BFT妄想記

Penelope Bridge





また7つ目の石のところで若い女性がつまずいた。昨日からこれで12人目。ペネロープはそれをみてクスクスと笑った。父親のストローベリ卿がそっと近づいてきてペネロープの方に片手を置く。トップハットをかぶり、片方の手はステッキを持ったいかめしい姿だ。
「やれやれ、また今夜にでもヴィークスのところに行って、あそこを修繕するように言わないといけないね。」
「お父さま、直しちゃうの?だってとてもおかしいのよ。しかめつらした人もすましている人もつまづくとみんなおんなじお顔になってしまうのですもの。」
「駄目だよ。いつかはけがをする人がでてきてしまうかもしれないだろう?」

父親はすぅっとどこかへ去って行ってしまった。ペネロープはそこに腰をかけたままま、橋を渡る人を眺めている。母親譲りの明るい緑の瞳はいたずらっぽくキラキラ輝いている。犬を連れた人が来た。ベスとリッキーさんだ。ベスはペネロープの方に近寄ってきてにおいを嗅ぎ、挨拶をしてくる。ペネロープもベスの頭をそっとなでてやる。リッキーさんはベスが動き出すのを川を眺めながら待っている。

バイオリンを抱えたブライアンが劇場の方から来た。また不機嫌そうな顔をしているのがおかしくて、ペネロープは横に並んでブライアンの顔を覗きこんだ。ブライアンの歩調に合わせてちょっと小走りになる。帰り道はすっかり元気になって来るのに、こっちから来る時にはどうしていつも不機嫌なんだろう。河を渡った向こう側に行ったことがないペネロープにはそれが不思議だった。

「川の向こうには何かおもしろいことがあるのかな。」

ブライアンは返事をせずに難しい顔をして通り過ぎて行った。ペネロープはクスクス笑いながらそれを見送る。こんな風に毎日、人が通り過ぎるのを眺めたり、犬や猫と遊んだりしてペネロープの一日は終わる。雨の日は雨の日で、色とりどりの傘がくるくる回るのを眺めているのがとても楽しい。時々は自転車に乗った大勢の人が走り抜けたり、大層着飾った人たちがドレスの裾を気にしながら歩いて行ったり、ペネロープよりちょっと年かさの男の子たちが自転車のリムを回しながら駈けて行くのを眺めている。ちょっと前までブライアンもこの仲間だったのに。

夕方になると母親のストローベリ夫人がお迎えに来てくれる。ペネロープは母親に連れられて、劇場の上にある部屋に戻る。そうして今日会った人たちのことや、百貨店に勤めるマリーの素敵なドレスのことを両親に向かって楽しそうに話すのだ。両親はそれをうなづきながらにこにこと聞いてくれる。ペネロープがベッドに入るとナニーの代りにお母さまがいろいろなお話をしてくれる。時々はお父さまも昔の話をしてくれることもある。そして寝る時間になると自分たちの部屋に戻っていく。

この部屋は劇場の一番上。火事で焼けた後に修繕する際に作られた部屋。小さなペネロープのお屋敷にあった部屋そのまんまに飾られている。お屋敷にいた頃はいつもそばにナニーがいたけれど。ペネロープはもうひとりで寂しくて泣くこともなくなった。ナニーの代りにこの部屋は劇場付属のバレエ団の女の人がいつもきれいにしておいてくれている。ドレッサーの上に飾られたみごとな花束やたくさんのぬいぐるみは彼女たちが舞台でお客さまにいただいたものだ。

もうずっとずっと前の話になる。ペネロープはほんのちょっとの間、ひとりっきりで過ごしたことがある。なぜなら彼女はこの劇場が火事になった時に死んでしまったから。一番上の階でバレエを観ていて、逃げる時にお母さまとはぐれてしまったから。その後しばらくの間、ペネロープは死んでしまったことより、お父さまとお母さまに自分がここにいることをわかってもらえないことを悲しく思った。お父さまもお母さまもずいぶんと泣いていたから。ペネロープは一生懸命自分がここにいることを伝えようとした。話しかけても声は聞こえないみたいだし、抱きつこうとしても手がすり抜けてしまう。その時期はペネロープもずいぶんと寂しかったし悲しくて、よくここでひとりで泣いた。

その後、お母さまが亡くなった。お母さまはすぐにペネロープに気がついて、泣きながら抱きしめてくれた。お母さまはいっぱい謝っていたけれど、ペネロープはまたお母さまと一緒にいられることになってすごくうれしかった。お母さまは亡くなった時とは違って、ペネロープが生きていた頃のように若い姿で会いに来てくれた。今度はお母さまとふたりでお父さまに声をかけたけれど、やっぱりお父さまには届かなかった。お父さまはずいぶんと寂しそうだった。大人のお母さまでもやっぱり何も動かすことができなくて、ペネロープはがっかりした。
「ふたりでお父さまがこちらにいらっしゃるまで待っていましょうね。」
お母さまは昔のようにいつも優しかった。そして昔のように夜になるとどこかのお部屋で眠るために行ってしまった。

そうしているうちにお父さまも亡くなって、また3人で暮らせることになった。お父さまも亡くなったときの姿ではなく、ペネロープが生きていた頃の姿で会いに来てくれる。それからはずっとこうして楽しく暮らしているのだ。ペネロープはおとなの幽霊は自分の好きな年の姿を選ぶことができて、ふたりでいるときには違う姿でいるのかもしれないと思うことがある。ペネロープもお洋服を選ぶことはできる。頭の中でお気に入りのお洋服を思い浮かべるとたちまちその服になる。でもペネロープは大人になった自分の姿には変われないし、これ以上小さくなったら動くのも大変そうなので、ずっとこの姿のままだ。

ペネロープが死んでから作られたこの橋にはペネロープの名前がつけられている。会えないで寂しくしていた時に、お父さまとお母さまがみんなが小さなペネロープのことを忘れないようにとつけてくれたのだ。それからずいぶんと時間が経ったけれど、街の人たちはここをずっとペネロープ橋と呼んでいる。ペネロープは自分の名前がついたこの橋を渡る街の人たちを見ているのが大好きなのだ。

ペネロープはを渡って向こう側に行くことができない。キラキラ光る水はこっちに来ちゃいけないよと言っているみたいに見える。お母さまやお父さまも渡れないと言う。ペネロープは前にお父さまがこう言っていたのを聞いたことがある。
「吸血鬼は水を渡れないと言うから、我々幽霊も同じなのかもしれないな。」
ペネロープは吸血鬼には会ったことがないから、いつか会えたらやっぱり川を渡れないのかを聞いてみようと思っている。だって川の向こうにはもあるし楽しそうなところがたくさんありそうだから。

お父さまは自分の行かれる範囲で、石畳の壊れているところや、手すりが緩んでいるところを見つけては、その持ち主が夢の中でそこを直さなくてはと思うように告げて回っている。この間も大聖堂のステンドグラスが緩んでいるのを見つけて、司教様のところへ出かけて行った。死んでからもそうやって街の人を守っているのだ。ペネロープの知っている限り、お父さまは誰よりも立派な人だと思う。

ペネロープは今日もの手前に座って街の人を眺めている。隣にいる天使の彫像のように、これからもずっといつまでも小さな女の子のまんま。






text shinob

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最終更新:2009年06月03日 17:39