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  • 【超われわれ史】
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  • ★1969年
    ★1968年? から ★1970年 へ 沖縄返還交渉 沖縄返還交渉 1951年のサンフランシスコ講和条約では、その第3条で、沖縄・奄美大島・小笠原諸島などの地域に対して、日本に主権は存するが、米国が施政権を有することを定めていた。ただし、これらの地域の将来の地位に関しては、条約調印国すべての合意を必要とせず、日米間で協議が可能、という合意がなされていた。1953年に日米間の協議により奄美大島の返還が実現したが、沖縄については、米軍基地の戦略的重要性の観点から、米国は長期保有の意向であった。そして、日本本土の基地が整理縮小されるに伴い、沖縄の基地は拡大していった。 1965年、訪米した佐藤首相はラスク国務長官に対してはじめて沖縄問題に言及した。このときは、ラスクは中国の核実験に触れ、アジアの新たな緊張関係を強調し、返還を問題としなかった。 同年、戦後の首相としてはじめて沖...
  • ★1970年
    ★1969年 より ★1971年 へ 70年安保 昭和元禄 公害 70年安保 1970年(昭和45年)6月23日、日米安全保障条約は、自動延長された。新左翼諸党派は、これを絶 対阻止するとして街頭闘争を展開したが、前年の東大闘争鎮圧以来、大学への機動隊導入ー正常化が相次ぎ、新左翼運動の退潮は明らかであった。社共両党も反対を叫んだが、院外の運動では新左翼の動員と過激さに圧倒され、60年安保の時のような院内外の連携した闘争が組めず、結局、国会政治的には、「無風」で安保は延長されてしまった。 昭和元禄 ちまたでは、「人類の進歩と平和」をテーマにした大阪万博が話題となり、半年の期間中、6400万もの観客を集めた。「昭和元禄」=高度成長のユーフォリアは頂点に達していた。新左翼による騒動も、大衆にとってはそれにアクセントを添えるひとつの風俗であった。 公害 そこに影と...
  • ★1984年
    ★1983年 から ★1985年 へ 二階堂擁立劇 二階堂擁立劇 第二次中曽根内閣は、大きく田中派に傾斜した内閣であり、それを不満に思っていた鈴木前首相は、中曽根失脚、田中派の分裂を策した。それが84年9月の、田中派の大番頭・二階堂進の擁立劇であった。福田・三木・河本が賛成し、公明党の竹入委員長、民社党の佐々木委員長も同調して、首相指名選挙で勝てる頭数はそろったが、田中の猛烈な反対で二階堂自身が腰砕けになり、中曽根は命脈を保った。
  • ★1975年
    ★1974年 から ★1976年 へ 政治改革・経済改革の挫折 政治改革・経済改革の挫折 74年12月9日発足した三木内閣は、典型的な派閥均衡内閣となった。福田は副総理兼経企庁長官、大平は蔵相。中曽根は幹事長となった。わずかに三木らしさを覗かせたのは、民間からの永井文相の登用であった。 三木は、金権政治打破のために総裁選挙改革・政治資金規正法改正・公職選挙法改正を、また狂乱物価に現われた大企業の横暴を抑制するために独占禁止法の抜本的改正を、政権発足当初の課題とした。 しかし、政治改革の方は党内の抵抗によってかなり骨抜きになってようやく成立、独禁法の方は、野党との修正合意までこぎ着けながら参院で審議未了、廃案となった。 三木は、改革に対する党内の抵抗を和らげ政権を維持するため、党内のタカ派との宥和策も図った。独禁法の再提出を諦めた。現職首相としてはじめて8月15日に靖国...
  • ★1985年
    ★1984年 から ★1986年 へ 創政会へ プラザ合意 創政会へ 復権への執念を持つ田中と、最大派閥でありながら総裁候補を出せないことで鬱屈する中派議員の間の溝は深まっていった。田中派議員は、自前の総裁候補として竹下登をかつぐ「創政会」を85年2月に立ち上げた。 田中はこれに激怒した。そのためか、直後、脳梗塞に倒れ、政界復帰は絶望的と伝えられる事態となった。 プラザ合意 レーガン政権は、景気浮揚を図って減税を実施し、その一方で物価上昇を抑えるため、FRBに通貨の供給をしぼらせていた。これによって金利が高騰し、ドル高に結びついた結果、輸出の不振と輸入の増加に見舞われ、財政と貿易の「双子の赤字」に苦しむようになった。特に、日本からの工業製品輸入に悲鳴を上げていた。 1985年9月22日、先進五か国の蔵相と中央銀行総裁が、観光客で賑わうニューヨークの五番街を見下ろ...
  • ★1995年
    ★1994年 から ★1996年? へ 阪神淡路大震災 地下鉄サリン事件 戦後50年国会決議と村山談話 阪神淡路大震災 95年1月17日午前5時46分、兵庫県南部の淡路島、阪神地区を中心に、広く近畿圏に及ぶ大地震が発生した。震源は、淡路島北部沖の明石海峡深さ16kmで、M7.3。震度は7に達した。 無数の建物が倒壊し、下敷きになった人びとが犠牲になった。また、地震直後に火災が発生して焼死する人も出た。道路・鉄道・電気・水道・ガス・電話などのライフラインは寸断されて広範囲において全く機能しなくなり、救出、消火、復旧は困難を極めた。死者は6000人余、負傷者は43,000人余に及び、関東大震災以来の大惨事となった。 政府は被害の実態把握に手間取り、自衛隊の投入などに迅速さを欠いたと後に批判された。 地下鉄サリン事件 95年3月20日午前8時ごろ、東京都内の営団地下鉄...
  • ★1981年
    ★1980年 から ★1982年 へ
  • ★1974年
    ★1973年 から ★1975年 へ 田中退陣、三木政権誕生 田中退陣、三木政権誕生 74年7月の参議院選挙は、与野党逆転もあり得る情勢で、自民党は「自由社会を守れ」と呼号し、金をばらまき、企業に動員をかけた。多数のタレント候補を立てたが、結果はまたもや自民党の敗北であった。自民62、野党は60で、逆転は起こらなかったが、「保革伯仲」時代に突入した。 この敗北を受けて、まず三木が田中の金権体質を批判して副総理を辞任、福田蔵相が後に続いた。8月には、企業ぐるみ選挙・金権選挙批判に懲りた経団連(土光会長)が、自民党への政治献金をやめると発表した。 10月、立花隆執筆の「田中角栄研究 金脈と人脈」を掲載した文藝春秋11月号が発行された。田中のファミリー企業による土地転がしと裏金づくりのからくりを暴いたものだった。反響は意外にも日本のマスコミではなく海外のメディアから上がった。...
  • ★1976年
    ★1975年 から ★1977年 へ ロッキード事件と三木おろし 76年選挙と福田内閣の誕生 ロッキード事件と三木おろし 76年2月4日、外電が、ロッキード社副社長コーチャンの米上院外交委員会多国籍企業小委員会での証言を報じた。ロッキード社の日本に対する航空機売り込みのための口利き料が、右翼大物児玉誉士夫と日本での同社の代理店丸紅に渡り、それぞれ小佐野賢治国際興業社主と日本政府関係者に支払われたというのである。 三木は、早速議会で真相究明の決意を表明し、アメリカ政府に、高官名を含む一切の資料の提供を要請した。 6月、丸紅と全日空の最高幹部が相次いで逮捕された。そして7月27日、田中前首相が5億円の収賄容疑で逮捕された。 この間、恐慌を来した自民党政治家の意を受け椎名副総裁は三木の退陣に動き、大平・福田はそれに同調した。さらに田中逮捕後は、田中・大平・福田の三派連合が「...
  • ★1977年
    ★1976年 から ★1978年 へ 福田内閣の事績 福田内閣の事績 党改革に執念を燃やしす三木を追い落とした自民党議員にも、参院選を控え、党改革なくしては自滅の道をたどるという認識はあった。福田総裁就任早々、自民党大会は、派閥の解消、総裁公選制の導入を決定した。 77年7月の参院選は、自民党の辛勝で、かろうじて与野党逆転は阻止された。 「経済の福田」を自認した福田であったが、77年に不況入りした日本経済は、数度の経済対策にもかかわらず、福田の任期中に浮揚することはなく、三木時代に始まった赤字国債への依存を続けざるを得なかった。
  • ★1971年
    ★1970年 から ★1972年 へ 沖縄返還 沖縄返還 71年10月に始まった沖縄国会では、社会党・公明党・民社党は、「核抜き本土並み」は欺瞞であるとして返還協定に反対し、再交渉を求めた。自民党は特別委員会で強行採決。国会空転に続いて院外活動が拡大した。沖縄ではゼネスト、東京では過激派が暴れた。本会議審議に戻るようにとの自民党の説得に対して、公明党が、「非核三原則及び沖縄基地縮小に対する決議案に政府・自民党が賛成するなら」という歩み寄りを示し、民社党がこれに同調。本会議は社共両党欠席で開かれ、返還協定は成立した。沖縄復帰が実現したのは、72年5月12日であった。
  • ★1973年
    ★1972年 から ★1974年 へ 田中内閣失速 田中内閣失速 72年の総選挙での自民党敗北から、田中は、自民党政権の安定のため、小選挙区制導入の必要性を痛感した。彼は猛烈な勢いで選挙制度改革のとりまとめにかかったが、野党は猛反対して、国会審議拒否に出、院外運動を進めた。与党内にも慎重論が出て、結局田中のもくろみは挫折した。空転ばかりのこの国会での法案成立率はさんざんであった。列島改造関係の法案はほとんど通らなかった。73年11月、田中内閣の支持率は22%にまで落ちていた。 狂乱物価のさなか、愛知蔵相の急死をきっかけに田中は内閣を改造、福田に蔵相就任を懇請した。福田は、田中から積極財政政策の転換の約束をとりつけて、蔵相就任を受け、「総需要抑制」へと舵を切った。
  • ★1982年
    ★1981年 から ★1983年 へ 財政再建の行き詰まり 中曽根内閣 財政再建の行き詰まり 行政改革への各省庁の抵抗は激しく、また景気の落ち込みで税の減収もあり、財政再建は難航した。公務員給与の引き上げをめぐっては野党が抵抗、国会審議拒否もあった。生産者米価の引き上げでは与党と土光会長が対立した。81、82年度と続いて政府は歳入欠陥に陥った。 臨調第三次答申(基本答申)は、84年度に赤字国債ゼロという当初目標を棚上げし、また間接税増税を容認するものとなった。また、国鉄、電電、専売の3公社の民営化を提言した。 党内では、田中派の数と影響力が増すにつれ、福田派など非主流派との軋轢も大きくなってきた。 財政再建の行き詰まりと、角福の怨念の闘争の再燃を危惧する鈴木首相は、総裁選を前にした82年10月、突然再選不出馬を表明した。 中曽根内閣 後継総裁選びでは、中曽根総...
  • ★1994年
    ★1993年 から ★1995年 へ 細川内閣の迷走 細川辞任 羽田内閣 自社さ内閣 新進党の誕生 細川内閣の迷走 政治改革関連法案が曲がりなりにも成立し、高い内閣支持率もそのまま維持して二年目に入った94年2月3日の未明、細川は突然記者会見を開き、消費税を福祉目的税に改め税率を3%から7%に引き上げる国民福祉税構想を発表した。 小沢一郎と大蔵事務次官の斎藤次郎の間で練った案であったが、根回しはまったくなされず、武村正義官房長官や与党諸党派の代表でさえ知らされていないことであった。結局翌日、これを撤回することになり、政権がぎくしゃくしただけのことであった。 社会党の村山委員長は、米の市場開放を発表した記者会見も深夜だったことをふまえて、「夜中によう騒ぐ男じゃのう」と皮肉った。 細川辞任 細川は、東京佐川急便から1億円借金していたことが明らかになっていた。本人はこ...
  • ★1988年
    ★1987年 から ★1989年 へ 消費税の成立 リクルート事件 天皇下血 消費税の成立 88年1月、竹下首相は初の施政方針演説で税制改革に向けての意欲を表明したが、この国会では、税制改革の本格的審議にはいたらず、7月、いよいよ消費税導入のための臨時国会が召集された。 リクルート事件の追及と絡めて審議拒否で徹底抗戦する社共に対し、公・民両党は委員会、本会議に出席することで自民党に協力した。大幅な会期の延長によって、結局12月24日、社共議員の牛歩戦術による抵抗むなしく、3%消費税導入を含む税制改革6法案は可決成立した。 リクルート事件 88年6月、『朝日新聞』は川崎市の助役が川崎駅前への進出に便宜をはかった見返りとして店頭公開前のリクルートコスモス株を譲渡され、一億円の利益を得ていたと報道した。その後、同様にコスモス株が政官財界にばらまかれたことが明らかになり、...
  • ★1980年
    ★1979年 から ★1981年 へ 連合政権構想 大平の死と衆参同日選挙 鈴木内閣 連合政権構想 79年の総選挙で自信を深めた公明党と民社党は、同年12月、「中道連合政権構想」の合意に達した。一方、選挙に破れた社会党も公明党とのあいだで政権協議を進めたが、「全野党共闘」すなわち共産党を含めた野党の共闘路線を捨てることを公明党に迫られた、ついに翌80年1月、共産党を排除する形の「社公連合政権構想」に合意した。公明党を扇の要にして、三党は国会対策で共闘し、次の参議院選挙での選挙協力協議を進めていった。 大平の死と衆参同日選挙 40日抗争後も自民党反主流派は党執行部と対立したままだった。そこに、社会党が、臨時国会の会期延長問題から内閣不信任案を持ち出した。反主流派議員の大量欠席によって、不信任案は、社会党もまさかの成立。大平はただちに衆院を解散した。初の衆参同日選挙とな...
  • ★1983年
    ★1982年 から ★1984年 へ 外交の転換 ロッキード一審判決と83年総選挙 外交の転換 中曽根首相は、83年明け早々に訪韓した。日本の首相として戦後初の公式訪問であった。日韓間は、82年の教科書問題以来ぎくしゃくしていたが、首相は周到に訪韓を準備し、全斗煥大統領との間で「新次元の日韓関係」をうたう共同声明を出し、晩餐会では韓国語でスピーチするなど友好ムードを盛り上げた。 翌週には訪米、「日米は運命共同体」「日本列島を(対ソの)浮沈空母に」と発言。レーガン政権と一体になり東アジアにおける反ソ軍事同盟に積極的に関わる意思を鮮明にした。 ロッキード一審判決と83年総選挙 1983年10月12日、東京地裁は、田中の収賄を認め懲役4年の実刑判決を下した。野党は、田中の議員辞職勧告決議案を提出し、解散を要求した。中曽根首相は、野党と世論に押され、しぶしぶ田中邸を訪問...
  • ★1978年
    ★1977年 から ★1979年 へ 日中平和友好条約 大福戦争 日中平和友好条約 福田政権は、78年8月、懸案であった日中平和友好条約の締結にこぎ着けることができた。 72年の田中内閣による国交回復後も、日本の政界では親台湾派を力が強く、また、反ソを意味する「覇権反対」に中国が同意を求めていることが障害となっていた。調印された条約では、「覇権反対」は明記されたが、「この条約は、第三国との関係に関する各締約国の立場に影響を及ぼすものではない」との文言が加えられた。 78年7月、統幕議長・栗栖弘臣が記者会見で「緊急時の法律のないわが国では、有事の際、自衛隊が超法規的に行動することもありえる」と述べたことで、伯仲国会は大騒ぎとなった。金丸防衛庁長官は、文民統制を破るものとして栗栖を解任し矛先を避けたが、福田は有事立法についての研究を防衛庁に指示した。 大福戦争 大平...
  • ★1986年
    ★1985年 から ★1987年 へ 死んだふり解散・総選挙 三大改革と売上税廃案 内需拡大政策 死んだふり解散・総選挙 田中派に支えられ党内基盤の弱かった中曽根だが、審議会を多用して政策をあげさせてそれをトップダウンで採用する改革者的スタイルが国民の一定の支持を受け、85年の政局は奇妙に安定していた。中曽根は、田中という重石がとれたことを機に、解散・総選挙に出て一挙に自らの党内基盤を強化し、翌年9月に切れる総裁任期後の続投を画策した。 おりしも、85年7月に、衆院定数の不均衡が「違憲状態」に達しているという最高裁判決がでて、定数是正が政治課題となっていた。与党も野党も、公選法改正後の周知期間と国会会期を考え合わせると解散は不可能と考え、中曽根も解散の意思を捨てたように見せかけていた。ところが、中曽根は国会閉会後すぐに臨時国会を召集し、本会議前の議院運営委員会の席上、衆院...
  • ★1979年
    ★1978年 から ★1980年 へ 79年総選挙 40日間抗争 79年総選挙 79年4月、東京都知事選で自公民推薦の鈴木俊一が社共の太田薫を破って、12年間の革新都政に終止符を打ち、大阪府知事選では自社公民推薦の岸昌が共産推薦の現職・黒田了一を破った。 意気上がる自民党は、与野伯仲状態から抜け出すために、解散総選挙に打って出た(投票日10月7日)。ところが、期待に反して結果は自民党の前回につづく大敗で、選挙後無所属の10人を入党させてようやく過半数を確保することになった。大平首相は公約として掲げた「財政再建=一般消費税導入」を選挙途中から否定し、それが有権者の不信を買ったのである。 しかし、深刻なのはむしろ社会党であった。 社会党内では76年2月に江田副委員長が公明党書記長・矢野じゅんや、民社党書記長・佐々木良作と「新しい日本の会」をつくり、社公民連合の足場がためを...
  • ★1990年
    ★1989年 から ★1991年 へ 総選挙 バブル崩壊 イラク軍のクエート侵攻 国際貢献 総選挙 自民党が圧勝した前回の衆院選(1986年7月)から四年目を迎えた1990年、任期満了が近づいて、総選挙近しは既定の事実になっていた。世界では、天安門事件、ベルリンの壁崩壊など激動が続いていたが、日本の政界は、海部政権の支持率も比較的高く、奇妙に安定していた。海部首相は、1月24日に衆院を解散、2月28日の総選挙が決まった。 自民党の選挙戦を指揮するのは小沢幹事長である。小沢は、街頭に出て応援演説するよりも、財界など圧力団体を精力的に訪問して支持(とおそらく献金)を訴える動きをとった。 結果は、自民党が18議席減らして275(選挙後公認を含めて286)議席をとって安定多数を確保した。前回がとりすぎたので、まずまずの勝利といえた。野党では、社会党が86から139議席に増やす一...
  • ★1987年
    ★1986年 から ★1988年 へ バブル景気へ 竹下新内閣の発足 バブル景気へ 80年代後半、米英では金融制度改革(金利の自由化、銀行・証券の業務規制緩和)と、金融商品の多様化、その売買のコンピュータ化が進み、いわゆる金融革命が起こった。このような変化を象徴するのが、87年10月19日に起こった「ブラックマンデー」である。金利引き上げ懸念からコンピュータ売買で売りが売りを呼び、NY市場で株が大暴落、世界同時株安となった。各国は利下げを続けることでこの影響を早期に克服したため、マネーゲームは世界的に拡大していった。 日本では、内需拡大策のもと、財政と金融両面から景気刺激を続けたことから、マネーサプライが増大していた。内部留保や資金調達手段が多様化した大企業が銀行からの借入を減らしたことから、銀行は住宅専門金融会社(住専)などノンバンクを設立して貸し出し、中小企業の...
  • ★1958年
    ★1957年 から ★1959年? へ 1958年 話し合い解散 1958年 勤評反対闘争 1958年 警職法 1958年 レバノン危機 1958年 アルジェリアの解放戦争 1958年 話し合い解散 58年4月、社会党は内閣不信任案を上程した。採決直前に解散という筋書きが自社の間でできていた。5月22日に行われた総選挙は、自社二大政党下の最初の総選挙であったが、特別な争点のない選挙であった。結果は自民287、社会166、共産1。社会党は得票率35.1%で、大きく得票を伸ばしたものの、伸び悩みという見方がされた(結局社会党は、これ以降の総選挙でこの166議席を上回ることはなかった)。 総選挙後発足した第二次岸内閣は、反主流・吉田系の池田勇人を国務相に取り込み、政治基盤を強化した。 9月、藤山外相がアメリカのダレス国務長官と会談し、日米安保改定交渉で合意した。しかし、自民党...
  • ★1992年
    ★1991年 から ★1993年 へ PKO法 参院選 株も土地も暴落 東京佐川事件、皇民党事件 PKO法 宮沢政権の課題も、海部政権からの積み残しである政治改革と、自衛隊の海外派遣であった。 後者については、90年に国会で流れた「国連平和協力法案」を見直して、「国連平和維持活動協力法案」を91年に海部政権が国会に上程していた。宮沢政権成立後すぐに、衆院で成立したが、継続審議となった。6月、停戦監視などの軍事行動を伴うPKF活動を当面凍結するなどの自・公・民共同修正案が合意され、それに基づいて参院で修正可決となり、再び衆院に送られた。絶対反対の社共両党は牛歩戦術、全衆院議員の辞表提出(社党のみ)、閣僚個々の不信任案提出等で抵抗したが、辞表は議長に受け入れられず、不信任案提出は、与党による全閣僚信任投票で封じられ、万事休す、6月15日に成立した。 成立した「国際連合平和維...
  • ★1989年
    ★1988年 から ★1990年 へ 天皇の死と昭和の終焉 リクルート政局 宇野政権誕生 参議院選挙 海部政権誕生 小沢幹事長 天皇の死と昭和の終焉  89年1月7日午前6時33分、天皇は十二指腸乳頭周囲がんのために87歳で死亡した。ただちに皇太子明仁が即位し、政府は新元号を平成と決定した。 1月24日、大葬が行われ、外国元首ら要人多数が参列する中、63年間つづいた激動の昭和時代は幕を下ろした。 リクルート政局 2月から3月にかけて、江副浩正リクルート会長、真藤恒NTT元会長、加藤孝元労働事務次官らが相次いで逮捕された。国会では、野党がリクルート問題の追及を強め、中曽根元首相の証人喚問を要求、国会は空転し、年度内に予算が成立せず、暫定予算を組んだが、それでも予算成立のめどが立たなかった。ついに、竹下首相本人が、89年4月の3%の消費税導入を見届けてから辞意を表明、...
  • ★1972年
    ★1971年 から ★1973年 へ 佐藤退陣 田中政権誕生 日中国交正常化 日本列島改造論 72年総選挙 狂乱物価 佐藤退陣 1972年1月には日米繊維協定が米国サクラメントで調印された。田中角栄通産相の功績であった。懸案の処理も終わって、佐藤政権の終末を世論も政界も噂し始めた。佐藤政権ではどうにもならないもの、それは日中国交回復の問題だった。 機は徐々に熟しつつあった。70年の末には、超党派の国会議員379人による日中国交回復促進議連が立ち上がり、自民党内の国交回復派も増えて、野党とも連携して佐藤政権に揺さぶりをかけていた。72年の年初には初の超党派議員団が訪中、「国交回復をめざす共同声明」が発表された。 そして、2月21日、佐藤政権にとどめを刺す一撃が米国から放たれた。ニクソン大統領が中国を電撃訪問し、翌日、米中が国交正常化で合意したのであった(上海コミュニケ)。...
  • ★1991年
    ★1990年 から ★1992年 へ 湾岸戦争 「貢献」の評価 海部首相の立ち往生 宮沢政権の誕生 宮沢喜一 湾岸戦争 国連決議が示した撤退期限の1月15日が過ぎても、イラク軍はクエートから撤退しなかった。世界は、すでに湾岸に展開している米軍の動きを固唾を飲んで見守っていた。 1月17日、米軍を主力とする多国籍軍は、イラク、クエート爆撃を開始した。作戦は、「砂漠の嵐」と名付けられた。2月23日にはイラクに地上軍を投入、瞬く間にクエート・イラク南部を席巻した。たまらず、フセイン大統領はイラク軍の撤退を表明、27日にブッシュ大統領は勝利宣言を出した。4月3日に国連安保理は湾岸戦争の恒久的停戦決議を採択、5日にイラク政府はそれを正式に受諾した。 米国は、足並みの揃わない国連軍という形でなく、機動性の高い多国籍軍という形をとって戦争を遂行した。また、ハイテク兵器を駆使し、それを...
  • ★1993年
    ★1992年 から ★1994年 へ 宮沢政権崩壊 第40回衆院選と政権交代 細川 護熙 政治改革法の成立 ウルグアイ・ラウンド 田中角栄死去 1993年 宮沢政権崩壊 金丸事件の捜査から、不正献金事件が続々と上がってきて、PKOに続くもう一つの宮沢政権の宿題である政治改革で、いよいよ政権の尻に火がついてきた。小選挙区制度という方向性に、確実に議席が減る野党はもちろん、与党議員の間にも利害がからんで反対が多かったが、自民党はようやく93年4月に、単純小選挙区制の政治改革法案を提出した。社会・公明両党もそれぞれ小選挙区・比例並立の改革法案を出した。宮沢はテレビ番組で、この年の通常国会で「改革を必ず成し遂げる」と見得を切った。 ところが、梶山幹事長はじめ自民党執行部にまたも先送りの空気が出て、改革法案は廃案の雲行きとなってきたところから、野党は内閣不信任決議案を6月18...
  • ★1955年
    1954年? から 1956年? へ ★1955年 保守合同 ★1955年 社会党の統一 ★1955年 共産党六全協 ★原水禁運動と基地反対闘争 ★原子力「平和利用」へ態勢固め ★1955年 東西冷戦体制の完成と新しい胎動 ★1955年 保守合同 前年12月に成立した民主党・鳩山内閣は少数与党政権だった。「鳩山ブーム」と言われるほど支持率の高いあいだに総選挙を行い与党の基盤を固めるため、鳩山は衆議院を解散した。鳩山が掲げた公約は、日ソ国交回復と憲法改正であった。鳩山は、民主党・自由党合わせて衆議院で憲法改正決議に必要な3分の2を確保する気でいた。 2月27日に行われた第27回総選挙の結果は、民主党が124議席から185議席に躍進、反対に自由党は180議席から112議席に減少し、第一党の地位が入れ替わっただけだった。左右両派の合同を協議中だった社会党は、両派合わせて156...
  • ★1956年
    1955年? から 1957年? へ 小選挙区制法案・教育委員会法改正 1月、吉田茂の後継者として旧自由党を率いてきた緒方竹虎が急死した。当面のライバルがいなくなったことから、4月の自民党臨時大会では、鳩山の総裁就任がすんなりと決まった。 党内基盤を確立した鳩山は悲願の憲法改正を実現しようと、小選挙区制を導入する法案を国会に提出した。さらに、教育委員会を公選制から自治体の首長の任命制に改める新教育委員会法案を提出した。両法案に野党は猛反発、国会外でも反対運動が広がった。結局、小選挙区制は、衆院可決の後審議未了で廃案に、教育委員会法は、本会議場に出動した警官隊に守られて強行採決、可決された。 7月、4回目の参議院選挙があり、自民61、社会49と、社会党が善戦して、当面憲法改正に着手することは不可能な状況となった。この参院選には、創価学会が初めて国政に候補者を立て、3名の当...
  • ★1957年
    1956年? から 1958年? へ 1957年 岸内閣始動 1957年 岸内閣始動 石橋の後継首班には岸が指名された。岸は、全閣僚を留任させ、石井光次郎を副総理に招き党内融和を図った。3月の党大会では、対抗馬松村謙三を471票対32票で破り総裁に選ばれた。 岸政権が最初に手がけたのは、防衛力の強化であった。防衛二法(自衛隊法・防衛庁設置法)を改正して自衛隊員1万人の増員を決め、前年7月に設置された国防会議を招集して「国防の基本方針」と「防衛力整備目標」(いわゆる一次防)を策定した。 続いて岸は、戦後首相として初めてアジア諸国の歴訪を行った。5月、ビルマ、インド、パキスタン、セイロン、タイ、台湾を訪れ、主として原水爆実験禁止とアジア開発基金構想を含む経済協力について各国首脳と意見を交わした。 6月には、アメリカを訪問し、アイゼンハワー大統領、ダレス...
  • ■地域の復興と自立
    150402 自治体の「総合戦略」次々 人口減対策・活性化の道筋示す[朝日] 150205 東京圏、11万人の転入超過 一極集中が加速、14年報告 [東京] 141121 地方創生法が成立 人口減克服目指す [東京] 地方交通網を守るために 150402 自治体の「総合戦略」次々 人口減対策・活性化の道筋示す[朝日]  人口減対策や地方活性化について、各自治体ごとに今後5年間の道筋を示す「総合戦略」をつくる動きが広がっている。政府が用意した支援メニューを受ける条件になっているからだ。いち早く公表する自治体もあるが、官僚や業者頼みを心配する声も出ている。  ■政府支援受ける条件  戦略発表の第1号になったのは、丹後ちりめんの産地の京都府京丹後市(人口約5万8千人)。過疎化で人口が65年間減り続けたが、特産の絹織物をいかした新産業を育て、2060年には今より2万人増や...
  • ◎文化・出版06
    1130 「夕鶴」の劇作家・木下順二さんが死去 [読売] 1123 「兎の眼」「太陽の子」の灰谷健次郎さん死去 [読売] 1117 ノーベル経済学賞のフリードマン氏死去 小さな政府提唱 [朝日] 1111 反公害運動の闘士、宇井純・沖縄大名誉教授が死去 [読売] 1101 中国文学者の白川静さん死去 著書に「漢字」「孔子伝」 [朝日] 1031 「招かれて大きな喜び」 カフカ賞受賞の村上春樹氏 [朝日] 1028 ビートルズの「新作」発売へ 36年ぶり [朝日] 1026 芥川賞作家の小島信夫さん死去 小説「抱擁家族」など [朝日] 0923 拓郎とかぐや姫、「つま恋」で歌う 3万5千人酔う 静岡 [朝日] 0907 200年分の記事を検索、米グーグルがサービス開始 [朝日] 0907 ボブ・ディラン新作がチャート1位 30年ぶり返り咲き [朝日] 0813 アイヌの遺産「金成マツノート」...
  • ★新史料08~11
    ★新史料06・07 より続く 最新の情報は、★新史料? へ 110826 現代人の祖先、古代人類との交雑で免疫力獲得か [読売] 110221 鈴木元首相、金大中氏の死刑中止迫る 韓国外交文書 [朝日] 1219 人類10万年前から穀物「料理」 アフリカの石器に痕跡 [朝日] 1002 440万年前、最古の人類像を復元 森に住み木登り得意 [朝日] 0818 金大中・韓国元大統領が死去 東京で拉致・初の南北会談 [朝日] 0815 「核密約関連資料あった」外務省元条約局長が寄稿 [朝日] 0706 元米国防長官・世銀元総裁のマクナマラさん死去 [朝日] 1224 A級戦犯15人、意見書の写し 「自衛戦」主張明らかに [朝日] 1222 テルアビブ乱射、日本謝罪の舞台裏 アラブ反発に苦慮 [朝日] 1222 「日中戦争なら核報復を」 佐藤首相、65年訪米時に [朝日] 0816 アヘ...
  • ◎歴史の本棚
    ◎歴史の本棚07・08 から ◎歴史の本棚 原始の神社をもとめて [著]岡谷公二 [朝日] シベリア抑留 [著]栗原俊雄 [朝日] 1968 (上・下) [著]小熊英二 [朝日] 吉本隆明の時代 [著]すが秀実 [朝日] 名前 コメント ...
  • ■少子高齢社会
    140508 消滅可能性 自治体半数 2040年20〜39歳女性半減 [毎日] 140131 人口移動 東京圏転入超過9万人 景気回復で大幅増 [毎日] 111021 夫婦の生涯出産数、初めて2人を割る 平均1.96人 [朝日] 110918 65歳以上の高齢者、東京からの転出が最多 [朝日] 101105 生活の豊かさ 日本は世界11位 国連開発計画 [朝日] 0909 介護する側、1割が80歳以上 進む「老老介護」 [朝日] 0731 平均寿命、男性79.19歳、女性は世界一85.99歳 [朝日] 0731 人口3年ぶり増、「自然減」は最多3万人 総務省調査 [朝日] 0416 東京都の人口、28年ぶり全国の10%に [朝日] 0322 07年推計人口、2300人の自然減…1950年以降で初 [読売] 1122 日本の75歳以上、初めて総人口の1割に [読売] 1221 出生率1・26...
  • ●戦争と罪責
    ●戦争と罪責09 より 最新の情報は ●戦争と罪責 にあります 140827 首相、A級戦犯ら法要に哀悼メッセージ「祖国の礎に」 [朝日] 140501 英国 シン・フェイン党首を逮捕 72年の女性殺害容疑 [毎日] 140323 強制連行、原告1000人規模 中国で訴訟、拡大も [朝日] 140226 強制連行、中国人元労働者ら日本企業2社を提訴 [読売] 131115 「慰安婦報告書」は「非公開」…公開要求に政府 [読売] 131115 歴史・領土記述で検定基準見直し…教科書改革案 [読売] 130916 河野洋平氏を提訴へ 「国民運動」談話撤回求める署名も3万超 [産経] 130815 悼み誓う68年、終戦の日 首相式辞、アジアには触れず [朝日] 130815 韓国国会議員、靖国から600m離れて抗議活動 [読売] 130710 強制徴用、新日鉄住金に賠償命令…ソウル高裁 ...
  • ●韓国06
    1025 韓国統一相が辞意 太陽政策の支柱、北の核実験で引責 [朝日] 0827 戦時作戦統制権、米が09年に韓国へ返還 [読売] 0824 米軍基地返還で「公園化宣言」 ソウル都心、市民の手に [朝日] 0615 韓国・光州で「民族統一大祝典」 南北融和アピール [朝日] 0601 韓国地方選、与党大敗の見通し 大統領に打撃 [朝日] 0517 金大中前大統領、6月下旬訪朝 北朝鮮側と合意 [朝日] 0505 米軍基地移転騒動:活動家ら強制排除 韓国警察当局 [毎日] 0428 現代自グループ会長、横領や背任容疑で逮捕 韓国検察 [朝日] 0403 済州島虐殺の慰霊祭、盧大統領が初めて出席 [朝日] 0325 米韓合同軍事演習始まる、北朝鮮は反発 [読売] 0309 韓国で親日派子孫の財産没収、特別法を基に仮処分申請 [読売] 0308 強制連行被害者に慰労金、韓国政府が支援策 [読売]...
  • ★新史料06Ⅰ
    ★戦後史新資料 ラインナップ 0719 米政府が自民・穏健野党へ秘密支援 米外交文書で確認 [朝日] 0719 資金提供で親米政権安定化…CIAの対日工作明らかに [読売] 0607 CIA、ナチス戦犯のアイヒマン放置…公開文書で判明 [読売] 0526 HIVの起源、カメルーンのチンパンジーと特定 [朝日] 0521 最古のマメ:シリア北西部の新石器時代遺跡で発見 地球研 [毎日] 0521 宇宙の「超薄曇り」、1億年早かった 京大助教授ら研究 [朝日] 0519 毒ガス演習、計画書発見 [朝日] 0519 阪神大震災、家屋被害は63万9686棟と確定 [読売] 0518 ホロコースト文書5000万点、学者にも公開 [読売] 0511 松野頼三氏死去…元自民党総務会長、小泉首相の指南役 [読売] 0426 日韓交渉の文書公開を請求 市民ら330人 [朝日] 0413 人類の進化、4...
  • ■政治のカネ05Ⅲ
    ■政治のカネ05Ⅲ (2) ■政治のカネ05Ⅱ から ■政治のカネ06Ⅰ へ 伊藤元国土長官の政治団体、寄付5900万を裏金処理 [読売] 自民議員に「第3の財布」 献金受け皿に 政治資金集計 [朝日] 酒政連、地方ルートでも献金攻勢 4年間で5300万円  [朝日] 国会議員の政治資金370億円に パーティー収入は最高 [朝日] 「もち代」でも無派閥優遇=自民 [時事] 国会議員、「兵糧」補う年の暮れ 相次ぐ資金パーティー  [産経] 川崎厚労相、財団施設を使い活動 格安で個人事務所に [朝日] 7人の政治家、再び不起訴処分へ 日歯連事件で東京地検 [朝日] 西村真悟議員、犯罪収益の収受容疑で再逮捕へ [読売] 「西村議員に年1000万」弁護士法違反元職員が供述 [読売] 西村真悟議員の報酬不透明、逮捕の元職員と折半 [読売] 裏金「事務所費」に仮装…酒政連、政治資金報告書で ...
  • ◎文化・出版
    140226 本を読まない大学生、初めて4割超す…生協調査 [読売] 131210 英作家コリン・ウィルソンさん死去 「アウトサイダー」 [朝日] 131129 堤清二さん、作家・辻井喬としても多くの足跡 [読売] 131102 坂本龍馬の直筆資料など、ネットで公開 宮内庁 [朝日] 130824 民俗学者の谷川健一さん死去 日本人の死生観など探究 [朝日] 130809 考古学者・森浩一さん死去…天皇陵古墳を研究 [読売] 130115 映画監督の大島渚さん死去 「愛のコリーダ」「戦メリ」 [朝日] 121013 丸谷才一さん死去 作家・評論家・英文学者、87歳 [朝日] 121011 ノーベル文学賞に中国の莫言氏 [読売] 1210019 山中教授ノーベル賞 iPS細胞を開発 [東京] 120316 評論家の吉本隆明さん死去 戦後思想に大きな影響 [朝日] 111125 悲運の闘将 ...
  • ◎文化・出版08Ⅱ
    ◎文化・出版08Ⅰ より続く 1103 毎日出版文化賞に橋本治氏ら [朝日] 1029 読売ウイークリー、12月1日発売号で休刊 [朝日] 1014 ノーベル経済学賞、クルーグマン氏 国際貿易で新理論 [朝日] 1009 ノーベル文学賞に仏のル・クレジオさん [朝日] 1007 緒形拳さん死去 71歳 銀幕・TV・舞台…幅広く活躍 [朝日] 1001 優れた評論・吉田秀和賞に片山杜秀氏 [朝日] 0926 国文学者で文化功労者、西郷信綱さんが死去 [朝日] 0928 ポール・ニューマンさん死去 「明日に向って撃て!」 [朝日] 0912 亀山訳「カラマーゾフの兄弟」、ミリオンセラーに [朝日] 0907 訃報:寺内大吉さん 86歳 死去=直木賞作家、増上寺法主 [毎日] 0804 ソルジェニーツィン氏死去 ロシアのノーベル賞作家 [朝日] 0802 笑いと酒の人生、これでいいのだ 赤...
  • ■政局14
    ■政局13 より 最新の記事は ■政局 へ 141121 衆院解散 安倍政権審判 国民の手に [東京] 141119 安倍首相 「アベノミクス信問う」…21日衆院解散 [毎日] 141027 内閣支持率49%、閣僚辞任後に微増 朝日新聞世論調査 [朝日] 141020 経産相に宮沢氏、法相は上川氏  首相、政権失速回避に全力 [東京] 141020 小渕経産相・松島法相 辞任 政治とカネ 問われる自民体質 [東京] 140910 高市総務相ら、「ネオナチ」と写真撮影 英紙など報道 [朝日] 140516 「戦地に国民」へ道 解釈改憲検討 首相が表明 [東京] 140509 第2次安倍内閣500日 閣僚交代なし、戦後最長更新中 [朝日] 140508 集団的自衛権の閣議決定、国会閉会後の方向 公明に配慮 [朝日] 140314 首相、河野談話「見直すことは考えていない」 [読売] 1...
  • ●治安対策06
    1107 治安は回復?悪化? 犯罪白書と学者が論争 [朝日] 0902 公安調査庁が「国際テロ対策室」、情報収集強化へ [読売] 0505 都道府県警捜査費:3分の1に激減「情報公開制度が影響」 [毎日] 0417 性犯罪前歴者2人射殺 法律で住所など公開 米メーン州 [朝日] 覚せい剤事件:5年ぶりに検挙者数増加 暴力団が過半数 [毎日] 犯罪で得た財産、裁判所が没収…組織犯罪処罰法改正へ [読売] 16歳以上外国人の指紋採取 対テロで入国審査時 [共同] 暴力団構成員:山口組が初の過半数 一極集中進む [毎日] 刑法犯認知件数 3年連続の減少 05年 [毎日] 通信傍受法、殺人事件に初適用 三重県警が組幹部射殺で [朝日] 国家公安委員にJR東海会長の葛西氏を起用へ [読売] 防犯カメラ、歌舞伎町で効果…全国商店街で導入の動き [読売] 暴力的犯罪27%減、ロサンゼルスが汚名返上 [読...
  • ●日本外交11
    ●日本外交08 から 最新の情報は、●日本外交 へ 111219 李大統領「慰安婦問題、優先的に解決を」 日韓首脳会談 [朝日] 111119 日中韓、早期FTA交渉入りを確認 [朝日] 110211 とんがった空気の日ロ外相会談 北方領土問題、進展なし [朝日] 101224 「北方領土はロシア領」大統領発言 2島返還取り下げか [朝日] 101101 ロシア大統領が北方領土訪問 ソ連時代含め初 [朝日] 100920 中国、「閣僚級の交流停止」 漁船長勾留延長で措置 [朝日] 0807 北方領土への人道支援受け入れ停止 ロシア外務省発表 [朝日] 0512 北方4島「あらゆる解決策」協議へ…日露首相が作業加速確認 [読売] 0430 中国に核軍縮求める 日中首脳会談 温首相は靖国に言及 [朝日] 0302 イラク 日本の官民合同代表団が初のバグダッド訪問 [毎日] 111...
  • ■日本社会
    130417 日本の総人口28万人減る…減少幅過去最大 [読売] 130327 高齢者人口、全都道府県で3割に 2040年の推計値 [朝日] 130314 自殺の原因、「経済・生活」が大幅減 12年の状況分析 [朝日] 130110 刑法犯32年ぶり140万件割れ 10年連続で減少 [東京] 130101 人口自然減、過去最大の21万人 12年の人口動態、厚労省推計 [東京] 130417 日本の総人口28万人減る…減少幅過去最大 [読売]  総務省は16日、日本の総人口が前年より28万4000人減少し、1億2751万5000人(前年比0・22%減)になったとする2012年10月1日現在の人口推計を発表した。  減少幅は比較可能な推計が残る1950年以降で過去最大となる。一方で、65歳以上の高齢者の人口は初めて3000万人を超え、全都道府県で高齢者数が14歳以下の年少者数を...
  • ■高齢者・介護福祉
    ■高齢者・介護福祉 ラインナップ 1224 2035年には4人に1人が75歳以上、人口問題研が推計 [読売] 1219 高齢者虐待死32人 加害者は息子が最多 06年度 [朝日] 0404 65歳以上の介護保険料、自治体格差広がる 2.5倍 [朝日] 0323 65歳以上の介護保険料、24%増の見通し 厚労省 [朝日] 0319 認知症のお年寄り、どう支える [朝日] 0314 介護報酬の不正・誤請求80億円 04年度、3割増加 [朝日] 介護レンタル、価格差なぜ ベッドは13倍にも [朝日] 療養病床削減案に異論続出 自民部会 [朝日] 新型特養の居住費、月平均6万7千円 NPO調査 [朝日] 介護療養型医療施設、2011年度末で廃止へ [読売] 高齢者虐待:防止法が成立 市町村の立ち入り調査認める [毎日] 成年後見人を公募・養成へ 東京都が今年度50人 [朝日] 青天井に仰天...
  • ■まちづくり・地域おこし
    0811 「映画で地域元気に」 公民館や空き店舗で上映する協会 [朝日] 0606 団塊世代の就農期待 05年度版農業白書 [共同] 0805 固定資産税など商店スタンプ券で支払い 福島・矢祭町 [朝日] 0320 地域通貨の成功例 別府の「泉都」 [日経] 0319 「団塊」700万人、争奪戦 緊縮予算の各県が知恵 [朝日] 0318 「ウラカシ」千葉・柏駅周辺の路地裏が若者の人気スポットに [日経] 0310 観光基本法を抜本改正へ 自民、外国客で活性化狙う [共同] ■まちづくり・地域おこし05 から続く 0811 「映画で地域元気に」 公民館や空き店舗で上映する協会 [朝日] 2006年08月11日16時19分  利用される機会が減った地方の公民館、文化会館などの公共施設や空き店舗を使って、週末などに映画を上映し、地域の活性化を目指す動きが出てきた。三井物産の子会社「三井...
  • ◎文化・出版07Ⅰ
    1106 日本翻訳文化賞は『カイエ 1957―1972』に [朝日] 1015 ノーベル経済学賞に米国の3教授 [朝日] 1012 建築家黒川紀章さん死去 参院選にも立候補 73歳 [読売] 1011 ノーベル文学賞、英女性作家ドリス・レッシング氏 [読売] 0923 パントマイム界の巨匠、マルセル・マルソーさん死去 [朝日] 0830 広がる本屋のポイント制 期待と不安が交錯 [朝日] 0830 中央公論文芸賞、角田光代氏「八日目の蝉」に [朝日] 0830 小林秀雄賞に、内田樹氏『私家版・ユダヤ文化論』 [朝日] 0827 谷崎潤一郎賞に青来有一さん [朝日] 0827 川端作品英訳のエドワード・サイデンステッカーさん死去 [朝日] 0818 太宰「人間失格」、人気漫画家の表紙にしたら売れて売れて [読売] 0814 「千の風」ミリオンセラー突破、クラシック歌手で初 [読売] 0816...
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