全国の小学5年生がその事実を知る日、Xデー。ケンジやマコトのすむ町ではそれは今日だった。 視聴覚室や音楽室に男子女子が別々に集められ、あるビデオを鑑賞する。 なぜか少しだけ浮ついた雰囲気の中、淡々と進むビデオの内容は彼らの脳内に焼き付けられた。 しかして普通に時は過ぎ放課後、いつもの場所にて。 『チンコがおっきくなるのって「ボッキ」っていうんだよな?』 《小便我慢してると、ボッキするよな〜》 〔あるあるw〕 この儀式を終えた者たちの基本会話が繰り広げられていた。 そんないつもの空き地に向かう小さな影があった。マコトだ。 「(あのビデオ、全然意味分かんなかったなぁ・・・。インケイがチツナイでシャセイ・・・ん〜)」 彼女は彼女なりに悩みがあった。ソノ手の話に絶望的に疎いのだ。 「(ナオちゃんやマイちんは知ってたみたいだけど、よく教えてくれなかったし・・・)」 そして彼女は本日最悪の決定を下す事にした。 「(男の子もきっとあのビデオを見てたはず!ケンジは結構物知りだから知ってるよね・・・)」 ついに彼女は空き地に到着した。 「おっす!ケンジ!」 『おっす、マコト!お前もあのビデオ見た?」 「見た見た!でもよく分かんなかったなぁ。」 『分かんなかったって、マコトもボッキしたことあるだろ?』 「え…オレが見たビデオと違うのかな?」 『ん〜、学校ごとに違うのか?どんなのだった?』 空き地の横を通り過ぎるミカの耳にこんな会話が耳に入って来る。 【(これ…ヤバイかも)】 彼女の予想は現実となった。 マコトはこの年齢の少女にあるまじき衝撃的発言を始めた。 「えーとね、チツにインケイをソウニュくぁswでfrgtyふjきお」 危機は回避された。ミカの手によって。 クラスで一番の俊足を誇るミカは超人的なスピードでマコトの背後に近づき、 首根っこをつかみ、空き地の外へズリズリと引っ張り出した。 「み、ミカちゃん!?ちょっと待ってよ、なにするのさ〜」 【いいから黙ってついといで!】 空き地に残された男子たちはあっけに取られて口を開けるばかりであった。 《今の、ミカだったよな…》 〔マコト引きずってかれちゃったよ。〕 『ミカってすげぇ力持ちだったんだな…。』 ミカと引きずられるマコトは一路、ミカ宅へと向かっていった。 空き地から歩くこと3分、2人はプチゴージャスな豪邸の門の前に立っていた。 生垣からは広々とした庭がちらりと伺える。 「ここ・・・ミカちゃんの家なの?」 【そうよ。(インターホンのボタンを押す)ただいま〜】 インターホンからノイズの乗った優しげな声が聞こえる。 {おかえりなさいミカさん、今門を開けますから} 「今の声、ミカちゃんのママ?」 【違うわよ、あれは田中さん。お手伝いさんよ。】 「お、お手伝いさんって・・・」 程なくして女性が玄関から現れ、門の鍵を開ける。 【紅茶を2つ用意してくださる?ミルクはいらないわ。ダイエット中だから】 {はい、ちょっと待っててね。あら、お友達?} 【う・・・ん。友達、でいいかな・・・。】 「こ、こんにちは!澤木マコトです。」 【あぁ、こんなカッコだけど女の子だからね!】 {当然、わかりますよ。こんなに可愛いのになんで男の子のカッコなんて… マコトさん、後で私の部屋にいらして。取っておきのフリルのついたワンピ} 【い、いいからいいから。マコト、2階いきましょ。】 事態を飲み込めず、きょとんとしたマコトの背中を押しながら ミカは大急ぎで階段を上った。 【田中さん、可愛い子がウチに来るとすぐああなの。気にしないで】 階段を上りきって、すぐの左の部屋のドアが開く。 ミカの部屋の中はそこそこきれいに整頓されていて、ぬいぐるみあり、 キャニーズのポスターありと、典型的女の子の部屋である。 「ひろーい!ミカちゃんいい部屋に住んでるんだねぇ」 【ま、まぁね。椅子とかないから、適当に座って】 マコトは落ち着かない様子で小さな座卓の傍に腰をかけた。 田中さんが紅茶のカップを2つお盆に載せて部屋にやって来た。 ミカは砂糖も入れずに紅茶のカップに口をつける。 【ニガ】 「お砂糖入れないからだよ・・・。」 マコトは紙に包まれた角砂糖を一つ熱い紅茶に溶かしいれてから口をつけた。 【うるっさいわね!これが大人の味なのよ!」 紅茶を飲んで一心地着いたからか、マコトは遅まきながら自分の置かれている状況に気が付く。 「あ、なんで私ミカちゃんの家にいるんだろ・・・」 【・・・あんた、今まで気が付いてなかったの?】 「うん」 呆れつつも、ミカは続ける。 【あの空き地でケンジ君たちとしゃべってた事、思い出しなさい!】 「うん、だから、インケーをチ」 ミカは慌ててマコトの口を塞ぐ。 【あのねぇ!あんた、それがどゆことか、分かって喋ってるの?】 「ううん、わかんない。だからケンジに聞いてみようと思って」 【天然か・・・。どうやら教育が必要みたいね。】 「きょーいく?」 ミカはゆらり、と立ち上がり、収納家具に向かってゆっくりと歩き出した。 おもむろに収納家具の引き戸を開けると、そこには少女漫画が山と積まれていた。 「わぁ〜、ミカちゃんすっごいたくさんマンガもってるんだね。」 【そうかしら。私たちくらいの子ならみんなこれぐらいは持ってるんじゃない?」 「へぇ〜、私少女漫画ってぜんぜん読まないの。チャンプとかのが面白くて。」 【さ、さすがにケンジたちと普通に遊んでるだけはあるわね。でも今日は読んでもらうわよ。  そうね、あなたにはこの辺とかこの辺かしら・・・。】 ミカは漫画の山から数冊の漫画雑誌を拾い上げ、マコトに差し出した。 「これ・・・読むの?」 マコトの手の中にある漫画雑誌は、リアルな性描写がウリの少女漫画雑誌だ。 【そ。まぁとりあえず読みなさい。読んだこと無いんでしょう? (そして自らの行いに恐怖しなさい・・・フフ)】 「うん。なんかエロそうな表紙だけど・・・」 マコトはページをパラリとめくり、読書を始めた。 十数分が過ぎた。 ミカはリンゴの様に赤くなっていくマコトの顔を楽しそうに眺めていた。 レディコミ寸前のその雑誌を一冊読み終えたところで、マコトは一息つく。 「なんか・・・よく分かんないけど、女の子が、その、男の子と、裸で抱き合ってて・・・」 【Hしちゃってるでしょ?】 「Hって何?」 【あんた・・・あんたの学校の友達に聞いた事ないの?】 「ん〜、ビデオがよく分からなかったから聞いてみたんだけど、  みんな顔真っ赤にしてて、教えてくれないの」 ミカははぁっとため息を付いて、 【さっきあんたが空き地で喋ろうとしてたこと、それがその漫画の内容よ。】 「えぇ!?」もう一度マコトはページを開いた。 さすがのマコトも気づいてきたらしい。 「・・・ねぇミカちゃん、もしかして、もしかしてだよ?インケーって男の子のチ」 ミカは予測射撃のごとく、問題のある単語のところでマコトの口を塞いだ。 【そう、そういうことよ。】 「ってことは、あのビデオは、あの、その、Hのやり方を説明するビデオだったの?」 マコトの口調がしどろもどろになっていく。 【そう。やっと分かっていただけたようね。これでもあなたは男の子としてケンジの前に  立てるのかしら?男ってケダモノなのよ〜。】 そういうミカの声はマコトには耳に入ってはいなかった。 マコトの頭の中ではさっきの雑誌の内容を自分とケンジに置き換える作業が急ピッチで進んでいた。 「(ケンジ・・・ケンジもHな事スキなの?私が女だって知ったら、私とHするの?)」 「(女の子なら、だれでもいいのかな・・・、私じゃ・・・無くても。)」 そしてマコトの脳内に一つの疑問が浮かび上がった。 「み、ミカちゃんは、ケンジと、その、あの、Hした?」 ミカは口に含んでいた紅茶を噴出す事に躊躇はしなかった。 【ば、バカ!アタシがバカケンジとHなんてするわけないでしょ?】 「え・・・でもミカちゃんケンジのこと好きでしょ?ここに書いてあるもん!  初めてのHは、ラブラブなカレシと、って」 マコトは初体験告白の投稿ページを開いてミカに見せ付けた。 ミカは自分の心が悲鳴をあげているのに気がついた。 追い詰められていく、しかし心とは裏腹な言葉が口をつく。 【だ〜れがラブラブか!あんたとケンジの方がよっぽど・・・】 「よっぽど?」 ミカは口をつぐんだ。これを言う訳には行かない。これだけは。 うっすらと、無意識的に判りかけている、しかし決して認めるわけにはいかないコト。 ミカは涙目になりつつも、切り返した。 【と、とにかく、私はケンジとHなんてしてないから!】 「そ、そうなんだ・・・。」 ミカの涙と気迫に押されたマコトはこうつぶやく事しか出来なかった。 無言が二人を包む。 【分かったら帰って!帰ってよ!】 ミカは手近なクッションを抱きかかえ、下を向いたままだ。 「う、うん。分かったよ。またねミカちゃん。」 マコトはそそくさと立ち上がり、部屋を後にした。 階段を下り、玄関にたどり着くと「お邪魔しました」と誰にともなく挨拶をした。 {あら、もうお帰り?マコトさん、またいらっしゃいね。ミカさんがお友達をお連れになるなんて、 本当に珍しいのよ。いいお友達になってあげてね。} ふんわりとした田中さんの笑みをスルーしつつ、マコトは早足で歩き出した。 マコトの足は空き地には向かわなかった。 「(ミカちゃん、泣いてた・・・。私、何かひどい事しちゃったのかな・・・?   ケンジ・・・私、どうしたらいいのかわかんないよ・・・。   私・・・「オレ」のままでいいのかな・・・。)」 マコトは自宅に向かう道中に、「オレ」な自分に疑問を抱いた。 男の子に混じって遊ぶための割符、合言葉。 「オレ」は彼女の中ではそれ以上の意味は存在しなかった。 「(ケンジ、私、友達なのに嘘ついてる・・・。)」 「(ケンジは・・・ケンジは男のオレと女の私、どっちを好きになるのかな?   それともどっちもウソツキだから2人とも絶交、かな・・・)」 自らを偽った罰なのか、マコトは罪の意識に苛まれたままその日を過ごした。 マコトの「かくれんぼ」に終わりが近づいていた。 一人になった部屋。マコトのいなくなった部屋。 ミカはクッションを抱きしめながら泣いた。 【(キライ、キライキライ、大キライ!マコトも、ケンジも、みんなキライ!  バカで、正直で、無知で、可愛くて、残酷で、やさしくて・・・。  でも一番キライなのは私、みんなに嫉妬する私・・・。  消えちゃえ!消えちゃえ!私なんて消えちゃえ!)】 ミカは自らを呪った。消えてしまえ、と願った。 彼女の小さな心はその疲労に耐えられずにそのまま深い眠りについた。 すぅ、すぅと寝息が聞こえる頃になると、どこからともなく田中さんが現れ、 静かにミカをベッドに寝かせ、毛布を掛けた。 【ケンジ…】寝言が小さな唇からこぼれる。 田中さんはやさしく微笑み、部屋を後にした。 『ただいま!姉ちゃんいるか?』 {おかえり〜。どうした帰るなり} ケンジは姉にぶつけるための疑問を抱いて、帰宅した。 『あ、姉ちゃん、今日は帰り早いな。部活は?』 {フケた。} 『ふーん、ま、いいや。そうだ、姉ちゃんに聞きたいことがあるんだ』 {何?} 話は数時間前に遡る。 ケンジ、シュウジ、コウイチの3人組は、マコトがミカに拉致られた後、こんな会話をしていたのだった。 《そういや、女子は俺らが教室に戻った後も残るように、って言われてたよな。》 『ああ、そういえば・・・』 〔・・・俺ら男子よりエロい事詳しく教えて貰ったのかもな。〕 『ん、シュウジ女子が何してたのか知ってるのか?』 〔え”?知らねぇえよ!〕 《嘘だー、シュウジエロ超詳しいもんなw》 『エロー、シュウジエロー』 〔だぁ!超詳しくねえよ!・・・ちょっとだよ。でもこれはマコトには内緒な・・・。〕 『おう!あいつウブだからエロいのは苦手そうだもんな!』 シュウジは知っていた。澤木マコトは女の子であることを。 先刻も、マコトの口を塞ぐべきか迷っていたのだ。ミカの乱入でタイミングは逸したが。 彼の双子の妹はマコトの通う美鈴館女子高校初等部のクラスメートなのだ。 妹からマコトの話を聞くたびに、彼は胸が痛くなった。彼はケンジほど鈍感ではない。 マコトはケンジが好きなんだ、となんとなく気付いていた。そして陰ながらマコトを応援していた。 シュウジは仕方なく2人に女子が男子の去った部屋で見たビデオとほぼ同内容の知識を提供した。 この事実をケンジが知っても、2人の関係に何も変化がない事を祈りつつ。 〔・・・ってわけだ。〕 『へぇ〜、子供ってそうやってできるのか・・・。すげえや、シュウジのエロは世界一だな!』 〔勝手に世界一にすんな!しかもこれエロい話じゃないぞ。セーキョーイクってヤツだからな〕 その単語には聞き覚えがある。今日のビデオの前に教師が言っていた言葉。 そして彼は気付く。シュウジが喋った事の中にマコトが言おうとして言えなかった単語が含まれていたことを。 『あ、なぁシュウジ、マコトも似たような事言おうとしてたのかな?インケーやらチツやらって言ってたけど。』 ドキリ。心臓が止まる思いでシュウジは話を逸らした。うっすらと気付き始めたケンジの気を逸らすためだ。 〔さ、さぁな〜。マコトも可愛い顔してエロだってことじゃねえの?〕 そこは鈍感なケンジのこと、 『うーん、シュウジよりエロってことは無いにしても、(〔何でだよ!〕の合いの手)  マコトの学校はそういうのがススんでるのかもな〜』 〔そうそう、遅れてんだよウチの学校!〕 『ま、いいや!キックベースやろうぜ!昨日の続きだから、4回からな!』 《あ、でもマコトいないから人数足りないじゃん。》 『あ・・・透明でいいよ、透明で!』 ケンジらはキックベースを開始した。ボールを蹴り、走りながらもケンジは何故か心に引っかかるものを感じていた。 『(ミカはなんですごい勢いでマコトを連れて行ったのかな・・・。何か用?いや、ただの用事じゃあんなに慌てるわけは無い!  …ミカはさっきのシュウジの話を学校で聞いてたはずだよな。だったらセックスについては知ってるわけだよな・・・。  それでマコトを見つけたら一目散に駆け寄って連れてった・・・)』 鈍すぎる彼の思考の行き着く先は勘違いの積み重なったイビツな塊のような結論だった。 ミカはマコトが好きでマコトとセックスをするために拉致った。これが彼がキックベースをしながら導き出した結論だった。 『(ありうる!ミカのあの勢いは、間違いない!マコトもやるじゃん!)』 皆と別れて帰るとき、ケンジは一人で導き出した結論に満足し、ニヤついていた。 《ケンジさっきから何でニヤニヤしてるんだよ〜?》 『マコトのことだよ!あいつ、すごいな!』 《〔?〕》 『チッチッ、お前ら鈍いなぁ。ま、明日マコトが来れば判ることさ。じゃあな〜。』 〔(あいつ…。絶対に何か勘違いしてるな…。やっぱり教えるんじゃなかった…。)〕 シュウジはため息をついた。 『(しっかし、ミカも大胆だよなぁ〜。いきなりマコトを連れ去っちゃうなんて。   セックスってそんなに慌ててするほどの事なのかな〜。)』 『(そうだ、姉ちゃんに聞いてみよう!ちょっとムカつくけど、高校生だしいろいろ知ってるはずだよな。)』 空き地からケンジ宅までは程近く、あっという間に到着した。 そして、ケンジは姉に致命的な質問を浴びせることになる。 『なあ、今日学校でセックスのこと習ったんだけdって痛ぇ!痛ぇよ!口引っ張るなよ!』 {ったく、帰ってくるなり何聞いてくるのやら、こいつは!とにかく、これは母さんに聞こえちゃマズいから、  部屋に行くわよ。} 『お、おう・・・』 2人はすこし急な階段を昇り、ケンジの部屋に向かった。ドアを開けるなり、 {あんた少しは部屋片付けなさいよ!きったないわね・・・} 『うっせ!んで、聞きたいことなんだけどさ。』 {・・・あのねぇ、女のアタシに男のアンタがセ、セ、あ〜、もう!Hの事なんて聞いてくるんじゃないわよ!} 『Hってなんだ?』 {天然ってのは恐ろしいわね・・・。Hってのはね、その、アンタの言ってるセ、(超小声で)セックスのことよ!} 『ふーん、シュウジはそんなこと教えてくれなかったけどなぁ。でさ、今日知りあいの女がマコトを連れてって、  それでそのままセックスしちゃったのかもしれないんだけどさ』 {…は?} 『セックスってそんなに焦ってしたいコトなのか?シュウジは気持ちいいって言ってたけど、そんなに気持ちいいのか?』 {・・・ちょっとお待ち。知り合いの、オンナが、マコちゃんを、ってアンタ言ったのよね。} 『ああ。ミカってヤツなんだけどさ、マコトが好きだったのか、今日学校で知識をつけて即効で試そうとしたのか、  俺たちと遊んでたマコトを無理やり連れて行っちまったんだ。』 ケンジはマコトが言おうとしていたことや、シュウジが教えてくれたこと、今日のキックベースの結果まで 事細かく姉に説明した。その突拍子もとりとめも無い話を姉はなんとか理解しつつあった。 {(そうか、そのミカって子はマコちゃんの暴走を止めるために動いたのね・・・。いい仕事するわね・・・   さて、どうしようかしら。コイツにマコちゃんの事をバラすわけにはいかないし…。)} 一呼吸置いて、姉は予言めいたことを口にした。 {・・・ケンジ、アンタはたくさん勘違いしてる。でもその勘違いの元を解決するとアンタはすごく大切なヒトを  失ってしまうかもしれない。でも同時に同じぐらい大切なヒトを手に入れられるかもしれない。  全てはアンタしだいだけど、私の口からコレを言うわけにはいかないわ。} 『なんだよそれ。ちんぷんかんぷんだぞ。大切なヒト、って誰だよ・・・?』 {いい?アンタは相当ニブいんだから、いろいろ考えないほうが良いわよ。その時が来たらその場で決断しなさい。  頭が混乱したなら、男とか女とか関係なく、誰がアンタの一番大切な人か、ってことを考えてみたら?} 『うー、何いってるか全然わっかんねえよ〜。』 {最後に、ケンジが今一番知りたいことを教えたげる。マコちゃんはそのミカって子とはHしてない。コレは絶対間違いないよ。} 『そ、そっか〜。よかった・・・。でも何で間違いないって判るんだ?』 {アタシはアンタの知らない事も知ってるからよ。だからアタシに聞いてきたんでしょ?} 『お、おう、そうだった。イマイチよくわかんなかったけど、マコトが無事だってのは判ったよ。』 {それが判ったならそれでよし!じゃね〜。} 『ああ…。』ケンジは力なく姉を部屋から見送った。 ケンジは夕飯を食べ、TVを見て笑い、眠りについた。 夢は、真実を知っていた。 ケンジの目の前にはマコトが立っていた。 ピンクの膝下まであるワンピースに、白いカーディガン。髪にはハートのモチーフの付いたヘアピン。 まるっきり女の格好なのに、なぜかケンジにはこれがマコトだとわかっていた。 「ケンジ・・・オレ、ケンジにウソついてるんだ・・・。」 「オレ・・・いや、私は・・・女だったの。」 「ケンジと一緒にいたかった、一緒に遊んでいたかった。だから男のフリしてたんだよ。」 「でも、もう無理だよね…。ケンジ前言ってたもんね。女は敵だって。」 「しかもウソまでついててさ・・・。アハハ、こりゃもう完全にアウトだって。」 「ごめ、んね・・・。ヒック、騙してて、ゴメン・・・。」 「ケンジに嫌われたくなかった。ずっとそばにいたかった。」 「だって、私は、ケンジが・・・。ケンジのことが・・・。」 『うわぁぁぁぁぁぁぁぁ!』 目覚めは突然訪れる。ケンジは自らの叫び声で目が覚めた。 「す・・・き・・・」 彼女の唇はそう動いていた気がした。でも声は聞こえなかった。 『(なんだったんだよ、あの夢・・・ってどんな夢だったっけ?マコトが…出てきた。  それ以外、忘れちまった…。でも、すごい夢だったんだよ…。)』 夢は幻のごとく消え去り、残った夢の欠片を拾い集めるのは難しかった。 『(でも、夢の中でオレ何か大切なことをマコトに伝えなくちゃいけなかった気がする・・・。  夢の中では声も出なかったけど、これを伝えなくちゃ、アイツが消えちゃうような・・・そんな気がしてたんだ。)』 『(伝えたいことって、なんだったんだろう…)』 再びまどろみがケンジを襲った。この次にケンジの眼を覚まさせたのは目覚ましのけたたましい騒音だった。 寝ぼけ眼で支度を終えて学校に向かう途上に至っても、あの夢は彼の心を締め付けていた。 《おっす、ケンジ〜》 『あ・・・オッス。』 《どうした?元気無いな。ケンジのくせに。》 『オレにだって、元気が無いときぐらい…ある…。』 《そっか。んでさ、昨日言ってたマコトが来れば判るって、あれ何の話なんだよ?  いいだろ、教えてくれても〜。》 『いや…アレは俺の勘違いだったみたいだ。俺にも良くわかんないんだけどさ』 《ふーん、全然意味わかんねぇ!ま、いいけどよ。》 『ん…。そういやミカ休みか?』 《あ、ああ、来てねえな。あいついっつも早いのに、珍しいな。》 『(ミカにマコトのこと、聞きたかったのに…。)ああ、珍しいな…。』 《ま、まぁプリントぐらいは俺が!届けといてやるかな。俺が!》 結局その日、ミカは学校に来なかった。 ケンジはミカとマコトのことで頭が一杯だった。 放課後になり、ケンジは一目散にあの空き地に向かった。 『(マコト…マコトは来てるのか…。)』 マコトは空き地にはいなかった。 『はぁ、はぁ、マコト、いない・・・。』 息を切らしたケンジの背後から、一人の少女が近づいてきた。 ミカだ。 【そんなに息を切らせて走ってきて、誰に会うつもりだったの?】 『み、ミカ?』 【なによ、驚いた顔して…。ここだと他の2人も来るわね・・・。公園まで行きましょう。】 『は?なんでだよ…。俺、マコトに』 【いいから!来て!】 ミカはケンジを引っ張って近くの公園まで連れて行った。 その公園は広い池の周りを囲うように作られていて、ジョギングをする人や散歩する人が多い。 ミカは噴水の近くのベンチの前で足をとめた。 『何なんだよ、いきなりさぁ。そうだ、今日お前学校休んだのに元気そうj』 【ケンジ!…聞いて欲しいの…。】 ミカの気迫に押され、ケンジは沈黙した。 【驚かないで聞いてね。わ、私…。私は…。】 【私は…。私は…。】 ミカは泣いていた。ケンジはミカが泣いているのを初めて見た。 『ちょ、ミカお前、泣いてるじゃんか…。』 【泣いて…るよ…。泣くほど…。】 【好きだよ…。ケンジ。私は、ケンジが好き。】 『え!』 ・ ・ ・ 【ケンジ…。ケンジは、私のこと、どう思ってるの?】 『俺は…ミカのことは、嫌いじゃない…。小さいときは一緒に良く遊んだもんな。  最近は俺たちとはあんまりしゃべらないし、良くチクったりするけど…。』 『でも、お前の言ってるそういう好きかって言われると・・・。』 【…コトノコトハドウオモッテルノヨ…】 『?なんだ?』 【マコトノコトハ…。】 『?マコト?なんでマコトが出てくるんだ?そういえばお前昨日マコトと…。』 【マコトの事はどう思ってるのよって聞いてるのよ!!!】 大きく開かれた瞳からこぼれ出す涙を拭う事も忘れて、ミカは叫んだ。 ケンジは事態を飲み込めるはずも無く、混乱した思考を声で表現した。 『どうって、お前…。大体、なんでマコトがここで出てくるんだよ!  マコトは男だぞ?お前さっきから滅茶苦茶だぞ!』 【・・・やっぱり気づいてないのね。本当に、鈍感で、乱暴で、なのに優しくて…。】 ミカは膝を震わせ、泣き崩れそうになった。 『おい、…あの〜、ミカさん?大丈夫ですか?』 思わず顔を覗き込むケンジ。膝を折って泣き崩れたミカを見守ることしかできなかった。 ひとしきり泣いた後、ミカはゆらりと立ち上がった。 【もう…もういいの…。私、もういいのよ…。何、やってるんだろ…。】 【ケンジ、ごめんね…。忘れて、今の事も、私の、事も・・・。】 『お、おいミカ、何言ってるんだよ・・・。』 【さよなら、ケンジ…。せいぜいあの子と仲良くね…。】 刹那 ミカは全速力で走り出した。ケンジは少しの間、動くことが出来なかった。 ミカの言っていたことはさっぱり理解できなかった。 『(あのとき、何でミカはマコトの名前を出したんだろう。)』 少し遅れてミカを追いかけている間もその疑問が頭を駆け巡っていた。 ケンジは無意識的に理解し始めていた。ここが勘違いの大本の原因なのではないか、と。 昨日から自分の周りで起きていることの原因がここに収束しているのではないか、と。 公園から出て、3つ目の角を曲がったときに、ケンジはミカを見失った。 『どこに行ったんだ・・・。ミカ…。聞かなくちゃ、マコトの事。』 力なくよみがえった夢の欠片が混乱したケンジの心に力を与えた。 『マコト…どこだ・・・。』 空き地に戻ってみたが、そこにはミカはいなかった。 空き地にはシュウジとコウイチがいた。 《ケンジ!どこ行ってたんだよ!お前、なんだか今日はおかしいぞ…。》 『そうだ、シュウジ!、コウイチ!ミカかマコト見なかったか?』 《ミカなら今さっきそこの道をすごい速さで走って行ったぞ。学校の方に。  ミカ、元気そうだった。オレ安心しちゃったよ…。》 『…コウイチ、一緒に来てくれ、ミカが何かヤバいんだ。』 《ミカがヤバい、って、どういうことだよ!》 『いいから、来いって!』 2人は学校に向かった。シュウジは一人、空き地に残った。 ドラム缶の影に隠れていた、可愛い少女を最終決戦の場へ誘うためだ。 〔ケンジたち…いっちゃったよな。マコト、もう出てきても大丈夫だよ。〕 「うん、そうみたい、だね。」 ドラム缶の影から立ち上がったマコトの姿は、普段の男の子のフリをした 「オレ」仕様のマコトとはかけ離れていた。 ピンクのチェックの膝下まであるワンピースに、白い薄手のカーディガンを羽織り、 髪は短いなりに整えられて、可愛いハートのモチーフのついたヘアピンまで付けている。 彼女も、今日決断を済ませていたのだった。 話は今日の昼に遡り、舞台は美鈴館女子高校初等部の教室。 私立小学校の美鈴館では給食が出ない為、児童はめいめい弁当を持ち寄り、 仲良し同士で昼食を摂るのが日常だ。 しかし、マコトは今日はいつもの仲良しグループの中から一人だけを連れ出して、 教室から少し離れたテラスで食事をした。昨日からの悩みを相談する為だ。 連れ出した子の名前はマイ。シュウジの双子の妹だ。 「…というわけで、私今すごく迷ってる…。「オレ」のままでいられれば良かった。  そうすればケンジと、ずっと一緒にいられたんだ。」 ≪ん〜、マコもついに好きな人が出来たか〜。≫ 「え?好き?」 ≪そ。好きなんでしょ、ケンジ君のコト。≫ 「そりゃ、まぁ、ええっと、うん、好き、だよ。」 言うが早いが、マコトは昨日の本の内容を思い出してしまった。 (初めてのHはラブラブなカレシと!) ≪マコったらかっわいい〜。顔真っ赤だよ!≫ 「わ、わぁ、ち、違うよぉ。私とケンジは…。」 「私が女だって知ったら、ケンジきっと怒っちゃうよ。そんで絶交だ。」 「だから私は今のままでいいの!」 ≪・・・ウソつき≫ ≪いつか、ううん、もうすぐ隠しきれなくなるよ!マコは可愛いんだから!  胸だって、私より大きいしさ…。≫ 「む、胸は関係ないよ!」 ≪それに、一番大事な気持ちに、マコは嘘ついてる。≫ 「な、何それ。」 ≪マコの顔に書いてあるよ。ケンジとずっと一緒にいたいって。≫ 「…」 ≪絶交なんて、絶対にイヤって。私は女だってケンジに伝えたいって≫ 「…」 ≪YOU告っちゃいなよ、じゃなくって、告白しちゃいなよ!≫ 「でも・・・ミカちゃんはケンジの事が」 ≪それって関係無いと思わない?≫ 「えっ…」 ≪マコがケンジくんを好きなことと、ミカちゃんがケンジ君を好きことは  関係が無いと思わない?≫ 「だって、だって」 ≪いい?マコは自分の気持ちを伝えるべきよ。もしすでにミカちゃんがケンジ君に告白  しちゃってたとしても、それをケンジくんがOKしたとは思えないの。≫ 「何で?」 ≪だって話を聞いてる限りじゃ、ミカちゃんとケンジくんはまだ恋人って感じはしないもの。≫ 「う…ん、そう、かも。」 ≪それに、ミカちゃんよりも先に告白しちゃうのって、有効だと思わない?≫ 「そ、そうかな…。」 ≪そうだよ!先手必勝!早起きは三文の得!液体窒素より冷たき味噌汁は姑に食わすな、ってね。≫ 「…うん。そうだね…。よーっし!ウジウジ悩むのはもうやめ!私らしくないもん!」 「ケンジに、本当の私を見てもらうんだ!それで、オレの私も今の私も、同じ私だって、  わかってもらうんだ!」 ≪そうよ、その意気よ!元気じゃなくちゃ、マコの魅力は完全には伝わらないんだから!≫ ≪そうと決まったら早速今日、おめかししてケンジくんに突撃よ!≫ 「え?今日?」 ≪そうよ!善は急げよ!いい?思いっきり女の子っぽい服装で行くのよ!  ファーストインパクトでメロメロに打ちのめしてやりなさい!≫ 「う、うん、わかった…。」 そして放課後、家に帰ったマコトは制服を脱ぎ、デオドラントとコロンを控えめに付け、 薄ピンクのリップまで引き勝負服に身を固め、いざ決戦の地、 いつもの空き地へと出かけたのであった。 空き地の入り口近くに到着したマコトは、注意深く周囲を見渡した。 「まだ誰もいない・・・。おかしいなぁ、この時間にはケンジが掃除サボッて来てる筈なのに…。」 〔ケンジはいないけど、俺ならいるよ〕 「っうわぁ!しゅ、シュウジ、くん?」 〔やっぱり…、マコトだったのか。〕 「え…バレ、てた?」 〔まぁ、な。言っとくけど、オレだけだからな。妹に色々聞いてたから。美鈴館にマイっているだろ?あいつと俺、双子なんだ。〕 「えぇぇ?それじゃ、シュウジくんは最初っから知ってて…。」 〔いや、最近までは確信がもてなかったんだけど、昨日のミカとの様子を見てね。〕 〔マイがマコトって子が全然そういうこと知らなくって、質問してくるから困ってる、って言ってたから。〕 シュウジが顔を赤くしながらそう言った。 マコトは昨日のこの場所での出来事を思い出し、無知とはいえとんでもない質問をしていた自分を恥じた。 「うぅ〜。あの話は忘れてよ〜。私もう勉強したんだから…。」 勉強の内容に想いを巡らせて、シュウジはより赤くなった。 〔…今の、結構刺激強いぞ…。ケンジの前では言わないほうがいい。〕 「え?そう、かな?(気をつけなくっちゃ…。)」 〔で、そんな格好でここに来てるってことは、言うつもりなんだな、ケンジに。〕 「な!な!な!何をいうのさ!…なんで知ってるの…。」 〔ん、そろそろコウイチが来る!そのドラム缶の裏にでも隠れてて!ケンジも来るかもしれないし。〕 「え?え?」 いいわけする暇も無く、マコトは慌ててドラム缶の裏に隠れた。 《シュウジ、ケンジいたか?》 コウイチだ。 《あいつまた掃除当番ブッチしやがった。いっつも俺がやってるってのに…。》 〔まぁまぁ、そのおかげでお前は、今日は休みだったけどケンジが当番の時はいつもはミカと…〕 《くぁwせdrftgyふじkおおお、うるさいうるさい!》 学級委員を務めるミカはサボったケンジの代わりに掃除をしていた。 コウイチは《ケンジがいないんじゃ、しょうがないよな》と言って、ミカを手伝っていた。 〔落ち着け落ち着け。ケンジには知られてないんだし、いいだろ?〕 《当たり前だろ!ケンジに知られたら、絶対冷やかされるに決まってら…。》 立ち話をしていた二人のすぐ近くを疾風が駆け抜けていった。 〔お、おい今の…〕 《ああ、ミカだ。間違いねぇ!なんであんなに走ってたんだ、っていうか今日休みだろあいつ。  オレさっきアイツんちにプリント届けたばっかりなのに・・・。(でも、元気でよかった…。)》 少しして、ケンジが2人の元にやってきた。時は再び動き出す。 ケンジとコウイチが走り去ったのを確認して、シュウジはマコトに声をかけた。 〔さ、俺たちも行こう!〕 「ど、どこに?」 〔決まってるだろ、俺らの学校だ。ケンジもミカもそこにいる。〕 「で、でも私ミカちゃんには…。」 〔ごちゃごちゃ言ってる場合かよ!ほら行くぞ!〕 「う、うん!」 シュウジが先導しつつ、2人も学校へ向かった。 「(ミカちゃんが…。昨日、私はミカちゃんを傷つけた。ミカちゃん、泣いてた…。   今ならなんとなく、判る。ミカちゃんはケンジの事が泣くほど好きだったんだ。   でも、負けたくない!伝えなくっちゃ!私の気持ち・・・本当の気持ちを・・・)」 吹き抜ける風は、夕闇の冷たさを運んでいた。 ミカはその風に身を任せるかのように、不安定な場所に腰を下ろしていた。 地上三階、鉄筋コンクリート製。ケンジたちの学び舎、某市立西部小学校の3階、 ケンジたち5年1組の教室のベランダの手すりは、幅20センチほど。 ミカの靴のサイズよりやや狭いその手すりに腰掛けて、ミカはケンジたちを待った。 『ミカ!どこだよ!』 《!ケンジ、あそこだ!ミカ!》 コウイチが指指す方向には教室のベランダの手すりに腰掛、脚をぶらぶらさせ、 うつろな瞳をたたえたミカがいた。 『ミカ!そんなとこで何やってんだよ!』 【ケンジ…来たのね。上がってきて。話があるの。】 『言われなくても行く!そこはあぶねぇから教室に入れ!』 【イヤよ。】 『くっそ、なにしてんだよあいつ・・・』 《ケンジ、あいつなんであんな事してんだ…。》 『…知るかよ!』 2人は階段を駆け上り、開いたままの教室の扉を潜った。 ミカは先ほどは外に向いていた体を教室側に向けて、座りなおしていた。 『来たぞ…。なんだよ、話って。さっきの話なら…。』 【もう、いいのよ、どうでも…。】 『は?なんだよ?どういうことだよ?』 【もう、イヤなの…。アンタの顔みるのも、声聞くのも。  アンタだけじゃないわ。コウイチも、シュウジも。】 【でもあんた等よりも見たくないヤツがいるのよ…。マコトよ。】 『さっきも言ったけど、なんでマコトがそこで出て来るんだよ!?』 外にでているミカは、シュウジとマコトが学校に到着して今階段を上っているのが見えていた。 【その理由は…これから本人に聞くといいわ。】 『え?マコトが?』 「ケンジ!」 不意に呼ばれて振り返るケンジ。そこには見たことの無い、親友の姿があった。 『マコト…、なのか?その格好…。』 「ケンジ・・・オレ、ケンジにウソついてたんだ・・・。」 『な、ウソって、もしかして、いやもしかしなくても・・・。』 「オレ・・・いや、私は・・・女だったの。」 『な、何言ってるんだよ、やぶからぼうに!女装だろ、それ・・・。』 ケンジの混乱をよそに、マコトは続ける。堰を切った想いを吐き出すかのように。 「ケンジと一緒にいたかった、一緒に遊んでいたかった。だから男のフリしてたんだよ。」 「でも、もう無理だよね…。ケンジ前言ってたもんね。女は敵だって。」 「しかもウソまでついててさ・・・。アハハ、こりゃもう完全にアウトだって。」 口では笑いながらも、マコトの顔は悲しみに歪んでいく。 ケンジは夢の中にいるような気持ちになった。これは夢だ、悪い夢だ。 ケンジはそう自分に言い聞かせていた。マコトの瞳から流れる涙を見るまでは。 「ごめ、んね・・・。ヒック、騙してて、ゴメン・・・。」 消え去ったはずの夢の欠片がジグソーパズルのように組み上がる。 ケンジは夢の内容とともに、昨日の姉の予言を思い出した。 『(今、分かった。俺の、一番大切な人が。俺、マコトの涙だけは絶対に見たくない。   今マコトが涙を流したとき、他のどんなヤツを泣かしてでも、   マコトの涙を止めてやりたいと思った。男とか女とか、関係ない。俺は、俺の気持ちは・・・。)』 『マコト!』 「ひゃいっ!?」 ビクッと飛び上がりそうな勢いでマコトが言葉を止める。 『その先はのセリフはオレの出番なんだ。でも、ちょっとだけ待っててくれ。あいつをあそこから下ろすまで、な。』 【!ケンジ、あんた気付いてたの?マコトが女だって!?】 『気付いてたわけねーよ!でもそんなの関係ないんだ!男とか女とか関係ないんだよ!  俺の一番大切な、失いたくないのはマコトだ!』 【そう…。やっぱり、こうなったか…。】 【さっき、アンタたちがキライって話、したでしょう。あれね、ウソ。あんたたちが大好き。  素直で、優しくて、意外と繊細で、でも力強くて…。】 【そんなあんたたちに、私は嫉妬した。素直に自分の気持ちを伝えられなかった自分を憎んだ。  私が一番キライなのは、私自身だったのよ・・・・。】 《お、おい、何言って…》 【私は、私を消しちゃおう、と決めた。その前に、ケンジ、あんたに一度だけでいい、  素直な気持ちをぶつけたかった。そう思ってさっき告白したのよ。】 《!な、なんだって!?ケンジ、お前…。》 【結果はアウト。・・・当たり前よね、あんなにイジワルばっかりしてて、今更好きだなんて、通じるはず無い・・・。  通じるはず、ないのよ!】 マコトの涙が止まったかと思えばミカが大粒の涙を流す。ケンジの想いが現実となっているかのようだ。 【バカな女の話はこれで、おしまい。じゃあね、皆さん、ごきげんよう・・・。】 『な、待て、バカな真似するな!』 ミカはあるはずの無い背もたれにその身を預け始めた。ミカの体は無へのジャンプを開始した。はずだった。 刹那 皆が凍ったように動けないでいた瞬間に、コウイチはミカの傍に駆け寄っていた。 ミカの身体が完全に空に預けられる直前に、コウイチの腕はその華奢な背中を支えた。 コウイチは勢いに任せて、ミカをそのままベランダの床に放った。 【げほ、げほ、な、何すんのよ!】バシッ!と乾いた音がした。 コウイチがミカの横っ面を平手で打った音だった。 《…っ!ふざけんな!俺は、お前をお前の勝手で死なせるわけにはいかねえんだよ!》 【・・・?】 さすがのミカもきょとんとした。 《俺の気持ちは、まだ伝えてない!これをこのままにしておく訳にはいかねーんだよ!》 〔コウイチ、今言うのか?〕 《今しかねえだろ!?ミカ、良く聞け!俺はミカが好きだ!だからお前を死なせたりは絶対しねー!  お前がお前を嫌いでも、俺はお前が好きなんだよ!あと、ケンジ!》 コウイチはケンジに歩み寄ると硬く握った握りこぶしを思いっきりケンジの頬めがけて振りかぶった。 不意撃ちを食らったケンジは軽く吹っ飛び、机と共に派手に転んだ。 『〜〜〜〜っ!』 「ケンジ!?」 たまらずマコトが駆け寄る。 《今回の事はミカにも責任あるから、この一発でチャラにしといてやる。その代わりお前はマコトを  泣かすんじゃねぇぞ!》 『お、おう。・・・コウイチ、久々に効いたぜ・・・・。そっちは任せたぞ』 【コウ、イチ…。】 ミカは平手打ちで赤くなった左頬に手を当てたまま、呆然としていた。 『マコト、一緒に来てくれ。さっきの続きだ。』 「う、うん…。でも、ミカちゃんが」 『いいから!』 ケンジは動揺しているマコトの手を引き、教室を後にした。 『屋上にいこうぜ。あそこなら、誰にも邪魔されないで話ができる。』 ケンジはマコトの手を引き、階段をもう一階分登って屋上の入り口の前に来ていた。 『扉の方はカギが無いと開かないんだけどさ、こっちの窓は鍵ついてなくて、開け閉め自由なんだ。』 ケンジは窓を開け、腰の上辺りまであるサッシを跨いで、外に出た。 『さ、マコト』 「う、うん。でもさ、私、服が・・・。」 マコトのワンピースでは、このサッシを跨いで通るわけにはいかなかった。 『あ、そっか・・・。んじゃさ、跨がないで、一旦サッシの上に乗って、それから降りれば』 「うん、そうする」 言うが早いがマコトは大股を開いてサッシの上に足をかけた。 チラリとのぞく白。 ケンジは鮮烈な白を目に焼きつけた瞬間に、素早く後ろを向いた。 『お、俺なんにも見てないからな!』 「え?あ、あ・・・。ご、ゴメンね、そのまま後ろ向いててくれるかな・・・?」 『おう…。』 二人の間に、気まずい様な、うれしい様な、恥ずかしいような、そんな空気が流れる。 「よっ、と」 マコトはサッシに両足をのせ、そこからぴょん、と飛び降りるようにして屋上に出た。 トン、とマコトが着地した音が聞こえた。 『いい、かな?』 「うん・・・」 ケンジは後ろを振り返った。 建物の4階に相当する屋上は、昼間の温かみが消え、夜の空気を帯びつつあった。 沈みゆく夕日が、2人の顔を赤く染めた。 『さっきの続き、だったよな・・・。』 「うん・・・。」 『俺の、一番大切な人は、マコト。お前だ。お前が女でも、男だったとしてもそれは変わらない。』 『正直、動揺してるってのはある。マコトは男だって信じてたからな。』 『でも、さっきお前の手を握って階段を登ってた時に思ったんだ。』 『マコトの手、すごく柔らかくて暖かかった。何でだろうな、俺たちと同じ様に遊んでたはずなのに、  俺らの手とまるで違うんだ。だから、これが女ってやつなのかなって、思った。』 「ケン…ジ…。」 『おおっと、泣くなよ〜。…泣き虫ってのは男でも女でも変わらないんだな。』 マコトの瞳の大海が小波を起こす。マコトはこぼれた涙と同じぐらい小さな声でつぶやいた。 「ケンジ…何で怒らないの?女は敵でしょ?私、女だよ?」 『だから、さっきも言ったよな。マコトだけは特別だ。そんなの関係ないんだっての!  俺は、男だったお前が好きだ!でも、女だって必死で俺に伝えようとしてくれたお前は  もっと好きになった!』 『どっちもマコトなんだ。男でも女でも関係ない!俺はマコトが好きなんだよ!』 『…もう、嘘は無いんだよな?これだけなんだよな?』 「うん…。グスッ、うん…。」 『なら、俺の言いたいことはこれだけだ。』 「・・・。それじゃ、今度は私の番、だよね」 『そういうこと!さ、張り切っていってみよ〜』 妙に明るいケンジのトーンに、マコトは微笑んだ。 「(ケンジ…。明るく振舞って私の緊張をほぐそうとしてる…。   自分だってすごい緊張してるくせに。)」 マコトは決意を瞳にたたえ、口を開いた。 「私は、ケンジが好き。ケンジの傍にいるためならなんだってする。  男のフリだって、平気だったの。でもね、でももう無理だよ…。」 「ケンジ…。私はもう、男の格好はやめるよ。オレなんて2度と使わない。」 「自分の気持ちにも、ケンジの気持ちにももう嘘付きたくないの。」 「私の今の気持ち…教えてあげるね…。」 マコトはゆっくりと歩み寄り、ケンジの手を握った 「やさしい、手。少しだけゴツゴツしてて・・・。男の子の手って、こうなんだ、ね・・・。」 マコトはいつくしむ様にその手を胸に抱きしめた。 ふわりとした感触がケンジの手を包む。 「ケンジ。好きよ。本当に、大好きなの…。」 『マコ…ト?』 マコトは抱きしめたケンジの手を離し、ケンジに身体を少し預け、瞳を閉じて少しだけ上を向いた。 小5のケンジでも、今までこんなシチュエーションの漫画やドラマはいくつか見たことがある。 ゴクリ・・・ お約束どおり、ケンジはつばを飲み込んだ。 『(い、いきなり、かよ…。でもきっと、それだけ自分のウソに追い詰められてたんだ。   ここで裏切るわけには、行かない!ケンジ、うまくやれよ…。)』 ケンジはマコトの肩を抱き、顔を近づけていった。 夕日が町の一番高い丘を一番赤く染めたときに、二人の影は、完全に一つに重なった。 日が落ち、5人は暗くなった校舎から出ていった。 ケンジとマコトは各々の想いを遂げることは出来たが、 衝撃的な事実の連続で、2人ともややパニック状態だ。 あわやの所で救われたミカはコウイチにしがみついたまま シクシクと泣き続けていた。 〔もうすぐ真っ暗になる。皆そろそろ帰らないとヤバイぞ!〕 一人だけ、なんとか冷静を保ったシュウジが告げる。 少しだけ平静を取り戻したケンジは、 『あ、ああそうだな。んじゃコウイチ、ミカを頼むな。』 《ああ、任せとけ。家まで送っていく。じゃあな。さ、ミカ、行くぞ。》 【…ん。】 泣き止みつつあったミカは、まるで赤子のように素直だった。 コウイチはミカの肩を抱いて、歩いていった。 「シュウジくん…騙しててごめんね。」 〔え?あぁ、いいって。オレも知っててケンジには黙ってたんだし、共犯ってとこさ〕 『え!?シュウジ、知ってたのかよ〜!なのに何で普通にふるまえたんだ?』 〔まぁ女兄弟がいるから、レディの扱いには慣れてたってとこかな?〕 『なんだよ、それ!ウチにも姉ちゃんいるけど、全然慣れてないぞ!』 「ケンジのお姉ちゃんは、ある意味ケンジより男らしいもんね…。」 〔はは、言えてら!んじゃな!仲良くやれよ、お二人さん!〕 「マイちんによろしくね!」 〔ああ。じゃな〜〕 歩きながら、シュウジは振り向かずに手を振った。 『うし!俺等も帰ろうか。家まで送るよ、ってマコトの家って初めて行くんだな、俺。』 「フフ、そうだね!さ、一緒に行こ!」 歩き出す2人。どちらからとも無く、2人の手はかたく握られていた。 もう2度と、離れないように。 〔…というお話だったとさ…。〕 その晩、シュウジは今日の事をマイに話していた。 ≪んじゃ、シュウちゃんだけ貧乏クジじゃん!ケンジくんとコウイチくんはカノジョできたのにさ!≫ 〔お、オレはいいんだよ!オレは一匹狼として生きるのだ!〕 ≪なーにそれ!?…シュウちゃん彼女が出来なくってもいいの?≫ 〔ああ、いいんだよ!〕 ≪んふふ〜、そかそか!≫ 〔(ギクリ)な、お前何にやけてるんだよ!〕 ≪なーいしょ!ま、シュウちゃんに一生彼女が出来なくっても私がず〜っと一緒にいてあげるから、  寂しがらないでね?≫ 〔(カァッと顔を赤くして)お、おう・・・。〕 ≪さ、もう寝よ?電気消すね?≫ 二人は2段ベットの上下に別れて床に着いた。 ≪〔気付かれて、無いよね…〕≫ さすがに双子、考えることは同じであった。 全国の小学5年生がその事実を知る日、Xデー。あの日から1年が過ぎた。 あれからケンジは少し背が伸びた。 同じぐらいの身長だったマコトを追い抜いて、ぐんぐんと成長していた。 『ちょうど一年前、この公園でミカに告白されたんだ』 「え!そうだったの?」 2人は池のほとりのベンチに腰掛けて話していた。 マコトはあの日から毎日は空き地には来なくなった。 週に数回、空き地に顔を見せてはケンジたち3人と話した。 以前のように男としては遊べなくなったが、少しづつそれも気にならなくなっていった。 マコトの身体は確実に女性への道のりを歩み、ケンジたちと一緒に遊びまわるには 障害が多くなりすぎたからだ。 毎週土曜か日曜のどちらかには、ケンジとマコトは2人きりでデートをした。 今日は土曜日。ケンジは1年前の事実を打ち明けるため、映画の前にこの公園にマコトを誘った。 「あの時、私はミカちゃんにいろいろ教えてもらったの。その時に私はミカちゃんを傷つけちゃった。  そのときは何でミカちゃんが泣いてたのかわからなかったけど、今はわかる気がする。」 『?どういうことだ?』 「ミカちゃんは、もう一人の私だったのよ。ミカちゃんは私にケンジをとられると思ったんだと思う。  あの時のミカちゃんにも、ケンジが必要だったのよ。」 『でも、その役目はオレじゃなかった。あの時のコウイチはすごかった。でもマコトがミカと  同じことしてたら、俺もコウイチみたいにしたんじゃないかな、って思うよ。』 『俺にも…。俺にも必要だったからさ。』 「何が必要だったの?」 少しだけイジワルな笑顔を浮かべてマコトはケンジの顔を覗き込んだ。 『・・・降参。俺には、マコトが必要だ。いてくれなきゃ、困る。』 「エヘヘ、良く出来ました!」 『さ、もういいだろ?そろそろ映画が始まるんじゃないか?』 言われてマコトは池の真ん中に立っている時計に目をやった。 「あ、いっけない!もうはじまっちゃうよ!いこ、ケンジ!」 『ああ!』 立ち上がり、走り出す二人。二人の手は一年前も、これからも繋がっている。 空から降り注ぐ輝く光が池の水面に未来の2人の姿を一瞬だけ映し出し、すぐに消えた。 fin