結婚がどうのこうのな感じの話。
ハナからユーリもソディアも勝負する気がないらしいとか。


 

  コルセットで内臓を圧迫される苦しみから解放され、息を吐く。細やかな刺繍と、煌びやかな布地に包まれているよりも重たい鎧を着込んでいるときの方が落ち着く自分が居ることに気が付いたのは十年以上前のことだ。そんな娘に諦めたのか、父も母ももう何も言わない(父だけは少し寂しそうな顔をすることがまだ時折ある)。ただ、実家に帰るとやれいつまで騎士団に居るのだ、やれ結婚はいつするのだ、と煩く言われはする。父母だけならまだしも、以前親族一同居合わせたときなど思い出すのも憚られる。それでも、そうやって周囲があれこれ口を出してくれる内が華であるに違いないのだと、半年に一度は暇を見つけて実家に帰るようにはしている。
 そうして一週間ぶりに帰った部屋は酷く冷えて、私は外套も脱がず暖炉に薪をくべることから始めた。日が沈むにはまだ早かったが、照明のない部屋は暗い。薪に火はまだ燃え移らず、私はかじかむ手を擦り合わせながら明かり取りの窓を見遣った。そそり立つ雲堤に青い空は追いやられ、だからまだ日も高いというのに暗いのか、と納得した。
 漸く薪が煙を立ち上がらせ小さな火が点った頃、控えめなノックが響いた。心当たりは、ない。ただ、休暇は明日までとっていたので私室にまで訪ねてくるとなると急を要する仕事かも知れない、そう判断して「今開ける」、と声をかけ、のろのろと扉に近付いた(人間、寒いと動きが緩慢になるのは仕方がない)。鍵を外し、ドアノブを捻る。白塗りの扉を手前に引けば、そこには私の敬愛して止まないフレン・シーフォ騎士団長閣下が立っていた。あまりに予想とは掛け離れた来客に反応が遅れる。勿論かける言葉も見つからず、私は文字通り綺麗に固まった。そんな部下の狼狽を余所に、団長は黄金色をした波穂のような髪を揺らして微笑んだ。穏やかで、全ての人に別け隔てのない私の好きな笑顔だ。
「帰ったばかりだというのに急に訪ねてすまない、ソディア」
 私自身、隊を率いるようになってからは彼の傍に控える機会も減り、こうして面と向かって声が掛けられたのば随分と久しぶりだった。
「いえ、そのようなことは」まだ鈍い頭を懸命に働かせ、何とか言葉を返す。「何のご用でしょうか」
 言い終えてから、何故もっと気の利いたことが言えないのだろうと気付く。立ち話も何ですから中へどうぞお茶でも如何ですかとか適当に言って、誘って、部屋へと引きずり込んでしまえば良かったのに私は何をしているのだろう。
「明日からの魔物討伐の遠征なんだが、私の同行は無理そうだ。例の話がまとまりそうでね。先方からの急な呼び出しがあったんだよ」
 年月を感じさせず、何処か幼さの残る顔を綻ばせて彼は言った。例の何であったか、と私は胸中首を傾げる。
「……ユニオンとのヘリオード港共同建設の件、ですか?」
「いや、それは残念ながらまとまっていない。ダングレストかヘリオードかで未だに揉めているようだよ」
「…………では、モルディオ博士の新説学会」
「来月だね」
 記憶している団長の予定を思いついた端から言い連ねる。だが、大きなものはこれくらいだった筈だ。
 見当がつかず考えあぐねている私に彼は少し照れたように笑いながら言った。
「私事で恐縮だが、縁談がね、まとまりそうなんだよ」
 成る程、と私は腑に落ちた。そういえばそんな予定も入っていた。私の記憶にもちゃんと留めてある。留めてはあったが、別段と重要な事柄でもなかった。頭に咄嗟に浮かばなかったのはその所為だ。
 団長に縁談の話が持ちかけられたのは何も今回が初めてではなかった。若くして騎士団長の任に就いた彼はその容姿も相まってこうした話には事欠かない。その上出身は平民上がり――それも下町だ。当然、市民からの支持も高い。そんな彼に良家の令嬢との縁談が持ち上がるというのは、とても分かりやすい。若く、後ろ盾も少ない今の内に取り込んでしまおうという魂胆が嫌が応にも見え隠れし、時折苛立ちすら覚えるほどに鈍くていらっしゃるこの愛すべき騎士団長閣下も流石にそれには気付いている筈だ。それを、
「お受けになったのですか」
 言葉にすると、形容し難い不快感が鳩尾の辺りからじんわりと染み出してきた。それは何か、感情に引き摺られているようだった。そしてその感情に名前を付けるとするなら、恐らくは失望というのが一番近い気がした。失望――その単語が脳裏に過ぎり、何を勝手なことを、と浅く笑う。
 私の不穏な笑みを団長は気にも留めず(気付いてはいただろうが、どうにもこの方は人の感情の向きを好意的にばかり受け止める傾向にある)、相手の女性が貴族であること、年上であること、父親は既に亡くなっているなどといったことを話してくれた。それこそ、傍から見れば私こそ長年付き添った異性として、団長に女として目を向けている――例えば嫉妬していると、そうは思わないところがこの方の可愛いところだった。
 私は、失望はしたが嫉妬はしていなかった。ただ、この話をあの黒い髪の男は知っているのだろうか、と弾む団長の声を聞きながら思った。

 男は、団長の幼馴染みだった。同じ下町で育ち、同じように騎士団に入り、そして一人騎士団を辞めた。
 どうしようもなく、違う道を選んだというのにそれでも尚、団長の隣に立ち続けるあの男にこそ、私は殺意にも似た嫉妬の念を抱いていた。
 法を守らず、秩序に反し、己の価値観で人を斬る、愚かな男だ。そこにあの男なりの正義があるということは知っているし、その正義に正当性があるのも理解はしている。けれど、だからこそ、それを成した男が団長の隣に在るということが、私には許せなかった。問いたかった。お前という存在が在ることで、確かに団長は安らぎを得るだろう。けれどそれ以上に、難しい立ち位置に居るあの方を悩ませるきっかけになるのだと、何故お前は気付かない。気付かないお前では無いだろうと、問うてみたかった。けれど、あの男を前にすると私の理性は感情に追い遣られ、果ては衝動にまで至ってしまった。私が男に突きつけたのは、問いではなく凶器だった。
 ザウデ不落宮から見た空は、目眩すらするほどの雲ひとつ無い青空だった。真っ白な足元に、衝撃のわりには驚く程少量の、けれど濃い、まるで黒い色をした血の跡が数的見て取れた。陽は、高い。風は冷たかったが、陽射しは暖かかった。これで団長の存在を危ぶませるものはなくなったという安堵感や達成感はなく、かといって取り返しのつかないことをしてしまったという後悔や絶望もなかった。ただ、血の付いた短剣を見下ろしながら、そのときになって漸く、あの男の――ユーリ・ローウェルの腹に抱くものを、理解した気がした。
 私は貴族の出だったが、地位はそれほどでもなく三女という立場から随分と好きにさせてもらっていた。そういったこともあって、フレン・シーフォという下町出身でありながらも才気溢れる上官と結ばれたいといった欲求は、なかった。なかったというより、最初から思いつきもしなかった。ただ、常にあの方のお傍に在り、あの方の目指すものの手伝いをすることが出来るのなら、それ以上の幸福はないと、そう思っていた。だからきっと私は彼の縁談が決まっても、嫉妬することすらなかったのだろう。
(――……ああ、いや……違う)
 違う。違うのか、と団長の背中が角を曲がり、完全に見えなくなったところで、思った。
 失望は、団長にではなくあの男に向けられたものだった。あの男を刺し、けれど男は生きていて、団長に相応しくはないとそう、そう言った。だから私は、その衝動から、その思想から、実はこの男は自分と近いしい何かを持つのではないかと、そうずっと思っていた。団長の隣にどんなかたちにせよ在りたい、けれど手を汚してしまった自分は隣に寄り添うに値しないと、私と同じなのだと、そう思っていた。
 男と私は違うもので、私と男はとても似ていた。私は、団長の傍に在りたかった。それだけだった。男は、そうではなかった。そうではない、という事実が私に失望を促した。
 結局、彼の手札は十三枚全てが切り札のスートだというのに、最初から男は手の内を全く見せる気はなかったのだと、そういうことだった。










き も そ ぞ ろ に ホ イ ス ト 。
They played whist Distractedly.
20090130






  

タグ:

+ タグ編集
  • タグ:

このサイトはreCAPTCHAによって保護されており、Googleの プライバシーポリシー利用規約 が適用されます。

最終更新:2009年01月30日 12:16