フレユリがのんびりユルユルと汚い?話をしているので、食事中に読まない方が良いかも?


 

 昇降台が完全に停止し、格子戸が開くと蝶番が大袈裟に軋んだ。はらはらとこぼれ落ちる赤錆から視線を外し、延び放題の草地を踏み締め歩きだす。一瞬眉をしかめ、太陽に手をかざしたのはついさっきまで薄暗いところに居た所為だ。
 ペンキで塗り潰したような真っ青な空を仰ぎ見る。遠く、海との境界辺りを雲が緩やかに流れていった。潮の薫る空気で肺を満たすと、先程まで嗅いでいた饐えた臭いが幾分か和らいだ気がする。
 草地は、かつては手入れの行き届いた庭だった。だが人の手が入らなくなってから半年以上経っており、荒れ放題になっている。感慨のようなものは、ない。足の下のことを思えば当然だろう、と僕は思う。
 ここはカプワ・ノールの執政官だった、ラゴウの屋敷だ。「星喰み」の一件が一段落し、ヨーデル殿下が正式に皇位に即位され僕に屋敷の再調査の命が下された。以前、ラゴウの「娯楽」が発覚した際も調査はされていたが、それはアレクセイ元騎士団長の息が掛かったキュモール隊によるずさんなものだった(今考えてみると腹の内を探られるのが煩わしかったのかも知れない)。公平な調書作成の為、当時現場に居合わせたギルド、「凛々の明星[ブレイブ・ヴェスペリア]」(その時点ではまだギルドとして結成はしていなかったが、書類上面倒なのでそう記しておく)のメンバーの一人に同行を頼んだ。ギルド側の同行者は勝手知ったる幼馴染みだ。余計な手間を踏まずに済む気安さは素直に有り難く思う一方、調査中だというのに「腹が減った」、と言って姿をくらませてしまう気儘さはどうかと思う。
 門に差し掛かり、見張りに立たせていた騎士に声をかける。真面目な騎士の敬礼をやんわりと制止すると、まだ五人ほど引き続き調査のために地下に下りたままだということを伝えてから門をくぐった。
 屋敷を出てそう離れていないところに、港を一望出来る橋がある。僕は鮮烈な青色と白い石畳のコントラストの間に、いやに浮いて見える黒い人影を見つけると声をかける。屋敷と町とを繋ぐ唯一の道である橋の調度中程、手摺りに体重を預けたユーリ・ローウェルが立っていた。視線は既に機能を停止させた結界魔導器に注がれていたが、隣に立つ頃には彼は僕の方へと向き直った。
「お疲れ」
 悪びれた様子もなくユーリは言った。片手には食べかけのホットドッグが握られている。
「さっきの今でよく食べるね、ユーリ」
 半分はまだ昼食をとっていない空腹から来る嫌味だが、血も渇いていないとまでは言わなくてもそれなりに凄惨な場に居たのだから一般論としては妥当だと思う。
「へぇ。そういうデリケートなことを仰いますか騎士団長閣下は」もう片方の手で紙コップを口元に運びながらユーリが言った。「じゃ、これは要らねぇな」
 コップを手摺りに乗せると、代わりに紙袋を手にして軽く振って見せた。苦笑と溜め息とで返しながら僕は手を伸ばす。言葉とは裏腹にユーリはあっさりと紙袋を手放した。中にはユーリと同じにホットドッグと、紙コップにはホットコーヒーが入っていた。
「ユーリ、コーヒーがこぼれてるよ」
 暗に紙袋を振ったことを攻めながら横目でユーリを見遣れば、彼は手摺りに体重を預けて肩を震わせていた。この男は分かっていてやっているのだからこれ以上は言っても無駄か、と諦め半分――後は、元々そう意味のない軽口でしかなかったのだからと結論付けて僅かに温くなったコーヒーを啜る。安物のコーヒーらしく味気ないが、潮風と混じり合う芳ばしい風味は悪くない。
 前のめりの姿勢で体重を預けた彼とは逆に、僕は海に背を向けるようにして手摺りにもたれた。ホットドッグを頬張ると、嫌がらせのように大量に盛られたレリッシュピクルスと玉葱が口から逃げてこぼれ落ちた。突き破った薄皮から溢れ出る肉汁は食欲をそそり、ピクルスの酸味が腸詰めのソーセージ少し強めの塩気を上手い具合に中和している。
 ユーリもまた、食べることを再開することにしたらしい。空と海との境界辺りに、低く流れる雲を眺めながら咀嚼を繰り返している。その彼の、肩口――揺れる濡れ色の毛先を視界の端に捉えて、思う。
 見慣れない。つい何年か前までは当たり前だった彼の短い髪にどうしようもなく違和感を覚えてならない。つまり、気持ちが悪い。
 あからさまに視線を逸らせば聡い彼は気付いてしまうだろうと、極力意識を他へ向けることに集中する。例えば、口の中の死んだ獣の肉を噛みしめることだとか、少し離れた地面の下に広がる腐臭だとか、頭上を覆う青空と海鳥の甲高い鳴き声だとかを思うと、幾らか気が紛れた。
「フレン」
 完全に遮断した意識の外側から呼び掛けられ、ぎくりとする。相変わらずホットドッグを咀嚼してはいたが、ユーリはいつの間にか僕の方を見ていた。
「何だい?」
 疾しいことはないのだから、とそれでも努めて平静を装いながら問う。けれどユーリは僕の言葉に応えを返すことはせず、無言で空いている方の手を伸ばしてきた。身構えることも忘れて、何だろうと彷徨う彼の手を目で追えば、じっとしてろ、と平坦な叱責の声があがった。言われるがままにしていると、彼の手は僕の頭――髪に触れ、ややあってそのまま離れた。ゴミでも付いていたか、と小首を傾ければユーリが悪戯っぽく笑いながら手の平を差し出してきた。恐らくは僕の髪に付いていたものだ。それは白く、細長い。見慣れたものに似ていたが、似ているだけだということを僕は知っている。蛆だ。
「――……君が用意したのがおにぎりじゃなくて良かった」
 言いながら、ホットドッグを口に運ぶ。先程まで居た場所が場所だけに、恐らくそのとき付いたのだろう。
「遠目に見る分には玉葱のみじん切りも似たようなもんだろ」
 開いた口を閉じるという単純動作を一瞬躊躇った僕の隣で、ユーリが盛大に大口を開けてホットドッグに噛り付く。僕は――思わず落とした視線の先、先程こぼれたレリッシュピクルスと玉葱のみじん切りを見留めた。蠢いたように見えたが、勿論錯覚だ。
「ユーリじゃあるまいし、僕には無理だよ」
 言ってから、ホットドッグを口に含んだ。馬鹿馬鹿しさのあまり、視線が遠くに泳ぐ。
「いくら俺でも流石に蛆は食わねぇって」
「何でもいいけど僕の前以外ではそういう話、食事中にしない方がいいと思うよ」
「そりゃあな。相手は選ぶさ」
 実に不毛な言い分だ。少なくとも、怒るべきか喜ぶべきなのか結論に行き詰まる程度には厄介な答えを彼は返してきた。結局、また色々なことが面倒になる。黙り込んだ僕に怪訝そうな視線を向けるユーリに気付いて、微笑みかけた。
「僕は本当に、君にとことん甘いみたいだ」
「寧ろお前の頭に蛆が湧いてんじゃねぇのか」
 酷い。
「まあいいや。それより、結局何人くらいだったんだ?」
 二つ目のホットドッグを取出しながらユーリが問うてきた。唐突な話題の切り替わりにして、主語に相当する単語すら欠けていたが僕は淀みなく彼の意図するところを汲み取る。
「正直、正確な人数は、ね……少なくとも二〇人は下らないんじゃないかな」ホットドッグを口に含み、不明瞭な声音で付け加える。「五体満足な遺体は先ずないからさ」
 言い終わる頃、奥歯の隙間に咀嚼していた肉片が挟まっていることに気付いた。舌先を伸ばして探るが、取れない。
「あー……結構地下のモンスターどもが食っちまってんのな、やっぱ」
「ラゴウが執政官として赴任してからの行方不明者リスト作成を急がせてはいるけど……」
「照合して身元確認、ってのにも限界がある、か」
「時間が経ち過ぎてるというのも。腐敗が進んでいるし、白骨化しているものも少なくない」
 話していたら肉片が外れた。すっかり味気のなくなったそれを飲み下し、すすぐようにコーヒーを口に含む。
「そんなわけだからもう少し付き合ってもらうよ、ユーリ」
 口の中の獣臭さが薄らぎ、僕は一息吐いた。へいへい、と隣からは曖昧な言葉が返された。
 空腹が満たされると次に沸き上がる欲求は眠気だ。ユーリに言った手前、流石に口にすることはしないがこの穏やかさは厄介だった。
 柔らかな午後の陽射しと、潮風に混ざる深緑の匂いが肺を満たしていく。橋の下の防波堤からは、子供たちの無邪気な笑い声が聞こえてきた。
 もう一口、コーヒーを含んで視線をユーリに戻せば、彼は丁度ホットドッグの最後の一口を頬張るところだった。拍子に、ブレッドから赤褐色のソースがはみ出て彼の手を汚す。意に介した様子もなく、彼は指先に付いたソースを舐め上げた。その一連の動作をぼんやりと眺める。
 最初は、ソースが鈍い色をしていたので同じものだと思っていた僕のホットドッグと彼のものとは違う味だったのか、という単純な興味からだった(僕のホットドッグは鮮やかな赤と黄色のソースに彩られていた)。それから、その赤褐色のソース(多分唐辛子でも入っているのだろう)の色が、どうにも新鮮でない、腐敗を始めたばかりの屍肉を連想させた。鼻の奥に、十数分前まで嗅いでいたすえた臭いまで再現される。そしてその、腐敗した屍肉にも似た赤褐色を、掬い蠢く赤い舌先が何だかとても不思議なもののように見えた。獣の屍肉を砕き、腸詰めにしたものを食みながら、生きていたものが腐っていくという事実が唐突に意識された。
「フレン?」
 青空を背にしたユーリが、怪訝そうな視線を向けてくる。薄い唇が僕の名前をかたどるのを不思議な気持ちで見ていた。だから、きっとあまり深いことは考えていなかった。
「卑猥だなあ、って思って」
 言いながら、はて僕はそんなことを考えていたのだったか、と疑問が湧いた。
 ユーリは――笑うことこそしなかったが、かといって嫌悪感を示すこともしなかった。ただ、少し考え込むように一瞬、視線を足元に落としたが、すぐに顔を上げ、言った。
「エッチ」みるみる内に彼の唇が弧を描いていく。「何だよ、欲求不満か?」
 僕は曖昧な笑みを返すことしか出来なかった。もしここで彼の言葉を肯定したらどうなるのだろう、という好奇心は理性がすぐさま押さえ込んでしまった。理性が、と浮かんだ単語を僕は笑ったのだと思う。
「どうかな?ただ、そうだね……意識しなければ本当に気付かないものだと、そう思っただけなのかも知れない」
 屍肉に似た色を食む様を見て、その薄ら白い肌がぱっくりと割れている様を連想したのだと告げたなら、彼はどんな顔をするだろうと思う。本当は、あの暗い地下室に散らばった肉片に彼が雑ざっていたとして、僕は気付くことが出来るだろうか、とぼんやり考えていた。
 ユーリは肩口で短い髪を揺らし、喉で笑った。
「嫌だねぇ。野郎の性欲は視覚に直結してて」
 違うよユーリ、と僕は声に出さずに告げた。僕が思ったのは彼の死だ。けれど、
「まあ、そういうことにしておこうか」
 僕自身、己の突拍子のなさに呆れてはいた。だから、これで良い。
 告げた僕を、ユーリは鼻で笑った。
「そういうことにしておくも何も、そーいうこったろ?澄ましてんじゃねぇよ」
 嗤うユーリに、僕は肩を竦めた。大概にしつこい。
 さっさと食べ終えてしまおうと、残り二口ほどのホットドッグを口元へ運ぼうとして手が止まる。ラゴウの屋敷の方から部下の一人が歩いてくるのが見えたからだ。
「騎士団長、リストが仕上がったのでその写しをお持ちしました。名前にチェックが入っているのが、現時点で確認済みのものです」
 騎士からリストを受け取り目を通す。ユーリは――僕の体裁を考えてか、背を向けてくれている。どうせ後で見せることになるのだから構わないのに、と思いつつ考えていたより挙がった名前が少ないことに安堵の息を吐く。
「ご苦労様。僕もこれを食べてしまったら、また下に降りるから君たちも昼食にしてくれて構わないよ」
 リストを小脇に挟み、食べ掛けのホットドッグを指して僕は言った。すると、何故か彼は顔を引きつらせて固まったかと思うと、顔面を蒼白にし、口元を押さえて走って行ってしまった。その背を呆然と見送る。すると、何事かとでもいうように僕と同じに彼の背を追うユーリの後頭部が目に入った。
「どうかしたのかな?」
 訊ねて、ホットドッグを口に運ぶ。
「さあ?」僕に背を向けたまま、ユーリは首を傾げる。「すんげー腹減ってたんじゃねーの」
 返された言葉は腑に落ちなかったが、だからと言って僕自身明確な答えは持たない。結局僕は曖昧な相槌だけを返し、コーヒーを飲み干して紙コップを握り潰す。ホットドッグの包み紙と一緒に袋に入れると、ユーリの手がそれを掬って行った。
「捨ててくるわ。先行っててくれ」言うと、彼は市街地へ向って歩き出した。「途中で腹減るかも知んねーし、ドーナツでも買っとくかな」
 そちらが真の目的か、と彼の背を見送りながら僕は呆れた。途中で腹が減ったら腐った死体の散乱する真ん中でそれを食べるのだろうか――食べるのだろう。そこで漸く、先ほど騎士が走り去った理由を朧気ながらに理解する。理解に至るまでに時間が掛かったのは、長年彼の幼馴染みをやってきて多少感化もとい毒されているのだろうと、そういうことなのだろう。彼の意図するところ、言わんとするところは分からないでもないが、それはあまりにも不謹慎であるように思える。
「ユーリ!」
 僕は、遠退く黒い背中に向けて声を張り上げた。大分距離があったので、届くよう叫んだら責めるような響きになった。ユーリは肩越しに、視線だけを僕の方へと向ける。僕は一度口を開き、閉じた。そして恐らくなら本来言うべき言葉を飲み込み、再度口を開いた。
「チョコクリームかマーマレードのクラップフェンを二つ!」











い た ず ら に ち か し つ さ が す 。
They searched the cellars Fruitlessly.
20090414






  

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最終更新:2009年04月14日 00:41