【河嶋 功一(当時24、男) 横浜市金沢区洲崎・昭和57年3月22日】
関東学院大学機械工学科を卒業したばかりで、浜松に就職も決まっていた。失踪当日は父親たちが車で下宿へ荷物を取りに行く。父親は荷物とともに車で、本人は汽車で浜松に帰ることにした。功一さんは「先に浜松に帰っている」と、午前9時半頃下宿を出た。父親は50~60m先の角を曲がるところまで見送る。
後に父が「交通渋滞で帰りが遅れる」と浜松の実家に電話したが、功一さんは未だ帰っていなかった。夜遅く荷物を下ろし横浜に引き返すが、本人はいなかった。
当時小雨で傘一本、電車賃・本人の小遣い程度しか持っていない。
特定失踪者第二次公開。
関東学院大学機械工学科を卒業したばかりで、浜松に就職も決まっていた。失踪当日は父親たちが車で下宿へ荷物を取りに行く。父親は荷物とともに車で、本人は汽車で浜松に帰ることにした。功一さんは「先に浜松に帰っている」と、午前9時半頃下宿を出た。父親は50~60m先の角を曲がるところまで見送る。
後に父が「交通渋滞で帰りが遅れる」と浜松の実家に電話したが、功一さんは未だ帰っていなかった。夜遅く荷物を下ろし横浜に引き返すが、本人はいなかった。
当時小雨で傘一本、電車賃・本人の小遣い程度しか持っていない。
特定失踪者第二次公開。