会ったばっかの頃のレプリカルークとガイなルクガイ。
 「nirvana」前提なので(単体でも読めます)、後半でアッシュがガイをいぢめてます(ありえない!)。



真逆を向いた二つの真実或いはその矛盾 Palintropos Harmonie
20060907



 窓枠に頬杖を突いて、空を見上げる。蒼穹に浮かぶ音譜帯を覆い隠すように、時折ゆっくりと雲が流れていく。その光景だけは、幸せだった頃と何一つ変らないように思える。けれど、それでもガイを取り巻く環境は何もかもが違うものになってしまった。頬を撫でる風も、空気の臭いも、未だに馴染めない遠い異国のものだ。
 感傷、とは少し違う。けれどあまり良くない感情が胸を掠める。人は思いを伝える術を言葉しか持たないのに、今の自分の感情がどんな名前を付けるべきなのか、判らない。こんなときに役立たずな人間の長所にガイは苦笑した。
 窓枠に収まった蒼穹から目を逸らすと、部屋の中央に置かれた寝台が視界に入る。そして、その上で規則正しい寝息をたてるこの部屋の主を見止めた。真っ白なシーツの上に朱色が広がっている。鼻からは鼻水、口からは涎が出ている。「これ」が、ルーク・フォン・ファブレだ。さっきまでシェリダンから取り寄せた、珍しい音機関で遊んでいた筈だが、疲れて眠ってしまったらしい。
 ガイがこの部屋に居る理由というのも、その音機関の一つが動かなくなってしまった為、その修理に呼ばれたのだった。これくらいならこの場ですぐ直せる、そう言うとメイドはガイとルークを残して部屋を出て行ってしまった。去って行く彼女達の背中を見送りながら、事情を知らないとはいえ無用心だなぁ、と苦笑した。
 膝の上の音機関はもう直っている。いつまでもガイがこの部屋に留まる理由はない。ガイは立ち上がると音機関を持って寝台へ近付いた。まるで生まれて間もない赤子のように、仇の息子は左手の親指を口に咥えたまま眠っている。散らばった音機関に手を伸ばし、彼の周囲を片付けて行く。
 懐かしい。自分もホドに居た頃、こんな風に音機関で夢中になって遊んだ。今のように音機関の構造に興味を示していたのでなく、単純に玩具として遊ぶのが楽しかった。遊び疲れて眠ってしまった自分をヴァンデスデルカが優しく起こしてくれて、音機関を出したままだとまた姉に怒られることになる、と諭して一緒に片付けたりもした。
 感じるのは違和感だ。時折、酷く不安になることがある。今、自分が立っているところが判らなくなる。ここは白亜の町ではない。懐かしいガルディオスの屋敷でもない。暖かな自分の部屋でもない。父も母も姉も居ない。なのに、何故だか無性に、思うことがある。
 昔からこうだったわけではない。ファブレ家に使用人として仕え始めたばかりの頃は、そんなことはなかった。純然たる復讐を誓ったし、それを忘れたこともなかった。いつか、この可愛げのない仇の息子を手に掛ける日も来るだろう、とそれだけを日々の糧に生きてきた。耐えきれず、眠るルークの首に手を掛けたことも一度や二度ではなかった。なのに今、無防備に眠る彼にそんなことをする気になれないのは何故だろう。
(――……何を、馬鹿なことを……俺は……!)
 目的を忘れてはいけない、ガイラルディア。目を醒ませ。惑わされるな。これは。この、あどけない顔をして眠る、この生き物は――擬態だ。外敵から自身を守る、効率的な自己防衛だ。何れは敵国に情け容赦ない虐殺を行う侵略者だ。
 惑わされるな。惑わされるな。惑わされるな。惑うな。また自分のような子供が生まれてしまう。ただ復讐であるだけではない。これは、新たな災いが生まれない為に必要な犠牲だ。
(そうだ……そうすれば、俺と同じ思いをする子供が減る。悲しい思いをする人達が減るんだ……!)
 覚えてはいない空白の記憶が脳裏を掠める。その時、具体的に何があったのかは知らない。ガイを発見したペールも話してはくれなかった。けれどその空白の記憶に思いを巡らせると、する筈のない錆びた臭いが鼻を突く。暖かな午後の日差しが窓から差し込む、この平和な屋敷でただ一人ガイだけが、あの頃と何一つ変らず暖炉の中から這い出せずにいた。
 構わない。忘れられた記憶が戻らなくても、あの暖炉の中に押し込められたままでも、構いはしない。欲しいのは救いではない、公爵の絶望だ。求めているのは救いの手ではない、公爵の首だ。
 思いを馳せていると、不意に手を握られた。視線を寝台に落とすと、薄く開いたルークの目がガイを捕らえた。
「ああ、起きちまったのか……寝てていいぞ、夕餉まで時間がある」
「うー」
 ガイの言葉を理解しているのかいないのか、意味を成さない音を発してルークは数度瞬いた。その頭を優しく撫でてから、脇に丸まったままの掛け布団を引っ張り上げて掛けてやる。
 昔、確かに自分が居た場所に今は違う誰かが居る。だからここはとても息が詰まる。ここは本当の自分の居場所ではない。でも、この場所の他に自分の居場所が在るとも思えない。
(考えるな)
 例えば、この復讐を終えたとして自分は何処へ行けば良いのだろう。
 ルークを安心させるように微笑みながら、意識は暗がりへと落ちていく。陽だまりの家は視界から遠退いて、手足を折らなくてはならない程に狭い暖炉の中に移り変わる。
 そのまま寝台の端に腰掛けてルークの髪を梳いていると、突然ルークは咥えていた左手を外しガイの方へ伸ばして来た。その手は少しの躊躇いも見せず頬に触れる。彼の唾液に湿った指の感触に眉をひそめるよりも先に、それだけではない何かに気付く。そしてルークの手に重ねるように自分の頬に手を遣って、驚いた。
「ルーク……」
 泣いていた。だからこの、小さく無知で愚かな生き物は、何も知らず、ただガイを慰めようと(その悲しみから救おうと)、手を伸ばした。その事実を呆然と理解しながら、逆に驚く自分に酷く狼狽する。
「ルーク」
 名前を呼ぶと、小さく無知で愚かな生き物は微笑んで見せた。いつか自分を殺す相手に、微笑み掛けた。
 いつもガイは自分に言い聞かせていた。救いなんて要らない。何も欲しない。寧ろ自分は制裁を、絶望を、与える側なのだといつも言い聞かせてきた。誓った復讐心を情に流されて見失わないよう、祈りのように、呪いのように、いつも唱え続けてきた。だから仇の息子であるこの子供が(与えられる側が)、いとも容易く自分を救ったような気がして、それがまたガイは気に入らない。
(何だ、それは)
 そう思うのに何故だかまた涙が溢れてくる。意固地になっているのは自分の方な気がして、それが可笑しくて笑える。
(誰だ、お前は)
 ガイが泣きながら笑っているのが可笑しいのか、ルークも楽しそうに笑った。そうしてガイの腰に腕を回して来た。ガイも上半身を屈めてその背中を抱き込んだ。それから、暫らくそのまま二人で笑っていた。


 その男が真に憎むべき相手だったのだと知り、ガイは安堵した。心底安堵した。七年ぶりに再会した幼馴染に向けられたものとは思えないほどの辛辣な言葉の羅列に、ジェイドやアニスやイオンは怪訝そうな眼差しを向けていたし、ナタリアに至っては正面から理由を訊ねてきた。当の本人である仇の息子だけは、事情を知っているのか(ヴァンにでも聞いたのだろう)我関せずといった様子でガイの言葉を聞き流していた。それでも時折傷付いたように沈黙した。
 そんなアッシュの様子を見て、ある意味ではこれも復讐なのかも知れない、とガイは思った。それ程までに彼の心に自分という存在が根付いていたことに愉悦すら感じた。
 ベルケンドを目指して歩きながら、ガイはユリアシティに残してきたルークのことを思う。あの時、彼が差し伸べてくれた救いの手は決して偽りではなかった。そうでなければ、今も自分はあの暖炉の中に押し込められたまま、行き場のない復讐心だけがどす黒くとぐろを捲いていただろう。今目の前を歩く赤い髪の持ち主ではない、ガイにとっての本物を今度は自分が救う番だった。
(こいつは……『ルーク』じゃない。仇の息子だ。裏切り者だ)
 アッシュはファブレ公爵家に復讐を誓い合った仲である、ヴァンを裏切った。だから今までと何一つ変らない憎むべき対象だ。
 少し遅れて着いて来るガイに合わせて、仇の息子は歩を緩める。他の仲間は気付かない。
「何だよ」
 何か言いたいことでもあるのか、と不機嫌さを隠しもせずに顔を顰めてガイは問うた。アッシュはそんなガイの様子に心なしか眉間の皺を深めて、結局何も言わず前を向いた。その背に追い付き、追い越す。今振り返れば傷付いた顔の一つも見られるかも知れない、と思ったがやめた。それよりもお前の存在には何の価値もないのだと、見せ付けてやる方がもっと有効に相手を傷付けられると思ったからだ。
 だからまさか、そんなガイの背に彼が声を掛けてくるなどとは思いもしなかった。
「ガイ」最初は気付かないふりをした。「ガイ」
 二度呼ばれて、立ち止まった。いつまでも前を向いたままで居るのも大人気ないかな、と思い彼の方へ振り返る。すると意外と平坦な顔で彼が近くに立っているのに驚いた。
「――何だよ……裏切り者」
 自分の態度を開き直り、ガイは薄ら笑いさえ浮かべてそう言った。アッシュは微かに目を細めると、緩く頭を振った。そして再度、秘色色の双眸がガイに向けられる。ルークとはまるで違う、人の上に立つべく育てられた者の冷淡な視線だ。
「自分のことは棚上げか、ガイラルディア・ガラン」
「何?」
「裏切ってただろ、ヴァンを」
 声は上げずに、喉の奥で潜めるような笑いを洩らしながらアッシュは言った。
「あの『ルーク』を殺せない、そう思った時点でお前はヴァンを裏切ったってワケだ。あの時点でヴァンの計画にレプリカの死は必要不可欠だったわけだしな」

 あ。

 間抜けな話だが、彼に言われるまで気付かなかった。ただルークが仇の息子ではなかったことばかりに安堵して、それが例えどんな些細なものでも、復讐を誓い合った同志への裏切りになるのだということにまで気が回らずに居た。
 それ程までに、ガイはルークがレプリカであるということに安堵していたのだった。

「それともお前、アイツを殺せるのか?」

 アッシュが問うた。

 

 


 ルクガイ大好きー。
(20081013)






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最終更新:2008年10月13日 22:42