一村陳述書 テープおこし原文 改ざん部分
1 面接(2004年2月22日)の前に私の館長就任はすでに決まっていたのかどうかについては、三井さんが「訴状」に書いている通りです。市から話があったとき、私はまず「三井さんは了解しているのですか」とH部長に聞きました。部長は「了解されている」と言いました。「三井さんは、事務局長に残ることは無いのでしょうか」とも聞きましたが、「三井さんは常勤は無理なのです」との答えでした。 実は再編成機構(??)の事務局長のポジションで、桂さんに此処を見ていただきたいんですって言わはったんで、私もびっくりしまして、豊中は三井さんていうの知ってましたんで、私もあの時、自分で何を聞いたんか、後で、いろいろ考えてるんですけれど、その時はね、"三井さんは御了解されてるんですかって"、最初に聞いてるんですわ。そしたら、"はい、三井さんは、了解されています"っておっしゃって、その後で、何か、事務局長、その時は事務局長って名称だったんですけれども、お話は進んでたので、私、もう一度聞いたんですね。
"三井さんは、ここに残られるということは無いんですか"って、また聞いてるんですね。そしたら、”三井さんは常勤は無理なんです”って、おっしゃったんです。Hさんがね。それは明確に覚えてるんですね。私も、後からね、なんでそんな質問をしたんだろうって、考えると、その時は無意識だったんですけれども、一つは三井さん、もう、来られたというのは情報としては知ってますしね、遠い所から三井さん呼ばはったんやなって思ってましたよね。
事務局長のポジションという部分が、館長就任にかわっている。その後の部分で、「三井さんは、ここに残られることはないんですか」が「三井さんは、事務局長に残ることはないのでしょうか」と、突然「事務局長」という言葉が加わっている。
2 当時の豊中市から要請を受けた時のことは、三井さんに引継ぎの時にも話しましたし、メールでも送っていますし、三井さんは、私の話をもとに準備書面を書いています。 それは全部、三井さんに引継ぎの時に全部お話しまして、メールも送ってるんですね。 その私の話を元に三井さんも訴状を構成されたと思いますし、もう一度ね、裁判を、訴訟を起こされる、ちょっと前に三井さんと電話でお話しているんですね。 私は、その時点までは、実は、やっぱり豊中市の方を疑ってたんですね。 だから何度もお話して三井さんも、その時の私の話を受けて、こちらの準備書面を書いておられますので、だから、もう、お話した通りのことなんです。 電話で話したという部分は削除。「何度も話した」「全部お話した」という部分は削除。
3 (2月22日の)面接については、H部長から「形式的なもの」と言われました。三井さんが面接を受けていたことは、三井さんと引継ぎの話をしたときに、初めて知りました。ほんとにびっくりしました。 選考委員会もやるともおっしゃいましたけれど、形式的なものですってのは聞いておりますから」 (Hさんが?)「聞いてます。私は、手続きを踏まれるんだとばっかり思ってましたので、三井さんが同じ日に面接を受けられたというのは、引継ぎの時に、2回お会いしてるんですね、3月の末に。2回目にお会いした時に、三井さんが2月22日ですか、"面接の日に、マクドナルド行きませんでした?"っておっしゃったので、面接の日にって、"行きました"って言って"え、居られたんですか?"って、その時にビックリしたんですね。"時間が違ったのね。私も、あの時行ってたんです。"  
4 面接の前、私の自宅近くの喫茶店にH部長、T課長、Y事務局長が来ました。ややこしそうになっているようでしたので、「豊中へ行くことを保留にします」と言いました。Yさんは「そんなぁ」と言いました。私は「三井さんが残りたいと言っているのに行く気はありません。押しのけて行く気はありません」と言いました。 それで、此処に来ることに、どう考えたら良いんだろうって、すごい悩んだ時期があったんです。ただね、これ言葉のマジックに引っ掛かったのかもしれないんですけれど、最後のほうに、私の家の近くの喫茶店にHさんとTさんとYさんがみえて話をされた時に、私、豊中行くことをお断りしますって言った(??)んですよ、ややこしそうだったので。Yさんが、"そんなぁ"みたいなことを言われて。そんなことを言われて。"私は三井さんが、残りたいとおっしゃっているのに行く気は有りません。押しのけて行く気は無いです"って言ってあるんです
5 Yさんから、「3月の理事会で紹介したいから出席するように」と電話がありました。そのときYさんは「三井さんは了解されました」と言いましたので、私は「それは良かった。それなら私が、行けます」と言いました。 そしたら、3月の、忘れましたけど、理事会、紹介したいから出てくれってYさんから電話が有ったんですよ。その時にYさんがね、最初に、こうおっしゃったんです。"三井さんは了解されました"って、でね、私はね、"それは良かったですね"って、"それなら、私行けます"って。そしたら、既にもめておられて、で、私は三井さんと、お会いして、三井さん、なんて申し上げたかわからないんですよ。三井さんは"桂さんは、頑張ってください"っておっしゃったんです。"これは、私と豊中市との問題だから。桂さんのことは共通の友人も居るので聞いてますから、頑張ってください"っておっしゃったんですね。そういうことなんだって思って。そうしたら、頑張れば良いんかなって思って」 三井さんから"桂さんは、頑張ってください"”これは、私と豊中市の問題だから”という言葉をかけられたことは書かれていない
6 しかし、すてっぷに行ったら、まだもめていました。三井さんは、評議員会で「私は不本意なまま去ります」と挨拶しました。理事会でも同じ挨拶がありました。三井さんと二人になった時、三井さんは何らかの事を起こすつもりだと言っていましたので、私も、出来る限り協力すると言いました。 「理事会に出まして。先に常任委員会が有ったんですよ。そしたらその時に、"私は、非常に不本意なまま此処を去るんだ"って、また三井さんが御挨拶されるので、どうして良いかわからなくて。理事会の後、同じ御挨拶されたんですけど、私はどう考えて良いかわからなかった。たぶん三井さんは、二人になった時に、なんらかの事を起こすつもりだとおっしゃって、って言われてたので、私も、出来る限り、私がわかる範囲で協力しますって言ってたんです 三井さんからがんばってくださいねといわれたが、理事会にでて桂さんは、三井さんが不本意なまま去ることをしりどうしていいかわからなくなった。ということが抜けている
7 去年(2004年)の夏の前、Hさんに「三井さんはなんで辞めたのか」「三井さんが面接を受けたことを私に言わなかったのはなぜか」「面接試験で私が通らない可能性もあったのか」と聞きました。Hさんは、「私が不合格のこともあると思っていた」と答えました。私は「それだったら、私が豊中市を訴える番でしたね」と言いました 私はね、もし三井さんが戻られるのなら、私は居られない、と思っているんです。ただね、周りの友人は、三井さん、別のことだと、別の事だからとおっしゃるので。 ただ、私は、Hさんに言ったことが有るんですね。まだ、夏前だったと思うんですけど、去年の。 "三井さん、なんで辞められたんですか"ってことを。やっぱり、わからなかったんですよ。 "どうして辞めなきゃいけなかったんですか"って話をしてて。それから、"面接を三井さんが受けられていたってことも、全然聞かせてくれませんでしたよね"って。"どうしてだったんですか"って話をしたら、"私は、通らない可能性も有る思ってらっしゃったんですか"とHさんに聞いたんですね。そしたら、"思ってました"って電話で聞いて。"そしたら、私が豊中市を訴えることになってましたよね"って話をしていたことが有るんですけれども。私は、筋はたぶん通さなければならないから、三井さんが戻られるということになれば、私の立場は、私が豊中市を訴える番かな、とかいう。」 もし三井さんが戻られるなら、私は居られないと思っているという重要な言葉が書かれていない
8 三井さんの裁判の、被告側の準備書面の打ち合わせには、最初、関わらないつもりでした。しかし、豊中市が「桂館長は、最初から自分もひょっとしたら選考に落ちるかもしれないと承知していた」という原告への反論を作っているのを知りました。私は怒り、採用前にあれだけ打ち合わせておきながら、なんてひどいことをすると思いました。それで弁護士の所に言って、「それ、嘘です。直してください。部長は、『あなたしか居ない』と言ってたのに」と言いました。その際、私が準備書面作成の打ち合わせに居合わせなかったら、話がどんなふうに作られていくかわからないと思いました。 ただね、聞いてくださってので言いますけれど、私の印象はね、訴訟が起こる前までは、豊中市が何か隠してるんだとずっと思ってたんですけれど、裁判が有りまして。裁判の準備書面が出てきて、打ち合わせ、最初は私、関わらないつもりで居てたんですよ。こんなこと関われないって思ってたんですね。ただね、関わらないで居ようと思っていたら、豊中市の反論がね、"桂は最初から自分もひょっとしたら選考に落ちるかもしれないって承知していた"って、最初にそういう反論を作ってたんですよ。それでもう、私、怒ってしまったんですよ。なんていうことを言う。あれだけ打ち合わせておきながらね。それで、弁護士さんの所に言って、"これ、嘘です。直してくださいって言ったんですね。あなたしか居ないって言ってたじゃないですか"って言ったんですね。弁護士さんが、内輪でそんなん言ってもらっては困ると、Hさんに、全て言いなさいって、全部正しく言ってもらわないと、真実を隠されては困ると。全部言ってくださいというふうに言われて、Hさんも、私は確かにそう言っていたと、このままいけると思っていたということを言わはって。見込みは持っていたと。ただ、三井さんが私も受けるって言われて、三井さんに面接するってことになった時には青ざめてしまって、首、覚悟やなと思ったとか、おっしゃっていましたけれど。私は、危機感を持ったんですよ。 「採用前に」という言葉が新たに付け加えられている。桂さんが採用前の段階から、豊中市側と打ち合わせを綿密に積み重ねていた印象。
9 三井さんの件は、今まで申し上げた通りです。三井さんに伝えたことが全てです。三井さんは、それで訴状を構成したのだと思います。 「私は、三井さんの件については、申し上げた通りですので。当時わかっていたことは、殆んどないんですよ。三井さんに伝えたことがすべてです。それで三井さん、訴状を構成されたと思いますから 「当時わかっていたことは、ほとんどない」という部分は削除。
10 Tさんから「桂館長が、そういうことを言ったから訴訟が起きたのよ」と言われました。市は反省していなくて、自己を正当化するばかりです だから、逆に言われましたよ、Tさんに、私。"この時はドサクサだったので抗議はしませんでしたけれど、こういうこと(??)になったのは桂さんが、そういうことを言ったから訴訟が起きたのよ"みたいなことを言われましたよ。Tさんは、なかなか、問題発言、いっぱいされてますよ。やっぱり、そういう人たちの、市の反省の無さとかね。そういう方の。私はすごい、受け止めます(??) どこまでもやっぱり自己正当化ばっかりされているから。  
11 このポストは、荷が重すぎます。私が来てから、統合だの、移転だの、指定管理者制度だの、新しい人間すえて、何もわからない間に全部やっちゃえ、みたいなことだったのかなと思います。私は、男女共同参画の仕事がしたかったのですが、今はなんでやってるんだろうって思う毎日です。 「なんかね、荷物が重すぎるんですよ。私が来てから、統合だの、移転だの、指定管理者制度だのってという。なんかもう、"新しい人間すげて、何もわからない間に全部やっちゃえ"みたいなことだったのかなとかね。 去年の4月から、すんごい、いろんな事が有って。私、男女共同参画の仕事がしたかったんだけど、なんでやってるんだろうって、思うんです。だから、此処の作りそのものも良くないです。やっぱり、非常勤の人が圧倒的に多い中で、待遇格差が有るんで、仕事が違ったら、なかなか気持ちは一つにならないし。」 「荷物が重すぎるんですよ」→「このポストは、荷が重すぎます」 とかえることで、個人の能力的に荷が重いという印象を与えている。非常勤の人に関する言及は削除。
12 三井さんは、誰かに嫌われたのかなと思います。私が何ですてっぷに呼ばれたのかわかりません。仕事をしてみてますますわからなくなっています。 「三井さんは、誰かに嫌われたのかなって思ったんですよ。私が何で呼ばれたのか。仕事をしてみてますますわからなくなったんですよ。私は、全然、官僚的な人間ではないし、民間でずっと来てましたから。行政には居ましたけれど、それこそ本当に、男女共同参画推進センターの(??)、おかしいって言ってきた人間なので、何で私を呼んだんだろうなって思ったんですよね。そしたら、三井さんは、誰かに嫌われたのかなって。その人はね、市長みたいな偉い人かなって思ったんですね。そしたら、Hさんは、言われたら言われたまま動くしかなかったのかなって、勝手に想像したんです、それは。何の証拠も無いんですけれど。」 「私は全然官僚的な人間ではないし、、」以下を削除することで、能力の問題でなんで呼ばれたかわからない、といっている印象を与える。
       
    三井さんは"桂さんは、頑張ってください"っておっしゃったんです。"これは、私と豊中市との問題だから。桂さんのことは共通の友人も居るので聞いてますから、頑張ってください"っておっしゃったんですね。そういうことなんだって思って。そうしたら、頑張れば良いんかなって思って」 この部分は抜けている
最終更新:2008年10月31日 12:21