現存する最古のテイルズ小説(わお)。


 

 雲一つなく一面に広がる青空はいっそ嘲笑的であるとさえ思う。

 どうせ死ぬなら馬鹿みたいに晴れた日が良い。

 


蝙蝠の朝 Have bats in the belfry
20040104

 

 For I the LORD thy God will hold thy right hands,
Saying unto thee, Fear not; I will help thee.
                       (Isaiah 41:13)

 

 

 

 

 今この眼に映るのは、痛みか苦しみか、それとも刹那の幸福か。

 蠢く赫、視界を埋め尽くす朱の色に、思わず笑みが、こぼれた。

 

 近くで踊る炎、遠くで喘ぐ痛み。ぼんやりとその光景を見つめていた。
 森が燃えていた。
 伝説の鉱石をも溶かすという灼熱の焔が、視界を朱に埋め尽くす。実際それでも燃え盛るそこからは随分離れたところに立っているというのに、容赦なく焔は毛先を焦がす。蛋白質が焼け焦げる独特の匂いが鼻をつき、そしてまたすぐに熱風に掻き消された。
 ゆっくりと、けれど確かな足取りで歩を進める。足元の砂利は熱を帯び、その存在を靴底を隔ててなお主張してくる。炎の中、崩れゆく家屋にかつては人であったであろう煤けた腕を見つけ、ここまで焼け焦げているのであっては匂いも何もないのかもしれない、と一人笑う。
 立ち昇る黒煙は、かつてこの深緑の村に茂っていた木々と同じように空を覆う。見え隠れする青空に目を細めた。遠い、遠くの、届かない光だ。
 大きな音をたてて焼け爛れた木が倒れ、その衝撃ですぐ脇の家が潰れる。木片は悪意のような熱を孕み飛び散る。その一つが剥き出しの腕を掠め赤く傷を遺していった。手で軽く触れれば、笑える程微量の赤い赤い血が指先に付着していた。腕に走った痛みとも熱ともつかない感覚が笑いを誘う。
 死は緩慢にかつての村に充満し、背徳の民を焼き尽くすのは赤、その只中で血を流しながらそれでも生きて笑うのは、裏切り者。きっとそれは生まれながらに世界という名の舞台で、演じ続ける事を義務付けられた道化。哀れなものだ、と感慨もなくただ呟く。漏れた笑みにも自嘲すら含まれてはいなかった。ただ静謐に、絶望する。

 不意に、久しく耳にしなかった音が届いた。焼け焦げた草と砂利とを踏み締める足音が、猛る炎の轟音の合間を縫うように、か細く耳に届いたのだ。
 まだ遠い、けれどその足音に先程のものとはまた違う類の笑みが漏れる。気配を隠そうとすらしない露骨さに、呆れたのか安堵したのかは分からない。考えてから安堵とは可笑しな話だとそう思った。
 何れは敵となる男だった。クルシス、レネゲード、そして彼ら―――秤にかけるまでもなく、弱小な勢力。そうなれば、彼らと自分との間にあるのは互いを理解し合う為語らう言葉などではなく、ただ敵を切り裂く剣だけだ。

 どうせ始末をつけるなら早い方がいい。遅かれ早かれ彼らを裏切るのなら、例えばそう、情が移る前に斬り捨ててしまえばいい。

 虫唾が走るのだ。安らぎを得る事、それが何も変えてくれない事、その事実に絶望する自分。そんな惨めな自分に、自分を惨めにする感情に、虫唾が走る。そんなものに縋るくらいなら、ただ無心に剣を振るう事を選ぶ。そして、そんな判断と選択を迫られている自分に驚いた。ヤバイなこれは、と自覚する。自覚して、それと認識する事自体手遅れなのだと胸中自身をせせら笑う。同時に、しかしそれも大した問題ではないと、何を今更と囁く自分がいる。自身を対象物として捕らえてなお、矢張り迷いはないのだった。
 安らいでいるのは認めよう。好意に似た何かすら、或いはこの束の間の仲間達に抱いているのかもしれない。情なんて本当はもう当の昔に移ってしまっているのかも知れない。それでも、そこに迷いはない。迷いはないのだと、断言できる。

 遠く、声が聞こえる。ゼロス、遠くで少年が呼んだ。遠く背後で、ロイドが呼んだ。

 まだここまでは踏み込めない。
 舞台上に一人取り残され、踊り狂う道化をあの少年はまだ知らずにいる。

 ゼロス、もう一度名前を呼ばれた。返事はしない。ただ、一向に勢いの収まる事のない炎に目を遣り、それから霞がかった視界の向こう、突き抜けるような青い空に目を遣った。高く冷たい、薄ら氷のような色だと思った。
 吸い込んだ空気は、妙に熱く重い。煙に噎せ返る衝動を押遣り生唾ごと飲み下す。頬を伝う汗が口の端に溜まり、それを不快に思い拭った。

 手を伸ばし、腕を掴み、彼は笑うのだろう。
 笑って、きっと自分を今いるところから引き摺り下ろしてしまう。

 ゼロス、また呼ばれた。けれどそれは今までのような返答を求める呼び掛けでなく、対象物を捕らえたときに人が発するそれで。そのまま真っ直ぐに、こちらへ向かって走ってくるのが背を向けていても分かる。

 その時自分は、笑っていられるだろうか。
 その時自分は。


 その時。

 

 思えば、それはとても自然な所作だ。蝋燭の火を吹き消すような、零れた水が地面に染み込んでいくような、そんな至極当たり前のような自然な所作。その自然な所作で、右手を動かす。滑る様に、ただ左脇に下げられた剣の柄へ手を遣り、掴む。よく手に馴染んだ感触だ。そして、いつも彼が、自分が魔物と相対した時にするように、ただ引き抜き、ただ振り被った。少しの躊躇いも、安らぎも好意も情すらなく、ただその一閃を彼の肉に食い込ませようと、それだけを思った。

 

 その時自分は、きっと彼に思いの丈の総てをぶちまけるのだろう。

 それはとても、惨めこの上ないに違いない。


『だから殺すの?』


 それこそ

 


「―…何を今更」

 


 笑う。

 

 

 


 金属と金属とがぶつかり合う音が、周囲に響き渡る。次いで、右手から肘にかけてが酷く痺れるのを感じて、ゼロスは思わず剣を取り落とした。だが、それでも何が起きたのか理解するのにそう時間は掛からなかったように思う。抜き放った渾身の一撃は、同じように剣を抜いたロイドによって妨害され打ち落とされただけなのだと、それだけの事だった。ただ、完全に不意打ちとも言えるあの状態での抜き打ちをしくじったという事に少し驚いた。
 自分に迷いがあったとは思えない。なら、それはきっとこの少年の実力に裏付けされた、正当な結果だ。

(―…若しくは、ハナっから警戒されてんのかもな。…ま、どちらにせよ……)

 殺しても、死なないのだ。自分が殺そうとしたところで、この少年は死なない。それだけが確かな事実だった。そして、それを素直に嬉しく思った。

 ゼロス以上に驚いているらしいロイドは、何とも形容し難い複雑な表情をこちらに向けている。困惑と憤りと、思いつく限りのそれら全てが織り交ざったような、そんな表情。
「何?ロイドくん、それは百面相かな?」
 そう言って、声を上げて笑う。
 上手くいった。
 それでも彼の眉間の皺はとれなくて、今度はそれに苦笑した。
「ば…ッ、そーじゃなくてお前、何考えてんだよ!危ないだろ!」
 非難の声を上げながらも剣を鞘に収める。ごめんごめん、とゼロスは誤りながら、矢張り今なら簡単に殺せるかも知れないな、と思った。
「いやいやいや、ホントに悪かったってハニー。でもよぉ、こんなトコ一人っきりでいてみろって。後ろから誰か来たらさ、普通びびって攻撃の一つや二つしちゃうでしょ、ね?ね?」
 俺様繊細だから、と付け足せば、分かった分かった、と少し呆れた様子で彼が言う。けれどこれ以上強くロイドが出られないのを、ゼロスは知っている。ゼロスを連れ立ってこの灼熱の炎の中へやって来たのは、他ならぬロイド自身であったから。だから、彼がそれ以上何も言えなくなるであろう事を、ゼロスは知っていた。卑怯だね、自分、という胸中の囁きが、もっと自嘲めいていれば良いのにと思う。思うのに、何故だかそれは酷く事務的に浮かんだ単語でしかなく、それを少し残念に思った。

 交わされる言葉、軽口に何気ないやり取りは、もしかすると自分がずっと望み続けて止まなかった何か。或いはそれは安息か幸福。当たり前の温もりは、けれど今まで決して持ち得なかったものでもある。そして、それは今この手にある全てでだ。一面の炎の中にある、それもまた酷く自分らしい、とゼロスは思う。

 ただ一面の炎が、ただ一面の赤が、肌を焼く熱が、背筋を這い上がる寒気が、酷く自分らしい、自分らしいのだとそう思った。

 焼けた土の上に投げ出された剣を拾い上げるその傍らで、見下ろしているのであろう彼が溜息をつく。落ちかかる前髪を掻き揚げながら身体を起こすついでに顔を覗き込めば、露骨に嫌そうな表情をして見せて逸らされた。
「何よ?まぁ~だ怒ってんのロイドくん」
 からかうように言うと、否定的な視線を向けられた。
「……こっちも駄目みたいだな」
 悔しそうに呟く。
 遠く山奥の村の上空に光の洪水が溢れたのを見たのはつい一時間ほど前の事だ。雪原地帯からレアバードを飛ばし、村に着く頃には何もかもが手遅れだった。悲鳴すら既に途絶えて久しく、神の槌がその凄惨たる光景を生み出すのに然して時間が掛からなかったという事を暗に物語っていた。生存者を探さなくては、というそんな当たり前の事実に気付くのにも随分と時間を必要とした。それくらいに目の前に広がる惨劇は絶望的だったが、それでも何とか生存者を見つけた。十代も半ばの、金の髪をした少年―炎の赤が照りかえり、目が痛いくらいに光って見えたのを覚えている。仲間が慌てて彼を助け起こすも意識は戻らず、それを冷ややかな目でゼロスが眺めていたのが一刻ほど前の事だ。
 その少年の姿が目に入る所にはいたくなかった。だからロイドが他の生存者を探しにもう一度崩壊しかけた村へ向かう際、割とあっさり彼に同行した。結局、詮索に向かったのはロイドと自分の二人だけで、着いて来たという事実だけでも賞賛に値するゼロスの落ち度を、彼が強く攻める事が出来ないのにはそういった理由があった。
 彼の口振りからすると、どうやら他の生存者は絶望的であるらしい。無駄だなんて事は最初から判りきっていた事だろうに、と口の端に思わず昇るのを堪えた。自分でも、何を押し黙る必要があったのか判らなかったが、もしかするとそれは今彼があまりにも悔しそうな、悲しそうな表情をしているからなのかも知れない。一人炎の中に立ち、ぼんやりと物思いに耽っていた自分と同じように、この年若い剣士もまたゼロスの知らない何か辛い過去を思い出したのかも知れない。
 まるで彼の心を思いやっているような自分を少し哀れに思う。下らない幻想だと、言って聞かせるのにも飽きただろうにと、ゼロスは笑った。
「何だよ?」
「いんや…たださ、笑ってでもいないとやってらんねぇよなあ…って、まあそんな笑いだよ」
「嘘」
「………あのなあロイドくん、何を言い出すのかなお前は…」
 ロイドは答えなかった。その代わりもう一度、嘘だろう、呟いたのが聞こえた。自分の正しいと思えることを、そうやって断言できてしまえるところは彼の良いところだと思った。

「もしかして怒ってる?こんなところで笑ったからか?だとしたらごめんなハニー、気付かなくて。確かによく考えみたら俺様ってば超不謹慎じゃん」
「いや、あのな、俺が言いたかったのはソレもあるけどそーじゃなくて…」
 言い掛けてやめる。彼は困ったようにゼロスを見た。言いたい事分かるだろ、とロイドが少し拗ねた様子で訊いてきたが、ゼロスはただ肩を竦めた。彼の言う通り、分かり過ぎて困るくらいには自分の事を一番よく分かっている。ただ、認めるのが我慢ならない程度のプライドが肯定の意を示す事を拒絶する。だから何も言わないし、何も認めない。彼の口から断言されない限り、何も教える気はないのだ。

 ロイドに背を向け歩きだす。いい加減戻ろうぜ、と彼を促しながらそれでも、二人ともその後はずっと黙っていた。ゼロスの少し後ろを、彼がついて来る。
 何か言わなくてはいけない、考えている内に随分と炎から遠く離れた所にまで来た。まだこの辺りには日差しを遮る森の木々も鬱蒼と生い茂っていたが、どれもまだ神木と称するには心許ない細さだ。それでも漂う空気は湿気を含み重苦しい冷たさを孕んでいた。立ち込めた霧に濡れた髪が頬に張り付いて気持ちが悪い。先程まで炎の只中にいたその温度差で、余計にそう感じるのかも知れないと肩を抱く。その時に誤って傷に触れ、反射的に手をずらすが痛みは感じなかった。ロイドが気付いていない事を確かめ、改めて傷を見る。深い傷ではなかったが、それなりの出血量だった筈だと。
 血は、止まっていた。かさぶたの下、もう真新しい柔らかい皮膚が覗いている。だからか、と納得して、それから急に沈黙を煩わしく感じた。この煩わしさを、よく知っていた。だから口を開いた。中身など、初めからどうでもいい、ただこの重苦しい空気を取り払う為だけに振り返り、そして口を開いた。

「ロッイドくぅ~ん、寒くなーい?」
「うわっ」
「ひっでー、ウルトラ超クールビューティゼロスくんの顔見て、反応ソレかよ~」
「たった今急激に薄ら寒くなった気がするぞ」
 今度はそう言ってロイドが肩を竦めた。その様子に安堵し、そしてそれから可笑しくなって笑った。

 視線を前方に戻すと、生い茂った木々との間から質素な樵の家が見えた。村八分と称しても過言ではないであろうそこに、その家はあった。しかしその事が幸いして被害はない。元よりとうの昔に家主を亡くした家だった。そしてまた娘の一人は死に、一人は死んだように生きてきた。
 故郷が焼け落ちていくその様を、虚ろな目で見つめていた先刻の彼女を思う。
 涙一つなく、ただぼんやりと炎を見ていた。まるで空白の時にその全てを置いてきてしまったかのような、そんな目で、故郷が失われていく様を見つめていた。
 そんな訳はない。悲しくない筈がない。泣き叫ぶ事も怒り狂う事も出来ずただ見つめる事しか出来ない彼女が哀れで、そしてその人形めいた双眸と横顔が炎に映し出される様はただ単純に美しかった。

「プレセアはもう大丈夫かな?」
 後ろを行く人がぽつりと呟くのが聞こえる。同じ事を考えていた事に驚き、先程の沈黙もその事を考えていたのかと思い当たる。
 ロイドが足を止めたので、何となくそれに合わせて歩みを緩めた。
「ロイドくんてば心配性なのね~。全然ヘーキそうだったじゃん」
 傍目には、と胸中付け足す。
「そんな訳ないだろ!自分が生まれ育った村がこんな酷い目にあって平気な訳あるかよ」
 俺は凄く悲しかったし、目を逸らしながらロイドが言った。恐らく無意識に口をついたのだろう。やっぱりな、と思ったが、敢えてその事には触れずただ話を進めた。
「まあ、そりゃあな。でもプレセアちゃんは大丈夫だって」
「何でそう言いきれるんだよ」

「強いから」

 ロイドは黙り込む。考えているようだった。

「信じてやれよ。仲間だから心配っつーのもあるだろうけどさ、それでもやっぱ信じてやるのも仲間だろ」

 駄目押し。言ってて自分でも何を馬鹿な事をと、今度こそ紛れもない自嘲の笑みが零れそうになるのを必死になって、堪える。
 仲間だから心配して、仲間だから信じて、仲間だから欺く。何処から何処までが自分の為で仲間の為なのか、時々判らなくなる。それとも、何処までも何処までも所詮は自分だけの為なのかもしれない。自分も彼も彼女も同じなのだと、そう思った。

 世界は独り善がりのエゴに満ちている。独善的な理想を相手に押し付けては、君の為と唱っている。
 彼女は取り乱せば周囲が自身を気遣うであろう事を知っている。だから皆に心配をかけまいと気丈に振舞う。けれど心配する皆を見て心を痛めるのは結局自分自身なのだという事を彼女は知らない。ただ本能的無意識だけが正確にそれを理解し、実行する。誰かを思うその心さえ、自分自身の幸福に因るところなのだろう。人は何処までも不変的に愚かしく利己的に誰かを思い遣る生き物でしかないのだから。
 それは卑怯だと、ゼロスは思う。けれどどうしようもない事なのだとも思う。だからせめて、せめて自分だけは君の為などという逃げ口上は使わないと心に決めていた。何もかも自分の為だ。自分の為に、この生き方を選んだ。

「…何つーかさ」

 だからこそ、何を今更―。

「プレセアは確かに強いけど、もしそれがお前と同じ―…」

 後悔なんて、ある筈がない。
 否定してくれだなんて、思う筈がない。

 何を今更。


「あ~…ったく、いつまで拘ってんだよ。大体考えてみろよ、周りがどうこう言ったってこればっかりは彼女が自分でどうにかしなきゃいけない問題だろうが」
 正論だと思う。他の誰か、例えば彼の教師辺りがこの科白を言えば大概の人間は押し黙り納得する。
 ゼロスは、自分のような人間が口にする言葉ではないな、と思った。

「いいから聞けって!」
 そう言いながらロイドが腕を掴んでくる。先程痛めた箇所に丁度その指が食い込んだので、反射的に振り払いそうになる。その衝動を押さえながら空いている方の手で諌めるように彼の手を解いた。
「わかったわかった、逃げねぇからそういきり立つなって」
 掴まれた時の力強さとは裏腹に、あっさりと腕は解放された。
 彼の赤い手袋に何か粉のようなものが付いている。手袋と同じ色をしているそれは乾きかけた血で、目を凝らさなければ判らないほどの微々たる量だったが、ロイドは不思議そうにそれを見ている。普段から見慣れたものでしょーよ、と言ってやったが判らない。
「血だよ、血。判んねぇかなぁ、も~…」
「……ち?………血って、お前…怪我してんのか!?」
「そーなのよ、ロイドくん舐めて治してくれる?」
「おま…ばっ…馬っ鹿!ンな事言ってる場合じゃないだろ!!」
 彼は見せてみろ、と言わんばかりに腕を掴もうとしてくるが、その動きを予測していたゼロスは易々とそれをかわす。かわして笑う。笑いながら、それを見たロイドがもっと怒ってこれば良い、そう思った。しかし希望に反してロイドは深く溜息をついただけだった。

「お前って。いっつもそーなのな」


「何が?」

 言いながら、背筋を寒気にも似た何かが走って行くのを感じた。

 予感だ。
 例えばそれは誰かが全身全霊をかけて否定してくれるであろう事、その予感だ。
 例えばその総て、判ってはいても自分では出来ないその総てを否定してくれるであろう本能的予感だ。

 だから、その事を嬉しく思いゼロスは笑った。

「ほらまた」
 ロイドが顰め面で睨む様にゼロスに目を遣る。
「何でそこで笑うのか判んねぇ」
 それでも向けられるその瞳に宿る光は真摯で、だからゼロスも逸らす事なく、けれど応える事もせずに、ただ深く深く微笑んだ。

「…俺の事嫌いなクセに」

 ゼロスはただ笑うだけだった。
 ロイドは答えを待っているようだった。

 それでも、矢張りゼロスは何も言わなかった。
 否定も肯定もしなかったのは、それが今彼に対して見せる事の出来る唯一の誠意であると思ったからだ。
 何でもないように彼は肩を竦める。傷つけた、とゼロスは思った。
「ま、いいけどな…別に」
 いつもと同じ調子で、けれどその声音は微妙に捕らえどころを欠いていた。だからその様子にまた、ああ傷つけたな、とそう思った。思う自分は何て卑怯なのだろうと、考えるとまた笑いだしてしまいそうになるのを堪える。困った。だって仕方ない。この少年が傷つくのは辛い。卑怯だ。

 卑怯だ。

「悪かったな、変な事言って。行こう」
 ゼロスの返事を待たずにロイドは歩き出す。ゼロスを追い越して歩いていく。心なしかその歩調はいつもより速いように思えた。
「ロイド」
 背中に、声をかける。無視するかな、と思った。その方が良いかもしれないと、同時に彼に限ってそれはないとも思った。
 彼は振り返った。目が合う。だから、笑ったのだと思う。少なくとも、ゼロスは笑ったつもりだった。断言できないのは、明確に意図して笑んだという自覚がないからなのだろう。

「ありがとう」

 ロイドが少し驚いたような、困ったような顔でゼロスを見ている。
「ありがとう」
 もう一度言って、それから歩き出す。ロイドの隣に並んだ。納得いかない、そんな表情で見上げてくるものだから、その頭を二三度軽く叩いてやった。彼の髪が少し乱れた。
「何でそこでそーなるんだよ」
「ん~?だってお前ムカついてくれてんでしょ、だったら「ありがとう」かな~って」
「わっけ判んねー」
「そらロイドくんのノーミソじゃ俺様の崇高な思考回路にゃついて来れんでしょうよ」
 髪を直す彼と並んで歩く。少し緩んだ歩調に安心する。
「…でさ、お前怪我は?」
 まだ納得がいかないのか、目を合わせずにロイドが訊いてきた。もう塞がってるから平気、とだけゼロスは言った。嘘じゃない。
「…お前ってさ、痛かろーが苦しかろーが辛かろーがさ…いっつもヘラヘラ笑ってんじゃん」
「うん」
 肯定すると、ロイドの眉間に皺が寄る。けれど否定しようとは思えなかったのだから仕方がないとゼロスは思う。それに矢張り嘘じゃない。
 ロイドは先の言葉を続けた。

「……じゃあさ、やっぱり俺らの事一番信用してねぇのお前じゃないか」

 先刻の言葉の揚げ足をとられた。

 一番彼から聞きたかった「否定」の言葉だったような気もするし、一番誰にも言われたくなかった言葉でもあるような気がする。
「うん」
 彼の言葉を、もう一度肯定して笑う。
 目の前の少年に、自分が行ってきた彼らに対する数々の裏切りを、反吐のようにぶちまけ嘲笑う自分を想像する。
 殺してやると、木々の狭間から時折見える空を見上げながらゼロスは思った。総てを暴かれる前に、否定される前に殺してやる、と霞掛かった不明確な思考の片隅で様々な殺害方法をゼロスは思い浮かべる。
 耐えられない。そんな事でも考えていなければゼロスは耐えられなかった。そうでもしなければ、彼に赦されたその瞬間に、何もかも投げ出してしまうと思ったからだ。信念も意地も何もかも投げ捨てて、彼に縋ってしまいそうだった。例え想像の中でもそんな惨めな自分を認める事は、ゼロスには耐えられなかった。
 胸が痛んだ気がしたが謝ろうという気はしなかった。何を謝らなくてはならないのか判らなかった。ただ何故ただ一言冗談だよ、と言って笑い飛ばしてやれば良かっただけの話なのにそれをしなかった。嘘ではないからだ。
「ねぇ、ロイドくん」
 返事はない。
「ねぇ、ロイドくんってばぁ~」
 聞こえていない筈はないので本気で拗ねているか怒っているかしているのだろう。こちらへ振り向こうといった素振りさえない。こういった時の彼の頑なさは、少し異母妹を思い出させた。
「ロイドくん…怒ってんの?」
「……当たり前だろ」
 だからどうしてもこういう時、惨めに追い縋りたくなる自分がいる。泣き縋ってしまいたくなる衝動に駆られる。ただ助けて欲しい、それだけを口にする事が出来たらどんなに良かっただろう。

「多分、さ…俺がこーして神子やってヘラヘラ笑ってんの…怒って悲しんでくれてんのってこの世でお前一人だけだと思うんだわ」
 きっと彼の場合それは自分に対してだけではなく、あの幼馴染の少女に対しても同じ事なのだろう。
「でもさ、その上でンな事関係ないっつってくれんのもやっぱお前だけなんだろーな」
 少し泣きたくなった。


 今はまだ遠い夜明けを思う。

 

 

 


 雪の嫌いな男がいた。雪の降る日に、母親を亡くしたからだと彼は言っていた。その事を思い出すのが辛いから、だから嫌いなのだと。けれどそれはきっと違う。ただの、後からとってつけられた都合の良いだけの理由だ。
 思うところをそのままに、男に告げると彼は笑った。否定も肯定もしないという事は、きっと本当の事だからなのだと思う。そして、本当は自分でもその事を分かっていて、それでも言わずにはいられなかったのだという事も理解した。
 世界を呪うに足る、十分な理由を彼は生まれながらにずっと探している。

 とても頭の良い男だった。


「それで?アンタはここに何しに来たわけ?」

 男が笑いながら言葉を紡ぎ出す度に、息が白く凍る。長く伸びた朱色の髪の端々は霜に覆われ、男は酷く寒そうだ。端から見れば自分もそう大差ないのだろうか、とクラトスはぼんやり思った。
 黙っていると―正確には先の話をきちんと聞いていなかった―男は手摺りに手を掛けて雪の映える夜空を仰ぎ見ながら、大きく息を吐いた。白く染まった息が周囲に霧散して行く、その様子を見ながら男は嬉しそうに笑って見せる。

 頭の良い男だったが、その事実はいつも彼を不幸にするだけだった。

「ロイドくん」

 男の口から出た第三者の名前に反応したという訳でもなかったが、何となく彼から目を逸らした。調度、暖かい光の漏れる聖堂から子供を連れ立った礼拝客が出て行くのが見えた。
「逢ってくんだろ?じゃなきゃこの時期に身一つでこんなトコ来ねぇんじゃねぇ?」
「あれ次第だな」
 殊更に隠す必要もないと正直にクラトスが思うところを告げると、違いない、と言って男はそれを鼻で笑った。
「折角ここまで隠し通したのにねぇ…アンタは一応最後まで言う気もなかったみたいだし?レネゲードの奴らもそれこそ無粋だよなぁ」
 男は一人で喋り続けている。クラトスはそれを黙って聞いている。今までもずっとそうだった。けれどきっとこれが最後だ。

 不幸な男は、いつも哀れみの対象でしかなかった。

「…神子」
 呼ぶと、彼は器用に片眉だけを吊り上げて応える。話を中断された事に怒る様子もない。
 昔は「神子」と彼を呼ぶ度に機嫌を損ねていたのを懐かしく思う。その程度には短くない年月を彼と顔を付き合わせて過ごしてきた。
「…私の事はいい、お前はどうするのだ」
 男の笑みが変質する。自嘲めいた、それでいて少し困ったような笑みだ。

 哀れな男だった。

「…またか」
「?」
「言いたい事があるならはっきり言えって。あんたって昔っから人の事可哀想ぉ~な人見るような目で見るよな~」

「………そうだったか?」
「そうだった」
「…そうか」
「そーだよ」
「………」
 知らなかった。

「で?」
 男が付き合いきれないと言わんばかりの盛大な溜息のついでに先を促す。先刻の自嘲めいた笑みはそこにもうない。それだけを確かめてからクラトスは言葉を続けた。
「ならば老婆心ながら言わせてもらおうか」
 言いながら一方で、どうせこの男に何を言っても無駄だろうと思った。

 何故なら男は頭が良かったからだ。
 何故なら男は不幸だからだ。
 何故なら男は哀れだからだ。

 故に男は誰よりも愚かしく、ただ静かに絶望している。
 生まれながらに世界を憎悪し、この上ない程に愛している。

「意図して偽悪的に振る舞う必要もあるまい」
「あんたが言うなよ」
「心外だな」
 もう他に、言うべき言葉も見つからずに、それきり口を閉じる。
 そういえば互いに目を合わせて話す、という事をしなかったように思う。今まであまり意識する事もなかったが、それは不思議に思う。
「いやいやいや、天使様に比べましたら俺様なんて全然まだまだ可愛いものでございますよ」
 言われて苦笑する。ただし男には見えないよう顔を背けた。
「まぁいいや。じゃ、報告も終わったし俺様御暇させてもらうわ」
 お互い面付き合わせてたって不愉快なだけだろーし、と男は言い残して踵を返し歩き出す。その背に声をかける。

「ゼロス」

 男は立ち止まった。但しすぐには振り返らずに、大仰な溜息を一つ、ついて見せた。そして数度かぶりを振った後、漸くこちらになおった。何か言おうと口を開く男を制し言葉を紡ぐ。
「初めに言っておく、これはクルシスならびにユグドラシルからの勅命ではない。私個人からの言わば頼みだ」
 男は何も言わない。ただ口の端を吊り上げて一歩こちらに近付いた。だからクラトスも男の動きを気に留める事なく言葉を続けた。今までもずっと、そして例えこれが最後だとしてもきっと何一つ変わらない。
 もし自分とこの男との間に美徳と呼べるものがあったとするならば、それは不変であるという事だ。
「神子にではなく、他でもないお前に頼むのだ、蝙蝠」
「超厭味」
「事実それだけの事をしてきたのだろう」
 帳消しするには良い機会だと思うが、言って男の方へ目を遣る。その時初めて、男もまたこちらを見ていたのだという事に気付く。
 目が合った。
 頭の中で、ああ矢張り、と呟く声が聞こえた気がした。矢張りこれが最後なのだと、何処までも第三者的な視点で、それでも漸く納得がいった気がした。例えどのような結末を迎える事になろうとも、これが最後なのだと。
 それは男も同じだったようで、珍しく少し照れくさそうにはにかんで笑った。そうやって笑う様は出会った頃とあまり変わらないのに、と思ったが途中でそれらを振り払う。また哀れみを含んだ目で見ていると揶揄されるのは本意ではない。ならばどうしてやろうかと、考えて取り敢えず笑ってみる事にした。いつもこの男がやっている事だ。やって出来ないという事もないだろうと笑んで見せると、男は今度は酷く驚いた様子だった。
 だから、もしかすると自分はまたいけないと分かってはいても、この男を哀れみを込めた目で見てしまっていたかも知れない。
「…ま、いいや」
 男の表情が、いつも狡猾そうなそれに戻る。
「話は聞いてやるさ、一応ね。但し伸るか反るかはロイドくん次第、OK?」
「…いいだろう」

 どうあっても、結局最後まで自分の為に生きる事の叶わないこの男を、どうして哀れまずにいられないだろう。
 本当はずっと哀れだった。不憫な子供だった。もう少し周りの見えない子供だったらどんなに良かったかと思う。もう少し頭が悪ければ、きっと彼は幸福であったに違いない。けれどクラトスはそう思うだけだった。思うだけで何もしなかった。それは自分に出来る事が何一つない事を知っていたからだ。諦めでも絶望でもなく、それはただの事実に過ぎなかった。


 彼は哀れな子供だった。

 

 

 

 塔が見える。青く塗り潰したかのような空を背に、高く聳える天使達の塔だ。
 目を細め、手で太陽の光を遮りながら仰ぎ見る。塔の先は見えない。まるで空を一本の柱が支えているような印象を受ける。この向こうに、あの虚ろな天使達の国がある。

 ゼロスを追い越して先を行く仲間達に目を遣りながらゆっくりと階段を登った。
 この先に続くのは断頭台だ。ただ静かに舞台の幕引きを思う。

「ゼロス」

 ロイドに呼ばれる。視線を向けると緊張しているのかいつもより若干強張った表情で、それでも一度だけ勇気付けるように頷いた。そんなロイドの様子を見て、ゼロスは微笑んだ。もしかすると、泣きそうな顔に見えたかも知れない。だとしたらそれはちょっと嫌だな、と頭の片隅で考えながら追い越し際、いつかのように彼の頭を軽く叩いて行った。
「ゼロス!」
 腕を掴まれて、今度は彼が微笑んだ。それはいつもの彼の表情だった。
「頑張れ」

 泣くかな、と思った。それでも良いかもしれないとも思った。それでも結局は泣けないのだと分かった。


 雲一つなく一面に広がる青空はいっそ嘲笑的であるとさえ思う。

 どうせ死ぬなら馬鹿みたいに晴れた日が良い。
 例えばこんな、青い青い空の下が良いと思う。

 

「ロイドくん」
「何?」


 それで傍に、好きな人がいてくれたら最高だ。
 きっともう会えない、それを残念に思いながら死ねるから。

 怖いと、そう思えるから。

 

 

 死に逝く朝に

 もう会えない事を惜しみながら
 愛しみながら

 目を閉じる事が出来たら

 それはなんて

 

 

「俺様のこと、好き?」

 

 

 


 この上ないくらいに幸せ。

 

 





これ何の羞恥プレイ?って感じ。
(20080923)






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最終更新:2008年09月23日 16:49