しょっぱなからクソ長いラブコメ書いて疲れたので、いつも通りのギャグです。
カニバル描写っぽいのがあるので苦手な方はブラウザバックプリーズ。


 風が窓を叩く音がした。視界は常より彩度を欠いている。身体は浮ついていて、目眩がした。すぐに己の置かれた状況を正しく理解する。
 部屋の中は薄暗い。石造りの岩壁にぽっかりと空いた灯り取りの窓からは、暖色に滲む光が射し込んでいる。陽射しの中で、埃がきらきらと輝いて見えた。近付いて、窓から外の景色をアルヴィンは眺める。魂を清め送る川の流れを見留め、風に舞う色とりどりの祈念布に目を細めた。それはよく見知った、母親の伏せる部屋の窓から眺めた光景だった。
 振り返る。決して広くない部屋の中に、生活のにおいが溢れていた。食事を取る為の小さなテーブル、慣れない異世界の文字を学ぶ為に読んだ本の納められた棚や、僅かだが手元に残っていた故郷の思い出を閉まった箱――そして横たわる者の居ない寝台がそこには在った。
 窓辺を離れて、寝台に近付く。傍らに屈み込むと、綺麗に整えられたシーツをそっと撫でた。そのまま、寝台に顔を埋める。いつも、眠る彼女の傍らでそうしていた。彼女が眠っているときだけ、アルフレドでいることを許された。もしかすると、子供の時分に抱いていた淡い期待をずるずると引きずり続けていたのかも知れない。あの優しい母の手が髪を撫で梳いて、アルヴィンが顔上げたそこで微笑んでいるような、そんな都合の良い幻想が確かにあった。そうすればアルフレドは「こわい夢をみた」と言って母の膝に縋って泣けばいい。それだけで、汚い嘘も汚辱も欺瞞もアルヴィンと言う名の裏切り者も綺麗さっぱり消えてなくなる。そんな美しく完結した夢物語を、ずっと夢見ていた。
 背後の人の気配に、アルヴィンは身じろいだ。知っている気配だったので警戒からではなくただ単純に応じる為だけに顔を上げようとする。その前に、普段は手袋に覆われている意外と大きな子供の手が、くしゃりとかき混ぜるように髪を撫でた。「寝てるの、アルヴィン?」と柔らかい声が降ってくる。それから間を置いて「泣いてるの?」と訊かれた。誰が泣くか馬鹿、と口をもそもそ動かしながら顔を上げる。見上げれば、窓から射し込む逆光に輪郭を滲ませてジュード・マティスが傍らに立っていた。
「そう。なら良かった」
 瀝青炭の色をした髪が僅かに落ち掛かった頬を紅潮させて、ジュードは安堵の息を零した。そうして子供は僅かに腰を折って屈むと、アルヴィンの腕を引く。
「ほら、立ってアルヴィン。パイを焼いたんだ」
 促されるままに立ち上がると、そこには確かに焼きたてのパイがあった。部屋の丁度真ん中に置かれたテーブルの上に置かれたそのパイを、アルヴィンはただ凝視した。
「約束したからね。さあ、食べてよアルヴィン」
 椅子を引いて、ジュードは言った。言われるままに、アルヴィンは引かれた椅子に腰掛けた。改めてテーブルの上を見る。綺麗な狐色をした、大きなまんまるいパイが乗っている。取り分け皿もない。ただパイだけだ。
「全部アルヴィンのだよ。好きなだけ食べていいからね」
 フォークを手渡して、ジュードが囁く。いつの間にか、空いたもう一方の手にはスプーンを握っていた。
 可笑しい。何か可笑しい。縋るような心地でジュードを見上げたけれど、彼は綺麗な榛を細めて慈愛に満ちた微笑みを浮かべるだけだ。
 諦めて、アルヴィンはパイにフォークとスプーンを差し入れた。案の定、期待した手応えはなかった。フォークの先端が軽い音をたてて焼けた小麦粉とバターの層を突き破り、隙間から半液状の濃い褐色が覗く。グレービーソースだ。桃のコンポートもカスタードクリームも見当たらない。だが、落胆して肩を落とすこともなくアルヴィンはそのまま隙間にスプーンを差し入れた。パイ生地を崩し入れながら引っ掻き回す。一口大の具がてらてらと光って見えた。見た目だけでは何の肉かは判らない。
 「母さん」がこの手の悪戯をアルフレドに仕掛ける時は牛か兎の肉が多かった。一度羊肉でパイを焼いた時は、肉の臭みも相俟ってアルフレドは大泣きし一週間――リーゼ・マクシアで言うところの一旬の間、形状そのものがトラウマになって暫らくパイが食べられなくなったからだ。
 掬い上げた肉を凝視し思い出に耽ったままでいるアルヴィンの真正面に、ジュードも腰を下ろす。子供らしさの残る丸い輪郭を両手のひらで覆うように頬杖を突いて、アルヴィンを見て微笑んだ。催促はされない。ただ見つめられている。交互に手元の肉と、目の前の子供とを見やってから、アルヴィンは口の中に肉を押し込めた。咀嚼する。味はしない。頭の中の何処か冷めた部分が「当たり前だ」と囁いた。甘い、と思えば甘くなるだろうかと脳裏に過ぎったが、馬鹿馬鹿しくなって途中で考えるのを止めた。どうせなら約束通り本当にピーチパイだったら良かったのに、と思いながら何時まで経っても褐色のままのパイの中身を掻き込んだ。
 噛み砕き、飲み下しても、渇いた血の色にも似たパイは一向に減る気配を見せない。けれどアルヴィンの腹も膨れないから、気にせず食べ続けた。固い肉、少し筋張った肉、柔らかい部分は腎臓かも知れない。きのこは多分マシュルームだ。ステーキ・アンド・キドニーパイみたいだな、と思った。無性にビールが飲みたくなった。
「美味しい?」
 ジュードに問われた。顔を上げず、咀嚼を続けながら肯定すると「良かった」と柔らかい声が返された。その瞬間、何の刺激もなかった口内に鉄錆の味が広がった。そんなものは錯覚だとすぐに知れたが思わず、手を止めて口元を覆う。
「アルヴィン、凄く頑張ってたもんね」
 手のひらで口を押さえたまま、アルヴィンは目の前の子供に視線を向けた。そこでは小首を傾けたジュードが、美しく微笑んでいた。
 口の中を舌先で探り、手のひらに異物を吐き出す。小さくて白い、それは歯だった。アルヴィンのものではない――認識が確信に替わると、胃の腑から喉を通り口内へ掛けて、貼りつくような酷い異物感に苛まれた。口の中に指を差し入れて、引きずり出す。出てきたのは長い、髪の毛だった。
 「首を落としたね。内臓が飛び出ないように、うつ伏せて」囀るような声音で、ジュードが言った。「それから、皮を剥いで切り分けたよね。脂で手がべたついたけど、アルヴィンは最後まで頑張ってたね」
 そうだ。髪の毛は最初に切った。頭を落とすのに邪魔だったからだ。彼女の長くて柔らかい髪が好きだった。長いばかりの傷んでほつれた髪はそれでも、確かにアルヴィンの好きな彼女の髪で酷く悲しい気持ちになったのを覚えている。
「綺麗に削いで、綺麗に切り分けて、アルヴィンが食べやすくしてくれたから、僕も頑張ったんだよ」
 取り落としたスプーンを、ジュードは拾い上げると丁寧な所作でアルヴィンに握らせた。慈しむように両手でアルヴィンの手を覆う。
「食べて」
 少しの間、アルヴィンは子供の手の離れた自身の手を見つめていた。その間ジュードは、何も言わなかった。暫くして、アルヴィンはのろのろとスプーンでパイの中を掻き混ぜ始めた。骨の欠片、ひだに似た肉、横隔膜や足の指――人の身体の一部だと明確に判る形状のそれらを、スプーンで掬い上げて詰め込む。咀嚼して、飲み下す。歯茎に爪が引っ掛かる。舌で探り、嚥下する。口の中が空になる前に、次の肉を掻き込んだ。途中、何度も胃液が込み上げて生理的な涙が浮いたけれど、全て無視した。パイはちっともなくならなかったけど、そんなことはどうでも良かった。だけど、駄目だった。掻き混ぜたグレービーソースの中に、ぽっかりと浮かんだ二つの目玉を見留めると、もう駄目だった。戦慄く唇で母の名をかたどったけれど、声にならない。
「食べないの?」
 手を伸ばして優しい所作でアルヴィンの口元を拭いながら、ジュードは言った。反射的にその手を払い、立ち上がる。何事がを言い掛けるのに、言葉に詰まった。傾く陽射しを宿す琥珀色は、常より赤みを帯びて見える。
「大丈夫。また作ってあげる」
 アルヴィンの口元を拭った手指に唇を寄せて、ジュードは言った。奇妙に赤く濡れた舌先が覗いて「母さん」を舐めた。身体の内側から、飲み下した爪がアルヴィンを引っかいてくる。踵を返してジュードに背を向けて、何でこんな猟奇的な夢を視ているんだろう、とちょっと泣きそうになりながらトイレを探した。けれど自分の夢だというのにちっともままならなくて、仕方なくその場で吐いた。


夢のすこしあと Dream after dream


 欠伸を噛み殺しながらゲルの外に出ると、朝の清涼とした空気が頬を撫でた。陽は登っていたが、空はまだ少しだけ夜の名残が見てとれた。
 ミラ=マクスウェルの故郷の朝は美しい。遠く対岸に、朝の光を受けて煌めく海瀑を眺め遣りながらジュード・マティスは感慨に耽った。草を食むブウサギと鶏を避けながら、ニア・ケリアを歩く。
 ジュードが目を覚ましたその時、既にアルヴィンの姿はなかった。黙って居なくなるということはもうないと思い、彼の姿を探す。案の定、以前水の世精石が祀られていた川辺の祭壇の手前に、屈み込んで丸くなった彼の背中を見留めた。
「アルヴィン」
 柵に手をかけて名前を呼んだが、彼の横顔は微動だにしなかった。見れば手には剃刀が握られていて、髭を剃っている途中なのだということが知れる。だが、その眼差しは流れる川面に注がれたまま一向に手を動かす気配もない。
 今度は少し大きな声で、男の名を呼ぶ。石と土で出来た階段を下りて、屈む彼の許へ向かった。傍らに立つ頃には流石にアルヴィンものろのろとジュードの顔を見上げる。既に掻き上げられた鳶色の前髪の間から覗く顔色の薄ら白さに、ジュードは思わず眉根を寄せた。
「……おはよう。何か、顔色悪いねアルヴィン」
 やけに落ち窪んだ赤褐色の双眸で以ってジュードを見上げたアルヴィンは、そのまま「あー」だとか「うー」だとか、何事か言葉のなり損なった音を幾つか漏らして、結局膝の間に頭を埋めるようにしてうなだれた。髪の毛が少し跳ねていて、まだきちんとセットしていないのかな、とジュードは思った。
 うなだれる男の隣に、ジュードもしゃがんだ。肩の辺りに、彼の二の腕が触れる。顔を覗き込もうとしたけれど、膝頭が邪魔で見えなかった。
「よく寝れなかった?」
 問うと、男はうなだれたまま首を横に振った。面倒くさいなぁ、と指先を冷たい川の水に浸しながらジュードは思った。
 暫くそうしていると、彼は再度何事か言葉を紡ぐことに挑戦をし出した。だが、不明瞭で聞き取り難い。アルヴィンの膝に手を置いて耳を寄せると、漸く聞き取れた。
「ピーチパイが食べたい」
 殴りたくなった。
「……心配しなくても、僕は約束は守るよ。アルヴィンと違って」
「分かってる。そうじゃない」
 アルヴィンが顔を上げる。鼻先を彼の髪が掠めて慌てて離れた。けれどアルヴィンはジュードの早鐘のような胸の内などまるで気が付かない様子で、また思案に耽り始めた。
「ねぇアルヴィン、殴っていい?」
 定まらない視線の先に、それでも遮るようにして手のひらを差し出し握ったり開いたりして見せながら、ジュードは言った。乾いた土の色をした眼が、ジュードを捉える。それから、彼は自身の頭を掻き混ぜると長く細い溜め息を吐いた。
「嫌な夢を視た」
 ぽつり、と零すように手の中の剃刀を弄りながら彼は言った。
 夢の中にジュードが出て来て、約束したパイを焼いたのだという。けれどピーチパイだと思って食べようとしたら、それはステーキ・アンド・キドニーパイだったのでとても悲しかった――そう、アルヴィンは夢の内容を掻い摘んで話してくれた。
「……そんなに食べたかったの、ピーチパイ?」
 心底呆れながら、それでも極力表に出ることのないよう笑顔を取り繕ってジュードはアルヴィンに訊いた。彼はまたうなだれながら、それでも「食べたかった」と呟いた。その姿がどうしようもなく哀れみを誘って、自分も彼も疲れてるのだな、と思った。ジュードが見上げたニア・ケリアの空は青く美しかった。
 

 

 



レティシャさんまじネタの宝庫過ぎて辛い。
(20111203)




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最終更新:2011年12月03日 01:44