リタジュディかなー。


 

 魔導器の放つ暖かな色の光が、薄暗い部屋の中を支配していた。本や罅の入った核石、ぽっかりと穴の空いた魔導器などが規則性なく無造作にささくれだった木目調の床に転がっている。
 部屋は、この家は、この町は、ただでさえ陽の光の届かない閉塞した洞窟の中に在る上、帝国の管理下にある。だから明るさや、人の流れでの時間の把握が難しい。何よりこの部屋には時計に相当するものが何一つ置かれていない。それでも、外で待機している「友人」にナギーグで語り掛ければ大体の時間帯は把握出来る。今は、夜だ。
 私は、手元に視線を落とした。手には毛糸針が握られている。普段から剥き出しにしている膝の上には、編み込まれたウールが皺を作っていた。
 傍らへと、視線だけを彷徨わせる。そこには乱雑に積み上げられた本の山の向こう、鳶色の頭が見え隠れしていた。小さく華奢な背中は更に小さく丸められ、座り込んだ床の上に広げた紙に懸命に何かを書き込んでいる。
 この娘と過ごす、夜は長い。私が針と毛糸玉を手にした理由もそこにある。この娘は自分の世界に入り込んでいるようでいて、手持ちぶさたにしている私の存在が気になるらしい。だから、気を散らせては悪いというのと、少女が以前ゾフェル氷刃海で寒そうにしていたことを思い出してマフラーを編むことにしたのだった。あそこにはエアル・クレーネがある。棲み着いていた魔物は倒したし、きっと研究熱心なこの娘はまたあの地へと赴くだろう。そのときまでには出来上がるといい。
 このような穏やかな時間を誰かと共有するのは、あまり経験のないことだった。けれど不思議と嫌な気持ちはしなかった。それはかつて父と過ごした時間を彷彿とさせ、私に暖かく柔らかな感情を思い起こさせた。
 芳ばしく焼けた小麦とバターの香りに気付く。手にした毛糸針と編みかけのマフラーを傍らに置くと、少女の邪魔をしないよう静かに立ち上がり部屋を後にした。
 簡易キッチンには小さいながらも立派なオープンが付いていて、少女と過ごす長い夜はこうして利用させてもらっている。ヘルメス式の魔導器が動力じゃないから壊さなくて済むわね、と言ったら凄い勢いで睨まれた。あの娘はそうしてすぐに感情を表に出すので、とても可愛い。
 今日はカボチャと栗を練り込んだスコーンを焼いた。本当はスコーンのような大雑把なお菓子は私より作るのが得意な男が居るのだけれど、生憎と彼は今現在絶賛行方不明中だった。それに、彼が不在であっても自分に出来ることをやろうという小さくて可愛い天才少女は研究の妨げにならないような、食べる手間のかからないものを好む。私としては頭も体も多少は休める片手間に、クリームティーにくらい付き合ってくれれば良いのにと思いはしたが、言って聞くような性格ではない。父も研究者だったから、その辺りはよく理解している。
 余熱を取れたスコーンの傍らに、クロテッドクリームと林檎ジャム、それから苺ジャムを盛る。ミルクティーには香り付け程度に、メイプルシロップを数滴落としてシナモンスティックを添えた。トレイに用意した一式を揃えると、私は部屋に戻る。
 数分前までと変わらず、少女は小さな背中を丸めて計算式を書き出している。私はその背に声をかけることはしないで彼女の傍らにトレイを置くと、そこから自分の分のソーサーだけを手にして毛糸針とマフラーの許に戻った。すぐに作業を再開させることはせず、シナモンスティックでミルクティーを掻き混ぜながら少女の背中を眺めた。スコーンにもミルクティーにも手を伸ばす様子はなかったが構わなかった。甘いものが大好きな彼女のことだから、無意識にせよ意識的にせよその内食べる筈だ。私がそんなあの娘の様子を微笑ましく見ていると彼女は決まって、頭を使うと甘いものが欲しくなるのだと、ほんの少し頬を赤く染めながら言う。その様子が本当に可愛らしくて、私はその度にとても嬉しく思う。
 一口、シナモンとメイプルの香るミルクティーを口に含むと、私は毛糸針へと手を伸ばした。彼女が鵞ペンで紙を引っ掻く音と、時折本を開く音が響くだけの、長く、穏やかで静かな夜が戻った。私は、その穏やかで懐かしい時間をただ愛しんだ。
 不意に、不規則だが途切れることのなかった音が途切れた。私は顔を上げることはしなかったが、彼女が傍らの何かしらに手を伸ばしたのだと知った。分かってはいたけれど、嬉しかった。「友人」と過ごす日々に孤独を感じることはなかった。だが、自分が作ったものを誰かに食べてもらうという喜びをもう随分と長い間忘れていたのも確かだった。
 あの娘は私に背を向けている。だから、マフラーを編む私の手が止まっていることには気付いていない。増して、どうしようもなく口許が緩んでしまっているなんて知りもしない筈だ。だから、彼女が口にした言葉に他意はなかったのだと思う。
「――お、いしい……わよ」
「え?」
 一瞬、聞き間違いか何かではないかと思った。それほどまでに小さな声で呟かれた言葉に、私は反応が遅れる。それに、一呼吸置いて上げた視線の先にあるのは、先ほどと然程変わりのない小さく丸まった少女の背中だけだった。けれど、床の上に無造作に広げられていた数冊の本は全て閉じられていたし、彼女が手にしているものは鵞ペンからティーソーサーとスコーンに変わっていた。何より、魔導器の照らす仄暗い室内でも分かってしまうくらい鳶色の髪の隙間から覗く耳が真っ赤になっていて、聞き間違いではなかったのだ、と私は確信する。研究の片手間に食べれるようにと作ったのに、と思ったけれど口にはしなかった。ありがとう、と代わりに呟いて、再び手を動かし始めた。すると、明日もこれが良い、とまた更に小さな声が返ってきて、私は笑みを深くしながら了承の意を伝えた。
 それから何日か、彼女と過ごす長い夜が続いた。そう多くの言葉を交わすことはしなかったけれど、少女は私がお茶を煎れると、その時だけは研究の手を止めて代わりにティーカップと甘いお菓子を手にした。
 そうこうしている内に行方を晦ませていた男は涼しい顔をしてまた姿を現して、時を同じくして少女は掛け替えのない友人を本当の意味で救う糸口を見つけた。
 仮説を打ち立てた少女の背中は、自身の理論を早く証明したいという探究心と、友人を救えるかも知れないという期待とが溢れていた。そんな彼女に私は後ろから声をかける。少女が何の疑いもなしに振り向いたところで、少し涼しげな首元に黄色を基調としたマフラーを引っ掛ける。
「この前、寒そうにしていたでしょう?」
 思った以上に似合って、それが嬉しくて私は笑う。この娘は赤い色の服が似合うけれど、アクセントに黄色いリボンを巻いているからマフラーの色もそれに合わせた。嫌がるかしら、と思いはしたけれど手を伸ばしてマフラーを巻き、それから襟元を正す。少女は、そこで漸く我に返ったようにただでさえ大きな若葉色の目を更に大きく見開いて言った。
「ばっ……あ、あたしよりアンタ、自分の――」
「ああ!リタっちったらずっるーい!」
 少女の言葉は途中で掻き消された。
「いいなー、いいなー。ジュディスちゃーん!俺様もジュディスちゃんの手編みのマフラー欲しー」
「え、それジュディスが編んだの?すごーい!」
「じゃあ、暇があったらみんなの分も編んでみようかしら」
 言わんとしたことを妨害されて不機嫌になったのか、少女は黙り込んでしまった。けれど彼女が口にしようとした言葉は何となく予想がついたので、私は深く追求することをしなかった。
「あ、あの!私もやってみたいです」
「いいわよ。じゃあ、今度一緒に毛糸を買いに行きましょう」
 薄紅色の頭越しに、新緑の緑と視線が絡む。少女は、良かったなと笑って言う男に頭を撫でられていた。そして私と目が合ったことに気付くと、眉根を寄せた挙句に顔を背けてしまった。
「夜な夜な何やってるのかと思えば……」頬を紅潮させた彼女の語気は荒い。「どんだけ用意周到なのよ」
 吐き捨てるように言うと、彼女は背を向けて行ってしまった。その後ろを、慌てて薄紅色の髪を揺らす少女が追う。
 本当に、あの娘は怒ってばかりでとても可愛い。
 多分同じようなことを考えているであろう悪戯っぽい滅紫の目と視線が交わって、それから男は肩を竦めて見せた。そんな男に微笑み返しながら、可愛らしいあの娘が本当に私の家族ならどんなに良いだろう、と思った。










と め ど な く あ み た る マ フ ラー 。
She knitted mufflers Endlessly.
20090401






  

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最終更新:2009年04月01日 02:27