BFT妄想記

Greif House





ええ。覚えてますとも。何といってもあたしは50年間お仕えしたんですから。忘れようったって忘れられません。それはお優しくておきれいな奥様でございました。

初めてお会いしたのはあたしが14、奥様はあの頃おいくつだったんでしょう。ぼっちゃまが5つでいらっしゃいましたから25才をちょっと過ぎたくらいだったのでしょうね。でもとてもそんな風には見えなくてまるで少女のようなお方でしたよ。奥様の方から先に声をかけていただいたのです。あたしがご挨拶をすると奥様は少しはにかんだようにお笑いになって・・・あぁ、この笑い方はずっとお年を召してもおかわりになりませんでした。

14歳で二親をいっぺんに亡くし、そして初めての奉公でございましょ?立派なお屋敷を目の前にしてそれはもう緊張して顔も上げられないくらいでしたよ。そこへ急に門の中から小さな男の子が飛び出してくるじゃありませんか。男の子はまるまるとした手足を一所懸命に動かしながらあたしに飛びついてきたんです。奥様は玄関にお立ちになっていらっしゃいました。あたしが着いたのを知って・・・後から思えば2階のあの窓からご覧になっていればアタシが大きなトランクを持って歩いてくるのが見えますからね。そして玄関まで降りてきてくださっていたのです。それから奥様が亡くなるまでの50年間、ずっとおそばでお仕えさせていただきました。

こちらはもともと奥様の御祖父さまが別荘としてお建てになったとかで、それほど大きなお屋敷ではございません。使用人としては執事のターボルさん、それと奥様付きのお女中としてホーン夫人、コックのピエールさん、下男のビル、そして婚約が調っていてあたしと入れ替わるようにお屋敷を去って行ったアンヌさん・・・アンヌさんは大層親切な人で、右も左もわからないあたしにお屋敷のお仕事を丁寧に教えてくれました。彼女がお屋敷を去った当初はずいぶんと寂しい思いをいたしたものです。旦那さまはお仕事であちらこちらを飛び回っていらっしゃったのでそれだけの小さな世帯でした。とても家庭的で、本当に皆さまに良くしていただきましたとも。みなしごのあたしなどには願ってもない境遇でございました。

奥様の思い出ですって?たくさんありすぎてどこからお話したものやら。とにかくお優しい方で・・・あぁ、そう言えばお屋敷にお客さまが大勢いらっしゃった時のことで、こんなことがございました。そういう「ちょっとした集まり」の時には臨時雇いの人をお願いしておりましたのよ。

あれはあたしがまだご奉公を始めたばかりの頃のことでした。あたしの役割はお洗濯やお屋敷のお掃除、奥様の身の回りのお世話・・・と言ってもお召し物や髪飾りなどの管理はホーン婦人がやっていらっしゃったのですけれどね、それとぼっちゃまのお相手をすることでした。何しろそれまである程度の商人の娘だったとはいえ、ただの町娘だったあたしには「ちょっとした集まり」のこととなるとまるで勝手がわかりません。ぼっちゃまが外に飛び出さないように、お話をしてさしあげたり木と銀でできたおもちゃの兵隊さんを並べてさしあげたりと、本当にそんなことくらいしかできなかった頃のことでございました。

先にお話したとおり小さな世帯のお屋敷でございましょう?あたしがこちらにご奉公することになったこともお客さまは皆さんご存じでいらっしゃって・・・そう、その時は旦那さまもお帰りになっていて旦那さまのご友人方がたくさんお見えでございました。皆さまがお食事を終え男性はパイプ部屋でくつろいでいらっしゃって、あたしはピエールさんに言われてそちらにワインのデキャンタをお持ちしたのです。その時、お客さまのおひとりがあたしにお声をかけてくださいました。

そのお方はあたしの父と一緒に仕事で遠い国まで旅をしたことがおありになったそうで、そのお話をして下さいました。あちらさまは親を亡くしたあたしをかわいそうに思って下さったんだと思います。でもあたしはお客さまが女中に気軽に話しかけられることにまだ慣れておりませんでしたし、両親を亡くしたこともお屋敷で皆さんに良くしていただいたおかげでだいぶ悲しみは薄れていたとはいえまだ生々しい記憶でございました。銀のお盆を両手で持ったままうつむいてただうなずいている間に、両の眼に涙が浮かんできてしまったのです。

その時に奥様がパイプ部屋にふうわりとドレスのすそを曳いて入って来られました。あたしの記憶にある限り、奥様がパイプ部屋に入って来られたのは後にも先にもあれ一回っきりでございます。そしてうつむいてカカシのようにつっ立っているあたしの横に立ちお声をかけて下さいました。・・・あぁ、あの時の奥様はジャスミンの香りをまとっていらっしゃいましたから、季節は夏の始めですね。お屋敷のことを思い出すときに一番多いのがこの季節のことなのです。お庭に大きな林檎の木があるでしょう?御祖父さまがこちらのお屋敷を建てた折にお植えになったそうで、時期が来ると甘い香りとともに淡いピンク色の花を咲かせてお屋敷の皆を喜ばせていたもので。

「ルース、私の部屋に行ってドレッサーの上に置いてある銀の手鏡を持ってきてくださる?」

そうしてお客さまにはあのはにかむような笑顔を向けて、ミラー夫人に頂いた手鏡の細かい細工を他のお客さまにお見せしたいのでと、お客さまのお話を遮ってしまったお詫びを言い・・・えぇ、もちろんその時にはあのお客さまにもあたしが泣いていることがわかってしまったと思います。そうしてあたしは奥様のやわらかな手にすがるようにしてパイプ部屋を退出したのでございます。今思うと本当にみっともない女中でございますね。でもあの時の奥様のお優しさが今でも昨日のことのように思い出されるのですよ。

お屋敷になじんで、できる用事が増えてくることは大変な喜びでありました。お洗濯は少し辛くはありましたし、朝一番に起きて火を熾すことは寒い冬の日などはよほど自分を励まさないと辛いことでございましたけれど。ターボルさんは厳格なお方で粗相をして怒られることもしばしばございましたが、眼鏡の奥の眼は時折父のような慈愛に満ちた眼でそれは暖かく優しく接して下さいました。ピエールさんの横で包丁やさまざまな料理器具の扱い方を教わったりもいたしましたし、ホーン夫人はぼっちゃまがが寄宿学校に行かれてからは階下のお部屋でレース編みを教えて下さったり、それは見事な手刺繍の針刺しまであたしに下さったのですよ。ビルは時折お屋敷に入ってくる子どもが投げたボールを投げ返す方法を教えてくれました。これも皆、奥様があたしが将来どこに行っても困らないようにというご配慮をして下さったおかげでございました。お食事こそご一緒してはいなかったものの、時折街に出た時に耳にする他のお屋敷の使用人たちの厳しい様子とはまったく違う恵まれた環境でございました。

お屋敷での暮らしで一番楽しかったこと?それはもう、やっぱりクリスマスでございましょう。その季節になるとビルが大きな形のいい樅の木を切ってきて居間に運び込みます。それからしばらくの間はぼっちゃまが居間に入らないようにいつも誰かが見張っていることになるのですよ。ターボルさんの号令のもと、クリスマス用の装飾品がみな欠けることなく残っているのを確認しきれいに磨き上げます。・・・あの真鍮のマリア様像の美しかったこと。ずっしりとしたタペストリーの埃をはたくのは大仕事でしたが、あのやわらかな手触りは忘れることができません。ツリーに飾るろうそくの台もひとつひとつ違う格好をした天使が支えているという趣向を凝らしたものでした。

ピエールさんはもうひとつきくらい前からクリスマス用のごちそうの仕込みで大忙しです。あたしたち使用人もみんな、居間の飾り付けに走り回ります。ホーン夫人は毎年趣向を凝らしたそれはもう美しい飾り物をいくつも作って下さって・・・一度、窓枠を飾るための金の糸と一緒に編んだレースの星がつながった飾り物にぼっちゃまがかわいがっていた猫のターシャが紛れ込んでじゃれついて絡みついてしまって動けなくなってしまったことがありました。かわいらしいやらおかしいやら気の毒やら。驚いてあばれまわるターシャを助け出すのが大変でございました。

玄関に飾るリースの作り方もホース婦人に教えていただきました。蔓とリボンを編みこんだ輪に柊の葉を差し込み、奥様のドレスの端切れを使って小さな飾り物をたくさんつけました。そしてやはり端切れを使っていろいろな形に整えられ香りのいいポプリをいれた小さなオーナメントや奥様のご祖父さまが故郷からお持ちになったというたいそう高価なガラス製のいろとりどりの玉などをツリーに飾りつけます。ピエールさん特製のかわいらしい動物や天使、ぼっちゃまのお好きだった兵隊さんの形をした砂糖がけのクッキーも真っ赤なびろうどのリボンをつけてツリーにつるします。天使が支えるろうそくの台は他の物が燃えないような位置をターボルさんが慎重に考えてツリーにくくりつけます。そしてクリスマスには必ず戻っていらっしゃるだんなさまがツリーのてっぺんに風見鳥のオーナメントをつけます。それでツリーは完成。その頃にはもうすっかり街は雪景色で、なのに居間の中はいろとりどりに飾りつけられてあたたかな明かりが灯りそれはもう美しゅうございました。

クリスマスの前日は居間の暖炉の前にご家族3人の靴下か吊り下げられ、あたしたち使用人も階下の暖炉の前に全員が靴下を吊り下げます。一番早く起きるあたしが起きた時にはもうちゃんと中に様々な心のこもったプレゼントが入っていて・・・どなたが入れて下さっていたのでしょう。たぶんターボルさんですね。髪を結ぶリボンやら、スカーフを止めるピンやら、いろいろなものが入っていてたいそううれしゅうございました。あたしもみなさんに差し上げる手作りのプレゼントを靴下の中にいれました。・・・たいていはホース婦人に教わって作ったあまり上手ではない刺繍のハンケチでしたが。

ご一家が揃ってクリスマスのごちそうを召しあがっている間、ぼっちゃまは靴下に入りきれずにツリーの下に置かれているプレゼントが気になってしょうがなく、何度も奥様にやんわりとたしなめながらお行儀よくしようとがんばっていらっしゃいました。お給仕をしながらそのお姿を拝見していて、なんども笑いをこらえたものでした。その後に階下でいただくご馳走のおいしかったこと。ピエールさんは本当に腕のいい料理人でしたのよ。飾りにしていたクッキーを頂いてもあまりにかわいらしいので食べてしまうのがもったいなくて、いつまでもベッドの横に飾っておいたものです。本当にあの頃のクリスマスは準備はとても大変でしたけれど、楽しくて美しい思い出でございます。


あの恐ろしい事故のことは思い出したくありません。本当にあんなにお幸せだったご家族があんなことになるなんて。一度に旦那さまとぼっちゃまを失われた奥さまのお嘆きようはもうはたから見ていても本当に辛いものでした。寄宿学校をご卒業されたぼっちゃまのお帰りをお屋敷中でお待ちしておりましたのに、旦那さまとぼっちゃまを乗せた馬車があんなことになるなんて・・・あぁ、すみません。今でもあの日を思い出すと涙が出てしまうのです。なるべく思い出さないようにしているのですけれど、奥様とお屋敷の話をするときにはそうするわけにはいきませんものね。・・・そう、あれからお屋敷の様子はすっかり変ってしまいました。奥様は階上のお部屋からあまりお出にならなくなり、お客さまをお迎えすることもなくなりました・・・。

それでもあたしどもは皆できる限りのことをして奥様をお慰めいたしました。お屋敷中からお花が消えることもなかったですし、厨房からはいつもいい匂いが漂っておりました。時が経つにつれ、奥様も少しづつですがお元気になられたようにお見受けいたしました。あたしに話しかけて下さるときにはあの少女のような笑顔を見せてくれるようにまでおなりになったのです。それでもあたしどもは決して奥様のおこころが完全に元に戻ることがないことはわかっておりました。奥様は2階の窓辺でぼんやりと過ごすことが多くなり、それは奥様が亡くなる日まで変わりませんでした。

歳月が経ち、あたしがこのお屋敷に来た時にいた人たちはそれぞれお年を理由にお屋敷を去って行きました。皆、お屋敷を去る時に一様に泣きながら奥様を頼むとあたしに言い残してお屋敷を去って行きました。奥様のお部屋からも肩を落として歩いていくその姿はお見えになっていたと思います。ホース婦人はあたしに、奥様付き女中はあなたに託すとおっしゃり、大切にしていた銀の羽の形をしたブローチを下さいました。最後まで残っていたピエールさんも目が利かなくなってしまいお屋敷を去ることになりました。あたしはお屋敷で最古参の使用人となりました。もちろん後任の人々もたくさんお屋敷を通り過ぎていきましたが、残念なことにその人たちはあのすばらしく美しく幸せだった時代のお屋敷を知りません。輝くようなあの日々は戻っては来なかったのです。

いつ頃だったでしょうか。奥様はもう新しい人はいらないからとお屋敷の周りに高いフェンスを作らせました。あたしと奥様の女所帯では危なかろうというご配慮からでした。美しかったお庭は街の子供たちが遊べるようにとフェンスの外に。それから長い長い間、あたしは奥様と二人でお屋敷で暮らしました。毎朝奥様の豊かな栗色のお髪を結いあげ、レースをふんだんにつけたキャップで止め。奥様のためにお食事を作りお掃除をし、時折は坂を降りて街の噂話などを聞きつけ奥様とおしゃべりしたものです。奥様が階上の窓の横で外を見ている時間、あたしはいつ誰が見えても恥ずかしくないようにお屋敷を磨き上げていました。奥様も決して毎朝きちんと支度をし、いつ見ても旦那さまが生きていらっしゃった頃と変わりなくお美しくいらっしゃいました。あたしは毎日お髪を梳きながら豊かに波打っていたがだんだんと少なくなり白くなっていくのに気が付いていました。そうしてあたしは奥様が亡くなるまでおそばでお世話をさせていただきました。

奥様がお亡くなりになった日はお庭の林檎の花が満開でございました。

今はもう主無き身となったあたしはお屋敷を去り、こうして時折お掃除させていただきに来ているのです。・・・お屋敷にいた時分からの習慣で朝も暗いうちから起きだしてお掃除にまいります。幸いながらあたしがひとりでつましく暮らすのに充分なほどの貯金ができるくらいのお給金はいただいておりました。奥さまは嫁ぎもせずにお仕えしていたあたしの身を案じて下さっていたのでしょう。すでに体の自由があまり聞かなくなってしまい、昔のようにお屋敷中をきれいに磨き上げることができないのが残念でたまりません。奥様がいつも座っていらっしゃった窓辺の椅子だけはいつもクッションの埃を払い居心地のいいように整えさせていただいておりますけれど。

せめてこの手がもう少し力強い頃でありましたら子供たちが投げてお屋敷に入ってしまったボールを投げ返すこともできましょうに。

あらあら、すっかり長話になってしまいましたね。あなたのようにお屋敷のことをご存じでいらっしゃるは年々減っていってしまっており、奥様のお話をすることもなくなってしまいましたので、ついうれしくなってしまって。

またぜひいらして下さいませね。奥様がいらっしゃった時分のことならもういくらでも昨日のことのように思い出せますのよ。特にお屋敷が輝くように美しかった時代のことはお話しているとまるであの頃に戻ったように楽しゅうございます。本当にまたいらして下さいませね。それでは失礼いたします。良い旅をお続け下さいませ。




text shinob

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最終更新:2009年06月03日 17:40