木山一郎は透き通った衣をまとって富士の麓の草原に立った。
月の明かりだけがわずかに草原を照らす。そんな中、一郎の息吹ひとつひとつのたびに、光の粒がキラキラと散った。
広大な自然の漆黒の中、目を閉じる。自分でも驚くほど安らかな気持ちだ。
老人は杖で一郎を中心とした半径10メートルくらいの円を描いている。
「ほんとうに大丈夫なのですか?」
心配そうに尋ねている。老人はそれには答えず、黙々と何周もの間にわたって円を描く。
「一郎さん、お別れです」
「ありがとう。ここに来てよかったよ」
老婆は泣いている。死者を送り出すための定められた儀式であるかのように、ごく当たり前の様子で泣いている。
「目を開けてください。これから先、目を閉じないでください」
「なんだか分からないけど、分かったよ。あとは任せます」
「では、夜鷹自殺、決行します。よい最期を」
「お気をつけて…」
老婆は相変わらず泣きながら場違いなことを言っている。
「東京の方角へ向かって昇っていきます。地上から見れば、真っ直ぐに昇ってゆく光の球に見えるでしょう」
「今、何時?」
「今は10時。22時です。学校のお友達や先生も大勢見届けることでしょう」
「2500万円になります」
「なら、これで」
一郎は、母の形見の指輪を手渡した。
「困ります。これではもらいすぎです」
「それで足りてる?多すぎる分は、いいよ。ちっちゃいこと気にしてもしょうがないでしょう」
一郎は、しっかりと目を見開き、老人と頷き合った。