BFT妄想記

Gas station





西日を背にして2頭立てのキャリッジが軽やかにやってくる。街を抜けて重たい荷物を運んで来た4頭立てのワゴンがギシギシとやってくる。

ユホ少年の耳にはいつも最初に蹄の音が聞こえて来る。家を飛び出して前の道に出る頃にはもう馬たちが牽いている馬車の車輪の音がする。ユホはそれを確認すると、祖父のヤンコと父親のウントに告げに馬小屋に走って行く。そしてまた道まで戻り、お客のために大きなフェンスを開ける。その頃にはもうユホの顔は汗で真っ赤になっている。馬のいななき、御者のなだめる声を聞きながらユホは馬たちを驚かせない程度の声で「いらっしゃいませー。お疲れさまでした!」と告げる。ヤンコとウントがやってきて手綱を受け取り、お客を駐車場へ案内するのを見送りると、大急ぎでまた家の中に入る。

1階はお客のための休憩室になっている。母親のハンナがエプロンの裾で手を拭いながらユホにお客の数を聞く。先ほど素早く人数を確認していたユホがそれを告げるとハンナは厨房にいる祖母のマリッタの元へと戻って行く。ユホは母親にまとわりつくようにして後を追いながら、今到着したお客の様子を母と祖母に語る。馬たちがどれだけすばらしかったか、お客が立派なひげを生やしていたとか、とても疲れている様子の年寄り馬を気の毒に思って、その馬にあげるための角砂糖を余計にせびったりすることもある。ハンナは足もとにまとわりつくユホとキャラコのドレスの裾をうまくさばきながら、厨房から食べ物やお茶を運んで行く。マリッタの作る豆のスープは栄養があって疲れが取れると評判が高い。厚手のスープボウルに入れられたあつあつのそのスープを運ぶのはまだ危ないからとやらせてもらえない。

ユホはもうじき9歳。祖父母と両親の営むこの休憩所で、大人たちの手伝いをできるようになったことをとても誇りに思っている。今はまだできることが少ないのだが、いつかは自分もじいちゃんや父さんのように、大きな馬をなだめながらやすやすとブラシをかけられるようながっしりとした体つきの立派な男になることを信じている。2階のベビーベッドには妹のマイラがすやすやと眠っている。マイラが大きくなって、ばあちゃんや母さんの手伝いをするようになるころには、自分はもう馬を御せるようになっているはずだ。ユホは早く大人になりたかった。お店をやるのに必要な算術は父さんが教えてくれる。読み書きは母さんが教えてくれているから学校なんか行かなくても平気だ。ユホは学校に行くよりもこの店で、馬たちを相手にしている方が断然いいと思っていた。

この街に走っていて、 水害で水没してしまった地下を走る電車のこと を話してくれたのは祖父のヤンコだ。ヤンコは若い頃、それを見てたいへん驚いたそうだ。地下を走る電車の仕組みは蒸気でもなく、当然馬が牽くのではなくヤンコには魔法のように見えたと言う。馬車が走る仕組みや馬のことを教えてくれたりもした。丈夫な革ひものつなぎ方や油を差す場所など、こちらは覚えなくてはいけない仕事のことも教わった。祖母マリッタは大きな銅製の寸胴鍋をかき混ぜながら、または庭仕事をしながら、どの季節にどんな植物が生えるか、またそれを使ってマリッタがどんな糸を染め、どんな織物を作るかなどを話してくれた。マリッタが織る大小の織物は街のバザーでもたいへん人気があったのだ。ユホが寝ているベッドのカバーはユホがひとりで眠るようになった時にマリッタが織ってくれた黄色と赤のもので、ユホはそれが大のお気に入りだった。

毎週日曜日は教会に行く日だ。土曜日にはたらいに入れたお湯で念入りに体を洗う。教会に行って街の人たちに馬臭いと言われないように、ゴシゴシと体を洗われる。そして教会に行く用の服を着て、家族全員で小さな教会まで歩いて行く。教会で神父さんの話を聞いた後、少しの間大人たちは立ち話をする。ユホが初めてと言うものの存在を聞いたのはもっと小さい頃だった。の話になると祖父と父が難しい顔になるのがわかっているので、ユホは街の人たちがその話をしなければいいなといつも思っていた。それでもやはり時折家の前の道を通り過ぎて行く車を見ると少しだけドキドキした。馬たちが驚くような大きな音を立てて走る車は車輪もピカピカしていて格好良かったのだ。

ユホは教会以外でも母さんや父さんと一緒に街に出ることがある。祖父母は年に2回のお祭りの日以外は滅多に街に出ることはない。街にはたくさんの馬車が走っている。ユホはそれを眺めるのが大好きだ。いつかは自分専用の軽バギーが欲しいと思い、読み書きを習いながらその帳面にこっそりと好みのバギーの絵を描いたりしている。板バネがついていてあまりガタガタ言わないのが望ましい。色は黄色が好きだ。街の乗合馬車は黄色と赤で美しかった。通り過ぎるいく台もの馬車を眺めながら、それを御す自分の姿を想像した。時々心の中の誰にも見つからないところではに乗る自分の姿を想像することもあったが、ユホはをじっくり見たことがないので想像の中でもあまりはっきりとした絵にはならずに残念だった。

ユホがもうほとんど一人前の仕事ができるようになった頃、それを見届けるように祖父が亡くなった。後を追うようにして半年後に祖母も世を去った。ユホはとても寂しく悲しい思いをしたが、一人前の男として父の仕事を助けることによってその辛い時期をやり過ごした。店の中ではハンナがマリエッタのレシピを使った料理を作り続け、それを小さなライラが手助けするような、ジャマをするような感じでウロウロする姿を見ることができた。その頃からだんだんと馬車のお客の数が減って行った。車の数が増えてきたのだ。古くからの馴染みのお客の中にはでやってきて食事だけ食べて休憩をしていく人もいた。ウントはまったくに興味を示さず、馬を驚かせるという理由で車で来るお客を少し迷惑に思っているようだった。車体を拭くことすら嫌がったので、ユホがその役回りをすることになった。ユホは間近でを眺め、時折は馴染みのお客からの構造について説明を聞いたりもした。

は馬とは違いガソリンさえあればどこまでも休憩をせずに走れる。馬車より衛生的だし、駐車するのにも場所を取らない。ユホはだんだんと車に惹かれていった。お客の中から、ここでガソリンも売って欲しいという要望が出てきた。だがガソリンの匂いは馬を怯えさせる。馬と人が休憩するための場所にそんな臭いものを持ち込むのはウントにはどうにも許せなかった。で食事をする人を拒みはしなかったものの、ウントは断固として馬車にこだわった。これからはの時代だというユホの言葉にもまったく耳を貸さなかった。ハンナは言い争いをする親子を悲しそうに見ていたが、口を出すことはなかった。

街を走っていた乗合馬車もバスに変わった。ウントはそれに対して相当がっかりしたようで、次第に無口になって行った。ユホは家の仕事をする傍らで、街の図書館やすでにを持っている街の人たちからさまざまな情報を得た。街に車販売人が来ると必ず資料をもらった。ある日、隣街までガソリンを買いに行くと言う乗合バスに乗せてもらい、初めてガソリンスタンドというものを見ることができた。黄色と白地に赤い文字の看板の小奇麗な店構えはユホの心を捕らえた。先祖代々続いているからというだけで馬車にこだわり続けていたら、馬車がなくなった時に仕事がなくなってしまう。家に戻ってからユホはウントに自分が見てきたガソリンスタンドの様子を伝え、この街にもそれが必要だと訴えた。ウントは胼胝だらけの自分の手を眺めるようにうつむいて黙っていた。

それからは馬車のお客は減っていく一方だった。店は料理の評判もあって、車で食事を取りに来る人たちがいたのでそれほど打撃は受けなかったが、ウントが世話をする馬の数は減って行った。街の人たちはちょっとした用事は馬車で済ますことはあっても、隣の街までは馬車で行く人がいなくなってしまったのだ。ユホは毎日お客のを磨きながらウントの顔色を伺った。ユホだって馬車や馬が嫌いなわけではなかった。父親と違ったのは時代の流れというものを受け入れるだけの若さがあっただけなのだ。それに気がついて以来、ガソリンスタンドの話をウントにすることはやめた。どうすることもできずに、ユホはずっと思い悩んでいた。

妹のライラの結婚式の後、ウントはハンナとユホに告げた。自分は仕事を引退する。この店はガソリンスタンドとしてユホがやればいいと。そして馬車休憩所は完全に閉じる。なぜならばやはり自分には馬たちが気の毒でどうしてもガソリンスタンドと馬小屋を一緒にすることはできないのだと言った。ユホは呆然とした。そして父親にも時代の流れはわかっていたことを知った。ユホはもう一度だけ、場所をすこし話したところに給油機だけを入れるという提案をしたがウントは首を縦に振らなかった。仕事を投げ出すわけではないということ、自分もできる限り手伝うことはするが、知識の面ではまったく自信がないということをユホに伝えると、ハンナと共に寝室に上がって行ってしまった。ふたりの間では何度も話し合ったことだったのだろう。ハンナは一度振り返ってユホに向かって笑顔で大丈夫だと言わんばかりにうなずいた。あれほど憧れた父親の背中が小さく見えてユホはひとりで泣いた。

それからしばらくは大忙しとなった。ガソリンの給油機を入れるための工事や、今までの馬小屋の取り壊し、入口の大きな門の撤去作業など、やることはたくさんあった。ウントは蓄えてあったお金を出すことを惜しまなかった。息子のユホがさまざまな業者たちと自分が知らない言葉で語り合い、そして値引きの交渉などをするのを頼もしげに見守っていた。ハンナは相変わらず店でお客を相手に食事を出していた。ライラは結婚しても昼間は母親を手伝うために店に通っていた。古くから続いていた馬車休憩所がなくなることを聞いた街の人たちは残念に思うとともに、ユホがガソリンスタンドという新しい道に踏み出したことを喜んだ。何事にも徹底した態度を取るウントは自分の馬車を置く場所を近所に借りた。そして一部の馬車愛好家たちと共に「馬車クラブ」を結成し、近くのイングリッシュパブで時折集会を開いては古き良き時代を懐かしんだ。

ユホのガソリンスタンドは最初は小さな規模だった。2台の給油機、そして古い建物を少しだけ改築して明るくした店ではやはりマリッタの豆のスープを出し続けた。真新しい制服を着たユホに対して、ウントは今までの作業着のままでいいと言った。街で初めてのガソリンスタンドは街の人たちに歓迎され、あっという間に軌道に乗った。ユホは配達用に中古のボルボのトラックを買った。自分の馬車を持つという小さい頃の夢は叶えられなかったが、自分用のを買うことができた。それでもユホが結婚する時、花嫁を迎えに行くのには父親の古い馬車を借りた。幌をあげ、幸せそうに街を流す馬車を御すガソリンスタンドの若き店主の花婿は、これが自分の正装だと言い張ってスタンドの制服を着ていた。この姿はいつまでも街の人たちのちょっとした笑い話に登場することになるのだ。


imageプラグインエラー : ご指定のファイルが見つかりません。ファイル名を確認して、再度指定してください。 (title=)




text shinob

Gas station」へ戻る








ご感想、コメントをどうぞ




最終更新:2009年06月03日 17:41