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★1990年

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総選挙

自民党が圧勝した前回の衆院選(1986年7月)から四年目を迎えた1990年、任期満了が近づいて、総選挙近しは既定の事実になっていた。世界では、天安門事件、ベルリンの壁崩壊など激動が続いていたが、日本の政界は、海部政権の支持率も比較的高く、奇妙に安定していた。海部首相は、1月24日に衆院を解散、2月28日の総選挙が決まった。
自民党の選挙戦を指揮するのは小沢幹事長である。小沢は、街頭に出て応援演説するよりも、財界など圧力団体を精力的に訪問して支持(とおそらく献金)を訴える動きをとった。
結果は、自民党が18議席減らして275(選挙後公認を含めて286)議席をとって安定多数を確保した。前回がとりすぎたので、まずまずの勝利といえた。野党では、社会党が86から139議席に増やす一人勝ちであった。有権者には消費税拒絶ムードとマドンナブームが続いており、社会主義政権の混乱や崩壊が社会党にダメージを与えるのはまだ先のことであった。
第二次海部内閣の布陣は、外務大臣-中山太郎、大蔵大臣-橋本龍太郎、内閣官房長官-坂本三十次であった。

バブル崩壊

前年12月29日、東証株価(日経平均)は38915円という史上最高値をつけた。明けて90年1月4日の大発会では、市場の期待に反して202円安となった。そして9日には、株・債券・円のトリプル安に見舞われた。以後株価は週に千円くらいの割で落ちていき、3月22日には3万円を割り込んだ。おまけに円は155円台の円安になった。
経済の潮目は変わっていたが、政府は逆に、土地投機・マネーゲームのへの国民の非難を背景に、バブル退治に本腰を入れだしたのであった。3月27日、大蔵省は金融機関に対して、土地融資の総量規制を通達した。投機マネーの蛇口を一気に閉めたのである。5月9日、日銀は、地価高騰の一因は金融緩和であった、と自己批判し、8月には、公定歩合を6%に一気に引き上げた。
株価は10月1日に一時2万円を割ったが、景気拡大は続いており、投資家はまだもとに戻る希望を捨てていなかった。地価も目だった下落はなく、自民党税調は、年末、新しい土地保有税を導入する「土地税制大綱」を決定した(翌91年4月24日施行)。

イラク軍のクエート侵攻

90年8月2日、イラク軍が突然隣国クエートに侵攻し全土を制圧、8日にはクエートの併合を宣言した。国際社会はこれを当然非難し、国連安保理はイラク軍の即時無条件完全撤退を要求し、対イラク経済制裁を決議した。アメリカはサウジアラビア派兵、イラクに対する海上封鎖を決定し、各国に派兵、協調を呼びかけた。
アメリカの強硬姿勢にも動揺する気配のないイラクに対して、11月29日、国連安保理は、1月15日までにイラク軍が撤退しない場合イラクに対する武力行使を容認する決議を採択した。

国際貢献

ブッシュ大統領から対イラク制裁への協力を要請された海部政権は、90年中に三次にわたって計40億ドルの多国籍軍や周辺諸国への資金供与を決定した。
カネだけではなくヒトの「国際貢献」も必要、という声は政府内外から上がっていた。小沢幹事長は、自衛隊を派遣することは現憲法下でも可能と主張した。政権は、急遽、自衛隊が国連PKO部隊に参加できることを内容とする「国連平和協力法案」を上程したが、野党ばかりか与党内にも慎重論・反対論が噴出し、政府答弁も混乱、すぐに成立を断念するという迷走する姿をさらした。
作成日: 11/01/09
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