カロル先生が恋をしました、ユーリに(はいはい)☆


 

 
 ボクがその男に出会ったのは一ヶ月ほど前のことだ。ハルルの近くにある、深く緑の生い茂った暗い森の中だった。彼はそのときも、今も全身黒尽くめで同じように濃い黒色をした髪を背の半ばを過ぎた辺りにまで伸ばしていた。暗く、陰鬱に陰の垂れ込めた呪いの森の中、一際色濃く凝り固まった闇のような男だった。
 彼についてのそう多くをボクは知らない。
 名前はユーリ・ローウェルという。歳はボクより一回り近く上で何年か前まで騎士団に居たけれど、今は絶賛無職らしい。結界に守られている帝都から殆んど外に出た経験はなく、下町から盗まれた水道魔導器[アクエブラスティア]を取り戻すことが当座の旅の目的だ。戦い慣れはしているけれど、魔物との戦闘経験は少ないようだとか、単に強いだけでなく自分の力量というか、限界をちゃんと理解した戦い方をするタイプらしいだとか、そういったある種冷静に自分を把握している視野の広さは純粋に羨ましい。その目は自分のことだけでなく、誰よりも前に出て戦っているのに戦場に隈無く行き届いている。そしてそれは恐らく、戦うことに関してだけではないのだということにボクは最近気付いた。あとは、本を読むのが嫌いなこと、料理上手であること、彼に当番が回ると必ず食後に甘いものが出ること(察するに意外と甘党なのかも知れない。最近は手に入れたばかりのレシピにあった、シャーベットが毎食後に出てくる)、頭も身体も石鹸一つで洗ってしまうこと、それから、騎士団に幼馴染みが居るということ――ボクの知る、ユーリ・ローウェルは概ねそんな男だ。
 彼はボクから見たらとても大人で、口は悪いけれど冷静で、だからカプワ・トリムで幼馴染みだという騎士――フレン・シーフォの言葉に、憤りにも似た感情ばかりを先行させるくせに、何一つ言葉を返せず背を向けたときはとても驚いた。いつものように、辛辣な皮肉で以ってして言葉を返すことも出来ただろうに、彼はそれをしなかった。ボクは、何故彼がそれをしないのか分からなかった。その程度にしか、彼を知らなかったからだ。すぐにボクらは彼と合流した。その頃には、ユーリはいつものユーリだった。先ほど垣間見た激情は、少しの違和感を残さず消え去っていた。その後、カプワ・トリムから程近い廃墟――カルボクラムで怪しげな集団が出入りしているという、これもまた出所の怪しげな情報を入手し、向うことになった。そしてボクは後悔した。怪しげな集団は水道魔導器[アクエブラスティア]を盗んだ集団ではなく、ボクの所属していたギルド「魔狩りの剣」だったからだ。何もかもが過去形なのは、再会してすぐにナン――ボクをギルドに誘ってくれた当の本人に除名宣告をされたからだ。
 多分、ボクの見栄なんてみんな知っていたとは思う。知っていて、「子供だから」とか、「若気の至り」だとかで済ませてくれていたのだと、そう思う。正面から言われたら腹立たしいことこの上ないその言葉に、でも、誰も何も言わないのを良いことに気付かないふりをして甘えていたのはボクだった。
 だからナンの言葉に、誰も何も言わなかった。分かり易い沈黙と、話題の方向転換が成された後、不自然なくらい誰も視線を合わせず、俯いて立ち尽くしたままのボクを置いてみんな歩いて行ってしまった。呼びかけられて、そこで漸く顔を上げたときユーリが酷く中途半端なところで待っていてくれた。
 話題の転換をしてくれたのは彼で、いつもさり気ない気遣いを見せてくれるのも彼だった。それは、知っていた。でも、ボクはさっきまでの情けなさも恥ずかしさも一瞬忘れ去ってしまうほど、肩越しにボクを見つめるユーリに酷い違和感を覚えた。ただ、その違和感は一瞬で、どうしてそんな風に思ったのかそのときは分からなかった。
 それからまた、ボクは大きな魔物を前に逃げ出すという大失態を犯し、ナンに叱責を受けた。でも、仲間の誰一人ボクを責めることをしなかった。それが余計に、ボクを惨めな気持ちにさせた。ユーリなんて、ボクの頭に手を乗せて髪を掻き乱し撫でながら怪我がなくて良かったなどと言って来る始末だ。そのときもやっぱりボクに過ぎったのは胸騒ぎにも似た奇妙な違和感で、さっきは一瞬のことと流してしまったそれも今度ははっきりと自覚した。
 それは吐き気を伴う、脱力感と嫌悪感だった。
 ユーリ・ローウェルは本当ならもっとさり気なく、飄々として掴み所の無い男の筈だった。会ってそう日の無いボクでも、それくらいは分かる。でも、カルボクラムでのボクへの態度は、分かり易過ぎた。だから、分かってしまった。彼の心が半分近く、ずっとここには無かったということに、気付いてしまった。
 きっと、彼はずっと幼馴染みに言われたことを気にしていたのだと思う。ずっと、そればかりを考えていて、けれどその思考を深いところに圧し留めることに意識を向けてしまい、常の彼ならば努めて自然に成される筈の気遣いが酷く分かり易く態度に出てしまっていたと、そういうことなのだと思う。ギルドを一緒にやろう、そうユーリを誘ったときの歯切れの悪くない返事を聞きながら、ボクは漸く腑に落ちた。それ程までに彼の中であのフレン・シーフォという名の幼馴染みの存在は大きなものらしい。飴細工のような金色に透ける明るい髪の色と、乾いて高い、冬の空のような瞳が印象的な、ユーリとは纏う雰囲気も、性格も、生き様も、何もかもが正反対なあの騎士が、彼は多分、とても、好き、なのだと思う。
「眉間、すげぇ皺」
 降って来たその声が自分に向けられたものであることに思考はとっさに追いつかず、少し遅れて顔を上げる。髪を束ねていたユーリが、丁度それを解きながら言ったようだった。
「そりゃ眉間に皺も寄るわよ。何たってシャーベット作ってて、こんなもん発案するわけ?」
 語気が荒いので怒っているようにも聞こえるが、ボクの隣でそう言いながら満更でもなさそうにリタはユーリの作ったプリンを頬張っている。
「でも、本当に美味しく出来てますね、ユーリ。色も本当に綺麗な黄色をしていて、まるでフレンの髪みたいです。あとでわたしにもレシピ、教えて下さい」
 エステルの言った「フレンの髪」、というところでユーリが露骨に嫌な顔をした。その所為か、ボクはエステルの言葉に同意することも、笑うことも出来なかった。これで本当に、フレンのことを考えながらシャーベットを作っていたらプリンを作ってみたくなった、などと本人が言い出したら洒落では済まない、気がした。幸いユーリはエステルの言葉の「その辺」には触れず、レシピに関してだけ快く言葉を返した。
「カロル先生暗いな。好みじゃなかったか?」
「そうじゃないけど……カラメル、苦過ぎる気がする。ユーリ、焦がし過ぎたんじゃない」
 語尾は、少し聞き取りづらかったかも知れない。言うと同時にプリンを口の中へと掻き込んだからだ。するとエステルが不思議そうな顔をして小首を傾げ、リタがすかさず嘲笑混じりの突き放した口調で言った。
「コレ、クレーム・ブリュレよ?」
 言われたとき、丁度ボクの口の中で砂糖がくしゃりと音をたてた。恐らくボクの浮べただろう微妙な表情にユーリが珍しく声を上げて笑い出す。
 それでもやっぱりボクは笑えない。笑えず、半ばヤケになりながら、忌々しくも甘く、それでいてやっぱり何処か苦い気もする彼のプリンを口いっぱいに頬張る。初恋が甘酸っぱいなら、これはきっと二番目の恋の味なのだろう、とふと思った。







 ん ざ い に 供 さ れ た プ デ ィ ン グ 。
The pudding was served Clumsily.
20090110






  

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最終更新:2009年01月10日 04:40