ED後なルカスパ。当たり前のようにネタバレだらけ。
エロスの欠片もない性描写が数行あるので気をつけてNE☆


 

潮騒 Whisper Gallery
20101001


 荘厳な空気の中、意匠の施された祭壇には仄蒼い光を静かに放つ創世力が安置されていた。その、少しばかり眩しいだけのただの光にしか見えない「力」を、スパーダ・ベルフォルマは然したる感慨もなくただ眺めている。寧ろ、神々しい煌めきの前、ある種の覚悟を以って対峙することを決めて立つ少年の姿にこそ、誇らしさ半分寂しさ半分の感慨を覚えた。
 かつて世界の在り方を歪つに変えた「力」を前に、スパーダは封印するという案を提示した。けれど少年――ルカ・ミルダは仄蒼い創世の輝きを映し込む銀糸を揺らして、首を横に振った。前世のしがらみからでなく、ただ、彼は彼自身の意志で、天と地との完全なる融合を望んだ。彼の前世だったアスラの遺志ではなく、ルカ自身の望みを口にするその言葉は力強かった。微笑む彼に、出会ったばかりの頃の頼りない印象は一切見受けられない。
 だから、誰も彼の言葉を否定することをしなかった。誰もが、彼の意志を尊重し、肯定した。スパーダも、何も言わなかった。
 前世で、アスラは創世力発動の条件の一つ――最も愛する者の死を、イリア・アニーミの前世にしてアスラの寵愛を受ける美貌の大地母神イナンナを殺害することで満たした。だが、それはアスラにとっても不本意な、イナンナの裏切りがきっかけだった。イナンナはアスラ暗殺の勅命を受け、彼に近付き、彼を愛し、彼を殺した。彼女の裏切りに絶望したアスラは、彼女と差し違えることを選び、創世力発動の条件が二重に満たされた。結果、結ばれた約束は歪み、世界はこんなにも不自然な形で、緩やかに亡びへと向かっている。
 世界を完全な形にする為に創世力を使う、というルカの言葉は、恐らく、正しい。そうするべきなのだろう、とスパーダも思う。彼は、アスラの成せなかったもう一つの創世力発動の条件を正しく示す――それは、疑いようのない事実だ。
 決意を固めた翠の瞳を見つめ返しながら、スパーダの隣で、イリアが創世力を使うようルカを促した。その言葉には美しい信頼が、ただ満ち溢れていた。そしてルカはきっと彼女の信頼に応えるのだろう。手を差し伸べて、微笑んで、寄り添い合う。それは、美しく正しい絆だ。アスラとイナンナの想いで歪められた世界は、ルカとイリアの絆で以って正されるべきだ。
 だから、ルカが、イリアの言葉が促すままにスパーダへと向き直ったその時、本当に一瞬、息が詰まった。
「スパーダ」
 それが本当に一瞬で済んだのは、彼がスパーダを呼ぶ声があまりにも揺るぎのないものだったからだ。少しの迷いも、躊躇いもなく、ルカはスパーダの名前を呼んだ。だから、スパーダも彼の信頼に応えるべきだとそう思ったからだ。そう、思ったのはスパーダだ。前世の、アスラの剣にして彼を死に到らしめた凶器でもある、全ての選択から目を背け他者の判断に身を委ねることしかしなかったデュランダルではない。
 前世から続く縁に由来する意志でなく、ただこの小さな友人の信頼に応えたいその一心で、スパーダは祭壇へと向け歩を進める。ルカの隣に並び立ち、彼と共に創世力に手をかざすことを選ぶ。選択をする。判断をする。その全てが、デュランダルではないスパーダの意志だ。だから、もしかするとスパーダはこのときになって初めて、ただ使われるだけの武器でなく、人間として生まれたことを心の底から喜んだのかも知れない。デュランダルの兄弟とも言うべき魔槍ゲイボルグが自ら血を啜り人を殺めるべく人としての生を望んだように、スパーダもまた選択と判断とに責任の伴う人としての生を主殺しの聖剣が求めた一つの結果、一つの形なのかも知れない。
 ルカとスパーダとが手をかざすと、仄蒼い光は徐々に輝きを増していった。その光に身を委ねる中、ルカが少しはにかんだような笑顔をスパーダに向けながら言った。
「スパーダは世界一の親友だよ」
 その言葉に、全てが報われるような思いがした。救われた気がした。遥か彼方前世での、選択も判断も放棄し、アスラを殺したデュランダルの罪も、今世で凶刃に倒れるルカを前に何一つしてやることの出来なかったスパーダ自身の無力さも、全て、許された気がした。
 その言葉だけでこれから先、何があっても自分は希望を失わずに生きていける。そう、確信した。
 まばゆいばかりの創世の光の中、高らかにルカは宣言した。その言葉通り、光が収束した後に広がる世界は、祝福に満たされた美しいものだった。
 天を臨む尖塔の高みから、それでもスパーダたちが目を向けるのは地上だ。正しく祝福された大地だ。煙るような砂嵐は和ぎ、遠浅の海は穏やかに波打っている。荒廃した大地は緑に溢れ、生命の息吹きに満ち溢れている。
 黎明の塔を後にすると、飛行船に乗り込んだスパーダたちはイリアの提案で王都レグヌムへと向かった。眼下に広がる新たな約束で結ばれた天と地を、創世力の融けた大地を眩しそうに見下ろすルカの横顔を眺めながら、スパーダは旅の終わりが近付いているのだな、とぼんやりと考えていた。
 飛行船から下りていざレグヌムに足を踏み入れたところで、街並みに劇的な変化はないようだった。それでも人々の表情は何処か明るく清々しさを感じさせ、スパーダはそれを素直に喜んだ。
 創世力の解放と天地の融合を成し遂げたという絆を持つ仲間たちは、立ち話の延長だと言わんばかりに各々の今後の方針をほのめかし帰路についた。その気安さの中には、また自分たちの道が寄り添い、重なり合う確信と信頼とが見え隠れしていた。
 最後までその場に残っていたのはスパーダとルカ、そしてイリアだった。思えばスパーダの旅は彼らとの出会いから始まった。ルカは前世のアスラがそうだったように、イナンナを前世に持つイリアに惹かれていた。イリアもまた、ルカに強く惹かれていた。それはスパーダが彼らと出会った頃から、今も、ずっと変わらない。きっかけは確かにアスラとイナンナという前世に起因するものだったなかも知れないが、その前世が決して美しいものばかりではなかったことが発覚した後も二人の絆は少しも損なわれなかった。
 旅が終わったら、ルカはイリアに想いを告げる、と言っていた。旅の最中に想いを告げて関係がぎくしゃくするのは本意ではないから、何もかもが片付いたらその時にこそ思いの丈を打ち明けるのだと、そう言っていた。そしてスパーダは、今がその時なのだろうな、と思った。
 ルカはイリアに想いを告げる。伝える。そして、イリアはルカに応える。アスラとイナンナが結ぶことの叶わなかった約束が、また一つ新たに結ばれる。
 早く二人だけにしてやるべきだろう、とスパーダは思った。この旅でルカは確かに成長し、自分の思いを口にする強さは身に付いている。それでもやはり彼は基本的に気の優しい、不器用な少年だ。余計な茶々を入れることに定評と前科を持つ悪友は早々に立ち去るべきだった。
 だからスパーダは他の仲間たちの気安さに輪を掛けて素っ気ない調子で別れを告げると、二人に背を向けた。肩越しに、恐らくはスパーダの配慮を汲んだらしいルカの所在無さげに彷徨う翠の瞳が見て取れて、それが少し可笑しかった。「大丈夫」と「上手くやれよ」という意図を滲ませて軽く片目を瞑って見せれば、彼はいよいよその華奢な肩を更に小さく丸めて俯いてしまう。スパーダはそんな可愛い親友の姿に気を良くして、「明日にでも会いに行く」と嘘をついて別れた。

 夢を視た。デュランダルを携えたアスラが、戦場で敵を斬り捨てる夢だった。
 前世の記憶が反復される今までの夢とは異なり、その夢には血なまぐささや刀身の濡れた感触、肉や繊維に身を滑らせ引き千切る陶酔感は酷く遠い。ただ、アスラともデュランダルとも切り離された場所で、孤高に剣を振るうその背中をスパーダはぼんやりと眺めていた。アスラは、スパーダの存在に気付いた様子もなく(当たり前だ)、舞うように敵を斬り臥せて行く。だが、スパーダはその優美な動きに見惚れることもなく、彼の姿を目で追った。その巨躯に似合わない素早い剣戟に、けれど一瞬無防備になる背中に背中を預けられたなら、と思う。剣を振りかぶったその刹那、表わになった脇腹を守れたなら、と思う。その思いが、スパーダのものなのか、デュランダルのものなのか、それは解らない。けれどスパーダの隣に並び立つのはアスラでなく、またアスラ自身の剣であるデュランダルにも彼の隣に並び立つことはかなわない。
 成る程、ならばこれはデュランダルのジレンマなのだろう、とスパーダは口の端を歪める。イナンナにも、アスラにさえ、自身は選択肢を持たないただの振るわれるだけの道具という姿勢を貫きながら、それでも、今際の際――アスラに手折られたその瞬間、人並みに何かを願った。それが、今のスパーダのこの在りようだというのなら、嗤わずにはいられない。
 そんなスパーダの気配に気が付いたというわけではないだろうが、夢の中、剣を振りかぶるその刹那、アスラと目が合った気がした。
 夢はそこまでだった。
 ここ数日滞在しているお陰で随分と見慣れた宿屋の一室――その薄汚れた天井がスパーダの目に飛び込んできた。何処か現実味を欠いた戦場から、埃っぽく湿った空間に意識は一気に覚醒した。
 仰向けに寝そべった寝台の上で、首だけを傾けサイドテーブルに置かれた時計を見る。指し示す時間を思えばまだ日は高い筈だが、朝から降り続ける雨に照明の無い部屋は暗く沈んでいた。上体を起こして濡れる窓へと視線を向ければ、灰色に煙った街並みが目に映った。港には王都が誇る海軍の大型船が停泊しているのが見えたが、まるで玩具の小舟のように波に翻弄されていた。
 今朝早く、あの船に乗ってスパーダはこの街を後にする筈だった。黎明の塔に向かう前、「比較的仲の良い兄」に宛てた手紙は正しく彼の手に渡り、恐ろしいまでに久しぶりに実家に顔を出したその時には既にスパーダの望みの八割方は受理されていた。それはルカとイリアに別れを告げたその直後に判明した事実であり、仕事の早い兄に対するスパーダの僅かばかりの期待が形になった結果でもあった。
 海軍に入る――兄に手紙を出す手伝いをルカに頼んだとき、スパーダは言った。彼に伝えたその言葉に、偽りはない。ただ、いつ発つのか、具体的なことは何一つ言わずにいた。
 兄から渡された紹介状を確認すると、スパーダはそのまま両親に海軍に入ることを伝えた。父親からはやっと手に負えない放蕩息子を厄介払い出来るという喜びが見て取れ、母親からは隠しようのない不安が滲み出ていた。けれど、彼女がスパーダにかけた言葉は純粋に息子の身を案じる母親のものであったから、スパーダもまた彼女の言葉に嘘偽りなく応えることが出来たのだと思う。それでも気の休まらない実家に留まる気は起きず、スパーダはその日の内に屋敷を後にすると市街地の宿に船が入港するまで滞在することに決めた。数日間、日中はいよいよ孝行する機会が遠退くだろう母親を、せめて安心させる為だけに屋敷へと顔を出し、宿には眠りにだけ帰った。船が王都を発つ日の前日、見送りに行くと言った母に朝が早いから、と告げて申し出を断ると、彼女はそれ以上何も言わずにただ強くスパーダを抱き締めた。だからスパーダもまた無言で彼女の背中に腕を回し、その頬に口付けて屋敷を出た。全て、昨夜のことだ。
 だが、スパーダは今もまだ船に乗り込むことなく宿に居る。今朝早く、海が荒れ天候が悪化した為に出港が遅れる、という報せが入ったからだ。だからスパーダは不味くもなければ美味くもない宿屋の朝食を少し早い時間に済ませてしまうと、煙る飛沫の中外へ出掛ける気も起きず宿屋に滞在の追加料金を支払って部屋へと戻った。そしてくたびた毛布の丸まった寝台に仰向けになると、不意に襲った眠気に逆らう理由も見つからず身を委ねたのだった。
 外は相変わらずの灰色に沈んだ様相で、寝台で胡坐をかいたままその様子を伺うスパーダはこの分だと今日中に船が出ることはないだろうな、と思った。ならばもう一度惰眠を貪ろうかとも考えたが、奇妙に冴えた頭は眠りとは程遠かった。だからといって趣味が勉強という病気持ちのルカや、牧師という職業柄書物を読み漁ることに然たる苦を感じない聖女とは違い、時間を潰す為に本を読む気になど到底なれない。
 ここは無難に剣の手入れでもすることにしよう、とスパーダは寝台の脇に脱いで転がしたブーツを足で探り始めた。その時、濡れた雨音に雑ざって人の声がスパーダの耳に届いた。いくら安宿とはいえ、雨音の最中にそれでも確かに明瞭な声音として漏れ聞こえたその声は、どうやら階下――ロビーから聞こえてくるらしい。のろのろとブーツを履きながら、何となしに耳を澄ませるスパーダの鼓膜を階下から聞こえる声は尚も震わせ続けた。察するに会話をする一方が声を張り上げている為、もう一方の声はしない。そうでなくても聞こえてくる声は高く、女か変声期前の少年のものだ。受け答えしているのが宿屋の主人だとするなら、何か客との間にトラブルでもあったか、とすっかりブーツを履き終えてしまったスパーダは二本の愛剣を手にすると、部屋を出るべく扉へと向かった。親切心は三割程度で、残りはもしかするとこれは良い暇潰しになるかも知れないという打算からスパーダは厄介ごとの様子を伺うことに決めた。
 廊下に人気はない。スパーダ以外の宿泊客が居ない、というわけではないだろうが、貴族の泊まるような高級ホテルのサロンならいざ知れず雨の日の安宿の廊下ならこんなものだろう。何より、今は階下から一触即発の空気がはい上がって来ており、野次馬根性より保身を優先させる客の判断をスパーダは純粋に好ましく思った。
 極力、足音と気配とを殺して廊下を歩く。そうしている今も、階下からは半ば一方的な問答の声が響いてくる。扉一枚、隔てるものがなくなって階下から漏れ聞こえる声は更に明瞭さを増した。だが、その内容までは解らない。もう少し近付いて現状を把握する必要があるな、とスパーダは吹き抜けに差し掛かると低く姿勢を落として、固まった。
 見覚えがある。見覚えがある、どころか知っている。よく知っている。陽の光を透かして耀く白銀の髪も、夏の海を思わせる色をしたこぼれそうに大きな瞳も、よく知っている。健康的に色付いたふっくらとした輪郭は、今はスパーダやイリアがからかったそのときのように紅潮し、全身は頭から水でも被ったかのようにびしょ濡れだった。そうでなければ、スパーダはそのまま彼の姿を見なかったことにして部屋に戻っただろうが、その様相を目にしては低く屈めた身体を伸ばしに伸ばし、手摺りに乗り上げて吹き抜けから階下へと声を上げずにはいられなかった。
「ルカ!お前こんなとこで何してんだ」
 声を張り上げて名前を呼べば、それまで宿屋の主人と対峙していた少年の顔が弾かれたようにスパーダへと向けられた。先刻までの悲壮な声音とは打って変わり、ルカのふっくらと形の良い唇は音もなくスパーダの名前を形作るだけだった。
 スパーダは急いで階段を駆け下りた。ルカとスパーダが知人であることを察したらしい主人が安堵の色の濃く滲む調子で「お止めしたのですが」、と言った。
「ああ。騒がせて悪かった。知り合いだから」
 主人にそう告げると、スパーダは全身濡れそぼったルカの手を引き部屋へと戻った。その間、ルカは何も喋らなかった。
 部屋に戻ってからもルカは口をつぐみ続けたが、スパーダは彼の様子を気に掛けている余裕はなかった。ここに来るまでに引いたルカの手の冷たさに驚き、あれだけ全身をびしょ濡れにしているのだから雨に体温を奪われるのも仕方がない、と備え付けのバスルームに湯を張りに走った。それから、すっかりまとめてしまっていた荷をほどき中からタオルケットと着替えを掴み出すとルカに放って寄越す。
「話は後だ。取り敢えずあったまってこい。お前、唇紫色になってんぞ」
 告げると、何か言いたそうに口を開いたルカの背中を押してバスルームに押し込み扉を閉めた。
 その後の動作は自分でも驚く程に緩慢だった。ルカが扉越しにすら何かを言ってこない気配と、控えめな衣擦れの音とにスパーダは漸く一息つく。
 そのまま派手に引っ繰り返った荷物の前を素通りし、簡易キッチンに向かうとケトルに水を注ぎ火に掛けた。
 目を閉じて、細く、長く、なるべく時間をかけてゆっくりと、息を吐き出す。自然と眉根は強く寄り、意図せず目蓋が震えた。薄く開いた視界には相変わらずの雨に沈んだ仄暗い壁が映り、スパーダは小さく舌打ちした。
 失敗した。奥歯を強く噛み締めて、思う。船の出港が遅れるかも知れない、という可能性を考慮に入れておかなければならなかった。そうでなければ、滞在先を王都の、それも解り易い宿になどするべきではなかった。
 ケトルの中の湯が沸いたことを確かめると、スパーダは凝視していた青く揺らめく炎を消して、備え付けの棚に入ったアルミのマグカップを二つ取り出した。インスタントコーヒーをそれぞれに掬い入れ、一方にはスキムミルクを追加した。それから沸いたばかりのケトルの中身を注ぎ入れ、掻き混ぜる。少しずつ注ぎ入れるだなどという手間を掛けなかった為、簡易カフェオレはスキムミルクがだまになってしまったようだったが、自分が飲む訳ではないからまあいいか、とスパーダは思った。
 キッチンからカップを手に寝室に戻っても、ルカはまだバスルームに籠もっているようだった。生真面目な彼のことだから、スパーダに言われた通り暖まることにしたのだろう。そんな友人の律儀さに口元を綻ばせたスパーダは、手にしたカップを机に置くとバスルームへと向かった。極力音をたてないように慎重に扉を開けるとルカの濡れた衣服を回収し、来たときと同様の慎重さで以って扉を閉めた。
 熱気の籠もるバスルームから寝室に戻ると、そう冷え込む季節ではないものの昨夜から降り始めた雨の所為で心なしか肌寒い、とスパーダ思った。濡れたルカの衣服をハンガーにかけると、暖炉に薪を投げ入れ火かき棒で無造作に掻き混ぜる。
 濡れた雨音の中に時折雑ざる薪の爆ぜる乾いた音に耳を傾けていると、背後でバスルームの扉が開いた。控えめな隙間から濡れた髪のまま顔だけを出したルカの顔は、先刻までと比べれば幾分も血色が良くなっていた。そのことに小さく、本当に小さく安堵の息をこぼしてスパーダはルカを手招きした。
「ほら、こっち来いって」
 暖炉の前に椅子を置き、座るように促すとルカは素直に頷いて腰掛けた。
「ん。大分顔色も良くなったみたいだし、大丈夫そうだな」
「何か、その、ごめんね……」
 全くだ、とスパーダは笑ってルカにカフェオレを差し出し、自分の分のコーヒーを手に取ると寝台に腰掛けた。彼より長身で体格も良いスパーダの衣服を身にまとうルカは、捲っているにも関わらず袖口から僅かにしか見えない両掌でカップを包み込むようにしてカフェオレを啜っている。昔付き合っていた女に服を貸したときも、矢張り彼女は袖口を捲っていたということを思い出して、スパーダは何だか可笑しくなった。
「……スパーダ、何にやけてるの」
「いや?どっからどう見ても彼シャツだと思ってよ。下まで貸したのは失敗だったけどな」
 考えていたことを当たり障りのない程度に口にすると、その言葉を言葉の通りに受け取ったらしいルカは、先程までの青白い顔色が嘘のように頬を紅潮させた。その様子が可愛らしくて、スパーダは声を上げて笑った。
「こ、これでも背は伸びてるし、体重だって増えてるんだよ!」
「どうかなー?それでもオレにゃまだまだ小さくて可愛いルカちゃまに見えっけどなぁ?マジでウェイト増やしてぇんなら、イリアみたく肉食え肉」
 言ってからまた、失敗した、と思った。失敗した。こんなにも早々に、イリアの名前を出してしまった。覚悟はしていたが、腹は少しも括れていない。そうでなければ旅の終わり、将来の夢に格好つけて海軍へと逃げはしなかった。ルカから逃げる必要などなかった。胸を張って彼の隣に立っていられた。
 スパーダはそれ以上続く言葉が見つからず、その沈黙が不自然になる前に口を開いた。話題が変わるなら何でも良いのだと、然して思考を巡らせることなく言葉を紡いだ。
「ま、だからよ……ンなひ弱ななりでこの雨ン中何してるんだよおめぇは、って話だろーが」
 話の流れは自然だったように思う。それでも、スパーダがしまった、と何度目になるかも分からない後悔をしたのは、ルカの翠の双眸が大きく見開かれたかと思うと、みるみる内にその表情を曇らせたからだ。その後悔と同じくらい、面倒なことになったとも思った。だからスパーダはそれ以上は何も言わず、溜め息を一つついて窓の外へと視線を反らした。驟雨に煙る視界は、飛行船から見た雲の合間の様子に少し似ている。旅の終わりに、ルカの横顔越しに見た風景だ。
 「だって、スパーダが」薪の爆ぜる音に乗せて、ルカが今にも消え入りそうな声で呟いた。「会いに来て、くれないから」
 そうだろうな、と窓の外を眺めたままスパーダは思った。それでも、返す言葉を探すのも、相槌を打つことすら面倒でコーヒーを啜って聞こえなかったふりをする。
「明日にでも会いに行く、って言ったじゃないか」
 抑揚を欠き、独り言めいたルカの追い打ちに逃げ道を塞がれた。本当に面倒臭い。
 スパーダは舌打ちをすると腰掛けた寝台脇のサイドテーブルにカップを置き、ルカへと向き直った。暖炉の前の椅子に膝を抱えて座る、少年の華奢な輪郭が橙色に浮き上がって見えた。
「……社交辞令真に受ける奴があるか」
 努めて軽い調子で呟けば、暖炉の炎を凝視するようだったルカの横顔が弾けるようにスパーダへと向いた。半ば予想は出来ていた反応だったので、炎に照らされる部屋の中、まるでレキセイタンのように暗く黒い色をしたルカの瞳を見つめ返してスパーダは小さく肩を竦めて見せる。
「そ、それでも、あれから何日経ったと思ってるんだよ。少しも会いに来れないなんてことないだろ」
「まあ、何だ。そりゃオレの方も実家に顔出したりで、ごたごたしてたしよ。仕方ねぇだろーが」
 嘘はついてなかった。だが、だからこそ言い逃れにしてもこれは苦しい、とスパーダは思った。案の定ルカが即座に反論して、スパーダの退路はいよいよ狭まる。
「それで、君は僕に何も言わず海軍に行ってしまうの?」
 か細いルカの声は、まるですがるように頼りないものだった。スパーダはそんな弱々しいルカを見つめ返して、その通りだ、と思った。
 船に乗って、海軍に入る――ルカと友人で居る為に、ルカに見つかる前に、スパーダは逃げなくてはならなかった。それがこの有様かと思うと、知らず自嘲めいた笑みが込み上げてくる。
 それらを押し遣り、口を開くのは酷く疲れた。
「言っただろ?ごたついてた、って。っつっても、お前には海軍に入るってことは言ってあったし、後で手紙でも書くかな、とは思ってたんだぜ」
 そこまで薄情じゃねぇよ、とスパーダは言って笑った。可哀想に酷い話だ、と思うと余計に可笑しかった。押し黙り、伏し目がちに俯く友人の姿は憐れみを誘った。
「しっかし、お前よくオレがここに居る、って解ったな。本当は今日発つ予定だったんだぜ?」
 ぬるくなったコーヒーを啜りながらスパーダは言った。
「……知ってる。スパーダの、お母さんに聞いたよ」
 口を尖らせてルカは不満そうに呟いた。その仕草は酷く可愛らしい。だが、今、スパーダはそれどころではなかった。文字通り絶句し、それでも一呼吸置いてやっと声を絞り出す。
「誰が、誰に聞いたって?」
「僕が、スパーダのお母さんに」
 淡々とルカは言った。寧ろその様子は、努めて感情の吐露を抑えているようでもあり――つまり、彼が確信犯であるということが知れる。
「やってくれたな」
 舌を打ち、それから口の端を吊り上げてスパーダは言った。ルカはといえば眉根を僅かに寄せこそすれど、出会った当初のような怯えの色は見せなかった。
「会いに来てくれないなら、僕が会いに行くしかないじゃないか。君の家が何処かは知らなかったけど、ベルフォルマの屋敷は有名だったから貴族街に行ったらすぐに見つかったよ」
「そりゃあまあ、そうだろーな」
「それで、聞けば君は海軍に入る上に出立は今日だ、って言うし。……慌てたよ」
 でもまだ宿に居てくれて良かった、とルカは言った。不本意だがな、とスパーダは胸中で呟いた。
「で、お前はこんな雨ン中を走って来たってのかよ。馬鹿じゃねぇ?」
 創世力が融けて失せ、転生者としての異端の力が消えた今、ルカもスパーダも多少修羅場を多くくぐり抜けただけの子供でしかない。そうでなくても覚醒以前はどちらかといえば内向的で運動の苦手な彼は、あまり身体も丈夫ではないのだから(別れ際に年下の少女にまで心配される程だ)雨の中を全力疾走したとあっては風邪のひとつもひくのではないか、と不安になるのは仕方ないだろう。
 取り敢えず、そう思うと擦れ違いならなかったのは悪いことばかりではなかったのかも知れない、とスパーダは思った。けれど当のルカはといえば、スパーダの言い様が気に入らなかったのか不満そうにカップの中を覗き込んでいる。
「馬鹿にもなるよ。会いたかったんだから……君に」
「ああ?」
 訊ねて返すと、ルカは肩を強張らせて黙り込む。責め立てるような口調に怯んだのかも知れない。だが、そんな気の弱い少年の怯えを汲む余裕も、今のスパーダにはなかった。
「何眠たいこと言ってやがんだお前は」
 それでも、極力語気を荒げないよう感情の吐露を抑え、低く、言う。けれどルカは、カップを凝視する目を不安そうに揺らすばかりだ。
「そんな言い方……スパーダは、僕に会いたくなかったの?」
 会いたくなかった。だから逃げた。避けていた。創世力の前で、誇らしそうにスパーダを「親友」だと言って笑った少年の思いを守りたかった。「親友」で居たかった。「親友」で居る為に、逃げようと思った。
 会いたい、わけがない。
「会ったら、訊かなきゃなんねぇだろ」
「……何?」
 そこで、漸くルカは顔を上げて、スパーダを見た。泣くかな、と思っていた彼の視線は強かった。その視線から、逃れるようにしてスパーダはサイドテーブルにカップを置いた。
「スパーダ、何を僕に」
「イリアだよ」
 先刻とは違い、今度は僅かばかりの覚悟を以ってその名を口にした。我ながら女々しいことこの上ない、とスパーダは苦く思う。だが、そうすると後に言葉を続けるのは意外と簡単だった。
「お前、告るっつってただろーが。オレが気ィ利かせてやったんだ。勿論、上手くやったんだろーなぁ?」
「なっ……何言い出すんだよ、スパーダ!そんな、い、今話してることど全然関係ないじゃないか!」
「いいから聞けって。あのなぁ、お前と会っちまったらオレは事の顛末を訊かなきゃいけないだろ?惚気話に付き合うにしても、玉砕話に付き合うにしても、一夕一朝で足りるわきゃねぇんだ」
 スパーダがまくし立てると、ルカは実に素直に口をつぐんだ。正確には言葉に詰まったように黙り込んでしまった。
「面倒だ、とは言わねぇよ親友。でも、そういうのはゆっくり腰を落ち着けて話したいだろ」
「……勝手なことばっかり」
 唸るようにルカは言った。その通りだ、とスパーダは思った。けれど、それ以上の言い訳をするつもりもなかった。だからスパーダはルカの言葉を肯定し、向き直り、そして笑った。笑って言った。
「だけど、こうなったら仕方ないよな」
 雨の音が煩い。遠くに聞こえる波の音も、窓を鳴らす風の音も、何もかもが煩わしい。同じくらい、何もかもがお誂え向きだ、とも思う。
「聞いてやるよ」
 その言葉を口にすれば、全てが在るべき場所に収まることを知っていた。知っていて先延ばしにしていた。けれど、躊躇していた本当の理由は、スパーダ自身にも知れない。
 ルカとイリアが上手く行けば良い、と思っていたのは事実だ。だが、それが気の合う友人達の幼い恋心を応援したかったからなのか、前世におけるアスラとイナンナとは別の結末を求めたからなのか、それは判らない。後者であるなら自分本意極まりなく実に反吐の出る話だ。こんなところにまで選択と責任とを放棄した無機物の贖罪がついて回るのか、と思うとうんざりした。いっそ、またデュランダルと同じにルカがただ振るうだけの武器であれたなら、と思う。同じくらい、自分の意志で彼の隣に並び立ち、その背を守り、敵を払うことが出来る今を誇らしく思う。矛盾だらけだ。
「聞いてもらうことなんて、ない」
 雨音の中、小さなルカの声は思いの外はっきりとスパーダの耳に届いた。あれだけ含みを持たせて言ってやったのに解らないのだろうか、とスパーダは少年の浅い海の色をした眼を見つめて返しながら眉根をひそめた。
「イリアには何も言ってない。言わなかった」
 スパーダの視線から逃れるように顔を反らしたルカは、早口にそう言った。そこには少年の若い動揺がありありと見て取れたが、それはスパーダにしても同じことだ。動揺し、反応が遅れた。眩暈すらした。ルカがイリアと結ばれるにせよ、結ばれないにせよ、それらは彼が想いを告げるという大前提があってこそ成り立つ。そしてスパーダはその大前提を疑いもしなかった。
「ばっ……かか、お前は!告ってねぇだと?信じらんねぇ!あのタイミングで告らねぇとかありえねぇだろ!玉ァ着いてんのかお前!」
「た、ま……!た、ス、スパ……だ、だって仕方ないだろ!ぼ、僕だって、僕だって言おうと思ったよ!イリアに言うなら、今しかないって、そう……」
 スパーダの悲鳴に程近い罵倒に、ルカもまたつられたように声を張り上げると勢いに任せて椅子から立ち上がる。少年の責め立てるのとも違う、けれど何処か必死な剣幕に圧されてスパーダは言葉に詰まった。
「スパーダの顔が浮かぶんだ。スパーダに会いたくて、スパーダと話したかった」
 袖口から僅かに覗くルカの指先は、強くシャツの裾を握り込んでいる。震えている。ただそれだけで、芯は強いくせに勇猛さとは程遠い気性の彼が本気なのだということが知れてしまう。誰よりも、知れてしまう。だが、だからこそスパーダはその決意を挫く言葉を探らなくてはならなかった。ルカに、最後まで言わせてしまうわけにはいかなかった。
「ルカ、黙れ」
「黙らない」
 上ずっているのに強い口調でルカは言った。スパーダの制止の声も届かずに、歩を進め寝台の脇に立つ。
 「黙らないよ、スパーダ。僕の意志は僕のものだ。僕の言葉も」窓から差し込む薄ら白い光を背に、ルカは言った。「そこに責任が伴うことも、僕は知ってる」
 裾を握り込む手は、強く力を込め過ぎていて光源の少ない部屋の中にあっても殊更白く浮き上がって見えた。スパーダはルカから視線を外し、握り締める指先を凝視した。
「その責任を、僕から奪ってしまわないで」
 スパーダはルカの指先へと、諦念で以って手を伸ばした。また、剣を持ち続け、振るい続けた武骨な手が少年の細く柔らかな指に絡み付くその様子を、諦観を以って眺めた。その不実な指を、ルカは握り返した。だから、スパーダは顔を上げたのかも知れない。
「僕は大丈夫。そんなに弱くないよ」
「お前はヘタレでビビりだが、弱いなんて思っちゃねぇよ。何たってこの俺様の――親友、だからな」
 気安い言葉にもルカはただ微笑んでみせた。だから本当に、自分に出来ることはもう何もないのだ、とスパーダは思い知った。
「スパーダが好きなんだ」
 一世一代のルカの告白は、変声期前の少年特有の響きで以って心地よくスパーダの鼓膜を揺らした。綺麗な声だな、とスパーダは思った。ずっと思っていた。それから、その声が紡いだ言葉の意味するところをゆっくりと咀嚼する。そうだろうな、と溜め息をつく。
「……それを言って、伝えて、どうしたいんだお前は?」
 少年の指先に絡めた指に力を込めてスパーダは言った。分からない、とルカは碧い瞳を所在なさげに揺らして呟いた。
「責任なんて持てねぇじゃねぇか。馬鹿が」
「だけど、本当のことだもの」
「オレとお前が親友だ、ってのも本当のことなんだぜ?」
 今度こそ言葉を失ったように、ルカは黙り込んだ。
「……卑怯な物言いをしてるとは、自分でも思うけどな」
 見た目の薄ら白さに反して暖かいルカの指先に絡めていた指をスパーダはほどいた。子供の体温から離れた指が急速に冷たくなる。その体温を惜しいと思う。だから、というわけではなかったが、スパーダはそのまま腕を掲げ、寝台の脇に棒立ちになるルカの色素の薄い髪に冷えた指先を差し込んだ。煌めく鮮やかな碧い瞳を見上げた。
「解れよ」
「だけど」
 声が重なる。ルカの髪に差し入れた指にもまた、手のひらが重なる。そうしてルカはすっかりスパーダの手を握り込んでしまうと、寝台へと片膝を乗り上げてきた。その様子を、スパーダはぼんやりと眺めていた。
「好きなんだ」
 スパーダの背中に腕を回して肩に顔を埋めながら、ルカは言った。そうだろうな、とやっぱりスパーダは思った。
 細く折れそうな少年の背中に同じように腕を回すことはせず、ルカの肩を押し遣り身体を離す。それから、膝立ちになって不安そうにスパーダの顔を伺うルカを見上げた。
 何もかもが面倒に思えてきた。これ以上馬鹿な問答を繰り返すより、薄く開いたその唇に舌を差し入れて絡めて、彼の望むままに抱き締めて身体を繋いでしまえば全てが円く収まるような気すらしてきた。誠実な彼は目の前の男の真意を知ったら幻滅するだろうか、と脳裏に過る。何も始まらなければ、何も終わることはないのだと願っていた。
 ルカは埋めていた顔を上げると、触れるだけの口付けをスパーダの唇に落としてきた。だから彼はスパーダに答えは求めていないのだと思い、安堵した。
 おずおずと離れていく唇を追ってついばみ、背中に回していた手でルカの頭を抱え込んでしまえば、小さな彼はスパーダの腕の中に収まってもう逃げられない。慣れないルカの反応ひとつひとつが楽しくなって執拗に口付け、唇に噛み付いた。忍ばせた舌で少年の上顎を撫でている間は、不思議とスパーダの中から葛藤のようなものは失せていた。

 窓を叩く耳鳴りのような雨音に、荒い少年の息遣いが混じっている。薄暗い部屋の中に浮かぶ仄白いかんばせを見るともなしに見上げながら、スパーダは噛み締めていた奥歯の力を抜いた。そんなスパーダの些細な変化に気付いたのか、きつく瞑っていた目を薄らと開き、それから申し訳なさそうにルカは口を開いた。
「ごめんね。痛いよね」
 今にも泣きだしそうな、鼻に掛かった声だった。垂れ下がった眉尻には、汗で濡れた銀色の髪が張り付いている。腕を伸ばして髪を払ってやると、ルカは擽ったそうに肩を竦めた。
「痛くはねぇけど、気持ち悪ぃのは確かだな」
 言って、スパーダは笑った。
 抱き付かれて抱き締めて、口付けられて舌を絡めて、やっと離れたと思ったら、肩を押されて視界がひっくり返り気が付いたら汚れた天井を背にルカが顔を覗き込んでいた時には、先ず彼の正気を疑った。この状態にあってこれから何が起きるのかだとか、ルカが何をしようとしているのかだとか、考えが巡らない程スパーダの思考は緩慢ではなかったし、女の体を知らないわけでもなかったからだ。ただ、そう遠くない昔の記憶では組み敷かれていたのは女の柔らかい肉であり、組み敷いてその肉を貪ったのはスパーダである筈だった。だから、もう、腹を括るしかないのか、と覚悟を決めた――というより、諦めたそのとき、スパーダは柔らかくはないが小さくしなやかな身体を出来るだけ傷付けないようにしよう、と考えていた。考えて筈だ。考えていたのに、何故か、その柔らかくはないが小さくしなやかな身体が今まさに腹の上にちょこんと跨がっているという異様な光景、異様な事実にスパーダは少なからず狼狽えた。そんなスパーダの狼狽を正確に察したらしいルカは「ごめんね」と矢張り呟いた。だからもう色々なことが面倒臭くなっていたスパーダは、まあいいか、と考えることを放棄した。
 だが、実際こうしてことに及んでしまえば、つくづく組み敷かれる側に回ったのが自分で良かった、とスパーダは思った。確かに身構えるような痛みはなかったが、先ず最初に腸壁を擦る異物に閉口し、次にある一点に触れると込み上げる嘔吐感に辟易したからだ。あまりに長くその一点に触れられていると、胃の中身が逆流しそうになるのだから困る。だが、同じくらいルカにこんな思いをさせたくないしまあいいか、と思った。思わないとやっていられなかった。だからもうスパーダはただただ強く、早く終われ終わってしまえと念じた。
 それでも、薄い闇に浮かぶルカの少年らしい白い輪郭を見上げているのは嫌ではなかった。固く筋張るばかりの男の身体に縋る少年の姿はともすれば異様な光景として目に映っても仕方がない筈なのに、不思議とそうした不快さを感じさせることはない。少なくとも、同性に対して足を開き組み敷かれるという不様をほんの一時でも忘れて見惚れる程度には少年の姿は美しかった。

 目を覚ますと、部屋の中は濃い闇の中にあった。ことが済むと雨に打たれた疲れもあったのかルカはすぐに寝入ってしまい、スパーダはスパーダでそんな彼を寝台に残してバスルームにこもった。後始末もそこそこに、眠るルカの脇に滑り込むまでにそう時間は掛からなかったように思う。
 ルカを起こさないようにスパーダはゆっくりと上体を起こした。身体に倦怠感は残っていたが、考えていたようなダメージはないようだった。それよりも寝過ぎたのか頭が重いのが気になった。
 暗い部屋に視線を巡らせ、未だ夜明けが遠いことを知る。だが、雨はあがっていた。
 だからスパーダは寝台から抜け出ると、一度は解いた荷を手早く静かに纏めた。身支度を整えている間に、無くなった人肌を惜しむようにルカが身動いだが気が付かなかったふりをした。
 灯りのない部屋にルカを残し、小脇に抱えてしまえる程の荷物を手に扉を閉めるまでに五分もかからなかった。音もなく人気のない廊下を進み、吹き抜けから欠伸を噛み殺して夕刊に目を滑らせる女将の顔を伺い、階段を駆け降りる。
 夜明け前の深夜にリビングに現れたスパーダに、女将は驚き姿勢を正した。それを手で制し、昼間カウンターに居た主人であれば話は解るだろうが、と前置きをしてから部屋に連れが残っていることを告げ、追加料金を払う。スパーダの素性を知る女将は何か言いたそうに口を開いたが、結局何も発することなく、だが少し呆れた様子で小さく頷いた。
 宿を出ると、雨上がりの湿った空気が肌にまとわりついてきた。遠目に明らむ水平線を見遣り、足は港へと向く。
 一度だけ、宿から離れたところで振り返り、暗い窓を見上げた。まだ夢の中に居るだろう彼は、きっと目を覚まして絶望するのだろう。怒るかも知れないし、涙を流すかも知れない。想像は容易で、そんな彼の様子に胸は痛むのに後悔はなかった。ただ酷い話だとは思い、スパーダは喉を鳴らして笑った。それから、夜明け前の冷たい空気を大きく吸い込み、視線を港へと戻すとまた歩きだした。

 


 


 

 



 

 

 


和姦なんて無理だよ書けねぇよ。。。

この2年後くらいに軍医見習いでルカが海軍に居るスパーダんとこに来たら楽しいと思う。
そしてお互いにぎくしゃくすればいいと思う。
(20101001)





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最終更新:2010年10月01日 21:06