BFT妄想記

Glass Atelier





キシッ。
自分にしか聞こえないその音を聞いてユノは眉をひそめる。音がしたあたりを見てケイムを外す。先ほど削った部分が少し当たっていたようだ。顔をしかめながら涙型のピースを光に当てて確認すると、ほんの少しだけ曲線に乱れが部分があった。グラインダーのスイッチを入れ、その部分を丁寧に削る。少し削っては確認し、またグラインダーに向かい・・・満足がいくラインになると再び作業していた場所に戻る。パーツを嵌め、ケイムをはめる。

キシッ。
また音がした。どうやら違う部分のようだ。再びケイムを外す。今度はダイヤ型のパーツを抜き出して光にかざす。少しラインが乱れている。ユノはため息をつくと、小さなガラスのかけらを作業台の上に置いて、両手でこめかみを押さえた。そして目を閉じて何かを考え始めた。

もう何年もこんなことはなかったのに。ガラスはいつでもユノの思った通りの形になり、そしてデザインしたとおりの場所にきちっと収まってくれる。他の人のようにめんどうな型紙を作ることもなく、頭の中で描いた図案通りに作れるのが彼女独特の才能だった。それゆえに彼女はどんなに細かいデザインであれ、ピースをケイムで止めて行くこの手法で作るのが好んだ。気にいったガラスがない時だけ、グリサイユやエナメルで絵付けをし、焼き入れをし、そしてそれをピースにしてケイム組していった。

ユノは昨日、大聖堂に行った。正確には大聖堂のステンドグラスの修理を依頼されて、その状態を見に行ったのだ。普段から大聖堂にはよく足を運ぶ。遠い先祖が作ったというステンドグラスを下から眺めるのが好きだった。真白な壁の間から色とりどりの光が透けてくる。その下でその技法をあれこれと想像するのが好きだった。でもそれは昨日までの話。昨日は特別に設置されたゴンドラに乗って、ステンドグラスを間近に見てきたのだ。

数百年もの間、風雨にさらされていたステンドグラス。時折大掃除で磨かれることはあるにしろ、外側も内側も埃からは逃れられない。それを間近に見、手で埃をぬぐった時のことだ。衝撃的だった。見たこともない、想像したこともない美しい色合いのガラスがそこにあった。ガラス製法技術は今とは比べ物にならないくらい未熟な時代の作品。気泡やおうとつはもちろんたくさんあったのだが、その鮮やかな色。そしてその気泡を含んだガラスの質感。本来硬質であるものなのに不思議としとやかな風合い。

今までは自分の技術に控え目に言ってもちょっとくらいの自信があった。人からの評価も高く、ユノの作品は世界各地の多くの公共の場所にも飾られている。自分もいつか大聖堂に使われる作品を作りたいと思っていた。事実、その類のいくつかのオファーも来始めている。ただ、まだほんの少しだけ自信がなかった。そんな時に自分の街の大聖堂のステンドグラスの補修の話が来たのだ。ユノはその話に飛びついた。憧れの大聖堂のステンドグラスにそんなにまで近づけるチャンスを逃すはずはなかった。

ゴンドラの上でユノは頭を巡らせた。どうすればこの風合いが出せるのか。自分の知っているどんな手法も及ばなかった。今まで学んできた技術にはない、新しい手法だった。失われてしまった手法。遠い祖先の作ったガラス・・・。そしてそれをここまで美しく組み上げる技術。私にできるのだろうか。唇をかみ締めたまませわしなくあちらこちらを拭う彼女の姿は同行した市職員にはどう見えたのだろうか。ゴンドラを下り、お礼を言ってから引き受けられるかどうかは近いうちに返事をすると言って大聖堂を去った。

その足で祖母の家に向かった。ユノの祖母はこの街でガラス製品のお店を営んでいる。裏側は工房。両親と近くに住んでいたが二人とも働きに出ているため、ユノはここで祖母に育てられたようなものだ。ガラスは子供のころから一番身近なおもちゃだった。どうすれば壊れる、どうすればきれい形作れる、そんなことはすべて祖母や店の職人さんに教わった。今は近所に自分の工房を持つ彼女だが、祖母はいい相談相手で、折にふれそこを訪れた。おばあちゃんならきっと何かを知っている。そんな思いで、祖母の家を訪ねた。

そのお店はいつでもカップルや子供連れの母親たちで賑わっていた。時折プレゼントを選ぶ若い青年の姿もある。祖母はいつもそんな人たちをにこにこ眺めながらお店に座っている。その日もそうだった。店に入ってきたユノの顔を見て祖母は少し顔を曇らせた。何か問題を抱えているのがわかったのであろう。もう少しでお店を閉めるからと言いながら、新しい商品を見せてもらう。半透明の小さなウサギ。風船を追いかける少年はいつまでもおっかけっこをするモビールになっている。しばらくそうしていてから祖母は店を閉めた。

お店の2階の祖母の部屋のソファに座った。キッチンでユノの好きなアップルティーを淹れながら話かけてくる祖母に今日の大聖堂での出来事を熱心に語った。思案げにアップルティーを運んできた姿にさらにユノの気持ちのトーンが上がる。いい香りが部屋中に漂っていた。話を聞き終えた祖母は立ち上がって棚から1冊の分厚い本を抜き出した。ページをめくり、目的の部分を探す。すべてのページをめくり終え、本を閉じる。そこに答えは乗っていなかった。

祖母は紅茶を飲みながらゆっくりと話しはじめた。この家に伝わる手法がガラス作りのすべてではないこと、昔は紙が高価だったので大切なことは石板に書いてあったこと。そんなことは知っているとめずらしく口答えをするユノ。祖母は口承で伝えられていることの中から考えられる様々な手法を思い出すように時折窓の方に目を向けながら話してくれた。そして自分の机の引き出しに大切にしまわれている古いガラスを出してきた。それを見ながらこれじゃない、あれじゃないと分けて行く。このコレクションはユノにとってもおなじみのものだ。

その中にひとつ、気になったガラスがあった。なんのへんてつもないすこし曇ったガラスの小片。今までなら見過ごしていたその小さなガラスはしっとりとしていて独特の風合いがあった。このガラスが一番近い!興奮するユノにそれはおじいちゃんがおじいちゃんのおじいちゃんにもらったものなのだと説明する祖母。そこにあるどんな小さいかけらも祖母が由来を知らないものはない。ではその時代まではそのガラスを作る手法は生きていたのかもしれない。明日職人さんたちが来たら聞いてみてくれるという。自分自身はガラス作りに携わったことはないからと。

ユノは今、それを待っている。祖母の店から帰ってきても自分の工房であれこれと確かめてトライしてみた。朝になって冷めたガラスを取り出してみたが、どれも思う結果は得られなかった。祖母の家の工房が終わるまでは邪魔するわけにはいかない。そしてしかたなく作りかけの作品に手を出した。ところが集中できずに、ステンドグラスを始めたばかりのようなミスを繰り返しているのだった。

もし自分であのガラスを作れるようになったら何を作ろう。もちろん大聖堂の修理は何年もかかるに違いない。その後、自分はどんなものを作るようになるのだろう。新しい素材、この場合は逆にとても古い素材なのだが、それを手にした時のことを考えるといてもたってもいられない。

ユノは椅子に座ったまま床に膝を投げ出し、両手の親指と人差し指で四角を作って窓の方に向ける。少しゆがんだ四角の中から光がこぼれ出てくる。それをぼんやりと眺めているユノの顔に微笑みが浮かんだ。彼女の頭の中では描かれている絵からはまだ誰も見たことがない鮮やかで美しい光の色が遊んでいた。






text shinob

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最終更新:2009年06月03日 17:41