新生人工言語論

普遍言語へ至る背景

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lideldmiir

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原初の人工言語は暗号で、約4000年前に遡ることができる。暗号としての用途は国家規模から個人の日記に至るまで、広く使われてきた。また暗号ではなく言語改革として人工文字が作られることもあった。その場合しばしば文字は歴史的背景を背負うこととなった。神代文字のように現代でも民族意識を背景に論じられているものもある。それを考えると文字という要素は人工言語において最も長く論じられてきたものといえる。

では文字以外に視点を向けてみるとどうなるか。そもそも人工言語は自然言語と同じく言語の一種であるから、音韻や語彙や文法を持ったものが本来的である。そういう視点で人工言語を見ると最古の人工言語は12世紀に見ることができる。尤もこれは現存している文献から見たものにすぎないため、人類の歴史ではそれより前に人工言語が作られていた可能性が十分考えられる。

最古の人工言語と目されているのはビンゲンのヒルデガルトによるLingua Ignota(未知なる言語)である。ヒルデガルトは女子大修道院長であった。

Lingua Ignotaの文字はアルファベットを元にした23字からなる後験性表音文字である。彼女はLingua Ignotaの語彙集を残しており、そこには1011の単語が記されていた。注釈にはラテン語などが使われ、説明が施されていた。語彙は驚くべきことに先験語であったが、修道院長でもあったことから神学的な語が多い。

名詞は神や天使などを頂点にした階級性を持った順序で陳列され、徐々に親族語などの人間を表す語に下っていく。たとえば神はAigonzであり、辞書のヒエラルキーの頂点に位置する。キリスト教徒であった彼女の発案であるため、この神は勿論一神教の神――キリスト教の神――を表している。神の次に来るのは天使を意味する Aieganz である。 Aigonz に近い語形を持っており、アプラウト(母音交替)しているだけの違いという点が興味深い。この造語の仕組みは当時のゲルマン語を反映しているが、彼女の出自のビンゲンはいまのドイツにあるからもっともらしく感じられる。母は Maiz といい、義理の母は Nilzmaiz である。この点を鑑みるに複合概念は合成語で表すことができた。また合成語は右側決定則にしたがっている。この造語感覚についても当時のゲルマン語との類似性が指摘できる。

ただ、文法についてはラテン語を意識した屈折を持っている。ラテン語の使用は彼女の社会的階級や出自、そして実際の語彙集における注釈からも濃厚に示される。こういったことから Lingua Ignota は人工言語学の類型論においてラテン語・今日のドイツ語を参照言語とした後験語であるといえる。ただ語彙が先験性を帯びているため、エスペラントと同じ感覚で後験語に篩うことはできない。したがって語彙については先験語だが文法その他については後験語であったと定義するのがより正確である。

尚、Lingua Ignota の語彙を1011とするのは誤りである。これは彼女の残した語彙集に収められた語の数であり、彼女が作った例文にはこれに含まれない単語がある。したがって Lingua Ignota の語彙は1011よりも大きい。

宗教改革もルネサンスも起きていないこの時代においてキリスト教は世界観そのものであった。その点でヒルデガルトが階級的な名詞の序列を定めたことや、ラテン語やゲルマン語からアイディアを得たのは不可避である。

Lingua Ignota の目的は何か。色々な議論がなされているが筆者は暗号型であると考える。エーコは Lingua Ignota を夢状態にあって発せられる言語と分類しているが、神秘主義や或いは異言に結びつけるよりも用途で見て暗号型に分類するのが妥当と考える。(注 エーコは異言と明示していはいないものの、夢状態にある言語の下位区分にしている)

恐らくこういった人工言語はヒルデガルトに起因するものではない。彼女でなければ作れなかった理由はない。

修道院長という高い立場とそれに由来する深く広い知識というのは確かに一般の農民にはないものだった。しかし彼女以外に識者は存在したし、有閑なものも中にはいただろう。彼らが暗号型として人工言語を作らなかった保障はどこにもない。それは西洋だけでなく地球の至るところでもいえることである。

暗号型が人工言語を占める中、他の型はどのような黎明を迎えたのであろうか。最も種類の多い普及型の兆しについては少なくとも13世紀に見ることができる。ではまず、このころの普及型人工言語は何を背景にしていたか。それはまずキリスト教の普及である。上述のキリル文字を考案したキュリロス・メトディオス兄弟も9世紀に宣教師としてロシアに赴いた。キリルというのは彼のロシア名である。この時代の人工言語の普及はキリスト教の普及に裏打ちされたものである。

勿論キリスト教は実際には自然言語を用いて普及されたが、ここで作られた人工言語が目的としたものがキリスト教の普及であることは重要である。

具体的にこの時代に作られたキリスト教の普及を目的とする人工言語は何か。 13世紀の修道士ライモンドゥス=ルルスを例に挙げよう。

歴史的背景として、この時代は十字軍におけるキリスト教徒とイスラム教徒の時代である。彼が生まれた1235年ごろはヨーロッパ側がエルサレムを支配した希少な時期である。 15世紀まで続いた名目上の十字軍を度外視すると、事実上の十字軍遠征はこのころ終わる。事実上の十字軍が終わるこの時代に生まれた彼の生誕地はちょうど宗教のサラダボールであり、キリスト・イスラム・ユダヤが混在していた。

したがって、彼が非キリスト圏の言語や文化に通じていたことは容易に想像できる。

とはいえ彼はキリスト教の修道士であったため、非キリスト教徒をどう改宗させようかと考える。多くの宣教師と異なり、こうして本論に取り上げられるに至ったのは、彼が"Ars magna"などで哲学的言語を試みたことに起因する。この言語の目的は異教徒の改宗である。

彼の言語は我々がエスペラントなどからイメージするものとは異なっており、数学的な結合を用いた方法だった。9個の文字を幾何学的に組み合わせて「善は偉大である」といったような命題から数多くの問題まで表現する。幾何は星型のもの、階段状のもの、円状のものなどがある。有名なのは円状のもので、これは3つの同心円から成る。使われる文字は9字で、BCDEFGHIKである(最後はJではなくK)。この3枚の円盤を回転させることによって任意の3文字の組み合わせを作る。更にこの3文字のどこかにTを挿入し、4字1組を作る。この組み合わせから適宜命題や問題を得る。

慣れ親しんだ自然言語の方法からは想像しにくいもので、数学的な要素が濃い哲学的言語である。この機械的な方法だと善と貪欲を組み合わせることもできる。善と貪欲は受け入れられない組み合わせであるのに算出されてしまう。したがってどの要素とどの要素が結び付けられるかといったことを使い手が知っていなければならないというのが問題視される。しかしそれは思想上の問題であって言語上は大きな問題でない。日本語でも「丸い四角」「貪欲は善である」などという表現が可能であるが、そのことを以って言語上の問題とはされない。ヒルデガルトと違い、ルルスは改宗のための普及型人工言語を目指した。更にその手法は語学的なものではなく極めて数学的な方法で、内容も神学的・哲学的なものであった。さて実際この手法の効果であるが、極めてゼロに近い。その上ルルスは14世紀の初頭アフリカで布教中イスラム教徒の投石により殉死している。こうして原始的な普及型は失敗に終わるが、彼の思想はこの後も受け継がれることになる。

さてルルスが殉死した14世紀前半は十字軍国家がイスラム教徒に殲滅されたころでもある。西洋人は西アジアから撤退。同時にドミニコ会らによりアラビア語の文献が流入される。続いて15世紀に東ローマ帝国がオスマン帝国に滅ぼされたのを期にギリシャ文献が西欧に流入される。まとめると、13~15世紀の間にアラビア文献とギリシャ文献が西欧に流入したことになる。このことは自然言語における語の翻訳や借用を含意する。

このような歴史的背景にあって言語はどのように変化していたか。当時東欧がギリシャ語圏であるのに対し、西欧はラテン語圏であった。ラテン語は19世紀まで学位論文の言語でもあり、現代でも専門用語に多く取り入れられている。その地位と格式の高さは歴史的に上下はしつつも、決して無くなりはしなかった。ただ保持されてきたのは文語としての或いは学問の言葉としてのラテン語であり、口語ではない。 12世紀にはラテン語は西洋の共通語としての地位を復活させた。但しそれは旧ローマ帝国時代とは異なり、学問や教育の上という限定付きである。口語としてのラテン語は崩れ、土着語を生む土壌となった。

12世紀にはカタロニア語が生まれ、南仏ではプロヴァンス語が生まれる。プロヴァンス語はフランス・イタリア・スペインの一部で共通語の様相を呈する。しかしその後フランスではカペー王朝のフランス語によって退けられる。但し実際南仏では19世紀までプロヴァンス語は日常語であった。また13~14世紀に近代イタリア語が成立する。これはいわばラテン語の嫡男であり、口語としてのラテン語がとうに廃れていたことが見て取れる。そのころスペインのほうではカスティリャ語、ガリシア語などが既にあり、 14世紀中葉ではポルトガル語が成立する。

このようにしてラテン語の崩壊によりロマンス語などの土着語が西欧を占めていく。(当然土着語についてはゲルマン語も忘れてはならない)

また文化面において西洋は主に14世紀から16世紀にかけてルネサンスを迎えた。復活という語源にふさわしく、それは抑圧され失われた人間性の復古であった。それとともにローマ・ギリシャの古典の復興が起こる。

結果、大量の古典単語が西洋語に咲き返ることとなった。島国のイギリスではルネサンスは遅れて16世紀ごろに始まり、そこで英語は古典単語を吸収した。この流れに反対が起こり、古典語を英語から排斥しようとするチークらの運動が起こったが、それでも尚古典語は学識の象徴から動かなかった。ラテン語が英語に関わったのはルネサンスだけではない。そもそもキリスト教典の伝来とともにangelなど400強の語彙が流入し、ノルマンコンクエストまでの古英語に影響を与えてきた。また、中期英語には上述のようにアラブ圏の言葉がラテン語に大量に翻訳されたため、結果的にこのことが英語にも影響を与えることになる。

そしてもうひとつ述べておきたいのが非西洋圏との関わりである。古代ギリシャの世界観にとって世界とは地中海周りとオリエントを意味していた。しかしアレキサンダー大王の東方遠征によって世界観はアジア(インドや中国)にまで拡張される。後にシルクロードによって東西間でやり取りがされるがその範囲は極めて限定的であった。時代が下って11世紀に始まった十字軍が結果的には東西交易を促進させた。この公益で利益を生んだ結果、余裕の生まれたイタリアでルネサンスが起こった。経済を下敷きに文化が発展してきた。

13世紀ごろモンゴル帝国がイスラム勢を征服したことで西洋は東アジアへ進出。ここで西洋は極東と出会うが、ここで出会った漢字という存在がその後の人工言語の運命を大きく変える。 15世紀にモンゴルが弱まるとオスマン帝国が優勢を極める。東西の中間に位置したため、オスマン帝国は交易品に重税をかける。既に交易品無しには暮らせない精神に陥っていた西洋人はルネサンスで磨いた科学技術を利用し、東洋への海路を開こうとした。海岸国のスペインやポルトガルがいち早くこれに着手できた。危険な航海ではあったが利益が大きく一攫千金が狙えることから航海熱が起こる。更にこの動きにローマ教皇が協賛する。対プロテスタントを目論み、新天地での信者獲得を期待したためでもある。したがって商人以外にも宣教師らが同乗した。

こうして大航海時代を向かえ、アフリカ、アジア、アメリカなどを発見するに至る。これにより西洋人の世界観は広がっていった。

社会・言語・文化・経済、これらの観点から中世を雑感した。こうした時代背景は人工言語にどのような影響を与えたか。それは一言でいえば共通語の需要である。ラテン語は西欧の共通語であるとともに知識の象徴でもあった。つまり共通語・象徴という2面性を持つ。後者は現代にも色濃く残る性質であるが、前者は中世で既に廃れていた。 17世紀でもラテン語はいまでいう英語のような高い地位を占めており、習うべき言語とされていた。識者はラテン語によって辛うじて意思疎通を図ることができた。つまり不完全ではあるものの共通語としての機能は死滅したわけではなかった。

しかし、である。ラテン語は問題が山積みであった。まずラテン語の習得の難しさ。これは特にラテン語そのものよりもその教育に批判が向けられた。だがいずれにせよラテン語が学びにくいという点で批判を受けていたのは変わらない。そして共通性の問題。ラテン語は西欧とりわけロマンス語の中では共通語の意識が強く持たれるが、東欧やアラブ圏ましてアジアに至ってはまるで通用しない。西洋人の世界観が広がるにつれ、ラテン語は共通語としての性質を弱められていった。そしてルネサンス以前に起こっていたラテン語の崩壊とそれに端を発する土着語の普及。これらの複合的な要因によってラテン語は共通語としての価値を弱められ、そのことが同時に別なる共通語の需要を高めた。

特に言語的に見て重要なファクターは土着語の普及と台頭であろう。上述13世紀のルルスは俗語と呼ばれていた土着語で学術書を書いたし、同世代のダンテは『俗語論』を著している。その後も続々と土着語で文献が作られていく。このころの著作は写本によって広まっていたが、15世紀にドイツのグーテンベルクが活版印刷を実用化したことにより事態は激変する。

要するに彼は土着語が急激な勢いで広まるための要因を作ったということである。 16世紀前半に同じドイツのルターが宗教改革を行い、聖書をドイツ語に訳したことも土着語の急激な頒布を示唆している。文章が各々の土着語で書かれることの弊害は何より翻訳の手間を必要とすることである。ラテン語で書かれていればどの国の人間にも難しい反面、どの国の人間にも読める。しかし土着語は違う。母語で書くのは簡単でも受け手がそれに対応していない。翻訳は大きな手間であったし時間も長く待たなければならなかった。これも共通語が欲された原因のひとつである。

以上のような要因で西洋では共通語の必要性が高騰してきた。これらの要因が重なったからこそ16, 7世紀に普遍言語論争が起こったといえる。したがってこれら社会・経済・文化などの要因は外すことができない。この時代の人たちは始めからエスペラントのような人工言語を作ろうと意図していたわけではない。始めは共通の書字を作ることが目的であった。それは真正文字や普遍文字などとも呼ばれたもので、概ね万人に通ずる共通の文字を意味していた。本論では代表として主に普遍文字という言葉を使う。こう聞くとオリジナルの文字を作ろうとしたように聞こえるが必ずしもそうではない。むしろオリジナルの文字を作ったロドウィックやウィルキンズは例外的で、アルファベットや数字を使ったもののほうが多い。

普遍文字は誰にでも読めるというのが前提なので、主に2つに分かれる。1つは字は同じだけれどもその読みは各国語で読むというもの。もう1つは共通の字に固定の読みを与えるものである。前者はとりわけヒエログリフや漢字から影響を受けている。死滅してしまったヒエログリフに比べ、当時ライブで使われていた漢字は西洋人にとっては開眼的なものであった。上述の西洋と東アジアとの交流により漢字の使用状況が西洋に伝えられた。中国人や日本人は互いの言葉が異なるにもかかわらず漢字という共通の文字で意思疎通をしているという報告が西洋に広まった。これはセンセーショナルであった。ベーコンは漢字を激賞したことがある。(ルルス→ベーコン→ライプニッツらの繋がりは哲学的に重要)

まさにこれこそ普遍文字であると大急ぎで西洋では研究が行われた。

しかし研究を重ねるにあたり、徐々に漢字にも問題が見つかった。ヒエログリフも同様で、他の字についてもあれもだめこれもだめという結論に落ち着いていった。更には既存の自然文字だけでなく、速記に使われる文字なども試された。速記文字は本来は速記という目的で使われたが、なにせ読める人間が限られているので同時に秘密文字の性質も持っていたし、意図的に秘密文字の性質を帯びさせられることもあった。そしてその秘密文字が逆説的にも普遍文字の材料として分析された。文字だけに終始するイメージがあるがそうとは言い切れず、読み方が定められた文字もあった。このころは普遍文字ができれば人類にとって非常に有益であるという論調が盛んで、次々と言語案が提案された。

この論争は特にこの16, 7世紀に栄え、ベーコン、デカルト、ライプニッツ、パスカル、メルセンヌなど、この当時の高名な識者が大なり小なり関わりを持っている。

ところで普遍文字の探求は目的の上でおおまかに2派に分けることができる。ひとつはウィルキンズやライプニッツのように普遍文字を哲学的に分析した派である。彼らにとって普遍文字ひいては普遍言語は哲学上の問題であった。後にドゥリンチェコがライプニッツを哲学的言語に分類したのはその思想背景によるものである。

一方、もうひとつは普遍文字を神学上・宗教上の問題と分析した派である。この宗教というのは勿論キリスト教のことであるが、なぜ宗教が普遍言語に絡むのだろうか。

聖書の『創世記』では神がアダムに生き物の命名をさせ、そのアダムの名付けがそのままそのものの名前になったというくだりがある。つまりアダムは唯一の言語を持っていた。(と少なくとも当時の一部の人間は考えていたし、細かな聖書の矛盾もどうにか解釈で都合をつけている)ところが大洪水のあと、人間が天に届くバベルの塔を作る。それに怒った神が塔を崩壊させ、罰として人間の言語をばらばらにしてしまう。聖書のこの話は言語の単一紀元説を表している。単一だったアダムの言語が罰によってばらばらにされ、言語の複数性が生まれたのだとする説である。そして当時の一部の人間はこれを信じていた。

教徒の中にはアダムの言語を発見しようという試みをするものがいた。この思想は16, 7世紀の普遍言語論争以前から存在していた。2世紀ごろの神学者オリゲネスは既にバベル以前の言語がヘブライ語であったろうことを示唆していた。これらの神秘主義者はアダムの言語を発見すべく古典語の探求にいそしむ。研究された言語は主にヘブライ語である。

無論その研究は現代言語学の成果とは比肩できるものではないが、かなり長きに渡って研究されてきたことであることは否めない。この神秘主義は普遍言語論争にあって更に動きを高めた。アダムの言語の発見だけでは飽き足らず、アダムの言語への回帰を目指した。つまりアダムの言語の普及によって世界をバベル以前の秩序に引き戻そうとしたわけである。

この時代にアダムの言語への回帰意識きが高まった理由は何か。ちょうど普遍言語論争の時代であったというのも一因であるが、プロテスタントの出現も大きく関与している。プロテスタントは教会が聖書の解釈に介在することを厭ったため、彼らの間では聖書を直に読もうという意識が高まっていた。尚、教会が認めているラテン語訳でさえ彼らは拒絶している。それゆえの祖語ヘブライ語への回帰、アダムの言語への回帰である。更にこの思想を細分化していくと話が言語から遠ざかりすぎるためここで打ち切るが、このように神秘主義によるアダムの言語としての普遍文字や普遍言語というものが存在していた。

つまりこの時代の普遍言語論争では大きく分けて哲学的理由の一派と神学的理由の一派があったといえる。ただ両者は明確に区別されるとはかぎらない。グレーゾーンにいる作成者をどちらに分類するかは難しい。神学派と混同されて激しく相手であるウェブスターを非難したウィルキンズのようなものもいた。ともあれこのような背景を元に数々の人工言語が作成されたことは留意すべきである。ここで作られたのは普及型に分類される。従来の暗号型を追いやるかのような破竹の勢いで普及型は増えてきた。

では次に、具体的にどのような人工言語案が作られたのかを見ていこう。
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