藤原千方(ふじわらのちかた)


伊賀・伊勢のあたりで勢力を持ったとされる伝説上の豪族で、朝廷に対して叛逆を企て、滅ぼされたとされる。
『尊卑分脈』などには藤原秀郷の孫に当たる人物に同名が見えるが、説話類が示す年代(これも異同があるが)とそぐわず、また正史にも記述がない。

伝承によると、千方は四人の(四鬼)を使役した。鋼のように堅固な体を持つ「金鬼(きんき)」、風を操り敵城を吹き破る「風鬼(ふうき)」、水を操り洪水を起こす「水鬼(すいき)」、姿を消し突如襲いかかる「隠形鬼(おんぎょうき)」の四人がそれである。(なお、隠形鬼については、異なる名前・能力を伝える伝承もある。)

このたちの猛威に官軍は大いに苦戦した。しかし紀朝雄(きのともお:伝未詳、架空人物か)が「草も木も我が大王(おおきみ)の国なれば いづくか鬼の棲(すみか)なるべき」との和歌を送ったところ、たちは恐れをなして退散し、勢いを失った千方は討たれたという。

以上はおおむね『太平記』巻一六「日本朝敵事」の記事にもとづく。この『太平記』における藤原千方説話が最も有名で、これを受けた表現が謡曲「田村」や各種の御伽草子に散見される。

なお、現在知られているうちで最も古い伝承は、『古今和歌集』の注釈書、『毘沙門堂本 古今集注』(鎌倉時代中期成立)のものである。そこでは『古今和歌集』仮名序の冒頭「力も入れずして天地を動かし、目に見えぬ鬼神をもあはれと思はせ、男女のなかをもやはらげ、猛き武士の心をもなぐさむるは、歌なり。」の部分に対する注・例証としてあげられている。ここから、この伝説は和歌の持つ霊的な力を讃える一種の「歌徳説話」であるといえる。
在地の伝承とはあまり関わりのない、創作性の強い伝説と言えるかも知れない。

参考文献
『太平記(二)』(日本古典文学大系36/岩波書店,1977)
『毘沙門堂本古今集注』(未刊国文古註釈大系4 所収/帝国教育会出版部,1935)
「田村」(新日本古典文学大系57『謡曲百番』所収/岩波書店,1998)
慶応大学蔵『大江山酒呑童子』(室町時代物語大成3 所収/角川書店,1983)

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最終更新:2005年10月01日 19:40