新生人工言語論

国際語・国際補助語

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lideldmiir

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しかし19世紀になっても哲学的言語は死滅したわけではない。往年の力は失っているものの、夢想者は後を絶たない。ジャック=ド=ヴィスムは19世紀初頭に音楽的要素を帯びた言語を作る。アルファベットを21字使って21の音を表す。そしてこれは五線譜の上に書かれる。 21音でどうやって21概念以上を作るのかというと、和音を用いる。 Cのような3和音(ドミソ)からなるコードでも21の3乗分の組み合わせがある(重複は除く)ため、相当数表現できることになる。確かに自然言語で賄っている単語の数くらいは用意に賄えるだろう。

こういった音楽言語は他にもあり、むしろフランソワ=スードルのソレソ或いはソルレソルのほうが有名だろう。これは1827年に考案され、1855年のパリ万博で1万フランの賞金を得ている。

ソトス=オチャンド『普遍言語の計画案』(1855)も17世紀の亡霊で、経験主義な分類によって概念を分け、規則的にアルファベットを配列して造語する。最小対語の問題は無論残ったままである。17世紀と異なるのは科学が発達しているので、当時の最新の科学観を反映している点である。結局分類に頼った方法は作者の経験かそうでなくば当時の科学に依存するしかないという限界がある。この限界ゆえ、分類法に基づく言語を見ていれば――そして科学史に精通していれば――いつごろ作られた言語であるかが推測できる。これは現代の我々が人工言語を分析する上で便利なタグとして機能するが、この機能は普遍言語を目指した当人からすれば極めて不名誉であったに違いない。

さて、19, 20世紀に入るとライプニッツらから分岐してきた理系人工言語が更にウィルキンズらの人文人工言語と分離していく。ジョージ=ブール、フレーゲ、ヴィトゲンシュタイン、カルナップ、そして果ては宇宙人との交信用に作られた信号が如きハンス=フルーデンタールのリンコス――これらはいずれも理数系人工言語で多かれ少なかれライプニッツの影響を受け、今日のコンピュータ言語へと繋がっていくものである。

一方、人文系人工言語の一派は20世紀に入ると普遍言語ではなく国際補助語へと姿を変えていく。普遍言語は1866年を境にほぼ死滅させられ、それに代わって台頭してきたのが国際語、或いは国際補助語である。下火ではあったもののまだ残存していた普遍言語は19世紀初頭に比較文法学によって一時脚光を浴びる。哲学的言語においてもアダムの言語を見つけようとする神学的言語においてもやや盛況になった時期だが、特に前者のアダムの言語への夢がこのころは強かった。というのも人工言語ではなく、言語の起源が何であるかを巡って論争が行われていた時期でもあったからである。単一起源論者はいうまでもなくアダムの言語に固執し、それを証明しようとした。比較言語学などが進歩していく中で、徐々に単一起源論者は劣勢に追い込まれていくものの諦めはしなかった。しかしこの劣勢が徐々に疲弊に変わると事態は学会まで巻き込んで変わっていった。このような背景の下、1866年にパリ言語学会が創立すると、学術的な厳密性を持った議論をすべきであるという主旨がやにわに起こった。そして学会は言語の起源と普遍言語にかかわる論文を受理しない方針を明らかにした。

この事実だけを知っているとこれが言語学が人工言語を対象としない理由に見えてしまう。しかしいま述べたような時代背景を知っていればそうでないと分かる。学会は根拠が薄く無秩序に繰り返される議論を拒絶した。その議論とは言語の起源に関するものである。普遍言語は単一起源論者にとって証明の道具として使われた。もはや普遍言語は17世紀の普遍言語論争とは異なった目的を見込まれていた。普遍言語は連座の形で学会から拒絶されたわけである。確かに普遍言語も人工言語の一部である。したがって正確にいえば言語の起源を論じるための傍証としての普遍言語が言語学会の対象から外されたことになる。他のあまねく人工言語は拒絶されていないため、 1866年の件は人工言語が言語学の対象にならない理由にはならない。しかし、いずれにせよこの言語学会の表明は影響力があった。このことが原因のひとつとなって既に下火だった普遍言語が死滅し、それにとって代わる形で人工言語の潮流が国際語と国際補助語に変わったことは間違いない。

さてこのころは科学技術の発展に伴い、コミュニケーションも交通も高速で行われるようになり、地球が狭くなった時代である。当然、異文化とのコミュニケーションが重要になり、西洋での共通語のフランス語が世界規模では共通語でなくなってきた。つまりは科学の発展が世界を狭くし、ひいてはバベルの混乱を復活させたわけである。これに伴い共通語の需要が再び高まった。ところが特定の言語たとえばフランス語を国際語にするのは現実的に難しいユートピア思想に過ぎず、イデオロギーとしてもある特定の民族の言語を押し付けるという点で難点がある。更に学術世界の共通語であるラテン語を再燃させるのも困難を伴う。事実上死語なので中立の立場は取れるものの、ラテン語そのものの曖昧さや複雑さが国際語としては不適格であると考えられた。そこで学習者にとって中立でしかも学習が容易な言語を考案し、これを国際補助語として使おうという考えが出てきた。

この理念により、人工言語の類型は急激に先験語から後験語に流れていく。尤もこれは万人の考えではなく、フランス語を国際語として採択しようという現実的な案のほうが遥かに実践的であったことを加えておく。

このような国際補助語の観点でクチュラとレオーは『新しい国際語』(1907)で、数々の案出された言語案を検討している。両者は1901年に「国際的補助言語を採択するための委員会」を発足している。こうした委員会ができたということは当時の社会において必要性があったことが推測される。委員会ができた時点で既に委員会を作るだけの理由があったのだろうということである。たとえばシュライヤーが1879年に考案したヴォラピュクが好例である。ヴォラピュクはドイツ・フランスで広まり、1889年にはヨーロッパ、アメリカ、オーストラリアにまで手を伸ばすようになった。

ヴォラピュクは28字のアルファベットを使用し、1字1音体系である。アクセントは最後の音節にある拘束体系である。普及を狙った結果、当時大きな存在であった中国語がrを発音できないと考えたシュライヤーはr音を除いた。中国しか視野に入れていない点でまだ世界観が全世界にまで広がってはいない。参照言語は既に力を付けていた英語である。しかし語彙についてはドイツ語を使っていることが多い。また、単語は参照言語の単語をかなり切り詰めているため、かなりの推量を使用者に要求する。短いのは良いのだが、その代わり覚えにくいという欠点を持つ。何を参考にしたのか分かりにくい点で後験性は若干弱まっている。形態論は屈折を持つが、膠着が豊富である。規則性が強いため、たとえば形容詞は例外なく-ikを持つ。 gudを見れば「良い」に関係することだろうなということは推測できるが、実はこれは-ikが付いていないので「善」という名詞である。「良い」にするにはgudikとせねばならない。エスペラントのmal-のような劣等を指すlu-はvat(水)と組み合わさると汚水ではなく尿になる。この辺りの作者による恣意性はダルガーノやウィルキンズ(特にダルガーノ)の造語を髣髴させる。国際補助語の概念は普及型にはちょうど良かったようで、普遍言語論争時代よりも遥かに利用者を獲得していた。ヴォラピュクは当時、驚異的な成功を収めたといえる。

一方、ザメンホフが1887年にエスペラントについての手引書をロシア語で出版した。ヴォラピュクに少し遅れて作られたこの言語は国際補助語として最も普及した人工言語である。エスペラントは5母音、23子音の音素体系を持つ。アクセントは最後から2番目の音節に来る。文字はラテンアルファベットに字上符を付けたもので、28字である。すなわち1字1音体系である。固有名詞を除いてq,w, x, yを欠く。語彙はロマンス語からの流入が最も多く、次いでかなり引き離してゲルマン語から流入させている。基本語順はSVOである。類型的には膠着語である。規則性が高い図式派の代表である。文法上の性は持たないが数を持つ点でやはり西洋語である。英語と異なり名詞が複数形だと形容詞も複数形になる。これはややこしいということで批判を浴びている。実際エスペラントはかなりの批判要素がある。発表後はとにかく叩き台になり、批判を受けると同時に他の言語を生む土壌にもなっていった。

19, 20世紀は国際補助語の時代であった。エスペラントを筆頭に人工言語が利用者を獲得していった。それ以上にエスペラントは派生言語を生んだ。言い換えれば利用者の獲得もさることながら、エスペラントを参照言語とした人工言語も数多く作られた。このことはエスペラントが普及型の人工言語の中で異例な度合いで普及したことを反映している。ただ、上述のように歴史的に見て人工言語と普及の関係は言語自体の合理性などといったシステムにはなく、むしろ社会的な要素にある。なるほどエスペラントより合理的で論理的な言語はいくつもあろう。そして実際枚挙に暇がないほど考案された。

だがそのどれもがエスペラントの普及を上回らなかったことが、人工言語の普及が言語的なものではなく社会的な要素にかかっているということを示している。

比較的普及した人工言語を挙げろといわれればまずエスペラントが来るが、それに次いでヴォラピュク、インテルリングア、イドなどを挙げることができる。インテルリングアは別所で既に触れてあるが、これはベアノの考案した言語で、自然派に位置するものである。 ヴォラピュクからはバルタ、エスペラントなどが派生している。インテルリングアからはラティヌルス、パンリングアなどが派生している。ヴォラピュクから派生したエスペラントからは更に数え切れないほど派生しており、改良エスペラント(1894)、ペリオ、モンドリングォ、イド、ネオ、エスペランテュイショ(1955)などがある。世紀を跨いで長きに渡って作られている。エスペラントから派生したイドは更にドゥータリング(1908)、ラティン=イド、ムンディアル、インタル、コスモリングォ(1956)などがあり、こちらも少なくとも半世紀ほど続いて派生している。

つまり19世紀終わりごろから20世紀は将にヴォラピュクやエスペラントなどを祖とした国際補助語の系譜の歴史に他ならない。またここで観察されたことは普遍言語論争と同じく、人工言語の普及は言語のシステムより社会的・経済的要因によるものだということである。普遍言語にせよ国際語にせよ、本来は言語の壁を取り除くことが共通の目的であった。そのアプローチとして哲学的手段や自然言語を参考にする手段などがあった。またそこには言語の壁を取り除くよりも人類の祖語たるアダムの言語への回帰を目的とするものもあった。しかしこれもひとつの共通語を得るという結果においてはやはり同じである。つまり普遍言語や国際語はいずれのアプローチであろうと共通の言語を目指してきた。

しかし実際には普及は小規模でしか実現せず、最も普及したエスペラントも国際語或いは国際補助語の地位を築けないでいる。更にウィルキンズやライプニッツやザメンホフに対する改良案がたびたび出されてきた。普及せぬまま言語の数ばかり増えるのというのが実情である。自然言語が減少する一方で人工言語はむしろ増えているのは興味深い。バベルの再建を目指す行為がむしろ新たなバベルの崩壊を招くというのは矛盾的な行動である。

バベルの塔を崩壊させたのは神であった。人工言語の作者はその言語の命名における創造主としての神であるが、バベルの塔を再び崩壊させるという点においてもまた神である。現在のように社会の受け皿がない時代は人工言語は影響力を持たないが、 17世紀のように時代に歓迎されていたころの作者は人工言語と同時に人工カオスを作っていたことになるというのは歴史の皮肉である。そしてそれを21世紀に再現するというのなら、それは20世紀のエスペラントの焼き増しよりも強烈な歴史の皮肉になるだろう。

現在の地球は17, 20世紀とは事情が異なる。社会は普遍言語に熱を入れておらず、土着語がほぼ対等な力で乱立しているわけでもない。 18世紀のヨーロッパにおけるフランス語が普遍言語の熱を醒ましたのと同様、 21世紀の地球における英語が普及型の熱を醒ましている。したがって普遍言語や国際語を目指した場合、いまの地球では人工言語でなく自然言語の英語に共通性を求めるのが妥当であろう。社会もそれを反映して普及型に目を向けないため、人工言語の意義やあり方は確実に全盛期とは変わってきている。注意したいのは20世紀の国際語時代による大きな影響によって人工言語をエスペラントに代表される国際語と等価と考えてしまうことである。これまで見てきたように人工言語には色々な類型があり歴史もある。前世紀の国際語時代の挫折を人工言語の挫折と等価に見るのは早計かつ無邪気すぎる。通時的に見れば人工言語は別の時代に突入したと考えるのが妥当である。
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