新生人工言語論

人名について

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lideldmiir

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人名は固有名詞で、これも扱いにくい分野です。
地名以上にアイデンティティを示すので、扱いも慎重にならざるをえません。

特に普及型だと名前については困るでしょう。
ある人の名前がその人工言語では偶々悪い意味の言葉だったりしたら困ります。
「健太」という名前の人がいて、ある人工言語でkentaは「バカ」という意味だとしたら、凄く嫌な感じじゃないですか。

だから普及語では特にその点に気を付けたいんですが、実際それを言い始めると、いつまでたっても始まりません。
少なくとも悪い意味の語は作れなくなってしまいます。

人名に関しては本人の名前をそのまま尊重するのがいいでしょう。
ただ、相手の母語の音韻体系と同一ではないので、自言語の音韻体系に置き換える必要があります。

置き換えた結果、人工言語で悪い意味を表わす名前になってしまった場合、その人工言語での新たな名前を選ばせるのがいいでしょう。
最初は戸惑うと思いますけれど、要は芸名のようなものではないでしょうか。まずい意味を表す名前でなければ、引き続き日本名を使えばいいと思います。

問題は過去の人間の名前でしょうか。信長くらいならいいのですが、文献が古すぎて読めない人名や、国によって発音が違う名前です。
ツタンカーメンは何語読みするのがいいんでしょうか。当時の読み?それはちょっと難しいですね。

先験語にせよ後験語にせよ、外国人の名は外来語として音韻体系に当てはめて取り入れるわけですから、最近の人に対してはその人の母語で。また、昔の人に対しては何語でもいいでしょう。
ただ、神の名とか忌み名には気をつけたほうがいいです。勝手に読みを変えると、いらぬ反感を買いかねません。
基本的にツタンカーメンは英語でも日本語でも、好きに呼べばいいです。ただ、それだと外来語が膨大になるため、参照言語は1つに絞ったほうが無難です。

日本人が作るのなら、日本にはかなりの文献があるので、日本語読みでもいいと思います。
英語が堪能で文献をすぐ入手できるなら英語でもいいですが、しばしば英語は読みが分からない言語なのが難点です。

それにしても、ある人の母語の卑語と人工言語の語が重なることに比べれば、人名は容易です。
エスペラントの dankon は日本人には恥ずかしくて言いづらい語ですが、かといって日本版エスペラントを勝手に作って「ありがとう」を別の語にするわけにはいきません。
それに比べると人名は気が楽です。

もし Dankon という名前の外人なら、日本に来たとき日本名を使えば良いのですから。
回避の手段がある分、人名は気楽です。
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