ジャムシード(Jamšīd)

 アヴェスターにおける栄光の王イマ?・クシャエータ(Yima xšaēta)。インドにおけるヤマ?であり、仏教では閻魔様として知られている。ゾロアスター教伝承ではタフムーラスの兄弟である。
 中期ペルシア語ではジャムシェード(Jamšēd)。

 ジャムシードは、「輝けるジャム」という意味。
 タフムーラスの息子。なんと治世700年。イランでは今でも理想とされる時代である。
 ジャムシードの時代は黄金の千年紀といわれ、世界にとって至福のときだった。王は黄金の冠をいただき、悪魔も鳥も妖精もすべてジャムシードの命令に従った。王は「予は神からの栄光を備え、王者であり、司祭でもある」と宣言した。

 王はまず50年間鉄から武器防具を造り上げることに苦心した。
 次の50年間は織物について考え、それを人々に教え、さらに洗い方、縫い方も伝授した。
 その次の50年間で王は職業別カーストを作った。それは祭司(カートゥズィー)・戦士(ニーサーリー)・農民(ナスーディー)・職人(アーフヌーカシー)の4つであった。また、悪魔に対して日干し煉瓦を作らせ、そして大きな建物をたてさせた。
 次の50年には王は宝石や貴金属を捜し求め、香水や香料を抽出した。また医療技術も明らかにした。
 色々やってやることがなくなったジャムシードは誰も見えなくなり、玉座を悪魔によって天空にまで持ち上げさせた。人々はその日を「新しい日」ノウ・ルーズ(イランの正月)と呼んだ。この間、人々は誰も死なず、苦労も不幸もなかった。
 そうして300年が経ったが、王はあまりにも高いところにいたので自分以外の偉大なものはいないと思うようになり、神さえも崇めなくなった。そして貴族たちに「自分を創造主と呼べ」と迫った。
 しかしそのことがジャムシードにとって命取りとなった。王から栄光が消えうせたのである。誰もが王宮から去っていき、23年の間になにもなくなってしまった。

 このころアラブのほうにマルダースという王がいて、その息子はザッハークと言った。ザッハークはイブリースの策略によって王権を奪取した。

 イランでは、各地方で武将や僭主による反乱が始まっていた。彼らはイランではなく偉大な王がいると噂されるアラブのほうを向いたのである。人々は一同ザッハークにひれ伏し、「イランの王」と呼んだ。
 ザッハークたちの軍勢がジャムシードの王宮に押し寄せた。彼はどうすることもできず、王座、王冠、権力、宝冠、財宝、軍隊をザッハークに渡して身を隠した。
 100年の間だれも落ちぶれたジャムシードを見た者はいなかった。しかし中国の海辺にこの王が姿を現すとザッハークはすぐさまジャムシードの身体をのこぎりで切り裂き、世を清めた。

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最終更新:2005年03月21日 23:57