きじゃない。乗り込んできた客が、数斗の左隣に空いていた狭いスペースに腰掛けようとする。数斗は仕方なく隣の客を気にしながら右に寄った。
最寄り駅に到着した電車から降り、数斗はのろのろとホームを歩いた。こんな風に時間稼ぎをしても無駄だということは判っているのだが、どうしても足が重くなる。エスカレーターに乗り、階段を昇り、改札を抜けた数斗は深いため息を吐いた。券売機の近く、いつもの場所で、よく知る人物がにこにこ笑いながら手を振っている。
「カズくん! おかえりなさい」
全開の笑顔で言い放った人物を睨むように見つめ、数斗はもう一度ため息を吐いた。
見た目は自分と同級生くらいの驚異的な若さ、ついでにクラスメイトの女子よりずっと可愛く、更に言えばスタイルもいいこの女は、実は数斗の母親で千紗という名前だ。だが改札前で足を止めていたら、今度はタックル紛いの抱きつき攻撃を食らってしまう。逃げたくなる気持ちを堪えて数斗は無言で千紗に近付いた。
「今日もあまり元気が無いのね? もしかして、最近、学校で何かあったの?」
そんなことを言いながら、千紗が数斗の顔を覗き込んでくる。くりっとした目で覗き込まれ、数斗は千紗から顔を背けた。
「別に」
ぼそっとそれだけ言った数斗を見つめ、千紗が考えるような顔をする。数斗はそんな千紗をちらちらと伺った。黒くさらさらな髪は背中の中程まで伸びている。身長は数斗より低く、並ぶと見下ろす感じになる。だが千紗の体型は小柄な割にめりはりが効いていて、ウエストは細く、胸はかなり大きい。
今日の千紗はふんわりとしたパステルカラーのセーターを着て、その胸に大量の花を抱えている。きっとまた花屋のオヤジに持っていけ持っていけと押しつけられたに違いない。千紗はこの容姿だからなのか、駅前の商店街のオヤジ共にやたらと人気があるのだ。
二人で並んで地上に続く階段を昇る。その間、千紗は唇を尖らせて一人でぶつぶつ言っていた。カズくんが冷たい、とかいう愚痴が聞こえてはいたが、数斗は聞こえない振りをした。
地下鉄の駅を出ると赤い空が見える。いつものように駐輪場に向かおうとした数斗はふと足を止めた。
「今日は自転車じゃないの?」
いつもなら数斗に並んで駐輪場に向かうはずの千紗が、何故か商店街の方に歩き出している。振り返った千紗が今気付いたという顔をして数斗に駆け寄る。
「一緒にお買い物しましょ!」
爽やかな笑顔で千紗が数斗の腕にしがみつく。抱えていた花を片手に持ち直し、わざわざ胸を腕に押しつけ、間に挟んでくる念の入れようだ。しかもこれがわざとでないらしいから笑えない。ふんわりとした膨らみの間に腕を挟まれ、数斗は顔を強ばらせた。
「買い物はいいけど、何で腕組むんだよ」
低い声で指摘をすると、千紗が驚いたような顔をする。以前、このパターンで抱きつかれ、ついつい振り解いてしまい、千紗が泣き出しそうになったことがある。そのことを思い出しながら、数斗は振り解きたいという衝動を懸命に我慢した。
「え、だって! カズくんは私のこと、嫌いなの?」
そんなことを言いながら千紗が目を潤ませる。ぎくりと身を竦めて数斗は反射的に千紗から離れようとした。だがその寸前で思いとどまる。そんな真似をしたら本当に千紗は泣き出してしまうかも知れない。
「きっ、嫌いとか好きとか、そういうことじゃなくて」
出来るだけ声を絞って数斗はそう言った。すると千紗が不思議そうな顔をする。駄目だ。ここで千紗を納得させる時間を使うくらいなら、いっそのこと色んなことを我慢してでもこのまま買い物した方がいい。
母親なんだから何にも問題ない。腕を組んでいようが、胸に挟まれていようが、別に母親なんだから関係ない。
心の中で自分にそう言い聞かせ、数斗は深いため息を吐いて商店街に向かった。数斗が納得したと思ったのか、千紗はまたにこにこと笑いながら横を歩いている。
「悩みがあるなら、私が聞いてあげるから。まず、お茶しましょ」
ぎゅっと数斗の腕を抱きしめて千紗が一人で頷く。数斗は思わず足を止め、怪訝な顔で千紗を見た。
「買い物するんじゃなかったのかよ」
それに悩みなんてない。そう付け足して数斗は顔をしかめてみせた。すると千紗が唇を引き結び、数斗をじっと見据える。
「このところ、ずーっと眉間に皺出てるの、気付いてないでしょう?」
千紗が花を持った手で数斗の眉間を押さえる。変なところで鋭いくせに、数斗の顔が花に埋もれてしまうことには考えが及ばなかったらしい。むせるような花の香りをいっぱいに吸い込む羽目になり、数斗は花の中で咳き込んだ。
「悩みなんかないし、話すこともない」
仏頂面で文句を言った数斗は花を手で退けた。ついでに眉間を押さえていた千紗の手もさりげなく退ける。目の前から花がなくなってほっとした数斗は、千紗が目を潤ませていることに気が付いて焦った。何でこう、千紗はすぐに泣きそうになるのだろう。
「そんな顔しても無駄だ。買い物するんだろ? どこで?」
千紗が泣き出したら面倒だ。かと言って相談することなんかないし、悩みだってもちろんない。数斗はさっさと頭を切り換えて話を買い物に戻そうとした。
「今日は、カズくんが欲しいものをプレゼントしちゃいまーす! 何か欲しいものある?」
目尻に浮かんだ涙を拭い、千紗が何故か花を持った手を空に向かって突き上げる。どうやら挙手のつもりのようだ。
「別に」
千紗が何でそんなことを言い出したのかを考えるより早く、数斗は反射的にそう答えた。するとまた千紗が目をうるっとさせて上目遣いで数斗をじいっと見つめてくる。
「やっぱり、カズくん。私のこと嫌いになったんだ……」
「あー、もう、しつこい! 嫌いとか好きとか関係ないし、悩んでもいない! 買い物さっさと済ませないと、今日はオヤジもいるんだろ!?」
何かあるとすぐに泣きそうになる千紗に我慢出来ず、数斗は少し強い口調で言った。すると千紗が目元を拭って不思議そうな顔をする。
「清次さんからは、二十時まで帰るなって言われてるから」
「は?」
疑問の声を返してから数斗は今朝のことを思い出した。数斗の父、清次はロボットの開発などを手がける科学者らしい。らしい、というのは数斗は実際に清次の仕事の内容を知らないためだ。清次が自分の口からそう言っただけで、その実、何を作っているのかは判らない。ぶつぶつ言いながら家の中を歩いていることもあるが、耳を澄まして聞き取っても何を言っているのかさっぱり判らないのだ。
清次は仕事が忙しいのか、毎日家には戻らない。研究所で寝泊まりすることが多いのだ。そんな清次が今朝は家に帰ると言っていた。
「じゃあ、どうするんだよ。八時までって、何してろって言うんだ」
数斗は眉間に皺を寄せてため息を吐いた。こんなことならもっと時間を潰してくれば良かった。
「とりあえず、喫茶店いきましょう!」
何故か嬉しそうな顔をして千紗が改めて数斗の腕に抱きつく。また二つの膨らみの間に挟まれた感触にぎょっとしつつ、数斗は今度は抵抗しなかった。
少しは疑ったりしないのかよ。
腕にしがみつく千紗を見下ろし、数斗はこっそりため息を吐いた。清次に時間指定までされて帰ってくるなと言われたことを、千紗は何とも思っていないのだろうか。それでなくても清次は千紗にいつも冷たい。数斗の目から見ても清次は千紗に関心がないのではないかと疑いたくなるほどだ。なのに千紗はいつもこんな風にけろりとしている。
引っ張って連れて行かれたのは、駅前のコーヒーショップだった。カウンターで飲み物を注文し、出されたコーヒー二つをトレイにのせてテーブルに着く。千紗の持っている花が気になるのか、それとも本人が気になるのかは判らないが、店内の客の目は千紗に集中している。だがそのことに千紗は全く気が付いていないようだ。
言われるままに席に着いた数斗は、諦めのため息を吐いて片方のコーヒーカップを寄せた。ソファに花を乗せた千紗が、嬉しそうに数斗のカップに砂糖を入れる。
「お砂糖はふ・た・つ」
弾んだ声で言って千紗が今度はミルクを注ぐ。自分で出来ると言ってもきかないのはよく判っている。判ってはいるのだが、やっぱり恥ずかしい。子供じゃないんだぞ、と文句を付けようとして数斗は思いとどまった。そんなことを言ったら、千紗はきっとまた泣きそうになるに違いない。
スプーンでコーヒーを混ぜた千紗が笑みを浮かべて数斗を見る。数斗はため息交じりに仕方なくいただきますと言ってカップを取り上げた。
「カズくん。やっぱり、何か悩み事、あるんでしょ?」
また最初に逆戻りしてしまったらしい。真正面から上目遣いで見つめる千紗から目を逸らし、数斗はため息を吐いた。学校を出て、これで何度目のため息だろうか。数えるのも馬鹿らしいくらいため息ばかりついている気がする。
「だからないって。それとも母さんは、俺が悩んでることにしたいのか?」
うんざりした気分で数斗はそう言い返した。すると千紗が困ったような顔をする。
「だって、そんなにため息ついて……」
あんたのノリについていけなくて勝手に出るんだ。……と、正直に言うわけにもいかず、数斗は少しの間黙って考えた。千紗は心配そうな顔をしているし、実際、本当に心配されているのだろう。だがだからといって千紗に相談する気にもならない。ちらっと千紗を見てから数斗は熱いコーヒーを少しずつ啜った。
「進路のことでちょっと」
どう言えば千紗が納得するだろう。考えた末に数斗はそう口にした。すると千紗があからさまに明るい表情になる。
「そうよね! まだ一年生だって言っても、大学受験なんてすぐなんだし。塾に通いたいとか、家庭教師つけるとか、必要だったらいつでも相談してね!」
悩み事を相談された割には千紗はほっとした表情をしている。どうやら納得してくれたらしい。手軽だな、と思いつつも、数斗は曖昧に頷いてみせた。
「でも今はまだ、はっきり決まってる訳じゃないし」
数斗は先回りしてそう言った。放っておいたらきっと、千紗は目を輝かせながら塾や家庭教師のパンフレットを並べ始めるに違いない。そんな数斗の考えはどうやら当たっていたらしい。途端に千紗がしょんぼりとした顔になる。
「ま、そっか。でも、考えがまとまったら、絶対相談してね!」
一人で頷いた千紗がにこにこしながらテーブルに肘をつく。何をするのかと思ったら、千紗は小指を立てて数斗の方に向けた。
まさかと思うが、これは指切りをしようとしているのだろうか。
千紗の細い指を見つめ、数斗はしばし静止した。まさかな、と心の中で呟いてみる。
「なに、それ」
数斗は眉間に皺を寄せて低い声で訊ねた。
「えっ? ゆびきりげんまんっていつもしてたでしょ?」
不思議そうな顔をした千紗は、小指を引っ込めるつもりはないらしい。一体、幾つの頃の話だよ、とぼやいて数斗はうんざりした顔になった。
「そんなことしなくても必要になったら相談するし」
コーヒーを啜りながら数斗は横を向いた。すると何故か嬉しそうに頬を緩めて千紗が小声で言う。
「もしかして、カズくん照れてるとか?」
「恥ずかしいだけだ」
仏頂面をしてそう言い切り、数斗は残っていたコーヒーを飲み干した。千紗は恥ずかしいとかみっともないとか下らないとか思わないのだろうか。小さな子供にするのなら判る。だが見た目には千紗は数斗と似たような年頃に見えるのだ。
そう考えてから数斗は深々とため息を吐いた。同い年くらいに見えるのが一番の問題のような気がする。例えば千紗が実年齢通りの容姿なら、こんな恥ずかしいことは思いつかないのかも知れない。
「やっぱり照れてるんじゃない」
うふっ、と嬉しそうに笑った千紗を数斗は呆れた顔で見た。どういう思考回路なのだろうか。みっともなくて恥ずかしいのと、照れくさいのは違う。真面目に説明しようと思いかけて、数斗はすぐにそれを諦めた。どうせ何を言っても無駄のような気がする。もし数斗の説明に納得するような性格なら、嫌だと言うのに毎日毎日駅まで迎えに来たりはしないだろう。
「はいはい。指切りね」
半ばやけくそになって数斗は手を差し出した。千紗の小指に自分の小指を触れさせてからすぐに手を引っ込める。すると千紗は不満そうな顔になった。
「ちゃんと、指きった、まで言わなきゃ!」
「あー、もう、何でそんなことしなきゃならないんだよっ」
指を触れさせただけでも最大限に譲歩したつもりだ。数斗は引きつって反射的にこの場から逃げようとした。立ち上がりかけた数斗を見つめた千紗がまた目を潤ませる。
「ごめんなさい」
目を潤ませつつも千紗がやけに大人しく手を引っ込める。だが手を引っ込めながら千紗は本当に照れ屋さんなんだから、と小声で言っていた。突っ込みたいのは山々だが、ここでまた蒸し返すと面倒になる。数斗は心の底からうんざりしつつも千紗の呟きを聞き流すことにした。
しばらく時間を潰してから、数斗は千紗と一緒にコーヒーショップを出た。花を持った千紗に腕を拘束されつつ、数斗は大人しく買い物に付き合った。八百屋や肉屋の店主が千紗に絡んでくるのをさりげなく退けつつ、商店街をうろつく。
「ところで夕飯は帰ってから作るのか?」
材料から察するに、今日はハンバーグというところだろうか。挽肉や野菜の入ったポリ袋を見下ろしてから、数斗は千紗に目を移した。
千紗は相変わらず胸の谷間にがっしりと数斗の腕を挟んでいる。いくら実の母親とは言っても、このふわふわ感は立派な凶器だ。数斗は出来るだけ何も考えないように努力した。
「これは明日のお弁当の材料よ。清次さんが、もう食事の準備はしなくていいって」
数斗の持つ買い物袋を見下ろして千紗が頷く。数斗は驚きに目を見張り、思わず立ち止まった。
「は? 俺の飯は!?」
あのオヤジはともかく、自分の食事は確保しなくては。焦る数斗とは対照的に、千紗がのんびりと首を傾げてみせる。
「お弁当はちゃんと用意するから大丈夫」
そう言って顔を上げた千紗がにっこりと笑う。数斗はその返事に呆然となった。夕飯をどこかで食べて戻れという意味なのだろうか。それとも今日の夕飯は抜きということなのだろうか。
だがそれにしては千紗はのんびりし過ぎている気がする。数斗の夕飯もそうだが、千紗だってまだ食事はしていないはずだ。なのに何でこんなに余裕があるのだろうか。
まさかと思うが、あのオヤジが作る訳じゃないよな。
一度、実験と称した、限りなくまずい清次の料理を食べさせられた時のことを思い出し、数斗はぶるりと身を震わせた。二十時まで帰るな、というのは、もしかして料理をしているからなのではないか。そう考えた数斗は急ぎ足で家に向かい始めた。
ドアを開けると家の中には変な声が響いていた。
最初は聞き違いだと思った。だが玄関で足を止めた数斗を置き去りにする格好で千紗が家の奥に進んでいく。千紗はまるで何事もないかのような顔をしている。焦った数斗は靴を脱ぎ捨てて千紗に駆け寄った。
「ちょっ、ちょっと待った、母さん!」
普段は自分からは出来るだけ千紗に触れないように努力している数斗も、さすがにこの時は焦って千紗の腕を後ろから引いた。廊下の途中で立ち止まった千紗が不思議そうな顔をして振り返る。
千紗はいつもと変わらない無邪気な笑みを浮かべている。
「どうしたの?」
胸に花を抱えた千紗のあどけない顔を見た数斗は、すぐに反応出来なかった。千紗の笑顔と無邪気な仕草に見とれてしまった数斗は、しばしの間の後にはっと我に返った。
いつもは警戒して出来るだけ真正面から食らうのを避けているのだが、迂闊にも油断してしまった。無意識に千紗に抱きつこうと伸ばしかけていた腕を引っ込めて身体の後ろに隠し、数斗はわざとらしい咳払いをした。
「だからっ、さっきから聞こえるだろ!? 変な声がっ」
出来るだけ声を落として数斗は千紗を問い詰めた。すると首を傾げた千紗が不思議そうに周囲を見回す。
「ネコでも迷い込んでるのかしら?」
まるで警戒心ゼロの表情をして千紗が声の聞こえる方に向かって歩き出す。数斗は慌てて千紗の前に回り込んで腕を広げた。咄嗟に通せんぼしたせいで、持っていた鞄を落としてしまったがそれどころではない。
「そうじゃないだろ!? ぎしぎし音がしてるしっ、たぶん、そうだ、あれだ、オヤジがそういうビデオでも観てるに違いない!」
激しい喘ぎ声と、何かを押しているような軋みが聞こえている。その音を聞きながら、数斗は苦しい言い訳を試みた。だが数斗は実際には父親の清次が女を連れ込んでいるのだと確信していた。
数斗は清次のことをいつも疑っていた。清次は千紗のことを妻だと思っていないようなのだ。何を話す時もいつも命令口調で、千紗は自分の言うことに従うものだと信じ切っているらしい。しかし千紗はそんな清次に不満を漏らす事もなく、当然のように従っている。
ところがそんな清次も数斗を相手にすると命令口調でなく、普通の会話をするのだ。幼児の頃ならともかく、今はそれが変なことだと判る。近頃の数斗は清次に話しかけられるたびに不信感を募らせ、反抗的な態度をとるようになった。清次はひょっとして千紗を苛めるために、数斗にだけちゃんと話しかけるのではないだろうか。そう思えてならないのだ。
そんな清次のことだ。きっと外から女を連れ込むことに罪悪感など抱かないだろう。一人でそこまで考えて、数斗は密かに握ったこぶしに力をこめた。ぐっ、と歯を食いしばった数斗を千紗が不思議そうに見つめる。
「カズくん。真剣な表情して、どうしたの?」
「だから、オヤジがそういう、エロビデオ観てるなら、邪魔しちゃ悪いだろ!?」
出来るだけ小さな声にしようとはしたが、怒りの感情を抑えきることが出来ず、言葉尻がつい荒くなってしまう。妻なのに蔑ろにされる千紗が可哀想だという気持ちと、オヤジ許すまじという怒りが同時にこみ上げ、数斗は心の中でついつい盛り上がってしまった。
「清次さんが? わかったわ。清次さんの部屋には近付かないようにする」
数斗が真剣なことが伝わったのか、千紗が真顔で頷く。一人で盛り上がっていた数斗は遠ざかる足音を聞いた後で、千紗が横を通り過ぎてキッチンに向かったことに気が付いた。息を飲んで慌てて振り返る。確かに千紗は清次の部屋がある場所は避けている。だが今、知らない女性の喘ぎ声や軋みはキッチンから聞こえているのだ。
「ちょっ、待った!」
焦って駆け出した数斗が押さえる前に、千紗がキッチンの扉を開けてしまう。
「カズくん、どうしたの?」
千紗が開いたドアの前で数斗はびしりと硬直した。裸に一枚だけエプロンを着けた若い女性が、テーブルに上半身をもたせかけ、腰を突き出している。清次はその背後に立って励んでいる、ぶっちゃけると、清次はバックの体勢で女性とセックスしていた。
想像した通りの展開に数斗は目眩を覚えて倒れそうになった。
阿呆な奴だとは思っていたが、まさかここまでとは。
母さんがいるのになに考えてんだ、このクソオヤジ。
よりによって自分と同い年くらいの少女を連れ込むとは何事だ。
それって立派な犯罪ですから。
……などと清次に対する怒りは燃えたぎってはいる。だが理性では清次に怒りをぶつけるべきだと考えてはいるのだが、数斗の目は本能の赴くままに女性に釘付けになっていた。薄いエプロンの下でたゆんたゆんと揺れる乳房や、白く滑らかな背中や、丸出しになっている尻や、露出度百パーセントの腿に目が奪われてしまう。
不意に清次が動くのを止める。それと同時に女性の声が途切れる。そこで数斗ははっと我に返った。
「なっ、何やってんだ! オヤジ!」
そう、ここは怒るところだ。そう自分に言い聞かせて数斗は清次に向かって怒鳴りつけた。
「千紗。これはどういう事だ? 二十時まで戻るなと言っただろう?」
謝る。逆ギレする。清次の反応はこのどちらかだろう。そう踏んでいた数斗は清次に無視されて唖然となった。キッチンの入り口に佇んでいた千紗が我に返ったような顔になる。焦ったようにスカートのポケットに手を入れて、何やらもぞもぞと動いた後に、千紗が慌てて頭を下げる。
「も、申し訳ありません! まだ、十九時二十三分四十二秒だったんですね。すぐに退出します」
やけに焦った口調で言った千紗が数斗に向かって手を出す。
「カ、カズくん! 来て」
「来てじゃなくて! 浮気の現場だろ!? 証拠の写真のひとつもだな!」
だが数斗が喋っている間に千紗が手をつかみ、玄関に向かって歩き出す。ずるずると引きずられるようにして数斗はキッチンを後にした。
「ちょっと待て! 後ろ向きだって!」
腕を強引にとられ、千紗に引きずられながら数斗は喚いた。千紗は小柄で華奢なのに、どこからこの力が出るのだろう。数斗もそれほど体格がいいわけではないが、それでも高校生なのだ。身長は百七十センチを越えているし、体重だって六十キロはある。なのにそんな数斗を千紗は片手で引きずっているのだ。
「ご、ごめんなさい!」
そう言って振り返った千紗が、今度は両腕で数斗に抱きつき、回れ右をする。確かに身体は玄関の方を向いた。それはいい。だがどうして千紗はいちいちこんな風に抱きついたりするのだろう。
数斗は息を詰めて急いで千紗を引き剥がした。胸にしっかりと抱きついていた千紗が不思議そうな顔をしつつも大人しく離れる。
「とにかく外に出ればいいのか?」
今さらキッチンに戻って浮気だ証拠だと騒ぐ気にもなれず、数斗は小声で訊ねた。千紗はどうやら外に出たそうだ。すると数斗が思った通り、千紗がこっくりと頷いた。
「ちょっと、散歩にいきましょう」
にっこりと笑った千紗に頷き返し、数斗は家から出た。胸の花束をどこかに置いたらしい千紗が遅れて家から出てくる。周囲はもう暗く、道を歩いている人はいない。車の通りも殆どない道を、数斗は千紗と一緒に歩き出した。
それにしても千紗の反応はやっぱり変だ。あんな場面を見たのに、どうして清次に文句のひとつも言わなかったのだろう。それどころか千紗は逆に清次に謝ってさえいた。
「なー……。母さん、もしかしてオヤジと仲が悪いとか?」
これまでそう思うことはあっても口に出したことはない質問を、数斗はあえて口にしてみた。少し俯きがちに歩いていた千紗が驚いた顔をして数斗を見る。
「仲が悪いって、どうして?」
言われている意味が判りません、という顔をして千紗が言う。どう説明すれば千紗に理解してもらえるのだろう。他の家族のことをよく知っている訳ではないが、清次と千紗の関係は一般的な夫婦とはかけ離れている気がする。クラスメイトの親と比べても全く違うような気がするのだ。だがそのことをどう言えば判ってもらえるだろう。他と同じにしろと言いたい訳でもないのだ。
数斗が難しい顔をして考えている間に、千紗がぽんと手を叩く。
「今回は、私が二十時まで戻るなって言われていたのに、守らなかったから。約束を守らなかったら注意されて当然でしょう?」
「そうじゃなくてっ。浮気現場を見たんだから、その前の約束なんてどうでもいいだろ!? 妻の特権行使というか、オヤジが断然悪いに決まってんだから!」
千紗の反応に納得出来ず、数斗は勢いよく喚き返した。つい大声を上げてしまってから我に返り、慌てて周囲を見回す。この辺りは住宅地なのだ。こんな時間に声を上げれば嫌でも目立ってしまう。気をつけよう、と自分に言い聞かせて数斗は口を手で覆った。
「浮気現場って……どういうこと?」
意味が判らない、という表情をする千紗を数斗は驚きの目で見た。もしかして千紗は清次が怖いのだろうか。いつも命令を受けてばかりいて、感覚が狂っているのかも知れない。もしかしていま流行の家庭内暴力というやつだろうか。数斗はぼんやりと千紗を見つめ、そんな風に考え込んでしまった。
きっと千紗は自分がいるから清次と別れられないのだ。考えてみれば清次はいつも千紗に酷いことばかりしている。千紗はきっと浮気を浮気と思えないほどに、感情を狂わされてしまっているのだ。そう考えた数斗は一人で盛り上がり、こういう時は自分は我慢しなければならないのだと勝手に思いこんだ。
「母さん、別れたいなら別れてもいいと俺は思う。そんな風に無理することないし」
これ以上はないくらいに真剣な顔をして、数斗はそう言った。それまで不思議そうに首を傾げていた千紗が驚いたような顔をして足を止める。数斗は千紗につられて立ち止まった。
「あの! カズくんは、清次さんと私が離婚したほうがいいの?」
「俺のために我慢することないだろ。母さんは母さんの幸せをつかむべきだと思う」
そう言いつつ、数斗は何だか噛み合わないものを感じていた。実際に親が離婚したらどうなるのか考えた訳でなく、もっともらしいことを言ってみたのだが、千紗の反応は何だか妙だ。
数斗は外灯が照らす千紗の姿を見つめてから首を傾げた。千紗は何故、目を潤ませているのだろう。そして何故、頬を赤くしているのだろう。そして更に、何故、上目遣いで訴えかけるような顔をしているのか判らない。
「カズくんが、どうしても清次さんと離婚して欲しいっていうなら、私、考えてみるわ!」
千紗が胸のところでぎゅっと手を握り、何やら力をこめて頷く。
もしかして千紗は悲しみのあまり、清次に浮気されているということが理解出来なかったのかも知れない。だからあの現場でも清次の言うことにほいほいと従ったのかも知れない。ひょっとしたら自分が思うより千紗は重症なのではないだろうか。
一度はそこまで考えてから、数斗は首を捻った。
その割には千紗はやけに元気に見える。いくら清次が有無を言わせない横暴さで千紗を抑圧していたとしても、この反応は奇妙だ。下手をすると千紗が喜んでいるようにすら見えるのだ。
「いや、あの、ちょっと? 何で母さん、そんなにむきになってるんだ?」
「だって、カズくんが……」
真っ赤になった千紗がもじもじとスカートを弄ぶ。そんな千紗の態度を見て、数斗は確信した。千紗の反応はおかしすぎる。数斗が言ったことを千紗は明らかに喜んでいるのだ。離婚を勧められて恥じらいながら喜ぶという反応をする母親など、あり得ない。
「俺は関係ないだろ!? 母さんが耐えられないだろうと思って、だから俺のために我慢することないってだけで!」
近所迷惑になるかも知れないということをすっかり忘れ、数斗は荒い声で喚いた。誰もいない通りに声がやけに響く。反響した自分の声に焦り、数斗は急ぎ足でその場を離れた。慌てて歩き出した数斗の後を千紗が小走りに追ってくる。
「耐えられないって、何に?」
「だからあの変態オヤジをだよ!」
出来るだけ抑えた声で返事しつつ、数斗は近所の公園に急いだ。道端で千紗と言い合いをしていたら、親子の会話というより若いカップルの痴話喧嘩に見られかねない。
そこまで考えてから数斗はぐったりと肩を落とした。ずっと考えまいとしているのだが、何かあるたびにどうしても考えがそこに行き着いてしまう。
千紗は母親には見えないくらいに若く見える。小さい頃は若く可愛いお母さんでいいわね、程度の評価で済んでいた。友達に羨まれるたびに鼻を高くして自慢していたほどだ。
だが中学に上がったころから、洒落にならなくなってきた。何しろ千紗は今の数斗と同じくらいの年頃にしか見えない。親が参加する行事でもあれば、クラスメイトたちに奇異の目で見られ、中には千紗に目を奪われた挙げ句に紹介してくれと言い出す馬鹿もいた。男の教師の中にははっきりと色目を使おうとする奴もいた。
だから高校に上がってからは表面的には何も感じないように振る舞うことが多くなったし、千紗と歩いていても何も考えないように努めてきた。友人に必要以上に近付かれると面倒なので、付き合いもそこそこにしている。下手に家にまでついてこられて千紗を見られたら、何を言われるか判ったものじゃないからだ。
おまけに数斗の目にも、千紗が可愛らしい女の子に見えることがあって、そのたびに沸き立つ何かを理性でねじ伏せなければならないのだ。
不毛すぎる。
数斗は頭の中にずらりと考えを並べてから、遠い目になった。
「カズくん! 父親の事を、ヘンタイなんて言ってはだめでしょう?」
怒ったような声音とは裏腹に感情の無い表情をして千紗が言う。千紗の言うことは、多分子供を躾ける上ではもっともなことで、正論なのだろう。だが数斗は心の中でそれに反論した。
俺と同い年くらいの女にばかり手を出す野郎は、変態と言われても仕方ないと思う。
だがそれを実際に口にすると、千紗が数斗と同い年ではないというところでひっくり返されてしまう。なので数斗は黙っておいた。すると千紗が困ったような顔をしてため息を吐く。どうやら数斗の反応がないことを、反抗していると捉えたらしい。
「もしかして、清次さんの事、嫌いなの?」
「嫌いっていうか……苦手かな」
千紗のやけに真剣な表情に負けて、数斗はぼそぼそとした声でそう答えた。他にどう言えばいいのか判らない。変態でどうしようもなくて、おまけに千紗を苛めている最低野郎だとは思うのだが、まさかそれを千紗に説明する訳にもいかない。
小さな公園に入り、ベンチに並んで腰掛ける。数斗はため息を吐いて千紗の様子を伺った。千紗は浮気現場のことを気にしていないようだ。
「そっか、そうよね。カズくんも、そろそろ、親離れの時期だし」
そう言ってから、千紗が急に寂しそうな顔をする。何だか話題がずれているような気がしたが、数斗は無難に同意しておくことにした。
「そーだよ。俺だって高校を卒業したら進学か就職かして、家を出るかもだし」
夕方に進路の話を振っておいたのはちょうど良かったかも知れない。そんなことを思いつつ、数斗は思いつくままにそう言った。
「……そうよね。そうなのよね」
千紗が哀しげな表情で呟き、頷く。その横顔を見た数斗はどきりとした。やけに切ない感じのする笑みを浮かべ、千紗が数斗の方を見る。
「そろそろ戻りましょう」
浮かんでいる笑みが作り物に見えてしまう。数斗はすぐに返事が出来ず、千紗の表情につい見とれてしまった。多分きっと、彼女にこんな笑い方をされたら、思わずがばっと抱きしめてしまうんだろうなあ。そんな気がする。
せめて母さんが母さんらしければ、こんなこと考えないのに。
千紗を彼女に見立てて妄想に耽りかけていた数斗は、自分の腿を密かにつねりながらぐったりと肩を落とした。
「んっ……。二十時五分三十二秒。時間も大丈夫ね」
スカートのポケットに手を突っ込んだ千紗が、急にそんなことを言う。ぐったりしていた数斗は違和感に気が付いた。何故、千紗は秒単位で時間が判るのだろう。もしかして時計が近くにあるのだろうか。そう考えた数斗は周囲をぐるりと見回した。だが公園にある時計の針は、ここのところずっと二時過ぎをさしたままで止まっている。かと言って他に時間を教えてくれるようなものは何もない。
疑問には思ったが、数斗はとりあえずは千紗の言うことに従って家に戻ることにした。清次を問い詰めたいという気持ちもあるし、あの女性の正体も気になる。浮気を堂々としていた清次のことだ。もしかしたら女性とこれから一緒に暮らすとか、非常識なことを言い出すかも知れない。
そんなことになったら全力で嫌がってやる。
千紗が悲しむだろうと考えてそう思っていた数斗は、家に戻ってキッチンに入ったところで硬直した。いつの間にかテーブルには美味そうな料理が並んでいて、さっきは裸エプロンだった女性もきちんと服を着ている。清次はまるで何事もなかったかのようにテーブルについていて、穏やかな団らんのひとときといった雰囲気の中に、千紗が自然に加わる。そんな様を数斗はキッチンの入り口でぼんやりと見守った。
「おお。数斗おかえり。さっきは驚かせて済まなかったな。今日からうちに新しい家族が増えることになった」
爽やかな笑顔で清次が言うと、その傍にいた女性がぺこりとお辞儀をする。さっきは焦っていて気が付かなかったのだが、女性は金髪に碧眼だった。顔立ちは可愛いというよりは美人タイプで、数斗とそれほど年は違わないように見える。
「ロミーと申します。数斗様。よろしくお願いします」
エプロンの下で揺れる、白い桃のような、たゆんたゆんと弾む乳房を思い出した数斗は反応することも忘れてロミーと名乗った女性の胸元に注目した。ロミーの胸はもしかしたら千紗より大きいかも知れない。自分の目で実際に千紗の胸を見て確かめたことはないが、下着のサイズから考えると、千紗の胸はロミーより少し小さい気がする。そこまで考えて数斗は我に返った。いや、今は胸を見ている場合ではない。
数斗は廊下の途中で拾った鞄を持ち直し、めいっぱいに振りかぶり、とりあえず清次の顔を目掛けて投げつけた。
とりあえず清次に怒りをぶつけた後、数斗は一緒にテーブルについて食事を摂ることにした。正直、清次には腹が立つし、出来れば顔も見たくないほどむかついてはいる。だが腹が減っているのは確かだし、テーブルに並んだ料理に罪はない。
「いただきます」
ちゃっかりと千紗の隣の席に腰を落ち着けてから、数斗は手を合わせて挨拶をした。
「千紗! だから二十時まで帰ってくるなと言ったのに! どうして、あんなに早く帰ってきたんだ!」
顔に鞄の金具の痕をつけた清次が怒った調子で言う。相変わらずの横暴振りに数斗はぴたりと箸を握る手を止めた。
「も、申し訳ありません」
数斗の隣に腰掛けていた千紗が小さく身体を縮こまらせて小声で謝る。見ていて可哀想なくらいに千紗は怯えている。
「浮気がばれたからって母さんに八つ当たりするなよ」
下手に騒ぐと逆に千紗に迷惑が掛かりそうだ。かと言って黙ってもいられずに数斗は口を挟んだ。テーブルの真ん中に置かれた大きな皿に盛られたフライを箸でつまむ。
「まあ、なんだ。確かに、いきなりあんな場面を見せられたら、数斗もショックだったろう。すまん」
「数斗様。申し訳ありませんでした」
清次とロミーが口々に謝る。二人を交互に見て数斗はしかめ面になった。自分はいい。二人が謝らなければならないのは千紗に対してではないだろうか。なのに何で清次は千紗に対して怒っているのだろう。しかもロミーに至っては千紗を完全にスルーしている。
数斗は渋い顔をしてフライを口に入れた。噛んだところでぴたりと口の動きを止め、息を詰める。
何で牡蠣フライが甘いのだろうか。
あり得ない甘ったるい味が口いっぱいに広がる。例えるなら牡蠣を無理やりどら焼きに挟んだような味だ。仄かに香る小豆と、めいっぱいの砂糖の甘さに数斗の顔色は真っ青になった。
「どうしたんだ? 数斗」
清次が怪訝そうに言って牡蠣フライを箸で取り上げて口に運ぶ。その後、清次は何とも言えない顔になり、お茶を一気に飲み干した。どうやら無理やり胃に流し込んだらしい。
口に入れたものを出すのはちょっと、と考えていた数斗は清次を真似て、強引に茶で口の中のものを胃に流し込んだ。もしかしてこれは高度な嫌がらせだろうかとも考えたが、清次が同じものを口に入れたのだから多分違うのだろう。
「……ロミーさんとか言ったっけ。ちょっと、この味はどうかと、俺は思う。作ってもらっておいてなんだけど」
せっかく作ってくれた料理に対してケチをつけてもいいものだろうか。だがロミーは清次の浮気相手なのだ。多少、冷たくしたところでバチは当たらないだろう。だが忠告するのは逆に親切ということになってしまうかも知れない。けれどやっぱり言わずにおれない。
実際には言ってしまった後で、数斗は考え込んだ。正直、いつもと同じように千紗が作ってくれた方がずっといい。千紗の作ってくれる料理はとても美味しいし、こんな風に訳の判らない調味をされたことは一度だってない。
「あの。お気に召さなかったですか?」
ロミーが言うと、清次が箸を置いて首を振る。
「ロミー。残念だが失格だ。まだまだ調整が必要だな」
「ごめんなさい。清次、数斗様」
清次と数斗を交互に見て、ロミーが頭を下げる。数斗はため息を吐いて訝りの目でロミーと清次を見た。この味付けは微調整でどうにかなるレベルではない気がする。何かが壊れているとしか思えない味付けだ。はっきり言って不用意に口に入れたら、反射的に吹いてしまいそうなほどの威力なのだ。
「ロミーちゃん。お料理については、私が教えてあげるから」
テーブルに身を乗り出した千紗がそう言ってから清次を伺う。すると清次は重々しく頷いた。
「そうだな。ロミー。千紗に教えてもらうのがいいだろう」
「わかりました。頑張ります」
頷いたロミーの表情は妙に乏しい。声も一本調子だ。だが気合いは感じられる。ふうん、と心の中で呟いて、数斗は他の料理も試すことにした。もしかしたら中には食べられるものがあるかも知れない。
だが牡蠣フライだけでなく、オムレツや付け合わせの人参や、マッシュポテトまでもが凄まじい味付けになっている。どこをどうすれば酸味満載のマッシュポテトに出来るのだろうか。
「せめて、せめてこれだけはまともであってくれ!」
茶碗によそってある飯を口にした数斗は、がっくりと肩の力を抜いて箸を落っことした。何でご飯が甘いのか判らない。ただ米を洗って水を入れて炊飯器にかけるだけのはずなのに。数斗は遠い目をしてぐったりと椅子にもたれかかった。
「今日はピザを取ろう。千紗、頼む」
数斗と同じ結論に達したのか、箸を転がした清次が呻くように言う。千紗がはい、と頷いてから数斗の方を向く。
「カズくん。何が食べたい?」
「シーフード以外なら何でもいい」
牡蠣フライの味を思い出して、数斗はうなだれながら答えた。ピザを注文するならこの料理はこれ以上、口に入れる必要はないだろう。そのことにほっとしてから、数斗はちらっとロミーの方を見た。ロミーは清次の隣の席に腰掛けて、感情のない顔をしてテーブルの上をじっと見つめている。
もしかして料理が不味かったことを気にしているのだろうか。だがしかし、ここまで破壊力の高い味付けでは、無理をして食べることすら難しい。ロミーの味覚は一体どうなっているのだろう。ひょっとしたら味見を一切せずに料理をしているのかも知れない。
それにしてもロミーは自然に家族に混ざってしまっているが、千紗は何とも思っていないのだろうか。いや、そんなことはないはずだ。今は何ともない顔をしているロミーだって、あの時は清次と浮気真っ最中だったのだ。言い訳できないほどに、だ。だが千紗は優しい性格だから、高校生くらいに見えるロミーに強く言えないのではないだろうか。
数斗が考え込んでいる間に、千紗が電話でピザ屋に注文をし始める。数斗はため息を吐いて立ち上がり、キッチンを出た。ピザを頼んでもすぐに届く訳ではない。その間に風呂にでも入れば、きっと混乱が落ち着くだろう。もしかしたら自分がいるからあの三人は今後について話し合いが出来ないのかも知れない。
ここはしばらく様子見だ。そんなことを思いながら、数斗は自分の部屋に戻り、着替えを抱えてバスルームに向かった。浮気していたのは確かだが、ロミーを頭ごなしに責める気にはなれない。事によるとロミーは被害者かも知れないのだ。
それにロミーは本気で清次のことが好きなのかも知れない。だとしたら第三者の自分が割り込むのは変な話だ。数斗は自分をそう納得させて、一人で頷いた。
階段を下りてバスルームに向かう。どうやらあの三人はまだキッチンで話をしているようだ。キッチンのドアの前で話し声がすることだけを確かめて、数斗はバスルームに急いだ。
服を脱いでシャワーを浴び始めた数斗は、妙な物音を聞きつけて髪を洗う手を止めた。何故かは判らないが、ドアの方から物音がする。もしかして千紗が洗面所の洗濯機でも使っているのだろうか。
唐突にバスルームのドアが開く。
「失礼いたします」
数斗はあんぐりと口を開けて、いきなり乱入してきたロミーを凝視した。裸エプロンより強烈な、全てモロ出しのロミーが突っ立っている。数斗はシャンプーの泡だらけになった頭にシャワーの湯を被りながら、しばし呆然とロミーに見入ってしまった。その間にロミーがさっさとバスルームのドアを閉めて近付いてくる。
たゆんたゆんと揺れる乳房の先には、可愛らしいピンクの乳首がついている。外人だからだろうか。肌の色は千紗より薄く、だからなのかピンク色の乳首が妙に肌に映えている気がする。おまけにアンダーヘアは殆どなくて、目を凝らしたら禁断の三角州の内容が見えそうな感じだ。
開けっ放しになっていた数斗の口の中に、シャワーの湯が溜まる。我に返った数斗は、湯を吐き出すことも忘れて思いっきり叫んだ。
「なっ、何なんだ、あんたはー!」
「先程、自己紹介しました通り、ロミーと申します」
会釈をしたロミーが平坦な口調で言う。ごく微かに唇の端が持ち上がっているところを見ると、笑っているつもりらしい。
「そっ、そうじゃなくて! 何であんたがここにいる!?」
がぼがぼと湯を吐き出しながら、数斗はひっくり返った声で喚いた。だが目がどうしてもロミーの大きな乳房に吸い寄せられてしまう。
「セージから、身体を洗浄してくるように命じられましたから」
どうやら身体を洗ってこいと清次に言われたらしい。数斗は頭を抱えて口に残っていた湯をタイルの床に吐き出した。
「だからって、何で俺が入ってる時に入ってくるんだよ! あんたには貞操観念はないのか!」
口ではそんなことを言いつつも、数斗はロミーの胸から目が離せなかった。文字通りロミーの乳房はビッグサイズで、間に挟まれでもしたら埋もれてしまいそうな感じだ。
「テーソーカンネンですか? 少々お待ち下さい」
そう言ったかと思うと、ロミーはいきなり股間に手をあてがい、何やら弄くり始めた。どうやらオナニーしているらしい。数斗は息を詰めてその光景を見守ってから、自分の股間が大変なことになっていることに気が付いた。はっきり言えば刺激が強すぎて、股間のものが猛烈にやる気になってしまっているのだ。
もしかして遠回しな嫌がらせなのか!?
必死で欲求を堪えつつ、数斗はじりじりとバスルームのドアの方に移動を始めた。こんな光景に耐えろという方が間違っている。
股間を弄り回していた手を止めてロミーが喋る。
「人として正しい道を守る事に対する考え方が、わたしには欠けているという意味でしょうか?」
「というか、学校の旅行でも、男子と女子は一緒に風呂なんか入らないだろ!? あ、外人は違うのか? いや、そんなことないだろ」
せりふの途中で自分に向かって言い聞かせて、数斗は一人で頷いた。一刻も早くこの場を待避しなければ大変なことになる。
「つまり、男女が同時に風呂場を使用する行為は、人として正しい道に反しているということでしょうか?」
首を傾げたロミーが表情のない顔をして言う。
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