BFT妄想記

STRAWBURY THEATRE





え?あたしのこと?
あたしが舞台に立っていた頃のことをご存じなんてそりゃうれしいわねぇ。あの頃は毎日が戦争見たいに大変で楽しいなんてあんまり思わなかったけど、今思い出すと幸せだったわ。あぁ、もちろん今だって幸せよ?あたしの子供たちが舞台に立って踊るのを眺めているだけでも幸せ。みんなあたしのレッスンを怖がりますけどね。お稽古をしっかりとしておけば舞台で泣くことはないんですよ。若い頃なんてみんな同じようなものね。自分の体が思うように動かなくなる日がくることなんて考えてはいない。でもそれでいいのでしょうね。そんなことを考えていたらその日の舞台が怖くなってしまいますもの。

あたしが初めて舞台に立ったのは6つの時でした。今はみんな3つくらいになるとバレエを始めさせるみたいだけれど、あたしが思うに3つじゃ早すぎるわね。とにかくあたしが舞台に立ったのは6つの時でした。5つになった時に先生のところに連れて行かれてそれから1年ちょっと経った時のことですわ。最初は楽しいだけでしたね。初舞台はそこの公会堂でね、曲はアイネ・クライネ・ナハトムジーク。あの時に母親が作ってくれた首に巻く赤いリボンはまだ取ってあるのよ。懐かしいわね。振り付けだって覚えていますとも。あたしは自分が踊ったことのある振りはどれもみんな覚えているのですよ。そりゃ、舞台に立つまでさんざんお稽古するんだもの。そんなに簡単に忘れるものではありません。

学校に行く年齢になった時にはもう迷いませんでした。ここの付属のバレエ学校に入れていただきたくて。あたしはバレエが大好きでしたの。学校では午前中はお勉強、午後からお稽古になっていのですけれど、お勉強はあまり好きではありませんでした。ただ、語学だけは必死にやったわ。世界中を旅して踊ることを夢見ていたから。周りのみんなもそうでしたね。授業が終わると大急ぎでお食事をして着替えてお稽古場に行くのよ。誰よりもいい場所でお稽古を見てもらいたいから場所取り合戦なの。おかげであたしは今だにお食事を頂くのが大変早いのですよ。周り中がライバルとか言われるけど、お稽古以外の時は仲良しでしたのよ。夜にこっそり寮を抜け出して遊びに行ったりもしましたもの。

初めてソロを踊らせて頂いた時はそれはうれしかったですわ。あれは14の時、頂いた役はドンキのキューピッドでした。あたしは16を過ぎるまで背が小さくて。このまま大きくならなかったらどうしようとずいぶんと悩んだものです。牛乳をたくさん飲んでみたり、毎晩お部屋のカーテンポールにぶら下がってみたり。背が伸びると言われることは何でもやってみていました。その頃はもう楽しいだけじゃなく、辛いこともたくさんありました。足は痛いし、お稽古は厳しいし。辛くて毎日泣きましたよ。今だから笑って言えるけれど、20過ぎてここの団員になってからも良く泣いたものです。ほら、そこの階段の隅でね。

背が伸びて、ここのバレエ団の入団資格に達した時は本当にうれしかったわ。どんなに上手になっても背が小さければ団員にはなれないのですから。厳しい世界なんですよ。ことに容姿に関しては若い子には残酷なくらい。とにかくあたしには道が開けました。そりゃもう本当にうれしかったわ。それからは入団試験に受かるために必死にお稽古をしました。いつかはこの劇場で主役を張れる日を夢見て。辛かったしきつかったけれど、やめようと思ったことは一度もなかった。あぁ、一度だけ、一度だけやめようとしたことがあったわ。まあ、バレエとは関係のない話ですけれど。でもやめなかった。舞台の魅力に勝てるものはありませんでした。ここのバレエ団に入れば、ずっとバレエを続けられる。世界中を踊りながら旅をすることができるのですから。

そうしてあたしはここの団員になれました。運のいいことにその年の課題曲の中にあたしが得意としていたエスメラルダがあったの。その頃からあたしはどうもかわいらしい役が苦手で。こんなのはまったくエトワールのセリフじゃぁないわね。でも同期のセシールはかわいらしかったのよ。彼女は本当に儚げで・・・。あの子の演ったジゼルを見せたかったわ。その時あたしはミルタ役だったんですけどね。セシールは本当に精霊のようでした。ポアントの先が浮いているように見えるんですよ。軽くて、本当にやわらかな踊りで。あたしはまったくかなわないと思っていました。だからこそセシールが舞台より男を選んだことには驚きました。あの子がバレエを続けていたら、それこそ世界的に有名なダンサーになっていたはずですよ。シャンタル先生もたいそうがっかりしておられましたっけ。チャンスだと思ったって?そりゃ少しは思ったかもしれません。でもそれ以上にあたしは彼女の踊りが見られなくなったことを残念に思ったものです。

団員になったばかりの最初の頃は大変でした。バレエ団の下っ端ダンサーは忙しいんですよ。とにかくいろいろな役をこなさなくてはいけないの。特に旅公演となると、全員を連れて行くわけにはいかないでしょう?だからひとつの舞台で何役もこなすのよ。控え室に戻って着替える時間すらなくて、みんな袖で裸になって着替えていました。時々その劇場のケイタリングの人とかに冷やかされたりもして、そういう時は少し恥ずかしいとは思ったけれど。それでもひとつでも多くの経験を積みたくて必死だったんですね。今ではあんまりそんなことをさせないように、この劇場もモブ用の控え室を舞台のそばに作ってくれました。まぁ、他の劇場に行った時にはそんなこともできずに、やっぱり若い子たちは裸でかけずりまわっていますけれどね。ここの持ち主は本当にいい人なんですよ。ダンサーのことをとても大切にしてくれる。もちろんあたしたちのこともね。

一番の思い出?それはやっぱりルドルフ・ヌレエフとマーゴット・フォンティーンと一緒にここの舞台に立てたことでしょう。その時のあたしはまだ団員ではなく、準団員だったのよ。白鳥の湖のオディールを踊らせてもらったの。大抜擢でした。すばらしいでしょう?あの日のことは決して忘れることなんかできません。前の日にルドルフとリフトのタイミングだけ合わせて、ゲネ、そしていきなり本番。そりゃもう緊張しましたわ。マーゴットのオデットはすばらしかった。リリカルで、なのにとても力強くて。袖で見ていてもう夢中になりました。踊り終えて息を弾ませたマーゴットがあたしの肩を叩いて、「ほら、アタシの王子様を誘惑しておいで。」って。とても40を超えた人の踊りには見えませんでした。あたしは緊張でがくがくしてきてしまって。でも幕の間に袖に置いてあったバーについて、1番プリエからドゥミ、グランプリエ・・・幕の間中、バーレッスンをして気を落ち着けようとしていたんです。マーゴットはそれを見ていて、「そうね。アタシたちはいつでもそこから。」と声をかけてくれたのですよ。本当にうれしかったわ。あの日は今思い出しても夢のよう。

あれからいくつもの役を踊らせてもらいました。ご存じのようにこのバレエ団のエトワールとしていろんな国にも行かせてもらったのよ。その度にあたしはあの日のことを思い出していたの。そして若いバレリーナと一緒に踊ることになった時にはやっぱりあの日のマーゴットのように声をかけるようになっていました。その時になってわかったの。マーゴットはあたしを励ましてくれたと共に、自分も励ましていたんだということを。30をちょっと越えた頃から、あたしはだんだん舞台が怖くなってきてしまったのです。若い頃のようにやみくもに飛んだりはねたりができなくなってしまって。いつか踊れなくなる日が来るとわかってしまったのですね。あれから話したことはないけれど、セシールは若いうちにそんな風に思ってしまったのかもしれないわね。

あんたはもうご存じかもしれないけれど、あの舞台でしくじって足を痛めてから、毎シーズンの始めに役を発表されるのは本当に怖かった。いつか自分がエトワールから降りなくてはならないのはわかっていましたから。そう、一番最初に王妃の役を自分から買って出たのは、もうその恐怖に耐えきれなくなったからなのだと思います。走れないなら走らなければいい。あたしにはまだ、やれる役がある。そんな風に思うようにしたの。だけど長くは続かなかったわ。舞台で美しく輝く後輩たちを長い重たいドレスを着て椅子に座って見ているのは辛かった。マスターから指導者になってくれと言われた時にはもうそれに飛びついたわ。踊れなくなって、歩けなくなっても舞台に携わっていられるならそれでいいじゃない。あたしの後輩たちに自分が教わってきたことを教えて行くのだって立派な役割だと思いません?

今じゃこんなおばあさんになってしまったけれど、背筋だけはまだちゃんとしてるでしょう?朝一番のお稽古場で、今日一日のお稽古のだんどりをし終えた後に、ひとりでバーに立って1番プリエからドゥミ、グランプリエってやっているのよ。おかしいでしょう?5つの時に初めて教わってからずっと欠かしたことがないの。バーレッスンを終えないと一日が始まらないような気がするのよね。今さら舞台に戻りたいわけじゃない。若い子に負けるかと思っているわけでもない。なんだかしらねぇ。やっぱりあの時のマーゴットを思い出すの。そしてバーに手を当てた瞬間の何とも言えない緊張感、そんな気分がとても好きなんですよ。

あぁ、次のシーズンは12月ですわ。ちょうどこれからお稽古を始めるところ。ルーシーはいいダンサーですよ。ちょっとばかりおっちょこちょいなところが難点なのだけれど、まぁそれもご愛敬ってところかしら。もちろん本人にはあたしがこんな風に言っていたとは言わないでね。あの子は叱って叱って育てていかなくてはならないの。あたしはどんなに嫌われてもあの子を叱りますよ。そして舞台が成功するまでは決して拍手なんてしてあげない。彼女は期待に応えてくれるダンサーだと思っているのよ。楽しみにしていて下さいね。今回は大道具もお衣装も新調するのよ。きっといい舞台になるから。この街で育ったダンサーが世界に飛び出していくのは私にとっても大変な喜びなの。彼らを応援してあげて下さいね。






text shinob

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最終更新:2009年06月03日 17:38