ユリアシティでルークが昏睡中というか、アッシュとリンク中の小話サルベージ。
 相変わらずの電波具合。


 

 まるで坂を転がるように、裸足のまま足早に駆け抜ける。
 両手を広げて、この美しい世界に、けれど追われる者は振り返らない。

 

この鈍ましく醜い、けれど寂寥とした美しい世界
He is shut up within his own small world. But it was fortunate for him that it was fact.
20060523

 

 鏡の中の像が結ばれるのと、意識が覚醒するのとは殆ど同時だった。
 最初に目が行ったのは、長く伸ばした赤い髪だ。ただし、何故かそこへ明確に視線を遣ることは出来なかったので、意識したという言い方が的確なのだろう。
 似合わないと思って着ることを避けていたが、最近そうでもないのだと考えを改めた、黒い色の服を着ている。それから、その容姿があまりにもアッシュに被ることに気付いて漸く、ルークは自分が彼の服を着ているのだと認識した。思わず零れた当惑は、言葉に成らずにただ頭の中に流れた。同時に、呆れたような、嘲るような気配が全身を支配する。
 像と視界とを遮るように少女が現われた。長く柔らかな髪を翻して、冷徹な表情で義務的な言葉を告げた。ルークは相槌の代わりに目を細めた。彼女の言わんとすることは、少しも解からない筈なのに、然も納得がいったかのような表情を作った。同時に、何処かで告げられた言葉を理解したと認識しているということに気付いた。ただし、その認識に実感は伴わない。だが、確かにルークは彼女の言葉を理解していた。理解したのだと、認識していた。
 初めの内こそその奇妙な感覚に混乱していたが、少女が立ち去るとすぐに事態を呑み込んだ。自分の意志の計り知れない動きを、急に身体がしたと思うと、流れた視線の先には横たわるルークが見えたからだ。シーツの上に無造作に広がった焔色の髪と、慣れない野営の連続に疲労の色を濃くした顔、そして涙の跡の残る目尻――それは情けない程に紛れもない、自分自身だった。そこで初めて、ルークは自分がアッシュの「中」に居ることに、実感を伴った理解をした。同時に、そこで改めて冷静に、自分が仕出かしたことと、自分自身のことを受け止めた。受け止めた、というよりかは受け入れようとし始めたという言い方の方が的確なのかも知れない。

 相変わらず、ルークを招き入れた彼の思惑は不透明ではあったが、取り敢えずルークは程なくして、他者の目を経由して懐かしい陽の光を目にすることとなった。断末魔の叫びなど素知らぬ顔で、頭上の太陽は柔らかな日差しで、地上を満遍なく照らしていた。
 目にした太陽も、青空も、緑生い茂る木々も、草原も、何も変らずに在る筈なのに、薄皮一枚隔てたように現実味を伴わない。ルークはその時、言い知れない苛立ちと焦燥、煩わしい類の畏怖の念を抱いたが、その理由は解からない。あれだけの人間の命を奪い、醜く言い逃れをした自分の無様な姿に、今更ながら嫌悪感が込み上げてきたのかも知れない。突き詰めれば答えのようなものに辿り着いたかも知れないが、今はまだあの凄惨な死の尖塔を直視することは出来なかった。
 ルークの思考とアッシュの思考の境界は、まるでそこに分子の永久機関を司る悪魔の力が働いているかのように明確なままだったが、彼の苛烈な感情に引き摺られそうになることは少なくなかった。或いは、吐き気を伴う良くない感情の渦は、ルークの未だ認識には至らない罪悪感に因るものだけでなく、この傲岸不遜な被験体の影響を受けてのことなのかも知れない。それを言い訳に、なるべく深く考えないようにした。考えれば考えるほどに、思考は暗い方へ落ちていくような気がしたからだ。何か、見てはいけない、開けてはいけない、原初の感情の渦が、胸底の底辺にこびり付いていて、それが誰のものなのか明確にするのはルークにとって、とても恐ろしいことであるように思えた。何処か薄皮一枚隔てたような情景も、水の中で聞く音のような遠くの雑音も、彼の「中」に在るが故なのだと思った。
「『愚かなレプリカルーク』」
 声を出さず、彼が唇を動かした。だが、声に出さずとも内在するルークにはその言葉が伝わる。それは自身と共に、最初から在るのだから否定のしようがない。
 凝り固まり、へばり付いたままの澱が疼く。燻ぶって、実感を伴った不快感をルークに与える。そんな感情は自分とは関係ない、切り離したところに居るのだと主張するように、被験者の嘲りを含んだ念がこれ見よがしにルークを踏み荒らす。無知蒙昧を嘲り、罵る。
 それでもアッシュの身体は、泣き叫ぶことすら許さない。

 音機関の街に着いて、ルークの幼馴染である青年が別れを告げたときに初めて、霞掛かったような視界が瞬くほどの刹那だが、揺らいだ。動揺や名残惜しさというより、当惑しているようだった。青年はルークを許す為に彼から離れると切り出したのだから、自分がそのような感情を抱くに至る訳がないのは明白だった。だとしたら引き摺られることもなく明確に、思考と同じく境界のあるこれらの感情は、きっとアッシュのものであるに違いない。
 当惑は、澱の中から答えを引き出そうとして、思案するように渦巻いた後、不快感だけを残して消えた。澱は、また少し重みを増した。
 アッシュの視線は青年の背中を追わない。それは虚勢に見えるのかも知れない。ジェイドはルークにするようなからかいの言葉をアッシュに向けて、それをナタリアが庇う。それでも、澱は疼かず揺れはしない。表面を撫でるように、密度の薄い感情が形式ばった意味を成す。まるでお愛想に、無理矢理意味を持たせようとしているようで、アッシュの感情は酷く無様だった。ルークの感情が、先ほどまでのアッシュの当惑に同調するように揺れる。


 アッシュは鏡窟に向かう前に、ベルケンドで一泊することに決めた。宿屋で行商から幾らかの足りない備品を譲り受けると、記帳に向かう。
「ガイ、宿にも泊まらないで行っちゃったんだね」
 宿帳にアッシュが名前を書き込むのを覗き込みながら、アニスが言った。アッシュは眉間の皺を一層深くする。
「あいつの話はするな」
 アッシュの声は不機嫌そうだ。「アッシュってば怖~い」演技がかった明るい声音が、アッシュの耳を通して後方に消える。
 胸が重い。それは苛立ちだということを、ルークは知っている。けれどそれが、アッシュにとって上辺だけなのだということも、知っている。まるで押し付けるように、ただルークだけがその感情に引き摺られ押し潰される。
 ルークは自らの意思を反復するように、アッシュへの憎しみと怒りを念じた。すると澱が少しだけ疼いて、雑多な偽者の感情が優しく嘲笑を紡ぎ出した。


 アッシュの部屋は一人部屋だった。大人数での行動は彼にとって苦痛以外の何ものでもなかったらしく、部屋に入った途端僅かばかり強張った身体の力が抜けたようだった。
 ルークは考える。彼の不透明な意図を探る。何故彼は、こうしてルークと回線を繋いでいるのだろう。
 ルークの思考の向かう先に在るものに気付いたのか、アッシュが呟く。
「本人を目の前に、面と向かった嫌味を言える奴は、そう居ねぇだろ」
 お前の罪を思い知れと、言葉は悪意に満ちていた。けれど澱は少しも揺れずにいた。
 アッシュは寝台脇の椅子に貫頭衣を放って寄越すと、戸棚から酒瓶を取り出してグラスに注いだ。一気に呷る。自分が飲んだ訳でもないのに、喉が焼ける感触がした。椅子に座ると、アッシュはまたグラスに琥珀色の液体を注いだ。
『お、おい……』
 またあんな無茶な飲み方をされたら、とルークは制止の声をあげる。アッシュは構うことなく、再びグラスに口を付けたが、今度は舌を濡らす程度だった。
 灯りのない部屋の中、視界は徐々に夜の色を濃くして行く。輪郭を浮彫りに、色を無くして行く。アッシュは何も言わず、窓の外を見ていた。
『やめろよ、酒……なんて』
「あん?」
 夜の色が溶けた液体は、あの泥の海を思い起こさせる。あの海に、気の遠くなる数の人間の命が投げ入れられた。死の恐怖に怯えながら、泥の底へと沈んで行った。陰鬱に沈んだ視界を思い起こして、吐き気がする。
「気が散る。酒が不味くなるじゃねぇか」
 思い浮かべた光景がアッシュにも伝わったのか、忌々しそうに彼が吐き捨てた。
『だったら!……飲むなよ』
「レプリカ風情がッ、俺に指図すんじゃねぇ!」
 頭の裏側辺りに痛みが走る。アッシュは平然とグラスに口を付けているので、恐らくはルークの身体そのものが、ダイレクトに感じた痛みなのだろう。ルークは黙った。彼は静かに酒を呷っていた。彼の感情がルークを苛むでなく、ただ澱が引っ切り無しに蠢くだけなものだから、ここにおいてそれが漸く、アッシュの本質なのではないかということに思い当たった。
(……本質?)
 気味の悪い言葉だ。
 筒抜けである筈のルークの思考に、アッシュは興味がないようだった。それが余計に気持ちが悪い。自分の知らない自分の秘密を他者に暴かれる感覚、それに無関心でいる。
(気持ちが悪い)
 それとも、彼もまたルークが本質を覗き込んでいることに気付いていないのだろうか。
(そんな馬鹿な。そんな、都合の良い……)

 都合の良い?

(何だ?)
 ルークの思考は唐突に中断された。扉が開き、ジェイドが入って来たからだ。アッシュが顔を上げると、目が合う。矢張り彼も視線を落とした先のグラスが気になったようだったが、目を幾分細めて見せた後、アッシュに視線を戻した。
「灯りくらい点けたらどうです」彼は取って付けたように、らしくないことを言った。
 その後、ジェイドは明日の起床時間、それとタルタロスの燃料の残りについての報告をすると、用は済んだとばかりに踵を返した。そしてそのまま扉をくぐろうとして、やめた。
「酒でも飲んでいないとやっていられませんか?」
 アッシュに向き直りながら言った。吐き捨てる分には、扉を閉める片手間に告げれば良いことなので、相手からそれなりの反応を期待しての問いなのだろう。そう、それは問い掛けだった。
「それとも、あれだけの惨事の後の無神経さを軽蔑すべきでしょうか」ジェイドは付け加えた。
 澱が揺れる。彼の本質の感情が、彼の与り知れないところで、彼の気付かないままに揺れている。
(しかも、それはてんで見当違いの的外れに)
 それを、まるで自分のもののように、けれどそれでも明確に他者なのだと理解しながら(錯覚しながら)眺めている。
「何が言いたい?」
 然も忌々しく吐き捨てる。そんな中傷など歯牙にもかけていないくせに、何を自尊心を傷つけられたフリをしているのか。問うまでもなく、この男の先に続く言葉など解かっているというのに。
 流石は鮮血のアッシュ殿あの程度の人死にに動かされるような繊細さは捨てられたかうるせェ黙れこのクソ眼鏡てめぇの口からそんな言葉が出るとはないえいえーそんな貴方の若さや甘さはなかなか興味深いですよ舐めてるのかいいえただそういったところはよく
「似ていると思いまして」
 ジェイドはそう言って笑顔で締め括った。アッシュは終始しかめっ面だったようだが、それはジェイドの嫌味に対してでなく寧ろ「中」で騒ぎ立てるレプリカを煩わしく思っての表情だったのだろう。
 そして、ルークは思い出していた。屋敷から出れないルークを哀れんだ母が、父に頼んで屋敷に招いた旅芸人の寸劇だ。予め用意されている言葉を、まるで自分のもののようにつらつらと口にする、あれと同じだ。
(まるで自分の感情のように)
 特に感情がこもり、切実に胸に響くのは道化の台詞だ。今目の前で再現されているのは、それと同じだ。ただルークの手元にある台本は、台詞の部分が黒く塗り潰されている。
 ジェイドが立ち去り、また二人きりになった。
『……どっちだって思ったかな、ジェイドは』
「何が」
『繊細なのか、薄情なのか』
 彼は黙り込んだ。澱の上を苛立ちが渦巻き、顔は忌々しそうに歪められる。
『意味分かんねぇ』
「何が」
 彼は同じ問いを繰り返す。
『本当は笑いたいクセに』
 ゆらりゆらりと澱が揺れて、薄皮の向こうにぼやけた視界が、彩色を無くして少しだけ鮮明になる。
「なら、お前はどっちだと思う?」
『そりゃ、薄情な方だろ』
 言うと、彼は笑った。喉の中に篭るような、そんな笑い声を上げた。


 瞼を持ち上げると、見たことのない天井が目に映った。上体を急ぎ起こして、それから確かめるように回線が切れたのだということを口にする。ルークが目覚めたことを知ると、即座にミュウが膝頭に近寄って来て嬉しそうに頭を擦り付けてきた。以前なら振り落としていたところを、やんわりとした制止で押し遣ると、寝台から床に足を下ろした。
 悍ましい鈍ましい、自身の被験体。
 同調し、彼の視界から見た霞んだ世界。
 ルークは考えた。それは他者の視点を介して世界を見た結果なのか。
(それとも)
 あれが彼の世界なのか。
 その本質から逃げ続ける。全てを柔らかく暖かなものから目を逸らす。薄皮の向こうで呼吸を忘れたままに、感情の渦を眠らせる。彩りを欠いた空間でのみ、ほんの微かに鮮明さを取り戻す(彼が喉を震わせるのは夜においてのみだからか)。
(いや、違う)
 流れていく、不明確な色の流れの中においてたった一つだけ、現実味を帯びてそこに存在していたものがある。それを思って、吐き気がした。初めて彼の顔を見た、あの時と同じ類の吐き気がした。吐き気がした。吐き気がした。

 あれが、彼の世界だ。
 それでも、未練がましい胞衣に縋るままのそれらは、きっととても素晴らしいものなのだろう。そんな気もした。


 

 


 最早何を思ってこの話を書いたのか思い出せない(笑)。
(20081102)






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最終更新:2008年11月02日 23:58