何か色々ごちゃごちゃしてて、ワケの分からん話です。


 

 白く乾いた空に、羽根のような雪が舞っていた。雪雲と雪雲の隙間から、疎らに浅い色の青空が覗いている。霞み連なる山々は淡い雪化粧が施されていたが、この分だと積もることはないだろう、と男は思った。
 粗く補整された砂利道を踏み締める。鉄を仕込んだ分厚い靴底を通して尚、冷たい石の感触が足の裏に伝わる錯覚がある。
「ほら、あそこ」
 脇から、しなやかな腕が伸びて指先が桟橋へと男の視線を促した。逆らわず、つられるようにして指先の指し示す方へと目を遣れば、糸杉の傍ら、桟橋には十歳くらいの少年が腰掛けて流れる小川を見つめていた。あれでいてもうすぐ十三歳になるのだという。僕や彼が同じ歳の頃はもう少し大人びていたように思う、と隣に立つ男に視線を戻しながら考える。
 彼が引き戻した腕の、その手首は剥き出しになっていて何となく落ち着かない。
「俺はジュディに声掛けてくるからボスに説明頼んだぜ、騎士団長閣下?」
 隣に立つ男は軽い調子で告げると、ごく自然な流れで片目を瞑って見せた。彼が踵を返すと長い黒髪が目の前で翻り、僅かな時間視界を遮った。
 ユーリ・ローウェルの黒いシミのような姿が町の中央にそびえ立つ結界魔導器の影に隠れてしまう頃、漸く男は彼から視線を外した。ユーリの指し示した少年が腰掛ける桟橋へと向かい、階段を下りる。水の臭いが強まった。
 少年は男に背を向けて座っている。淡い栗色の髪をどうしてだか掻き上げ、撫で付けてしまっている奇妙な髪型ばかりが印象に残っていて、ユーリに頭を掻き回され文句を言っている姿を見掛けたことがあった。少年はいつも重そうに肩から下げている鞄を脇に置いて、流れの穏やかな川に石を投げ入れている。男も昔、幼馴染みと一緒にやった覚えがある。戦績は五分五分だった。
 少年の投げ入れた小石は、水面を滑るようにして三回跳ねてから沈んだ。もう少し手首を使うと良いのだけれど、と思いはしたがそうした気安い応酬をするほど男はこの子供と親しい間柄ではなかったので口にすることはしなかった。
「巧いものだね」
 まあこんなところかなと、ともすればユーリ・ローウェルという接点がなければ会話さえ成り立たないギルドの首領に騎士団長の任に正式に就くことが決まったばかりの男は声を掛ける。
「ユーリはもっと巧いんだけどね」
 背を向けたまま、少年は言った。まるで先刻考えたことを見透かされているかのような居心地の悪さを男は覚えた。
「僕たちも、昔よくやったから」
「『フレンは俺より巧い』、って言ってたよ」
「どうかな。良くて五分五分だよ。それに最近やってないから、今はもう君ほどにだって跳ばないだろうね」
「あー……確かに、その点ユーリは分があるかも」少年の斜め後ろに立つ男を、明るい榛色が見上げる。「すごい命中率だよね」
 でも石の跳ねる回数と命中率って関係あるのかな、とぼやきながら少年は立ち上がると改めて男の方へと向き直った。
 一回り近く離れた歳を差し引いても彼は随分と小柄な少年で、背は男の胸元にも届かない。成人して幾つか歳を重ねた男からしてみれば、その腕はまるで小枝のような細さであったし、顔立ちにも幼さが残っているどころか十二歳、十三歳という実年齢よりも幼く見えるほどだ。それでも、男が何よりも誰よりも信頼を置くユーリが五回に一回は腕相撲で負けるのだと何故か嬉しそうに報告してきたり(僕に負けると腕相撲じゃ済まなくなるくせに!)、新しくギルドを立ち上げたかと思えば幼い彼を首領に据えているようだったりするのだから、
(まあ、こう見えて凄い実力の持ち主なんだろうな。うん)
 結局は、男の中での少年への評価は幼馴染みであるユーリ・ローウェルを通して見聞きしたことに頼る他ないのだった。それでも、他人に心を砕くことはしても、許すことはそう多くない彼が「ボス」と呼び、可愛がっているというだけで、これ以上の説得力などないし必要ないのだと男は思う。それはこの子供に限ったことでなく、ユーリ・ローウェルの下す評価全般に寄せられた信頼だった。
 実際にこうしてユーリを抜きにして向かい合っても、彼が聡明な少年であるということはよく分かった。言葉遣いこそまだ拙いもの、あどけないものを感じさせるがその端々に真摯さや誠実さが感じて取れた。今回、オルニオンに彼らのギルドである「凛々の明星[ブレイブ・ヴェスペリア]」の拠点を置きたいという申し出を聞いたときからそうだった。
「正式な決定はまだ先になってしまうけど……どうしても移民の住居確保を優先させなくてはならないから、拠点建設などは後回しになるだろうしね。まあ、ヨーデル殿下――陛下も賛同して下さっているから、口約束とはいえ反古になることはないと思う」
 確約でなく曖昧な取り付けしか出来なかったことを申し訳なく思いながら大筋を説明する。そんな男を気にした風でなく、少年はユーリと同じにそれで充分だよ、と笑った。
「ありがとう、フレン。忙しいときに面倒なこと頼んじゃってごめんね」
 本来なら、少人数である彼らのギルド、「凛々の明星[ブレイブ・ヴェスペリア]」の拠点を用意するのは手間ではなかった。しかしギルドの首領であるこの少年が、生活の苦しい者や孤児の受け入れを希望したことで少し話が大きくなってしまった。少年自身身寄りもなくまた、なかなか一つ処に留まることが出来なかったという経験があり今のギルドのメンバーに随分と救われたのだという。だからこそ自分のように行き詰まっている人が居るのなら、前へ進むきっかけになれば良いと考えている――そう話してくれた。男はそんな少年の幼いながらも筋の通った思いに感銘を受けたし、だからこそユーリも彼を気に掛けるのだと改めて納得した。
「そういえばユーリは?」今気付いた、といった様子で少年は辺りを見渡しながら問うた。「一緒じゃなかったの?」
 どうやら少年にとって彼の存在は二の次だったようだ。解りにくいにせよユーリがそれなりに気に掛けている対象のあんまりな反応に、男はこぼれそうになる笑いを必死に噛み殺した。
「帝都へ帰還しなくてはならなくてね。どうにも魔導器のない船では便が悪いとぼやいたら、」
「ああ、バウルか」
「こちらの方の問題も山積みだ」
 肩を竦めて言うと少年は一瞬不思議そうに男を見上げ、それから破顔してその辺はリタに期待しててよ、と言った。少年の不可思議な視線の意味が解らず応えかねていると、彼はまた不思議と透明な目で男を見上げてきた。その視線は不可解なものではあったが不快さはなく、寧ろ何処が懐かしい気配すら感じさせた。
 そうして、男が一人不思議な感覚に捉われていると、少年がふと思いついたように言った。
「ボク、ユーリが好きなんだ」
 まるで天気の話でもしているかのような口振りだった。こちらもまた意図こそ不可解ではあったが、少年は少年でユーリを慕っているのだということは明らかだったので、男は彼の言葉を脈絡はないもののごく自然に納得し、受け入れた上で「そうだろうね」、と当たり障りのない応えを返した。
「僕ではなくて、本人に言ってみれば良いのに」言いながら、頭の中でもう一度少年の言葉を反復する。「喜ぶと思うよ」
 少なくとも、好意を寄せられて嫌な思いはしないだろう、と男は思った。男の目から見ても、ユーリは下町の子供たちに対して以上にこの少年を気に掛けているようですらある。下町では貧しいながらも身寄りのない子供は居なかったが、この少年は男やユーリと同じ天涯孤独であるという。だから男の幼馴染みは、きっと彼が先ほど口にしたリタ・モルディオ共々、歳の離れた兄か、はたまた年齢のわりには老成した思考から父親のような気でいるのかも知れない。どちらにせよ、保護者と被保護者として二人は良い関係を築いているらしい。それは男にとって我が身のことのように喜ばしいことだった。続く少年の言葉を聞くまでは。
「確かに直接言ったことはないけど知ってると思うよ」
「どうだろう?ユーリは普段は鋭いのに、時折脳天かち割ってやりたくなるくらい鈍いから……」
「うん。それは否定しないけど……流石に二度も三度もキスされて、気付かないほど鈍いとは思いたくないかも」
 先ず頭に浮かんだのは、聞かなかったことにした方が良いのだろうか、という自問だった。理由は――面倒だったからだ。不本意ながら、男はこの点をよく幼馴染みと似ていると周囲から言われる。しかし即頭に浮かんだ言葉が先のそれなら、確かに感化されていることは認めなくてはならない。
「今更、面と向かって言うのも照れるしなあ」
 聞かなかったことにするのは無理そうだった。ならば流してしまえばいいか、と男は思った。自分は自分、ユーリはユーリだ。彼がこの子供に手を出したとして(この場合誘った?のは彼ではないにしても)、二十歳を幾らも過ぎた男にわざわざ釘を刺す必要はないだろう。お節介が過ぎると再三幼馴染みに指摘され続けてきた男にも、それくらいの自覚はあった。
(――……けれど、それは問題がユーリだけで終わる分にはの話、か)
 今更ユーリの罪状が一つや二つ増えたところで、男が幼馴染みを見る目はそう変わらないだろう、という確信はあった。それは勿論許される筈もないことであったし、出来ることなら幼馴染みとしては引き留めなくてはならないのだが基本的に、というより本能的にユーリ・ローウェルという男は自身の「正義」に反した行いだけは決してしない。そして一回り近くも歳の離れた子供をどうこうするというのは、どう考えても彼の「正義」とは対極に位置しているように思えてならない。
 だが、ユーリは少年の行き過ぎた好意を知ってか知らずか許容しているようであり、その事実は幼馴染みである男の耳にも入ってしまった。
 男は諦めた。諦めて、長く細い息を吐いて、それから覚悟を決めた。
「少年、それは間違いだ」汚れ役を、彼にばかり押し付け続けてきたこれが報いだろうか、と男は思った。「君はまだ若く、幼い。経験の少なさから、憧憬や思慕の念を恋愛感情と履き違えることも或いはあるだろう。けれど、それは間違った選択だ」
 自分で言っていて反吐が出そうだった。帝国の全ての軍事を担う騎士団長が聞いて呆れる。それほどまでに、口にした言葉の全てが真摯さに欠け薄っぺらく滑っていった。当たり前だ。忠告は、少年の身を案じてというよりはただの義務感からだ。中身の伴わない言葉に、説得力など宿る筈もない。増して、男が先ず初めに思い浮かべたのは面倒臭いの一言だった。
 少年は、不思議と透明な榛の瞳で男を見上げている。ああ、まただ、と男は思った。以前にも男はこんな風に、不思議と透明なのにまるで底の知れない瞳で見つめられたことがある。もっと距離も近く、もっと色合いも濃い、それでも同質の深みを識るものの目だ。そこには、男の言葉に傷ついた様子も、まして納得した気配もない。
「……倫理的に?」
 透明な瞳を真っ直ぐに向けたまま、少年は男に問うた。的を射た問いに、やはりこの子は賢いのだ、と改めて男は思い知らされた。男の浅はかな義務感、言い換えるのなら少年の言うとおりの倫理観など、端から見通されていたのだった。
「そう、倫理的に」隠すことも、取り繕うこともしなかったのは男の中のせめてもの矜持を守るためだ。「それに、間違いを正す助言は年長者としての義務でもある」
 下らない。倫理観を少年が持ち出したその時点で、彼自身は既にその間違いを認めているようなものだ。認めた上でそれでも尚ユーリ・ローウェルに抱く好意を貫こうとしている彼の意志を、上っ面の義務感しか向けることの出来ない男がどうして挫けるだろう。現に、男の心ない言葉は少しも少年には届かない。
 男に向けた視線を反らすことなく、少年は何かを思案するように大きな瞳を瞬かせた。
「フレンが言ってることが正しいのは、分かる」ぽつり、と零すように少年は呟いた。「間違ってるのはボクなのも識ってる――倫理的に」強調するように付け足す。
 それでも、少年は真摯だった。やがて相応し言葉を見つけたのだとでも言うように、一度口を引き結んでから開く。
「だけど、人は簡単に居なくなっちゃうんだよ」
 真っ直ぐに自分を見上げて、揺るがない強い調子で告られた彼の言葉に男は浅い笑みを返した。少年は何も言わなかった。だから、待つのをやめて男は口を開いた。
「まるで、君がユーリを攫って行ってしまうかのような言い草だ」
「フレンこそ、まるでユーリは自分のものみたいな言い方だよね」
 少し、言葉に詰まった。この少年に、ひどく当たり前のことを否定されて傷付いたような錯覚に陥ったからだ。だが、冷静に考えるまでもなくそれは目眩のするような驕りだった。
「……考え過ぎだよ」
 逡巡するふりをして、脳裏に過った仄暗い予感を追いやりながら答えた。その傍ら、なるほどこれが独占欲か、と自分に自分で呆れた。
「仮にまあ、その――彼が、僕の傍から離れて行ってしまうことに多少の寂しさを覚えたとして、それくらいは容してくれないかな。僕らはもう何年も様々なものを分かち合いながら、同じ時を過ごしてきた。道が分かたれてしまった今でさえ、僕は彼を掛け替えのない同志だと思っているし、尊敬だってしているんだ」
 などとはとても本人の前で言えたものではないが、と胸中で付け足すけれど、全て嘘偽りのない本心だった。
「だから、」また、言葉に詰まった。先を続けることを躊躇わせたのは奇妙な違和感からだ。「だから、君がユーリに抱く好意とは違う」
 奇妙な違和感の理由に考えが及びそうになる前に、改めて男は口を開いた。仄暗い予感に名前が付くことを恐れたように、忌避すべき感情なのだと頭の何処かが理解しているようでもあった。
(馬鹿な)
 苦笑する。もしかしたら、少年の真っ直ぐな眼差しを嘲笑ったかのようにも映ったかも知れない。けれどそれは何と言うこともない、ただの自嘲から零れた笑みだった。
「君も解っているように、確かに倫理的にはどうかとも思いはするけれどね……少なくともこの点に関しては僕と君の、彼への好意は質の異なるものだから君が僕に嫉妬する必要はないんじゃないかな」
 言ってからしまった、と思った。少年の不透明な意図に多少の苛立ちを覚えているにせよ、この言い方はあまりにも大人気ない。そうこうしている間にも、少年の眉間にはみるみる内に深い皺が刻まれていく。そして、今まで男を見上げていた瞳を伏せて、長く細い、けれど深い溜息を吐いてから、言った。
「ボクはさ、フレンのことも好きなんだ」
 話の流れが流れだっただけに一瞬目の前の子供が言っている意味を理解出来ず、男は半歩後ずさった――正確には、彼の言葉を正確に把握出来ず、妙な勘違いから身の危険を感じて少しでも遠ざかろうとして我に返った。それでも、完全に不意をつかれたかたちの男は言葉を失う。騎士団長の狼狽をしってか知らずか、少年は伏せていた目を開きはしたものの、視線は自身の足元へと落としたまま言葉を連ねる。
「ねぇ、フレン。人はさ、本当に簡単に居なくなっちゃう」少年は、先刻と同じ調子で、同じことを言った。それから、念を押すように――或いは、釘を刺すように付け加えた。「簡単に、死ぬんだよ」
 これはまた、と男は思った。あまりに飛躍した少年の言葉に、今まで真面目に話を聞いていた自分に呆れたというのもある。
 少し前、ユーリ・ローウェルが行方を晦ませたことがある。場所が場所だっただけに、彼の仲間の誰もが少なからず冷静さを欠いた。男自身、生まれて初めて文字通り血の気が退くという体験をした。けれど男はそう簡単にあのユーリが例えばそう、死んでしまうようなことはあるわけがないと確信していたし、周囲の陥った恐慌状態に逆に冷静さを保っていられた。
(つまり――……デリケートな年頃なんだろうな、きっと)
 可哀想にこの少年は、あのときの衝撃で純粋な思慕と憧憬が恋愛感情に摩り替わってしまったらしい。先刻の当て推量の浅はかな物言いは、強ち的外れでもなかったということだ。けれどこれでは益々、この愚かしくも純粋な子供を説得するのは難しいように思えてきた。それでも何か糸口を見つけなければ、と男は今一度口を開いた。
「少年、確かに君の――」「ユーリもだけど、」
 少年の言葉が被る。男は黙った。少年は、冷えた足元に落としていた視線を上げはしていたが、男を見てはいなかった。
「フレンも、ちょっとボクのこと見縊り過ぎてるよね」
 ああ知っている、と男は思った。昔、男の幼馴染みも今の彼と同じような目をしていた。彼に覚えた既視感は、かつて幼馴染みに対して抱いた未視感と同質のものだった。
「そんなんだと、攫われちゃうよ?」
「攫ってしまう、ではなく?」
 穏やかに返すと、少年の視線が男へと引き戻された。それから、破顔してみせた。そういえば、彼はこんな風に笑う子供だったのだ、ということをそこで漸く思い出した。そして妙に清々しい調子で言った。
「言ったでしょ?ボクはフレンのことも好きなんだよ」
「それは……ありがとう?」
 疑問系になってしまったが自分は悪くない、と男は思った。少年も、あまり気に留めてはいないようだった。
「だからさ、いつまでもユーリが傍に居るのは当たり前だなんて思ってちゃ駄目なんじゃないかな」
「嫌な……ことを、言うね」
 本当に、恐ろしいことをこの少年は言う。
「言うよ。ボクはユーリが好きだし、フレンのことも――まあ、好きだし?」少年は悪戯っぽく肩を竦めた。「フレンも頑張ってくれなきゃ。ボクも頑張るからさ」
 つい先刻恐ろしいことを言ったその口で、少年は告げた。極簡単な言葉を連ねているに過ぎないというのに、古代言語さながら馴染みのない未知の響きで以って、彼の言葉は男の耳に届くに至った。



クセノスの子ら Ⅲ from Garden of Earthly Delights with Love
20090331


 


 


 


フレンは多分カロユリではなくてユリカロだと思ってます。このサイトのTOP見て来い。
そしてカロル先生にイヂメられているフレンが面白い
可愛いので、ユーリとジュディスは木陰からこっそり二人を見守っています。
(20090331)





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最終更新:2009年03月31日 03:01