時間軸は決戦前夜なんですが、こんなコンディションでラスダン行っちゃらめぇ!な感じ。
ヒューバートがイライラムラムラウジウジしてるだけです。ギャグです。




 母の淹れた紅茶を飲み終えて、ヒューバートが部屋に戻ると兄が居た。カーテンを閉めきった夜の部屋の中は照明に照らされて明るく、二つ並んだ寝台のより扉に近い方(ヒューバートがまだラントの屋敷に居た頃、使用していたものだ)に仰向けになっていた。
 靴は履いたまま、兄の爪先は寝台からだらりと伸びて、床に着いている。フォドラから見たエフィネアを思わせる印象的な青い瞳は、仰向けに寝そべったそのままに、ただ天井を凝視しているように見えた。
「おかえり、ヒューバート」
 微動だにせず、兄は言った。そこでヒューバートは漸く、自分がまだ扉を開け放した姿勢のまま、部屋にすら入っていないことに気が付いた。
 思った以上に、恐らく、動揺している。
 胸中の、焦燥とすら言っていい動揺を捻じ伏せて、兄に決して気取られることのないよう、溜め息を一つ吐いて誤魔化してから、ヒューバートは部屋に入った。蝶番が軋み、扉が閉まるその音にさえ、兄が反応らしい反応を返すことはなかった。
「兄さん。寝るならご自分のベッドへどうぞ」
 寝台を占領する兄の方へ、極力意識も視線も向けないよう努めながら、ヒューバートは言った。軍服の襟元を緩めながら近付いても、兄は矢張り天井を見上げていた。
「一緒に寝るか?」
 傍らに立つヒューバートからは視線を外したまま、兄は言った。
「ご冗談を」
 本当に冗談じゃない、とヒューバートは思った。だが、そこでやっと兄は喉を鳴らすような笑いを溢して、天井から視線を外した。
 ヒューバートとは違い、どちらかといえば今は亡き父に似た色合いの瞳が、常よりも随分低い位置から見上げてくる。
「ひどいな。昔はよく、一緒に寝てたのに」
「……覚えていませんね」
 よく覚えている。
 子供だった時分、ヒューバートは歳不相応に利発だったが、同時にこれまた歳不相応に臆病でもあった。成長してからも変わらず使えるように、と誂えられた寝台の広さに、あてがわれてからというもの毎晩脅えて眠っていた。そんな弟を見兼ねたのか、彼の生来の優しさからか、兄は自分の寝台を抜け出してはヒューバートの毛布に潜り込んできた。
 薄情な奴だ、と兄は笑った。そうして、上体を横にしてヒューバートの方へ向き直る。
「母さんは?お前、母さんのとこだったんだろ」
「お見通し、ですか」
「勘かな」
「……もう休みましたよ」
 答えると、兄は自分から話を振ったにも関わらず、気のない返事と相槌とを寄越しただけだった。それでも、そうした兄の言動に然して業腹でなかったのは、ヒューバート自身あまり余裕のある状態になかったからだ。
「兄さん、明日は星の核[ラスタリア]に向かうんです。解ってますか?いつまでもぐずぐずと起きていないで、さっさと寝て下さい」
 再度、寝台からの撤退を命じて、彼のものである奥の寝台を指で示しても兄はその先に視線を向けることすらせずに、大きな欠伸を一つしただけだった。殴りたい。
 ヒューバートが拳を固めた先には、濃く、癖のある赤毛が、色味の薄いシーツの上に疎らに散ってよく映える。目の毒だ。
 何も知らない無邪気な兄は、だからこそ愚かにも自身を劣情の対象として見ている男の寝台に寝そべるなどという暴挙に出られるのだろうな、とヒューバートは思った。そのことに対しては、業腹とは違ったが、八つ当たりにも似た苛立ちを覚えもした。

 兄さん貴方の可愛いヒューバートは、七年という年月を経てすっかり可愛くないヒューバートになってしまいました。すみません。高慢で狡猾で、謀略や奸計の海を渡り歩くことに一種の快楽すら見出だすような変質染みた思考を持ち合わせるようにもなってしまいました。その変態的嗜好はここに来て、血の繋がりを疑いようもない実の兄に欲情するまでに至ったのです。七年ぶりの再会をして一夜明けた次の日、かつての支配者であり絶対的暴君だった貴方をこてんぱんにのしてラントから放り出したあの日、ぼくは初めて貴方への想いが自覚に至りました。初めの内にこそ、ぼくは貴方を追いやることで自己をようやっと確立或いは解放することが出来たからなのだと、そう思っていました。矢張り手放されるべきはぼくではなかった、ラントの領主にはぼくこそが相応しかったのだと、そう思っていました。けれど、よくよく考えてみればそのような確証などぼくには今更必要のないものであったし、ストラタ軍の佐官という地位は何の後ろ楯もなく個人の実力で得たものなのだから、ラントの領主という地位などより、ぼくにとっては価値のあるものでした。だのに、ぼくは貴方を打ち負かし、言い知れない高陽感を覚えたのです。ならばそれは成る程、温室育ち(このときのぼくにはそう思えてならなかったのだ)の兄に対しての優越感だったのか――そう、一人きりの執務室で結論付けました。しかし、

「七年ぶりにこの部屋に入ったとき、こんなに小さかったかな、って思ってさ」
 七年ぶりにこの部屋に入ったとき、ヒューバートは唐突に理解した。
「お前もさ、帰ってきてこの部屋使ってたんだろ?だから何が見えるのかな、って」
 そこで漸く上体を起こして笑う兄に、ヒューバートは同様に笑みを返した。返しながら、自分はこの寝台を帰ってきてからただの一度も使っていないことや、懐かしい兄の匂いの残る奥の寝台で自慰に耽っていたことを告げたのなら、この無垢な兄はどんな顔を見せてくれるのだろうか、と考えていた。
「何も変わりませんよ。何も、見えません」
「何だ、お前。相変わらず頭まで毛布被って寝てるのか」
 被っている。兄の言う通りだ。
 洗いざらしのシーツや、毛布の中に、最近のものなのか、それとも七年前から染み付いたものなのか、兄のその残り香を見つけては、打ち負かし、膝を突いた兄の表情を思い出していた。苦悶や、苦痛に歪む顔を思い出し、汗で髪の張り付いた額や頬を思い出した。
 兄の中で、自分という存在が七年前と少しも変わらず「可愛いヒューバート」のままであることには、気付いている。
 ヒューバートが兄を打ち負かし、支配欲とも性欲ともつかない加虐の念に取り憑かれていたそのときに、故郷を追い出された彼が何を思い、考えたのかは分からない。けれど、三度ヒューバートの前に姿を現した兄だった男(少なくともそのときは、本当にヒューバートはそう思っていた)は、矢張り少しも変わらない「兄」としての顔で「可愛いヒューバート」に接し、その窮地を救おうと苦心し、奔走した。七年の歳月も、自分を故郷から追いやった「男」の存在も、ヒューバートの劣情も愉悦も苛立ちもまるで無かったことのようにしてしまった。
「……貴方が卑怯だから、ぼくは弟であることに縋るしかないじゃないですか」
 忌々しい、と吐き捨てることはしなかった。けれどあまりにも腹立たしかったので、ヒューバートは変わらず寝台を占拠し続ける男へと手を伸ばして、胸ぐらを掴み上げた。
 流石の男もただ事ではない「弟」の様子に、口を開くより先に身を退こうとしたようだったが、遅い。男の唇を目がけたヒューバートの犬歯は、口の端を擦る。
 男は、唇と歯が触れた初めこそ驚いたように目を見開いたが、「弟」が顔を離して、それでも常より遥かに近いところから見つめる頃には、平静を取り戻したかのように落ち着いていた。それが面白くなくて、ヒューバートは再度口付けの真似事をしようと身を乗り出すと、顔と顔、唇と唇との間に手のひらを差し入れられ、制止された。
「ヒューバート」
 兄の声がした。
「……何も、見える筈がないてしょう。そんなところに、いくら寝そべっていたところで。ぼくの見ているものが、貴方に分かるものか」
 分かる筈がない。そうして、言いながら、自分にも彼が何を見ているかなど、分かりはしないのだ、とヒューバートは思った。
 「可愛いヒューバート」も、目の前の「兄」の姿勢を崩さない男も、すべては思い込みでしかないのかも知れない。或いはただの願望に過ぎないのかも知れない。
 ヒューバートはこの男に欲情している。持て余す性欲から、彼を無茶苦茶にしてやりたい衝動は確かにあるのに、その後のことを考えるのが、怖い。だから、先ず最初に取り払ってしまいたいと、取り払うことが出来たのだと自分に都合の良い錯覚をした兄弟という垣根を、本質的には決して手放すことは出来ないのだと、そう、思い知ったときのヒューバートの絶望をこの男が知り得る筈がない。ヒューバートが無用のものとして断じて置き去りにしたもの全て尽くを、丁寧に拾い上げ、磨き上げ、そうして突き付けてくるこの男が堪らなく憎い。その事実に、男が突き付けてくる温かく和かいものすべてに、縋るしかない自分がどうしようもなく惨めに思えてならない。
 「ヒューバート」男はまた、弟の名前を読んだ。拒み、制止する手のひらは、気が付けば弟の頭の上に乗せられていた。「……何ていうか、お前っていっつも大変そうだよな」
 本当に、この男には何一つ知れず、伝わらない。この男の何一つが、ヒューバートには底知れない。
「もっと、楽に生きたっていいんじゃないか」
 掠めたばかりの唇が、まるで他人事のように動く様を、ヒューバートは眺めていた。もう一度、赤く色付いた唇に口付けたなら、男は無神経な言葉繰りを改めるのだろうか、と考えた。
「なら、無かったことにして下さい。……得意でしょう」
 ただ、それだけを告げるのに酷く疲れた。そんなヒューバートの諦念や苦悩などまるで気に留めずに、男は腰を浮かせると両肩に腕を回してきた。そして、頬にひとつ、親愛の情を示す唇を落としてきた。
 抱擁の解けない腕の中は、むせ返るような兄の匂いに溢れていた。


放たれた矢 Shoot Mistilteninn at my darling
20100201


 決戦の朝は、よく晴れていた。快晴――とまではいかないが、流れる雲と雲の合間にはエフィネアを被う水面が揺蕩い、羅針帯[フォスリトス]が蒼く揺れている。良い天気だ。
 空を見上げたまま、マリク・シザーズは大きく息を吸い込んだ。肺いっぱいに、新鮮な朝の空気が流れ込んでくる。
 清廉な朝は、これから星の核[ラスタリア]へ赴くマリクの足取りを軽くさせた。ラントを出て、シャトルへと向かう街道を元教え子が並び歩くその時までは確かに、これからの戦いを思い高揚し、これからのフェンデルの未来を想い希望のようなものに胸を膨らませていた筈だった。
「教官、上ばっかり見て歩いてると転びますよ」
「お前と目を合わせるくらいなら、俺は地面と口付けする方を選ぶ」
「……教官、それはちょっとひどくないですか?そもそも、被害者は俺の方なのに」
 元教え子の指摘に、変わらずマリクは空を見上げたままで居た。歩く脇で被害者は肩を竦め、二次被害者は深々と溜め息を吐いた。
 視線を空から外して、マリクは幾らか前を歩く加害者の背中を見遣る。元教え子とはまた違う意味で、生真面目且つ几帳面な性格そのままに、真っ直ぐと伸びた背筋からは誠実さしか感じ取れなかった。
「……気持ちは分からんでもないが――いや、撤回だ。お前の気持ちはさっぱり分からん。だから、俺に相談するな。これから重要な戦いだというのに、士気が落ちる」
「それを言ったら教官、戦闘中に昨夜のことが気になって、俺の振るう剣の切っ先があらぬ方向……例えば教官の方に、『おおっと!手が滑ったぁ!』とかなったらどうするんですか?」
 朗らかな元教え子の言い様に、そこでマリクは漸く視線を彼へと向けた。フェンデルではあまり見かけることのない、暗い色をした赤毛が揺れている。
「……具体的だな」
「ありとあらゆる可能性は考慮すべきですし、悩みがあるなら溜め込むのは良くないと思うので。……士気にも関わりますから」
 意趣返し、とでも言うように元教え子は付け加えて笑う。朝一番、広場に集まった仲間たちが疎らな足取りで町外れの門へと向かう途中、世間話の延長のような口調で昨夜弟に口付けられた、と相談を持ち掛けてきた被害者が聞いて呆れる、とマリクは今日だけで何度目にかるかも分からない溜め息を吐いた。
 これが、彼の幼馴染みの少女であるのなら、マリクは喜んでアスベル・ラントの相談に乗っただろう。彼らの倍以上の人生経験を以って出来得る限りのアドバイスをし、お節介すら焼いただろう。相手がソフィなら、それは確かに恋愛感情を孕んだものであったか問い質しただろうし、パスカルだったとしても意外性に驚きこそすれ、シェリアには気の毒だが応援することに抵抗はない。
 だが、何故ヒューバートなのだ、とマリクは思う。否、アスベルが悪いわけではないのは解っている。彼自身が主張するように、アスベルは被害者だ。
「考えてもみて下さい、教官。他に誰に相談出来るって言うんです?」
 だのに、持ち掛けられた相談の内容とは裏腹に、この被害者からは深刻さの欠片も伝わってこない。当事者として、ある程度腹を括ってしまっているのか、寧ろ聞いているマリクの方が気が滅入りそうだ。
「適材適所。諦めて下さい」
「……お前は諦めたのか?」
 言われた通りに潔く諦めたマリクは、そこでアスベルに問うた。元教え子は首を捻る。
「そ、う……ですね。まあ、結局なるようにしかならないんだろうな、とは」
 歯切れ悪く、アスベルは答えた。だが、そこにも矢張り、憂いのようなものは見て取れなかった。
「でも、良かったです。さっきの話じゃないですけど、気掛かりなことがあるまま、あいつが星の核[ラスタリア]に行く羽目にならなくて」
「その皺寄せがお前に来ているように思うが?第一、根本的な問題は何も解決していないだろう」
 昨夜遅く、ヒューバートはマリクたちがあてがわれた客室の空きベッドに潜り込んでいた。朝、起きたときには姿はなかったが、部屋に入ってきた彼の名前をソフィが寝呆けた声で呼んでいたので間違いない。
 思うに、彼ら兄弟の幼馴染み曰く超が二つ付くくらい鈍感な兄の方を相手取り、二進も三進も行かなくなって弟は退散して来たのだろう。マリクの思う、根本的な問題の解決がなされていないというのは、そんな弟の行動にあった。
「その問題が自分のものなら、対処のしようもあるし、限界も見極められます。でも、あいつは秘密主義な上に、一人で溜め込むじゃないですか。それで深みにはまる、と。だから、今回暴露したことで、多少でも気持ちに余裕が出来れば、今はそれで構わないと思います」
 アスベルの言おうとしていることは何となく分かる。分かるだけに、酷な話だ。こうなってくると、とてもその気にはなれなかった彼の弟の恋路も応援してやっても良い気がしてくるから不思議だ。
「……余裕どころか、却って追い詰められてしまったかも知れないぞ?まして、変に挑発をしてしまって取り返しのつかない事態になっていたら、どうするつもりだったんだ」
「そうですね。ヒューバートが理性的なやつで助かりました」
 元教え子である青年の言い分は、とことんまで惨かった。自分で言いながら何を納得しているのか、うんうん、とアスベルはマリクの横で頷いている。この分なら、彼の弟は一度くらい意趣返しの意味も込めて、薄情な兄の尻穴を掘っても構わないのではないだろうか、とマリクは思った。だから言った。
「もうこれ以上、俺からお前に言ってやれることはない。さっさとケツを弟に差し出してこい」
「教官、酷いですね」
「酷いのはどっちだ」
 一応の自覚は本人にもあるらしい。マリクの指摘を、アスベルは曖昧に笑うことで濁した。
「でも、冗談はさて置いて、ラッキーだったのは確かです。やっぱり、落ち着いて考える時間というか、心構えする時間は必要だと思うので」
 本当に酷い男だ、とマリクは思う。弟の決して踏み込めない一歩を無意識的に理解した上で、こんなことを言い出すのだから、手に負えない。
 眉間に指を添えて俯くマリクを、アスベルは怪訝そうな目で見ている。
「本当に哀れだな。お前の弟は」
 するとアスベルは怪訝そうな表情をそのままに、数回瞬いてから口を開いた。
 「何言ってるんですか、教官。あいつにとっての弱みは、そのまま俺にも言えることですよ?」そこで初めて、軽い口調の中に忌々しさのような彼の感情が滲む。「相手の自主性に重きが置かれてる分、俺には最初から勝ち目なんてないんです。愚痴くらい大目に見て下さい」
 諦観を以ってぼやく元教え子に、今度はマリクが瞬く番だった。

 




ノリと勢いを言い訳に出来るのは、若い内だけですね。すみませんでした。
(20100202)




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最終更新:2010年02月03日 00:01