エルドラント脱出直後でガイナタ。


 遠く、突き抜けるようにして閃光が黄金色の空へと吸い込まれていったのが、三時間と少し前のことだった。他の皆と同じように、俺もその場から動けずにいる。真っ先に帰還を促しそうなジェイドでさえ、未練がましく果たされる筈のない約束に縋っている。
 そうして目映いばかりの黄金が鈍くくすみ、夜の帳が垂れ込める頃、漸く重苦しい沈黙は破られた。
「……行きましょう」
 瓦解した紛い物の故郷を見つめたままに、ティアが言った。彼女の言葉は、沈黙を緊張に変えた。そして、それはすぐに悲しみに成った。
 アニスが泣いた。別れのときにも、堪え続けた涙を流した。夜の渓谷に、少女の嗚咽が響く。ナタリアが、そっと彼女の肩に手を掛けた。
「そうですね。風も出てきましたし……これ以上待っても無意味でしょう」
 ジェイドの冷淡な物言いが、心地よく耳をすり抜けていった。普段なら、どうしていただろう。彼の言葉の裏を汲んだとしても、きっと掴み掛かっていたに違いない。その方が楽だからだ。なのに今、それをしないのは何故だろう。
「ケセドニアで連合軍と合流しましょう。両陛下への報告はそれからです」
「わかりましたわ。さ、アニス」
 ナタリアに促されて、アニスは涙を拭った。
「……ティアは、それでいいの?」
「ええ、いいのよ」
「…………ガイも?」
 縋るような目が向けられた。どうして俺に話を振るのか、訳が分からない。曖昧な笑みを返すと、少女の顔はまた歪んだ。
 ジェイドは振り返らなかった。損な役回りだ。憎まれ役を買って出て、結局背を向けることしか出来ない。そんな彼の後をナタリアに促されアニスが続く。
 ティアはまだ、崩壊した故郷の似姿を見つめていた。否、縋るように、あの残酷な少年を待っていた。俺にはかける言葉がなかった。
「よろしいのよ、ガイ」
「え」
 先に行ったのだとばかり思っていたナタリアが、俺の方を見ていた。
「よろしいのよ、ガイ。一人にして差し上げましょう」
 彼女はそう言うと柔らかく微笑んだ。薄情な話だが、その時俺は親友を喪った寂寥感も、一人でなくては涙を流すことすら出来ない少女の哀しみも忘れ、ただ彼女の美しさに目を奪われていた。或いは平静であるようでいて、俺自身相当まいっていたのかも知れない。

 ナタリアは静かだった。驚くべきことに、あのジェイドですら何処となく漂わせている悲壮感が、彼女にはなかった。いつものような朗らかな笑顔こそなかったが、取り乱したり涙を流したりということもなかった。一人足りない、その穴を埋めるように戦闘では積極的に攻撃を仕掛けたり、感情を切り替えきれないティアやアニスのフォローに回ったりと、いつも以上の働きをしていた。なのにそれが、空元気や無理をしているようにはとても見えない。
「大丈夫かい、ナタリア」
 たまらなくなって声を掛けた。
「あら、一体どういう意味ですの?」
「いや……」
「私なら平気です。それより、ティアやアニスをお気遣いなさいませ」彼女は言うと朗らかに微笑んだ。「先程のタイミングは宜しくありませんでしたけど」
 言われて、先刻のかける言葉すら持たない自身を思い出す。それから頭を掻いた。
「普段は『これでもか』という程に、絶妙のタイミングで優しげなことを仰いますのに、妙なところで見誤りますのね」
「ナ、ナタリア……」
 思いがけない彼女の指摘に、矢張り言葉を失う。口を閉ざしたままの俺を見て、彼女は再び綻ぶような笑顔を見せた。
 キムラスカ・ランバルディア王国の美姫が微笑むその様は、まるで花のようだと聞いたことがある。成る程、ファブレ公爵家の使用人となり「ルーク」に付き従って彼女と顔を合わせるようになって、その噂が真であったことを知った。いつだって彼女が「ルーク」に向ける微笑みは、柔らかく暖かな慈愛に満ちていた。それは「ルーク」が誘拐され、そして帰還してからも変わらなかった。
「狡いですわね、私……」笑みを潜め、唐突に彼女は切り出した。「狡いのですわ……だから、本当は少し安心していますの」
 穏やかに言葉は続く。生温い夜の風が彼女の髪を揺らすと、月の光が照り返り、金色が美しく波打った。
「君だけじゃないさ」
 夢に浮かされたような心地で、脊髄反射であるが如くその言葉を口にしていた。
「やっぱり、ガイは優しいですわね」
 まるで現実味を欠いた星月夜に、場違いな少女の笑顔が浮き彫りに成る。いつか太陽の下で、愛する「ルーク」に向けられていたものと寸分と変わらない、彩度だけが失われたレプリカは、それでも柔らかく暖かな慈愛に満ちていた。
「優しいんじゃない」たまらなくなって、俺は言った。「優しいんじゃない、狡いのさ」
 彼女は、本当はもうずっと嘆いている。それを知っている。愛する「ルーク」を失って、それでも愛する「ルーク」の為に気丈で居る。ぎこちない強がりはやがて常と成り、違和感を感じさせない程に彼女の一部と成り果てた。誰も気付かない。彼女自身ですら気付かずにいる。
「ガイ、貴方も安心しているのですわね」
「そうだよ……君とは少し違うけれど」
「そう、ですわね。違いますわ」
「ナタリア、君は……」
「幼馴染みが聞いて呆れますわ!それも、二人揃って何という体たらくでしょう」
 場違いに悪戯っぽく、彼女は言った。
「それでも、ガイは彼が帰らないことを悲しんでいる……きっとそれで充分なのですわ」
 足を止める。彼らの悲痛な主張を思い出し、受け止めて尚前進することを止めなかった彼を思い出し、皮肉を嬉しそうに嘲った彼を思い出し、そうして、その嘲りの本意を理解してしまった俺自身を思い出した。
「私も貴方と同じ。とてもとても悲しい。ですから、私は貴方を責められません。同様に嘆く貴方を責めることなどできないのです」
「でも、それでも俺は卑怯だな。安堵するなんて……逃げだよ、卑怯だ。ケセドニアであんなに偉そうなことを君に言っておきながら、結局は……」
 安堵している。取り乱すナタリアの悲痛な叫びを覚えていて尚鮮明に、俺はその時に安堵していた。彼女の愛する「ルーク」と、もう二度と見えることはないのだと、俺は安堵したのだ。
「同じですわ、ガイ。……私も、逃げましたもの。だから私、ティアにもアニスにも……大佐にも掛ける言葉がありません。掛ける資格すらないのです」
 夜空に丸く空いた月のように、彼女だけがぽっかりと浮かんでいる。哀しみを引きずったままに安堵している。俺とはてんで真逆の方を向いて、気丈であることに不自然さを感じさせない程にずっと、彼女は嘆き悲しんでいるのだった。
「俺を慰めていてくれてるだろ。充分だよ」
「代わりに他の皆様方をお気遣いなさいませと、せっついているだけですわ。……だからと言って、貴方をまだ使用人扱いしているわけではありませんのよ?」
「使用人扱いしているようにも聞こえるんだがなぁ……」
「何か仰いまして?」
 真横からの一瞥に、慌てて口を噤む。
「――……本当に、使用人扱いとかそういうことではないのです。……いいえ、きっともっと酷い」
 後になるにつれて、彼女の声音は細く小さく萎んでいった。俺は立ち止まり、彼女を見つめた。
 彼女は俺が思っていたよりずっと、強いようだった。
「ナタリア」
 呼びかけると月光を照り返して金色が翻る。俺は彼女に微笑み掛ける。
「大丈夫だよ。ルークだってアッシュだって、本当は互いに互いを憎み合ってたんじゃない」
「それ、似たようなことを以前にも仰っていませんでした?」
「ああ、ケセドニアでね」
 ナタリアは思案するように俺から視線を反らした。そして目を伏せる。長く弧を描いた睫の陰が落ちた。彼女の横顔を見つめ、それを美しいと思う。
「私、ルークが帰って来なくて良かったと思っていますわ」
 俺も、彼女の愛する「ルーク」が帰らずに居ることを安堵している。
「帰って来て欲しかったという思いも確かに在るのです」
 俺も同じだ。
「でも、それ以上に私、ルークの前でどんな顔をしていればいいのか……もう、判らなくなってしまいましたわ」
 同じだ。
「同じさ、ナタリア」
 彼女の愛する「ルーク」に、俺はどんな顔で会えると言うのだろう。同じ顔をして、片割れは既に喪われて――彼女とて同じことだ。彼の卑屈を散々に責め立てた俺達が、今度はそれを遙かに上回る己の汚さを直視せねばならない。
 月の光の下で、愛する「ルーク」にかつて向けられていたのと同質の微笑みを向けられて、その手を取った。白日の下に曝されては、直視すら出来ない醜さを自覚しながらも、その時確かに、俺は彼女に恋をしていた。


汚い恋 Love Love Love
20060606


 

 


 「nirvana」前提というか、「不羈の肉叢(詳細は『nirvana』あとがき参照)」への伏線として書いた話だったり。

 ナタリアはアッシュが死んだのにルークが生きてたらどんな顔して話しゃいーんぢゃい、って感じだったからルークが帰ってこなくてほっとしてますというお話(ひでぇ)。
 ガイはガイでもうアッシュと面突き合せなくて良いからラッキー☆とか思ってますというお話(そりゃあな)。
 でも、そんなこと言いながらナタリアはルークに捉われてて、ガイはガイでアッシュのことで頭いっぱいでも当人達は気付いてない、というお話。
 寧ろこっちのがタイトル的にパリントロポス・ハルモニエーなんぢゃね?とかちょっと思いました(笑)。
 まあ、私的にはあのレプリカとオリジナルの位置関係そのものがPalintropos Harmonieだと思ってるので、あの2人に関する話のタイトルはもう何でも良いっつーかテケトーでいいっつーか。
(20081014)






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最終更新:2008年10月15日 01:00