ちく★びーむ 立ち読み版
「だから! 揉んでくれないと駄目なの! む、胸を!」
声を張り上げた瞬間、情けなさと悔しさと恥ずかしさが同時にこみ上げてくる。ちょっと声が大きすぎただろうか。笠井真由実は真っ赤になりつつも目の前に立っている髙野正志を睨みつけた。大体、何度も説明しているのに聞こえない聞こえないという正志が悪いのだ。八つ当たり気味なことを考えつつ、真由実は正志の反応を待った。
「へっ?」
「呆けたふり、止めてくれる!? わたしだって好きでこんなこと言ってる訳じゃないんだからっ」
口を開けて驚いたような呆れたような表情をしている正志に真由実はそう言い放った。今に始まった事じゃないが、正志は時々、こんな風に呆けたような顔をする。そういう時は大抵、ろくな事にならないのだ。
「もう一度、言ってくんない? ぜってー有り得ないことを聞いた気がするんだ」
「嫌よ!」
顔を寄せて言った正志を避けるように横を向き、真由実は腕組みをして拒絶した。もう一度言うなんて冗談じゃない。死んでも……まあ、実際には死ねない訳だが、とにかく真由実は同じことを繰り返して言うことを拒否した。
大体、正志の目尻はすっかり下がってしまっている。十六年の付き合い、いや、乳児の頃には付き合いと呼べるかどうかは判らないが、とにかくそれだけ長い時間付き合っていれば、相手の考えていることも自然に判るようになるものだ。
どうせろくなことを考えていない。真由実はにやけている正志を横目に見て、今度はふん、と言いながら背を向けた。
「ぜえっ、た、い、嫌!」
絶対、のところに特に力をこめて真由実は言った。
「そっか。小声でぼそぼそ言ったり、いきなり怒鳴ったりするから何言ってるか良くわかんなかったんだけど、嫌なら仕方ないよな」
背後から聞こえてきた声に反応し、真由実は真っ赤な顔をして振り返った。
「さっきのは聞こえたでしょ!? にやけてるし!」
腕組みをしてうんうんと頷いていた正志の顔を指差し、真由実は怒鳴りつけた。
本当ならあんなことは言いたくなかったし、出来る事なら黙っていたかった。特に正志に言えば小躍りして喜ぶのは目に見えていたし、何より、自分がそんな身体になったことそのものが恥ずかしかった。真由実は苛々しながら正志の額を指で押さえた。
「とにかく! さっきのは聞こえたはずよ!? 無駄に繰り返させないで!」
こうして二人きりで部屋にいることも珍しいのだ。普通、真由実はこんな風に自分の部屋に正志を入れたりはしない。それはそれ、これはこれ、と私生活は分けているつもりだったからだ。
勢いに押されたのか、正志が少し弱気になって言う。
「いや、だってさ。お前、これまでずっと、俺がちょっと乳触っただけで、キレて、半殺しにしてくれたじゃん」
この前なんか、マジ、走馬燈浮かんだもんな……。
そう続けて遠い目になった正志を睨みながら、真由実は唇だけ笑いの形にしてみせた。
「当然よ。年頃の女の子の胸に触って、無事でいられると思う方が悪い!」
確か数日前だったか。正志がじゃれて胸に触った時に真由実はここぞとばかりに反撃をした。もちろん相手が正志だから体術しか使っていないが、得意技の連撃を入れた。
だがその連撃は今では使えない。いや、少なくとも正志には使えなくなった。
「ということは、わたしの言ったことは理解出来たってことよね?」
情けなさと恥ずかしさがぶり返す。だが真由実は出来るだけ平静を装ってそう訊ねた。こうなったそもそもの原因が自分にあるため、身体が変わったことを後悔するつもりはない。反省はもちろんするが、今はこの身体でどうやって戦っていくかを考えなければならないのだ。
真由実も正志も、普段は学校に通う高校生なのだが、有事の際には戦闘員として働いている。二人が所属している組織の名は『ルシフェル』。敵対している勢力は天使と呼ばれ、実際に人の形に似た身体をしており、背には大きな翼を生やしている。しかも人間離れした身体能力を備えており、通常人では戦えないのだ。
真由実は幼い頃から戦闘員になるために修行を積み、格闘術を身につけた。そして正志は生まれつき持っていた超能力を使い、二人でコンビを組んで戦っている、というわけだ。
だがしかし、先日の戦闘で真由実は自らの読みの甘さが原因で大怪我を負った。いや、怪我というには生ぬるい。攻撃を食らった瞬間、真由実の意識はなくなり、身体もめちゃくちゃに潰されたのだ。
真由実の命を救うため、そしてルシフェル内で密かに行われていた研究成果を試すため、その実験は行われた。実験は成功。真由実はこうして無事に意識を取り戻した。
ただし、身体は全部機械になってしまった。その説明を受けた時、真由実は気絶するかと思うくらいのショックを受けた。が、意識を取り戻し、命を取り留めただけでも十分だ。それに聞くところによれば、身体能力は以前と比べものにならないくらいに上がっているという。更に驚くことに、真由実の身体には様々な武器が内蔵されているというのだ。
火力を伴ったということは、これまで以上に強い敵と戦うことが可能だ。が、その一方で使い方が多少やっかいなモノがあった。それが正志に説明した方法で機能する武器なのだ。
さりげなく真由実の手を退けた正志が真剣な表情で言う。
「乳揉めっていうんだろ。本当に良いんだな? 後から触った分、百烈ビンタとか無いよな?」
「しっ、しないわよ! 仕方ないでしょ! そうしないと機能しないらしいし!」
「機能ってなんだよ? まさかとは思うけど、お前……」
そこで声を途切れさせ、正志はそれまでに見たことのないようなもの凄い真面目な顔になった。真由実は軽く事情を説明しようと思ったが、正志の表情を見て困惑した。負傷した後、正志には入院していたと報されたとは聞いた。もしかして本当は正志はとても心配してくれていたのではないだろうか。そう思うと真由実は少し気が咎めた。
黙ってて悪かったかな。どう説明しよう。
そんな風に悩んでいると、正志が言った。
「お前があんなことになったっていうのに、姉貴が妙にテンション変でおかしいと思ってたんだけど、お前、姉貴の実験台にされて改造でもされたのか?」
「その通りですがなにか」
正志の言ったことが余りにも正確だったので、真由実は無表情になってそう答えた。研究者たちを仕切っていたのは確かに正志の姉だった。正志の姉が研究していたというのも初耳だったが、研究者達を取り仕切る立場にある、というのも真由実は今回の件で初めて知った。
あの姉にしてこの弟ありよね……。
正面からじっと正志を見つめて真由実は心の中で呟いた。姉は機械化人間の研究者、正志は幼い頃から女子の身体に興味津々、真由実はうっかりお医者さんごっこに付き合わされるところだったのだ。
改造された真由実は機械化人間というのだそうだ。だが正直、真由実はその言葉に違和感があった。人と違うところと言えば身体機能とメンテナンスくらいだ。
「身体がぐちゃぐちゃになってて、こうするしかなかったんだって聞いたけど」
呟くように言って、真由実は振り返って机の上に乗った大きな冊子を取り上げた。今時、何で紙にわざわざ書いてあるのかというと、正志の姉曰く、データが外に漏れると困るから、なのだそうだ。真由実は軽々と冊子を取り上げ、テーブルにそれをどん、と乗せた。
「えーと……ここよ」
目印に付箋を付けておいたページを開く。怪訝な顔をした正志もその場にしゃがんで冊子に顔を寄せた。
「ここの、ほら。え……と」
そこに書いてある文字を読むのが恥ずかしく、真由実は言葉に詰まった。機能の名前を記されている場所を押さえた真由実の指が自然と震える。
「『ちくビーム』ってなんだよ! 姉貴のセンスって、わかんね!」
真由実が言うより早くそう言って正志が爆笑する。真由実はかっとなって、つい手を上げた。
視界にターゲットのマークが表れる。瞬時にターゲットの分析が行われ、人間であると視界の隅に表示される。
「そこは笑うとこじゃない!」
ターゲットが人間の場合、真由実の身体は自動的に調整され、腕力などが抑えられる。真由実は無意識なのだが、機械が勝手にそうするのだ。真由実が振った手は正志の頬にヒットした。……が、普通にビンタで済んだ。
「って、スマン」
叩かれた頬を押さえた正志が意外にも反省している風な顔になる。デリカシーの欠片くらいはあるのかも、と思って真由実は判ればいいのよ、と頷いた。
「で、この武器を機能させるには、その、つまりアレよ。さっき言ったような事が必要ってこと」
真由実は説明をしてから顔を上げ、ぺたんと床に座った。恥ずかしいし情けないが、戦うためには仕方ない。それに真由実は意外に感じていた。本当のことを知ったら例え相手が正志でも、かなり引くのではないかと思ったのだ。なのに今の正志を見る限りでは抵抗感はなさそうだ。そのことに真由実は内心ほっとした。
「それじゃあ、揉むぞ」
真顔で言った正志が手を伸ばし、真由実の胸に触る。正志の手の動きを見つめていた真由実は眉を寄せて言った。
「それは触る。っていうか、撫でてどうするの!」
服の上から胸をさわさわと撫でられて真由実は呆れ顔になった。前とは違い、今は機械だから触られたところで別に何ともない。正志の姉曰く、いちいち感じていたら戦闘に差し支えるから、なのだそうだ。
「それにその位置から触ったら、正志にビームが当たるけど」
斜め前に座っていた正志に警告してみる。すると正志が慌てたように手を引っ込めた。まさかビームが湾曲して後ろに飛ぶとでも思っていたのだろうか。
「バックから揉めってか? それと、お前、あんなに感度良さげだったのにどうしたんだよ!?」
この前はちょっと触れただけで、可愛い声出してたのに! 続けてそう叫んだ正志を睨み、真由実は真っ赤になった。
「ばか! なっ、なによ、その、かっ、感度、とか! そっ、そういうの、戦闘に関係ないじゃない! それにっ、そっ、そんな、声とか、だっ、出してないわよ!」
テーブルを押して立ち上がり、真由実はどもりながらそう言い返した。それにつられたのか、正志も立ち上がる。真由実は正志が何かを言う前に背を向けた。
「とっ、とにかく! さっさとしなさいよ! ばか!」
「わーったよ。こんな感じで良いか?」
背後に迫った正志が後ろから胸をつかみ、乱暴に揉みしだく。真由実は無意識に声を上げた。
「やっ、ん、痛……」
瞬く間に視界に赤い文字が点灯し、ターゲットのマークが出る。一気に緑のフィルタが掛かった視界に驚き、真由実は懸命に文字を目で追った。ターゲット未確認、ビームを発射するかどうかという質問が英文で表示されている。
「確かに生身の女のコの乳と全然感触違うな。少しは感じるみたいだし、もっと行くぞ」
真由実が戸惑っている間に正志が指に力を込め、絞るように胸をつかみ、強く揉み始める。真由実はどうしていいのか判らず焦り、正志に寄りかかって呻くように言った。
「か、感じて……んっ、なんか……あ! なっ、ない、し……」
緑色に染まった視界の真ん中にターゲットが固定される。真由実が意識しない間に発射準備が整い、yes/noの文字が表示される。
「や、やだ、こんな……いやっ! ああっ、触って、も」
大丈夫だって言ったのに!
そう真由実が続けようとした瞬間、身体の中でがちん、と何かが嵌る音がした。唸る音がした直後、真由実の服の胸の部分が千切れ飛び、真っ青な二条のビームが発射された。
部屋の壁が溶け、大きな穴が空く。真由実は驚きに息を飲み、視界にずらっと並んだ文章を慌てて読んだ。どうやらさっき出した声がyesと判定されてしまったらしい。さっきまで胸を揉みしだいていた正志の手もいつの間にか離れている。
「うはっ! すげー威力だな!」
それまで黙っていた正志が嬉しそうに言って笑う。呆然としていた真由実ははっと我に返り、服が破れて露出してしまった胸を腕で抱えるようにして隠した。
「とっ、とにかくっ、これは、最終手段だから! 周囲への影響も大きいし、エネルギーを凄く消費するから、あんまり使わないようにって言われてるし!」
仕組みもよく判らないままに、真由実はそう主張した。何も感じないと言われていたのに、嘘吐き! と、内心で正志の姉を罵倒する。
「しかし、狙いとかどうやってつけるんだ? 下手に揉んでる最中に発射されたら俺の腕消し飛ぶんじゃないか?」
なんか音がしたから慌てて手を離したから良かったものの。そう続けて正志が頭をかく。ちらりと正志を肩越しに見てから、真由実は小声で説明した。
「照準はほぼ自動で設定される仕組み。普通は天使以外には設定出来ないみたい。でも……さっき、その……」
ターゲットマークが出ていて、出してしまった声がyesと判定されていたことを真由実は白状した。正直、死ぬほど恥ずかしい。
「そもそも、ビーム発射するのに、なんで俺がお前の乳揉む必要があるんだ? 愛の力とかそーゆー奴か?」
にやにやと笑う正志を振り返り、真由実は大声で喚いた。
「ばか! あっ、愛とか、恥ずかしいこと言わないでよ! 理由はわたしも知らない! お姉さんに訊けば!?」
真由実は恥ずかしさに真っ赤になり、正志を軽く蹴飛ばした。笑いながらよろけた正志が大人しく部屋を出て行く。正志がいなくなった部屋で、真由実はもう一度、ばか、と呟いた。
声を張り上げた瞬間、情けなさと悔しさと恥ずかしさが同時にこみ上げてくる。ちょっと声が大きすぎただろうか。笠井真由実は真っ赤になりつつも目の前に立っている髙野正志を睨みつけた。大体、何度も説明しているのに聞こえない聞こえないという正志が悪いのだ。八つ当たり気味なことを考えつつ、真由実は正志の反応を待った。
「へっ?」
「呆けたふり、止めてくれる!? わたしだって好きでこんなこと言ってる訳じゃないんだからっ」
口を開けて驚いたような呆れたような表情をしている正志に真由実はそう言い放った。今に始まった事じゃないが、正志は時々、こんな風に呆けたような顔をする。そういう時は大抵、ろくな事にならないのだ。
「もう一度、言ってくんない? ぜってー有り得ないことを聞いた気がするんだ」
「嫌よ!」
顔を寄せて言った正志を避けるように横を向き、真由実は腕組みをして拒絶した。もう一度言うなんて冗談じゃない。死んでも……まあ、実際には死ねない訳だが、とにかく真由実は同じことを繰り返して言うことを拒否した。
大体、正志の目尻はすっかり下がってしまっている。十六年の付き合い、いや、乳児の頃には付き合いと呼べるかどうかは判らないが、とにかくそれだけ長い時間付き合っていれば、相手の考えていることも自然に判るようになるものだ。
どうせろくなことを考えていない。真由実はにやけている正志を横目に見て、今度はふん、と言いながら背を向けた。
「ぜえっ、た、い、嫌!」
絶対、のところに特に力をこめて真由実は言った。
「そっか。小声でぼそぼそ言ったり、いきなり怒鳴ったりするから何言ってるか良くわかんなかったんだけど、嫌なら仕方ないよな」
背後から聞こえてきた声に反応し、真由実は真っ赤な顔をして振り返った。
「さっきのは聞こえたでしょ!? にやけてるし!」
腕組みをしてうんうんと頷いていた正志の顔を指差し、真由実は怒鳴りつけた。
本当ならあんなことは言いたくなかったし、出来る事なら黙っていたかった。特に正志に言えば小躍りして喜ぶのは目に見えていたし、何より、自分がそんな身体になったことそのものが恥ずかしかった。真由実は苛々しながら正志の額を指で押さえた。
「とにかく! さっきのは聞こえたはずよ!? 無駄に繰り返させないで!」
こうして二人きりで部屋にいることも珍しいのだ。普通、真由実はこんな風に自分の部屋に正志を入れたりはしない。それはそれ、これはこれ、と私生活は分けているつもりだったからだ。
勢いに押されたのか、正志が少し弱気になって言う。
「いや、だってさ。お前、これまでずっと、俺がちょっと乳触っただけで、キレて、半殺しにしてくれたじゃん」
この前なんか、マジ、走馬燈浮かんだもんな……。
そう続けて遠い目になった正志を睨みながら、真由実は唇だけ笑いの形にしてみせた。
「当然よ。年頃の女の子の胸に触って、無事でいられると思う方が悪い!」
確か数日前だったか。正志がじゃれて胸に触った時に真由実はここぞとばかりに反撃をした。もちろん相手が正志だから体術しか使っていないが、得意技の連撃を入れた。
だがその連撃は今では使えない。いや、少なくとも正志には使えなくなった。
「ということは、わたしの言ったことは理解出来たってことよね?」
情けなさと恥ずかしさがぶり返す。だが真由実は出来るだけ平静を装ってそう訊ねた。こうなったそもそもの原因が自分にあるため、身体が変わったことを後悔するつもりはない。反省はもちろんするが、今はこの身体でどうやって戦っていくかを考えなければならないのだ。
真由実も正志も、普段は学校に通う高校生なのだが、有事の際には戦闘員として働いている。二人が所属している組織の名は『ルシフェル』。敵対している勢力は天使と呼ばれ、実際に人の形に似た身体をしており、背には大きな翼を生やしている。しかも人間離れした身体能力を備えており、通常人では戦えないのだ。
真由実は幼い頃から戦闘員になるために修行を積み、格闘術を身につけた。そして正志は生まれつき持っていた超能力を使い、二人でコンビを組んで戦っている、というわけだ。
だがしかし、先日の戦闘で真由実は自らの読みの甘さが原因で大怪我を負った。いや、怪我というには生ぬるい。攻撃を食らった瞬間、真由実の意識はなくなり、身体もめちゃくちゃに潰されたのだ。
真由実の命を救うため、そしてルシフェル内で密かに行われていた研究成果を試すため、その実験は行われた。実験は成功。真由実はこうして無事に意識を取り戻した。
ただし、身体は全部機械になってしまった。その説明を受けた時、真由実は気絶するかと思うくらいのショックを受けた。が、意識を取り戻し、命を取り留めただけでも十分だ。それに聞くところによれば、身体能力は以前と比べものにならないくらいに上がっているという。更に驚くことに、真由実の身体には様々な武器が内蔵されているというのだ。
火力を伴ったということは、これまで以上に強い敵と戦うことが可能だ。が、その一方で使い方が多少やっかいなモノがあった。それが正志に説明した方法で機能する武器なのだ。
さりげなく真由実の手を退けた正志が真剣な表情で言う。
「乳揉めっていうんだろ。本当に良いんだな? 後から触った分、百烈ビンタとか無いよな?」
「しっ、しないわよ! 仕方ないでしょ! そうしないと機能しないらしいし!」
「機能ってなんだよ? まさかとは思うけど、お前……」
そこで声を途切れさせ、正志はそれまでに見たことのないようなもの凄い真面目な顔になった。真由実は軽く事情を説明しようと思ったが、正志の表情を見て困惑した。負傷した後、正志には入院していたと報されたとは聞いた。もしかして本当は正志はとても心配してくれていたのではないだろうか。そう思うと真由実は少し気が咎めた。
黙ってて悪かったかな。どう説明しよう。
そんな風に悩んでいると、正志が言った。
「お前があんなことになったっていうのに、姉貴が妙にテンション変でおかしいと思ってたんだけど、お前、姉貴の実験台にされて改造でもされたのか?」
「その通りですがなにか」
正志の言ったことが余りにも正確だったので、真由実は無表情になってそう答えた。研究者たちを仕切っていたのは確かに正志の姉だった。正志の姉が研究していたというのも初耳だったが、研究者達を取り仕切る立場にある、というのも真由実は今回の件で初めて知った。
あの姉にしてこの弟ありよね……。
正面からじっと正志を見つめて真由実は心の中で呟いた。姉は機械化人間の研究者、正志は幼い頃から女子の身体に興味津々、真由実はうっかりお医者さんごっこに付き合わされるところだったのだ。
改造された真由実は機械化人間というのだそうだ。だが正直、真由実はその言葉に違和感があった。人と違うところと言えば身体機能とメンテナンスくらいだ。
「身体がぐちゃぐちゃになってて、こうするしかなかったんだって聞いたけど」
呟くように言って、真由実は振り返って机の上に乗った大きな冊子を取り上げた。今時、何で紙にわざわざ書いてあるのかというと、正志の姉曰く、データが外に漏れると困るから、なのだそうだ。真由実は軽々と冊子を取り上げ、テーブルにそれをどん、と乗せた。
「えーと……ここよ」
目印に付箋を付けておいたページを開く。怪訝な顔をした正志もその場にしゃがんで冊子に顔を寄せた。
「ここの、ほら。え……と」
そこに書いてある文字を読むのが恥ずかしく、真由実は言葉に詰まった。機能の名前を記されている場所を押さえた真由実の指が自然と震える。
「『ちくビーム』ってなんだよ! 姉貴のセンスって、わかんね!」
真由実が言うより早くそう言って正志が爆笑する。真由実はかっとなって、つい手を上げた。
視界にターゲットのマークが表れる。瞬時にターゲットの分析が行われ、人間であると視界の隅に表示される。
「そこは笑うとこじゃない!」
ターゲットが人間の場合、真由実の身体は自動的に調整され、腕力などが抑えられる。真由実は無意識なのだが、機械が勝手にそうするのだ。真由実が振った手は正志の頬にヒットした。……が、普通にビンタで済んだ。
「って、スマン」
叩かれた頬を押さえた正志が意外にも反省している風な顔になる。デリカシーの欠片くらいはあるのかも、と思って真由実は判ればいいのよ、と頷いた。
「で、この武器を機能させるには、その、つまりアレよ。さっき言ったような事が必要ってこと」
真由実は説明をしてから顔を上げ、ぺたんと床に座った。恥ずかしいし情けないが、戦うためには仕方ない。それに真由実は意外に感じていた。本当のことを知ったら例え相手が正志でも、かなり引くのではないかと思ったのだ。なのに今の正志を見る限りでは抵抗感はなさそうだ。そのことに真由実は内心ほっとした。
「それじゃあ、揉むぞ」
真顔で言った正志が手を伸ばし、真由実の胸に触る。正志の手の動きを見つめていた真由実は眉を寄せて言った。
「それは触る。っていうか、撫でてどうするの!」
服の上から胸をさわさわと撫でられて真由実は呆れ顔になった。前とは違い、今は機械だから触られたところで別に何ともない。正志の姉曰く、いちいち感じていたら戦闘に差し支えるから、なのだそうだ。
「それにその位置から触ったら、正志にビームが当たるけど」
斜め前に座っていた正志に警告してみる。すると正志が慌てたように手を引っ込めた。まさかビームが湾曲して後ろに飛ぶとでも思っていたのだろうか。
「バックから揉めってか? それと、お前、あんなに感度良さげだったのにどうしたんだよ!?」
この前はちょっと触れただけで、可愛い声出してたのに! 続けてそう叫んだ正志を睨み、真由実は真っ赤になった。
「ばか! なっ、なによ、その、かっ、感度、とか! そっ、そういうの、戦闘に関係ないじゃない! それにっ、そっ、そんな、声とか、だっ、出してないわよ!」
テーブルを押して立ち上がり、真由実はどもりながらそう言い返した。それにつられたのか、正志も立ち上がる。真由実は正志が何かを言う前に背を向けた。
「とっ、とにかく! さっさとしなさいよ! ばか!」
「わーったよ。こんな感じで良いか?」
背後に迫った正志が後ろから胸をつかみ、乱暴に揉みしだく。真由実は無意識に声を上げた。
「やっ、ん、痛……」
瞬く間に視界に赤い文字が点灯し、ターゲットのマークが出る。一気に緑のフィルタが掛かった視界に驚き、真由実は懸命に文字を目で追った。ターゲット未確認、ビームを発射するかどうかという質問が英文で表示されている。
「確かに生身の女のコの乳と全然感触違うな。少しは感じるみたいだし、もっと行くぞ」
真由実が戸惑っている間に正志が指に力を込め、絞るように胸をつかみ、強く揉み始める。真由実はどうしていいのか判らず焦り、正志に寄りかかって呻くように言った。
「か、感じて……んっ、なんか……あ! なっ、ない、し……」
緑色に染まった視界の真ん中にターゲットが固定される。真由実が意識しない間に発射準備が整い、yes/noの文字が表示される。
「や、やだ、こんな……いやっ! ああっ、触って、も」
大丈夫だって言ったのに!
そう真由実が続けようとした瞬間、身体の中でがちん、と何かが嵌る音がした。唸る音がした直後、真由実の服の胸の部分が千切れ飛び、真っ青な二条のビームが発射された。
部屋の壁が溶け、大きな穴が空く。真由実は驚きに息を飲み、視界にずらっと並んだ文章を慌てて読んだ。どうやらさっき出した声がyesと判定されてしまったらしい。さっきまで胸を揉みしだいていた正志の手もいつの間にか離れている。
「うはっ! すげー威力だな!」
それまで黙っていた正志が嬉しそうに言って笑う。呆然としていた真由実ははっと我に返り、服が破れて露出してしまった胸を腕で抱えるようにして隠した。
「とっ、とにかくっ、これは、最終手段だから! 周囲への影響も大きいし、エネルギーを凄く消費するから、あんまり使わないようにって言われてるし!」
仕組みもよく判らないままに、真由実はそう主張した。何も感じないと言われていたのに、嘘吐き! と、内心で正志の姉を罵倒する。
「しかし、狙いとかどうやってつけるんだ? 下手に揉んでる最中に発射されたら俺の腕消し飛ぶんじゃないか?」
なんか音がしたから慌てて手を離したから良かったものの。そう続けて正志が頭をかく。ちらりと正志を肩越しに見てから、真由実は小声で説明した。
「照準はほぼ自動で設定される仕組み。普通は天使以外には設定出来ないみたい。でも……さっき、その……」
ターゲットマークが出ていて、出してしまった声がyesと判定されていたことを真由実は白状した。正直、死ぬほど恥ずかしい。
「そもそも、ビーム発射するのに、なんで俺がお前の乳揉む必要があるんだ? 愛の力とかそーゆー奴か?」
にやにやと笑う正志を振り返り、真由実は大声で喚いた。
「ばか! あっ、愛とか、恥ずかしいこと言わないでよ! 理由はわたしも知らない! お姉さんに訊けば!?」
真由実は恥ずかしさに真っ赤になり、正志を軽く蹴飛ばした。笑いながらよろけた正志が大人しく部屋を出て行く。正志がいなくなった部屋で、真由実はもう一度、ばか、と呟いた。
ビームで穴が空いた壁の修復が始まった。青いシートの張られた壁を振り返り、真由実はため息を吐いた。ルシフェルに所属しているメンバーは必ず保険に加入することになっている。特殊保険のため、世界中で適用される他、真由実のケースのように戦闘レベルを測る目的の行為により破損したものに対しても適用される。そのことを思い出して真由実はうんざりした。
別に戦闘レベルを測った訳じゃないんだけど。
今朝も父母に文句を言ったのだが、それが一番いい理由だからと押し切られてしまった。本当のことを言えば良かったのかも知れないが、まさか説明中に胸を揉まれてうっかり声を出してしまったとは言えない。
これじゃ、お嫁に行けなくなっちゃうかも。
しゅんとしつつ歩いていた真由実の視界にポインターが出る。真由実は自然とそっちを向いた。隣に住んでいる正志が、いつものように姉にドアから蹴り出されたところだ。ため息を吐いて正志の家の門を開けると正志が道路に転がり出てくる。
「くっそー、姉貴の奴! 自分の所業を棚に上げやがって!」
正志が頭を押さえて喚く。大きな音を立てて閉まったドアを見ていた真由実は門を閉めて正志に近付いた。いつもなら門でぶつかって止まるのに今日は飛距離が伸びている。いつもより三メートルは余計に飛んだ。正志はそのことを判っていないらしい。ちょっとしたいたずらに成功し、良い気分になって真由実は正志に駆け寄った。
「おはよ。いつも元気よねー」
朝っぱらから姉弟喧嘩が出来る正志に感心をこめて頷いてみせる。そこでようやく正志は真由実に気付いたらしい。
「おう。真由実か。姉貴に話は聞いたぜ」
壁に寄りかかって拗ねていた正志が軽い動作で身体を起こし、いつものように真由実のスカートをめくろうとする。だが真由実は正志のその動きを目で捉え、手を押さえた。
出来た!
いつもなら正志の素早さにスカートをめくられ放題になっていた真由実は目を輝かせて正志の手を払った。
「何を聞いたの?」
朝から調子がいい。やっぱり機械の身体だと反射速度も違うようだ。いや、それ以前に物を目で捉える速度が格段に上がっている。以前の真由実は勘は良いし、反射神経も良かったが、今のこの速度にはかなわないだろう。
機嫌を良くした真由実とは反対に、正志はむっとしている。
「なんで避けるんだよ! 幼稚園のころから十二年。お前のパンツの色を確認するのは朝の日課だろ!」
「日課じゃない! 正志が勝手にめくるだけでしょ!」
喚きつつ、さらに学校に向かって歩きながらの二撃目の正志の手を真由実は片手で止めた。だがそっちは囮だったらしい。正志が左の膝を使ってスカートをめくろうとする。その動きを真由実ははっきりと見て取れた。
正志の手を払ったその手で、膝をぱしっ、と受け止める。にっこり笑ってみせると正志が喉の奥で呻いた。
それまで悔しそうな顔をしていた正志が、急に嫌な笑いを浮かべる。
「真由実。命令だ。止まれ」
は? そう言い返そうとした真由実はだが、意志に反してぴたりと動きを止めた。正志の膝が手の下をすり抜ける。なのに真由実はその場に釘付けになってしまった。視界や表情くらいは多少は変えられるが、動けない。
「ちょっと! なによ、これ!」
焦った真由実は慌てた声を上げた。今の正志は余裕の笑みを浮かべている。
「戦闘の時、いつもお前は俺の言うこと無視して突っ込んでくだろ?」
「あっ、当たり前じゃない! 正志はサポーターで、わたしがアタッカーなんだから!」
確かにこの間も正志の制止の声を無視し、がむしゃらに敵に突っ込んだせいで怪我をしてしまった。だが攻撃のタイミングが遅れてしまったら、相手が先制することが多い。そうなると特殊フィールドを張られることがあるのだ。
天使が張る特殊フィールド内では、超能力を持っていても不利になることが多い。逆にこちらが先攻して有利なフィールドを展開出来ればいいのだが、真由実と正志のペアにはガード役がいない。要するに有利なフィールドを展開してくれる者がいないのだ。
だから二人には強い敵は回されない。相性の合うガードが見つからないからだ。だが真由実達だけではなく、ガードの付かないペアは多い。
「だから、その認識が間違ってるんだよ! 攻撃寄りだけど、お前はあくまで壁役! 俺様がアタッカーなんだってば!」
威張っているつもりなのか、腕組みをして真由実の前に立った正志がきっぱりと言い切る。
「は!? これまでわたしがアタッカーで、正志がサポーターだったじゃない!」
年に一度、ペアの能力の確認が行われるのだが、その時にも真由実の言った通りの判断が下された。おまけに攻撃力も上がり、さらに反射速度まで速くなっているのだ。これで攻撃しない手はない。
「フロントがお前で、バックが俺っていうのは決まってたが、二人チームなんだから、どっちがアタッカーでどっちがサポーターかあるいはガードかとか、明確に決まって無かっただろ!」
頭を抱えた正志がそんなことを言う。真由実は怪訝な顔をして正志をまじまじと見た。
「だってわたしに体術で勝ったことないじゃない」
それに正志にはあの卑怯技があるじゃない。そう付け足すと正志が目を吊り上げる。それを見て真由実は慌てて言い直した。
「訂正。短距離テレポートとか、レビテーションとかあるじゃない。それでサポートしてくれてたでしょ?」
そこまで言ってから真由実は顔をしかめた。
「で。どうでもいいけど、わたし、何で固まってるわけ? 正志のところについてるポインターが赤くなってるんだけど」
ここが住宅街とはいっても朝だ。人の通行はたまにある。やり取りしている二人を不思議そうに見て過ぎた若い女性も、群れになって過ぎていった小学生たちにも、真由実の視界にいる間はポインターはついていた。だがそのポインターの色は白だ。さっきまで正志についていたポインターも白かった。
「だから、姉貴とか、上のヤツらが出した結論が今の状況なわけ!」
「ちょっと……待ってよ。わたしにサポートに回れってこと!? もしかして、正志の掛け声でわたし、止まったままなの!?」
正志の言いたいことは何となく判るような気がする。要するに前回の一件で、ルシフェルの管理官たちが真由実の行動を問題視したのだ。正志を制止を振り切って攻撃に走って負傷したからだろう。
だが制止を振り切ったのはあれが初めてじゃない。これまで何度もあった。そのことを思い返して真由実ははっと気付いた。これまでそれが当たり前だと思っていたが、もしかしてこれまで大した怪我をせずに済んだのは、正志のサポートと運があったからなのではないだろうか。
ちょっと待ってよ、と呻くように呟いて真由実は瞬きをした。するとまるで写真をめくるようにこれまで戦ってきた様々な敵が視界に表示される。だが機械になる前に見たのとは違う。敵の姿と共に色んな場所に矢印が表れ、戦闘能力値が未確認と表示されているのだ。
「サポートに回れっていうのとも違う。これからも、お前の方がアタッカー的な役割を占める割合は多いだろうから安心しろ」
さっきまで偉そうにふんぞり返っていた正志が真剣な表情になっている。真由実は頷こうとして眉を寄せた。
「ちゃんとした話し合いが必要みたいね。……でも、動けないんだけど」
さっきの体勢で固まったまま、真由実は困ったようにため息を吐いた。それまで真面目な顔をしていた正志が思い出したように手を叩く。
「あ、そうだ! パンツの色の確認がまだだったな。真由実。スカートのすそ掴んでガバっとまくり上げてくれる?」
「なっ、何でそんな……えっ、ちょっ、ちょっと待って!」
焦った声を上げつつも真由実は正志の言った通りにスカートの裾をつかみ、自分からスカートをめくり上げた。
「きゃあああああ!」
真由実は訳が判らないまま悲鳴を上げた。何で正志の前で自分からスカートをめくっているのか判らない。こんな真似、これまでかつてしたこともないし、これからだって嫌だ。なのに実際の真由実は悲鳴を上げつつも制服のプリーツスカートをめくっていた。
「おおおお! これは! すげええっ! 生きてて良かったぁっ!」
目をぎらぎらさせた正志が真正面にしゃがみ込み、至近距離でスカートの中を覗く。真由実は必死で手を下ろそうとしたが、どうやっても下ろせない。
「やだ! 変態! 見ないでよ! ばか! 信じらんない! ちょっとっ、ばかっ、なに考えて」
正志がにやにやしながら手を伸ばす。真由実は必死で身を捩ろうとしたが、どうやっても動けない。あと少しで正志の手がショーツに届く。悲鳴を上げようとした真由実は次の瞬間、口を開けたまま目を見張った。
何故かは判らないが、しゃがみ込んでいた正志が声もなくその場に崩れ落ちる。それと同時に真由実の身体は自由になった。
「こ、の、変態!」
地面に転がって何故かぴくぴくしている正志を靴で何度も踏みつける。もちろん人間用に力は自動的に落ちているから問題ない。真由実は心ゆくまで正志の背中をにじった。
「くのっ、くのっ、くのっ! よくもわたしの、見たわね! このっ、反省しなさい!」
何度か踏みつけてから真由実は深呼吸して正志から足を下ろした。まだ手足の先を震わせながら正志がのろのろと起き上がる。
「くそー、姉貴のヤツ……。これじゃあ生殺しじゃ、ねーか……」
ぶつぶつと呟いた正志ががっくりと地面に沈む。真由実はきっちりとスカートを足の間に挟み込み、正志の傍にしゃがんだ。
「ちょっと。さっきの変態行為は今ので許してあげるから立ってよ。早くしないと遅刻よ?」
視界の隅にはいつの間にかデジタルの時計が表示されている。便利ではあるが、いつも時間を気にしていなければならないような感じがする。真由実は近くに落ちていた棒きれで正志の頭をつついた。
「ほら、早く。ただでさえ学校にはあんまり行けないんだから」
「スタンガン食らったみたいなもんだから、身体が動かねえ。だっこを要求する」
「何でわたしが!?」
仰向けにごろんと寝返りを打った正志が腕を伸ばす。真由実は正志を殴ろうと思って腕を振り上げ……ようとした。が、実際には腕を伸ばして言われた通りに正志を抱え上げてしまう。
「……ちょっと。まさか、この格好で学校に行けと?」
腕の中にちゃっかりと納まった正志を下目で睨み、真由実は出来る限り低い声で言った。機械になったためか、正志のことを抱えても負担には感じない。だが何故、こんな真似を身体が勝手にしてしまうのかが判らない。何となく正志の命令には逆らえないようになっているということは判るのだが、その事実から真由実は目を逸らしていた。
「そうしないと、遅刻しちまうだろうが」
嬉しそうににやけた正志が言う。真由実は奥歯を噛みしめて黙って歩き出した。本当は今すぐにでも正志を放り出してしまいたい。なのに腕は動かないし、このままだと本当に遅刻してしまう。
「後で覚えておきなさい」
歯を噛み合わせたまま、真由実は恨みをこめて正志に言った。言葉にこめた感情を察知したのか、それまでへらへらしていた正志が慌てたように愛想笑いした。
別に戦闘レベルを測った訳じゃないんだけど。
今朝も父母に文句を言ったのだが、それが一番いい理由だからと押し切られてしまった。本当のことを言えば良かったのかも知れないが、まさか説明中に胸を揉まれてうっかり声を出してしまったとは言えない。
これじゃ、お嫁に行けなくなっちゃうかも。
しゅんとしつつ歩いていた真由実の視界にポインターが出る。真由実は自然とそっちを向いた。隣に住んでいる正志が、いつものように姉にドアから蹴り出されたところだ。ため息を吐いて正志の家の門を開けると正志が道路に転がり出てくる。
「くっそー、姉貴の奴! 自分の所業を棚に上げやがって!」
正志が頭を押さえて喚く。大きな音を立てて閉まったドアを見ていた真由実は門を閉めて正志に近付いた。いつもなら門でぶつかって止まるのに今日は飛距離が伸びている。いつもより三メートルは余計に飛んだ。正志はそのことを判っていないらしい。ちょっとしたいたずらに成功し、良い気分になって真由実は正志に駆け寄った。
「おはよ。いつも元気よねー」
朝っぱらから姉弟喧嘩が出来る正志に感心をこめて頷いてみせる。そこでようやく正志は真由実に気付いたらしい。
「おう。真由実か。姉貴に話は聞いたぜ」
壁に寄りかかって拗ねていた正志が軽い動作で身体を起こし、いつものように真由実のスカートをめくろうとする。だが真由実は正志のその動きを目で捉え、手を押さえた。
出来た!
いつもなら正志の素早さにスカートをめくられ放題になっていた真由実は目を輝かせて正志の手を払った。
「何を聞いたの?」
朝から調子がいい。やっぱり機械の身体だと反射速度も違うようだ。いや、それ以前に物を目で捉える速度が格段に上がっている。以前の真由実は勘は良いし、反射神経も良かったが、今のこの速度にはかなわないだろう。
機嫌を良くした真由実とは反対に、正志はむっとしている。
「なんで避けるんだよ! 幼稚園のころから十二年。お前のパンツの色を確認するのは朝の日課だろ!」
「日課じゃない! 正志が勝手にめくるだけでしょ!」
喚きつつ、さらに学校に向かって歩きながらの二撃目の正志の手を真由実は片手で止めた。だがそっちは囮だったらしい。正志が左の膝を使ってスカートをめくろうとする。その動きを真由実ははっきりと見て取れた。
正志の手を払ったその手で、膝をぱしっ、と受け止める。にっこり笑ってみせると正志が喉の奥で呻いた。
それまで悔しそうな顔をしていた正志が、急に嫌な笑いを浮かべる。
「真由実。命令だ。止まれ」
は? そう言い返そうとした真由実はだが、意志に反してぴたりと動きを止めた。正志の膝が手の下をすり抜ける。なのに真由実はその場に釘付けになってしまった。視界や表情くらいは多少は変えられるが、動けない。
「ちょっと! なによ、これ!」
焦った真由実は慌てた声を上げた。今の正志は余裕の笑みを浮かべている。
「戦闘の時、いつもお前は俺の言うこと無視して突っ込んでくだろ?」
「あっ、当たり前じゃない! 正志はサポーターで、わたしがアタッカーなんだから!」
確かにこの間も正志の制止の声を無視し、がむしゃらに敵に突っ込んだせいで怪我をしてしまった。だが攻撃のタイミングが遅れてしまったら、相手が先制することが多い。そうなると特殊フィールドを張られることがあるのだ。
天使が張る特殊フィールド内では、超能力を持っていても不利になることが多い。逆にこちらが先攻して有利なフィールドを展開出来ればいいのだが、真由実と正志のペアにはガード役がいない。要するに有利なフィールドを展開してくれる者がいないのだ。
だから二人には強い敵は回されない。相性の合うガードが見つからないからだ。だが真由実達だけではなく、ガードの付かないペアは多い。
「だから、その認識が間違ってるんだよ! 攻撃寄りだけど、お前はあくまで壁役! 俺様がアタッカーなんだってば!」
威張っているつもりなのか、腕組みをして真由実の前に立った正志がきっぱりと言い切る。
「は!? これまでわたしがアタッカーで、正志がサポーターだったじゃない!」
年に一度、ペアの能力の確認が行われるのだが、その時にも真由実の言った通りの判断が下された。おまけに攻撃力も上がり、さらに反射速度まで速くなっているのだ。これで攻撃しない手はない。
「フロントがお前で、バックが俺っていうのは決まってたが、二人チームなんだから、どっちがアタッカーでどっちがサポーターかあるいはガードかとか、明確に決まって無かっただろ!」
頭を抱えた正志がそんなことを言う。真由実は怪訝な顔をして正志をまじまじと見た。
「だってわたしに体術で勝ったことないじゃない」
それに正志にはあの卑怯技があるじゃない。そう付け足すと正志が目を吊り上げる。それを見て真由実は慌てて言い直した。
「訂正。短距離テレポートとか、レビテーションとかあるじゃない。それでサポートしてくれてたでしょ?」
そこまで言ってから真由実は顔をしかめた。
「で。どうでもいいけど、わたし、何で固まってるわけ? 正志のところについてるポインターが赤くなってるんだけど」
ここが住宅街とはいっても朝だ。人の通行はたまにある。やり取りしている二人を不思議そうに見て過ぎた若い女性も、群れになって過ぎていった小学生たちにも、真由実の視界にいる間はポインターはついていた。だがそのポインターの色は白だ。さっきまで正志についていたポインターも白かった。
「だから、姉貴とか、上のヤツらが出した結論が今の状況なわけ!」
「ちょっと……待ってよ。わたしにサポートに回れってこと!? もしかして、正志の掛け声でわたし、止まったままなの!?」
正志の言いたいことは何となく判るような気がする。要するに前回の一件で、ルシフェルの管理官たちが真由実の行動を問題視したのだ。正志を制止を振り切って攻撃に走って負傷したからだろう。
だが制止を振り切ったのはあれが初めてじゃない。これまで何度もあった。そのことを思い返して真由実ははっと気付いた。これまでそれが当たり前だと思っていたが、もしかしてこれまで大した怪我をせずに済んだのは、正志のサポートと運があったからなのではないだろうか。
ちょっと待ってよ、と呻くように呟いて真由実は瞬きをした。するとまるで写真をめくるようにこれまで戦ってきた様々な敵が視界に表示される。だが機械になる前に見たのとは違う。敵の姿と共に色んな場所に矢印が表れ、戦闘能力値が未確認と表示されているのだ。
「サポートに回れっていうのとも違う。これからも、お前の方がアタッカー的な役割を占める割合は多いだろうから安心しろ」
さっきまで偉そうにふんぞり返っていた正志が真剣な表情になっている。真由実は頷こうとして眉を寄せた。
「ちゃんとした話し合いが必要みたいね。……でも、動けないんだけど」
さっきの体勢で固まったまま、真由実は困ったようにため息を吐いた。それまで真面目な顔をしていた正志が思い出したように手を叩く。
「あ、そうだ! パンツの色の確認がまだだったな。真由実。スカートのすそ掴んでガバっとまくり上げてくれる?」
「なっ、何でそんな……えっ、ちょっ、ちょっと待って!」
焦った声を上げつつも真由実は正志の言った通りにスカートの裾をつかみ、自分からスカートをめくり上げた。
「きゃあああああ!」
真由実は訳が判らないまま悲鳴を上げた。何で正志の前で自分からスカートをめくっているのか判らない。こんな真似、これまでかつてしたこともないし、これからだって嫌だ。なのに実際の真由実は悲鳴を上げつつも制服のプリーツスカートをめくっていた。
「おおおお! これは! すげええっ! 生きてて良かったぁっ!」
目をぎらぎらさせた正志が真正面にしゃがみ込み、至近距離でスカートの中を覗く。真由実は必死で手を下ろそうとしたが、どうやっても下ろせない。
「やだ! 変態! 見ないでよ! ばか! 信じらんない! ちょっとっ、ばかっ、なに考えて」
正志がにやにやしながら手を伸ばす。真由実は必死で身を捩ろうとしたが、どうやっても動けない。あと少しで正志の手がショーツに届く。悲鳴を上げようとした真由実は次の瞬間、口を開けたまま目を見張った。
何故かは判らないが、しゃがみ込んでいた正志が声もなくその場に崩れ落ちる。それと同時に真由実の身体は自由になった。
「こ、の、変態!」
地面に転がって何故かぴくぴくしている正志を靴で何度も踏みつける。もちろん人間用に力は自動的に落ちているから問題ない。真由実は心ゆくまで正志の背中をにじった。
「くのっ、くのっ、くのっ! よくもわたしの、見たわね! このっ、反省しなさい!」
何度か踏みつけてから真由実は深呼吸して正志から足を下ろした。まだ手足の先を震わせながら正志がのろのろと起き上がる。
「くそー、姉貴のヤツ……。これじゃあ生殺しじゃ、ねーか……」
ぶつぶつと呟いた正志ががっくりと地面に沈む。真由実はきっちりとスカートを足の間に挟み込み、正志の傍にしゃがんだ。
「ちょっと。さっきの変態行為は今ので許してあげるから立ってよ。早くしないと遅刻よ?」
視界の隅にはいつの間にかデジタルの時計が表示されている。便利ではあるが、いつも時間を気にしていなければならないような感じがする。真由実は近くに落ちていた棒きれで正志の頭をつついた。
「ほら、早く。ただでさえ学校にはあんまり行けないんだから」
「スタンガン食らったみたいなもんだから、身体が動かねえ。だっこを要求する」
「何でわたしが!?」
仰向けにごろんと寝返りを打った正志が腕を伸ばす。真由実は正志を殴ろうと思って腕を振り上げ……ようとした。が、実際には腕を伸ばして言われた通りに正志を抱え上げてしまう。
「……ちょっと。まさか、この格好で学校に行けと?」
腕の中にちゃっかりと納まった正志を下目で睨み、真由実は出来る限り低い声で言った。機械になったためか、正志のことを抱えても負担には感じない。だが何故、こんな真似を身体が勝手にしてしまうのかが判らない。何となく正志の命令には逆らえないようになっているということは判るのだが、その事実から真由実は目を逸らしていた。
「そうしないと、遅刻しちまうだろうが」
嬉しそうににやけた正志が言う。真由実は奥歯を噛みしめて黙って歩き出した。本当は今すぐにでも正志を放り出してしまいたい。なのに腕は動かないし、このままだと本当に遅刻してしまう。
「後で覚えておきなさい」
歯を噛み合わせたまま、真由実は恨みをこめて正志に言った。言葉にこめた感情を察知したのか、それまでへらへらしていた正志が慌てたように愛想笑いした。