エルドラント突入時のアレやコレ。
ギンアシュと言い張ります。






 操縦桿を握り絞めたまま、ギンジは思った。きっと今年は、とんでもない厄年であるに違いない。
 視界の端に目まぐるしく変わる景色を捉えながら、ギンジは思った。確かに、これは気も狂う。
 汗で滑る操縦桿を握り直しながら、それでも尚移り変わる視界が意味する現実と向かい合う。目の奥に交錯する黒白は、まるで生死の境のようだ。
 確かに、確かにこれは気も狂う。こんな預言を詠まれていたら、ギンジはきっとアルビオールには乗らなかった。それ以前に、あの一号機の試運転が預言に詠まれていたら、空だって好きになっていたか判らない。空が好きじゃなければ、アルビオールに乗ることを望んだかも怪しい。
 指先は汗ばんでいるのに、恐怖と緊張で冷たく悴んでいる。白くなるほど強く握り込まなければ、震える手が操作ミスを起こす。
 視界に、絶え間なく打ち出される砲弾が映っては後方に消えていく。それは間違いなく、ギンジが生をつなぎ止めた瞬間なのだが、安堵より先にまた次の死が迫る。それを避けようと操縦桿を大きく前へ倒す。斜めになった視界いっぱいに空中要塞が広がり、次いで、全身を浮遊感が支配する。墜ちる、とギンジは思った。試運転の時と同じに、為す術もない。それどころか、あの時の記憶が鮮明に思い起こされる。要塞に取り付けられた砲台がこちらを向くのを解っていながら、身体はちっとも反応しない。
「ギンジ」
 場違いな程冷ややかに、その声は響いた。
 手元に陰りが落ちたかと思うと、今度は幾筋かの鮮紅が流れる。操縦中は座っていて下さい、そう言うのも忘れてギンジは先に続く言葉を待った。
 砲台が迫る。間違いない、あれは死だ。なのに視界には更に深い、死んだ焔がちらついて、現状を正確に把握することが出来ない。冷静さを欠くと同時に、恐怖も麻痺する。これは駄目だ。
 操縦桿を握り直す。もう震えてはいなかった。
「突っ込んじまえ」






こくはくごっこ remind
20060502





「砲台を一つは潰しておきたい」

 そんな馬鹿を言い出したのは誰だったか、覚醒したとはいえ目も開かぬままでいたギンジが、先ず最初に考えを巡らせたのは、昨夜のアッシュの言葉だった。
 次に戻った感覚は聴覚だった。遠くで男の呻き声がすると、そこから徐々に広がるようにして、周囲の音を認識出来るようになった。何かが崩れる音と、何かが燃える音がしている。
 視界が開けるのと、手足を動かそうという意志が働くのとは、ほぼ同時だった。右目は、睫毛が涙袋に張り付く感覚を不快に思いながら、それでも瞼を持ち上げることには成功した。左目も同じく一度は開けたが、乾かない血に再び閉ざされた。
 空中要塞が陽の光を遮って、アルビオールが墜落したところは日陰になっていた。
 手は、動く。左手が少し痛んで、それから、相変わらず操縦桿を握ったままでいた右手には、呆れたが笑った。足に拉げた鉄板が突き刺さって身動きが取れないということ以外に、ギンジは満足した。
「大動脈を傷付けているな」
 空中要塞と青空とを背にして、元凶が傍らに立った。逆行で表情は見えない。抑揚のない声音と同様に、冷ややかに双眸が細められている様が、容易に想像できる。落ちかかる前髪を掻き揚げて、まるで何事もなかったかのように淡々と彼は言って退けた。
「抜いたら血が出るな」
「そうですね」
「でも、刺さったままじゃ動けねぇな」
「そうですね」
「じゃ、出ないようにしてから抜くか」
「……そうですね」
 彼とのそんな遣り取りに、何となく違和感を覚えながら空を仰ぐ。視界の端に赤い色が散って、彼が足を縛る為に適当な物を探しに行ったのだ、と判断した。同時に、何となくこのまま戻って来ないような気もした。それが酷く自然なことであるように思えた。
 そんなギンジの期待を裏切って、彼は程なくして戻って来た。手にはタオルと、予備のベルトとが握られていた。
 太陽が移動したのか、僅かだが差し込む光が、彼の姿を明確にする。黒白の境に、赤い髪の合間から頬にかけて、盛大に出血している男の姿がそこには在った。その姿は、自分と大して変わらないように見えた。男の姿を見て、ギンジは自分の頭の片隅が、急速に冷めていくのを感じた。
「止して下さい」堪らずにギンジは言った。「止めて下さい」
 男は数度瞬いた。タオルと、ベルトとを持ったまま立ち尽くしている。ギンジの言葉を待っている。その様子が可笑しくて、ギンジは笑った。足が痛かったので、息を短く吐き出すことしか出来なかったけれど、ギンジは確かに笑った。
「止めて下さい、アッシュさんらしくない」
 ギンジの言葉に、彼の眉根が微かに寄せられた。
「行って下さい、このまま」
 彼は鼻を鳴らした。彼もまた、笑っているのだろう。
「らしくない、か……」
 言って、彼は手にした物を無造作にギンジの傍らに放った。
「で?お前は俺を、どんだけ知ってるって言うつもりだ?」
「貴方は、酷薄な人です」
 彼は目を細めた。乾かない血が頬を伝って、ギンジの服に衣魚を作った。
「貴方は、とても、酷薄な人です。目的の為なら……おいらくらい見捨てて行く、そうでしょう?そういう人でしょう?」
「……かもな」
「いえ、そういう人なんです」
「だな」彼は肩を揺らして笑った。「何だ、よく解かってんじゃねぇか」
 彼はそう言って笑ったが、その場から動く様子はなかった。そんな彼の様子に、ギンジは苛立ちを覚えた。だからもう一度、今度はもっと力強く言った。
「行って下さい」
 秘色の双眸が逡巡するように宙を泳いで、それから太腿の鉄板に向けられて、そうしてギンジに向けられた。彼は堪えきれない、そんな様子で吹き出すと、踵を返して背を向ける。赤い髪が、やっぱり青空に翻って綺麗だった。
 足が痛い。刺さった側から上の方は、それを痛みとして認識している。下は、何だかよく判らない。麻痺してる、というのとは違う気がする。熱かったり、脈打ってたり、そんな形容で間違ってない。そして、それでもやっぱり痛い気がした。
 このままにはしておけないので、ギンジは彼の放ったタオルを捲きつけて、その上からベルトで足を縛った。それはもう言いようのない痛みが全身を駆け巡った。勿論、そんな痛みとは程遠い世界で生きてきたギンジは、盛大な呻き声を上げた。
「――それで、」その時になって漸く溢れ出した涙と共に、ギンジは言葉を吐き出した。「帰って来て下さい」
 言うべき相手を欠いた告白は、蒼穹に吸い込まれて消えて行った。それで良いんだ、とギンジは思った。青空に翻る赤色が無いことに、酷く安堵した。

 


「nirvana」の12話の1と2の間のお話です。
(20081012)






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最終更新:2008年10月12日 16:57