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創発

疾患の枷

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 例えば膚が悪いとする、あるいは内臓が悪いとする。そうでない健康な人と比べ、何か同じ事をするのにも体の悪い分だけ余計に体力を消耗する。見かけ上は同じような振舞いが果たされていても、多くの熱量が消費され、その分腹も減りやすい事だろう。違いが出てこないならば大喰らいであるか、そうでなければ元々は効率の良い体をしているのである。

 膚が悪いだけにしても、一個人の消耗を考えれば全体から差し引かれている事に変わりはない。それと同じだけ確実に、出来る事が限定されていく。

 この事は身体に起こる全ての事に言えるはずである。しかし我々は肌荒れなどでは疲れの原因とする事はない。物の原因は只ひとつに決められるものではないにせよ、余計に体力を消費させている要因が肌荒れであるとは思わないし、実際に、消耗も多くはないだろう。

 しかしこの観点は長期的視点に立つ場合は重要である。それはいつまでも肌荒れのままで居る訳にも行かないと感じるだろうが、それよりも明確に「できる事が限定されている」意味で認識し、改善すべきである。それは小銭を貯金する事に近い。毎日就寝前に折り鶴を一羽作る余力があったならば、三年経たないうちに千羽折り上がる。……まあ予め千羽鶴を作る事に何かを求めよという訳ではない。

 現代では疾患を病院で治療してもらう事は常識であるから、自分の今までの意見は至極常識に沿った意見である。ただ、僅かな何がしかを実行する余力を得るために診察してもらうとして、果たしてその金額に見合うだけの充分な利益が得られるだろうかという意見もあろう。経済性を持ち出したのはこちらであるので、その批判はもっともである。

 これに関しては自身の考えでは一種の「投資」とすれば良いと考えている。治療されたことによって得た余力で直接金銭的労働をしても、たかが知れていよう。だから、そうではなく毎日を或いは自分自身を僅かに豊かにするような、機転の利いた工夫を実行するための余力とすべきである。例えば毎晩就寝前に香を焚くことで睡眠の充実を図るとか、家の水道管が壊れたときのために配管の勉強をするとかである。……まあ効果のほどは定かでないが。

 こうなってくると、何かの工夫を毎日の生活にて思いつく事が大切になってくる。今までは身体の問題として消耗を抑え能率を上げるという事を話したと言えるので、それは全体の効率であり、歩き方の改善にも似ている。対して日々の作業のひと工夫は生活のこまごまとした作業の改善であり、何遍も辿る道筋の、都合のいい道筋の探索である。

 例えば飲み終わって空になった牛乳パックを、洗って乾かし台所へ置いておく。そこへ、零した醤油を拭ったようなちり紙を丸めて詰めておく。そうして出来たものは、揚げ物をして古くなった脂などを染みさせて捨てるのに使える。……これは自分自身のためというより環境のためであるから、どうでもいい人には単なる無駄であった。

 または食べ終わった蜜柑の皮を風呂に浮かべるのでも構わない。少し気分が良くなったりすれば儲けたものだろう。最終的には今のような「儲けた」などという感覚が存外重要なように思われる。儲けた気分になれば少々の事に辟易するなども減少しよう。そういった心持ちになれれば、単純に金で買えるものとはいいにくいものなので、本当に儲けたものだろう。