未知の領域、ザギユリに挑戦だい☆って思ってたら全くの別物になったブツ。。。


 白刃が一閃したかと思うと、瞬き一つの間に切っ先が弧を描いた。閃きを追うように、長く黒い髪が目の前に翻る。
 フレン・シーフォは息を詰め、乱れた黒髪の落ち掛かる背を見つめた。

 


乾草車 Avidya
20110630


Le monde est comme un chariot de foin, chacun en attrape ce qu'il peut.

        <Les Proverbes Flamands>


 その「男」と、フレンは三度まみえた。一度目はギルド第二の都市として名高いノードポリカの闘技場で、二度目は帝国の有する巨大兵器ヘラクレス内部で、三度目がたった今、天殃の踊る空を背に忽然と姿を顕わした空中都市の道半ばで、その狂気染みた姿を目にすることとなる。そしてまた、もう二度と彼と会うことはない。幼馴染み――ユーリ・ローウェルがたった今、斬り伏せたからだ。
 「男」の名前は、ザギといった。ファミリーネームは知らない。その名前が本名であるのかも、フレンには分からない。知っていることといえば、そもそものザギの目的というのはフレンの暗殺にあったということ、それがたまたま不在であったフレンとこれもまた偶然その場に居合わせたユーリとが、何の間違いか彼の中で混同されてしまったらしい、ということぐらいだ。悲しい誤解はすぐに解けたようだったが、結局ザギは暗殺の依頼を反古にして私的にユーリを付け狙うことにした。それら全ての帰結した先が、今こうして狂気の滲む哄笑と共に斬り捨てられ踊り場から落ちていく暗殺者の姿だった。
 戦いを望む男が、狂おしい程に焦がれて止まないユーリに引導を渡されたことが果たして幸福であったのか、それは分からない。暗殺者を見送るユーリの背中からも、何一つとして彼の心情を慮ることはかなわない。ただフレンは、こんなユーリの姿は見たくなかった筈なのに、と思った。彼が、これ以上望まぬ血泥に塗れることのないように、遠くに居ても声が聞こえなくても笑っていられるように、そんな世界で生きていけるように――そう、思っていた筈だった。そう、約束した筈だった。
 だが、彼はまたこうしてフレンの目の前で刃を血で汚し、たたずんでいる。全ての言葉を拒絶する背中だけをフレンに向けて、泥黎の淵を覗いている。
 過去に、フレンはユーリの独善を責め、二度に渡る帝国要人暗殺を咎めたことがあった。信頼していた彼が法に背いたことや、何も打ち明けてくれなかったこと、間違った路を行こうとしていること、そういった様々な感情がない交ぜになって、酷く、失望した。私的な正義に基づき人を殺めたユーリを否定し、冷静になって自分と彼の目指しているものがまだ同じであることを理解し誓いを新たにしたその時もまた、フレンはもう二度と彼に泥を被らせはしない、と思った。
 だが、今まさに明確な殺意を以って刃を振るう幼馴染みを前にしてフレンは彼を止めることが出来なかった。フレンだけではなく、その場に居た誰もがユーリを止めなかった。止められなかったのかも知れない。
 皆が皆、同じ気持ちで彼の凶行を眺めていたわけではないのだろう、とフレンは思う。男であるということや、女であること、年齢、それ以上に仲間であるということと、幼馴染みであるということは、矢張り違う。仲間である彼らは彼らなりに、思い思いユーリの葛藤を目の当たりにしてきたのだろうし、共有するものもあっただろう。それは、仲間である以前に彼の幼馴染みであるというフレンと重なる面もあれば、仲間として苦悩する彼の時に寄り添っていた者にしか解らない思いもある。だから、恐らくはフレンがユーリを止められなかった理由と、彼らがユーリを止めなかった理由とは、似ているが違うものだ。
 責は、フレンにあった。ユーリが騎士団を辞めることになった、あの事件のときと同じだ。あの時、フレンは一連の事件の黒幕に見当を付け、ユーリに真相を打ち明けた。そして、彼と二人で黒幕を追い詰め、彼は人を殺した。それを、フレンは止めることもせずにただ見ていた。もしかしたら、死んで当然だとも考えていたのかも知れない。ユーリが振りかぶった剣先に、溜飲の下がる思いすら感じたのかも知れない。あの時の自分がどんな気持ちで翻る刃を眺めていたのか、感情を遡るには時が経ち過ぎている。だが、今こうしてユーリの振るう剣が人の命を奪う様子を目の当たりにすると、過るものは確かにある。例えば、フレンが黒幕の存在をユーリに打ち明けずにいたのなら、彼は人を殺さずに済んだかも知れない。例えば、暗殺者の襲撃があったあの日、フレンが遠征に出ることがなければ或いは、ユーリはザギに執拗に追われることはなかったのかも知れない。追われることがなければ彼は暗殺者を殺す必要もなかった。それだけでなく、こうしてザギを斬り捨て泥黎の淵を覗いていたのはフレンだったのかも知れない。例え、それが法に背き、また己の信念にも反する、非情な決断だとしても泥を被らなくてはならないという時は必ず来る。それを、ユーリは先延ばしにした。一度のみならず二度も、フレンの負うべき責を彼が受けた。
 それが、フレンが刃を振りかぶるユーリを目の前に、彼を止めることのかなわなかった理由だ。
「……悔しいな」
 やっと口をついて出た言葉に、フレンは少し呆れた。ユーリは、背中を流れる瀝青炭に似た黒髪を揺らして、振り返った。真正面にフレンを捉えて、見つめ返してくる。
「何がだよ?」
「君には解らないよ」
 そう言って、フレンは笑った。ユーリは怪訝そうに眉根を寄せる。当然の反応だ。
「お前にだって、わかんねぇよ」
 いつもの調子で、ユーリは言った。
 悔しいのは、認めたくないからだ。ユーリが手を汚さなければならない世界や、そうさせてしまう己の無力さ、彼の「過ち」の結果の人々の笑顔――その全ての対価として彼の人間性は失われていく。まるで昔読んだ童話に出てきた、黄金の像のようだ。彼が何かを失うにつれ、フレンは豊かになる。それは功績や名声といったものだけでなく、彼が望まぬ路へと踏み出すことでフレンは自分の路を見失わずに済んだ。彼を否定することで、フレンは自身を確立することが出来た。
 「君の隣に、並び立てないことを認めるのが辛いんだ」笑顔のまま、フレンは言った。「もう、二度と」
 どちらにせよそんな資格はないのだ、と理解はしていたが未練は消えなかった。耐え難く、別ち難い。こんなにも路を違え、それでも目指すものが同じだという事実が、より辛い。
「いいんじゃねぇの?潮時だったと思うしな」
「簡単に言ってくれる」
「お前が思う程、簡単じゃなかったさ。だがお前が思う程、深刻なことでもない」
 ユーリは、フレンの肩を叩きながら言った。手首の魔導器[ブラスティア]が鈍く光る。かつてユーリとフレンが所属していた隊の、隊長の形見だ。
「っつっても、オレも気付いたのも最近なんだけどな」
 肩を叩いた手が、そのままフレンの前髪に触れた。行動を共にするようになって、久しぶりに彼に切り揃えてもらったばかりだった。人殺しが手にした剃刀が、自身の髪を滑るその様子を不思議な気持ちで眺めていたのを覚えている。そして、今正に人を殺したその手が、やはり何の躊躇もなく伸ばされていた。
「そうだったね。君は、もう選んでしまったんだった」
 ユーリの指先を制するわけでもなしに、ただその滅紫の瞳を真っ直ぐに見つめ返してフレンは言った。すると、彼は小さく吹き出してそれから下町の子供たちや小さな仲間にそうするように、フレンの髪を掻き混ぜて撫でた。
「口にするのは難しいな、やっぱ。今まで、お前には言わなくてもオレの考えてることは解ってもらえてる、って思い込みのツケが回ってきちまった」
「……うん。僕は、もう、君が何を考えているのか」
 解らなかった。「君には解らない」と言いながら、フレン自身にも彼が今何を思い考えているのか、どんな気持ちでいるのか、何一つとして知れない。
 「いいんだよ。それで」蜂蜜色の髪を指先で梳きながら、ユーリは言う。「お前がいつも正しく在ってくれるから、オレはオレで居られるんだぜ?」
 言われて、そこで初めてフレンは自分から彼に手を伸ばした。自身の髪に触れる指先に、手を重ねた。
「そんなに変わっちゃいねぇよ、オレたちは」
 フレンの手に指先を絡めて、ユーリは笑った。曇りの無い笑顔にフレンは飲み込むべき言葉も見当たらず、ただ声を失う。こんな風に、彼は笑う男だっただろうか、と奇妙な焦りを感じた。
 離れてゆく指先を視線で追う。手袋と鉄甲に覆われたフレンの手は、離れゆく人肌の温もりを惜しいとすら感じない。
 彼は今一度フレンに微笑みかけ、階段を上り始めた仲間たちの背を見やった。踵を返し、後を追うその足取りに迷いはなかった。フレンも、すぐにユーリの後を追おうと一歩を踏み出す。だが、そこで足を止めた。
 ユーリは、歩いていく。仲間たちの上る階段へと差し掛かり、確かな足取りで後を追う。その背中を、確かにフレンも見ていた。だが、意識は傍らの淵へと向いている。やがて、視線もゆっくりと彼の背中から逸らされて、泥黎へと向かう。
「行くぞ、フレン」
 名前を呼ぶ、声がした。ユーリの声だ。「今行くよ」とフレンは逸らしかけた視線を幼馴染みへと戻し、声を張った。
 ともすれば、振り返り暗がりを覗き込みたくなる衝動にあらがいながら、フレンは階段を駆け上がった。「遅ぇよ」と言って笑うユーリと拳を合わせるとそこで、漸く仄昏い衝動のようなものは薄れた。
 ザギの末路について、彼の仲間たちは思い思いの言葉を交わす。そこに、フレンの幼馴染みを責める類いのものは一つもなかった。フレンもまた、彼が正しいことをしたとは決して思えないのに、彼の正義を否定することはもう二度とないのだという確信があった。
 少し距離を置いて仲間たちのやり取りを眺めていたフレンに、最年少のカロル・カペルが近付いて来た。この子供はユーリの現在所属しているギルドの首領で、彼に対して微笑ましい思慕と憧憬の念を寄せていた。小さな子供と相対すると、下町の子供たちや学術都市アスピオから協力を要請した魔導師がそうであったこともあり、知らず頬が緩む。そんなフレンにつられたというわけでもないだろうが、カロルもまた丸く弧を描く幼い輪郭を綻ばせて見せた。
「大丈夫。フレンとユーリはよく似てるよ」
 彼のその言葉に、フレンは今度こそ意図して破顔した。こんな一回り近くも歳の離れた子供に気を遣わせてしまうほど、自分は酷い顔をしていただろうか、と思うと少し情けなくなる。だが、それでもフレンは笑って応えた。
「そうかな?だとしたら、とても嬉しいな」
 その言葉に嘘はなかった。そして、振り向いて淵を覗き込みたくなる衝動はいつの間にか消えていた。
 

 

 



 

 

 


書いてる人がカロル先生のファンだから仕方ない。
(20110703)





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最終更新:2011年07月03日 23:29