dunpoo @Wiki ★発掘・新史料
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141206 国内最北の「銅鏡」出土:初期ヤマト政権と交流か [毎日]

 宮城県教委は4日、栗原市築館城生野の「入(いり)の沢(さわ)遺跡」の古墳時代前期(4世紀)の大規模な竪穴住居集落跡から、初期ヤマト政権とのつながりをうかがわせる銅鏡3面と鉄製品5点が出土したと発表した。ともに国内最北の出土とみられる。

 同委によると、同遺跡は丘陵部にある縄文から中世までの複合遺跡で、古墳前期の住居跡は約30軒あった。うち12軒を調べ、管玉(くだたま)などの装飾品とともに銅鏡、鉄製品を見つけた。砥石や土師器(はじき)もあった。

 銅鏡は内行花紋鏡(ないこうかもんきょう)(直径9センチ)1点とそれより小ぶりの珠紋鏡(しゅもんきょう)2点で、すべて国内で製造されたとみられる。鉄製品は斧(おの)、やりがんななどの大工道具。これらは古墳時代前期の初期ヤマト政権とのつながりを示す移入品の可能性が高い。4世紀の同政権の影響力はこれまで大崎平野までとされてきたが、さらに北に及んでいたことをうかがわせる。

 集落跡は大きな溝や木柵を巡らして防御の備えが徹底していることも判明。集落住居跡の一部は火災で焼け落ちており、炭化した米も数粒出土した。県教委はこの集落の住人が地元に定住していたのか、移住してきたのかなど、さらに調べたいとしている。


TITLE:国内最北の「銅鏡」出土:初期ヤ

140222 埴輪窯2基を確認 23日現地説明会 和歌山県内初 [紀伊民報]

 和歌山県文化財センターは、和歌山市平井で県内初となる古墳時代(6世紀前後)の埴輪(はにわ)窯2基を確認したと発表した。発掘関係者は「近畿地方でも確認例は極めて少なく、埴輪の生産を考える上で貴重」と注目している。23日午後1時半から一般向け現地説明会を行う。小雨決行。

 第2阪和国道建設に伴い、平井遺跡と平井2遺跡で、2012年度から今年3月まで同センターが発掘している。

 埴輪窯は、薪を入れる「たき口」と薪をたく「燃焼部」、製品を焼く「焼成部」、「煙突」、焼いた時に出る灰や失敗品を捨てる「灰原」からできている。本来はトンネル状の形をしているが、今回は崩れた状態で発見された。ここで焼かれた埴輪は、周辺の国史跡大谷古墳や、平井1号墳に運ばれた可能性があるという。

 窯とその周辺からは円筒埴輪を中心に家形、馬形、人物などの埴輪片も多数出ている。また、岩橋千塚古墳群(和歌山市岩橋)から出土している類例の少ない胡ろく形埴輪や双脚輪状文形埴輪の破片が見つかっている。これまで、紀ノ川筋の古墳から出土する埴輪は、作り方や土の材質などの違いから、川を挟んで南北のタイプに分けて考えられていたが、南側タイプの埴輪も今回北側で出たことで、考え直さないといけなくなったという。

 センター埋蔵文化財課の中村淳磯主査は「これまでは出土した埴輪を分析するしかなかったが、供給源が見つかったことで、新たな発見につながる可能性がある」と話している。

 現地説明会の問い合わせは発掘調査事務所(073・453・0835)へ。

140209 奈良・纒向遺跡に4棟目建物跡 「卑弥呼の宮殿」一角か [東京]

 奈良県桜井市の纒向遺跡で「卑弥呼の宮殿」ともいわれる3棟の大型建物群(3世紀前半)の東側から、新たに建物跡が見つかり、同市教育委員会が6日、発表した。
 3棟はJR桜井線の西側にあったが、今回は初めて東側を発掘。調査した市纒向学研究センターの森暢郎研究員は「4棟は同じ時期に共存していた可能性が高く、大型建物群はより東に広がっていたのだろう」とみている。
 2009年に見つかり、3世紀前半としては国内最大の高床式建物跡(推定床面積約238平方メートル)など計3棟は、東西に向きをそろえて一列に並んでいた。今回の建物も約36メートル離れていたが、延長線上にあった。
(共同)

140129 「卑弥呼の鏡」は魔鏡 太陽光を反射、文様浮かぶ [東京]

 レプリカの「三角縁唐草文帯二神二獣鏡」(男性の手元)から投影された反射光。裏面の文様の突起部などが浮かび上がった=29日、京都国立博物館
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 「卑弥呼の鏡」と呼ばれる三角縁神獣鏡が、鏡面に太陽光を当て壁に反射させると、裏面の文様を映し出す「魔鏡」だったことが分かり、京都国立博物館の村上隆学芸部長が29日、発表した。愛知県犬山市の東之宮古墳(3世紀後半)で出土した三角縁鏡を基に、3Dプリンターを使って精巧なレプリカを作って実験した。魔鏡は中国では紀元前からあるが、日本でしか出土しない三角縁鏡で確認されるのは初めて。
 三角縁鏡は裏面に道教の神仙思想に基づく神獣像を表現。倭国の女王卑弥呼が中国・魏から与えられた「銅鏡百枚」とする説があり、各地に配布されたとみられている。
(共同)

121030 アイヌ民族と沖縄の人、遺伝的な特徴に共通点 [朝日]

 【波多野陽】北海道のアイヌ民族と沖縄の人たちは、遺伝的な特徴が似ていることが、国立遺伝学研究所などの解析でわかった。本州、九州などでは、縄文人と大陸から来た弥生人との混血がより進んだが、南北に離れた地域では縄文系の遺伝的特徴が多く残ったようだ。縄文人と弥生人の混血が日本人の起源とする説を、遺伝子レベルで裏付ける成果という。
 遺伝研と東京大などは、DNAの中の1カ所の塩基だけが変異したSNP(スニップ)の特徴が、民族や地域などで違うことに着目。日本の本州などの人243人、アイヌ民族36人、沖縄の人35人と、中国人(北京の漢民族)などとSNP約90万カ所を比較した。アイヌ民族のDNAは約30年前に保存されていたものを分析した。
 この結果、アイヌ民族の遺伝的な特徴は、沖縄に代々、住んできた人に最も近かった。遺伝的な近さは次いで、本州などの人、韓国人、中国人などの順だった。一方、本州などの人は、韓国人や中国人と近い特徴を持っていた。
 日本人は、大陸から来た弥生人が縄文人と徐々に混血して生まれたとする説が有力だ。研究チームは、距離的に離れた北海道と沖縄では、縄文系と弥生系の混血が少なかったことを示している。
 専門誌「ジャーナル・オブ・ヒューマン・ジェネティクス」11月1日付で発表する。
 遺伝研の斎藤成也教授は「住む場所が離れれば遺伝的な特徴は遠くなるのが普通だが、日本列島のユニークさを反映している」と話している。

111222 日中正常化、角栄氏の政治主導くっきり 外交文書公開 [朝日]

 1972年の日中国交正常化に至る政府内での検討や中国との交渉内容が、22日に外務省が公開した外交文書で明らかになった。外務省内の議論では台湾の扱いをめぐって結論が出ず、田中角栄首相が就任後約2カ月半で一気に正常化にこぎつけた「政治主導」の交渉過程が浮かび上がった。

 外務省の外交文書公開で、日中国交正常化の関連文書が一括して公表されるのは初めて。首脳会談の会議録など一部はすでに情報公開請求で開示されていたが、今回は公電など計6千枚が新たに公開された。

 文書によると、外務省はカナダが中国と国交を樹立した70年10月から対中政策の本格的な検討に入った。「極秘 無期限」とされた71年2月の文書によると、省内の一致した意見として「北京政府との間に外交関係を樹立することが望ましい」と結論づけていた。

 ただ、台湾と国交を断絶してまで中国との正常化を目指すかは「意見が分かれる」と記され、中国と台湾をともに正統な政府として認める「二つの中国」方式と、中国のみを認める「一つの中国」方式との間で、外務省内の意見が割れていた状況が示されている。

 72年7月に田中内閣が発足すると、日中間の動きは急速に進んだ。田中首相と大平正芳外相は自ら正常化交渉に臨むため、同9月に北京入り。初日の首脳会談で「日中国交正常化の機が熟した」と切り出した田中氏に、周恩来首相も「国交正常化は一気(いっき)呵成(かせい)にやりたい」と応じた。

 両首脳が日中共同声明に調印し、大平氏が台湾との間の日華平和条約について「終了した」と発表する前日の第4回会談では、田中氏が「我々は異常な決心を固めて訪中した。明日の大平大臣の記者会見で台湾問題は明確にする」と、周氏に決意を伝えたことも描かれている。=肩書はいずれも当時(向井宏樹)