BFT妄想記

Public hall」/「Godfred Studio





最後の一音が消える前から大きな拍手。指揮者は観客の方に向きなおしながらひっそりと耳を凝らした。聞こえた。良かった。今日の演奏はいい出来だったようだ。まずは客席に深く一礼する。そして安心したように顔をあげて後ろを振り向き、タクトと上に向けた左手を上げる。同じく安どの表情を浮かべた団員たちがその合図で立ち上がり、指揮者と一緒に客席に向かってお辞儀をした。拍手のトーンが上がる。そしてそれは一定のリズムに変わっていく。アンコールを要求しているのだ。指揮者はちょっと上を見上げ、小さくうなずく。そしてアンコール曲が始まった。

ブライアンも客席で大興奮して立ち上がって拍手をしていた。自分もいつかここで演奏したい。そんな思いを込めて、毎月のこのコンサートには欠かさずに通っているのだ。バイトで生活を支えている身でも買える安いチケット料金はありがたかった。そして彼もやはり、拍手の中で耳をすませるひとりだった。

この街所属のオーケストラは月に1度、昼と夜に分けて2回の演奏会をこの公会堂で開催する。音楽好きの街の人たちで公会堂はいつもいっぱいだ。昼は子供たちが多い。夜はカップルで賑わうこの演奏会はBFTの名物でもある。演奏会を目当てにやってくる観光客も多いという。この街のオーケストラのレベルは非常に高い。ここで演奏する以外の日には、他の街に行って演奏会を開催することもある。時には海外に招聘されることもある。

オーケストラは年に2回、春と秋にオーディションを行う。そのオーディションに受かれば、準団員として練習を開始することができる。その後、団員に昇格しようやくオケの一員となれるのだ。オーディションに参加する資格は18歳以上であること。それ以外の規則はない。毎年20人以上の腕に覚えのある若者がこのオーディションに挑戦する。そして、そのうちの1-2人が合格して準団員になるのだ。ここまでは他のオーケストラとあまり変わりはない。ただその選別方法はかなり独特であるのだ。

コンサートの翌日は秋のオーディションの日だった。ブライアンは今年もまた公会堂の大ホールに立っている。昨日のコンサートの熱気と興奮が冷めやらぬ公会堂の大ホールで、彼はひとりで真っ赤な顔をしてヴァイオリンを弾きはじめた。これでもう7回目のチャレンジだ。3年もの間オーディションに落ち続けた。受験生は公会堂の大ホールで自分の楽器を演奏する。曲目も自由、アレンジも自由。客席には数人の団員とコンサートマスター、指揮者のアレックス氏、それとその時の公会堂の管理責任者数人。だがこの人たちが合否を決めるのではない。合格するには耳の肥えたもう一人の聴衆を満足させなければならい。

そのもうひとりは天井裏に住んでいるらしい。

誰が呼び始めたかわからない。いつからいるのかもわからない。代々の公会堂の関係者にも「C♭(シーフラット)のゴブリン」という通り名しか伝わっておらず、誰もその姿を見た人はいない。いい演奏を聴いた時のみ、彼はキーキーと声をあげ同じ諧調で拍手をする。C♭のゴブリンが認めた者のみがこのオーケストラに入団できるのだ。オーケストラの団員自身も自分たちの演奏がどうであったかの判断はこのC♭のゴブリンの声と拍手で判断できる。だからこそ彼らは演奏を終えると拍手の中から天井裏の声を探すのだ。これは練習中でも変わらない。C♭のゴブリンは音楽のジャンルを選ばない。幼稚園児の合唱であろうと、ロックコンサートであろうと、いい音楽であれば賞賛を惜しまない。

曲を弾き終えたブライアンはヴァイオリンからボウを離し、天井裏に耳を傾ける。客席からは拍手。だが今回もゴブリンは沈黙したままだ。ヴァイオリンを持ったままうなだれるブライアンにコンサートマスターが力強く声をかけた。ブライアンの憧れのこのオーケストラの第一ヴァイオリン奏者。
「大丈夫。キミならいつかきっと受かるから。また次に会おう。」
ブライアンは小さくうなずき、深くお辞儀をしてから舞台の下手に退出する。上手からは顔見知りの受験者のローディがぎこちなく出てきた。彼女はオーボエ奏者だ。

ローディの演奏を聞きながらブライアンは帰り仕度をした。そして公会堂の楽屋口から出てそのまま裏口から隣のゴッドフレッド・スタジオに入った。ここはブライアンが気兼ねなくフルートを吹ける場所の1つだ。めずらしくスタジオを使っている人は誰もいないようだ。マスターのアルフレドがメインストリートに向かった椅子に座り煙草を吸っている後姿が見えた。

「また落ちちゃったよ。ラッキーセブンもアウト。」
「おぅ、ブライアンか。今回もC♭のゴブリンのご機嫌は取れずか。」
「うん。なんなんだろうなー。今回は最高の出来だったんだぜ?」
「ま、しょうがないな。次また受けるんだろ?」
「受かるまでやるつもりだけどさぁ。いくら考えてもわかんないんだよなー。オレの前のフルートの女の子なんてトチったんだぜ?それでも合格だ。で、ノーミスのオレは不合格。マスター、C♭のゴブリンの好みってわかんないの?」
「知るわけないだろ。オレはただ、自分が好きな音かどうかだけしかわからないよ。少なくともオレはお前の音が好きだぜ。」
「ありがとう。救われるよ。」

ブライアンはケースからヴァイオリンを取り出し、軽く音を出す。音はだんだんと今弾いてきたばかりのシェエラザードのヴァイオリンソロへと変わっていく。ボウを弾きながらブライアンは話を続ける。

「オレさ、だんだん悩めるセロ弾きのゴーシュの気分になってきたよ。」
「じゃ、さしずめオレは気の毒な三毛猫か?」
「八つ当たりするつもりじゃないけどさ。また半年間バイト生活だと思うとうんざりだ。」
「準団員になれたとしてもバイト生活さ。音楽で食えるヤツはそんなにはいない。」
「はぁ・・・。」
「まだたった7回だろ?本気でやりたいと思っているなら何度でもトライすればいいさ。」
「たった7回か~。今のオケマスは13回目で受かったっていう話だからなー。あんなにすごい人がだぜ?C♭のゴブリン厳しー。ちょっとくらいおまけしてくれてもいいと思うんだよな。」
「おまけして受かってもみんなにはすぐにバレるぞ。近道なんてないんだよ。」
「わかってるよ・・・。」

溜息と共に音は止まった。アルフレドが近寄ってきて、背中を軽く叩く。

「気が済むまで弾いていりゃいいさ。今日は夕方まで誰も降りて来ないよ。明け方までやってたからな。」

静まり返った上の階を指し示すように天井を見て、ちょっと肩をすくめるアルフレド。

「ありがとう。でも今朝から緊張しっぱなしで何も食ってないから腹減った。そろそろメシ食いに行くわ。」
「そうか。またいつでも顔見せろよ。」
「ウン。」

アルフレドは入口を開けてくれた。挨拶代わりに軽く右手を挙げ、ブライアンはヴァイオリンケースを抱えてメインストリートを歩きはじめた。公会堂の正面入り口の前で足を止める。ちょっと上を見上げてそのまま右に曲がる青年をアルフレドは火のついていない煙草をくわえたまま道に立って見送っていた。

「C♭のゴブリンか。ヤツは耳が肥えているから期待しているヤツには厳しいんだよな。」

とつぶやきながらスタジオに戻って行くアルフレド。 彼はブライアンがこれからビッグ・ママの店に行って好物のスタッフドトマトをほおばりながら「聞いてよ、マム~。」と愚痴をこぼすことを知っている。その姿は昔の自分の姿に、またこのスタジオから世界に出て行った多くの若者に重なった。それはこの街に住む、夢を追う若者がみんな一度は通る道なのだ。






text shinob

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最終更新:2009年06月03日 17:38